送り雛
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:6〜10lv
難易度:やや難
成功報酬:3 G 80 C
参加人数:4人
サポート参加人数:1人
冒険期間:03月17日〜03月22日
リプレイ公開日:2009年03月25日
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●オープニング
突き出した小高い崖の上から海を眺める。
白く逆巻き浜へと押し寄せるうねりの向こうにぽつりと浮かんだ舟影に、思わず吐息が落ちた。
舟は、まだそこにある。
岬に近い小さな入り江の畔に暮らす漁村の浜にソレが流れ着いたのは、桃の節句が過ぎてちょうど10日が過ぎた頃だ。
簡素な造りの白木の舟には、大量の人形が積み込まれていた。ほとんどが安価なモノばかりだったが、中には年期が入って古びてはいるものの錦の着物を着せられた見るからに高価な人形も乗せられていた。年頃の子供たち、特に少女の中には憧憬の視線を向ける者もいたが、呪いのように敷き詰められた紙の人型を見れば大凡の察しはつこう。
厄払いだ。
潮の加減だろうか、浜には稀にこういった奇妙なモノが流れ着く。――さすがに、人形というのは初めてだったが。
何れにせよ、払われた厄を村に招き入れるワケにはいかない。村人たちは大安の日を選び、小舟をふたたび海へと送り出したのだ。
遠くから運ばれて来たのだろう。白木の舟は傷みも酷く、浸水が始まっている個所もあった。ほどなく海神の待つ竜宮へ運ばれるだろうと、誰もが思っていたのだけれど。
舟は、未だ彼の目の前にある。
波に呑まれることも、潮に運ばれることもなく。
■□
「海が荒れているのだそうです」
届けられたばかりの依頼を検分するように大福帳を読み返して、手代は思慮深げに首を傾げた。
小舟の浮かぶ沖の方は凪いでいるのに、浜に押し寄せるうねりだけが漁民たちを拒むかのように荒れ狂う。――波の間から水膨れた死人のような気味の悪い顔がいくつも見えることもあるとかないとか。
「幸い、今のところは陸へは上がっていないようですが‥‥」
それも時間の問題かもしれない。
例え丘には上がってこない類のモノであっても、漁を生業として生計を立てている村で海に出られないのは死活問題だ。
「どちらにしても、先細りなのは目に見えておりますからね」
なによりも気味が悪い。
言いながら、手代も少し薄気味悪そうに大福帳より顔を放して眉をしかめる。思案気に首をかしげ、手代は冒険者たちへと視線を向けた。
●リプレイ本文
しくじったっ!!
突きつけられた衝撃の事実に、田之上志乃(ea3044)は頭を抱え視線を虚空に泳がせた。
弥生といえば、ひな祭。
ひな祭りといえば、お姫様たらんとする女の子の年に1度のスペシャル・イベント。そのひな祭が、気がつけば過日となっていた。
「お姫様さなるにゃ、オラも雛さ流さにゃならなんだべ!」
形ばかりの真似だけしても、お姫様にはなれないけれど。――とりあえず、お姫様の気分は味わえる。――その貴重な瞬間を自らフイにしたと気づてしまったのが、不運だった。
ここ最近の素行を振り返ってみれば、果たしてお姫様に近づいているのか否か‥‥
青くなったり、赤くなったり。自問自答に悶える志乃を視界の端にのんびりと茶をすすり、瀬崎鐶(ec0097)はふと巷に蔓延する縁起話を思い出す。
「‥‥あれ、出しっ放しにしておくと嫁き遅れるって言うしね‥」
ぼそり、と。
日頃、寡黙な人の核心を突いた言葉は重い。
月道渡りのセピア・オーレリィ(eb3797)はともかく、ジャパンの女性であれば1度ならず耳にする莫迦莫迦しくも笑えない風聞に、渡部夕凪(ea9450)も苦笑を零した。
「確かに。そんな厄を背負わされて流されりゃ、祟りたくもなるかもねぇ」
それはまあ、冗談とさておいて。
何処かで流された白木の舟は、積み込まれた人形と舟幽霊と呼ばれる海の魔物を連れて小さな漁村へと流れ着いた。
流されきれぬ未練が呼んだのか、厄が厄を呼んだのか。――帰らんと彷徨う妄執の共鳴だとすれば哀れではあるけれど、生ある者にとってはもはや害でしかない。
浜に打ち寄せる白波の、遥か沖に浮かぶ小さな舟影に視線を向けて、夕凪はどこか郷愁にも似た感傷に曖昧な笑みを刷く。
●海より寄せる厄
視界が開ける。
遮るものの何もない。どこまでも突き抜けてゆけるかの如く広がる世界の片鱗と、ふみ出すことを躊躇う己の小ささ‥‥無力を同時に感じさせてくれる存在。
そこにあるだけで人の心を呑み込んで足を竦ませる海は、この依頼における冒険者たちにとって最大ともいえる障壁だった。
舟幽霊だけ。あるいは、白木の舟だけを相手にすることができるなら、多少なりと腕に覚えのある彼らにとって事態はさほど脅威ではない。――数は少なくないが苦もなく対処できるのだけれども。
「大元ァあの小舟だべなァ」
志乃の言葉に、異を唱える者はいなかった。
浜に流れ着いた白木の小舟が、全ての異変の始まりだったのだから。
海に呑まれず更なる災厄を連れて戻ったその舟を渡津海鱗宮に届ければ、海はきっと穏やかさを取り戻すはず。それを成す為に、彼らはここに呼ばれたのだ。
「水さ流されても清められねェだら、別の手立てでお清めさするだよ」
「お清め?」
「火、だべ」
炎に浄化できないものはない。――真偽はともかく、そう信じられている。――こくりと頷いた鐶が抱えた箱の中には、油を染み込ませた布を鏃に巻きつけた火矢が水に濡れぬよう大切に納められていた。
「そうね。多分、未だに沖で漂ってる船をどうにかしないとキリが無いんでしょうけど。無闇に漕ぎ出しても、あっさり転覆させられて厄の仲間入り、って落ちになりそう」
波間を漂う舟幽霊をまず排さねば、沖を漂う小さな舟には手が届かない。
この海は魔物たちの領域だ。迂闊に手を出せば、思わぬ苦戦を強いられることは明白で。人智の及ばぬ自然と対峙するには、相応の準備と覚悟が必要だった。
歯痒さに舌打ちし、セピアは白く泡立つ波間を隔てて対峙する死者の顔を睨めつける。
かつて、人であったものたち。
不死者と呼ばれる魔物と戦う時は、いつもどこかやるせなかった。
青白く、水を吸って膨らんだ姿は既に異形と呼ぶべきもので‥‥濁った眸の奥で饐えた光を湛える生への執着に、鳩尾のあたりに違和感が湧く。
「まンず引き寄せられて操られとる土左衛門さ片付けにゃどうしようもねェだな」
「‥‥兎に角この死人達をどうにかしなけりゃ本丸に届かない‥と」
感傷にも似た心の揺れを紛らわせるように、夕凪も状況を戦さに喩えて肩をすくめる。――戦さなのだ、これは。
●波間の不死者
踏みしめた足の下で濡れた砂が軋んだ。
波に洗われた浜の砂はやわらかく、ともすれば足を取られそうになる。――軽快な身のこなしが身上の志乃や鐶も足捌きにいつもの切れの良さがない。《疾走の術》がもたらす爽快感も、いまひとつ。
潮を孕んだ生臭い海風と冷たい波飛沫の洗礼に目を細め、セピアは左手に掲げた楯で海中から伸ばされた青白い腕を受け止めた。《レジストデビル》に守られた純白の楯に阻まれた死人の腕は次の呼吸で繰り出された聖槍の一撃に腐った黒い血を散らして、刻まれた聖母の像を汚す。
志乃が祈りを込めた《道反の石》の加護のおかげか、不死者たちの動きも鈍い。
ずるずると水面に沈んだ骸に代わり、赤黒い染みがゆらりと波間に広がった。
ざわり、と。
流された血の気配に、海がざわめく。
セピアと並び波打ち際で愛刀《虎徹》を振う鐶はつと上げた視線の先に、漂う白木の舟を見た。
流されるまま。ただアテもなく浮かんでいるだけに見えた舟に、肌が粟立つ。
束の間、
瞬きひとつほどの邂逅だったが、漠然とそこに怪異の因を感じた。
「‥‥来る‥?」
呟きにも似た鐶の声を掠め、魔力を帯びた矢が鋭く風を切る。
横手より襲いかかった1体に向き直り対峙するセピアの死角から襲いかかろうと姿を現わした1体は、夕凪より放たれた牽制に恨みがましい視線を残して水面に沈んだ。――射手の精度はあまり良くないが、飛翔する矢が纏う魔力は威嚇としても十分使える。
鐶とセピアが積み重ねて行く小さな勝利を得たりと眺め、夕凪はふと気付いて同じく後方より弓矢でふたりを援護する志乃に視線を転じた。
「しかし、倒した死人達が浮いたままってのもナンだねえ。浜に流れ着く様であれば回収し処理した方が良さげかい?」
「ンだな」
魔性に身を堕したとはいえ、元は人。
力尽きた姿は死体と同じだから、目の前にあって気持ちの良いものではない。――無論、村人たちも手伝ってくれるだろうし、図らずも屍を積み上げる宿縁を背負ってしまった彼らの気持の問題でもある。
志乃としても、事が終われば線香のひとつも上げて手を合わせてやりたいところだ。
後始末への想いを馳せる余裕も生まれ始めていた。
●流し雛
番えた鏃の焦点が揺れる。
舳先に立てた篝火の――近くの寺より護摩の火を分けてもらうことを提案したのは志乃だった――炎が生き物のようにゆらゆらと落ち着かない。
荒れる水上での宿命ではあるが、陸との勝手の違いにセピアは少し苦笑する。小さな舟の上での戦闘は少し不便だ。
篝火が投げかける光に照らされた澹い水面に、深海より影が射す。浮かびあがった舟幽霊が腐りかけた顔を出すよりも早く槍を突き出し、長い柄を伝う感触にセピアは小さく吐息を落とした。槍を下ろし、《ピュリファイ》を唱える。
戦果より視線を逸らせば、波にもまれる仲間の舟が視界に入った。
白木の舟に火矢を射かける攻撃舟だ。志乃と夕凪がただ一心に、油を浸した鏃に火を付け、舟に向かって矢を射かける。
重く濁った灰色の空に、赫々と赤い弧を描いて飛ぶ火矢はどこか幻想的でもあった。
ひとつ、ふたつ、と。
矢が舟に当たる度、ぱぁっと鮮やかな火の粉が周囲を照らす。その光の中に、積まれた人形の面が白く浮かんでは消え――
揺れ動く舟と光の間で表情を持たぬ人形の顔は、時に怒っているようにも‥‥あるいは、泣いているようにも思われた。
視界がぼやける。
消火の煙か、火に炙られた蒸気の色か。立ち昇る白い煙は、諦めることなく放たれる火矢の数とともに濃く、舟を包みこみ‥‥
朧ろに霞む舟影さえも視界より消えようとする。刹那、
白煙の中に、ちらりと鮮やかな赤が走った。
息を呑んだ鐶が炎の姿を認識すると同時に、ごおと熱を帯びた風が海上を薙いだ。反射的に閉じた目が次に見たモノは、炎上する舟の中で崩れる黒い影。
――気がつけば、海は凪いでいた。
■□
浄化の炎は一晩かけて夜を照らし、翌朝、浜に幾つもの炭化した流木を打ち上げた。
村人たちは小舟の残骸を集め、改めて供養することに決めたという。――最後まで見届けたい想いもあった冒険者たちだが、江戸に戻らねばならぬ日が近づいていた。
漁小屋の陰に集められた残骸に手を合わせ「ナンマンダブ」と聞きかじりの念仏を唱える志乃に倣って、鐶も静かに手を合わせる。
「もう、出てこないといいのですが」
「‥‥形代になった人形達も主と別れるは辛かった。そんな伽話で終わるも良いんじゃないかい?」
海に向かって酒甕を傾ける夕凪を興味深く眺め、セピアも彼女が信じる神に彷徨う魂たちの救済を希う祈りを手向けた。