川霧
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:3〜7lv
難易度:普通
成功報酬:2 G 4 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:01月24日〜01月29日
リプレイ公開日:2005年02月01日
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●オープニング
見上げる空は、初春とは名ばかりのうっすらと雲を吹き流した冬の色。
夜明けの風に吹き寄せられた川霧がゆるやかに枯れ草を撫でて堤防の傾斜を這い登り、世界を包もうと翅翼を広げた。
「寒ぅ〜い」
澄んだ空に白い息を吐き、紗枝は両手に抱えた白皮をよいしょと抱きなおす。吸い込んだ冴えた大気は、胸が痛くなるほど冷たい。
今すぐ家に駆け戻り、ぴったりと戸口を閉ざしてしまえたら――
春がくるまで囲炉裏の側に張り付いていられたら、どんなに幸せだろうかと。そんなことを、ちらりと思う。
でも――
抱えた白皮を見下ろして紗枝は、ちらりと浮かんだ怠け心を振り払った。
川の流れが最も澄みきる今の季節でなければ、良い紙は作れない。――冬の初めに刈り取った楮(こうぞ)を蒸して皮を剥ぎ、天日に干して、水にさらして‥‥
まだまだ、先の長い仕事だけど。
こんなところでダメにするわけにはいかないのだ。
ぶんぶんと首を振って邪念を追い出し、紗枝はゆっくりと川霧を踏んで土手を下る。
川の浅瀬に作ったさらし場には、紗枝の家と同様、紙漉きを冬の生計の糧にする同業者たちの姿があるはずだった。
■□
番台の向いに座った男を眺め、手代はこっそり吐息を落とした。
一見して、町衆ではないと判る骨ばった痩躯に、頭に白いものの混じり始めた初老の男。粗末な、あまり裕福な暮らし向きではなさそうな‥と、言ってしまえばそれまでの。まぁ、悪人ではないだろう。
「‥‥あの、こちらにお願いすれば‥その‥‥困ったことを解決していただけると聞いて参ったのですが‥」
おずおずと切り出す口ぶりも、どこか自信なげな遠慮がち。否と応えれば、そのまますごすごと引き下がってしまいそうな頼りなさだ。
こちらも仕事。そして、そこまで根性悪でもない手代は、にっこりと善良そうな笑みを浮かべる。
「そうですね。大抵のことなら何とかさせていただけると思いますよ。――その、もちろんタダというワケには参りませんが‥」
とりあえずはご用件をお聞かせ下さい。
目の前で開かれた大福帳にほっとしたように肩を落として、男はぽつりぽつりと話始めた。
男の在所――江戸より2日。昼間は少しばかりの水田と畑を耕し、夜は紙漉きで生計を立てる小さな村だ。
今の季節は、紙をより白くする為の“川さらし”の最中なのだが‥‥先日、この大事な作業場である川に化け物が棲みついたのだという。
「化け物、ですか?」
そういうコトなら任せてください!
と、流石に笑顔で頷くわけにはいかず、手代は曖昧に顎を撫でまわした。
「‥‥さらし場に老婆がやってくるのです」
お婆さんは川へ洗濯に。それほど不思議なコトではない。
不思議なことではないのだが、どうにも不思議なことがある。
「その婆さんが洗濯をしながら唄う歌を聴いていると、何やら魂を抜かれるようになるのだそうです」
歌に魅入られた者は、ふらふらと老婆に近づき、そして――
「‥‥もう何人も犠牲者が出ておりまして‥」
流石に村人たちも異変に気付き、川には近づかなくなった。だが、“川さらし”ができなければ、紙漉きの仕事は成り立たない。
「それはお困りですね。でも、もう大丈夫。化け物退治なら当“ぎるど”には、うってつけの人材が揃っておりますから」
愛想良く微笑んだ受付係を眺め、男はありがたそうに両手を合わせた。
●リプレイ本文
白い静寂がふうわりと。
さらさらと滞ることを知らない清流のほとりに小さく肩を寄せ合う集落は、ひっそりと深く息を殺しているようだった。
厚く地表を覆った雪が生き物の発する命の鼓動を奪うのか、あるいは、他にも原因があるのか。江戸から訪れた冒険者たちを出迎えたのは、かたく張りつめた冷気と、いっそ耳の痛くなるような静謐。
賑やかに駆け回る姿があってこその温もり、楽しさなのだと改めて思う。
「紙漉きというのは、どういうものなのですか〜?」
聞きなれぬ言葉にアイリス・フリーワークス(ea0908)は、好奇心に眸を輝かせて小首をかしげた。握り締める手綱の先には、手に入れたばかりの驢馬・柚木。福袋が結んだ新たな縁は、空を流れる風に遊ぶ羽根妖精の小さな体躯ゆえの苦労‥‥遠出をする時は誰かに荷物の肩代わりを頼まねばならない申し訳なさから開放される最高の当たり目だった。
アイリスと同じく遥かな国から月の道を越えてこの地へ流れついた小さな魔法使いハロウ・ウィン(ea8535)も、なんだろうと首をかしげる。いくつもの言い回しを使い分ける日本の言葉は、時に旅人たちには難しすぎて‥‥。
「紙を作る工程のひとつだ。本来は、原料になる植物から繊維を取り出し、水に溶かしたものを網で漉す作業を指すのだが、紙を作る全ての工程をそう呼ぶな」
新たな知識を得ようと貪欲な少年の姿に、かつての義弟の姿を重ね。唇の端にほのかな微笑を浮かべて答えを口にした丙鞆雅(ea7918)の隣で、黄由揮(ea4518)も厳かに頷いた。
「左様。製紙の技術は拙者の祖国にて開発され、こちらの国に伝えられたものである」
そう胸を張った黄のどこか誇らしげな表情に、アイリスとウィンは顔を見合わせる。
「えええ。紙って、植物から作るですか? 知らなかったですよ〜」
「僕も。紙って羊の皮から作るのだと思っていたよ」
あちらの国ではとても高価なものだと思っていたのに。こちらの国では、どこにでもあるごく当たり前のもの。――それを知るのも旅の楽しみというものなのかもしれない。
村が抱える困り事を解決したら、きっと“紙漉き”を体験させてもらおう。
そうしてふたりの旅人は、またひとつ。新しいわくわくと、見えない旅の道標を見つける。
●妖怪詮議
「洗濯婆ァのフリさして、歌で人を引き寄せる化けモンだべか」
田之上志乃(ea3044)の言葉に、囲炉裏端に集められた村人たちは神妙な顔で頷いた。
貧しい身なりの痩せた老人。ここらあたりの村人は皆、豊かではないからボロをまとっていても誰も不思議には思わない。
くたびれたザルを抱えて川べりに現われた老婆は、ガラガラと音を立てながら流れでそれを洗い低い声で歌うのだという。――初めのうちこそ耳に障るが、そのうちに何やらふうわりと良い気分になるだとか。
次第に、もっと近くで聞き入りたいという衝動がおさえ切きれなくなって‥‥。
「それで、近づいたら――」
「頭から喰っちまうだか?」
どうなるの?と、小首をかしげた御神楽紅水(ea0009)の言葉に被せ、くわっと開いた志乃の口にアイリスはくらくらと目を回した。
「わ、私は食べてもちっとも美味しくないですよ〜」
あたふたと火乃瀬紅葉(ea8917)の後ろに逃げ込んだアイリスに、志乃はにかっと人懐っこい笑みを見せる。見慣れぬ訪問者を前に張り詰めていた村人たちの緊張がいっきにほぐれ、話しやすい気運が高まった。
「川辺で歌を歌い人を引き寄せる、と聞くと‥‥豆洗い‥‥くらいしか聞いたことがないですね」
「そうだな、俺も豆洗いだと思う」
左右の色が異なる瞳に愛想の良い微笑を浮かべた雨宮零(ea9527)と丙の同意に、紅水が思いついて荷物を探る。
「そうそう。こういうモノを持ってたんだ。――これにその妖怪、載ってるかなぁ?」
広げた絵図には、世にも恐ろしげな生き物たち。古今東西、伝聞実在織り交ぜて。夜の巷を跋扈する日本の妖怪たちが鮮やかな筆致で描かれている。
“百鬼夜行図”に、村人たちは恐るおそる覗き込み、亀のように首をすくめた。――小鬼、山鬼、精吸い、山姥。伝えも姿も恐ろしい妖怪たちをじっくり見聞するのは、季節外れの度胸試しにも似て。
「‥‥‥こ、れ‥‥に、似てるような‥気‥‥が、する‥‥」
行きつ戻りつ。長い長い推考の末、村人たちが指差したのは――
「ふむ。やはり豆洗いであろうか」
「そうだな。‥‥翁の姿をした妖怪だと記憶していたのが‥‥」
「妖怪にも個体差があるということなのでございましょうか」
胸にまでとどく立派な髭を扱いて頷いた黄に、雨宮、丙も己の洞察力に満足げな笑みを浮かべる。
幽霊の正体見たり。
もちろん、敵は枯れたススキなどではないけれど‥‥。
「仕事に来た村人を歌で誘い寄せて食べてしまうなどとは、絶対に許しておくわけには行きませぬ! 必ず、紅葉達が解決いたしますゆえ、皆様ご安心くださいませね」
加護を祈る精霊の息吹よりも熱く燃える志を奮い、拳を握り締めて高らかに宣言した火乃瀬の言葉は、降って湧いた災難におののくばかりの村人たちの心を明るく照らす灯火となったに違いない。
●川霧
鋭利にさえ思える冷たい大気と、尽くことなく滔々と大地を滑りゆく水と。
浅瀬となった川面から立ち上る朝霧は、白々とした暁の世界を漂いゆるやかにその翅翼を広げる。
「ふぅむ、視界が良くないの」
川下に回って妖怪の出現を待つ黄は、視界を遮る無形の幕に顔をしかめた。
風がないわけではない。ひたひたと足元から忍び寄る冷気を連れて、吹き寄せる風は白い帳を揺らしその姿を映す。
「上手く見つけられればいいのですけど」
視力には少しばかり自信のあった雨宮だが、さすがにこう霧が濃くては心許ない。それでも目を凝らして作業場の影を追う。――そこには、洗濯婆に化けた志乃とそれを護る紅水、火乃瀬がいるはずだった。今は、ぼんやりした影しか見えないが。
「お天気が良くないですね〜」
小さな体を取り巻く霧に、アイリスも思案げに空を見上げた。幾重にも重なる霧に遮られた弱い朝日は、落とす影にも力がない。アイリスが加護を祈る月の精霊の力を持ってしても、敵を縛るのは難しいだろう。せめて霧が晴れる昼間であれば、いくらかマシなのだろうけれど。 歌によって得物を魅了する魔物。その邪悪な意思から確実に逃れるためには、近づかないのが一番だ。――少しは離れた場所から、狙い打つ。それが、黄とアイリスの受け持ちだった。
「村の人たちには、終わるまで、川に近づかないように注意してきたよ」
当たり前だけどね。物陰に身を潜め軽い調子でそう報告するウィンを微笑で迎えた丙は、少年の行動にほんの少し眉を動かす。丙の視線に気付いてウィンは細く裂いていた布を掌に乗せ、茶道家だという青年の前に差し出した。
「ああ、これ? 耳に詰め物をするんだ。これなら、歌を聴いても魅了されないんじゃないかと思って。――鞆雅君もやってみる?」
「‥‥いや‥」
魔力を持つ歌ならば耳を塞いでも聞こえてしまうものなのだが。まぁ、色々試してみるのは悪いことではない。――義弟に近い存在にはやっぱり弱い丙だった。
■□
「‥‥志乃ちゃぁん、やっぱりやめない?」
愛用の小太刀を洗濯籠に隠し、紅水は襷がけで張り切る志乃に不安げな視線を投げる。
歌なら負けねぇと洗濯物の入った駕籠を小脇に抱え気合の入った小さな友人の“歌”が、とんでもない代物であることを知っているのはとりあえず紅水だけだ。
警護を兼ねて行動を共にしている火乃瀬などは楽しみだとニコニコしているが、それは実際に聞いたことがないからであって。
「‥‥私もウィンさんに耳栓もらってこればよかったかも」
呟いた紅水の心も知らず、志乃はといえばこほんと咳払いをひとつ声の調子を確かめる。
「やっぱこーいう時にゃ、十八番の歌がええだな。いつもより気合を入れていくべ‥‥んだば」
ハァ〜ァア〜ァ〜会津磐梯山は宝のやぁまァよ〜〜〜♪
「む、誰かが歌っておるようだが‥‥出たかっ?!」
切れ切れに届く歌声にぱっと身を起こして鉄弓を構えた黄は、だが、霧を震わせる会音波にしばし耳を傾けてぽつりと呟く。
「‥‥‥音痴であるな‥」
ぼそりとミもフタもない率直な感想に、顔を顰めたアイリスが黄の袖を引いた。
「あいづばんだいさんってなんですか〜」
「知らぬ」
寡黙な男は言葉少なに、だがキッパリと言葉を返した。
「‥‥く‥歯に滲みる‥な」 黄、アイリスよりも距離が近い分、歌の拙さを実感できるその場所で、丙は奥歯を噛み締める。歌とはもっとこう風流なものではなかったか‥‥。
ただひとり耳の詰め物のおかげで被害を免れたウィン。そして、古傷にも響くその歌に耐え、白い闇に目を凝らしていた雨宮の視線の先――ふぅと遠ざかった意識によろめいた火乃瀬の後ろ、わずかにゆれた川霧に人ならざる物の姿が映る。
「あ、あれ!」
「火乃瀬さんっ!!」
危急を叫ぶ呼び声に、花咲く川縁で手招く誰かの幻は霧散し、ボロを纏った小柄な老婆の姿にとってかわった。――人の良さげな。穏やかな人にも見えるその人は、両の眼だけがぎょろりと、異様に大きくて。
赤黒く汚れた着物。そして、殺意を秘めた長い爪。
「―――っ!!!!」
――ザク‥
振り下ろされた爪は見た目の脆弱さとは裏腹に、驚くべき正確さで肉を切り裂く。
白い霧にパッと鮮血が舞った。
「きゃああっ!! 火乃瀬さんっ!!!」
「火乃瀬さっ!!!!?」
小太刀に手を伸ばした紅水、手裏剣を探った志乃。そのふたりの反応よりも早く、獲物を狩る凶器となった――
戦う力も、身のこなしも。
少し使える程度の腕とは、比べ物にならない。――豆を好物とし、鬼の中では穏やかだと知られる豆洗いだが、鬼は鬼。
(「やられるっ!!」)
敗北を思い描いた刹那、銀の光が走る。
雲間から射す、細い月光にも似た銀の光‥‥アイリスが完成させた呪文を聞き届けた月の精霊は、紅水の喉を掻き切ろうと振り翳された豆洗いの腕に突き刺さった。
響き渡った絶叫の響きを頼りに黄の鉄弓から放たれた矢も、狙いを違わず。先制を許しさえしなければ、数の多いほうが有利。
ウィンの呼びかけに応えた地の精霊も――川岸の草は枯れてしまっていたけれど――重力の檻でもって鬼の動きを封じた。
それぞれに剣を抜いて駆け付けた丙、そして、退路を塞ぐかのように立ち塞がった雨宮も。
「逃がしはしない。犠牲になった人たちの為にも、絶対に!」
闇路への片道。引導を渡すのが、彼らの仕事。
「なんのこれしき‥‥」
流れる血。自らの痛みを力とし、火乃瀬も薙刀を構えて火の精霊に加護を願う。
「人々の暮らしを守るのも紅葉の勤めにございますゆえ!!」
地を割って噴出したマグマ。そして、達人に近づくために剣の技を研く雨宮、丙の前では、鬼も決して恐ろしい相手ではなくなった。
途絶えぬ流れは、血で赤く染まった水を下流へと押し流し。霧に包まれた戦場は数刻ほどで、元の平和な作業場へと姿を変える。
冬の間の厳しい作業。だが、そこに明るい声が戻ってくるのは間もなくだ。
「紙漉きさせてもらえるといいですね〜」
「はい。楽しみです」
顔を見合わせてにっこりする子供たちの笑顔に勝るものはない。村人たちも集落を救った英雄たちを温かく迎えてくれるだろう。