【坂東異聞】 藤娘

■ショートシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:5〜9lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 74 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:05月17日〜05月22日

リプレイ公開日:2005年05月25日

●オープニング

 貴腐妖精という名を聞いたことはございますか?
 ほお。さてはなかなかイケる口でいらっしゃるのでございましょうね。――そのとおり。台所などに棲み着つく妖しの一種とでもいいましょうか。
 妖しと言いましても悪さばかりするそこらの悪たれとは違い、多少は人の役に立つ。美味い酒を出すと評判の蔵元などではこの妖精と契約を交わし、酒造りの極意を伝授されているなどという噂もございます。
 根も葉もない噂だとばかり思っておりましたが、あながちそうでもないようで‥‥。

 日本橋は浮世小路の枡屋さんをご存知ですかな?
 おお、やはり。飲兵衛なら知らぬ名ではございますまい。ええ、ええ。お察しの通り、あの造り酒屋の枡屋さんにございますよ。――ここで売られる《藤の雫》は、“下らねぇ”物にしては珍しく、上手い酒だと評判の。
 美味い酒には理由がある。
 と、いう事で。先刻の話にございます。
 枡屋さんのお話によりますと、あちらの蔵元‥‥江戸の郊外、品川の宿のあたりでございますか、庭先に大きな藤の木が生えていることからこちらの酒には《藤》の銘がついたとか‥‥には、先代の頃より、貴腐妖精なる妖しが棲みついているとのこと。
 どうしてこのようなコトを私が知っているのか、ですって?
 もちろん、理由がございます。
 枡屋さんのお酒が美味いのは、この貴腐妖精の働きによるところが大きいというのは既にお察しのとおりかと。ところがこの妖精、最近、挙動がおかしい。何やら酷く思い悩んでいる様子‥‥どうやら、恋患いではないか‥‥ああ、いえいえ。これは私ではなく、枡屋さんのお見立てにございますよ。
 それにも理由がございまして。
 先日、こちらの若旦那が姿絵を1枚、手に入れたとか。――なんでも、知り合いがどこぞで手に入れたと持ち寄ったものをたいそう気に入り。売らぬと言うのを拝み倒して譲り受けたと聞いております。無論、多少は金も積んだことでございましょうね。
 と、まあ、このような経緯で手にいれた錦絵‥‥藤の花簪を差した若い娘の姿を描いた、私などにはそれほど珍しい絵には思えぬのですが‥‥気まぐれに酒蔵の貴腐妖精に見せましたところ、すっかり魅入られてしまった模様。
明けても暮れても絵を眺めているのだとか。
 仕事を放りだされては、流石に笑って済ますワケにはございません。――なにしろ、枡屋さんのお酒が美味いのは、この妖しの働きによるところが大きいのですからね。時期を外しているとはいえ、まったく仕事がないわけでもございませんし。

 さて。
 昨年の夏――江戸で行われた夏祭りの頃にございましたか――妖狐などまで現われて、なにやら騒がしゅうございましたが‥‥。
 その江戸市中の混乱の折に乗じて、寺がひとつ押し込みに遭いました。由緒ある寺ではございませんが、ここの和尚というのが少しばかり変わり者と言いましょうか、サイケなところのある御仁でございまして。
 よく相を見るということで、方々から様々なもの――例えば、心中の手首を繋いだ手拭いですとか、首をくくった荒縄といった始末に困る、いわゆる“いわくもの”を預かってておられたのでございます。
 まぁ、大半は験が悪いだけの迷信でございます。が、稀に“当たり”とでも申しましょうか、“そういうもの”も確かに存在するのでございますね。
 持ち出された品の中には、それなりに値打ちのものもあったということでございますから、知らぬ者には宝に見えたのでしょう。――思えば、こちらも何やら因縁めいた話にございます。
 ともかく、人をだけでなく妖かしまでをも惑わせる絵姿。
 何やら曰くありげだと思われませんか?
 いろいろ手を回し調べてみましたところ、コレだというものを探すことはできなかったのですが‥‥絵や経文なども数点、所在が不明になってございました。

 悪さをしているワケではございません。
 また、貴腐妖精の懸想を悪だと咎めるコトも、なにやら気が引けます。――人間とて、人生に潤いは欲しいもの。
 とはいえ、このまま美味い酒が飲めなくなるのもまた一大事。さて、どうしたものか。
 皆様、どうか良い知恵をお貸しくださいまし。

●今回の参加者

 ea0009 御神楽 紅水(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea0348 藤野 羽月(27歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 ea0648 陣内 晶(28歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea3900 リラ・サファト(27歳・♀・ジプシー・人間・ビザンチン帝国)
 ea5011 天藤 月乃(30歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea5927 沖鷹 又三郎(36歳・♂・僧兵・人間・ジャパン)
 ea7918 丙 鞆雅(35歳・♂・志士・人間・ジャパン)

●リプレイ本文

 あるかなしかの微風に花房が揺れる。
 ひと抱えもある藤の古木を囲むように組み上げられた燻色の藤棚は、今が花の盛りであった。
 燻した竹の渋い色味と、芽吹いたばかりの若葉の柔緑。そして、ところ狭しと鈴生りに垂れる紫紺に白を滲ませた藤の花房。碧落に遊ぶ風精の戯れにさゆらぐ小さな花より零れる涼やかな芳香は、秘めてなお馥郁と。
 その艶やかなる花の姿と併せ、訪れた者たちの袖を引く。
 江戸郊外の盛り場のひとつとその名を知られた品川の宿に程近い、のどかな‥‥田植えを終えたばかりの水田と綺麗な水がせせらぐ流れの他には何もない‥‥小さな村に、千年の大樹を奉じる造り酒屋は蔵を構えていた。
 ちょうど今の季節なら。遠くに見える富士の山に咲き誇る藤の花を重ね、これが本当の富士−藤−見酒だと嘯く江戸の飲兵衛たちが足を運ぶ隠れた名所であるという。――さすがに、今年は少しばかり勝手が違うようだが。
 藤棚の下にあつらえた緋毛氈の床几がことのほか寂しく見えるのは、きっと気のせいばかりではない。
「ここに師匠がいらっしゃるのでござるか!」
 感無量といった様子で酒蔵の並ぶ広い敷地を見回して、沖鷹又三郎(ea5927)は、ぐっと拳を握りしめた。――一見、冷静に見えるが内なる情熱は誰にも引けは取らぬほど熱い男なのである。
 感涙に咽ぶのも無理からぬこと。日本一の料理人となるべく修行の日々を送る沖鷹にとって、これから顔をあわせる相手は人生の転機になるかもしれない重要人物(?)なのだ。
 “腐敗”と書けばなにやら語感が悪いが、“醗酵”であれば印象も変わる。酒に始まり味噌に醤油、酢、漬物、果ては納豆に至るまで‥‥日本の食文化は、発酵食品を抜きにしては語れない。人間なら勘と経験頼みの見極めを指一本で意のままに操るモノが、この造り酒屋の酒蔵には棲みついているのだそうだ。
 依頼とは多少方向性がズレているような気がしないでもないが、ここで会ったが百年目。是非、コツなど教えてもらわねば――
 と、言うわけで、勝手に師匠と呼んでいる。
「酒なァ。なしてそんなもんに目の色変えるだ? オラにゃそんな美味ぇもんたァ思えねえ‥‥」
 同じ米を使ったものなら、白い御飯(おまんま)の方がいい。などと、美味い酒を楽しみにしている同行者たちに首を傾げる田之上志乃(ea3044)だが、味噌や漬物が相手ならきっと目の色も変わるに違いない。――どちらかといわれれば、お姫様には味噌を塗った握り飯より、金蒔絵の酒杯の方が似合うような気もするが。
 お姫様でなくても美人のお姉さんの晩酌なら、ついつい飲みすぎてしまうかも。などと、ちょっぴり嬉し恥ずかしの妄想に期待を膨らませている陣内晶(ea0648)‥‥どこの助平親父かと思いきや、なんと未だ番茶も出端の十八歳。輪をかけて幸せなことに、今回の同行者は美人も多い。――実は若干名、人妻(夫同伴)も混ざっていたりして。
「美味しいお酒が飲める上に、お金も貰えるなんて素晴らしいわ」
 その前に、片付けなければいけない問題もあるのだけれど。
 いつものやる気のなさとは打って変わって俄然やる気の天藤月乃(ea5011)、ただで美味い酒が飲めるなら、多少の苦労は厭わないといったところか。
 それぞれの思いを感じて。
 吹き寄せる風に揺れ、藤がざわめく。


●想いのカタチ
 艶やかな姿を写した錦絵に魅入られる。――昔々の御伽噺や寝物語で聞いたことがあるような、ないような。
 絵師の腕が秀逸だったのか。絵の対象となった娘がとびきりの美人だったのか。あるいは、もっと単純に問題の貴腐妖精の美意識が変わっているのか。それとも、それとも‥‥やはり、何か曰くがあるのか‥‥
「何かいわくがありそうとはいえ、絵に懸想するとは‥‥まだまだですな!」
 なんといっても、女性は生身が1番。隙あれば羽妖精の裳裾の中まで興味の尽きない陣内が言うとちょっと冗談に聞こえないのだが、
(「‥‥いや‥でも、モノは絵だし‥‥」)
 と、いうのは冒険者たちの偽らざる心の声かもしれない。
「ここはひとつ、妖精に女性の素晴らしさというものを教えてあげるのが漢(おとこ)の使命‥‥というか、役得っ!!」
 実益を兼ねた使命に燃える陣内であった。
「ご依頼主さんは普通の絵にしか見えないと仰っていましたが‥‥もうひとつ。気になるお話もあるのですよね」
 江戸郊外のとある寺から盗み出された“曰く”付きの品々。その、ひとつであるかもしれない。
おっとりと小首をかしげたリラ・サファト(ea3900)の言葉に、御神楽紅水(ea0009)も以前の経緯を思い返して頬に手をやる。
「ん〜。錦絵がその寺から盗まれた物のひとつなら。又、魔物や怨霊がついてたりしてもおかしくないよ」
 魅了の魔法にかけられているのなら、大抵の場合は、引き離せば棲むことだけど。
「‥‥まさか夜な夜な絵から抜け出してきたり、は‥しませんよね‥‥」
「聞いた限りだと、今のところその気配はないようだが」
 夜になると絵を抜け出して人を喰らうという虎の襖絵。恋人である牡丹の精と引き裂かれた白鷺の精が、自らの羽を用いて描いたという羽毛の衣装を纏った宮女の姿絵。先々で火事を引き起こすという笛を吹く少年の絵。
 罪人が堕されるという地獄の様を描く為、我が子を手にかけた絵師さえいるという。――かけられる想いの深さに、ただただ吐息が落ちるばかりだ。
 寺に納められていた絵の中に、今回の錦絵があるのかないのか。少し回り道をして寺を訪ねたリラと丙鞆雅(ea7918)は、その柵を想って口を噤む。
 明けても暮れてもというのは困りものだが。それほど誰かに焦がれる気持ちは、少しだけわかるような気がする。――自分にも、そんな時期があったのかもしれない。
 ‥‥もしかしたら、あの人にも‥。
 表情には出さない人だけど。
 もしも、そうだとしたら。そして、その視線の先にいるのが、自分だったら‥‥少し嬉しいかもしれない。
 ふうわり暖かくなった心に思わず微笑んだリラの視線の先で、藤野羽月(ea0348)は訝しげに首をかしげた。
 尤も。世の中、果報者ばかりではない。中には、月乃のように付き合って1ヶ月で破局するのがお約束だったり、(どこの誰とは言わないが)相手を行楽地に置き忘れて帰ってしまうことだって‥‥。


●藤娘
 今はもう使われていない酒蔵の屋根裏に、ぽつりとひとり。
 煤けた壁に立てかけられた身の丈と同じほどの錦絵の前に座り込んだ小さな影は、モノが人の使うものであるだけに殊更小さく見えた。
「貴腐妖精ってな、しふーるとは違うだか?」
 志乃の素朴な疑問は、ごもっとも。
 小さな身体に、虫の翅翼。冒険者たちの間で、シフールと呼ばれる種族とよく似ている。何かの葉っぱで作られたらしい服の上から、枡屋の号が入った小さな法被を着せてもらった姿は‥‥知らない者なら、ちょっと小柄なシフールだといわれても納得しそうだ。
「ほほぅ。これが、噂の‥‥」
「なるほど、なるほど。確かに、美人ではありますなぁ」
 突然の声に驚いて跳びあがった妖精の脇からひょいと手を伸ばして取り上げた錦絵に、丙と陣内がそれぞれ好き勝手に評価を下す。
 涼やかな目元。すっと通った鼻梁。藤の花を模した飾り簪に、総絞りの藤色の着物、襟に朱を差した艶やかな若い娘は、確かに匂い立ちそうな美人であった。黒目がちの大きな眸に、吸い込まれるような輝きを感じるようにさえ思われて。
「あんれまァ‥これはどこのお姫様だ?」
「し、志乃ちゃんってば‥」
 ぽかんと口を開けた志乃の手から慌てて錦絵を取り得上げた紅水も。その紅水から絵を受け取ったリラも、一瞬、息を呑む。――絵の中からじっと見つめる黒い瞳と視線を合わせば、二度と忘れらなくなりそうな。
「‥‥この絵はやはり‥‥」
「あの寺から持ち去れたものかもしれませんね」
 若くして死期を悟った娘が、当代随一の絵師に託した願い。――永遠に忘れられるコトなく、愛する者の心の傍に留まれるよう。
 やがて記憶は降り積もる刻に埋もれ、託された願いだけがそこに残った。

■□

「良いか、妖精」
 沖鷹が腕によりをかけて料理した肴を前に、藤野は畏まった様子で小さな妖精を自らの前に座らせる。
「七夕の話を知っているか?」
 牽牛星と織女星。天の川を挟んで向かい合うふたつの星は、もともとは夫婦であった。恋に溺れ、其々の仕事を疎かにしたふたりはついに天帝の怒りを買って引き裂かれ、1年に1度の逢瀬しか許されなくなってしまったのだという。
「つまり、与えられた仕事を放棄してはいかんということだ。――私だって妻であるリラさんと1日過ごしていたいが、そうは問屋が卸してくれぬ」
 にこにこしながら傍らで話を聞いているリラにチラリと視線を向けて、藤野はちょっと声を潜めた。恋愛の後には、生活がやってくる。
「絵を眺めるのが悪いとは言わないが。度が過ぎると、本当に天帝‥‥この場合は、枡屋の旦那か‥‥に引き裂かれるぞ」
「そうよ。ここの酒屋はあなたの働きで持ってるようなもの。酒が売れなくなると、経営が行き詰まって‥‥そうしたら、結局、あの絵も手放すことになるんだから」
 そうなったら、困るでしょう?
 月乃にも畳み掛けられ、妖精をとりまく淡い光がほのかに揺らめく。月の雫にも似た銀の光が、妖精と冒険者たちの意思の疎通を可能にしているようだ。――思いを言葉に紡ぐことができない。それが、貴腐妖精とシフールの最大の違いかもしれない。
「ま、ま、一献」
 しどけなく酔い潰れた姿こそ、お約束。
 そんな、下心‥‥もとい、奉仕精神でもって甲斐甲斐しく女性に酒を勧める陣内の心意気が神に通じたのかどうかはともかくとして。
「それじゃあ、踊っちゃおうかなぁ〜♪」
 機嫌よく名乗りを上げた紅水が舞台に選んだのは、満開の藤の下。
 舞台の中央に藤の大樹を配して踊られる【藤娘】――大酒飲みで自信過剰。酔っ払った挙句に、杯を抱えて眠ってしまう若い娘は、藤の精だとも、絵の中から抜け出したとも‥‥。
 紅水と同じく舞踊を得意とするリラが、この舞を披露する機会があるかどうかは夫の藤野次第かもしれない。
「いいか。恋愛というのは相手があってこそ!」
 何らかの反応があるからこそ、楽しいのである。
「そう。あれは、義弟が八つの頃だ」
 酒を茶だと偽って飲ませ、酔いつぶれたところを介抱しようと試みた丙の邪な企みを阻止したのは‥‥義妹の本気の一発だった。
「義兄の至福の時間である添い寝の邪魔をするとは何事だと抗議したのだが――」
 今度は、足蹴にされたという。
「‥‥‥‥」
 そりゃそうだろう。と、思わないでもなかったが、君子危うきに近寄らず。触らぬ神に祟りなし。
「それにしても、酒を茶だと思い込む義弟は可愛かった‥‥」
 力説する茶道家の長話に適当に相槌を打ちつつ、貴腐妖精に美味しい糠漬の秘訣を聞き出そうとする沖鷹だった。
 酒の席では、先に酔った者の勝ち。
 不朽の真理をしみじみ思い知ることになるのは‥‥さて、誰だろう。