●リプレイ本文
その日は、生憎の空模様。
軒先から転がり落ちた雨の雫が紫陽花の鮮やかな緑に当たって砕け、銀色の翳は音もなく大地に溶けた。
静けさだけがゆるやかに世界を包み、座敷に集まった冒険者たちの心中を覗き込む。
穏やかに。
だが、どこか緊張の色を隠せない研ぎ澄まされた空気の色は、ぴりぴりと‥‥どこか戦さへと臨む気概にも似て。
自信と不安、期待。この数日間、彼らを苦しませてきた課題からようやく解放される安堵。同じ依頼を受ける仲間たちへの対抗心なんてものも入り混じって、否が応にも気持ちだけが先走る。
「みそひともじだべっ!!」
開口一番、力の入った声を上げた田之上志乃(ea3044)の居出立に、上座についた判者は思わず息を呑む。
十二単に雲間の透扇、櫛に簪、根付まで‥‥
なにやら孔雀の羽で着飾った雀のような少女は、得意満面の笑みで半者を見返した。
「オラ、あれからちゃんと教えてもらっただよ。みそひともじっつぅのは、味噌さこねて字ぃ書くことでねくて、三十一文字の歌のことなんだべ」
――あ、ばれた。
そのやる気に満ちた志乃の後ろで、空想と現実のギャップにショックを受けている者もいる。
「ご主人様の嘘つきぃ〜」
どうぞ、と。配られた短冊の端を齧りつつフィアーラ・ルナドルミール(ea4378)は、生真面目そうに自分の短冊と向き合うご主人様こと、サラード・エルヴァージュ(ea4376)に恨めしげな視線を向けた。
大好きなご主人様が、珍しく遊びにいかないかと誘ってくれたものだから。感激のあまり天にも昇る気持ちで‥‥空を飛ぶのはいつものことだが、いつも以上に舞い上がっていたかもしれない‥‥付いてきたのに。
短冊と筆、お題目まで与えられ。
これが、遊びだというのだから日本人とは、なんてまあ高尚な。
「こんな話聞いてないっていうかぁ‥‥フィアびっくりって、カンジぃ」
頭の軽いあたしには、超むずでムリ☆
ミもフタもなく、にっこり笑顔でトンズラしたいところだが、そうは問屋が卸さないのがご主人様の存在だ。
由緒正しき騎士の従者が敵前逃亡〜なんて醜態は、例えお天道様が許してもエルヴァージュはきっと許してくれないだろう。ご主人様に恥はかかせたくないのだけれど‥‥。
さらさらと短冊に描いたエルヴァージュの似顔絵を眺めて、ちょっぴり切なく吐息をひとつ。
「‥‥髭もつけちゃえ‥」
こーゆーの(?)なら、得意なのだけれど。
「―――フィアーラ‥‥」
いつもよりいくらか低い声の調子に、能天気な従者は慌てて主人の手が届かぬ範囲まで背中の羽を震わせすっ飛んで逃げる。
「あ〜ん、ごめんなさい!!」
睨まれれば、もちろん、悲しくて。
―――叶わない 恋と知りつつ 離れれず 逃れたくとも 逃れがたきは
恋しさゆえに付いてきたのに、このままでは浮かばれない。
とりあえず、皆が捻った句を鑑賞して研究すれば。帰るまでには、ご主人様に喜んでもらえるような句を思いつくかもしれない。
●冒険者が逃れ得ぬコト
下の句に繋がるように、上の句を詠む。
詠いのカタチは決まっているのに。
「んー。難しいねぇ」
後ろから這い寄ったシフールの視線には気づかず御神楽紅水(ea0009)は、眉間に皺を刻んで可愛らしく小首をかしげた。
紅水の得意とする神楽には、決まった謡に倣って舞いを舞う。自ら歌を作った経験は少なかった。――もちろん、この先、もっともっと上達したら自身の手で新しい舞いを創作する日が来るかもしれない。
いつか来るその日の為に‥‥
「私にとって『逃れたいけど、逃れなれないもの』かぁ」
何があったかなぁ、と。首をひねり、紅水はちらりと向かいに正座した美芳野ひなた(ea1856)の年齢の割には幼い顔立ちに視線をとめる。
そういえば、ひなたとは以前、同じ依頼を受けたことがあった。――あの時は、そして、今も尚続いている災厄は、決して楽しい出来事ではなくて。
―――ぶんぶんと 羽音響きし 穴の中 逃れたくとも 逃れがたきは
逃げ出したいのは、山々だけど。ここで逃げ出したら後がない。
依頼を通して様々な人と出会い、束の間、同じ時間を生きる。――紅水と同様、楽しい出会いや経験ばかりではないのだけれど。
くりかえし、くりかえし。
いろんな人と関わって、その人の節目に立ち会う。
ひとりだって、出会ったときのままではない。きっと、ひなた自身も変わっているに違いなかった。
出会って、別れて、また出会う。
―――流れ行く 人の縁(えにし)の 移ろいは 逃れたくとも 逃れがたきは
―――現世(うつしよ)は 愛と怨みの 九十九折(つづらおり) 逃れたくとも 逃れがたきは
「へえ、綺麗な歌だね」
紅水の感想に、ひなたは少しくすぐったげな笑みをこぼした。
「辛い出会いもあるかもしれないけど‥‥ひなたは逃げたくないな」
きっと、どんな縁にも理由があるから。――すべての理由が明らかになるわけではない世の中だけれど。
「そうだね。私も逃げたくないから頑張るよ」
逃げずに辿っていくことができれば、いつかめぐり合えるかも知れない。――顔さえ知らぬまま、生き別れたあの人に。
●後ろ髪ひかれて
刹那の邂逅ばかりが縁ではない。
ずるずると止められぬ縁というものもこの世には確かに存在し‥‥特に、男と女の情の縺れは、頭では理解っていてもままならぬもの。
唯一、歌に嗜みのある者としての面目をかけ、伊達正和(ea0489)はこう詠んだ。
―――梅雨の日に 遊女の手が 招き猫 逃れたくとも 逃れがたきは
梅雨時の雨は、職人たちから仕事を奪う。
特にやることもなくふらふらと色町へ繰り出せば、男を誘う格子女郎の手が招き猫のようだ。逃れなれないのは、何も伊達だけではあるまい。
「この句は男には受けるだろうな、女性受けは悪いかもしれないが」
そう嘯いた伊達に、判者を買って出た手代は笑う。
「いえいえ。狂歌としての面白さはさすがといったところでしょうか。――梅雨よりも紋日とした方が、切羽詰った感はあった気もいたしますが」
紋日には、必ず客を取らねばならぬのが決まり。
客が付かねば遊女は自分で自分を買わねばならず、その代金は遊女自身の借金として加味される。――あの手この手で客を誘う女郎たちの手練手管に、判っていても泣かされるのは男の浪漫か、悲しい性か。
■□
誘う者がいれば、追う者もいる。
後ろ暗い過去から逃れ、今の幸せを追いかける者。――足音もなく、ただ足元に付き従う影法師に何を想うのか。
―――夕暮れに 手を伸ばしたる 影法師 逃れたくとも 逃れがたきは
―――別れ声 背を伸ばしたる 影法師 逃れたくとも 逃れがたきは
―――また明日 手を伸ばしたる 影法師 逃れたくとも 逃れがたきは
夕暮れ時に、名残惜しげに手を伸ばす影法師を引き連れて帰路に着く子供たちを見て詠みたる歌3首。
「‥‥ひとつに絞れませんでした」
なれない作業に、心残りを表情に表した風御凪(ea3546)に、判者もふうむと腕を組んだ。
情景はひとつ。
誰もが思い描くことの出来る光景に、絞りきれない気持ちはよく分かる。――ただ、上手にまとめすぎた感も少々。
「下の句とのつながりが薄いような気も‥‥」
「うーん。難しいですねぇ」
凪の句だけではなく、参加者全体として狂歌の醍醐味である風刺や滑稽さを歌った句も少ない。
そう評されて、思わず口走ってしまった歌、1首。
―――若葉屋の ピカリと光る はげ頭 逃れたくとも 逃れがたきは
「‥‥あ‥」
ここだけの話と念を押しはしたものの、思わず両手で口元を押さえたひなたには思い当たる節があったようだが。
味の出た句に、判者は少し笑みこぼす。
―――若葉やと 謳う頭は 枯れ進み 逃れたくとも 逃れがたきは
「せっかく取り上げるなら、ここまでやってくださいよ」
他人事だと思って、大無礼。
●記憶の裡に
のんびりと記憶の原風景を紐解いて。
マナウス・ドラッケン(ea0021)の脳裏に浮かんだ幻想的な光景は、夢か現か。
幼い頃、夜山の中で咲き誇る桜からはらはらと舞い落ちる無数の花弁。――その紅さに驚いて。
どこか畏怖を感じる美しさに、ただただ見入る。
―――朱桜(あかさくら) 東風(こち)に吹かれて 散り行けば 逃れたくとも 逃れがたきは
‥‥季語がふたつ‥。
相手がイギリスよりの客人だけに、判者もツッコんでいいのかどうか迷うところだ。――上手く“桜東風”などに置き換えれば、“夜”を暗示する言葉を入れられたかもしれない。この辺りは精進あるのみ。
強く心に残るのは、何も幼い日の体験ばかりとは限らない。
―――白銀の 陰に見ゆるる 罪の夢 逃れたくとも 逃れがたきは
冒険者として依頼を受ければ、時に厳しい決断を下さねばならぬときもある。
手にかけるしかなかった命、奪った命も少なくなかった。――仕事だから、と。割り切れないことも。
大義名分の下に正当化することもできるのだけれど。
逃げたくはない。
これは、自分の決断と行動の結果なのだと知っているから。――今、自分のある場所が、平坦な道の延長ではない事を自覚する為、あえて罪だと認識する。
●味噌は一文字に非ず
この日のために、苦節×ヶ月――
田舎者だと後ろ指を差されても、めげずに努力してきたのだ。
「いよいよ、オラの番だな!!」
ようやく回ってきた順番に、憧れのお姫様衣装‥‥十二単に袖を通した田之上志乃は大満足の笑みを浮かべる。
「逃げてぇけんど、逃げられねェ。自分の力だけじゃどうにもならねぇっつうことだべ? したっけこういうことだんべ」
―――雨日照り 地震雷 火事親父 逃れたくとも 逃れがたきは
「こればっかは、神様や仏様にお祈りさしてどうにかして貰うしかねぇもんなァ」
いや、確かにその通りなんですが。
一瞬、視線を揺らした判者の視線の先で、その歌を詠んだお姫様はパタパタと手にした扇で自分を扇いだ。
「にしてもこの格好、暑いだよぉ。お江戸のお姫様は大変だべ‥‥」
―――風もなく 雨も降らねぇ 夏の夜 逃れたくとも 逃れがたきは
「夜つながりで、もうひとつ。思いついただよ!」
―――蚊帳張れど いつの間にやら 入りおる 逃れたくとも 逃れがたきは
せっかくの十二単、扇に簪。
ばっちり決まった、三十一文字。
気持ちよく胸を張った志乃から気まずく視線を逸らし、判者は思わず頭を抱える。――小道具も狂歌も申し分なし。見た目も、しっかりお雛様。
にも、かかわらず――
どうして、こんなに地に足ついた‥‥その上、しっかり根まではっちゃったような‥‥庶民の生活感を感じるのだろう。
お姫様への道は、まだまだ遠い。
●想い、想われ
遠い異国で――
庶民の暮らしに馴染めるだろうかと心に差した不安は、杞憂であった。
馴染んでみると意外に楽しい。
『でい』とか『てやんでぇ』なんて“粋”な言葉を、いつかは会話の端々に使ってみたいものである。
‥‥にしても、書き言葉と話し言葉が違うというのは、異邦人には厄介だ。
研究と称して、参加者たちの作品を横合いから覗き込んで回っている従者の姿を横目で追いつつ、エルヴァージュは自分の詩作に頭をひねる。
――農耕の 牛に構える あぜ道で 逃れたくとも 逃れがたきは
志乃に続いて、こちらもまた。
自他共に認める“野暮天騎士”の肩書きは、伊達ではないらしい。――意識せずに身体に染み付いた、習慣と望郷の田園哀歌。
日本で“闘牛”と言えば、牛同士を戦わせることだと知って驚いた。
土地が変われば、暮らしも文化も大きく変わる。
自分は、自分の意思でこの地へやってきたのだから、後悔はしない。だが‥‥ちらりとフィアーラの姿が視界に入った。
無垢であどけない表情は、故郷の太陽を思い出す。
連れてきたことを後悔はしていないが、付いてきたことを後悔していないだろうか。時々、蝕のような不安が心に翳った。
「あ、ご主人様ァ。皆、上手って言うかぁ、エクスペルト!!」
目が合った途端、騒ぎ出す。
それでも、その笑顔に癒されている自分がいた。――世界のどこにいても見上げればそこに太陽があるように。
―――うららかな 彼女の笑顔は 黄道で 逃れたくとも 逃れがたきは
●逃れたくとも、逃れがたきは
「お疲れ様にございました」
出されたお茶とお菓子で一服しつつ、判者を務めた番頭はほのぼのと笑みを浮かべる。
「初めてにしては、上々の出来にございます。どの句も、皆様の心を映す素晴らしい作品でございましたよ」
冒険者の風流も、なかなか捨てたものではない。
これからも、精進してくださいませ。と、笑う番頭の笑顔を眺めつつ、これは本当に依頼の役に立つ日がやってくるのかと首をかしげる。
―――古番頭 依頼と趣味に 付き合せ 逃れたくとも 逃れがたきは