【坂東異聞】 あの仔を助けて
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:4〜8lv
難易度:やや難
成功報酬:1 G 44 C
参加人数:5人
サポート参加人数:-人
冒険期間:12月21日〜12月24日
リプレイ公開日:2005年12月29日
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●オープニング
叫び声が聞こえる。
夜よりも黒い煙を噴き上げて、炎は瞬く間に長屋を呑み込んだ。
邪悪な意思を持つ生き物のように。炎はしなやかに、そして、無限に変化する。灼熱の突風に煽られた形無き凶爪は、無造作かつ無慈悲に逃げ遅れた人を飲み込んで‥‥。
生きたまま焼かれる人の断末魔。阿鼻叫喚が天地の間を満たし、さながら地獄絵図のようにも見えた。
ちりちりと頬を炙られる痛みに、彼は悪夢より呼び戻された。
冴えざえと未だ明けやらぬ青ざめた乳白色の夜の下、世界は痺れるような冷気に包まれている。
鼻先がひりひりと痛いのは冷気のせいだ。
重たい瞼をこじ開けて見れば、西の空に傾いた真円より投げ落とされる月影に蒼銀の霜が光る。焼け焦げた襤褸切れ1枚では、身を寄せ合うように包まった子供たちを暖めることはできなくて――
‥‥ぎゃあ‥
甲高い声が張りつめた夜気を振わせる。
悲鳴にも似たその音が烏の鳴き声だと教えられたのは、つい先日。――ここへ流れ着いて最初の夜だ。
炎にまかれ亡くなった犠牲者を弔う斎場に程近いこの場所には、荼毘の煙に誘われたのか無数の烏が姿を見せる。善からぬモノが徘徊すると、夜には寄り付く人もない。
付近の住民たちは、家を失い親を失った子供たちが焼け残った地蔵堂にもぐりこんだコトに気づいてはいたが、皆、見て見ぬふりをしていた。
「‥‥かあちゃん‥」
涙で滲んだ視界の中で、何かがゆらめく。
ぼんやりと人の姿をしたソレは、暗がりの中でゆらりゆらりと揺れながら彼を手招いていた。
■□
その日――
いつもと変わらず定刻どおりにお弁当の包みを抱えて出勤してきた手代は、“ぎるど”の前に蹲る小さな人影に思わず息を呑んだ。
着の身着のまま。薄汚れた様相に栄養状態も悪そうな‥‥見間違うことなく浮浪児である。
この度の災厄で、数万の市民が亡くなった。
子供を失った親もいれば、親を失った子供もいる。――大人であれば、なんとか生活の算段も立てられようが、幼い子供たちはそうもいかない。
大火と、そして、その後に続く不穏の気配に振り回されて、その救済に手が廻っているとはお世辞にも言えない現状。
心苦しくはあるものの、彼ひとりで何ができるものでもない。
ぶっちゃけ、仕事に追い回されている者のひとりだ。
無碍に追い払うのは、心が痛む。
とは、言うものの。“ぎるど”は、託児所でも迷子預かり所でもないのだ。――加えて言うなら、連れて帰って面倒をみてやる甲斐性もない。
ああ、どうしよう。
こんなところで、己の人間性を試されるなんて‥‥神様の意地悪。
ヘタレな思考に囚われ思わず足を止めてしまった手代に気づき、子供たちは彼の元へと駆け寄ってくる。
「お願い、太郎ちゃんを助けて!!」
■□
江戸には不穏が渦を巻いている。
神剣争奪の大騒ぎ。戦さの噂に、妖怪の跋扈。とどめに先月の大火災。治安と景気は悪くなって行く一方だ。
不穏が事件を呼ぶのか。
事件が起こる故に、不穏になるのか。
江戸の外れに設けられた斎場の周辺に善からぬモノ集まってくるであろうことは、なんとなく想像できる。――死臭に惹かれるモノもあれば、巻き込まれた災厄に無念を抱き彷徨い出るモノもいた。
“ぎるど”に舞い込む依頼が、それを証明している。
「なんでも死肉を求めて昼間から大烏が群れ飛んでいるのだとか」
いつもより数刻遅れて番台についた手代は、顔をしかめて吐息を落とした。
彼らの狙いが死肉だけならともかく‥‥もちろん、それだってどうかと思うが‥‥稀に生きた動物、人が襲われることもある。
言いにくそうに逡巡し、そして、彼はゆっくりと言葉を紡いだ。
「‥‥子供がひとり、行方不明になっているそうなのです」
名前は、太郎。
4歳かそこらだというが、正確なところはわからない。――大火の折に親とはぐれ、流れついたのが、斎場近くの地蔵堂だった。
そこで同じような身上の子供たちと暮らしていたのだが、今朝方、ふらりと何処かへ行ってしまったのだという。
もちろんアテがあるわけでもなく、ふらふらといなくなってしまった。
いなくなった太郎を探して、子供たちは朝から地蔵堂の周辺を歩き回っていたらしい。ところが、太郎の姿は気配も見当たらず、普段は決して近づかぬ斎場の方へ捜索の手を広げようとした時に――
「そっちはダメだ」
と、騒ぎ出した子がいたという。
「ユウタはハナちゃんだと言うのだけれど‥‥」
色あせた緋色の着物が、花が着ている赤い絣に見えたから。
「でも、チョウボウはチヅルだって」
お人形のように肩の辺りで揃えた髪に、長吉は千鶴だと思ったらしい。――そして、花と千鶴のふたりは自分たちではないと口をそろえた。
ともかく、癇癪を起こしたような剣幕に追い立てられるようにして、子供たちは“ぎるど”まで駆けて来たのだという。
「ここ(ぎるど)で話せば、太郎ちゃんを助けてくれるって‥‥」
ジッと見上げてくる大きな眸は、大人の顔色を窺うようにどこか怯えた色をして。
鳩尾のあたりにジワジワとしたいやらしい痛みを感じて、手代は透きとおるように青い空を見上げる。
「‥‥とりあえず、話を通してみますけど‥」
何とかしてやりたいと思うけれども。
どこもかしこも人手が足りないのが現状だから。
●リプレイ本文
蒼穹に不吉な飛影が躍る。
凶事の死臭に誘われるかのように人里に姿を見せる怪鳥が寂れた斎場の空を舞う様は、遠目にも不穏を漂わせていた。
ぎゃあ――‥
冬枯れの大気を振わせる耳障りな嗄声が、胸の底に不快な波紋を広げる。じりじりと鳩尾を炙る焦燥は、きっと気のせいばかりではない。
「‥‥子供達の親も、ここで荼毘にふされたのだろうか‥」
運びこまれた廃材と焼け焦げた地面ばかりがいっそう江戸の荒廃を物語る斎場を眺め、不破斬(eb1568)は吐息と共に重い胸中を言葉に紡いだ。
仏門に深く帰依する者。あるいは、悪しき卦が懸念される場合など。特別な理由がなければ、死者は土に埋めるのが一般的な弔い方である。――それでは到底追いつかぬほどの犠牲者が出たのだと察すれば心が痛い。
「暇つぶしに受けた依頼だ。さっさと終わらせるとするか」
感傷を振り払らおうと、鷲落大光(eb1513)はわざと気丈な声を発した。
「迷子になった子供を捜すのですね!」
大丈夫、任せてください。
元気良く胸を張った香月八雲(ea8432)も、不破、鷲落と同じく“ぎるど”の手代から話を聞いてすぐにこの場に駆けつけた豪の者である。
「こう見えても冒険者の端くれですから――」
因果関係がイマイチはっきりしないが、人探しはお手のモノであるそうだ。
「孫子もこう仰いました。『求めよ、されば与えられん』と!」
‥‥孫子‥?
聖書のくだりにも書かれていたような気もするが‥‥偉いヒトは皆、同じような名言を残すものであるらしい。
――ならば、これが世界の真理とゆーヤツかっ?!
などと、ややこしくなっている場合ではなくて。
「‥‥太郎ちゃん、さがす‥ん、やった、ね‥‥?」
斎場から吹き寄せる乾いた寒風に首をすくめて、柊鴇輪(ea5897)は依頼を思い起こして確かめる。
――行ってはいけない。
そう言ったのは、誰だったのか?
目を細めて眺めれば、林とも呼べない数本の木立ちの他は、運び込まれた廃材とぽつりと小さな番屋があるばかりの枯れた平地だ。
高い木の天辺でぎゃあぎゃあと不気味な声を発する大鴉は、確かに子供たちには危険なものに違いないけど。
「ダメ‥‥言われ、たら‥怪しぅ、思う‥さかい」
何故、ダメなのか?
――斎場には、“何”がある(いる)のか?
●斎場に棲むモノ
動物は、火を嫌うという。
侵入者の掲げた松明に、大鴉たちは一斉に不機嫌な声を上げた。
ばさ、と。
両の翼を広げれば普通の鴉をはるかに凌駕するその姿は、魁偉そのもの。不吉の前兆だと喩えられるのも頷ける。
たかが鳥だと気安く構えて隙を見せれば、痛い思いをすることになるかもしれない。
松明を握る手が震えないよう力を込めて、八雲はゆっくりと斎場を見回した。見通しは悪くないものの、ところどころ積まれた廃材が小さな山となって、目配りの届かない死角を作っている。
「太郎くーん!」
敵愾心に揺れる視線の下を居なくなった子供の名を呼びながら歩くのは、どこか綱渡りのようでもあった。
「太郎ちゃーん」
こちらも名を呼びながら、斎場を歩く鴇輪であったが――
「ころ介ー」
――って、誰‥?!
「ポン太―」
既に、人の名前じゃないような。
真面目にやれとツッコまれそうだが、本人はいたって真面目。――ちょっと忘れっぽいだけなのだ。たぶん。
そんな人間の葛藤(?)が言葉を介さない大鴉に通じるわけはなく、隙を窺うように旋回していた一羽が狙いを定めるように大きく羽ばたき、滑るように風を切る。
一変した斎場の空気に素早く身を翻し、松明を投げ捨てた不破は流れるような動作で両の手にそれぞれ短剣を引き抜いた。魔獣の牙から削り出されたという白刃は、高く澄んだ蒼穹に冴えた光を走らせる。
「魔性の謀などで、これ以上の犠牲者を出してなるものかっ!」
突き出された剣が大鴉の身を包むやわらかな羽毛を貫き、弾力のある肉を切り裂く手応えが腕に響いた。
ギャアアアアア―――
生々しく伝わるしなやかな温もりが内包する生命力を自らの手で断ち切る感触に、喩えようのない衝撃が背筋を走る。――それは時に恍惚を呼ぶ快感であり、また、嫌悪を誘う震えのようにも思われた。
漆黒の羽毛が吹き寄せる木枯らしに攫われ、はらはらと虚空を漂う。
白々と透きとおる冬の景色を彩る黒は、いっそ鮮やかに映える色であるような錯覚にさえ‥‥。
ぱっと飛沫いた鮮血は人も、化物も等しく赤い。
その色が続く狂気の引き金となった。
一条の黒い風となって滑空した衝撃は、よけきれずに受け止めた鴇輪の肩に深く突き刺さる。弾けた痛みに、飄々と掴みどころのない鴇輪の表情が僅かに歪んだ。
「い‥た‥‥」 口をついた言葉を飲み込み、鴇輪は伸ばした手で受け止めた大鴉の身体を掴む。羽毛に包まれた身は見た目よりも意外に細い。――捕まえたそれをブンブンと振り回して集まった大鴉たちをけん制し、目を回したソレを力任せに大地に叩きつけた。首の折れる鈍い音に、傷の手当てに駆け寄った八雲は思わず顔をしかめる。
死者を悼に送る場に、怒りと悲鳴がこだました。
「くっ、数が多い」
仲間を切り伏せられて尚、怯まず襲い来る執念に歯噛みした鷲落の呟きに被るように、細い飛翔音が大気を貫く。
ギャアアアアア―――
翼を射抜かれた1羽が、悲鳴を上げて地に落ちた。
ぽっぽっと白い息を吐く駿太郎の隣で短弓に次の矢を番えた本庄太助(eb3496)が、得意げな笑みを浮かべる。
「どうにか間に合ったぞ!」
労う言葉に、駿太郎も嬉しそうだ。
●あの子を助けて
――動いては、ダメ。
積まれた廃材の狭い隙間に太郎を押し込んで、その子は言った。
抜けるように色の白い小さな顔は光の加減か良く見えなかったけれど、なんだか怒っている風に見えた。
ひとつ、ふたつ。ぷりぷり悪態をつかれたような気もしたが、それはこの子の質なのだろうと漠然と思う。
いつだったか、地蔵堂で腹を空かせて身を寄せ合う子供たちに団子の皿を差し出した時も、こんな風につんけんしていた。――下げ忘れたお供えのように冷えてカチカチのお団子も、すきっ腹には何だって美味しく思えて。
だから、その子の素っ気ない態度は実は少しも怖くなかった。
息を殺して。
何があっても、絶対に声を上げてはいけない。
最後に手渡された小さな石をぎゅっと握り締めて、記憶を手繰る。
それから、それから‥‥
「太郎ちゃーん!!」
声が聞こえた。
初めて聞くその声は、それでも一生懸命、太郎のことを呼んでいた。
■□
「‥‥い、た‥」
放置されたままの廃材と廃材の隙間にできた狭い空間に縮こまっている太郎を見つけて、鴇輪は首をかしげた。
よくよく気をつけて見なければ見落としまっていただろう。
幼い子供にしては上出来の隠れんぼだ。
うっかり通り過ぎてしまったかもしれない希薄な痕跡を見つけられたのは鴇輪の実力なのだけれども、そのからくりは鴇輪にもよく判らない。ちゃんとした理由があるような気もするのだが、何故か思い出せないでいる。
「‥なん‥で‥?」
とりあえず支障はないので、尋ねられれば、野生の勘とでも答えておくのかもしれない。
とはいえ、あまり風体のよろしくない鴇輪に変わって、八雲が小さく丸まったままの子供に言葉を掛けた。
「太郎君ですか?」
ようやく顔を上げた太郎に、ほっと安心したものの‥‥
不意にぞくりと首筋に嫌な気配を感じて八雲は太郎を抱えたまま振り返る。
身寄りのない子供たちのひとまずの生活資金のアテにしようと金目の物を探して大鴉の巣を探っていた本庄と鷲落のふたりも、新しい血に染まった大地にぼんやりと現れた半透明の人影に思わず息を呑んだ。
「‥‥怨霊‥」
理由も判らぬまま火に呑まれた者。
あるいは、誰かを想ってこの世から離れられずにいる者だろうか――その姿になったのには理由があるのだけれど。今、ここに存在しているのは心を失ったまま、行くあてもなく悪しき存在。
「‥‥逃げ‥よ、う」
相手が悪い。
怨霊に対抗できる手段を持っているのが、不破の短剣ひとつでは少々、心許なさすぎる。形勢不利と判断して八雲の手をひっぱって身を翻した鴇輪に続き、他の者たちも後に続いた。
心残りではあるけれど。
今は、太郎を無事に連れ戻すことが何よりも優先だから。
●願わくば‥
太郎を連れて帰ったら――
子供達全員の名前を聞いて、奉行所に届け出る。 本庄の言葉に“ぎるど”の手代は少し困った顔をした。
奉行所の仕事は犯罪を取り締まることと、罪人を裁くこと。それと、揉め事の裁定を下すことで、迷子の身元捜しは本分ではない。
暇な時(これも殆どないのだけれど)ならばともかく、火災に続き、不穏の囁かれるこのご時世では、治安の維持さえままならないのが現状。
本気で、鴇輪から大鴉の食べ方を伝授してもらわなければいけないような気がひしひしと漂っている。
「大丈夫。大火の被害者を助ける活動もやってますから、もう少しですよ」
八雲の言葉に、不破も力強く頷いた。
「拾ってきた金目のモノは全部渡そう。子供達に安全な場所を見つけてやってくれないか?」
懐から少しばかり上積しても構わない。
不破と本庄にまで畳み掛けられ、“ぎるど”の手代は頭を抱えたという。