お汁粉と善哉の隙間
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:3〜7lv
難易度:普通
成功報酬:1 G 22 C
参加人数:6人
サポート参加人数:5人
冒険期間:01月18日〜01月21日
リプレイ公開日:2006年01月26日
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●オープニング
拙(わたし)の妻は、甘いものに目がない。
団子に饅頭、水飴、甘蔓、干菓子。
どれも、彼女の好物だ。中でも、とりわけ小豆を使った餡を贔屓にしていると見え、折あるごとに買い求めては食べている。
決して安いものではないし、そう頻繁に口にしているワケではないのだろうが、目に付くというか、なんと言うか――
咎めるほどのことでもないと思いつつ、やはり世間の有様などを目の当たりにすれば、どことなく居心地が悪い。
先日のコトである。
例年にも況して慌ただしい年の瀬の風は、年が明けても吹き止まぬ様子。さほどのんびりくつろいだとは思い難いが、気が付けばもう鏡開きとなっていた。
旧年の無事を感謝しながら神棚に供えた鏡餅をいただく。‥‥つまり、神の力を分けていただくという意味のある儀式なのだが、我家では妻の独断と采配で“汁粉”という姿になった。
「邪気を払い幸いをもたらす小豆と餅で祝うことに意味があるのです」
と、力強く諭されては、異論もない。
それなら、それでいいだろう。
‥‥‥だが‥
‥‥‥‥拙(わたし)は、知っているのだ。
彼女が、正月にも同じように、餡子と餅が入った椀を食べていたのを。
「あれは“善哉”。こちらは“お汁粉”、まったく違うものではございませんか」
妻は済ました顔でこう言うが――
いったい何処が違うというのだ?!
世情に明るく、また、諸国を旅して様々な見聞を広げていると噂される賢明なる冒険者諸氏ならば、拙の疑問に明確なる答えを出していただけると信じ、こうしてお願いをお持ちした次第である。
“善哉”と“汁粉”は、本当に異なるモノなのか――‥
■□
新年早々――
めでたいと言えば、めでたいが‥‥もう少し、こう‥‥
番台に頬杖をつき、手代はため息と共に視線をあらぬ方へと彷徨わせた。
●リプレイ本文
お汁粉とお善哉。
似て、非なるモノ? ――それとも、単に呼び方が違うだけ?
使用される食材は、双方ともに餡子と御餅。
冷やしたモノが好きだという人もいるが、大抵は温かい椀で出されることが多い。――主菜、若しくは副菜として食卓を彩るというよりは、食事と食事の合間に軽く腹を繋ぐために食される嗜好品。
日を追って世情の悪くなる昨今の江戸の町人たちの台所事情からすると、少々、贅沢なお品書きだ。
「確かに。甘い物に興味のない方には、その違いはどうでもいいな」
どこか釈然としない依頼人の気持ちも判る。訳知り顔で頷いた時永貴由(ea2702)の呟きに、アウレリア・リュジィス(eb0573)も頬に手を当てて小首をかしげた。
「そうねぇ。大して違いはないように思えるんだけど。――名前が違うのは、確かに面白いね」
どっちも美味しいから好き。
屈託のない笑顔を浮かべたアウレリアの言に、北天満(eb2004)も大きく首肯して同意を示す。
お汁粉と善哉、どちらがどう、と言うよりも‥‥
甘いモノが食べられる!!
美味しいお菓子や珍しいお菓子には目が無い満には、こちらの方が重要だ。もちろん、口に出しては言わないけれど。
現役ばりばり(?)の日本人である満や比較的滞在の長いと思われるアウレリアがこの調子だから、ごく最近、江戸にやってきたばかりのアルフォンス・ニカイドウ(eb0746)とリリン・リラ(eb0964)、クリステル・シャルダン(eb3862)の3人がこの議題について熱く語り合えるワケもない。
依頼人の疑惑が晴れるかどうかは、貴由と頼もしいご教授役たちの双肩に掛かっているようだ。
そう、せっかくの機会なのだから。
是非とも日本が誇る(?)食文化に触れ、その見識を深めて欲しい。−夜久野鈴音・談−
●無知の知
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥――
なんて。昔の人は良く言ったもので、分からないことを尋ねるのは決して恥ずかしいことではない。
お手製の大福を風呂敷に包んだ貴由と一緒に依頼人宅を訪れたリリンは応対に出た依頼人の細君に、単刀直入、問いをぶつける。包み隠さず、直球勝負だ。
「あらまあ、宅の主人がそんな事を‥‥」
夫がそんな(彼女にとっては)他愛ない疑問に胸を埋めていたとは、露知らず。困惑を通り越して少し呆れ顔の細君だったが、
「つきましては後日、こちらで食べ比べなどを行い、この件についての理解を深めていただきたいのだ」
引き継いだ貴由の言葉に、にっこりする。
満と同じく甘いものに目のない人であるから、言い訳めいた口実をつくらずともお汁粉(善哉?)を食する機会に嫌な顔をするハズがない。
「それでね。お汁粉と善哉のレシピをおいらに教えて欲しいんだ」
ふたつの違いについて、こだわっているものがあるのなら。是非とも聞いておきたいところだ。
「そっか。やっぱり旦那さんが1番知りたいのは、奥さんの答えだよね」
なるほど、と。得心するアウレリアに、細君はあらまあと口元に小さな苦笑を浮かべる。
「こだわりと言われましても‥‥私もそれほど意識して作ってはおりませんのよ。――先日は主人がなにやら渋い顔をいたしましたので、ついもっともらしいことを言ってしまいましたけれど」
‥‥‥ああ、やっぱり‥
激しい同意と共に、胸中ひそかに仲間意識を芽生えさせた満であった。
大火やその後に続く治安の悪化の煽りを受けてその日食べるものにも事欠く人々の困窮を憂う目には、確かに贅沢にも映るだろう。
まったく、奉行所は何をやっているのだ、と。ため息のひとつも落とされれば、貴由には少しばかり耳が痛い。
こんなところでしんみりしても事態が良くなるわけではないので、貴由は気をとりなおして抱えてきた風呂敷からもうひとつ包みを取り出した。
「すみませんが、これを一晩水につけさせてくださいませ」
差し出された小豆の包みを快く受け取ってくれた細君に、もうひとつ頼みごとをして。その日は、依頼人宅を後にする。
●知識を求めて
虎穴に入らずんば虎子を得ず
《大きな成果をあげるためには、思い切って冒険をしなければならないという喩え》
そこまでの覚悟が必要なのかどうかはともかくとして。
遂に父の祖国に足を踏み入れるに至ったニカイドウは、その記念すべき最初の依頼を遂行すべく、友人のヴェガ・キュアノスの元を訪れていた。
ノルマン在住時より日本人との交流も深い彼ならば、あるいは汁粉と善哉の違いを知っているかもしれない。
クリステルもまた、ふたりの友人――夜久野鈴音と紅谷浅葱に、件の食べ物について違いと作り方を習うことにした。
生粋の日本人でも、平素はあまり気にしないようなことを。少し驚きはしたものの、依頼だと聞いて納得。日本の文化について知ってもらう良い機会だと、ふたりとも快く指導を引き受けてくれたのだった。
月道を渡って早1年、そろそろ日本の歩き方にも慣れてきたアウレリアも、先輩らしいアプローチで答えに近づく。
「“善哉”って、ちょっとお寺っぽい言葉だよね」
「‥‥そんなもの‥?」
日本語を覚えたばかりのリリンにはちょっと理解りにくいニュアンスも、音に慣れた耳には微妙な違いが判るのだ。――意味の方は“ご愛嬌”、だ。
「“善”とか“哉”とか、この辺が‥‥」
なにやら偉い人が使うっぽい。
とすれば、大きな寺や神社の門前に甘味処が多いのも、もしかしてココに理由があるのだろうか。
旅の吟遊詩人と旅の学生(?)見聞を広げているのだと触れ込んで、神職らに話題を向ける。
いきなりおやつの話を切り出すよりは、まずはそれとなく高尚な話題から。
お正月からの流れを汲んで、“鏡開き”なんて、どうだろう。
可愛い異国の女の子が向学心に眸を輝かせて訪ねれば‥‥それが、日本の文化についての話なら、日本人として嫌な気はしないはずだ。
ひととおりの話を聞いて、ふたりは門前の甘味処へ向かう。
ニカイドウとクリステル。そして、満と貴由がふたりの到着を待っていた。
まずは、其々が手分けして集めてきた情報を自分の舌で確かめて。――違いを悟るか、やっぱり同じだと思うかは、まあ、人それぞれ。
説明する時に矛盾しないようにだけ、話をすり合わせておけば。これで、依頼人が納得してくれればいいのだけれど。
●お汁粉と善哉の隙間
基本は、餡子。
これがなければ、汁粉も善哉も語れない。
一晩、水に浸した小豆をじっくり茹でる。――煮崩れさせては出来上がりが水っぽくなってしまうので躍らせないように。
灰汁も丁寧に取り除く事。
美味しい料理を作る決め手は、イチにもニにも、手間を惜しまない事だ。
ふっくら柔らかく膨らめば、水を取替えて甘みを出す。
「今日は白玉で作りたいと思う」
“鏡開き”も終わったところで、そろそろお餅にも飽きがくるころ。貴由の提案で、この日はお餅の代わりに白玉で作ることになった。
茹で上がった小豆を蒸らしている間に手際よく‥‥と、言いたいところだが。本日のアシスタントたちは、白玉作りは本日が初挑戦(餡子作りも初心者だが)。
それでも、貴由の手捌き見様見真似で。
厨房の主はというと、糠床から色よく付け上がった野菜を引っ張り出している。
「ここからが違う」
さて、と。
いよいよ近づいた核心に、気合も気負いもばっちりだ。
善哉は、上水を捨てて砂糖を加えて煮る。
お汁粉は、小豆を漉して口当たりを滑らかに、そこへ水と砂糖を入れて煮るのだ。
隠し味には、どちらも塩をひとつまみ。
――この違い、判ったかな?
■□
「お汁粉って言うくらいだから、汁が多いのよね」
「そうそう。善哉は、小豆を漉さないから粒々のまま」
それぞれの椀に盛り付けられた汁粉と善哉を前にして、アウレリアとリリンが小気味よく場を盛り上げる。
「梅干と塩昆布をご用意しましたので、お口直しにどうぞ」
小粒でカリカリの梅干が美味しいのだとか。
クリステルの買い求めた箸休めも、細君の漬けたお新香と一緒に並ぶ。――貴由の希望と、教えられた一般常識なのだけれども。食べなれない者には、ちょっと苦手な味かもしれない。
「ものの本によれば、『ものの初めを、邪気を払い幸いをもたらす小豆と餅で祝う事を喜びとし、小豆汁に餅を入れたものを善哉汁として食した』と記載されていた記憶はありますね。――“ぼたもち”と“おはぎ”のように季節で呼び分ける事例もありますね。あるいは、上方と江戸で呼び方が異なるコトも」
「あ、その話は私もお寺で聞いたよ♪」
満の言葉に、アウレリアも笑顔で頷いた。
因みに、“ぼたもち”と“おはぎ”の場合にも微妙な違いがあって、“ぼたもち”は漉し餡、“おはぎ”には粒餡を使用する。――収穫直後で小豆の皮が柔らかい秋は、漉さずとも皮が口に残らないというのが理由だそうだ(記録係の在所では、稀に“半殺し”なんて恐ろしい呼び方をする人もいる)。
「私は甘くて美味しければ呼び名など‥‥名を括ることで力を発する陰陽師のいう台詞ではありませんね」
淡々と言葉を紡いでから、満はふと箸を止める。
「あら? これだと祝いは善哉かしらね?」
“鏡開き”で食するのは、たしか“お汁粉”だったはず‥‥
はて、と。
思わず首をひねった一同に、ニカイドウはこほんと咳払いをひとつ。――流石に食事の席では、虚無僧の被り物は被れないが、幸い依頼人夫婦にはエルフとハーフエルフの見分けはつかなかったようだ。
「鏡餅は日を置いて固くなってしまっている故、汁を掛けて柔らかくする必要があるからだそうだ」
人に聞いた話だが、と。
謙虚に披露された豆知識に、疑惑も氷解。あとは、貴由の自信作を心行くまで美味しくいただく。
甘いものには、幸せの遺伝子が含まれている、なんて‥‥
嘘かホントか知らないけれど。
甘党には至福のひと時となったコトは間違いない。