【鬼無里】 −慈悲心鳥−
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:7〜13lv
難易度:普通
成功報酬:5 G 70 C
参加人数:6人
サポート参加人数:3人
冒険期間:07月10日〜07月20日
リプレイ公開日:2006年07月19日
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●オープニング
どこか翳を感じさせる人だった。
きちんと結い上げた髪に燻銀の簪を挿し、こざっぱりした麻の着物にもくたびれたところはなくて身なりも良い。
一見して富裕な商家の妻女といった雰囲気だが、どうにも顔色が悪すぎる。
荒事とは縁のなさそうな町人が《ぎるど》に頼ろうと思い至るには、何かしら本人には解決できない問題を抱えて思い迷っているのが常ではあるが‥‥
ただ、この女の憂い顔には既に覆せない現実を受け入れた後の悲しみだけが勝っているように思われた。
「‥‥探していただきたいものがあるのです」
「失せ物、ですか?」
数十万人が暮らす江戸の町では、失くした物が落とし主の手元に戻ってくる確率はあまり高くない。――妖怪退治や護衛の仕事に比べれば地味で面倒な割に報酬も安いので、敬遠されがちな依頼である。
どうしたものかと思案を巡らせながら応じた手代の問いに、女は襟足から伸びる細い首を振って否定を示した。
いいえ、と。吐息と共に紡がれた声は、あまりにも小さくて。
「失くしたモノではないのです。‥‥その、実は‥私は見たこともないのですけれど‥‥ええ、つい昨日までそんな鳥がいることも知らなくて‥‥」
「‥‥鳥?」
一度、口をついてしまえば、腹も決まるのだろう。軽く瞠目した手代を前に、女は堰を切ったように話始めた。
見立ての通り、女の生家は手広い商いで知られる薬種問屋であるという。
ふたつ年上の兄と歳の離れた弟がおり、彼女自身は17歳の時に同業の商家へ嫁いだ。店は現在、兄が家督を継いで商いを盛り立てているのだとか。
一見、過不足ない繁栄に影を落としたのが――
「弟、清太の非行にございます」
遅くに生まれた子供で両親に甘やかされて我儘いっぱいに育った清太は、長じるにつれ家の仕事を手伝うこともなく悪所に通い、出入りする与太者とも付き合ううちに悪い遊びを覚え‥‥成人する頃には立派な不良がひとり出来上がっていた。
さすがに彼を甘やかしていた両親にも愛想を付かされ、勘当されて十余年――何処でどう生きていたのかは、想像したくもなかったのだけれど。
「‥‥その弟が先日、家に転がり込んできたのです」
この場合、なんと声をかけるのが適当だろう。言葉を濁した手代の前で、女は悲しげに吐息を落とした。
「酷い怪我を負っていて血みどろで‥‥人を刺したと申すのです‥‥」
「‥それは‥‥」
既に奉行所の管轄なのでは?
とは、流石に言いにくい。口を噤んだ手代に、女はその優しげな容貌を憂慮に歪める。
「与太者同士のケンカに巻き込まれた‥‥いえ、当事者なのかもしれませんわね‥‥ともかく、酷い怪我で‥‥お医者様ももう長くはないだろうと」
どんな不肖の咎人でも、弟は弟だ。
両親も兄も、十数年ぶりに目にする清太の無残な姿に、ただ、呆然と涙するばかりだという。それは彼女にとっても同様で。奉行所のお白州が待つばかりの身であっても回復を願う心に偽りはない。
当てもなく足を運んだ稲荷の杜で、その鳥の名を告げられた。
10歳ばかりの抜けるように色の白いその女童が、誰にモノを言っていたのかは定かではない。――社の杜には童女の他には彼女しか居なかったのだけれども、少女はちらりとも彼女の方を見なかったから。
寸足らずの着物に咲いた緋牡丹ばかりが奇妙に印象的で。‥‥思い返せば、少し薄気味の悪い子供だったと女は言った。
「信濃の地に慈悲心鳥と呼ばれる鳥がいるのだそうです」
慈悲の心を囀にのせ、極楽に導いてくれるという霊鳥が。
「あちらには踏み込めば罪の穢れさえ消え失せるという霊験ある場所があるのだとか――」
もし、それが真実ならば‥‥
「残念ながら、弟にはもう信濃へ参る余命はないでしょう」
悲しげに女は微笑む。
だからこそ、と。透明な悲しみを湛えた眸は、まっすぐに手代へと向けられた。
「どうか。清太‥‥弟がもう二度と道を違えずに浄土へと逝けますよう。件の霊鳥――せめて羽の1枚でも。あの子の棺に入れてやりたいのです」
●リプレイ本文
慈悲心鳥――
その名前で呼ばれる鳥の存在を突き止めるのは、結論から言うとそれほど難しい課題ではなかった。
チップ・エイオータ(ea0061)を筆頭に異邦の徒であるエレオノール・ブラキリア(ea0221)やレディス・フォレストロード(ea5794)、そして、アデリーナ・ホワイト(ea5635)にとっては、確かに初めて耳にした名前ではあったけれども。
それでも、彼らの知人や友人――例えば、磯城弥魁厳や滋藤柾鷹等のツテを辿れば、知っていると答える者に行きあっただろう。
「確か、『ジヒシン』って鳴いているように聞こえるからそう呼ばれてる《ジュウイチ》って鳥のことなんだよね」
指の先で軽くこめかみを叩きながら記憶を救い上げた御神楽紅水(ea0009)の言葉に、田之上志乃(ea3044)もこっくりと首肯した。
「信心深けぇモンの耳にゃあ、『慈悲心』って聞こえるって聞いてきただよ。――信心がねぇと、『ジュウイチ』って聞こえるって話だけんどな‥‥」
メジロや鶯の囀りを愛で、声の善し悪しを競う愛好家は江戸の町にも多くいる。志乃はそんな愛好家たちの間を訪ね歩いて、謂れの出処を突き止めていた。
鶯の囀りが、仏を敬う者の耳には『法、法華経』と聞こえるように。深い山の奥から慈悲の心を諭すこの鳥は、ありがたい霊鳥として修験者たちの間ではよく知られた存在であるようだった。特に信仰が盛んな土地では、その姿を絵に描かれていたりもする。
ただし、『存在を知られている』のと『実際に見たことがある』のは、全く次元の違う話であるようで――
人間の生活空間に近い山里に暮らす鶯とは異なり、人里離れた山の奥を塒とする慈悲心鳥の姿を目にするには少しばかり骨折が必要そうだ。
●心の行方
犯した罪は償うコトができるのだろうか。
神(仏に)に帰依し、幾らかの寄付を納めることで罪は贖えるものであると言う者もいれば、一生背負っていかなければいけないものであるという者もいた。
ただ、そこに足を踏み入れるだけで穢れが消えるほどの霊験を備えた場所なるものが、この世に存在するのだとすれば‥‥。
「‥‥冒険者故に敢えて罪を背負う事もありますが、わたくしも穢れを払っていただけるのでしょうか?」
表向きはあくでもの柔らかに、アデリーナは些か懐疑的な吐息を落とす。
「嘘かホントかは判らねぇけんどなぁ‥」
アデリーナの嘆息に、志乃も眉を顰めたまま少しばかり思考をめぐらせた。
ある――と、信じられている場所は、幾つか存在する。
例えば、比叡山や高野山、熊野など。そして、冒険者一行が足を向ける信濃にも、善光寺を中心に山岳信仰の修験者や水を司る農耕神を祀る『講』の参拝者が集まる霊場があった。
「‥‥要するに、気持ちの問題ですけどね‥」
依頼人が、黄泉路へと旅立つ弟の罪を贖ってやりたいと思うのも。
レディスの目から見れば、慈悲心鳥の羽で癒されるのは清太という不肖の弟ではなく、その死を前に、ただ看取ることしかできない家族の悔恨だ。――もちろん、それを当人達の前では口に出さない分別はちゃんとある。
「でも。依頼人のおねーさんの気持ち、おいらちょっと他人事とは思えないの‥」
そう呟いたチップの胸の裡に刺さった棘の痛みは、多分、彼にしか判らないものだ。事象の全が納得して受け入れられるコトばかりなら、世の中はもっと平和だろう。
「どうあっても家族は家族‥‥だものね」
たとえ救いようのない悪党であっても。世の中にひとりくらいは無条件で愛してくれる存在がいることを知れば、彷徨う心は安んじることができるかもしれない。
自らの心に訪れた感傷を覗き込み、静かな微笑を紡いだエレオノールに、紅水もほんの少しだけ唇をほころばせた。
「そうだね。どんなに悪いことをした人でも、やっぱり最後だと判っていたら出来る事をしてあげたいと思うのは肉親の情だよね」
「‥‥それを哀れに思ってお稲荷さんのあの子も教えてくれたんだべ。本当に極楽なんぞ行けるもんだか、オラにゃ分らねぇだども、こりゃどうでもきっちり羽さ取ってこにゃなるめぇよ」
極楽の所在は判らないけれど。
神(仏)に祈ることでその奇蹟を具現する術を持つ者たちは、彼らのすぐ側に存在しているのだから、頭から否定してしまうこともない。
とは言うモノの――
持てる力を総動員してお稲荷さんで見かけたと言う女童の行方を追いかけた磯城にとっては、得たものが「時々、お供えが無くなっている」程度の証言では、満足できるはずもないのだけれど。
●森の音
夏の森は賑やかだ。
地元の猟師に案内を請うて分け入った山中は、江戸の雑踏とはまた違う喧騒に満ちている。
鳥の唄、虫の音、梢を揺らす風の足音、沢を下る流水の調――山犬の遠吠えを近くに聞いた夜は、さすがにどきりとしたけれど――その幾つかは、耳の良いエレオノールでなくても聞き分けることができた。
ジュウ、イチ‥ッ
と、呼びかける鳥の囀りも、確かに聞いたような気がする。
ただ、踏み込んできた来訪者が珍しいのか、警戒しているのか‥は、ともかくとして、声はすれども姿は見えず。
羽を持つレディスが木々の上から探そうとふわりと空に舞い上がった時などは、見慣れぬその飛影に騒然となった。人と比べればとても小さなシフールだが、森に住まう小鳥たちを相手にすれば大きな方に入るらしい。
こればかりはあちらが慣れてくれるのを待つしかないのだけれど、こちらもそうそう悠長には構えていられない事情と言うものがある。――依頼人には、もう時間がないのだ。
「それらしい鳥が今朝方、水を飲みに来たそうですわ」
アデリーナのパッドルワードに肯定的な答えが返されたのは、チップの提案で探索班をふたつに分けた2日目の午後。
ようやく見つけた接点に、安堵と歓喜がゆっくりと胸の裡に浸透し、張り詰めた琴線をやわらかに弛ませた。
約束の場所で落ち合って交わす言葉にも、それは優しい調べとなって皆を潤す。
「じゃあ、明日は早起きしてその周辺で待っていよう」
チップの言葉にも余裕があった。
江戸から信濃へ。そして、なれない山の中を宛てもなく姿の見えない声を頼りに歩き回る。疲労はそろそろ限界に近づいていた。
その疲れも、足の痛みも、アデリーナがもたらした朗報に拭われて。
これまで余裕のなかった心にも、この人ならざるものが支配する世界を見回すゆとりが生まれる。
夜の森は、昼とはまた違った音に満ちていた。
離れ、別れて幾星霜
去るならせめてひとつだけ
鳥の羽に願いを託し、
罪を拭い岸辺を渡ってください
心遥か離れていても
どうか安らかであるように
急いで生きてしまったから
これからは穏やかに
浮かんだ言葉を、思いついたままの旋律に乗せて。
ぱちぱちと小気味よく爆ぜる焚き火の音を伴奏にエレオノールの朱唇から紡ぎだされた祈りの歌は、ふうわりとすくいあげた夜風に誘われ闇の彼方へと消えていく。
その旋律にあわせて舞うように揺らめく炎を眺め、引き寄せた膝に顎を乗せ歌に耳を傾けていた紅水はふと気が付いて顔をあげた。
声が聞こえる。
暗がりの向こうから、静かに呼びかけるモノがいた。
●慈悲心鳥
その鳥は、まるで語りかけるように鳴くのだという。
月番でひとり奥山の宮に直居することになった宮司は、優しく呼びかけるその声に孤独を癒されたと話してくれた。
『ジュウ、イチ』
と、聞こえた囀りが、
胸を塞いだ孤独を洗い流された心には、
『慈悲心』
と、聞こえたのかもしれない。
全身の神経を研ぎ澄ましながら、チップは取り出したパラのマントを手早く広げて肩に羽織る。優秀な狩人の気配はマントの効果も手伝って、たちまち希薄になって夜にまぎれた。
そしてその細心の注意を払って声の主を探すチップの手招きで、こちらも隠密行動には自信がある志乃が巧に気配を殺して後に続く。
他の者たちも、いつでも行動に移れるよう呼吸を整えた。
「いた」
あそこ、と。
指差された梢に身を落ち着けて、低く、優しく音を紡ぐ小さな影を認め、志乃はそっと印を結んだ。
ぽう‥、と。
薄桃色の淡い光が小柄な少女の身体を包んだ刹那――
ふわりと巻き起こった靄のような淡い煙が辺りを包む。そして、
囀り未満の呟きを嘴の端に留めたまま春花の眠りに落ちた綺麗な姿と優しい名前を冠された小さな命は、レディスの手でそっと冒険者たちの元へと運ばれた。
「‥‥傷つけないよう、優しくね‥」
依頼人の気持ちを思えば、連れて帰ってやりたい気もしたけれど。
旅立つ命を背負わせるにはあまりにも小さい命に、不帰路の供は酷だと思う。――これはここで生きていくモノだ。
1枚だけ抜き取った羽を懐紙に挟んで大切にしまうアデリーナに、チップもふと思いついて足元の土を掌にすくう。
「代わりってワケじゃないけどさ」
この地には、踏み込んだ者の罪を清める霊験があるのだと聞いていた。
「この土も一緒に入れてもらえればいいんじゃないかと思って」
「きっと喜んでいただけますよ」
屈託のない笑顔に、エレオノールも笑顔を浮かべる。
「戻ったら、お稲荷さんにも御参りするだよ」
稲荷寿司を沢山持って。
志乃の言葉に、紅水が笑う。そして、みんなで頷いた。