【坂東異聞・魃】 −雨乞い人形−

■ショートシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:6 G 97 C

参加人数:8人

サポート参加人数:6人

冒険期間:07月24日〜08月02日

リプレイ公開日:2006年08月02日

●オープニング

 空を見上げる。
 眩いばかりの陽光を湛えた夏の空はどこまでも青く、地の果てを成す稜線の遥か向こうに高く積み重なった入道雲の白さえ目に鮮やかに――

 呆れるほどの好天気。

 ジリジリと大地を灼き尽くさんとするかのように降り注ぐ陽射しの下から天頂にて輝く火球を睨みつけ、夏穂は忸怩たる想いを噛み締めた。――鮮やかに過ぎる世界では、落とされた吐息に潜ませた陰さえ強く際立つ。

 ‥‥ぱしゃん‥

 水面を打つ幽き響きに上げた視線を地に落とし、そして、また吐息をひとつ。
 瓢箪の形に掘りぬいた池を中心に四季折々の移ろいを描く庭園は、何代か前の当主がどこぞの大名庭園を模して造らせたものだ。――その庭を彩る草木の緑も、今はどこか萎れて力ない。

 ‥‥ぱしゃん‥

 半分ほどに水位の下がった瓢箪池の、僅かに残った淀みの中で魚が跳ねる。涼やかに澄んだ水中を優雅に泳ぐ緋鯉や錦鯉は祖父の自慢であった。――その姿も今は濁った水の底に押し込められて‥
 泥に閉ざされては、魚たちもきっと苦しいだろう。
 訴えるように繰り返される水音に顔をしかめ、夏穂は耳を塞ぐようにして瓢箪池から視線を逸らせた。
 池に水を入れてやりたいのは当然だが、今はその余裕がない。

 雨さえ降れば――

 小憎らしいほど晴れ上がった空を何度目か恨めしく見上げて吐息を落とす。
 もう半年近くになるのだろうか。旱魃の前兆など全くなかったというのに、ぱったりと雨が降らなくなった。
 全国的なものではないという。‥‥例えば、夏穂の郷から20里ほど離れた山村では梅雨の大雨で稲が水に浸かったと聞いている。
 それなのに、こちらの郷では一滴の水雫さえ落ちてこない。
 先日、今の夏穂と同じように水位の下がった池を見つめていた父とその隣に並んだ女の顔を思い浮かべて、夏穂はすこし憮然となった。
 まったく、今年は年明けから悪いことばかりが続く。
 厄払いでもした方が良いかもしれない。
 そういえば‥と。ここ半月ばかり頻繁に屋敷に出入りしている男の顔を思い浮かべる。――気に食わない男だが、確か陰陽師だと言っていた。父の信心好きにも困ったものだ。それに付け込むように胡乱な輩を引き入れる継母も――そんなところに思考を巡らせ始めた時、俄かに家の奥が慌ただしくなった。

「夏穂様!!」
「お嬢さん!!」

 立ち上がるよりも早く、母屋の影から現れた見覚えのある人影は夏穂の座った縁台へと駆け寄ってくる。その余裕のない血相に夏穂は、郷を覆う不吉の影がまたひとつ形になったことを悟った。


■□


「――人が吊るされていたというのです」

 届けられたばかりの依頼書を大福帳に綴りながら、手代は集まった冒険者たちに内容を読み上げる。

「‥‥人‥?」
「ええ、人間です。まあ、自分で首を縊ったのか、誰かに吊るされたのかは判らないそうですが。――ご丁寧に、皆、経帷子を着込んでいるそうですよ」

 また用意周到なことで。とでも言えばいいのだろうか。白い死に装束を身につけて首を縊るというのも変な話だけれど。

「入梅前から始まって、かれこれ8人目なのだとか」
「‥‥おい‥」

 それはいくら何でもおかしいだろう。
 どこから突っ込んだものかと考え初めた冒険者たちに、手代は澄ました顔で大福帳の続きを読み上げた。

「まぁ、言いたいことは判りますが、この話にはまだ続きがありましてですね‥‥その8人の死人というのが何処から来たのか判らないのだそうです。――この村ではここのところ死んだ者はおらず‥‥半年ほど前に行方知れずになった者がいるらしいですが‥‥死人はどれも最近のものばかりだそうで‥‥」

 村人たちも、吊るされた死者の顔に心当たりはないと言う。そんなわけで、当然のことながら彼らの身元も判らない。

「‥‥‥‥」
「ね、不思議でしょ? 不気味でしょ?」

 誰が、いったい何の為に。
 本来ならば代官所なり奉行所へ訴え出るのが筋なのだけれど‥‥なにしろ、双方、復興祭の準備に手を取られそれ所ではなかったり。
 そんなワケで《ぎるど》にお鉢が回ってきたというワケだ。

●今回の参加者

 ea2387 エステラ・ナルセス(37歳・♀・ウィザード・パラ・ビザンチン帝国)
 ea3044 田之上 志乃(24歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea3874 三菱 扶桑(50歳・♂・浪人・ジャイアント・ジャパン)
 ea3900 リラ・サファト(27歳・♀・ジプシー・人間・ビザンチン帝国)
 ea6154 王 零幻(39歳・♂・僧侶・人間・華仙教大国)
 eb1421 リアナ・レジーネス(28歳・♀・ウィザード・人間・ノルマン王国)
 eb2898 ユナ・クランティ(27歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 eb3225 ジークリンデ・ケリン(23歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・フランク王国)

●サポート参加者

藤野 羽月(ea0348)/ ゼラ・アンキセス(ea8922)/ 楊 飛瓏(ea9913)/ アレーナ・オレアリス(eb3532)/ ソフィア・アウスレーゼ(eb5415)/ メイユ・ブリッド(eb5422

●リプレイ本文


 空気が変わった。
 湿度の高いまとわりつくような夏の気配が、容赦なく降り注ぐ陽射しはそのままに、肌を突き刺さす乾きの相へと。――極端に湿度の少ない熱い風は、エステラ・ナルセス(ea2387)とリラ・サファト(ea3900)の故郷に近い砂漠のそれに少し似ている。
 その変化は劇的で。日頃から知覚を鍛えている田之上志乃(ea3044)や三菱扶桑(ea3874)でなくても、変調を感じ取ることができた。
「それにしても暑いだなぁ。お江戸はまだ毎日雨だっつぅに」
 灰色の雨雲の下では恋しかったはずの太陽も、乾いてひび割れた大地から見上げると憎らしいモノに見えてくるから不思議なものだ。――人間の身勝手だと言ってしまえば、それまでだけれど。

 精霊力の均衡がひどく乱れている。

 これは精霊を使役する術を身につけた魔法使いたちの共通の見解だった。――[水]の精霊魔法を得意とするユナ・クランティ(eb2898)は水精の気をほとんど感じ取れないことに驚き、[陽]の精霊に呼びかける術を持つリラは誰かの深い憐憫の情を感じることになる。
「私は燐光さんたちが怒って日照りになったと思ったのですが‥‥日照り神様という上位精霊の線も考えられますね」
 精霊に関する知識を記憶より紐解いて首を傾げたリアナ・レジーネス(eb1421)の推測に、ジークリンデ・ケリン(eb3225)も小さく同意を示した。
「もちろん無関係ではないのでしょうけど」
 まずは、《ぎるど》に持ち込まれた依頼を解決しなくては――
「それにしても、趣味の悪い趣向ですわね」
 死体を吊るす行為に、いったい、どんな意味があるのか。
 脳裏をかすめた晴天の呪い。
 そこへ思い至って、冒険者たちは一様に顔をしかめる。
「村の衆も不気味だろうけんど、何処の誰かも判らねぇそのおろくも無縁仏ンなって成仏できねェ‥‥」
 吊るされた死者たちを慮る志乃の言葉に、王零幻(ea6154)も深く頷いた。
 死して安息を手に入れた魂に深い慈しみと敬意を抱く王の憤りは、一方ならぬものがある。
「死者の安寧を妨げるような扱い、下手人にはきっと後悔させてくれる」


●雨降らぬ村の暗雲
 江戸の喧騒から半日余り離れた小さな郷は、乾いているコトを除けば、ごくありふれた近郊の村のひとつであった。
 はゆるやかな起伏を連ねる田園地帯の中ほどにあり、必要なモノをすべて村の中でまかなう自給自足の生産力と、その足回りの良さを活かして江戸へ余剰の作物を持ち込むことでそれなりの現金収入も得る。――豊かな百姓たちを束ねる日吉家の内証は、うっかりすると半端な武家や商家よりも潤っているかもしれない。
 そんな名家の噂話であるから、農民たちも無関心ではいられないのだろう。
 旅回りの芸人を装い集落を回ったリラとリアナが拾い上げた噂の中には、いくつか気になるものも含まれていた。
「‥‥それでは、日吉家のご当主様もこの日照りには、随分、気を揉んでいらっしゃるのですね」
 玉石混在する情報を整理する為、言葉に乗せたリアナの問いに、村人たちは苦笑交じりの吐息を落とす。
「んだ。もう、何人もの占い師や祈祷師をお招きになったって話を聞いたが、首尾の方はこのとおりでさ」
 見上げる空は、抜けるような夏の青。
 眩しいばかりの光が満ちる空を見上げて、リラは気遣わしげに細い眉を曇らせた。
 乾きの相を示す地域に足を踏み入れてすぐ、天候を操る魔法‥‥《ウェザーコントロール》を試してみたのだが、結果はこのとおり村人たちが肩をすくめる山師たちと大差ない。
 [陽]の精霊の存在はどこよりも強く感じるのに、リラの呼びかけに応えようという様子がないのも気になった。念のためにと試みた《リヴィールマジック》の方にも、特に顕著な変化は見出せず。――リアナの身を飾る衣装のいくつかが青白く光って見えるところをみると、腕が落ちているということではないようなのだけれども。
「まったく。麻穂様さ家を出られてからこっち、善くねえコトばかり続いとるって‥‥皆、気に病んでるだよ。‥‥夏穂様がお気の毒でぇ‥」
「麻穂様ですか?」
 半年前に行方知れずになった者がいたとかなんとか。
 《ぎるど》の手代の話を思い出し、リアナとリラはそっと顔を見合わせた。

■□

「――皆様には、暑い中、わざわざご足労頂きまして恐悦に存じます」
 慌ただしく現れるなり遜って頭をさげた壮年の男に、三菱は奇妙な違和感を覚えて目を細める。
「こちらこそ。大勢で押しかけた上に、何かとご身辺を煩くすることになるかと思うが、どうかご容赦いただきたい」
 社交辞令を交えてゆったりと言葉を返す王に答弁を任せ、三菱は振舞われた温い麦湯を頂戴しながら、その違和感の因を突き止めようと首をかしげた。
 湿度が低い為、陽の当たらぬ屋内は意外に涼しい。巨人である三菱が見上げても十分な高さを感じる天井も熱を内に溜め込まぬ工夫なのだが、その重荘な構えの下にはやはりどこか身にそぐわないぎすぎすした緊張が満ちているような気がする。
 それが、いったい何処から来るのか。
 鋭さにはそれなりの自負をもつ自らの感覚を持ってしておよそ見当もつかぬのが、いっそう気持ち悪い。

「‥‥江戸の《ぎるど》から紹介されてきたのだが、ご当主様にお目通り願いたい」

 櫓構えの門を潜って声を掛けてきた大男に、印半纏の男は少し驚いたような顔をしたが、すぐに得心したかのように頭をさげた。――大きな体躯と厳つい容貌から《鬼》だと誤解されるのではないかと気を揉んだ三菱の心配は、どうやら杞憂ですんだらしい。

「お待ち致しておりました」

 と、言うからには、彼らがここへやって来るコトは、知らされていたということで。
 当然、その理由も判っているはずだ。
 招かれた冒険者たちに向けられる家人の視線には、行き詰った局面への打開の期待と、裏切られるコトに慣れた冷ややかな諦観がない交ぜになっていた。

「――夏穂は何をしているのだね?」

 内面へと沈み込んでいく思考を引き戻したのは、耳覚えのない人の名前で。
 どこか落ち着かない様子で訊ねた当主の問いに、廊下の端で控えていた郎党は畏まった風に頭をさげる。
「灌漑池の様子を見てくると仰って。――遣いをやりましたので、すぐに戻ってこられるでしょう」
 そうかと応えはしたものの、当主はやはりそわそわと挙動不審だ。
 挙動不審というよりは、こういう場にあまり慣れていないのだろう。――この辺り一帯を支配する分限者の当主としてはおかしな話だけど。エステラは少し意地悪く理解した。
 いくらか壮年に差し掛かったこのご当主様は見栄えはそう悪くはないが、器が小さくていらっしゃる。

■□

「‥‥婿養子なんですって」
 そう言ったユナの口元は、少し笑っていたかもしれない。
 尾鰭をつけて面白おかしく。語られていた噂話の一端は、冒険者たちに様々な情報を与えてくれる。
「元々は江戸で袋物の行商をされている方だったのだそうですけど、日吉家のお嬢さんに見初められて婿入りしたのだそうです。――所謂、逆玉ってヤツですわね」
 もちろん、本人たちが満足していればそれで良いことだと思うのだけど。
「どちらかと言うと、真面目で、気の優しいところのある方だそうです」
 普通ならば美徳とされる性格も、人の上に立つコトを望まれる者の資質としてはどうなのだろう。
 特に柵を持たぬ者同士なら滞りなく過ぎるものが、家や人間関係が絡むとどうしようもなく複雑になるのだとリラはぼんやりと自分の体験と重ね合わせた。


●吊るされた死者の言
 一歩、外に踏み出した途端、どっと身体を包む熱気に王は思わず顔をしかめる。
 人払いを頼んで篭もったお堂の内も、大して涼しい場所ではなかったのだが。
「何か判りましたか?」
 掛けられた声に視線を巡らせた王は、志乃とエステラの隣に立った袴姿の若い娘に眼を細めた。なかなかの美人だが、随分と気の強そうな眸をしている。
 夏穂というこの日吉家の一人娘が、《ぎるど》に依頼を出した本人であることはその口からきかされていた。
 家の者たちは、既に父親ではなくこの夏穂を主人だと思っている節がある。
「それで、何か判りましたか?」
「うむ」
 《デッドコマンド》で聞きだせるのは、生前の死者が最後に見たもの。あるいは、心に残したモノだ。 暑い季節の話であるから、さすがに半月も経った遺体を改めることはできなかったが――無縁仏として埋められた遺体を掘り起こすのを手伝った三菱は、すっかり食が細くなってしまった――それでも、得るモノは十分にあった。
「あの者たちは、ここで殺された者ではないな」
 寿命であったり、病気であったり。
 不慮の事故で天寿をまっとうできなかった者も中にはいたが、それでも《殺された》者はいなかった。
「やっぱり」
 脱がせるのと着せるのでは、掛かる手間が違う。
 そろって着せられていた経帷子の様子から、埋葬された亡骸を吊るした物だと推測を立てていたエステラは、自らの推理に自信を深めた。
 王が死者と語らっている間に《クリエイトウォーター》で作り出した水を乾いた村に提供しようという試みは、残念ながらうまくいかなったのだけれども。――これはエステラの力不足ではなく、魔法の根源となる水精の力が極端に不足しているからだろう。尤も、乾いた田畑を潤すにはジークリンデの持つ《専門》の経典を使っても全然足りない。
「‥‥でも、いったい何処からこんな‥」
 何処にでも転がっているものではないはずだ。
 顔をしかめた夏穂に、エステラは胸を張る。
「そちらも、ちゃんとアタリはつけてありますわ」


●消えていたもの
 ざくり、と。
 湿った土を掘りおこす鍬の先が白木の桶を掘り当てる。
「見つけましたわ」
 どこか神妙な響きを帯びたアレーナ・オレアリスの声に、藤野羽月はちらりと少し離れた場所で冒険者たちの動向を見つめる住職と、その後ろで所在なさげに手を組み変えている墓の所有者へと視線を向けた。
 墓を暴かれるというのは、あまり気持ちの良いものではない。――暴く方も決して楽しんでやっている行為ではなないが。
「蓋を開けてもいいですか?」
 閉じた棺桶を再び開くなんて、滅多なことではない。
 ソフィア・アウスレーゼとゼラ・アンキセスも、なんとなく息を詰めて返される答えを待つ。
 予想が外れた時よりも、的中した後の方が騒ぎになるであろうことは明白で。
 墓に眠っているはずの死者が消えたと知らされた時の家族、知人の心中を思うと少し胸が痛んだ。
 頼まれて、引き受けたのはいいけれど。
 仲間のために江戸の事件を当たった者たちは、少なからず苦労した。――とりあえず、ジャパン語の話せないメイユ・ブリッドは、問題外として。
 墓場荒しの目的が埋葬された遺体を持ち出すことなら、墓を暴いて仏の有無を確認する必要がある。こればかりは、ちょっと中を見せてくれと言われて、容易く了解を得られるものでもない。
特に、冠婚葬祭の中では旅人には最も縁遠い部分の話で、異邦よりの冒険者と住民たちの間に立って折衝の役目も果たさなければいけない藤野などはなかなか胃の痛い事態となってしまったのだが‥‥リラを想って身体を張る姿は健気であった。
 調べることが多すぎて、どこから手をつけてよいものか立ち往生してしまった楊飛瓏も詳細は判らないまでも、ひとまず有無の確認がとれたことに安堵する。

●答えを知るモノ
 農業用水を溜める灌漑池の水位も、今ではずいぶん低くなっている。
 乾いてひび割れた泥の塊を爪先で蹴って志乃は木立を眺めるジークリンデに視線を向けた。
「何ぞ気にかかることでもあるだか?」「いえ」
 村人たちの話では、死人はこの池の周辺に吊り下げられているのだという。
 日吉家や郷の中心からはすこしばかり距離があり、日頃からあまり人の近寄る場所ではなさそうだ。
「‥‥あれは?」
 途切れた木立ちの間に見える小さな社に目を止めたジークリンデの問いに、志乃は少し考えるように顎を引く。
「水の神様さ祀る社でねぇか?――オラの村にもあっただよ」 農業で生計を立てる村にはこうした農耕神を祀る社を見かけることは珍しくない。春〜夏にかけて著名な水神を訪ねて豊作を祈願する慣習もあるくらいだ。
「今はあまりご利益もなさそうですけど‥‥ああ、ここですね‥」
 今の状況を鑑みれば、この誹りも当然か。
 花の手向けられた木を見つけ、ジークリンデは手にした巻物をはらりと紐解く。――待つほどもなく、ぽうと淡い色の光が浮かび、風もないのに梢が揺らいだ。

『貴方に縄をかけたのは誰?』

『一番最近、貴方に縄をかけたのは誰?』

 ジークリンデの問いかけに、声なき声が答えを紡ぐ。 この場所で、墓場から盗み出した死者を吊るした者のすぐ傍らで、一部始終を見ていたモノがここにいる。
 そして、ジークリンデはそれを聞き出す術を持っていた。
 《グリーンワード》による会話を終えて、ジークリンデは次の経典を選び出す。《パースト》――過去を再現する魔法。
 集中し念を込めたジークリンデの視界に闇が広がる。全てを包み隠す新月が広げた漆黒の闇。
その闇の中で、下手人は確かにいたのだ。
「‥‥《ファンタズム》でお見せするのは難しいですわね‥」
 魔法が、ではなくて。
 夜目の利かないジークリンデには黒い影にしか見えなかったから。――境界も曖昧に感じられるほど深い夜の底で蠢くソレを再現しても、下手人を突き止める決定的な何かを得られるとは考えにくい。


●降らぬ雨
 ご当主が入れ込んでいる陰陽師は、赤沼平治と名乗り歴とした大黒家に縁のある者であるという。
「今はまだ灌漑池のおかげでなんとか保っておりますけど、それももう時間の問題。――あの池が干上がれば、村は完全に干されてしまいます」
 淀んだ水が僅かに池の形を成す瓢箪池に少し悲しげな眸を向けて、夏穂はどこか投げやりに肩をすくめた。
「藁にもすがりたいのは、私も同じ」
 だから、強くは言えないのだと。口惜しげに噛まれた唇が告げている。
「このお天気は確かに異常だと思います」
 リラだけでなく、ジークリンデ、そして、ユナが試した《ウェザーコントロール》も効果はなかった。
「赤沼は日照り神が取り憑いているとのことでしたけど。‥‥江戸の大火の折にも、姿を見せたとか?」
 夏穂の口調は、あまり信じていない様子だったが。
 エステラと三菱は顔を見合わせる。――大火の折に、魃と呼ばれる精霊が江戸に居た事は、安部晴明が証言していた。そして、エステラをだけでなくジークリンデやリアナも、そろそろそちらを疑い始めている。
「父があの通りの人ですから、継母も気にしているのでしょう。――ご利益があると聞けば何にでも飛びつきます。先日も‥‥」
「その、お母上というのは‥」
 言葉を探す三菱に、夏穂は小さく笑う。
「ええ、私とは血縁はありません。でも、まあ、気の弱い者同士、父には似合いの相手だと思いますけど」
 随分、あっさりしたものだ。
「だけんど、夏穂さの本当のお母ぁさどう思っとるだか? ‥‥その、行方が知れねぇと聞いただけど」
 何か腑に落ちないモノを感じつつ首をかしげた志乃に、夏穂は今度こそ本当に困った顔をした。
「‥‥母は‥出て行ったのだと聞いています」
 もうずっと以前から、両親の間には何か深い溝のようなものが出来ていたのだと思う。
 勝気で我儘な母親は、大人しく従順な夫に飽きてしまったのかもしれぬ。母が父を見下す態度は、自然と郎党たちにも浸透し――夏穂自身もさほど父を尊敬しているワケではないのだけれど――家を取り巻く気配はさほど良い物でなかったのは確かだ。
 村人たちが苦笑交じりにこぼした噂を思い出し、リアナはこっそりと吐息を落とす。腑に落ちない何かを感じないではなかったが、一応、筋は通っているように思えたから。
 年末から年明けにかけての最初の騒動だ。
 日吉家の一切を仕切っていた家長に等しい人の失踪であるから、一時は、大変な騒ぎになったというが‥‥コトがコトであるので、いつしか皆が避けて通る話題となった。
「母が家を出て、父が側女を娶った途端にこのお天気では‥‥父も継母も立つ瀬がないでしょう? もう何人も祈祷師や呪い師なんかを家に招いては追い出すコトのくりかえし。あの男にはずいぶん期待をかけているようですけど‥‥」
 本格的な乾きがやってくるまで、もう猶予がない。
そういう見方もできる気がする。
 そこに至る糸口は、なにやら複雑な様相を呈しているようだ。

 雨さえ降れば――

 想うのは、
ただ、それだけ。


●雨乞い人形
 暗がりに人影が動く。
 わずかな月影しか差さぬ夜更けに、蝋燭1本の明かりさえ灯さぬ。――それだけで、良くないコトを企んでいるのだと告げているようなものだ。
「江戸で墓を掘り返しているヤツがいる」
「‥‥墓を? 知れたのか?」
 いくらか警戒を増した声に、もうひとつの声が応える。
「さあ、そこまでは。何にしろこっちの仕事が遣りにくくなったのは確かだな」
「拙いな。ヤツはまだ動く気配もないというのに‥‥」
 早く結果を出すように急かされて困っているのだ、と。
 苦りきった声に、もうひとつの声は低く邪悪な笑みを零した。
「いっそ、生贄でも奉げてみてはどうだ? ――墓から亡骸を掘り出すよりは、遥かに容易い」

 ‥‥ボゥ‥ッ

 突然、燃え上がった炎が投げかける光の中で、ふたつの人影はその眩しさに立ちすくむ。
「‥‥そろそろくる頃だと思っていたが‥」
 まさか、さらに悪辣な企み事が聞けるとは。
 燃え上がる光源の後ろから、王はこれ以上はない冷酷な音を紡いだ。――死人を冒涜するのみならず、生命をも愚弄するという。
 これ以上の罪はない。
 反射的に腰の得物に手を伸ばした男の首筋に、ぴたりとつめたい刃がその存在を主張した。
「動くな」
 例え、往生際悪くあがいてみたところで、容易く後ろを取られる器量では三菱の敵ではないけれど。
「抵抗するなら容赦しませんよ」
 最初から、容赦する気などないけれど。
 アゾットを手にしたエステラに、パラのマントを脱ぎ捨てた志乃も精一杯の軽蔑を視線いこめた。
「なんの罪もねぇ、おろくさ利用するたァ、地獄に落ちるだよ!」
「本当に。下手に自然を操ろうとすると碌な事ありませんよ」
 最初から、人の手に負えるようなものではないのだ。
 訓戒を込めたリアナの言葉に、陰陽師は一瞬怯み、そして俄かに顔を歪める。
「何を言う、儂は――」
「その言い分は真実かどうかなんて、すぐにわかりますのよ」
 ジークリンデの手には、真実を見極める経典がいつでも広げられるように紐を解いて掲げられていた。


●語られぬ真相
 魃(ひでりがみ)は、最初からそこにいたのだという。
 あるいは、本当に大火の江戸に姿を見せたというそれがこの地に移っていたのかもしれない。

 雨を望む日吉家の当主に招かれた当初、赤沼はそれほど悲観してはいなかった。
 精霊は気紛れなものであるから、それほど間を置かずとも日照りは解消するだろう。そう、高を括っていたのだ。そもそもどこにでもありがちなこの郷に、魃を怒らせるような何かがあるとは思えなかったから。
 その予想は外れ、魃がこの地に留まり続けたために、郷はいよいよ深刻な乾きの相が現れることとなる。――理由は見当もつかなかったが、ただ、ソレが自分の意思でそこに留まっていることは判った。
 事態を悪い方へと導いたのは、すぐにでも雨の欲しい当主の執拗な催促と叱責で。
 さほど長く掛からぬと見越しての大見得と、大金をせしめたのもマズかった。
 吊り下げられた死人は、魃を懐柔するために試しに奉げた供物のつもりであったという。生きた命を差し出すのはさすがに気が咎めたというが――それが、ジークリンデが《リシーブメモリー》を使って赤沼から引き出した真実のすべてであった。
 対象が人間であるので、もちろん抵抗されたという可能性もあるけれど。

 悪趣味な雨乞いを試みた陰陽師は冒険者の手で捕らえられて江戸に送られ、白砂で処罰を待つ身となったが、相変わらず雨の降る気配はない。
 何度か試した《ウェザーコントロール》も効果はなく、旱魃をもたらす[陽]の精霊は、未だそこに居座り続けている。