●リプレイ本文
1日、千両――
黄金の雨を降らせる街がある。
高い塀と濁った溝に囲まれた吉原遊里の、その唯一の出入り口である大門を潜った冒険者たちは、廓に満ちる華やかな祭の喧騒に息を呑んだ。
日頃なかなか訪れる機会のない場所だけに、興味と好奇心に密かに心を躍らせていた者が多かったが、その期待を裏切らず全てが目に新しい。
「吉原って初めてだけど、すごく綺麗‥‥その時のことは良く知らないけど、ここも大火事にあったなんて信じられないくらい立派だね」
火の入りはじめた色とりどりの提灯が明度を落とす夕映えに浮かぶ様は、いっそ幻想的な色味さえ帯て。
思わず声を洩らしたチップ・エイオータ(ea0061)の感嘆に、野乃宮霞月(ea6388)はその顔に苦笑めいた光を浮かべる。
復興祭に沸く江戸を訪れているという因縁ある彼の人の招きに乗った形だが、僧籍にある野乃宮には少しばかり敷居の高い場所だった。――袈裟を改めているのは、その為だ。
日本へやってきたばかりのメルシア・フィーエル(eb2276)とルーク・マクレイ(eb3527)はもちろん、パラーリア・ゲラー(eb2257)とフィーネ・オレアリス(eb3529)にとっても。
この街は、これまで彼らが目にしてきた江戸‥‥日本の町とは、多少、性格の異なる表情を持っているように思われた。
「来たな」
三浦屋の座敷にて杯を手に待ち構えていた漢は、そのきらびやかな内装に毒気を抜かれた面持ちで姿を見せた冒険者たちの姿に、にやりと口角を上げる。
相変わらず底の見えぬ漢だと、野乃宮は小さく吐息を落とした。
●瞼の樽男
「‥‥痛かったけどな‥」
呟いて、夜十字信人(ea3094)は回想する。
今思い出しても、何が夜十字の背中を押したのかは未だに不明だ。――そう。魔が差したとしか喩えようがない。
だが‥‥
競技に使われる樽に目を留めたその時、何故だろう、夜十字の脳裏に今は亡き好敵手の顔が浮かんだのだ。
樽男と呼ばれるくらい樽好きだった、男の顔が――
そして、正気に戻った時、夜十字は参加者台帳に名を記している己に気付いたのだという。
「知っているか?」
八朔の白い着物に袖を通した美しい花魁の酌を受け、夜十字は上座の漢に問いかけた。
極上の酒が醸すほろ酔いが、舌を滑らかにする。
「樽男はみっつに分けられるんだ」
「ほう」
こちらもフィーネが差し出した銚子を受けて、漢は容貌にもっとも顕著な異彩を添える隻眼に太い笑みを閃かせた。
そもそも、『樽男』とは何者なのか?
どこからもツッコミが入らないところを見ると、あるいは、宴席にいた皆が酔っていたのかもしれない。
「丈夫な樽を求める奴」
ひとつ、と。親指を立て、夜十字は言葉を紡ぐ。
「大きな樽を求める奴」
ふたつめ。
立てられた人差し指に、同じく、《急斜面玉転がし》にエントリーしたパラーリアがこくりと小さく喉を鳴らした。競技の前に、この情報を知っていたら‥‥あるいは、パラーリアにも勝利を掴むチャンスがあったかもしれない。
固唾を呑んで見つめるパラーリアの目の前で、ゆっくりと3本目の指が立てられる。
「そして、美しい樽を求める奴だ。――そう、確かにヤツは‥樽男だった」
だから、『樽男』って何っ?!
「‥‥ヤツのコトは良く知っている‥」
懇々と語り語り初めるのは、酔っ払いの特徴のひとつだけれども。
「最初は、樽を転がして坂を下りようと思ったのね」
古い思い出話を初めた夜十字に変わり、ちゃっかりとパラーリアが場を引き継いで話はじめた。
「でも、樽がとても重くて」
樽は参加者の身体に合わせた者が用意されるコトになっているから、この場合、パラーリアが無謀な選択をしたのだと解釈するのが正しい。
とにかく、その物凄く重い樽を押したり、引いたり、パラーリアなりに精一杯の力で挑み‥‥
「あっ、うごいた〜☆」
と、思った瞬間、後ろから物凄い勢いでやってきたモノに、跳ね飛ばされたのだという。
視界にいっぱいに広がった真っ青な夏空が、とても綺麗で。
気がついたら、そこはお布団の上だった。
「ねっ、不思議でしょ♪」
もしかしたら、夢でも見ていたのかも――
後頭部に巨大なたんこぶが出来ていなければ、あるいは、そう思ったかもしれない。
「アレって、何だったのかなぁ」
「そして、俺に向かって必死に手を伸ばすヤツが、俺に向かって飛んでくる樽に被って見えたよ」
パラーリアを夏の空に打ち上げたのも、
熾烈を極めた先頭争い。思うように勝機の見えない膠着状態への焦りから好敵手−共に、何度も死線をくぐりぬけてきた親友たちだったが−に、口では言えない汚い手段に出ようとした夜十字を止めたのも。
そして、夜十字に道を踏み誤らせることなく、勝利の栄冠を掴ませたのも‥‥
「ものすごく痛かったけどなっ!!」
●鬼
泳ぎには自信があったのだ。
ルークが《大食い水泳大会》を選んだのは、この一言に尽きる。
そう。泳ぐことに関しては誰にも負けない自信があった。
だから、この競技のもうひとつのポイントである《大食い》についてそれほど自信がなくても、それなりの活躍ができるのではではないか。
そんな緻密(?)な目論見とほのかな期待を抱いて競技のスタートラインに立った31歳のイギリス人は知らなかったのだ。――この競技が《鬼》の住処だというコトを。
会場に引き出された《餅》という食べ物の大きさ、食べ難さは、ルークの想像を遥かに超えたものだった。
スライムのような形状に、どこまでも伸びる伸張性。歯応えはなく、味もない。――うっかり喉に詰まらせようものなら、間違いなく命に関わるであろう危険性を秘めた食べ物である。
それでも、ルークは頑張った。
武神祭が各国から猛者を集めて開かれる物だと聞いた以上、母国イギリスの名誉を背負う戦士たちへの応援になると考えたから。
だが、しかし‥‥
そんなルークの健気な闘志は、彼らの登場によって脆くも打ち破られることとなる。
会場に降臨した恐るべき鬼たちは、あの食べ難い餅をいとも容易くたいらげていったのだった。
そう。あの闘志と、喰いっぷりの凄じさは、まさに鬼神の勢いで。
見ているだけで胸がいっぱいになる喰いっぷりに、初めてルークの脳裏に《敗北》の二文字が飛来する。それでも負けるまいと気力を振り絞ったルークが、よくやく餅を完食した時、彼らは遠く――
もちろん、ルークはすぐに後を追いかけたのだが。
ここからは独壇場だと思われた最初の一掻きで、彼は体の異変を知らされた。胸一杯に支えた餅が、得意なハズの泳ぎを鈍らせる。
加えて、勝利の為には手段を選ばぬ新たな鬼たちが、あらゆる方法でルークを追い抜いていったのだ。
「今は、勝利、その栄光を掴む為、鬼となった彼らを称えようと思う」
●応援合戦
応援合戦といえば、競技を盛り上げるものだけど。
吟遊詩人を志す者にとっては戦も同然。
「みんなの士気を盛り上げる為に、思いっきり歌を歌って、皆を応援したよ」
話はじめたメルシアの眸は、想いを伝える喜びに生き生きと輝いていた。――競技の時は、それで少し歯がゆい思いをしていたから。
前日の高揚が冷めやらぬ会場は、初っ端からいつも以上の盛り上がりを見せ、思わず呑まれそうになったけれども。
「そこは吟遊詩人の修行で培った声量と、このエチゴヤさんから入手したフェアリーベルを鳴らして皆と一緒に競技で頑張る人たちを応援して優勝目指して頑張ったんだよ」
メルシアが掲げた手には、妖精の声と同じような澄んだ音がするという、可憐な金属製の楽器が握られていた。
シフールの特権である空からの応援は、競技の進捗を具に見、状況に合わせた声援を送るコトができた。集まった者たちの足音、手を打ち鳴らす音が地鳴りのように大気を揺るがし、うっかり気を抜くと流されそうになってしまう。
並みのシフールなら、吹き飛ばされてしまっていたのだろうけれど。これでも武道大会への参加経験もあるメルシアは、負けなかった。
しっかりと腹に力を入れてその場に踏みとどまり、声を張り上げて応援し続けたのである。
「‥‥ちょっと残念だったのは、まだ日本語を知らなくて、ラテン語での応援になっちゃったんだけどね‥」
言葉が理解れば、もっと一体感を得ることができただろうに。
今から思うと、それが口惜しい。
「今度、江戸でお祭りがある時は、その借りを返したいと思うよ」
●再会と思惑
進み出た野乃宮に、独眼竜と呼ばれる漢は僅かにその隻眼を細めた。
「平泉で見た顔だ」
源徳の密使として友好を取り結ぶため最北の地に花開いた理想郷を尋ねたのは、夏が訪れる前のコトだった。
「久しいな、政宗公。この度のお招き感謝致す。祭を見ているだけでは退屈とは、いやはや。いっそご自分が参加したかったのではないかね?」
もし、参加していたら――
良いところまで行けたのではないかと持ち上げた野乃宮に、政宗はただ笑う。
「皆、なかなかの強者揃い。そう容易く運ぶコトではあるまい。――旨く栄誉を手中にできたとしても、手の内を見せしまったのでは余興にならぬ」
会場に姿を見せたのは冒険者や町人たちばかりではなく。
源徳家の家臣団に加え、武田信玄など名のある武将が顔を揃えた。
彼らの目当ても遊行ではなく、翳りが見えはじめたと噂される源徳の力を測ることなのだから。
「――しかし、あれらの競技、いったい誰が考え出したのやら」
「確かに。源徳候自身のご提案だとすれば、別の意味で愉快だが‥‥」
野々宮が参加したのは《へべれけ木のぼり競争》。
酒の成分を解毒の魔法で除去できるか試みたのだが、残念ながら叶わなかった。――自分で振り返っても公平な手段だとは思えなかったので、菩薩の加護も得られなかったのかもしれぬ。
「小さい方の木と器で何とか途中棄権は回避したがな」
勝負に出なかったとみるか。
堅実に得点を取りに行ったと解釈するか‥‥意見の分かれるところだ。
「そもそも参加することに意義があると挑んだものの、やはり結果が振るわぬは無念」
●竹馬駅伝
《竹馬の友》なんて、素敵な言葉もあるけれど。
チップが手に入れたのは勝利の栄冠ではなく、まさに竹馬が育んだ友情だった。
足置きをとりつけた二本の竹にそれぞれ足を置いて、均衡を保ちつつ前に進む。
竹馬は気持ち前倒しに、爪先に体重を預けつつ、身体は地上と垂直にバランスをとるのがポイントだと教えてくれたのは、同じ長屋にすむ子供たちだった。
競技の前日、一夜漬け(?)で練習してきたのだけれど、現実はやっぱり甘くはなくて。
遠回りの平坦な道を選んではみたものの――隣を歩く人にぶつかる、曲がり道ではその場でぐるぐると回ってしまい、そのうち世界が回りはじめた。
パラーリアのように地面に突き刺さった竹馬の上でぽっつ〜んと寂しく取り残される者もいたり。子供の玩具もなかなかどうして侮れない。
特設コースの沿道を埋める見物人の中に、友達やご近所さんが応援にきてくれていると聞いていたけれど。
はるか遠くに引き離されてしまった先頭との距離に気持ちが挫ける。
何度も転んで、足も痛い。
同じ組の人には申し分けないと思うけど、得点を取れそうな人は他にもいるし。途中で棄権を申しでているのも1人じゃない。
心の中で色々、言訳を考えながら、チップは競技の進行を見守っている係員に近づいた。
「‥‥あの‥」
棄権します。
その一言が唇から飛び出す前に、チップの耳に聞き覚えのある単語が飛び込んでくる。
「がんばれー!」
「あともう少しだよ!」
沿道の人々から掛けられる激励に、チップは再び歩き始めた。
同じくリタイアを考えはじめたパラーリアにも、素敵な応援が届いていたり。
「その時、『竹之屋』って書かれた竹筒が落ちてたの。飲んで見たらスッゴク美味しかったの!」
元気ハツラツ、何とか森を抜け出して完走できたのだとか。
「ごめんね?」
「何が?」
「‥‥せっかく教えてくれたのに、勝てなくて‥」
悄然と肩を落としたチップに、長屋の人たちは朗らかな笑みを浮かべた。
「何言ってるの」
楽しかったし、冒険者の皆が頑張っているのを見て元気が出たよ。――明日から、また復興の為に頑張れる。
「組には貢献できなかったし、逆にこっちが元気もらったみたいで恥ずかしいけど。参加して、最後まで諦めなくてよかったって思ったの」
●走れ、新婚さん
「私、こう見えても新婚さんなんですよ♪」
左手薬指に光る指輪を見せて、嫣然と微笑むのはフィーネ。 白地に赤い薔薇の模様を染め出した浴衣に身を包んで花魁衆に混じって、陸奥よりの賓客を接待中だ。
「ほう。それは羨ましい漢もいたものだ」
「まあ。政宗公ったら、お上手ですこと。――それで、最終日のマラソンには外堀コースをウェディングドレスを着て走りましたのv」
この幸せを見物客全てに知らしめるために!
金襴緞子の白無垢に文金高島田‥の方が、江戸の人々には理解してもらえたような気もするが。
「ものすご〜く走り辛かったのですけれど、みなさんの祝福を受けているようで。それが力になって‥‥」
ものすご〜く目立っていたのは間違いないだろうから。
フィーネの趣旨か正しく理解されていたかどうかはともかくとして、一際、目立つランナーに惜しみない声援が送られたのは間違いない。
「そして、ゴールで旦那様が待っていてくれると信じて完走できましたのよ。もちろん、ゴールでは旦那様と抱き合って喜びましたのよ。きゃ、恥ずかしいv」
幸せいっぱい、夢いっぱい。
今宵もなにやら胸のあたりに支えるものが残りそうなルークであった。
「人生には潤いが必要ですわ」
ほんのりと頬を染めながら力説するフィーネに、男たちは曖昧に笑うしかない。
■□
「お祭りは外で眺めているよりも、内に入って踊った方が楽しいもの。もし宜しければ、政宗公も江戸の民の輪に入って参加したぞ!て証を残してみてはどうでしょうか?」
ねっ♪
色っぽく着物の乱れを直してみせるフィーネに、パラーリアも元気に頷く。
「そだそだ。やっぱ、見てるだけじゃつまんないよね♪」
よかったら頭撫でてください、と。
局中法度に抵触しそうなお願いをするパラーリアに笑みを投げ、江戸を訪れた奥州の為政者は、たったひとつの眼に不遜な光を閃かせた。
「‥‥なるほど。参加してこその祭なら、江戸を揺るがす大きな祭としたいものだ」
「それでこそ政宗公ですわ」
復興への投資をとりつけたと喜こぶフィーネとパラーリアの隣で、野乃宮は胸に落ちた小さな影に眉を顰めた。