●リプレイ本文
気が重い‥と、言うのだろうか。
相変わらず小憎らしいほど綺麗に晴れた秋空を見上げて、石動悠一郎(ea8417)は奇妙に塞いだ胸の裡を省みる。
そんなどこか漠然とした気鬱を抱えているのは、どうやら石動だけではないようで。毅然と顔をあげて気丈に振舞ってはいるが、リーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)の気風も奨まぬ気勢に湿りがち――いつもは明るく快活な田之上志乃(ea3044)の表情も、心なしかくすんでいるようだ。
「神さまとの約束だばきっちり果たさにゃならねェ」
けっぱるべぇ!
と、気合で心を奮い立たせてはいるのだけれど。気がつけば、肩が落ちている。
「‥‥知らねェ相手や化けモンならええってこた無ェけんど‥‥やり切れねぇべ」
はふ、と。乾いた大地に転がった吐息は、憂鬱に曇った心に淀む。
何処から見ても明確な「悪」であれば、事態はもっと簡単だった。黒畑丈治(eb0160)の目に映るその人は、とても小さな‥‥臆病で脆弱な存在であったが、所謂「悪人」ではない。
「罪は罪、その大小に意味はないだろう?」
幾分、皮肉めいた響きを帯びて呟かれた風斬乱(ea7394)の言葉の通り、そこにはただ「罪」があるだけだ。そして、それ故に、心が痛むのもまた――
「結局、これもまた人が引き起こした災いだったということか」
「事情があるにせよ、罪人を放っておくワケにはいきません」
死して尚、人を恨み、村を憎み、魃までも呼び寄せて災いをもたらす。
石動の悲歎に淡々と応える黒畑の隣で、風斬はただ肩をすくめた。――愚かで馬鹿馬鹿しい行いを繰り返すからこそ、人なのだと。
●麻穂の行方
――もう、この世にはいない。
つまり、死んだのだ。と、聞かされても俄かには納得できない。
否、たとえ薄々は感じていたとしても。それが身内‥‥親しい者であるほど、嘘であって欲しいと願うのが人の心だ。
まして、手を下したとされるのも身内であれば、尚のこと。
江戸の《ぎるど》からやってきた素性の判らぬ冒険者より、父親の言葉を信用したいと思う心の機微は夏穂でなくても当然だろう。
「動かぬ証拠。――麻穂の遺体を見つける必要がありますね‥」
広い庭の一郭。休息所として宛がわれた離れの一室に荷を降ろすなり口を開いたリーゼの言葉に、反対を唱える者はいない。それが魃との約束であり、また、全ての謎を解く鍵でもあった。
知らぬ存ぜぬを貫く者の気を挫くには、動かぬ証拠を突きつけるのが1番である。――家長であるとはいえ、婿養子として家に上がった身。主家に仇なす行いは、いかなる理由があっても死刑と決まっていた。相手にしても、ここで折れれば後がない。
「しかし、見つけると言ってもな――」
拙者はこの手の謎解きは、どうにも苦手で。
面目ないと頭を掻いて、石動は吐息をひとつ。月道の向こうで《でびる》とかいう怪物を追い回していた時の方が、ある意味では楽だった。
「これまでの経緯から、麻穂の亡骸は間違いなく村の中にあると見ていいだろう」
村人から聞き込んだ話。この目で確かめたコト。そうして集めた幾つもの切片の中から、天風誠志郎(ea8191)は正しい道筋を選び出していく。
村の中、そして、村人たちの目に触れる心配のないところ。
「おそらく、屋敷の中だ」
確信を持って断言した天風の意見に、鷹見仁(ea0204)も同意した。
「件のご当主殿も後添い殿もさほど剛毅な人物ではないと聞く。見つかる危険を侵して、わざわざ外に隠しに行くとは考え難いからな」
「んだども。前ぇに屋敷ん中さ入ぇった時。オラたちもあらかた探しただよ」
前回、怪しいと思われる場所は、すべて探した。
農耕神の社も、灌漑池だけでなく、屋敷の蔵に床下、天井裏まで。――普通なら目の届かないところまで、魔法を使って探っている。
残っているのは、もういくらもない。
「お蔵ん中にも怪しいモンは――」
ちらり、と。
母屋を挟んで正面に見える白壁の土蔵に目を向けた志乃の目線が、ある一点で停止した。枯れて色褪せた庭の真ん中で、その周辺だけがくすんだ緑を保っている。
「‥‥‥‥」
「どうした、難しい顔をして。どこか心当たりでも思いついたのか?」
不意に黙り込んだ志乃に気付いて、石動は僅かに顎を引く。志乃の視線を追いかけて、リーゼもまた、天啓を得たように首肯した。
「そういえば。敷地の他の場所は探したけど、あそこだけは誰も触らなかったね」
村が日照りに襲われたワケ、
何故、魃(ひでりがみ)でなければ、ならなかったのか‥‥
気付いてしまいさえすれば、口惜しいほど簡単に。――いくつもあったはずの疑問がわだかまりなく氷解する。
●瓢箪池
何処もかしこも乾ききった世界の中で。
そこだけがどこか異質に見えたのは、おそらく見る者の認識が変わったせいだろう。
濁った水の中で懸命に生きようとする鯉にさえ、憐憫より、もっとおぞましいモノを眺めるような気持ちを抱くのも同じ理由だ。
庭先の瓢箪池をさらいたい。そう切り出した冒険者たちに、当主夫妻は目に見えて青ざめた。
「‥‥それでは‥その‥‥皆様はあそこ‥‥あの池に、母が沈められていると仰るのですか‥?」
父親と冒険者たちの顔を交互に見比べ、そっと瓢箪池に目を向けた夏穂の顔もまた同様を隠せない。毎日のように眺めていたその場所に、亡骸――それも、母親の遺体が静められていたと知らされれば夏穂でなくても言葉に窮する。
「はい」
「馬鹿馬鹿しい」
それでもまっすぐに夏穂を見詰めて頷いたリーゼの言葉を遮り、当主は落ち着きなく周囲へ視線を彷徨わせた。
「何を根拠にそのような世迷言を――」
「世迷言かどうかは、池をさらってみれば判ること。死者から聞き出す術で調べる前に、自供すれば、情けもかけられますが‥‥」
突き放した黒畑の言は、実は半分はったりである。
死した者に生前の記憶を問う術は確かに存在するが、残念ながらその術を施行できる者は不在であった。――もとより、対象が腐乱した亡骸では発動しない術であるので、半年以上も水中にあり、おそらく白骨化しているであろう麻穂の遺体ではこちらの意味でも難しい。
「な――ッ!?」
思わず身を浮かせた当主の鼻先を、風がかすめる。刹那、
閃いた白刃は、ぴたりと男の喉元に突きつけられ、寄り添った後添いが小さな悲鳴を上げて顔を覆った。
「‥‥悪いが。大人しくしていてもらおうか」
寸分の揺らぎもなく押し当てられた刃から迸る風斬の強い殺意に叛意を折られ、男はへなへなとその場にくずおれる。
「よろしいですね?」
夏穂に向けられた黒畑の言葉も、既に同意の確認に過ぎなかった。
風斬と鷹見のふたりを座敷に残し、ゆっくりと縁先から庭へと降りてくる僧衣を纏った黒畑に、瓢箪池を囲むように立っていた志乃と石動、天風の三人は顔を見合わせ、それからまた濁った水面へと視線を向ける。
怪しげな祈祷師や陰陽師に縋ってまで、雨を乞わねばならなかった理由。
池に水を入れたのも、鯉の為ではなかったのかもしれない。――そして、成仏できずに彷徨う魂が魃を呼んだ理由も。
「‥‥なァ鯉よ、お前ぇら何喰っとっただ‥?」
水口を開いたことで目に見えて減っていく水中でのたうつ緋鯉を横目で眺め、志乃はやりきれない思いを吐息に乗せる。
池に枝を張り出すように体裁を整えられた五葉松と、石灯篭の間。目の届き難い淀みの辺りに、重石をつけて沈められた人間の白骨が姿を現すのは程なくのことだった。
■□
張り詰めた糸がいっそう強く。
仏の加護を祈り白光に包まれた黒畑の研ぎ澄ました感覚が歪みを感知した。――かつて人間であったもの、だが、今は‥‥
「ッ!? 来ますッ!!」
何もない空間にぽつりと浮かんだシミのような小さな翳は、黒川が発した警告と同時に膨れ上がり、周囲にあふれ出した憎悪が満ちる。誰の目にもはっきりと人の姿となった翳は、あたりを確かめるようにゆらりと揺らめき‥‥疾った。
「「きゃああっ?!」」
座敷で立ちすくんだ男をめがけ一直線に放たれた憎しみ。突き刺すような恨みの牙を、その軌道の上に身体を割り込ませた鷹見の剣が受け止める。
剣戟ではない。
耳を覆いたくなるような絶叫が、大気を震撼させた。
●泡沫
熱はとおに冷めてしまっていたけれど――
夫と下働きの女の関係を知った麻穂は、激怒したのだという。
元々が勝気で自尊心の高い性質であったし、日吉家の一人娘として我儘放題に育った傲慢な女性は、己の非を省みることもなかった。
ふたりを追い出すだけでは我慢できず‥‥あるいは、まだ未練があったのだろうか‥‥ともかく、逢引の現場に乗り込んでの修羅場。逆上して掴みかかった麻穂ともみ合いになり、気がつくと首を絞めていた。
はずみでもあり。また、日頃、蔑まれて鬱積していたものが一気に噴出したのかもしれない。
「‥‥こっそりと逃がすという手段がないワケでもないんだが‥」
何事もなく穏便にコトを済ませようと望むのならば。
言い出した鷹見でさえも、それは単なる気休め程度の提案にすぎなくて。――冒険者たちの心は、既に決まっていた。
――罪は罪であり、大小はない。
風斬の言葉のとおりだ。
「どうすっかは夏穂さぁ決めるこったけんど、お裁きを受けさせるのが筋っつぅモンだし、でなきゃ麻穂さぁも浮かばれねェ。――夏穂さぁが辛ければオラ達がつれてくべか?」
志乃の言葉に、夏穂はただ俯いて唇を噛む。
殺されたのは母親で、殺したのは父親だった。その上、村の行く末までもがその肩にのしかかってくる。――上からの言に従う事に慣れた村人たちは、突然、放り出されても路頭に迷うだけだ。
「どんな決断を下して、村人からなんと言われようとも覚えておいてほしい。それが長というモノの仕事なのだと」
しっかりと夏穂の手を握り締めて、リーゼは優しく諭すように言葉を刻む。今、リーゼにできるのは、こうやって力づけてやることだけだから。
「いろいろたまったら呼びなさい。酒の相手と話相手くらい付き合ってあげる」
頑張って、と。
そう囁くリーゼの背中を眺め、志乃はふと思いだしたように顔をあげて庭を眺める。どこかの大名家の庭を模したと言われる立派な庭園。雨が降って緑が戻れば、元のようになるのだろうか。
「‥‥オラがいつかお姫さまンなって婿取る時ァ、絶対ぇ顔だけじゃ決めねぇだよ‥」
「いや、まあ。顔もそこそこ大事だと――」
危な絵を描く身としては、やはり‥‥こう、いろいろと‥‥
志乃の呟きに視線を泳がせた鷹見の正直な言葉に張り詰めていた糸が途切れ、小さな笑みが漣のように広がった。ぎこちなくはあったけれども、ほんの少し心がほぐれる。
村に、恵みの雨が降ったという報が《ぎるど》に届けられたのは、それから程なくのことだった。