●リプレイ本文
水路にかかる橋のたもとに奇妙な屋台が立っている。
足のある幽霊に頭を悩ませる町屋の衆は、新たに広まった胡乱な噂に眉をしかめた。
雲水姿の大男が引くこの屋台。一見、何の変哲もない夜鳴き蕎麦だが、丑三つ(午前二時)頃まで明かりがついている。夜っぴて店を開けているのに、翌日の昼前にはもう商いを始めているというから働き者だ。――そのくせ、いつ立ち寄っても準備中。屋台で蕎麦を食ったという者はひとりもいない。
なんとか粘って一枚でもと意気込むも、三十前と思われる商い主の人当たりの良い笑顔に煙に撒かれる。
しかも、去り際に、声をひそめて奇妙な噂を耳打ちされるらしい。
幽霊が出る―と、言うのだ。
それも、“辻斬り”の幽霊が‥‥
●柳の下の七不思議
路地の端に姿を見せた数人の人影に、川面に涼しげな姿を映す柳の下に花を手向けていた不知火八雲(ea2838)は、内心でほくそ笑んだ。
着流しや長半纏といった明らかに風体のよろしくない男たちは、神妙に手を合わせる不知火の様子を興味深げに眺め、何やら囁き交わす。――暫くそうして不知火の様子を伺い、やがてひとりふたりと近づいて彼の手元を覗き込んできた。
「‥‥阿仁さん、いったいここで何を拝んでいなさるんで?」
うつむいたまま胸の裡でゆっくりとみっつ数えて、不知火は物憂げに顔を上げる。立っていたのは、この界隈の者たちか。みな、まだ若い。最年長の者でも不知火と同世代であるようだ。
「ここで知り合いが辻斬りにあったんだ」
どこか陰鬱な声色に悪童たちは、なんとも妙な表情で互いの顔を見合わせる。辻斬りの噂はともかく、ここら辺りにホトケが上がったという話はついぞ聞いたことがないのだが。
「‥‥‥辻斬りねぇ‥‥」
眉唾だと指先で顎を掻いて首をかしげたひとりに、誰かがふと思いついたように鼻を鳴らした。
「そういえば、流しの蕎麦屋がそんな話をしてたって話だが――」
「ああ、“売らずの夜鳴き蕎麦”‥‥」
苦笑のような曖昧な表情を浮かべて肩をすくめる。幽霊騒ぎに意外な尾鰭が付いたと当惑しているのかもしれない。――夜鳴き蕎麦屋に扮した六道寺鋼丸(ea2794)が市井に流した噂は、順調に広まっているようだ。
「ところで、アニキたちはここいらの事情には詳しいんで?」
おうよと応じた男たちに、不知火はおおとワザとらしい感嘆をあげてがばと地面に両手を付く。
「俺、以前からアニキたちに憧れてたんだよ。仲間に入れてもらえないだろうか?」
思いっきり下手に出てぺこぺこと頭をさげる不知火に、彼らは少しばかり驚いたように顔を見合わせた。が、持ち上げられて、悪い気はしないのだろう。もったいぶって薄笑いを浮かべているが、答えはもう決まっているようだ。
できるだけ頭を低く彼らに覗き込まれないように顔を伏せ、不知火は僅かに唇の端を歪めて笑う。
その様子を塀の翳から眺めやり、天薙綾女(ea4364)と紫上久遠(ea2841)は互いに目配せを交わしてうなずきあった。
つかみは上々、といったところか。これからが、不知火の忍びとしての器量が問われるところだ。
●白昼の‥‥
「みゃあこね、白くてふわふわしたにゃんこをおっかけてきたの〜☆」
「‥‥え〜、白いにゃんこですかぁ。この辺りじゃ、見かけてないですよぉ♪」
燎狩都胡(ea4599)の説明に番茶を運んできたお茶汲み娘は、はぁいと可愛らしく手を挙げてのんびりと笑う。鷹揚な仕草や少し間延びした口調が可愛らしいと思えないこともないが、暑さと一緒に頭の中身も溶けそうだ。
担いでいれば呪文を唱えることもままならない重い装備を肩から下ろしてやれやれと手足を伸ばす燎狩にお代わりを差し出し、娘は隣で自棄気味に団子を頬張る栄神望霄(ea0912)に視線を向ける。
「お客さんも、白いにゃんこを探していらっしゃるんですかぁ?」
「いえ、俺が探しているのは幽霊なんですけどね。――尤も、中身は幽霊を騙る人間ですが」
ようやく話し相手を得てなめらかな口調で喋り始めた栄神に、茶屋娘は感心したようにへぇと眸を丸くした。
「足のある幽霊ですかぁ」
「仏閣の裏手で蛮行を働くだなんて‥‥不届き者もいたもんですね」
自称・腐っても僧侶――剃髪もせず、女物の着物を着用するという悪くすれば破戒行為と択られかねない常軌を逸した己の風体を省みず、ご立腹であるらしい。
話を聞こうと声をかける町衆が視線をそらして逃げていくのは、この格好のせいなのだけれど。六尺に近い比較的長身の部類に入る男性が女のなりをしているのは、やはり少しばかり奇異に思われるのだろう。――話ができれば何かしら聞き出す自信のあった栄神だったが、まず視線を合わせてもらえない。
冒険者と呼ばれる人々の様相が奇天烈なのはそれほど珍しいことではないが、だからと言って、町衆が寛容になってくれるかと言えばそうでもない。
触らぬ神に祟りなし。あるいは、君子危うきに近寄らず。――得体の知れないモノには最初から近づかないのが一般的な処世術である。
そんなわけで。栄神のありがたい話に耳を傾けたのは、愛想と愛嬌は人一倍だが少しばかり世間ずれしたこの茶屋娘と、白くてふわふわしたものを追って迷い込んだ燎狩のふたりが最初だった。
ひとしきり栄神の話にあいあいと調子よく頷いて、茶屋娘は少し考えるように頬に手を添えて首をかしげる。
「お探しの人かどうかはわかりませんけどぉ」
そう前置いて、茶汲み娘がふたりに教えてくれたのは、界隈に住む悪童たちの名前であった。彼らが悪さを働いているのは、別に秘密でもなんでもないらしい。顔見知りや隣組といった意外に近しい存在であるため、お上に訴え大事にしたくないというだけで――。
彼らの行動はいかにも若者らしく突発的にして、衝動的。特に最近はカモにされる町衆が夜更けに出歩くのを避けたコトもあり、ますます行動が読みにくくなっているという。
「根は悪い人じゃないんですけどぉ‥‥」
ちょっと、お痛が過ぎるって言うかぁ。そう言って、茶屋娘はその可愛らしい顔に曖昧な笑みを浮かべて肩をすくめる。
●狐と狸の化かし合い
草木も眠る丑三つ時――
‥‥には、まだ少しばかり早い夜四つ。
江戸の賑やかな界隈はまだいくらか灯もあろうが、この辺りは既に通りを過ぎる人もなく、ひっそりと深い闇に包まれていた。
晦日が近く月も細い。
わずかな月明かりに浮かぶ柳の並木と水路から吹き寄せる生ぬるい風。薄い板塀の向こうは寺の境内とくれば、確かに何か出そうな雰囲気である。
橋のたもとに屋台を引き出した六道寺の夜鳴き蕎麦屋に、人影がふたつ。もちろん、幽霊ではない。
「首尾は?」
「悪くないですよ」
洗いざらした着流しにざんばら頭。辻斬りの幽霊こと紫上の問いに、六道寺はにこりと笑んだ。
「綾女さんのお話しだと、奴等の懐に入り込んだ不知火さんがいろいろ煽ってくれているみたいです」
肝試しと称して、悪さの過ぎる悪道たちを懲らしめてやってほしい。そんな依頼に百戦錬磨の冒険者たちが立てた作戦は――
まず、界隈に“辻斬りの幽霊”がでるという噂を流す。これは夜鳴き蕎麦屋に紛した六道寺と、悪童たちの仲間に入り込んだ不知火が主に引き受けた。
噂が浸透した頃合を見て不知火が彼らを夜道に誘い、幽霊に化けて脅かし返してやる算段である。
悪いと言っても地の者であり、また前途ある若者のことでもあった。あまり手荒なことをして欲しくないというのが、依頼主の意向であったが‥‥。骨の2、3本は構わないという天薙を初め、こちらもみなさん血気盛んでいらっしゃる。
懐から取り出した笛を手に、天薙は暗い夜道を伺う。
どちらの噂のせいなのか、分厚い闇の向こうに人の気配はほとんどない。――魔法の効果範囲で感じられる気配は大きくふたつ。天薙の後方で動かないのが、紫上と六道寺。同じ場所を行ったり来たり徘徊しているのは、囮を志願して乗り込んできた栄神と、道に迷ってうっかりどこかに行ってしまわないよう彼を目印に歩く燎狩だ。
「みゃあこね、忍者だから春花の術が使えるん。これで偽の者のゆーれいのひとは、きっと眠ってしまうと思うん」
気をつけよう、暗い夜道と暗い人。聞き上手の栄神を相手に、燎狩は身振り手振りを交えて無策なりに一生懸命考えた案を披露する。
案そのものは悪くない。――実際に術が発動するかどうか。が、最大の焦点だ。
「アニキぃ、辻斬りの亡霊探しなんてやめときましょうよう‥‥」
世にも憐れっぽい声を絞り出した不知火の及び腰に、悪童たちは苦笑を零した。どこからか怪談を仕入れてきては大袈裟に怖がって見せる不知火に、面白がっているらしい。
「本当にお前ぇは、意気地がねぇな」
「そんなこと言ったって‥‥て、今、何か聞こえなかったかっ?!」
緊張に声を裏返らせた不知火に合わせ、
ぴろろ〜♪
夜風に気味の悪い笛の音が響く。
「‥‥‥なんだ‥‥?!」
怪訝そうに眸を細めた悪童たちの目の前に、ゆらりと暗い人影が姿を現す――
「で、出たぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
誰何が発せられるより早く、あたりに響き渡る大音声で絶叫した不知火が混乱に火をつけた。
「出た! 出たよっ!! 辻斬りの幽霊があぁぁっ!!!」
落ち着いて考える暇を与えない不知火の大騒ぎに、一気に浮き足立った悪童たちの目の前で、紫上は内心の笑みを噛み殺しすらりと腰の刀を抜いた。
爪月が落とすやさけき光に、白々と冴えた銀刃が冷ややかなきらめきを放つ。
「‥‥‥こいつ‥‥っ」
匕首を抜こうとした男に取り付き、その動きを妨害しつつ不知火は妙に畏まった表情で悪童だちを見回した。
「思い出したよ」
相手が息を呑んだ間合いを図り、
「‥‥‥殺されたのは、俺だ‥‥」
言うなり、隠し持っていた血糊を派手にぶちまける。
「うわぁぁぁぁっ?!!!!」
「あ、待ちなさいっ!」
倒れ込む不知火を突き飛ばして逃げ出した悪童たちに、天薙が笛を奏する手を止めて後を追う。
水路にかかる橋のたもとに置かれた蕎麦屋の屋台。
ぽつりとひとつ置かれた提灯の明かりが、暗澹と滞る暗い水面に寂しく揺れる。
蕎麦をかきこむ客はなく。少しばかり手持ち無沙汰に仕込みをしていた雲水姿の商い主は、こけまろびつつ慌てふためいて駆けてきた男たちにのんびりと声をかけた。
「どうしました? そんなに慌てて‥‥」
明かりを避けるように、少しばかり俯き加減で。提灯の火に少しばかり安堵したのか悪童たちは足を止め、荒い呼吸を整える。
「どうしたって‥‥出たんだよ、辻斬りの幽霊がっ!!」
辻斬りの幽霊と言うべきか、辻斬りに殺された被害者の幽霊が‥‥と、言うべきか。ともかく、出たのだ。口々に被害を訴える男たちに、蕎麦屋の主はさして慌てる風もなく悠然とネギを刻む手を止める。
そして――
「‥‥‥それは‥‥こんなのでしたか?」
そう言って、ひょいと彼らに向けらたその顔は――
寺裏には幽霊が出るという。
嘘か、真か。少なくとも、界隈の町衆は夜の寺裏には近づかない。
=おわり=