春を捜して
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:フリーlv
難易度:普通
成功報酬:0 G 65 C
参加人数:6人
サポート参加人数:3人
冒険期間:03月16日〜03月21日
リプレイ公開日:2007年03月22日
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●オープニング
――春の匂いがする
畑仕事から戻った巳緒に、早紀は針仕事の手を止めて言った。
暦の上では立春を過ぎていたが、外はまだ冬。冷たい北風が呼び寄せる灰色の雪雲と冬枯れの木立がいかにも侘しく、寒々しい。
畑の土も固く凍て付き、巳緒の力では掘り起こすのも大仕事だ。毎日、早朝から夕刻まで畑に出、それでも他の畑の半分も進んでいないのだから泣きたくなってしまう。――春を感じる余裕なんてどこにもない。
早紀は気楽でいい――
何気なく心に浮かんだ言葉を、巳緒は慌てて飲み込んだ。
ちらり、と。早紀を伺い、その安穏とした笑顔に安堵しながら、どこか後ろめたく巳緒は視線を逸らす。
早紀は目が見えない。
本当に何も見えなくなってしまったのは、この数ヶ月ほどのコトだけれども。目が悪いのは生まれつきのものだと医者は言った。――思えば何もないところで転んだり、必要以上に暗がりを怖がったりしたのは、そのせいなのかもしれない。
それで、両親は早紀が外に出るのを禁じたのだ。ふたりで相談したのか、まだ健在だった祖母の命だったのか……あるいは、村の長老の言だったのかは、判らないけれども。ともかく、もう10年近く早紀はこの古い家の中だけで暮らしている。
掃除をしたり、繕いをしたり。何もすることのない時は、日当たりのいい縁に、ぼんやりと座っているかだ。雪と氷に閉ざされた寒気の何か目に見えない陰鬱な力で強く押し込められているかのような冬の間、早紀が何を考えて刻を過ごしているのか、巳緒にはわからない。――実際、そんな余裕もないのだけれども。
早紀は外に行きたいのかしらと、思う。
だから、まだどこにもない春の気配を探すのだ。
■□
「――春を捜して欲しいのだそうです」
春を感じさせるものということですかねぇ、と。
大福帳を開いた《ぎるど》の手代は、ぽりぽりと筆の軸で頬をひっ掻きながら首をかしげる。
江戸から少しばかり足を伸ばした寒村に暮らす娘に、春を届けてほしい。これだけなら駆け出しの冒険者にもさほど労無くこなせる仕事だ。
ただ‥、と。
書付を読み進め、手代はわずかに眉をひそめる。
「ただ――少しばかり気に留めていただきたい点があるようです」
そう言って、手代はちらりと《ぎるど》の墨に飾られた唐壷に目を向けた。鮮やかな彩色が美しい陶器には紅梅が挿され、周囲に清冽な芳香を投げかけている。
「依頼のお嬢さんは、どうやら目がお悪いらしい‥‥」
つまりそれは、色彩による伝達ができないということで――
とおく異国の事物まで具に見聞できる江戸とは違い、冬に閉ざされた片田舎のこと。‥‥舶来の知識もほとんどないであろうから、行って捜すしかないのだけれど。
どうしたものかと思案気に眉を寄せ、手代は大福帳の向こうから上目遣いに冒険者たちを伺った。
●リプレイ本文
この国の大地は、南北に長い――
うつろう四季を手繰るように街道を往来する度、鑪純直(ea7179)は己が生まれた祖国を認識する。
仰ぎ見る月の満ち欠けは同じ暦を刻むのに、片や春分を前に早くも蕾を膨らませた花の開花にそぞろ気を揉んでいるかと思えば、ある所では未だ白く凍てた雪の下にじっと押し込められていた。――その変化さえ年毎に異なり、行過ぎる神の些細な気紛れに左右されているかのように思えて、一喜一憂する人々の姿が鑪などにはひどく面映いこともあるのだけれど。
既に人智を越えた次元の話ではあるものの―持って生まれた生真面目な気性ゆえ―やはり忸怩たる想いを噛み締めながらもの思いに沈む鑪が歩く川沿いの堤は、枯れ色の中に所々、淡く萌黄が彩を添え始めている。
今はまだ白の勝った銀緑に近づく春を垣間見、鑪はまた憂いの息を吐き出した。――和みの季節も、時にはこうして人を悩ませる。
その大川に沿って築かれた土手の上で、友人たちと若菜を摘んでいたアウレリア・リュジィス(eb0573)も、作業の手を止めて空を仰いだ。
白く雲を吹き流した蒼穹は琥珀玉のような太陽を天頂に抱いて淡い光を湛え、時折、黒く北を目指す飛影を浮かべる。大気はいくらか温んでいたが、堤防を吹き上げる川風は身を切るように冷たい。――生国の、いっそ衝撃的なまでに鮮やかな陰影を想えば、まだ頼りないくらいだけれども、それがこの国の色だということを彼女はもう学んでいた。
「こんなものかなぁ‥」
手籠に集めた若草の量を測るように目を細め、アウレリアは傍らにいた逢利笛舞とウォル・レヴィンのふたりにも声をかける。このふたりが、旅立ちの時間に追われるアウレリアを手伝ってくれたのだった。その友情の結実である若葉をしっかりと包んで荷物にしまうと、アウレリアは旅草履の紐を締めなおす。――韋駄天の草履があれば、多少の遅れは取り戻せるはずだ。
「それじゃあ、行ってくるね」
気をつけて、と道中の無事を言祝ぐ友の声にひらりと手を振り、春の運び手は軽やかに歩きはじめる。
啓蟄を過ぎ、やわら動き始める春の息吹は、もちろんひとつ、ふたつではなくて。しっかりと身体に巻きつけた防寒着の下で俯き加減に先を急いでいた旅人たちの心にも、茶屋の縁台に腰を落ちつけ団子を頬張る余裕をも吹き込んだ。
「――花より団子てぇ言葉もあるしな」
お姫様たらんと志す者としては、団子より花を選んで欲しいところだけれども。毛氈を敷いた縁台に腰掛けて、宙に浮いた脚をぷらぷらと前後に揺らしながらお茶汲み娘が運んできた彼岸の牡丹餅に舌鼓を打つ田之上志乃(ea3044)の言に、お相伴する御神楽紅水(ea0009)も笑顔を返えす。
「江戸を出るのも久しぶりだし。――こっちはこっちで、頑張らないとね」
何か春めいたものを。何気なく、あるいは漠然と肌で感じる季節の変化をはっきりとした形に置き換えるのは意外に難しいのかもしれない。
野の花が開くにはまだいくらか早いのか、路傍や街道に沿って広がる田園には冬の色が強かった。
それでも時折、目に付く緑に脚を止め‥‥春の七草、遅咲きの梅の花などを探してはふたりして何やかやと言いあいながら、いつもより時間をかけて街道を歩く。
「すぐお彼岸だら。こんめぇ頃は、ぼた餅さこさえてもらえるのが待ちどおしくて、こん時期さくると毎晩お月さんさ見上げとっただよ」
そんな懐かしい思い出も一緒に掘り起こして、志乃は品書きの最後にまだ新しい字で添えられた牡丹餅をどっさり買い込み、田吾作の荷に括りつけたのだった。
●山間の春
峻険な山に深く刻み込まれた谷底の狭い集落は、確かに春の遅い場所だった。
さほど時間を割かれることなく小さな村をひと回りした瀬崎鐶(ec0097)は、手ごわいなと苦笑混じりに嘆息する。
「‥‥中々見つからないもの、だね」
それはもちろん、覚悟していたのだけれど。
周囲を囲む山の陰になり、夜が明けてもなかなか陽が射し込まない。陽が射さぬから、空気も土も温まらず、いつまでも冷たいままだ。昼間でもどこか薄暗く、そのせいか村の雰囲気も塞ぎがちに思われる。――屋外でもその有様だから、急勾配の萱葺屋根を持つ古い農家の中はいっそう暗い。
その暗い部屋の中で、灯りも点けずぽつねんと座している娘を見たときは、正直、どきりとした。
寒々と暗い土間から訪問を告げるには少しばかり勇気が要ったが、鐶の声に振り返った娘に言葉を掛けるのも同じように思い切りが必要だった。視線を合わせて意を測ることのできない相手と話すのは、意外に落ち着かない。どちらかといえば寡黙で、相手をうかがう癖のある鐶にとっては尚更で。
そういう依頼人であると聞いていたのだけれど、実際に出会ってみないことには体感できない類のものもある。――《ぎるど》の依頼はあまり社交的とはいえない鐶に様々な人と出会う機会を与えてくれる場所だった。
「‥‥初めましてだね」
初めて会う人への挨拶は、必須だと思う。
儀式のようなものだが、よい意味で緊張する瞬間だ。――ひとつ前へ踏み出す勇気のようなものを与えてくれるようで大事にしている。
「瀬崎だよ、よろしく」
依頼を通して人と向き合う気構えと、託されたものの重さを胸に刻んで。鐶は、いつもその想いを遂げると約束するのだ。
山を登れば、陽の当たる場所もあるだろう。もう少し捜索範囲を広げてみようと思い立って、鐶は周囲を見回した。――この辺りの野山を遊び場にしている子供たちなら、あるいはもう花の咲いている場所を知っているかもしれない。
●春を捜して
小さな手桶を借り受けた鐶が閑地で遊んでいた子供たちに声を掛けた頃、土起こしの進む田畑の畦でも賑やかな声が弾ける。
「あ、こら、権兵衛! 人様の畑さ勝手に掘るでねぇ! ――捜しとるのはばっけ(蕗の薹)だら、モグラでねぇ!!」
畦に残った雪を割る鑪の真似をして湿った土を掻く愛犬に、呆れ声を上げた志乃の手にも掘り返した土の匂いが染みていた。
雪の下で顔を出す蕗の薹は、志乃の郷里でも最初に食卓に並ぶ春の味だ。独特の香りとほろ苦い味わいは志乃だけでなく、紅水と鑪、そして、異郷の旅人であるアウレリアも、春を感じる食材として思い浮かべている。
「土筆も探して、ばっけ味噌とおひたしにすりゃ、ちぃと苦ェけんど美味ぇだよぉ」
うっとりと幸せそうに相好を崩した志乃の笑顔に、鑪は板前を生業とする知人アグワンツェ・バルズィンから伝授された秘伝のレシピを脳裏に想い描いた。
山菜を料理するコツは、まずしっかりとアクを抜く。そして、シャキシャキした歯ごたえと、特集の苦味と香りを残すコトだった。――そうして下処理がきちんとできていれば、後は天麩羅にしても、おひたしにしても、味噌と合えても。ご飯にもお酒にもよく合う一皿は、春の食卓には欠かせない。
志乃でなくても、なにやらお腹が空いてくる。
村の影から姿を見せたアウレリアの明るい声は、ほのかな苦笑を落とした鑪の思考を遮って彼らを呼んだ。
「みんなー! お米が蒸しあがったよー!!」
牡丹餅は、たくさん持ってきたけど。
摘みたての蓬をたっぷり混ぜてついたお餅も、また香り高い春の味。――蒸したお米をみんなで突いて、みんな丸めて。笑顔の行き交うその共同作業こそ、最大の調味料なのだとアウレリアは密かに思う。
少しくらい肌寒くても、忙しく身体を動かしていればいつのまにかぽかぽかよい汗をかいているものだ。――そんな風に、気温の変化を肌で感じるのも春の楽しみ方なのだから。
どこかで聞こえる小鳥の声に、紅水は空を見上げる。
春を感じて北へ帰る鳥がいるように、去り行く冬を追いかけて海を渡ってくる鳥もいた。季節の先触れとして姿をみせる鳥の名前は、春を言祝ぐ歌の中にも詠み込まれている。
花と鳥は共に謳われることが多いから‥‥花を探しに山へ登った仲間を迎えに行く時に、一緒に探してみるのも悪くない。
●雪溶けの風
身を案じて出さぬのか、
人の目を避ける為に隠すのか――きっとどちらも真実だろう。
小さな村の中でのコトだ。
早紀を知らない者はいないし、早紀に他の者と異なるところがある娘であるコトは子供でも知っていた。それでも、敢えてその存在を詳らかにしないのは、複雑かつ奇妙な思惑がいろいろと絡み合った結果だろう。
どう頑張っても野良仕事には向いていない劣等感から目を逸らそうとする体面と、
その風当たりを直接、早紀の耳に入れまいとする思いやり。――小さく狭い閉鎖的な世界だからこそ難しい。
「外へ行こう!」
と、誘うアウレリアや志乃の純粋な好意をそのまま実行に移すには、解決しなければいけない課題が多く、そして、彼らには全てを円満に導くための時間もなかった。
薄暗い納屋を見回して、アウレリアは小さな吐息を落とす。
目の前には鑪が友より預かったレシピどおりに腕を振るった料理の皿が並び、テーブルの真ん中には鐶が山より見つけ出した山桃の花が馥郁と清涼な香りを振りまいている。
若い目を殺さぬようにと細心の注意を払って両断された桃の枝には、小さな竹籠が下げられ、鶯色の小さな野の鳥が入れられていた。
たっぷりの餡に包まれた牡丹餅も、美しい翡翠色をした蓬餅も――雪の下で見つけた蕗の薹、竹薮を掘って見つけた筍も、ちゃんと揃っている。
宴席は万全。
あとひとつ、たりないものは‥‥
「――本当に何にも無い時の最終手段だと思ってたんだけど‥」
仕方がないわ、と呟いて。アウレリアは、ひょいと指を動かした。印を結び、呪文を唱える。1度では足りなくて、2度、3度と繰り返される聞きなれない異国の言葉が妙なる調べを歌う唇より紡がれた。
そして――ふと、射した光に驚いて顔をあげると、そこは先刻まで彼らが春を捜して歩いた畑の畔。
一面の桜でも菜の花でもなく、今、あるがままの里の景色。――早紀が見たいのはきっと、この風景だと思うから。
「わぁ‥」
すごい、と。
誰かが洩らした感嘆に、小鳥の声が重なる。月の精霊が紡いだささやかな幻覚は、小さな鳥をも春の野に呼び戻し‥‥そして、宴は幕を開いた。
花の香と、春の味わい。鳥の声、手間と労を掛けた分だけ、心を砕いた冒険者たちもまた癒される。
――喩えその姿は見えなくとも、春はもうすぐそこにあった。