和尚とまごの手
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:1〜5lv
難易度:普通
成功報酬:1 G 35 C
参加人数:4人
サポート参加人数:1人
冒険期間:03月20日〜03月25日
リプレイ公開日:2007年04月01日
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●オープニング
嵐の翌日――
江戸の表、白く泡立つ波頭の向こうに遠く不死の霊峰を眺望する砂浜には、様々な漂流物が打ち上げられた。
流木や海藻の他、貝殻、海獣の骨。時には、昔々、海底に沈んだ交易船が積んでいた華国の壷や調度、武器、果ては船の残骸までもが竜宮の宝物庫より返されて、人々を驚嘆させる。そんな玉石混合の漂着物を拾い集めるのが、海辺に住まう子供たちの仕事であり、楽しみでもあった。
特に海からの強い風が吹いた日は、皆、勇んで浜へと足を向ける。
季節外れの大時化が夜を徹して海を賑わせたその朝も、難破した船の残骸と共に流れ着いたソレを最初に見つけたのは、子供たちだった。
□■
「長〜らく生〜きておりますと〜、な〜にかと頼ま〜れご〜とが増〜えま〜して。わ〜たくし〜は北海の〜よ〜っつの群を預か〜る最長老な〜ので〜ご〜ざいま〜する」
妙に間延びした語調で話す依頼人に、《ぎるど》の手代は胡乱気な視線を向ける。
子供の背丈ほどしかないずんぐりとした身体に明らかに借り物であるらしい墨染の衣を纏い、これまただぶだぶの袈裟を被った一見、修道者風の老人だった。身体つきと同じくまあるい顔に、くるりとよく回る大きな眸がどこか愛嬌のある‥‥実際、胡散臭さの点でいえば、即行でお引取り頂きたい手合いであるのに、このきらきらしたつぶらな眸で見つめられるとどうにも心が落ち着かず、結局、番台に座らせて話を聞く羽目に陥っている。
老爺が持参した紹介状をためすつがめつ何度も文面を改めて、手代は盛大に吐息を落とした。――(手代にとっては)残念なことに、紹介状は内容も裏書も至極まっとうなものであった。
「‥‥つまり、江戸から少しばかり離れていて人目に付きにくい海辺まで、連れて行って欲しい。と、そういうコトですか?」
「さ〜よぅ〜」
こっくりと老爺は首を頷かせる。
ふくふくと二心ない純粋さが僧職の世俗を削ぎ落とした潔癖さに何故かそぐわず、落ち着かない。
「うっかり〜潮に流さ〜れた〜者を〜迎〜えに参〜ったので〜すが〜。わ〜たく〜しの方がうっかり〜興〜行師に捕〜まって〜し〜まいま〜して〜」
上方へ売り飛ばされそうになったのだという。
乗せられた船が運良く(?)大きな時化に巻き込まれ、混乱に乗じて海へと逃れた。近くの浜へ流れ着いたところを心ある者に救われて、今にいたる。
「――何とか故郷へ戻りたいが、興行師の追っ手が厳しくとても江戸の海から旅立つことができない。どうしたものかと困惑していたところ、こちらの噂がお耳に入り頼ってみる気になった‥という次第で?」
「し〜かり〜」
どこのお節介が、と思わないでもないけれど。
困っている者を無碍にもできない。――よくよく聞いていれば端々に不審な点があるのだが、敢えて聞かなかったことにした。
とにかく、この胡散臭い偽和尚を江戸から離れた海岸とやらへ連れて行けばいいのだ。
大方、旅の途中で善くない連中と関わりになってしまったのだろう。追っ手があるとのコトだが、昨今持ち込まれる厄介事ほど大掛かりな暗雲でもないらしい。
暇を持て余している冒険者たちなら、この奇矯な老爺を引き受けてくれるだろう、と。眠たくなるほど安穏とした依頼人の前で、手代はやっつけ仕事で書付を仕上げたのだった。
●リプレイ本文
旅路の良天を願う者は、数あれど――
天に曇りを祈願する者は珍しいかもしれない。
「――大気に踊る数多の小さき水精よ 我が声に応えここに集え 天を覆う雲となり留まり陽を遮りたまえ‥」
印を結び、そのよくとおる声で朗々と水精の力を請うたプリュイ・ネージュ・ヤン(eb1420)は、空の流れに満足げな笑みを浮かべた。
「少々寒いですけど、我慢してくださいね」
見上げる空はプリュイの意図したとおり、灰色の曇に覆われている。――とはいえ時節柄、スッキリしないお天気も多いので、《レインコントロール》の賜物であるのかどうかは微妙なところだ。完璧に使いこなすには、今少し鍛錬が必要だった。
「い〜え〜。老〜いた身〜には〜暑さこ〜そ〜、堪〜えま〜す故〜」
プリュイの女性らしい気遣いに、ふくふくと短い首をゆったりと横に振り杞憂を告げる助六の後ろ姿をじっと見つめて、黒淵緑丸(eb5304)は訝しげに首をかしげた。日本語の話せないルザリア・レイバーン(ec1621)は問題外としても、この癖のある老爺の言葉はよく聞いていても理解り辛い。
それに――
先刻より胸の底に痞える疑問を、黒淵はもういちど腹に呑み込む。それを口に出して良いものであるのかどうか――河童である黒淵がこんなことを言うのもなんだが、取り扱いの難しい問題なのだ。
プリュイの見立てと同じく、黒淵にも助六が悪いモノには思えない。隠しているのなら、気づいていないフリをしてやるのも親切であるような気もするし。いっそのこと思い切り良く、訊ねてみたい好奇心も胸をくすぐる。
「北〜へ連れ〜て〜もらえ〜ると〜は、あ〜りがた〜いこ〜とにご〜ざいま〜す」
ルザリアの提案によりまずは北を目指そうと告げられて、助六はまるい眸をにまりと細めた。一見、奇矯な老爺の、その仕草のひとつひとつが何故か愛らしく心惹かれる。――その立ち振る舞いにふと鼻をつく磯の香も、黒淵の心を揺らした。
春先の潮流にうっかり乗って――
時折、江戸湾に現れる珍客が物見高い江戸の衆を騒がせる。――そんな話を聞いたことがあるような、ないような。
●北帰行
夜陰に乗じて――
これも助六を追う者たちの目を晦ませようとルザリアが献じた策であったが、こちらはきな臭い機運の続く江戸の事情を鑑みると少しばかり危険であった。
先日、源徳公が行った上州討伐の失策によって、諸国を繋ぐ街道は安定を欠いている。――戦乱で田畑を失った農民、戦場で主を失った下侍、腕に拠って名を挙げようと流れ込んだ浪人者など。食い詰めた者が夜盗となって闊歩する夜更けの道は、助六に向けられた追っ手以上に厄介だ。
「‥‥たしか、興行師から逃げ出したっておっしゃいましたよねぇ‥」
「そうだな」
プリュイの呟きを受けて、ルザリアも頷く。――ふたりの間で交わされるのは、ルザリアの故国で使われるゲルマン語だ。
売り飛ばすと言うのだから、悪い連中なのだろうけど‥。プリュイの言わんとするコトを感じ取り、ルザリアもまた思案に沈む。
確かに胡散臭い連中も少なくない。だからと言って、何の変哲もない−多少、奇妙な点はあるけれども−年寄りにわざわざ追っ手を掛けたりするものだろうか?
北の海を目指すというのも、理解らない。
春めいてきたと言っても、北方の国々はまだ寒いだろうに。この国の冬をよく知っているワケではなかったが、北緯の冬の厳しさは身に染みているルザリアだ。
黒淵と並んで話しをしながらほてほてと墨染めの裾をひきずるように歩を進める小柄な後ろ姿に、ふたりは顔を見合わせる。
悪しきモノでないことだけは判るのだけれども。
「ジィさんは北の生まれなんだよね?」
「は〜い〜」
こっくりと頷いた助六を横目で睨み、黒淵もまた想いを巡らせていた。
年は覚えていないと言う。――彼がずいぶんな齢を重ねていることは、見た目にも明らかだった。
北は、と。
今にも泣き出しそうな厚い雲に覆われた空を仰いで、黒淵は思う。
白河の関より北の大地は殊更、謎につつまれた世界であった。――そこには人が住み、国がある。それも、源徳、平尾、藤豊のいわゆる三強と呼ばれる勢力に匹敵するとされる強大な力が。にもかかわらず、その国の姿を正しく伝えるモノは驚くほど少ない。
恐ろしい魔物が跋扈する人外の地であるとさえ言う者もいた。
「‥‥海の近くなのかな?」
かく言う黒淵も、海ではないが水辺の生まれだ。
少しでも確証に近づきたいという黒淵の思いに気づいているのかどうか、助六はふくふくと笑う。
「北〜の海〜にご〜ざいま〜す」
赤ん坊の頃から海に浮かんでいるのだと笑う助六に、黒淵もまた笑みを零した。黒淵の育った河童の郷でも、皆、物心つくよりも先に泳ぎを覚える。
「そっか。俺も泳ぎにはちょっと自信があるんだよね」
そう言って、黒淵は水掻きの付いた手で得意げに鼻をこすった。
悪いモノでないのなら――少なくとも助六個人はどう見ても人に害なす存在には思えない――多少、出自が怪しかろうと差し支えはない。根が楽天的な黒淵は、そう海までの短い旅を愉しむことに決めたのだった。
●追っ手
尾けてくる者たちがある。
ルザリアがそれを報らされたのは、目的の海辺を目前にした宿場町でのことだった。
姿を隠して見守ってくれている者の存在に、ルザリアは密やかな安堵を落とす。――全く姿を見ないので、あるいは‥と不安に思っていたのだけれど。土地感のない場所での援軍は心強い。
吉報と凶報のふたつを持って戻ったルザリアを囲んで、一行は旅路の終わりに思いを馳せた。
「海までは、あと一息というところですわね」
旅籠の仲居に尋ねた海までの道を思い浮かべて、プリュイは思案を巡らせる。
街道を外れ、低い丘陵を越えたところに小さな砂浜があるのだそうだ。――小舟が数隻つけられる程度の広さしかなく、地の者からも忘れられがちなその場所は、助六と別れるには良い場所であるように思えたのだけれども。
旅人の多い街道では、それなりに人の目もある。海岸に向かう為、道を逸れたところで襲ってくるつもりなのかもしれない。
「――どうしましょうか?」
プリュイの問いに、ルザリアと黒淵は顔を見合わせた。
騒然と重なりあった喚声が静寂に身を浸した宿場町の夜を引き裂いたのは、それから間もなくのことだった。
逃げる者の軽い足音に、裏をかかれた者たちの怒声が追いすがる。――早春の夜を騒然と荒立てた。
「――数多の雷光、闇に染まりし空を切裂け、天を焦がし、地を揺るがし力を示せ、舞え我とともに。刹那、天地は我らのもの!」
プリュイの詠唱に応え天を覆った黒雲より放たれた閃光は、大気を震わせる轟音と共に大地に突き刺さる。夜を切り裂いた光の中に剣も持たずに浮びあがった騎士の姿は、あるいは英雄譚の一場面のように見えたかもしれない。
「ここから先は、ご遠慮いただくっ!」
暗がりの中で響いた恫喝はルザリアのものではなく、陰伏した黒淵によるものだ。
よく見ればルザリアは丸腰なのだが、その姿もプリュイの魔法に度肝を抜かれた者たちの目には、十分、恐ろしいものに思われたのだろう。
気迫に押されて尻込みする追っ手の姿を物陰より確認し、プリュイはそっと傍らの助六を促した。
「‥‥さ、今のうちに‥」
●和尚とマゴの手
夜が明ける。
靄のようにその存在を薄めた闇の彼方で弾けた光は、瞬く間に天地を朝の色に染め上げた。
「‥‥海だぁ‥っ!!」
頬に当たる潮風に、黒淵は歓声をあげる。
プリュイの魔法と黒淵の声色で追っ手を攪乱して宿場を抜け出し、夜を徹して歩き続けたその先で。金色の光を受けて輝く波の打ち寄せる砂浜はただ穏やかに、来たるべき者たちを待っていた。
「‥‥海、ですわ‥」
着きましたよ、と。
手を引いて歩き続けた依頼人へと笑顔を転じたプリュイの言葉は、唇から零れ落ちることなく力を無くす。
ルザリアも、黒淵も、ただ唖然と助六を‥‥否、もはやそれを助六と呼んで良いのかも判らなかったけれども‥‥海から吹く冷たい風に細い銀色の鬚を震わせて目を細める生き物を見つめた。
それは川獺や鼬に似ている、と黒淵は思う。黒淵の知るそれらの生き物よりも、ずっと大きくふかふかと暖かそうな毛皮をもっていたけれども。
「――助六‥さん、ですわよね‥?」
プリュイの問いにくるりと向けられた丸い眸は、確かに彼女の知る老爺のものだった。
何か言いたげに鬚をそよがせ、助六(だったもの)は冒険者たちに向かってぺこりと深く頭をさげる。――あるいは、人の姿をしている時にしか言葉を操ることはできないのかもしれない。
「‥‥やはり‥‥アンタは‥齢を重ねて化けられるようになったラッコだったのだな」
ぽつりと落ちた黒淵の感嘆に、それは目を細めた。――肯定にも否定にも釈れる笑みを残して、助六はゆっくりと砂浜を歩いて海へと向かう。
「‥‥私は亀さんじゃないかと思っていたのですけど‥」
感想とも嘆きともつかないプリュイの吐息に、黒淵も釣られて笑んだ。
皆、心のどこかで人ならざるモノではないかと疑っていたのだろう。それが滑稽なようであり、また愛しく微笑ましい。
波打ち際で手を振る冒険者たちをもう1度だけ振り返り、老いたラッコは北の海へと帰えって行ったのだった。