愛はふたりを救えるか? −想いの名残−
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:フリーlv
難易度:普通
成功報酬:0 G 65 C
参加人数:6人
サポート参加人数:5人
冒険期間:04月02日〜04月07日
リプレイ公開日:2007年04月10日
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●オープニング
雛菊は、良くできた嫁だった。
気働きの利く働き者で、料理も上手い。目を見張るような美人ではなかったが、見られないほど酷くもない。――ただひとつを除けば、尚太郎にはもったいないほど良くできた嫁なのである。
ひとつだけ。これを欠点と言ってしまって良いかどうかは、見解の分かれるところであるけれども。敢えて瑕だと言ってしまえば、雛菊は大変な悋気持ち‥‥つまり、妬きもちやきなのだった。
良くできた嫁だと言いながら、何を不埒な――
そう、呆れる方々もいるだろう。お叱りは尤もなのだが、ひとまずは怒りを呑み込んで話の先を聞いてほしい。
当の尚太郎はというと、良くも悪くも朴訥で遊び人にはほど遠い男であった。
寡黙で口数が少ないが、仕事ぶりも多少融通の利かないところはあるけれど真面目で実直、親方の信頼も篤く、仲間たちからも一目置かれる存在である。
その尚太郎のいったい何処に、不安があるのかというと。――話のタネは、今から10年ほど時を遡ったところにあった。
尚太郎と雛菊の住む村は江戸の近郊に星のように点在する農村のひとつで、場所柄、江戸の珍しい事物が人伝に入ってくることがある。
その手の風聞はまず村の庄屋のところへ持ち込まれるのだが、この庄屋の跡取息子‥‥名を塁志といった‥‥というのが、少しばかり風変わりというかアレなところのある子供で、ある時、同じ年頃の子供たちを集めて奇妙な試みを持ちかけたのだ。
「ここに、玉手箱を用意した」
黒漆に金の蒔絵が施された立派な文箱は、いかいかにも高価で。疑うことを知らない子供たちの目には、なるほどそれらしく見えたのだった。
次に塁志は集まった子供たちに短冊を配り、各々、将来の夢や望みをそこに書きつけるように命じたのである。何をするのかと訝る皆に、塁志は得意げに答えた。
「箱に入れて埋めるのさ。――場所は、裏山の1本杉の根本にしよう」
箱を埋めて、10年後に掘り起こすのだという。
大人になった自分達が、子供だった頃を懐かしみ‥‥幼い日の夢を叶え、あるいは、取り戻すために。
塁志の目論みは、とても面白そうな提案に思われて。子供たちは、皆、様々自分の思いを短冊に認めた。
尚太郎もまた、その短冊に幼い夢を描いたひとりであった。
まだ人生の酸いも甘いも知らぬ純真な子供であった彼は、当時抱いていた淡く儚い想いをそのまま、短冊に託したのである。
即ち、
『 ――花ちゃんを嫁にもらう 』
■□
「‥‥拙いじゃないですか‥」
「そりゃあ、もう」
手代の視線に、塁志はすました顔で頷いた。
玉手箱の蓋を開く約束の日まで、あと幾日も残っていない。
まさかそんな昔のことを‥と。薄い唇を引きつらせた手代の前で、塁志はゆるゆると茶をすする。
「だといいのだけど。――なにせ、相手があの雛菊だから‥」
でなければ、わざわざ江戸まで出向いてきたりはしない。
言外にそう言われ、手代は居心地悪く身動ぎをした。――確かに、どんな難題でも受け付けるのが《ぎるど》の方針なのだけれども。
●リプレイ本文
未来は、その人の背後からやってくるものであるという。
ひとたび掛けた糸が何処へ繋がっているのかは、その時になってみなければ明らかにはならず、例え掛け違えていたとしても大きな障りにならないことも多かった。――その発端を蒸し返しさえしなければ‥。
子供たちにとって、未来が光に満ちたものであるのと同様に。しっかりと齢を重ねた者にとっては、過去も又、美しいものだった。
「へー、子供の頃に埋めた玉手箱を大人になってから開けるなんて、なんだかわくわくするね」
そう相好を崩した御神楽紅水(ea0009)は、楽しく振り返ることのできる人生を歩いてきたのだろう。もちろん、中にはありし日の過ちに戦々恐々する者もいた。――尤も、今回の依頼を過ちといって良いものかどうか‥は、かなり微妙なのだけれども。
「それくらいでやきもちを妬くのですか。――尚太郎さんがわたくしの夫と同じ性格だったら、凄いことになっていますね」
ぽつりと呟いた大宗院真莉(ea5979)の夫は、自他共に認める浮気者であった。夫の浮気癖に悩まされ続ける真莉にとっては、この程度、浮気の内にも入らない。‥‥と、言うより、真莉を筆頭に雛菊を除く大多数の者にとっては、単に幼少時の微笑ましい思い出である。
しかしながら、たいへん間の悪いことに。雛菊当人がその大多数に該当しないだろうという点が、今回はとても重要なのだった。
「――尚太郎さんのような方だからこそ、心配なのかもしれませんわね」
謹厳実直、寡黙で朴訥な男だからこそ、一途に想い続けている可能性もある。初恋は美しく、また、いつまでも心の底に残っているものであるらしいから‥‥
思案気に頬に手を当てたフィリッパ・オーギュスト(eb1004)の感想は、真莉にもよく理解できた。――いつもの遊び癖だと頭では判っていても、苛立ちや焦燥が軽くなるわけではない。何も感じなくなったら、寧ろ、終わりであるような気もするのだが。
「夫婦喧嘩なんぞ、権兵衛も喰わねェっつぅに‥」
主人に従って隣を歩く愛犬をちらりと横目に、田之上志乃(ea3044)は大人たちの会話に吐息を落とす。
志乃に言わせれば、玉手箱の中身が明らかになる前に、正直に話して大人しく叱られてしまうのが1番だ。――それがそもそも叱られなければいけないことなのかという疑問が残らないでもないけれど。
昔がどうであっても、尚太郎が嫁にと選んだのは雛菊なのだから、今更、掘り起こしてまで気にするコトではない。
野乃宮霞月が紅水の耳に入れた呟きは、男の詭弁に聞こえなくもないけれど真理であった。
目覚めの刻を待つささやかな秘密は、決して邪な思惑ではない。
純粋で穢れのない、ほのかな夢だ。暴かれることで波風を立てるくらいなら‥‥いっそ明るみに出すことなく葬り去ってしまった方が、皆、幸せなままでいられる。
素直にそう信じられる鑪純直(ea7179)は、年相応に純粋だった。
●思い出は美しい
問題は――
雛菊が、尚太郎の短冊に記された未来への夢をどう受け止めるかに掛かっている。
要するに、雛菊の悋気に触れさえしなければ、内容が明らかになったところで大事には至らない。
「隠した嘘はかならず発覚する物ですので切り出す必要がありますが、馬鹿正直に告白しても問題が起こるだけでしょう」
何しろ、モノは10年も昔の子供の夢だ。
書いた当人でさえ、覚えているかどうかは判らない。塁志がそれを思い出したのも、いよいよ玉手箱を掘り起こすと決めたつい先日のことであるという。
そして、塁志が尚太郎の短冊の内容を知っていたのも、短冊を回収した本人であったことに加えて、あまりにも簡潔であったこと。――そして、もうひとつ‥。
尚太郎はあのとおりの性格だから、たとえ短冊に書いた文句を覚えていても口には出さず、まして小細工を弄しようはずも無い。内情がどうでも、腹を括って受け止めるつもりだったのかもしれないが。
「――覚悟は立派だが、とばっちりを受ける身にもなってもらいたいものだ」
飄々と涼しげな顔つきえ家人が盆に乗せてきた茶を啜り、塁志は軽く肩をすくめた。
雛菊が騒ぎ立てれば、周囲の者たちとてそれを置いて楽しむ気分にはなれないだろう。村を挙げての花見の余興が、興ざめの因となっては目もあてられない。
先手を打って《ぎるど》に依頼を出せたのは、幸運だった。
その言葉に感じ入ったフリをして会釈を返し、フィリッパは軽く口角を歪めて笑みを作る。
「女というのは‥‥私が言うのもなんですが‥現金なところがあります」
月日の流れは、残酷で。10年前、村で1番の器量良しであった娘が、10年後もそのまま若く美しいとは限らない。――むしろ、変わらずにいる者の方が不自然だ。
その変化が雛菊の優越感なり自尊心のどこかを満足させれば‥‥そういう優劣のつけ方はあまり褒められたことではないが‥‥とりあえず、悋気には触れないだろう。
「もちろん。その場合は、悪戯に先方を傷つけぬよう気遣いは必要かと思いますが」
「ははぁ、なるほど‥」
フィリッパの意図を察して、塁志は得心したように頷いた。そして、少し思案する風に視線を細め、あらぬ方へと漂わせたのだった。
■□
「‥‥おめェさんが、お花どんだか?」
ひょっこりと土間に頭を覗かせた志乃に、竃の前で家人を指揮しながら立ち働いていた女は驚いた風に目を見張る。
「あら、まあ。わざわざこんな所へ。――お茶をお持ちした者に言ってくだされば、こちらから伺いましたのに‥」
目鼻立ちの整った綺麗な顔に、人当たりの良さそうな笑みを浮かべた若奥様を前にして、志乃と鑪は無言で顔を見合わせた。
風雲急を告げる嵐の予感にどちらからとなく頷きあって。――ふたりは来訪者と花見の準備におおわらわな庄屋の屋敷をそっと抜け出したのだった。
●不安は君への愛ゆえに
「妻たるは、夫を信じて家を守ることが大切なんですよ。もし、夫が罪科で捕まったりしても、妻だけは夫を信じていなければいけません」
多少、極論であるような気もするが。
唐突な訪問者が諭すように語り始めた内容に、機織の前で家仕事に精を出していた雛菊は目を丸くした。
ひとつ間違えれば、尚太郎になにやら後ろ暗いところがあるのだと覚られかねない情況なのだが、そこは話し上手の本領発揮といったところか。――雛菊が何か言わんとするところを優しく制し、真莉はいっそう心をこめて言葉を紡ぐ。
「見たこと、聞いたことを信じるのではなく、夫の本当の心を信じることが夫婦円満の秘訣です」
そう、浮気のひとつや、ふたつや、みっつや、よっつ‥‥
にっこり笑顔で許してやるくらいの度量が、できた妻には必要なのだ。決して、雪女のような冷たい微笑みと魔法でおしおきをするのではなく――
正真正銘、女と見れば口説かずにおられない遊び人の妻の気苦労に比べれば、少なくとも雛菊の不安は、取り越し苦労でしかないのだから。
慰めるつもりが、慰められて。わが身の憂いに真莉がうっかり溜息をついた頃、それほどまでに妻に想われる果報者の夫の傍では、紅水が切々と妻の不安を代弁していた。
「‥‥だからね。別に尚太郎さんを責めているワケじゃないんだよ」
それは、とおに過ぎさった淡い想い出なのだから。
後ろ暗く思う必要も、それについて、雛菊に謝罪するする道理もない。――変に動揺するから怪しまれるのだ。
「‥‥‥‥」
「ただね。――尚太郎さんにとって、今、1番大切なのは奥さんだってことを、ちゃんと雛菊さんに伝えるのが重要だと思う」
沈黙は、聞く者の心次第で否定にも肯定にもその意味を変える。
不言実行、黙して語らず‥が、日本男児の美徳というけれど。――貝のごとき寡黙もまた、相手を要らぬ不安に陥れるのだから。
確かに、雛菊は他の人より少しばかりやきもち妬きなのかもしれない。けれども、その雛菊の不安を消さずにいっそう煽り立てたのは、他ならぬ尚太郎自身の責任だ。
「‥‥‥‥‥」
そう説いた紅水の苦言と陳情に、尚太郎はただ黙々と作業場で鉋を掛け続ける。いつもより多めの削り屑が、その心情を告げていた。
●想いの名残
ひらり、ひらりと気の早い花びらが舞う。
あるかなしかの微風が薄桃色の花房をそよがせて、ぬるんだ大気にほのかな花の香りを振りまいた。
ほころび始めた山桜に、連翹の紅、雪柳の泡立つような白い花、山吹の眩しい黄色がいっそうの彩りを沿え‥‥間近に迫る田植えの季節に備えて尽力する人々に束の間の安息をもたらした。
「――さて、ここに‥」
宴もたけなわになった頃、
花と並んで上座に着いた塁志は、集まった人々を見回しておもむろに手を叩く。酒に浮かれた無数の視線が見守る中で、鑪がどこかぎこちなく恭しい手つきで一本杉の根元より掘り起こした文箱を差し出しだ。
10年もの間、土の中で時を重ねた文箱は表に施された金の蒔絵も剥げ落ちて、僅かに残った漆の黒が当事の面影を偲ばせる。
今更、思い出してどよめく者。待っていましたと手を叩く者。
それぞれの表情で沸く人々の姿は、確かに10年前‥‥玉手箱に夢を託した子供たちの姿を髣髴とさせて、立ち会う冒険者たちの心にもほのかに切ない懐古を浮かべた。
ひとり、また、ひとりと。
返される短冊に上がる笑声に、桜が舞い落ちる。想いを遂げた者、諦めた者、どれも今となっては、淡い思い出だ。
「――それで、尚太郎の夢は叶ったのか?」
成り行きを見守っていた冒険者たちの間に、小さな緊張が駆け抜ける。こっそりと短冊の墨を滲ませた鑪も、気がつけば碗を掴かむ手に力を込めていた。
「いいや」
嫉妬深い嫁の隣で酒盃を傾けていた寡黙な男は、ごく小さな苦笑を浮かべて眺めていた短冊を雛菊に渡す。
「‥‥夢は、叶わなかった‥‥」
でも、と。
静かに短冊に視線を落とした雛菊にちらりと視線を向けて、尚太郎は屈託ない笑みを吐いたのだった。
「もっと良い嫁をもらった」
ぴゅう――
花曇りの空に高く響いた尻上がりの口笛に、真莉は大仰に肩をすくめる。――あるいは、真莉だけでなく、いらぬ気を揉まされた冒険者たち皆の心の声だったのかもしれない。
「羨ましいです。わたくしがやきもちをやいてしまいそうです」
「でェじょうぶだって。ほら、『女房妬くほど、亭主もてもせず』っつぅんだら」
「うちの夫はモテるんですっ!!」
真莉の抗議に首をすくめて。志乃は、尚太郎の作業場より持ち出した丈夫な箱を高く掲げるた。
「ほれ。また、皆で短冊さ書ぇて10年後に掘り出すだよっ!!」
10年後の咲き誇る花の下で、
また、楽しい夢を見られるよう、想いを込めて――