【華の乱】 波紋
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■ショートシナリオ
担当:津田茜
対応レベル:6〜10lv
難易度:普通
成功報酬:3 G 71 C
参加人数:6人
サポート参加人数:2人
冒険期間:05月08日〜05月13日
リプレイ公開日:2007年05月17日
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●オープニング
「――江戸は万を越す鬼の軍勢とやらの脅威に晒されているそうな」
聞いたか、と。
目を惹く異形に人の悪い笑みを浮かべて語りかけてきた漢のどこか愉しげな調子に、床几に掛けた青年は形の良い眉をしかめた。柔和よりも清廉さに勝る青年武将の、いかにも不快げな表情に、漢はますます楽しげに両の掌をこすり合わせる。
「しかも。その鬼を裏で煽動しているのは我らの策であるともっぱらの噂」
「ばかばかしい」
「まったくな」
ぴしゃり、と。取り付く島もなく切り捨てる冷ややかな反応に、漢は嗤って広い肩をすくめた。
それが鬼であれ、魔であれ。人智の理−ことわり−を大きく越えた世界の住人たちが容易く御せぬ存在であることは、周知の事実だと思っていたが‥‥どうやら、それは誤解であったらしい。
「不穏とは、水のようなものでな。――高から低へ向かって流れる。奥州に住む鬼だからと、律儀に平泉を目指す道理はあるまいよ」
100年の栄華を誇る備え厚き都より、騒乱に次ぐ騒乱でいまひとつ安定を欠く武蔵・上州に入り込む方がずっと容易である。――しかも、冬の厳しい陸奥に比べれば、格段に穏やかで実りも豊かだ。
「自国の不治を他に転嫁して声高に叫んでおれば、己の失策は隠されるというワケだ」
嘲りを込めて口元を歪めた漢の放言に、いくらか皮肉な気分になったのだろう。青年はほんのわずか眸を眇め、細い顎を傾けた。
「不穏に突け入るというのなら、其許の所業こそ人の道に外れよう。京の都では、白河以北は人外の地だと申す者もいる。‥‥鬼の軍とは、暗に我らを指しているのではないか?」
「違いない」
なるほど、と。膝を打ち、漢は愉快げに厚い胸郭を震わせて笑声を吐き出す。棘にも動じぬ豪放磊落な明るさに、笑いを提供した方はそっけなく肩をすくめて天守閣の外へと視線を転じた。
「――とはいえ、単なる噂だと笑ってばかりもいられまい」
現に、江戸から逃げ出しはじめた者がいるという。
今はまだ、騒乱に住む場所や生業を失い江戸に流れ込んだ浮民や、柵を持たない貧しい者がほとんどであるけれど。――江戸にしっかりと根を張って暮らす町人たちにまで不安が及べば、混乱は目に見えていた。
「まずは噂の真偽を質した方がよさそうだ。――そうさな、まずは《ぎるど》を使ってみるというのはどうだ?」
《ぎるど》に属する冒険者たちの中には、源徳家よりも江戸という町に愛着を持つ者も多いらしい。‥‥武家や譜代の旗本たちには信じられないことであるのだが‥‥江戸に暮らす人々の暮らしが掛かっているのであれば、仰ぐ旗の色を頓着しないという者もいるはずだ。
「無論、タダとは言わぬ。――まずは、噂の出所と真偽。とくと見極めてもらおうではないか」
単なる、流言ならそれでよし。
仮に真実であっても、備えていれば早々に手当てもできる。
いかにも彼らしい仔細に拘らぬ提案に、青年は少し呆れた風に漢を見やった。さほど好意的とはいえぬ視線の先で、漢は例によって飄々と人を食った涼しげな顔で開いた窓から吹き込む薫風にたったひとつの目を細めて見せる。
●リプレイ本文
江戸城の主が替わった。
禄を噛む者たちには天地鳴動に匹敵する大災であったが、その他大勢――と、書けば語弊もあるが――直接的な関わりを持たぬ者たちにとって、それは季節の変わり目、吹く風の向きが変わった程度の小さな変化だったかもしれない。
万を越える鬼の軍勢が押し寄せる。
どこから発したのか流行り病のように蔓延した凶報に、始めのうちこそ戦々恐々。浮き足立って慄いていたものの、いっこうにその兆しは訪れず‥‥気がつけば、先日と特に代わり映えのない日常が戻っていた。――日頃、口煩く威張り散らしていた小役人たちが新しい城主の顔色をうかがって静かになった分、なにやら風通しがよくなった気さえする。
とはいえ、このご時世に若く美しい娘をひとりで外に出そうと酔狂なことを考える親はさすがにいるはずもなく。
《ぎるど》あるいは城仕えの者に美人が増えると嬉しい。――なんて、密かな期待を抱いていた陣内晶(ea0648)の思惑は見事に外れてしまったのだけれども。
「日の本を支える巨柱が傾いだ、か。‥‥さて、未来は如何に流転していくのやら」
傍観する者には、泰平よりも弛まず変動する歴史の節目に立ち会うことこそが興味深く面白い。
何者にも縛られず、自らの思う儘生きられるのは冒険者であることの最大の強みだ。――無論、リウ・ガイア(ea5067)ほど達観していられない者もいる。
「確かに市井の不安を取り除く材料にはなるかもしれませんけど。‥‥正直、裏切りで手に入れた軍勢に協力というのは‥」
「私は、伊達政宗公は好きですよ。恰好良いではありませんか♪」
複雑な心境を噛み締めて旅立ちの場に現れた飛麗華(eb2545)の呟きに、ルーフィン・ルクセンベール(eb5668)はけろりと笑う。――旅の仲間が麗華やヨシュア・ウリュウ(eb0272)のような妙齢のお嬢さんであれば、尚更、モチベーションも上がるというものだ。
「――に、しても。政宗様は何を考えているのやら」
破天荒といえば、あまりにも破天荒である。
こうも判り易いと、却って何か裏があるのではないかと勘ぐりたくなるのが人情というものだ。吐息を落とした伊達和正(ea2388)もまた、自ら織り上げた謀略の迷路に迷い込んでしまったひとりであるのかもしれない。
●鬼の軍勢
万を越える鬼の軍勢。
流行り病のように蔓延したその噂は、新田征伐に出陣した源徳軍を襲った数々の衝撃――伊達軍の裏切り、武田・上杉勢の離叛――あるいは、江戸城陥落の報よりも市井を震撼させた。
恐ろしく、狡猾で、残忍な。
人間の理にとって、決して相容れることのできない存在。――その、忌まわしい魔物が大挙して江戸を襲う。
「人同士の戦いの後は、鬼の軍勢か」
混乱時にありがちな流言だが、現実に江戸より逃げ出した者がいるのだから笑えない。伊達和正でなくとも、吐息を落としたくなるというものだ。
万を越す軍勢など、坂東の盟主を自負する源徳氏でさえ容易に動かせる数ではない。
そもそも、それだけの数の鬼がいるのか。
仮にその数を集めたとして。その大半が猿や獣とさして変わらぬ知性しか持たぬ彼らを、ひとつの軍勢として組織し統制し得るコトができるのか‥‥落ち着いて突き詰めれば、矛盾だらけだ。
その糸を裏で束ねているのが奥州の策であるというのだから、上手く出来ている。奥州を人外の地だという者もいるが、なるほどと肯けよう。
笛を吹いたモノは誰なのか。
そして、その奇矯な音色に踊らされた者は、いったい――
●北の噂
北へと続く街道は、賑わいを増しているように思われた。
奥州の勢力下に組み込まれたせいなのか、荷を背負って江戸を目指す商人の姿も多い。――聞けば、陸奥守が治める黄金の都は、千年の安寧と栄華に浴しているのだという。
グラス・ラインの経験から出た進言に従ってその道の途上で、ヨシュア・ウリュウは北へと歩きながら、彼らがもたらす話を聞き集めていた。
「江戸の様子? わたしが聞きたいくらいですよ。どう思うかと言われても‥」
問われた地の者は、困惑したように首をかしげてヨシュアを見やる。
統治者が変われば方策も変わるのだ。鬼が出るか、蛇が出るか。蓋を開けてみなければ判らないといったところか。
己の育った土地に対する愛着というものもある。江戸の近郊で育った者の大半は不安を抱え、奥州−その近隣−の者たちは概ね現状を歓迎しているようでもあった。
「――その噂なら知っていますよ、ええ。そりゃあもう驚いたのなんのって。本当なら、とんでもないことですよ。すぐに逃げなきゃって、慌てて準備したんですけど‥」
街道沿いの茶屋に立ち寄って話を請うたリウ・ガイアに、お茶汲み娘は恐ろしそうに肩を縮める。
本当かしらと逆に訊ねられて、リウはちらりと苦笑を零した。彼女が拾い集めた噂の経緯は、どうやらひとつの形を作り上げつつあった。
「無論、根拠無き流言だ。――それで、その噂を持ってきたのは誰だったか、覚えているだろうか?」
「え? ‥‥誰‥だったかしら‥‥というか、江戸の方から逃げてくる人たちがみんなそう言ってたから、てっきり‥‥あら」
記憶を探るように眉を寄せていた、お茶汲み娘はふと気がついたようにリウを見る。
噂を聞いて江戸から逃げ出した者は数多い。一説には、敗走する源徳氏を追走する軍勢がそれに足止めを喰うほどだったとか。
「でも。どうして、江戸の人たちがそんなこと知ってたのかしら?」
●同心円
「鬼が絡む依頼は多いんですけどねー」
《ぎるど》の貴重なお姉さんと世間話など興じつつ、報告書を漁っていた陣内晶は大仰に吐息を落としてみせた。
演技ではなく、本当に大層な数だったのである。
なにしろ魔物とはいえ、日本のみならず月道の向こうにも当たり前のように存在する生き物なのだ。総じて忌み嫌われているから、退治を請う依頼も必然的に多くなる。――全てが繋がっていれば、確かに万を超える気もするが。
「で、頑張って調べてみたんですけどー。今回の騒動に関わりがありそーなのはですねー」
言いながら、陣内は手元で弄んでいた報告書を差し出した。
たった、ひとつ。
「奥州の鬼が大挙して攻めて来るらしきことを仄めかしているのは、これだけなんですよ。――実際には、仄めかしているだけで明言しているワケじゃないですが。あとはー」
ちらりと視線を向けられて、ヨシュアは刀根要から聞かされた一連の騒動を記録した文章をそこに重ねる。陣内の探し出した報告書と出所は異なっているものの、幅広く分布しているかというとそうでもない。――寧ろ、そちらはそちらでひとつの地域にだけ集中していた。
「なるほど。そういうコトか」
麗華と視線を交わし、苦笑混じりの嘆息を落としたのはルーフィン・ルクセンベールである。ルーフィンと同じ様に噂の出所を尋ねて歩いた伊達和正もまた、聞き歩く途上で同じような手応えを感じていた。
即ち、
江戸に近づくほど、噂を知っている者が多い――
逆に、江戸から離れるほどその噂は希薄になる。
唯一の例外が、那須のあたりになるのだけれど。――あちらは伊達家の姫を人質にと要求し断られている経緯もあるなど、元々、何かと奥州に確執を抱いている土地柄だ。
「‥‥京に酒呑童子という鬼の棟梁がいるように、奥州にも名を知られた鬼の頭がいるんだそうです」
名を、悪路王という。
奥州では著名な鬼らしく、伝承や伝説を尋ねたヨシュアにその名を答えた者も多かった。
「江戸の周辺にもご時世だけに鬼の噂はいくつかありましたけど。軍勢って言うには、ちょっと胡散臭いですね。――今回は、噂に踊らされた、かな‥?」
誰にもわからないように自国の言葉で呟いたルーフィンの悪態を、聞いてしまったリウと陣内は礼儀正しくスルーした。
●陸奥の鬼
「悪路王?」
もたらされた報告に、ふたりの武将は顔を見合わせた。
束の間、沈黙が舞い降りる。――知らぬ名ではなかったが、さすがに江戸で聞くコトになるとは思わなかった。
「なるほど、悪路王か」
先に膝を叩いて破顔した隻眼の漢に、いまひとりはその秀麗な顔をわずかにしかめた。笑い事ではないと言いたげな非難の色に、政宗はそしらぬ顔で表情を改める。
「確かに、奴なら企んでも不思議ではない。――万の軍勢というのは、いかにも眉唾な話だが」
奥州全土の鬼をかき集めれば、あるいは、それくらいの数にはなるかもしれない。
ただし、峻険な山が幾重にも重なり合う広大な土地に散らばって生きる無数の群を、軍勢と呼べるほどに組織するのは、ほとんど不可能であるように思われた。
「――噂が事実なら、奴は我ら以上の器量の持ち主だ。鬼にしておくには惜しい人材‥」
「冗談ではない」
ぴしゃりと撥ねつけられて、政宗は肩をすくめる。
まったく悪びれぬ風情の漢に吐息を落とし、顕家は静かに腰掛けていた床几より立ち上がった。
「今はまだ噂に過ぎぬ。だが、陸奥守様にはその旨ご報告申し上げるとしよう」
単なる流言であると判れば、江戸の民もひとまずは息をつける。――この安寧が続くかどうかは、まだまだ未知数なのだけれども。
「真実、悪路王が出てきた時は――」
「なに。その時は、《ぎるど》に名を挙げたい者を募ればいい」
ちらりと肩越しに投げかけられた問いに、漢はすました顔で答えた。