匂引しの言い分は‥

■ショートシナリオ


担当:津田茜

対応レベル:1〜3lv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:07月30日〜08月09日

リプレイ公開日:2004年08月09日

●オープニング

「通町の藍玉問屋“伊勢屋”の倅、長助と申します」
 板の間にぽっちりと両手をついた少年は、はきはきとそう言って頭を下げた。
 歳の頃は、10才かそこら。いかにも商人の子供でございますといった風情の、仕立ての良いこざっぱりした身なりをしている。
「‥‥ほお、伊勢屋さんの‥‥‥」
 相対した番頭は少し考え、得心したように首を頷かせた。――“越後屋”のように即座に思い出せる大店ではないが、通町の景色を頭に描けばなんとなく思い当たる節もある。間口こそ小さいが、堅実な商いで内証はそれなりに裕福なお店(たな)のひとつだ。その分、家人のしつけもしっかりしているのだろう。運ばれた茶と菓子には目もくれずきちんと畏まって平服している様子など、なかなか利発そうだ。
「そうぺったんこにならなくてもようございますから、頭を上げておくんなさいまし」
 番頭に促されて、少年は顔を上げる。容貌(かおかたち)などは、なかなか子供らしく可愛らしい。初めての場所‥‥あるいは、厳しい冒険者たちが集うギルドの雰囲気に緊張しているのか、少しばかり所作がぎこちないきらいはあるが。――尤も、これはここを訪れる町方のおきまりの反応であり、何もこの子にかぎったことではないので、係りの者も手馴れたものだ。
 まずは一服と茶をすすめ、頃合をみて水を向けてやる。
「‥‥それで、伊勢屋さんは当方に何かご用向きのお困り事でも?」
 何でもないような口調でさらりと問われ、子供は困った風にきゅっと顔を顰めた。どうしたものかと思案しているような表情で眉を寄せ、そして――
「わたくしを匂引していただきたいのです」
「‥‥‥は‥‥?」
 物慣れたはずの番頭が目を剥いた。

□■

「――と、いう次第にございます」
 集められた者たちを前に、番頭は神妙な顔で依頼を述べる。
「長助を匂引して伊勢屋さんより50両ばかり‥‥」
「ちょっと、待て!」
 淡々とした口調に、流石に冒険者たちの間から非難めいた声が上がった。
 匂引し‥‥いわゆる、誘拐はもちろん大罪。捕まれば、間違いなく死罪である。それ以前に、幼い子供を匂引す行為自体に嫌悪を感じる者も少なくない。
 いくら金の為とはいえ、人の道に悖るような行為を推奨するとは――
「まあ、お聞き下さい」
 見損なった。と、席を立とうとする者たちを呼び止め、番頭は安心したようにおおどかな笑みを浮かべて目を細めた。
「みなさまが金に目の色を変える方でないことは存じております。――だからこそ、みなさまにお引き受けいただきたいのです」
 長助から聞き出した仔細によると。
 伊勢屋には店に立ち忙しいお内儀に代わり“つた”という名の子守り女が雇われていたのだが、先日、暇を出されて江戸より2日ばかり離れた郊外の村に帰ってしまったという。
 長助の本当の目的はその子守に会いに行き、そこの子供にしてもらおうという突拍子もないものであった。匂引きを依頼し、引き受けた者たちにつたの元まで送り届けて欲しいとのこと。――子供が忙しい母親より子守りに懐いてしまうというのは、理屈は理解るがどこか切ない。つたが暇を出されたのも、どうもそのあたりに理由があるようだが。
「しかし、どこから匂引しが‥‥」
「それよりも、いきなり押しかけて子供にしてくれと言われても――」
 理解に苦しむ、と。指の先でこめかみを揉みながら問われた、もっともな疑問に番頭はさもありなんと重々しく首を傾ける。
 奉公に上がるということは、つたの家がそれほど裕福でないということだ。
 突然、暇を出されて困っているだろう。そのうえ、養い口が増えるのはどう考えても困窮が目に見えている。――ましてや、それが主人の子供とは‥‥
「そこで、匂引しでございます」
 ことがこのような次第でなければ、なかなか知恵の回る子だと褒めてやりたいところでございますが。と、番頭はやれやれと吐息をひとつ。
 つまり、匂引しを装って伊勢屋より引き出した金の半分をギルドへの報酬とし、残りの半分を持参金にするというのだ。
「‥‥断るだろう、普通」
 呆れたような視線の先で、番頭は得たりとばかり肩をすくめる。
「もちろん、断ることも考えました。しかし、この筋書きを考えたのが長助自身であるところが問題です」
 本人が諦めない限り、彼は匂引しを引き受けてくれる者を捜すに違いない。それとなく通町の界隈を探ってみれば、子供は既に浪人者くずれやその日暮らしの町衆にも声をかけて回っているそうだ。いずれも、相手にされなかったようだが。
「――本物の札付きを引き当てていないだけ、長助は運がようございます」
 番頭の嘆息に、一同もしみじみ頷く。まったくだ。
 話に乗せられた皆を見回し、番頭はずいと膝を乗り出す。
「そこで、みなさまの出番でございます」
 本当に困ったことが起こる前に。なんとか事態を打開して、三方が丸く収まるよう骨を折っていただきたい。
「よろしくお願いいたします」
 事件を未然に防ぐため目を光らせるのも、“ぎるど”のお役目にございますから。そう言って、番頭は丁寧に頭をさげた。

●今回の参加者

 ea0009 御神楽 紅水(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea1956 ニキ・ラージャンヌ(28歳・♂・僧侶・人間・インドゥーラ国)
 ea2175 リーゼ・ヴォルケイトス(38歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 ea2838 不知火 八雲(32歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea3108 ティーゲル・スロウ(38歳・♂・神聖騎士・人間・イギリス王国)
 ea3671 不破 義鷹(34歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea4022 凰禅院 竜穂(28歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 ea4268 ジーン・グラウシス(39歳・♀・レンジャー・人間・イギリス王国)

●リプレイ本文

 通町の中程に店を構える藍玉問屋“伊勢屋”は、活気のある店だった。
 構えこそ小さいが、主人夫婦を筆頭に骨身を惜しまず商いに精を出している様子は、手代や丁稚の良い見本となっているのだろう。――皆がきりきりと忙しく立ち働いている様は、見ていていっそ気持ちが良い。
 凰禅院竜穂(ea4022)が伊勢屋を訪れたのは、午前の客が商談を終え、忙しい中にもようやく落ち着きを取り戻した頃だった。
「以前、つたさんを私のお茶会にお誘いしたときに、忘れ物をなさいまして、それをお届けしたいのですが‥‥」
 茶道家を名乗ってそう切り出した竜穂に、応対に出た番頭は少しばかり奇妙な顔をする。
「‥‥つたと申す者は確かに手前どもの店で働いておりましたが‥‥」
 住み込みの奉公人として追い使われる日々を送る子守女と茶の湯に、接点が見出せなかったようだ。時間的にも経済的にも、少しばかり余裕がない。――これが、いろはの手習いであれば、店が時間を融通してやることも有り得るのだけれど。


●錯綜する糸
 竜穂と番頭が店頭で押し問答をしている頃、不破義鷹(ea3671)とリーゼ・ヴォルケイトス(ea2175)の両名は、奥の座敷でのんびりお茶をいただいていた。――もちろん、挽茶なんて高級なものではなく、普通の番茶である。
 長助が匂引しを頼んで歩いていることは主人の耳にも入っており、困ったものだと憂いていた折の来客。――外聞を憚ることでもあり、知らぬ存ぜぬで空とぼけるワケにもいかない。
「手前どもの目配りが届かぬばかりに、倅がご迷惑を‥‥」
 匂引しに遭いかけた長助を助けたという触れ込みで伊勢屋に乗り込んだふたりに、伊勢屋夫婦は恐縮しきりで平伏した。
 見たところ、これといって特徴のない普通の町衆である。きちんと掃除の行き届いた店内や奥向きの様子など、噂に違わず堅い商いをしているようだ。
「長助からちらりとお聞きしたのですが。‥‥そもそもは、お内儀が子守を辞めさせたのが原因だとか」
 不破の言葉に伊勢屋の主は、少しばかり渋い顔をする。実のところ、不破の目にも、リーゼの目にも、伊勢屋のお内儀が一連の話しから想像するほど悪人には見えなかった。もちろん、粗相をした奉公人に厳しく言い聞かせている姿が全くないわけではないが。
「長助はおつたに懐いておりましたから‥‥」
 そう言って、伊勢屋は苦く笑って吐息を落す。
「店の切り盛りに追われ、あれにはなかなか構ってやれず寂しい思いをさせていたのでしょうが」
 繁盛するのは、ありがたいことだ。――子供にかまけて身代を潰せば、家族だけでなく、奉公人も路頭に迷う。家族のために寝る間も惜しんで働いているというのに、その子供が親よりも子守に懐いてしまうとうのは確かに切ない。一方で長助が、身近にいて可愛がってくれる子守に懐く気持ちも理解できる。
 どちらの言い分にも筋があり、それだけに先行きに不安を感じる不破であった。
「しかし、だからと言って、おつたさんを辞めさせるというのは‥‥」
 唐突であり、乱暴すぎる。
 簡単な日本語しか操れぬリーゼに代わってその言葉を代弁した不破に、伊勢屋は少し怪訝そうな顔をした。

 田園地帯を抜ける風が青く伸びた稲裏を翻し、水田に銀色の足跡を描く。
 街道筋より僅かにそれた鄙びた村は、午下がりののどかな光にのんびりとまどろんでいるようだった。
「なかなか良いところだよね」
「ええ、ほんとに」
 農家の庭先で遊ぶ鶏の姿に微笑ましげに眸を細めた御神楽紅水(ea0009)に、凰禅院竜穂も同意を示す。
 伊勢屋の子守りおつたの在所は、江戸の喧騒とはずいぶん遠い田舎であった。――良く言えばのどかで穏やか、悪く言えば代わり映えがなく退屈といったところか。
「‥‥お待たせ致しました」
 縁側に茶を運んできたつたは、突然の来客に少なからず驚いているようだ。とりあえず茶を進め、伺うような視線をふたりに向ける。
「長助君から手紙を預かってきました」
 紅水が差し出した手紙―といっても、長助は手習いを始めたばかりで大した内容ではなかったが−につたは驚いた顔をして、それから懐かしそうに眸を潤ませ小さく微笑んだ。
「それは、わざわざありがとうございます」
 丁寧に頭をさげる様子など、善良そうには見える。優しいかどうかは別にして、子供に懐かれるのだから、元々、そう悪い人間ではないようだ。
「実は――」
 事情を話して良いものか決めかねているらしい竜穂の隣で、紅水は手紙の内容をかいつまんで説明する。
「‥‥匂引しだなんて、そんな大それたことを‥‥」
 とんでもないと首を振り、つたは恐ろしげに吐息をひとつ。ぽつぽつと伊勢屋を去った事情を話し始めた。

「――つまり、だ‥‥」
 ジーン・グラウシス(ea4268)が板前修行をする小料理屋の一角を陣取って白湯をすすり、ティーゲル・スロウ(ea3108)は伊勢屋に入り込んだリーゼとつたの在所から戻った竜穂と紅水の話を総括する。
「おつたを辞めさせたのは、特に確執があったわけではないのだな?」
 確認とも取れるスロウの言葉に、托鉢僧に扮したニキ・ラージャンヌ(ea1956)はこくりと頭を頷かせた。
 長助も、今年で10歳。いつまでも子守りが必要な歳でもない。――貧しい家の子供であれば、そろそろ奉公に上がろうかという年齢だ。伊勢屋には長助の他に子守リの手が必要な子はおらず、その長助が家業の手伝いを始めれば当然のことではあるが子守りの必要はなくなる。
「せやさかい、伊勢屋さんとしては、一旦、おつたさんを在所に返し、後日改めて新しい口入先を世話するってぇ話になっとるそうですわ」
 知らぬは、長助ばかりなり。と、いうことか。
 ジーンが板場で試作した生焼けの出汁巻き卵を不安そうに箸の先でつつき、スロウは吐息を落とした。


●匂引しの言い分は‥‥
 真夏の夜は、藪蚊の季節だ。
 気配を悟られるとマズイというので、虫除けの香を焚くことも叶わず暗闇にジッと潜んでいるのはなかなかの苦行である。――匂引しへの天罰ではなかろうが、不知火八雲(ea2838)を筆頭に、スロウ、グラウシスも初めての日本で、意外な伏兵に悩まされることになった。
「遅いな」
 予定では、もうそろそろの筈なのだけど。
 源徳家康のお膝元。一見、落ち着いているように思われる江戸の町も、決して治安が良いとは言えない。殊に月のない夜は、人ならざるモノが跳梁するという百鬼夜行の世界でもある。
 夜分に出歩く習慣のない町衆を連れ出すのは、意外に困難な仕事であった。
 母子で語らう時間も必要だと口説き落として夕涼みに連れ出したのは、予定より半刻ばかり。不破とリーゼ、こちらもそれなりに苦労した模様である。
「来たぞ」
 どこかホッとしたような不知火の声に、ジーンは用意した覆面で顔を隠した。万が一にも母子を傷つけたりしないよう芝居小屋から竹光の剣を借り出したりと細かなところまで気を配る。
 昼間であれば咲き誇る百日紅が参拝客の目を楽しませる境内も、さすがに人の気配はなく物騒な芝居を打つには丁度良い。
 提灯の腹に描かれた伊勢屋の屋号が、薄闇の向こうにゆらりと揺れた。
「さて、そろそろ始めよう」
 スロウの言葉に無言で頷き、不知火は小さく呼吸を整える。そして――

 絹を裂くような女の悲鳴。
 突然、暗がりに響いた鼓膜に障るその音に、俄かに緊張が走った。
「何者だっ!?」
 物陰からバラバラと飛び出してきた数人の人影に、リーゼは刀の柄に手をかけて誰何する。
「――そこの坊ちゃんに頼まれた者だとでも言っておこうか」
 低く押し殺した声でそれに応え、ジーンもダガーを構えた。不知火、スロウのふたりもそれぞれに抜刀する。
「長助は伊勢屋が嫌だってさ。吾等が代わりに立派な盗賊にでも育ててやるよ」
「そんな‥‥」
 青ざめた顔のまま、それでも、伊勢屋のお内儀は子供を手放すまいとするかのように長助の手を握り締める。長助の方も、すっかり怯えた様子で母親にしがみついていた。――10歳の子供の頭では言葉の意味は理解できても、実際にどういったものかは想像できていなかったのだろう。
「大人しく長助をこっちに渡しな!」
 焦れたように叫んで切りかかった不知火の短剣を、不破が刀身で受け止めた。金属がぶつかる甲高い音が暗がりに響き、飛び散った火花が、一瞬、白刃をきらめかせる。
 フリとは思えない迫真の打ち合いに、言葉もなく震える子供に近づきスロウは言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「ヒッサライにあうような危険を冒してまで、ましてや狂言芝居などと知ったら皆が悲しむ‥‥そうは思わないか?」
 片言ではあったが、言わんとすることは通じただろう。スロウの言葉に重ねるように紅水も伊勢屋のお内儀に言葉をかけた。
「お母様も、ちゃんと構ってあげないと駄目だよ。子供ってすぐ寂しがるんだから」
 ふたりがこくこくと頷くのを見届けて、スロウは引き上げの合図を出す。匂引しは捕まれば間違いなく打ち首獄門の大罪であるから、ここは大人しく縛につくより逃げ出した方が賢い。
 ジーンに促されて、不知火も剣を引いて闇に紛れた。

「伊勢屋さんにとっては、少しばかり高い授業料やったかもしれませんなぁ」
 後日、伊勢屋から“ぎるど”に届けられた始末料の取り分を手に、ジーンが修行する小料理屋におしかけたラージャンヌは酒を嗜むスロウの隣でしみじみと感想を述べる。――目の前の、少しばかり焼きすぎた玉子焼きを食べるべきか、食べざるべきか。こちらも思案のしどころであった。

=おわり=