賭して願いを 〜死の魔女〜
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■ショートシナリオ
担当:UMA
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:10 G 85 C
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:11月09日〜11月14日
リプレイ公開日:2009年11月16日
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●オープニング
二人だけの会談から、一ヶ月以上の時が流れた。
パリの中心の堂々と構える屋敷には、閑散とした空間ばかりが広がっている。
そんな、文字通り寒風が吹き荒ぶ中で、ルファーは静かに呼吸していた。
死の魔女――――そう呼ばれていた女の子は、もういない。
あの会談の際、その呼び名の生みの親とも言えるマンスール・シモンが、明確にその撤廃を宣言したからだ。
各店舗に張られた指名手配の紙も全て取り剥がされ、晴れてルファーは自由の身となった。
だから、ここに――――シモン家に居るのは、ルファー本人の意思だった。
「おはようございます、奥方様」
人気のない廊下を歩き、一つの部屋の前に立ったルファーは、室内の女性に挨拶をする。
日課。しかし、返事があった試しはない。
主人の病、そして衰弱。
ルファーとの階段の途中に倒れたマンスールの病状の悪化は明らかで、妻ロッテアーヌは計り知れないショックを受けた。
元々、身内への情愛は人一倍ある一家。
それ故に、娘の死を受け入れられず、その皺寄せが全てルファーへと向かっていたのだ。
しかし、ルファーはマンスールも、ロッテアーヌも恨んではいなかった。
身寄りのない自分を引き取ってくれた、温かい家庭。
それが、ルファーにとっての二人だったから。
だから今日も、返って来ない返事を暫し待ち、扉へ向けて深々と頭を下げた。
「‥‥甲斐甲斐しい、とはこの事を言うのか」
この屋敷に最も新しく入り、唯一人残った召使、ユーリ・フルトヴェングラーが、何時の間にかルファーの背後にいた。
「私には耐えられないな。自分を殺そうとした人間と同じ建物で過ごすなど」
「‥‥」
ルファーは眼前のぶっきらぼうな青年の言葉に、目を伏せて俯く。
「私にも、責任はありましたから」
「在りもしない罪を無理に背負うのは、健康上良くないと思うがな」
嘆息。
そして、二人並んでマンスールの部屋へ赴く。
床に伏せた屋敷の主は、一月前とは別人のように痩せ細っていた。
呼び寄せた医師の言を借りれば、『いつ天に召されてもおかしくない状態』だ。
「お館様、おはようございます。今日も良いお天気ですよ」
それでも、ルファーは毎日の挨拶を欠かさない。
最期まで寄り添うつもりでいた。
それが自分に課せられた使命だと信じていたから。
廻り廻った運命は、ここに帰結したのだと。
「‥‥おお、リーゼ。おはよう」
マンスールは、娘の愛称を呟く。
いつからか、ルファーの声を聞くと、そうするようになっていた。
ルファーの声に、姿に、亡き娘の面影を見ているのか。
娘が生きている――――そう思いたいだけなのか。
その理由は、恐らくは本人にもわからない。
「そう言えば、リーゼ。もう直ぐ収穫祭だな」
口元を弱々しく動かし、マンスールは必死で言葉を繋ぐ。
実際には、収穫祭は既に殆ど終わっていた。
パリの街並みも、冬の様相に包まれつつある。
しかし、それを指摘する声はない。意味がないからだ。
「お前は、収穫祭に一度行きたいと、そう言っていたな。リーゼ」
ルファーはユーリの方に視線を送る。
ユーリはゆっくりと頷いた。
「はい。一度で良いので、行ってみたいです」
「そうか。そうか」
マンスールは、二度同じ言葉を呟く。
「こう見えても、収穫祭の催しには何度も招かれたものだ。ブランシュ騎士団団長お屋敷にも行った事があるのだぞ?」
「凄いです、お父様。誇らしいです」
「ふふ‥‥そうか」
その声は、とても満足気だった。
しかし、次の瞬間、笑い声は消える。
「その時に頂いたワイン‥‥お前が成人となった年の収穫祭に、家族で飲み交わそうと取っておいたあのワイン。ああ、楽しみだ」
そのワインは、マンスールにとって、栄光の象徴だったのだろう。
そんな宝物を、宝物以上の存在である娘と飲み交わす。
或いは――――それが、巨額の富を得た男の最後の願いだったのかもしれない。
娘を亡くした事で叶わなくなった、夢の欠片。
その破片が今、転がるように落ちてきたのだ。
「お父様。私は今年、成人致しました。お忘れでしょうか?」
不意に、ルファーはそう告げる。
衝動的な発言だったが、奇跡的に声は落ち着いていた。
「そうか‥‥そうだったな」
マンスールは、最早見えていないであろうその目を細め、呟く。
「では、早速用意をするとしよう。あのワインは何処に仕舞ったか。ワインに合う料理も用意しないとな」
出てくる言葉は全て、夢の欠片。
もしかしたら――――この状態であっても、マンスールは理解しているのかもしれない。
だから、慌てるように言葉を繋いでいるのだろう。
最後の晩餐の為に。
「お館――――‥‥お父様」
その姿に、ルファーは涙を零した。
偽りなき、悲しみの結晶。
しかし、最後まで娘を演じる事にルファーは専念した。
「わかりました。私が用意致します」
「そうか。準備してくれるか。お前は本当に気が利く良い子だ。リーゼ、お前は本当に良い子だ‥‥」
うわ言のように、マンスールは繰り返した。
「ありがとうございます。お父様、大好きです」
ルファーは流れる涙を拭いもせず、笑顔でそう答えた。
−賭して願いを−
「‥‥どうする?」
部屋を出て直ぐ、ユーリさんはそう聞いて来ました。
そのお顔は、とても寂しげです。
ユーリさんは、このお屋敷に来てまだ間もないそうです。
何故、このお屋敷でお勤めをしているのか、そして今も続けていらっしゃるのかは、教えてくれませんでした。
ただ、『これも縁だ』と仰っていましたので、お館様か奥様のお知り合いかもしれません。
御自身の事は余りお話にならないユーリさんですが、私に良くお声を掛けてくれます。
「だが、以前いた屋敷にあった高級品は、既に盗賊どもから持ち出されている。ワインとやらも、恐らくはあるまい」
今日も、こうして私に御知恵を貸してくれます。
「一応、行ってみます。可能性はないとは言い切れませんから」
私が考えなしに答えると、ユーリさんは苦笑しながら私の頭に大きな手を乗せました。
「なら、行くと良い。俺はここを離れられないが、地図くらいは書いてやろう。一度行った事があるんでな」
そして、その手で私の髪の毛をくしゃっと握ります。
少し痛かったのですが、我慢しました。
「ただし護衛を付けろ。賞金は取り下げられたが、まだその事実を知らない奴もいるかもしれない。盗賊と出くわす可能性もある」
「でも‥‥」
私がそのようなお金はもう残っていないと答えると、ユーリさんは無造作に皮袋を私へ放り投げました。
代わりに、私の指に嵌っていた精霊の指輪をそっと外し、口元を緩めます。
「担保だ。帰って来たら返してやる」
私は最初、お金を返したら、と言っているのだと思いました。
ですが、実際には『無事ワインを持って帰って来たら』と言う事でした。
かなりの大金でしたが、使わせて貰おうと思います。
死の魔女ルファー。
命の灯火が今にも消えそうな人達の傍に寄り添い、その最期の願いを聞き受ける少女。
かつて私だった、その少女。
もう一度だけ、私は彼女になります。
私を救ってくれた大切な人達に、最後の恩返しをする為に。
●リプレイ本文
雷の轟きそうな雨雲が覆う中、馬車がパリの街頭、石畳の上を走る。
その中には、ケイ・ロードライト(ea2499)の姿があった。
その隣には、馬車を手配してくれた貴族夫人――――ローゼマリー・ドールがいる。
「では、もし下賜された秘蔵のワインを、ワイン好きの従者から隠す必要があるならば――――如何致しますかな?」
この質問は本来、その夫人の娘に用意していたもの。だが、娘は現在、とある村の学校に通っている最中だった。
「そうですね‥‥その時は、屋敷の外にある別館にでも隠すでしょうか」
ローゼマリーがそう答えた所で、馬車が止まる。
そこには、ケイが以前探索した事のある、荒廃した屋敷があった。
ケイは預かった荷物を手にし、ローゼマリーに頭を垂れ、感謝の意を告げる。
「此度は突然の訪問に快く対応して頂いたばかりか、不躾な願いを受け入れて頂き、このケイ・ロードライト、敬服に堪えませんぞ」
「機会があったら、娘の顔を見に行ってあげて下さいませ」
ケイは目尻を下げ、再び一礼する。
そして、離れ行く馬車を感慨深げに見送った。
準備は万端。
自慢のカイゼル髭を撫でつつ、ケイは眼前にそびえる廃墟を見据える。
後は、間に合ったかどうか――――
時は遡り。
「ごきげんよう。聖母の赤薔薇のフィーネ・オレアリスです」
「レンジャーのフォックスです。初めまして、可愛らしいお嬢さん」
シモン家の応接間。
フィーネ・オレアリス(eb3529)は優雅に一礼し、フォックス・ブリッド(eb5375)は颯爽と帽子を取り、それぞれにルファーと初めての時を交わす。
既に集合している他の冒険者にもそれぞれ紹介を終え、一同揃ってテーブルを囲み、今回の依頼の作戦を練る事となった。
今回重要となってくるのは、時間。
マンスールにそう時間が残されていない以上、迅速な発見が必須だ。
そうなると、ワインの隠し場所を正確に推測する必要がある。
また、廃墟と貸した屋敷の情報も必要だ。
「わたくしの記憶が許す限り、お話致しますわ」
「質問も随時受け付けますぞ」
レリアンナ・エトリゾーレとケイがその情報について皆へ伝える中――――エイジス・レーヴァティンはちょこんと座るルファーの隣に腰掛け、済まなそうに口を開いた。
「ゴメンね。最後まで付き合いたかったんだけど、今日しか留まれないんだ」
「そんな‥‥お忙しい中駆けつけてくれて、ありがとうございます」
恐縮するルファーに、エイジスは改めてこれまでの依頼の事を思い返し、苦笑した。
この目の前の女の子は、どうも自分の事をいつも卑下してしまう悪い癖がある。
だから、最後にエイジスは言葉を贈った。
包み込むような笑顔を添えて。
「君が幸せになってくれることを祈ってる人が、何人もいることを覚えておいてね」
再び時は進み。
ワインの探索に訪れた冒険者達とルファーの前には、激変した屋敷の内部が広がっていた。
盗賊の成れの果てと思しき骸骨や腐敗した死体などが、生のエネルギーを察知し、次々と襲い掛かって来る。
一体一体には脅威はない。
しかし、一度に襲い掛かって来ず、機を伺って接近して来る為、フィーネは何度もホーリーフィールドを唱える事になった。
「ソルフの実、食べますか?」
「ありがとうございます」
祝福の魔法を唱えたエルディン・アトワイト(ec0290)は自身も口に含みつつ、その実をフィーネへ手渡す。
まだこの先、一山ある――――二人ともそう踏んでいた。
「大分片付けましたが、まだ出て来ないようですね」
間断なくウルの弓の弦を震わせていたフォックスが、苦笑交じりに呟く。
「ルファー、大丈夫?」
「はい。平気です」
その背後では、ジャン・シュヴァリエ(eb8302)がルファーを気遣いつつ、威力を抑えたライトニングサンダーボルトを放つ。
エラテリス・エトリゾーレ(ec4441)も、マトックを振りかぶってスカルウォーリアーと対峙していた。
抑制しながらの長期に渡る戦闘は、徐々に冒険者達から体力を奪って行く。
「ケッ、キリがねぇな」
その中で唯一、オラース・カノーヴァ(ea3486)は全く息を乱さず、ホーリーガーリックを突っ込んだランタンで効率よく敵を弱らせながら、軽くいなしていた。
そして――――時は来る。
「床の下に反応!」
エルディンのデティクトアンデットがそれを察知するのと同時に、フィーネはホーリーフィールドを唱えた。
が――――
「妨害されました!」
その存在の接近の方が早かった。既に効果範囲内にいたようで、その介入によって結界が完成しない。
「くっ!」
この瞬間――――ジャンはルファーを抱いて跳んだ。
その反射的な動作の僅か数瞬後、それまでルファーがいた空間に、人型の影が浮き出てくる。
「スペクター‥‥このような街頭の廃墟に存在するとは」
エルディンは敵の正体を直ぐに看破し、即座にその凶悪なアンデッドへの対策を講じた。
「魔力が付加されている武器ならば、ダメージは与えられます。一気に仕留めましょう」
「それに越したこたぁねえな」
オラースが自身の剣を初めて、力を込めて握る。
それだけで、場の空気が一変した。
一方、不意打ちに失敗したスペクターはその圧力に対し、何ら変わらない様子で佇み続けている。
自信の表れか、或いは――――
「シッ!」
オラースが独特の呼吸と同時に体重を傾け――――動く!
同時に胸の前に構えていた剣は、一切揺れる事無く直線を描いた。
その軌道は、スペクターの下部を薙ぐ。
致命打にこそならなかったが、上方へ飛ばせた事は、オラースの計算通りだった。
「今だ! 一斉に撃ってやれ!」
的が見えやすくなった事で、遠距離攻撃を得意とする者が多いこの即席パーティーにとっては、最大の好機が訪れた。
「はい!」
「了解」
「では、私も」
ジャン、フォックス、フィーネの三人がそれに応えるように、それぞれの魔法と武器でスペクターに照準を合わせる。
『‥‥!』
スペクターは決して弱くはない。
集団の中で最も戦闘力の低いルファーをまず狙った事も、誤りではない。
だが、結果として、それが良くなかった。
矢と雷と光に同時に抉られ霧散して行く中、自身の最大の敗因を、最後までスペクターは理解出来なかった事だろう。
なので、エルディンはピュアリファイを唱えながら、せめてもの情けとしてそれを教えてやった。
「我々のアイドルを狙うから、そうなるのですよ」
そしてその言葉は――――先程から悪意に満ちた気配を漂わせていた、冒険者とは違う別の侵入者にも向けられていた。
「立ち去りなさい。既にこの少女はお尋ね者ではないのです」
「それでもまだ、俺の女に手を出すってんなら、相手してやるぜ?」
エルディンとオラースが睨むその先で、傭兵ギーゼルベルトはその目を血走らせていた。
依頼開始から三日目の夜。
閑散としていたシモン家の食堂には、数多くの冒険者が集っていた。
「皆の衆、良く集まってくれた。この収穫祭を記念し、我らシモン家はより一層の‥‥繁栄を目指すべく、ここに更なる決起を誓おう」
主賓席に腰を下ろしたマンスールの声は、死を直前に控えた者とは思えない程に、張りがある。
オーラスやエルディンの贈り物が効果を発揮したのかもしれない。
望むべく最高の体調で、マンスールは収穫祭の祝いの席にグラスを掲げた。
そして、そこに注がれるのは――――これも最高のワイン『グロワール』。
冒険者の推理通り、このワインは地下にあった。
ただし、屋敷内ではなく、外。
最初にその場所を発見したのはマート・セレスティア(ea3852)だった。
ダウジングペンデュラムの出番すらない、ある意味最短での発見となった。
スカルウォーリアーの集団に目を付けられたマートが逃げ込んだ中庭の一角に、蔦で覆われた枯れ井戸があり、その奥に眠っていたのだ。
家具で財を築いたマンスールらしく、井戸の底に細工を施し、そこに収納していた。
エラテリスのライトで照らした底に、フォックスがエックスレイビジョンのスクロールを使い、発見する事が出来た。
仕掛け自体、実は結構複雑だったが、ジャンが設計の知識を生かして構造を予測し、無事回収。
容器の損傷もなく、エラテリスが用意した入れ物に無事収まり、主人の下へと運ばれた。
そのワインを、ルファーが一人一人に注いで行く。
そして――――
「では、乾杯」
マンスールの号令と共に、全員同時に口に含んだ。
ワインの味は――――完全に劣化していた。
保管場所に誤りはなかったのだが、時間が経ち過ぎていたのだ。
しかし、マンスールはとても満足げに喉を鳴らしながら飲み干した。
既に味覚がないのかもしれない。
味はわからないのかもしれない。
それでも、その栄光と言う名のワインを娘と共に飲むと言う夢に、マンスールは確かに満たされていた。
冒険者も、ルファーも、誰一人その味に疑問や不満を呈さない。
味が問題なのではない事は、誰もが知っていた。
その後、冒険者達の計らいで、ちょっとした催しが行われた。
ルファーがまるごとウサギさんを着込み、ハロウィンズハットを被り、魔法少女の杖を手に持ち、ちょっとした踊りを踊ると言うもの。
「はっはっは。リーゼ、随分と元気になったものだ。嬉しいぞ、嬉しいぞ」
マンスールはチーズとワインを片手に、その余興を心から楽しんでいたようだった。
その後――――ベッドに戻ったマンスールの傍には、ルファーが一人付き添う事となった。
ベッドの横にはケイの持参した不思議なぬいぐるみと、エルディンが持ってきたハロウィングッズが置かれ、収穫祭の雰囲気を再現している。
レリアンナが贈呈した香水「月の追憶」の香りが漂う中、『親子』水入らずの楽しい一時がマンスールの部屋で過ぎて行った。
ルファーは、色々な話をした。
ケイから聞いた、少々変わった貴族達のお話。
そして、先日のワイン捜し。
こちらは、冒険者の武勇伝として話して聞かせた。
一部改変したそのお話は、冒険者が傭兵から少女を守ると言う内容。
傭兵は、自棄になっていた。
一人の少女に振り回された事で、同僚から卑下されたようだ。
その逆恨みで、少女を付け狙っていたらしい。
しかし、剣が交わる直前、冒険者の一人が突然こんな事を言ったのだ。
「傭兵さん、この子の事が好きなんだね。でも、ちゃんと言わないと本当に嫌われちゃうよ?」
好きな相手だからこそ執着する――――ある意味、真理なのかも知れない。
斯くして、毒気を完全に抜かれた傭兵は、剣を捨て撤退した。
マンスールはその話を、それはもう楽しそうに聞いていた。
娘から沢山の話をして貰い、本当に満足そうに微笑んでいた。
――――翌日、マンスールは、息を引き取った。
マンスールの葬儀は、冒険者達の協力もあり、しめやかながらも立派に行われた。
憔悴した夫人ロッテアーヌには、エルディンが付き添い、話をしていた。
ルファーに夫人のやるせない思いが飛び火しない為だったが、既にその気力もなさそうだった。
そして。
死の魔女の仕事納めを無事果たしたルファーは――――暫くこの屋敷に留まる事にした。
「ルファーはそれでいいの?」
「ねえちゃん、もう少しだけ自分の幸せも考えていこうよ」
ジャンとマートは心配していたが、ルファーは笑顔で首を振る。
「こうする事が、私にとっての幸せですから」
死に寄り添い続けた彼女が、次に寄り添うもの。
それは、二つの死に絶望したロッテアーヌのこれからの生だった。
そして、かけがえのない思い出だった。
夕刻。
屋敷の門前には、9つの影法師が映っている。
別れの時が、来たのだ。
「少しでも力添えが出来たのであれば、幸いです」
「僅かな時間だったけれど、関わる事が出来て光栄でしたよ。お嬢さん」
「ありがとうございました。お二人ともお元気で」
まずフィーネとフォックスが、ルファーと握手をし、屋敷を後にする。
次に、エラテリスがその手を握った。
「久しぶりに会えて嬉しかったよ☆ またね☆」
「焼き林檎、美味しかったです。また是非お会いしましょう」
続いて、ケイ。
「私の勇士もルファ殿にお見せしたかったですぞ。ユーリー殿にも宜しくお伝え願いたい」
「はい。ケイさんのお話、とても楽しかったです。また聞かせて下さい」
二人はそれぞれ手を振りながら、夕日の向こうへ消えて行った。
更には、エルディンとオラースがルファーの前に立つ。
「どうか、笑顔で生きて行って下さい。それが、貴女の幸せを願い助けた者達への何よりの恩返しになりますよ」
「余り根詰めない程度にな」
共に、ルファーにとっては頼り甲斐のある男性。
幾度となく世話になり、時に高価な物まで頂いていた。
「本当に、お世話になりました。この御恩は決して忘れません」
エルディンは爽やかに、オーラスは渋くとも温和に微笑み、踵を返した。
そして、マート。
常にルファーと同じ目線で、ルファーを励まし続けて来た、友達のような存在だった。
「ねえちゃん、あんまり自分を縛らないで生きろよな」
「大丈夫です。マートさんも、お元気で。余り食べ過ぎない様にして下さいね」
マートはいつまでも名残惜しそうに、大きく手を振っていた。
最後に――――
「よく頑張ったね。偉いよ、ルファーは」
最も付き合いの古いジャンは、自身が以前プレゼントしたマフラーをそっと撫で、微笑んだ。
「ここを出る事があったら、『恋花の郷』って所に来て。そこに僕のお店があるんだ。そこに住んで、学校に通って‥‥どうかな?」
ルファーは少し驚いた顔をして、その後に小さく微笑む。
「その時は、お邪魔させて頂きます」
「うん。待ってる」
最後に、他の冒険者にもそうして来たように、市販の物を縫い直したお守りを渡して――――ルファーは、ジャンと、そして全員とお別れをした。
そして、屋敷の中に戻る。
主を失ったその屋敷には、ルファーとロッテアーヌの二人しかいない。
そこは繁栄を尽くした以前の屋敷ではないし、リーゼロッテの生活した形跡もない。
でも――――思い出は残っている。
昨日までマンスールが寝ていたベッドの隣には、生前リーゼロッテが一番好きだった本が置かれていた。
その本の物語の名前は、『家具職人と少女の愉快な日常』。
家具を作る貧乏な青年が、病弱な少女に沢山の家具を作ってあげると言うお話だった。
本はボロボロになっていて、至る所が痛んでいる。
何故なら、それはリーゼロッテがずっと愛読していた本だったからだ。
それを冒険者達が見つけ出して来てくれた。
娘は、確かに父を愛していた。
その証が、あの屋敷にはまだ残っていたのだ。
楽しい思い出。
愛しい人々。
死の魔女を卒業したルファーは、その愛に寄り添いながら――――
これからも、生き続ける。