●リプレイ本文
12月25日。
クリスマスのこの日、早朝からパリの街は少し騒がしかった。
ラングドシャと言う街の猫達が樹の周りに屯していたからだ。
「にゃっす! みんなお腹空いたかにゃ〜?」
そんな猫達の群れに、パラーリア・ゲラーが大量のミルクを持って飛び込んで行く。
「なおなおーっ(ミルク来たー!)」
「うなー(ありがたや‥‥この老体には染み入るわい)」
猫達は我先にと飛び付き、小さな猫タワーが出来上がった。
「わわ〜、ツメは立てないようにしてね〜」
同じパラの婚約者の為にも、綺麗な身体でいる必要がある。
パラーリアは猫達に囲まれながら、ふかふかとした朝を過ごしていた。
そんな光景を、レリアンナ・エトリゾーレは遠巻きに眺めている。
無類の動物好きであるレリアンナにとって、この情景は至福。
「レイモンド、争ってはいけませんわよ」
「わおっ!」
愛犬と共に、猫達の輪に加わろうと試みる。
「ふかーっ!」
「ふかーっ!」
「ふかーっ!」
大勢から一度に威嚇された!
「‥‥ど、どうした事かしら?」
レリアンナは動揺を隠せず、目を泳がせながらレイモンドと向き合う。
ここまで極端な拒絶反応を動物から受けたのは、初めての事だった。
「レリアンナさん、何してるのかな☆」
その背後から、エラテリス・エトリゾーレが声を掛ける。
トナカイの被り物をして。
「ふかーーーっ!」
その角に、猫達は怯えているらしい。
「お姉さま‥‥そんな頭で動物を脅かすなど」
原因がわかり内心安堵する一方で、レリアンナは据えた目をエラテリスに向ける。
「ななな、何の事かな?! ボクはエラテリスじゃなくてトナカイさんだよ?!」
「あら? そうでしたか。それは失礼致しましたわ」
レリアンナはニッコリ笑う。
「‥‥などと言うと思っていたのかしら?」
「うぅ‥‥ご、ゴメンなさいだよ〜」
その後、パラーリアが猫達と戯れる間、ずっとエラテリスは説教を受けていた。
パリの空が薄い灰色に覆われる中。
ジルベール・ダリエはサンタクロースローブに身を包み、街の子供達と共に大樹の前に立っていた。
「サンタのおじちゃーん。このおうまさん、どうしてぼうしかぶってるのー?」
「何言うとるん。どう見てもトナカイやん」
そして、トナカイの帽子を被せた愛馬ネイトを身体を優しく撫でた後、積んでいた荷物から木彫りのトナカイ像を取り出す。
「ほれ、そっくりやろ? サンタさんからのプレゼントや」
「うわーい!」
そんなジルベールに、妻であるラヴィサフィアも合流。
「皆さん、お菓子もありますわよ♪」
「わーい!」
子供達は総じてラヴィサフィアの方に集まりだした。
木彫り像よりお菓子。
或いは、渡す当人の差。
いずれにしても、妻が子供に人気なのは、夫にとって――――
「誇らしい事や」
「その割には、少し敗北感が顔に出ているな」
そんなジルベールの隣で、ラルフェン・シュストが苦笑している。
「そんな事あらへん。自分こそ、恋人にフラれて落ち込んでるんちゃうか?」
「俺とルネは深い所で繋がっている。聖夜祭に共に過ごせない事なんて、大した問題じゃない」
「ならええけどな」
ジルベールが苦笑する中、ラルフェンはそれでも少し寂しそうにしていた。
「兄様ー!」
そんな男2人の前に、ラルフェンの妹リュシエンナ・シュストがパタパタ走って来る。
「雪だるまクッキー、出来上がったよ」
「よし。こっちもサンタ活動を始めるとするか」
子は宝。
シュスト兄妹はラヴィサフィアと合流し、お菓子のプレゼントを始めた。
その仲睦まじい様子に、ジルベールは思わず微笑む。
そして、何となく見上げた空に、一羽のペガサスを発見した。
その背には、冒険者と思しき女性と――――弓を背負った子供のような体型の青年の姿が。
「おー、クッポーさんも来とるんか。後で挨拶行こ」
かつてノルマンで依頼を受けた際に知り合ったアイドル射撃手に、思わずジルベールは眉尻を下げていた。
この日、パリの街は多くの観光客が訪れていた。
その客を狙い、路肩には数多くの商人が露店を開き、それぞれ珍しい商品を並べている。
「これはあの子が喜びそうね」
セレスト・グラン・クリュも、舅や館の使用人等への贈り物を楽しげに買い込んでいた。
そんな中。
「‥‥北風が身に染みるな」
ラシュディア・バルトンは年齢が10離れた弟デニム・シュタインバーグに連れられ、2人でパリの街を歩いている。
「なあ。やっぱ、家でのんびりしてた方が良くないか?」
「折角の聖夜祭の日に家で閉じ篭るなんて、不健康だよ」
デニムが半ば無理やり兄を連れ出したのには、理由がある。
先日、ブランシュ騎士団の騎士登用試験に見事合格したデニムは、後日正式に騎士団に配属される。
一方、ラシュディアも(超なし崩しの内に)シャルトル地方、プロスト辺境にてお勤めをする魔導師となった今、パリで長閑な時間を過ごす機会はそうそう訪れない。
そんな事もあり、デニムは敢えて兄に甘える事にした。
「兄さん、こっちにも珍しい食べ物があるよ。酒場のパンとは少し違うみたいだ」
「やれやれ‥‥」
そんな普段の生真面目な姿とはやや異なる弟の様子に、ラシュディアは思わず苦笑する。
傍らに愛しい女性を並べて――――そんな理想は今年も叶わなかったが、これはこれで悪くない。
「よーし! ブランシュ騎士団配属の祝いだ。好きなだけ買ってやるから、何でも持って来い!」
「本当?」
「あー。男子たるもの二言はない」
気風の良い事を言い放ち、ラシュディアは爽やかな笑顔を弟へと贈った。
そんなやり取りが行われている街頭で、ローガン・カーティスは1人、静かに歩いている。
時折吐く白い息は少々重く、直ぐに地面へ吸い込まれていた。
「あら? あーたローガンさんザマスか? お久し振りザマス」
そんなローガンに、派手な格好のマダムが声を掛けてくる。
パリを拠点としたお騒がせ集団『麗しの婦人会』の代表だ。
ローガンは一瞬目元を引きつらせたが、直ぐに立て直す。
つい先程――――郊外の酒場シャレードでその婦人会の近況を耳にしたばかり。
相変わらず、クレーマー体質は変わっていないようだ。
しかし同時に、各家庭が余り上手くいっていない事が原因と言う噂も聞いていた。
だから、あの時あのような――――
「丁度良いザマス。これからお暇ザマスか? ワタクシ、今日こそ‥‥」
「奥様」
ローガンは婦人の言葉を遮ると同時に、懐から香水「月の追憶」を取り出す。
「この香水をつけると、自分が今一番大事にしている人を思い浮かべると言われています。試してみませんか?」
「あら、面白いザマスね」
地鳴りのしそうな笑い声と共に、婦人はそれを受け取った。
そして、体中にベッタベッタと塗り付ける。
充満する、柔らかい香り。
「‥‥」
そのまま婦人は動かなくなった。
「どうして‥‥今更」
「奥様。本当の幸せはここにはありません。その大切な方達、大事にして下さい」
ローガンが精一杯微笑み、告げる。
『麗しの婦人会』代表は、まるで憑き物が落ちたかのような表情で頷き、人込みの中に消えて行った。
これでまた一つ、心残りは消えた。
しかしまだ幾つか残っている。
それを果たす為、ローガンは歩き始めた。
午後になり、パリには白い雪が舞い降り始め、子供達は巨大な樹が佇む広場で雪ダルマを作り始めた。
その為、樹の周りから人の気配がなくなる。
「今なにょじゃ〜☆」
それを好機と看做し、シフールの鳳令明はサンタとなって、ふわふわと樹の上から舞い降りてきた。
そして、一つの靴下を手に――――
「にょ?」
しかし、その靴下には既に願いの短冊が入っていた!
「多いに越した事ないにょじゃ〜」
だが令明は気にせず同じ物をもう一つ追加。
更に、ふわふわグローブやふわふわ帽子、ラピスラズリの入った靴下にも構わず希望の品を入れていく。
そんな様子に周囲の猫が気付き、近付いて来た。
令明はインタプリティングリングによる会話を試みる。
『おりは旅するわんこにょ令明なにょじゃ〜。みんな何処からきたにょじゃ?』
『フッ。流離のエスメラルダこと、この俺に出身を聞くたぁ、良い度胸だぜボーズ』
『何がエスメラルダだ。お前「ベロンヌ」って名前じゃねぇか』
非生産的な会話は和気藹々と続いた。
そんな中で、フィロメーラは2体のスノーマンに囲まれ、とてもニコニコしている。
「あんな楽しそうなルカー、久し振りだな。来て良かった」
「うちの雪小僧も楽しそー♪」
その様子を、エレェナ・ヴルーベリとリュシエンナが少し距離を置いて見つめている。
2人は特に親しい間柄ではなかったが、共にフィロメーラの知り合い同士。
自然と会話も生まれる。
「‥‥そっかあ。エレェナさんも知らないんだ、男性恐怖症の理由」
「中々話してくれなくてね。理由がわかればもう少し治療の仕方もあるんだけれど」
苦笑しつつ、エレェナは呟く。
「治療?」
「実は今もその最中なんだ。ルカーの自意識は『男』なんだよ」
「‥‥雪小僧に性別ってあるんだ‥‥知らなかった」
「まあ、実際の所あるのか微妙だけれど。さて、バラした時どうなるかな? ルカーが傷付かない結果になって欲しいものだね」
クスクス笑うエレェナの言葉に、リュシエンナは冷や汗交じりで苦笑いを浮かべていた。
徐々に日が傾く中、雪の勢いは増して来ており、パリは雲の上の世界のように、白一色へと変貌していた。
「これは随分と美しい演出ですな」
そんな雪の景色に目を細め、ケイ・ロードライトは馬車から降りた。
そして、中にいるもう1人の人物の手を取り、エスコートする。
新興貴族ドール家長女、アンネマリーだ。
「うー、寒いー」
カチカチ歯を鳴らしながら、ケイの手をギュッと握る。
「では、広場に参りますぞ」
「本当にでっかいモミの木があるのか?」
訝しげなアンネマリーの目に、ケイは紳士然とした笑みで応え、馬車乗り場から広場へと移動する。
そして――――
「‥‥」
アンネマリーは、その余りに巨大なモミの木を暫し凝視していた。
「どうですかな?」
「デカ過ぎて怖い」
カタカタ震え、呟く。
「‥‥身も蓋もありませんな」
眉間を押さえつつ、ケイは苦笑した。
「さて。それでは本題を果たすと致しましょう」
そして、特定の靴下を探す。
朝方、ケイはこの中から一つの大きな靴下を見つけた。
そして、その中の紙に書かれた『極上のワイン』と言う言葉に、ピンと来た。
この願いの主は、アンネマリーの元従者であると。
その従者、訳ありでアンネマリーから離れてしまったのだ。
「アンネマリー嬢、このワインを‥‥」
ケイは、1本のワインを取り出す。
そして、それが2人の仲立ちとなるよう願い、アンネマリーにそれを渡した。
一方、その頃。
エルシー・ケイはフラフラした足取りで、巨大なモミの木の生えた広場に辿り着いた。
この樹の噂は既にノルマン国外にも行き届いており、その奇跡を是非目の当たりにしたいと言う一心で、ここまで歩いて来たのだ。
月道を使ったとは言え、長い旅だった。
ここに辿り着くまでに四度行き倒れ、その度にディアトリマのフィデリテが運んで来た食料で糊口を凌いでいた。
そしていよいよ見上げる、巨大樹の凛々しい姿。
「‥‥」
その余りの威容に、圧倒されたエルシーは思わず膝を付く。
まさに奇跡の権化。
エルシーは神のもたらしたその恵みに、一心不乱に祈り続けた。
「聖なる母の崇高なる御心、しかと――――」
祈り続けた。
「猜疑のある所に光を――――」
祈り続けた。
「この世界に常しえ‥‥の‥‥」
そして、寒さの余り凍った。
一方、フィデリテはそんな主の生命の危機などお構いなく、広場で子供達と駆け回っている。
「あれー? あのおねえちゃん、さっきから動かないよー」
子供達がエルシーに近寄る中、やはりクレリックのヴァレンティ・アトワイトは樹の前に立ち、木札と靴下を手に悩んでいた。
願い。
思い浮かぶのは――――
『兄さん、真面目に仕事してくれ』
兄であるエルディン・アトワイトの奔放振りを思い浮かべ、思わずそう書いていた。
しかし無論、これは願いであっても物ではない。
消し、欲しい物を探す。
『真面目な兄さん』
これも物ではないが、取り敢えず個体ではある。
尤も、まるで今の兄は不要と言わんばかりの願い。
消す。
『兄さん』
「何かが違う‥‥」
と言うか、見る者によっては大いなる勘違いをしそうな願い事だった。
「難しいな、願い事と言うのは」
普段祈りを捧げる身でありながら、ヴァレンティは嘆息せざるを得なかった。
「あなた方に愛の祝福を‥‥グッドラック!」
そんなヴァレンティの耳に、軽薄な祝福を授ける声が聞こえる。
思わずその方を見ると――――短いスカートを着たサンタクロースがいた。
美しい淑女だった。
そしてその顔立ちは、エルディンに相似している。
ヴァレンティは鼓動の高鳴りを抑え、声を掛けた。
「‥‥兄さん、なのか?」
「まあ、ナンパにしては失礼ね。私、女ですよ?」
確かに声も女性のものだった。
ヴァレンティは慌てて謝り、事情を説明する。
すると――――
「エルディンさんのイトコのエルディーナです。売り出し中のアイドルなの、よろしくね♪」
「イトコ‥‥」
ヴァレンティは思わず首を捻る。
確かにそれなら似ているのも納得だが、血の繋がった親族はいないと、兄からは聞いている。
しかし、当人がそう言っている以上、疑うのは筋違い。
何か事情があっての事と判断した。
「義理の弟のヴァレンティだ。こちらこそ、宜しくな」
その言葉に、エルディーナはニコッと笑う。
「では、ヴァレンティさんに祝福を‥‥グッドラック!」
その笑顔には安堵の色も多分に含まれていたのだが、ヴァレンティがそれに気付く事はなかった。
日没。
それは同時に、本格的な聖夜祭の始まりを意味していた。
そして、巨大モミの木が、クリスマスツリーへと変貌を遂げる瞬間でもある。
「お誕生日、おめでとうございます〜っ!」
「次期王妃ご誕生、おめでとー!」
そんな巨大クリスマスツリーが佇む広場で、リーディア・カンツォーネとクリス・ラインハルトはひしっと抱き合った。
ククノチもそれを拍手で祝福。
その頭には、隣の黄金熊イワンケとお揃いの赤い三角帽が被られている。
「と言う訳で、おめでたい事だらけの煌く聖夜を演出ですっ! 皆さん、張り切って参りましょう☆」
クリスの雄叫びに、リーディア、十野間空、アーシャ・エルダー、エラテリス、レオ・シュタイネルが腕をあげて賛同を示す。
彼等は『イルミネ隊』を結成し、このパリのクリスマスを華やかに祝う為、ここに集まったのだ。
既に手筈は整えており、意思の疎通も万全。
「では、行きます」
まず空がベゾムに跨り、セーヌ川の上空を目指す。
続いて、グリフォンのクリーラに騎乗したクリスも上空へ。
更には、アーシャもペガサスのベガで向かうのだが――――
「ククク。この俺に大役を任せるその慧眼、中々のものだ」
その背には、アトラトル街から共に駆けつけたクッポーの姿もあった。
「お褒めに預かり光栄です。さあ、飛ばしますよ! 捕まってください!」
「うにゃーっ!?」
クッポーが愛らしい絶叫を響かせる中、上空班は全員宙を舞った。
そして地上班のエラテリス、レオ、リーディア、ククノチもセーヌ川の付近に到着。
彼等は一息吐き、その真上を同時に見上げた。
そこには――――アーシャ、クリス、空がそれぞれ張ったムーンフィールドが展開されている。
アーシャはエラテリスから借りた魔弓「ラ・プレーヌ・リュヌ」の力で、後の2人はそれぞれ自力で大きめの結界を張った。
これで、準備は整った。
「クッポーさん、宜しくお願いします!」
「クッククククククク」
毎度大舞台では緊張するクッポーが、硬直しながらアーシャの後ろで自身の弓を引く。
「クッポッポー!」
その弓の弦が震え、クッポーの矢が真上に飛ぶ。
この矢は放たれるとパチパチと拍手のような音が鳴る特殊な性質があり、パリの夜空に軽快な音が響き渡った。
更に、弓の特殊能力も発動。矢の先端に7色の衝撃波が発生する。
「来ました! 綺麗ですね〜」
クリスがその弓に目を細める中、矢は結界に命中――――する前に失速し、落ちていった。
「‥‥もう一発!」
アーシャに促され、クッポーはTAKE2を実行する。
今度は空の作った結界に命中!
7色の衝撃波と月明かりの結界が衝突し、鮮烈で美麗な光がパリの上空に瞬いた。
『こちら空。成功です。繰り返します。大成功です』
「っしゃ! クッポー、良くやったぞーっ!」
テレパシーで伝わる歓喜の声にレオが叫ぶ中、大役を終えたクッポーは精神的疲労でグッタリしていた。
そして、ここからは自由時間。
上空の空やクリスがムーンアローを結界に放ち、レオはレミエラ補強して光を付加させる事を可能としたライトロングボウで、地上から正確に結界に当てる。
クリスのムーンアロー5連弾や、レオのダブルシューティングなど、大技も炸裂。
パリの上空に数多の光の帯が舞い、結界衝突時には鮮やかな輝きを放つ。
「わわっ、凄いよ☆ 綺麗だよ☆」
発案者のエラテリスは結界に当たって落ちてくる矢を回収しながら、その光景にエキサイトしていた。
『そろそろ交代しましょうか?』
一方、リーディアはテレパシーリングで上空班に呼びかける。
「では、木霊達は私が。共にここで主の活躍を見るとしよう」
「ヽ(≧▽≦)人(≧▽≦)ノ」
リーディアの木霊達はククノチの回りをクルクル回り出した。
了承のダンスらしい。
ククノチは朗らかに微笑み、事前に用意していた小さなお揃いの帽子を木霊達に被せる。
「はわわ! ありがとうございます〜」
そんなククノチにリーディアはあせあせと恐縮しつつ、クリスのクリーラに乗って空へ向かった。
その後も闇夜に間断なく描かれる、光の芸術。
それは――――巨大クリスマスツリーと並び、神聖暦1004年のパリ聖夜祭を語る上で欠かせない伝説となった。
セレストにとって、傍らに娘のいない聖夜祭と言うのは、随分久し振りの事だった。
その為、嫌でも当時の事を思い出してしまう。
大切な、人生を捧げた相手を失くしたあの頃。
自分の半身、或いは全てと言っても良い存在を見失った、あの頃。
その事実を受け止められず、息子と孫を失くして哀しみの矛先を自身に向けた姑と向き合う事も出来ず、漫然とした日々に忙殺されていった。
そして1ヶ月前。
セレストは、その姑を看取った。
眠るように、静かに。
安らかなその顔は、逆にそれまでの彼女の辛さを物語っていた。
行き場を失った想いは未だ、宙を彷徨っている。
ふとパリに立ち寄ったのは、例の巨樹の噂を聞いたから。
幸せの集うその場所に触れれば、気持ちが整理できるかもしれないと言う思いがあった。
「‥‥」
眼前の靴下を見つめ、セレストは思わず苦笑する。
沢山の猫の毛が入っていた。
そこにサーモンを入れ、置く。
そしてもう一つ、昼間に確認しておいた靴下を探す。
極上のワインを所望しているその靴下には――――既にワインが入っていた。
中には、贈り主が書いた羊皮紙も入っている。
『私はこのおいしさがわからないけど、これを飲む人がおいしいと思ってくれると嬉しいです』
覚えたてと思われる、拙い字だった。
「‥‥」
セレストはその羊皮紙を丸め、そのまま靴下に入れた。
これには敵わない――――自身のシェリーキャンリーゼを眺め、そう自覚する。
「セレスト殿もそう判断なされましたか」
そんな淑女に、エルディンの苦笑交じりの声が届く。
その手には、別のワインが抱かれていた。
「どうです? 弾かれた者同士、一杯。温まりますよ」
「聖職者がこんな所でお酒を? 良いのかしら?」
「良いのですよ。美女が沈んだ顔をしているより余程、世の為人の為なのですから」
そして笑顔。
「お上手ね。でも、今日は一人で飲みたい気分なの」
セレストは苦笑し、シェリーキャンリーゼの瓶をエルディンのワインにそっと当てる。
「乾杯だけ、ですか」
「声を掛けてくれてありがとう。良い聖夜を‥‥ね?」
そして、フライングブルームに乗り、光の花咲く上空へ舞い上がった。
「フラれたみたいだね」
それを見送るエルディンの背後から、ヴァレンティが声を掛ける。
「そのようだ。そう言うお前は、この夜を共に過ごす相手はいないのか?」
「それなんだけど、兄さん。イトコがいるんだってな。彼女を探してるんだけど、どうしても見つからない。食事に誘おうと思ってるんだけど‥‥見なかったか?」
「‥‥」
やけに口数が多いのは、本気の証なのか。
エルディンは新たに生まれたややこしい問題に、心底頭を抱えていた。
次々と打ち上げられる光の競演が、パリの夜空を輝かせる最中。
パラーリアは猫達と共にパタパタと走り回りながら、巨大クリスマスツリーの下に集まった子供達に感想など聞いていた。
「にゃっす! 靴下にお願いした物入ってたかにゃ?」
「入ってたー! 星空のカード!」
「願いの短冊なんて2個も入ってた!」
「ふわふわグローブもりょうてぶんいただいたのです。ぼうしももらいました」
ゴッツ、フーゴ、ジルの3人は満足げにそれぞれの希望の品を掲げる。
彼等を始め、子供達は皆、希望の物を貰えたようだ。
そんな中――――
「‥‥」
『ネコさん』と書いたティアナの靴下には、何も入っていなかった。
ティアナは目を伏せ、溜息を吐く。
「にゃあ」
そんな彼女の足元に、白い子猫が一匹擦り寄ってきた。
「‥‥ラメイ?」
「にゃう」
白い子猫は肯定するかのように鳴く。
でも、そうではない事をティアナはもう知っていた。
「おうち、来る?」
「にゃお」
だから、新しい名前を考えなければならない。
ティアナは子猫を抱き、とても幸せそうに家路へ向かった。
その様子を、ツリーの天辺から令明が満足そうに眺めている。
「良かったにょ〜。大事にして欲しいにょじゃ」
沢山の子供達の笑顔は、その何よりの報酬だった。
そんな令明の耳に、横笛の音色が響く。
樹に背を預け、ラルフェンがその笛を奏でていた。
雪に埋もれた宝を探しに旅に出たスノーマンが、その宝は他ならぬ自分の中にある想いだと気付く、そんな歌を旋律で奏でる。
子供達はその音をじっと聞いていた。
音に乗せるのは、亡き妻、旧き家族への愛惜と懐古、そして感謝の念。
そして子供達を守る安寧と健やかな成長、未来への希望。
「おじちゃん」
そんなラルフェンに、子供の1人フーゴが話しかけ、願いの短冊を差し出す。
「2つ貰ったから、1つあげるー」
ラルフェンの音に、感じ入るものがあったようだ。
尤も、その短冊はラルフェンが入れた物だったが――――
「ありがとう」
ラルフェンはそれを受け取った。
願いを届ける為に。
「わー、香水入ってる♪」
一方、その妹リュシエンナは希望を書いていた靴下内の香水を手に取り、早速手首につけていた。
「フィロメーラさんもどうぞー」
「わっ、良いんですか? 私香水なんて初めて」
仲睦まじい姉妹のように、匂いを嗅ぎ合ってはしゃいでいる。
スノーマンのルカーとケルテヴェーレも混ざって、コロコロしていた。
そんな様子を、エレェナはツリーの下で微笑みながら見つめていた。
リュートによる演奏は佳境を向かえ、最後の一曲を残して一息吐いている最中だ。
ふと、視線が一組のカップルに移る。
彼等の他にも、沢山の男女がそのロマン溢れるクリスマスツリーに魅入っていた。
エレェナにはクルトと言う恋人がいるが、今回は同行していない。
くすぐったいのは、どうも苦手だった。
代わりに、背にした樹へ感謝を乗せ、最後の曲を奏でる。
自分を情熱的に愛してくれる恋人がいて。
面白い友達がいて。
エレェナは今、幸せだった。
「とても幸せな音色ですわ‥‥」
ツリーの下でそのリュートの音を聞くラヴィサフィアは、帽子に付いたウサミミをピコピコ揺らしながら、ジルベールの胸に顔を埋めている。
ラヴィサフィアにとって、月の光を直接見る事は禁忌。
だから視界を愛する者の胸で塞いでいた。
「なー、ラヴィ。これ、受け取って貰えるかー?」
ジルベールはこっそり仕舞っていたムーンストーンを懐から取り出し、妻の愛らしい手にギュッと握らせる。
ラヴィサフィアはそれが何か、見なくても直ぐわかった。
「ジルベールさま、あの‥‥」
「宝石のアクセサリーはまだ早い、やったよな? だから、分割で渡す事にしたんや」
「?」
ジルベールの言葉に、ラヴィサフィアはもぞもぞと首を傾げる。
「年に1個ずつ、全部で13個。渡し終える頃には、ラヴィももう大人や。そしたら、全部繋いで首飾りにしよ」
贈りたくて仕方のない想い。
ジルベールはどうにかして、一緒になった今年の間に少しでもそれを渡したかった。
「ありがとう‥‥ございますわ」
無論、そこまでされて断る筈もなく。
ラヴィサフィアは想いの欠片に触れ、一層強くその顔を押し付けた。
最高の旦那さまの、広い胸に。
「メリークリスマス。ずっと、そう言い合おな」
「はい♪ メリークリスマス♪」
聖夜を祝うその言葉。
恋人達や夫婦にとっては、愛の言葉。
空を彩るイルミネ隊の光が、それを祝福しているかのように眩く輝いていた。
「お疲れ様ーっ!」
1日限りの結成。
その打ち上げの為、イルミネ隊は夜も更けて見物客がいなくなったツリーの下に集い、それぞれ労を労っていた。
「デコチを用意しました。皆さん、一杯食べて下さいな」
クリスは自身の誕生日祝いと聖夜祭のお祝いを兼ね、とても大きなデコレーション・チーズケーキを特注で作って貰っていたのだ。
「はう〜、美味しいです〜」
「もう最高だよ☆」
「充実した一日でしたね」
アーシャ、エラテリス、空はそれぞれのペースでそのケーキに舌鼓を打っていた。
その輪の中にデニムとラシュディアが加わる。
「夜遅くまでお疲れ様です! 差し入れを持ってきましたので、皆さんでどうぞ!」
「金出したの、俺な」
デニムの溌剌とした笑顔と、ラシュディアの疲労感タップリの顔が、それぞれの体力と年齢の差を如実に表していた。
「さあ兄さん、最後にツリーに祈りを捧げに行こう」
「わかったよ。ま、その調子でこの国もしっかり守ってくれな」
「兄さんも、ね」
「ははっ、そうだな。お互い頑張ろうな」
兄が弟の肩を叩き、巨大な樹の下へ移動して行く。
それと入れ替わりで、今度はローガンとレリアンナが訪れた。
「御苦労様だった。大変だったろう」
「あら? 王妃様‥‥こほん、いえ、リーディア様は何処へいらっしゃるのかしら?」
「リーディアさんは、あっちに」
アーシャが指差したのは、巨大ツリーの方向。
樹を労わるように魔法を唱えている姿が見える。
「絵になりますわ」
「王妃様ですもんね。ふふ〜、斯く言う私も今年は愛する旦那様と結ばれたんですけどね」
レリアンナとアーシャが談笑する中、クリスは白い息をはーっと落とす。
その傍らでローガンが静かに腰を落とした。
「クリスさんも、どうやら良い人を見つけられたようだな」
「え、えええ? あれ? ボク、ローガンさんに言いましたっけ?」
「酒場で少し噂になっていた。もうおめでとうと言ってもいいのだろうか」
「い、いや〜、どうなんでしょうね‥‥えへへ」
幸せそうなクリスの顔に、ローガンは珍しく口元を緩ませた。
年が明ける頃には、このパリを離れ、旅に出るつもりでいる。
その前に、世話になった人々に少しでも感謝の意を伝えたく、ここを訪れていた。
既に宿屋ヴィオレのカタリーナやマックス夫妻等にも挨拶は済ませている。
「皆がこれからも幸せでいてくれると嬉しいのだが」
誰にともなく。
冒険者全員に向け、ローガンは静かに呟いた。
今日見た沢山の光が、これからの道を照らしてくれると、そう信じて。
一月ほど前、このパリに移植された巨大クリスマスツリー。
沢山の人達に幸せを与えたその巨体は、静かに今年の役割を終えようとしていた。
「ゴメンな。中々2人きりになれなくて」
「いや‥‥」
だが、最後にもう一つ。
イルミネ隊に参加していたレオと、その恋人のククノチを優しく見守る役目が残っていた。
「僅かでも時間でも、こうしていられる事が、嬉しい」
レオはククノチの作った林檎の蜜煮や木の実入りのケーキを腹一杯食べ、膝枕されていた。
「ありがとな。その服も似合ってる」
「‥‥」
ククノチは以前とある大会で貰った賞品のドレスに身を包んでいた。
その白い色とは対照的に、頬は赤く染まっていく。
「なあ、キミの故郷は‥‥家族はどんな人たちかな。今度、確認しに行っても良いかな?」
「え‥‥」
「はは。こう言う事はちゃんとしときたい、って言うか」
ポリポリ頬を掻き、レオが苦笑する。
ククノチは震える喉を落ち着かせるように、白い吐息を宙に泳がせた。
「レオ殿。私が差し出せるのは、一生続く時と想いしかない。それで、良いだろうか‥‥」
「俺が欲しいのは、それだけだよ。前にも約束したけど、もう一度、何度でも」
一緒に幸せになろう――――
その盟約は、クリスマスツリーの元、確かに交わされた。
こうして、今年のパリの聖夜祭は終わりを告げた。
それを見届けたツリーは、再びモミの木に戻る。
「‥‥お節介な奴だ」
その前で、ユーリは靴下に入っていたワインを開け、一口含んだ。
活発で、それでいて弱々しく、未成熟な味。
最高の味だった。
ユーリはグラスを掲げ、樹にコツンと当てる。
そして、心中でひっそりと、囁いた。
――――最高の聖夜祭に、乾杯。