聖夜の形骸 〜死の魔女〜
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■ショートシナリオ
担当:UMA
対応レベル:6〜10lv
難易度:やや難
成功報酬:3 G 80 C
参加人数:4人
サポート参加人数:-人
冒険期間:01月03日〜01月08日
リプレイ公開日:2009年01月12日
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●オープニング
死の魔女ルファー。
何の脈絡もなく、寝たきりの老人の元を訪れる少女。
彼女が訪問した老人は、かなりの確率で短期の間にその生涯を終えている。
まるで死神のような存在だ。
しかし、彼女の素性は今の所一切明かされていない。
憶測は憶測を呼ぶ。
彼女に掛けられている賞金もまた、判断材料の一つ。
死の魔女と言う二つ名もまた、その一つ。
ルファー自身とは乖離した所で、別の人格、別の生物が生まれている。
それでも、彼女の行動には何ら変化はない。
今日もまた、訪れる。
神に召されるのを待つだけの、残り僅かな命の元を。
−聖夜の形骸−
聖夜祭も終わり、新たな年を迎えようとしているノルマンの地で、今一人の老人がその生涯を終えようとしている。
イザベルと言う名の女性だ。
パリから20kmほど離れた場所にある街の診療所の一室で、彼女は虚空を眺めながら、余生を過ごしていた。
正確には、見えていない。
彼女は盲目だった。
加齢によるものではなく、10歳の時に患った病気の為だ。
光なき彼女をここまで生き長らえさせたのは、一つの想いを遂げる為。
二つの約束を果たす為だ。
52年前――――イザベルが16歳の時のこと。
目の見えぬ彼女は、占いを生業としていた。
的中率そのものは然程高くはなかったが、器量の良さと話の上手さ、何よりもハンデをもろともしないその明るさが評判を呼び、彼女の元を訪れる者は後を絶たなかった。
そんな中、イザベルは運命の出会いを果たす。
その男性の名はショーン。
若くして複数の国を飛び回るトレジャーハンターとの事だった。
そんな彼に対して、イザベルの占いはこう示した。
『貴殿の求めし宝、アヴニールの洞窟にあり』
その占いは、結果的には外れた。
イザベルの住む街から南東に30kmほど離れた場所にあるアヴニールの洞窟には、何もなかったのだ。
しかしショーンは一向に気にも留めず、その後もノルマンに戻ってくる度に彼女の元を訪れ、自分の戦利品を触らせ、その武勇伝を陽気に語っていた。
彼は演出が好きで、いつもイザベルが驚くような行動をしては、彼女に刺激を提供した。
まるで少年のように声を弾ませて、冒険談を土産話として届けてくれる彼に、イザベルは次第に惹かれて行く。
彼の右頬には大きな火傷の跡がある。冒険の途中で負傷したと言っていた。
その事すらもまるで勲章のように語る彼と話している時、イザベルは自分のハンデの事など忘れ、一人の女性として話に没頭する事が出来た。
そんなある日。
二人が出会って三年が経過していたその日は、ちょうど聖夜祭の夜だった。
多くのカップルがイザベルの占いに一喜一憂し、それぞれの夜に彩を加えて行く。
そして、閉店時間となり、道具をしまっていたその時。ショーンが店を訪れた。
彼は息を切らし、苦しそうに言葉を紡ぐ。
これを預かっていて欲しい、と。
その言葉と共にイザベルの手に渡されたのは、片手に収まる大きさの箱だった。
ショーンは危機感をまといつつも、ゆっくりと言葉を続ける。
自分が受け取りに来るまで持っていて欲しい。必ず受け取りに来るから。
そして、それまでは絶対に箱を開けないように――――そう懇願した。
イザベルが頷くと、ショーンは逃げるように彼女の元を離れた。
それから、52年。
今年も、彼がイザベルの元を訪れる事はなかった。
イザベル自身に諦観の思いはない。
ただ、彼女に対して同情的な声は、ずっと耳に入っていた。
それは、ショーンと言う男性は実は盗賊なのではないか、と言う噂だ。
彼がイザベルに話していた事、触らせていた物は全て虚実。
彼女の気を引く為だと。
そして、イザベルの元に今もあるその箱は、とある富豪の家から盗んだ物で、追われる最中にその盗品を彼女に預け、行方をくらまし、ほとぼりが冷めたら回収しに来る。
その予定の途中で、捕まってしまったのでは、と言う憶測が実しやかに囁かれていた。
中には、箱の中身を確認した方がいいと助言する者も数多くいた。
イザベルは、それを頑なに拒んでいた。
拒み続けて52年。
今も、約束は守られ続け、約束は果たされずにいる。
しかし、イザベル自身、既に余命が残り僅かである事を自覚していた。
既に喉に力が入らず、言葉すら発する事が出来ない。
もし、ここにショーンが訪れても、自分でその箱を渡す事すら出来ないだろう。
何故なら、箱は彼女の自宅に仕舞ってあるのだから。
もう歩く事も話す事も出来ないイザベルに出来る事は――――待つ事。それだけだ。
『イザベルさん。私の声が聞こえるでしょうか』
そんなイザベルに、突如女性の声が聞こえる。
既に聴覚も衰え、かなりの大声でないと聞こえない筈なのに、その声は鮮明に脳を刺激した。
『私は、貴方の望みを叶えに来ました。貴女の思い残しを教えて下さい』
『これは‥‥テレパシー?』
かつて占いをしていた頃、彼女の元には魔法使い達も訪れていた。
その為、イザベルには最低限ではあるが魔法の知識があった。
『はい。貴女の頭の中に直接話し掛けています』
『そうなのですか‥‥でも、何故私に?』
『‥‥私が、それを望むからです』
テレパシーを届けた本人――――ルファーは、首に巻いたマフラーにそっと触れ、何かを隠すかのように言葉を濁す。
しかし、イザベルにはそのような事はどうでも良かった。
これは、彼女にとって最後の機会。
それを優先させる事に時間を割いた。
『わたしの望みは‥‥約束を果たす事です。聖夜に交わした、あの約束を』
ルファーは沈痛な面持ちのまま、イザベルの過去とその願いをじっと聞いていた。
翌日。
ルファーはイザベルの家を尋ねていた。
幼少期からずっとイザベルが住んでいたその家は、診療所から歩いて三時間ほどの場所にある、町外れの小さな小屋だった。
既に何年も人の出入りがないのか、蜘蛛の巣が所々に張ってある。
小屋の奥には机があり、そこには占い道具一式が置いてあった。
占いもここで行っていたのだろう。
その机の一番下の引き出しの奥に、預かり物の小さな箱があるという。
ルファーはその引き出しを開けた。
するとそこには――――何もなかった。
誰かが持ち出したのか。
それとも、最初から箱などなかったのか。
狼狽するルファーは机の全ての引き出しを捜したが、小さい箱は見当たらなかった。
もし、ショーンが回収していたのなら、問題はない。
彼が何者で目的がどうであれ、イザベルの願いは約束の成就なのだから。
しかし、そのような保証は何処にもない。
盗賊の仕業かもしれない。
それこそ、たまたまこの家を訪れた子供が持ち出した可能性だってある。
ルファーはどうすべきか思い悩んだ。
ショーンの素性を探り、そこから彼の足取りを追って、本人を探して問い質すか。
箱の行方を探り、情報を集めて回るか。
いずれにしても、その両方を行わなければ、イザベルの願いは叶えられそうにもない。
誰かの手を借りなくてはならない――――ルファーはそう決断した。
●リプレイ本文
依頼を受けたクリス・ラインハルト(ea2004)、ガブリエル・プリメーラ(ea1671)、エラテリス・エトリゾーレ(ec4441)、ジャン・シュヴァリエ(eb8302)の四人は、ルファーと合流後、まずはイザベルの元に訪れる事にした。
「御高齢の方なので、長時間の面会は‥‥」
「はい、了解なのです。先にお伺いする事まとめておきました」
クリスが診療所の看護士に笑顔で対応する中、他の冒険者達は奥のイザベルを威圧しないよう、静かに彼女の傍に近付いた。
話はルファーのテレパシーを介して行われた。
まず、ガブリエルがリシーブメモリーを使用し、イザベルの記憶の中にあるショーンの声や箱の感触などを確かめてみる。
その間、ジャン、エラテリス、クリスの三人はそれぞれの見解を小声で話し合っていた。
「もしこれでガブお姉さんの魔法が空振りだったら、最悪のケースの考えないといけないです」
「最悪‥‥この場合の最悪と言うと‥‥」
「え、どう言う事かな?」
ジャンとエラテリスが思案顔になる中、クリスは自身の見解を述べた。
それは、全てがイザベルの意図しない作り話である可能性。
記憶と言うのは曖昧なもので、現実が必ずしも性格に記録される訳ではない。
時の経過が、或いは自身の感情や危機管理能力が、その記録を変貌させる事はままある。
既に命の灯火が消えかけている老婆の記憶が、己の理想とする架空の物語を生み出した所で、誰がそれを責められる事が出来るだろうか。
「‥‥確かに、それだとお手上げですね」
ジャンはその可能性を否定しなかった。
実際、あり得ない事ではない。
その場合は、虚構の記憶である事を証明しなければ、依頼達成とはならないだろう。
しかしそれは極めて困難だ。
例えば、一部に矛盾点が露見したとしても、それが全体の綻びである事には繋がらない。
理論で固められた世界ではないのだから、事実と虚実が織り交ざっていても成り立つ。
その全体を否定するのは、事実上不可能に近い。
「終わったみたいだよ☆」
エラテリスの言葉通り、ガブリエルが小さく息を吐き、開目してイザベルに一礼していた。
「あ、忘れてたです。イザベルさん、これお土産です。良い香りですよー」
「ボクもハーブの束を持ってきたよ☆ 置いておくね☆」
目の見えない彼女に対し、クリスとエラテリスは香りを楽しむアイテムを贈った。
それをテレパシーでルファーが伝えると、イザベルはお返しに自身の占いの道具を贈りたいと訴えた。
もう使う事もないが、タロットカードだけは何となく病室に持ち込んでいたようだ。
「ボクは占い出来ないから、エラテリスさん、どうぞです」
「え、ええと、良いのかな? それじゃ、このカードでイザベルさんを占ってみるね☆」
その後、診療所は和気藹々とした空気が流れた。
翌日。
まずはイザベルの家を訪れ、徹底的に調査を行う事となった。
「捜査の基本は現場百回、って言いますしね」
ジャンの言葉に反対意見はなく、全員で向かう。
幸いにして天候は快晴。
肌寒い一月の風もまるで意に介せず、エラテリスは走って現場に向かっていた。
それをクリスが微笑ましげにみながら、自身も鼻歌交じりに歩を進める。
「ルファー、新年はどうだった? 寂しくなかった?」
その後ろをゆっくり歩くジャンがルファーに優しく問い掛ける。
「はい、これがありましたから」
ルファーは以前ジャンから貰ったマフラーを触り、小さく笑む。
少し遠慮気味なのは、まだ知り合って日が浅いからか。
「それにしても、貴女本当男装が似合うのね。化粧し甲斐があるってものね」
「‥‥そうでしょうか? 良くわかりません」
ルファーの事情を知るガブリエルは、前日の内に彼女に化粧を施し、男装させていた。
服装はジャンの所持品を装備させ、眉を濃くし、全体的に色黒くしている。髪の毛も硬めにしてまとめていた。
いざと言う時の為、性別を変える事が出来る禁断の指輪も持たせてある。
これなら、賞金を狙う連中に見つかっても問題はないだろう。
「こう言う事、もうずっと続けてるの?」
ガブリエルの問いは、ルファーの行動全てを指している。
老人の元を訪れ、願いを聞く事。
冒険者に救いを求める事。
その小さな身体を酷使して、逃げ回っている事。
「ギルドに依頼をするのは、二度目です」
ルファーはそれだけを答えた。
それ以外は、沈黙を守ったとも言える。
「ん。もし抱え込んでる事があったら、何時でも言ってね」
気が向いた時で良い。
その行動の目的を教えてくれると、嬉しい。
そんな感情を込めたガブリエルの言葉は、ルファーを少し困らせ、少し綻ばせた。
「無理はしなくて良いからね」
そんなやり取りを敢えて静観していたジャンは、ルファーの小さな手をぎゅっと握ってあげた。
「え、えっと‥‥はい」
ルファーは困惑の色を少し強めつつも、はにかんでいた。
箱の感触に関しては、しっかりと判明した。
片手に収まるサイズの四角い箱。
叩いた音から木箱であるとイザベルは推測していたようだ。
先日イザベルに改めて箱の収納場所を尋ねたが、答えは同じだった。
つまり、彼女が置いたと主張した場所にはない、と言う事だ。
冒険者達はそれを踏まえた上で、捜索を開始した。
まずは、侵入者の痕跡の調査。
ルファーの証言によれば、荒らされた形跡はなく、机にしてもそのほかの場所にしても、埃が被っていたとの事。
尚、イザベルが最後にその箱を確認したのは、この家を離れて診療所に入院するようになった十年前だと言う。
つまり、一度舞った埃が再び積もるには十分な年月だ。
「十年‥‥結構な年月なのです」
クリスは思案顔で机の一番下の引き出しを開け、底をコツコツ、と叩いた。
更に、その引き出しを外に出し、二重底になっていないかを調べる。
しかし、細工が成されてる訳ではなかった。
「空振りです〜」
「箱の隠し場所だけ覚えてて、仕掛けを忘れていた‥‥確かにその可能性もありますよね」
「実際にあったらカッコ良かったですけど。残念ですねー」
クリスとジャンが苦笑する中、エラテリスは机の裏を探していたが、そこにも箱は見当たらない。
引き出しの中には、木屑や腐食した釘などが散らばっているのみだ。
「引き出しに傷とか付いてないかな?」
「んー、ないです」
エラテリスの問いに、クリスは首を横に降る。
動物が持っていった形跡もないようだ。
一方、ガブリエルは家の周りを調査していた。
近くに民家があれば、そこの住人が何かを知っている可能性がある。
だが、そう言った家は見当たらなかった。
結局、丸一日の捜索の末、該当しそうな小さな箱が発見される事はなかった。
三日目。
現場の捜索は一旦引き上げ、一同は二手に分かれて別の調査を行う事にした。
ガブリエルとエラテリスは、アヴニールの洞窟の調査を行う為、洞窟にまつわる伝承や事件の聞き取りを洞窟近隣の街で敢行した。
「もし教えてくれたら占いしてあげるよ☆」
老人から子供まで、エラテリスは幅広く聞いて回った。
特に彼女が重点的に聞いたのは、目の病気を治すという言い伝えや、洞窟に沢山の宝をしまってたトレジャーハンターがいないか、と言う、洞窟の過去に関してだ。
だが、そう言った話は聞かれない。
代わりに、このような話が良く聞かれた。
何でも、アヴニールの洞窟には『仙人』が存在し、その洞窟を守っていると言う伝承があると言うのだ。
この洞窟に関しての情報の多くが、同じ話題だった。
「仙人、ね‥‥何者なんだか」
一方のガブリエルは詩人らしく、バードの良く集まる場所を吟味して伝承を中心に聞いて回った。
そこでも、聞こえてくる話と言えばその仙人の事ばかり。
曰く『洞窟の侵入者』
依頼に対しての関連性を確かめる為、ガブリエルとエラテリスの二人はアヴニールの洞窟へ赴く事にした。
その一方。
「すいませーん。五十二年前の下取りの記録とか、残っているでしょうか?」
ジャンとクリスはショーンの調査に着手していた。
もし、ショーンが自称の通りトレジャーハンターなら、必ず頻繁に足を運ぶ場所は幾つかある。
例えば、エチゴヤ。
世界各国に店を出しているエチゴヤは、通常の店では換金できない物もお金にしてくれる。
クリスはノルマンのエチゴヤを訪れ、過去の記録について聞いてみた。
記録に使用している羊皮紙は非常に丈夫な紙で、保存状態さえ良ければ5百年でも千年でも持つとさえ言われている。
「濡れた手で触ってたら直ぐ腐っちまうだろうけどな」
エチゴヤのオヤジが高笑いしながら記録用紙を取り出すのを、クリスは頷きつつ眺めていた。
下取りの際は一筆するので、その記録が残っていれば、何かの手掛かりが掴めるのでは、と言う判断だ。
実際、記録は残っていた。
ノルマンはつい十数年前に復興したばかりで、エチゴヤ自体も他の国と比較して混乱が多かったのだが、記録自体はしっかり保存していたようだ。
だが――――問題はその量。
特に年度別に分けているわけでもなく、乱雑に箱の中に容れてあるだけなので、五十二年前の記録を探すだけでも一苦労だ。
「うー、でもやるしかないのです!」
クリスは覚悟を決めて箱の中の紙とにらめっこを始めた。
そして、ジャンは同じように冒険者ギルドの名簿と格闘していた。
五十二年前にギルドがあったのかと言う懸念もあったが、問題なく存在していた模様。
名簿もしっかり残っている。
「腐っていなくてよかったですぅ」
「ありがとう」
ジャンはお礼を言いながら、ギルド従業員から大量の名簿を受け取った。
しかも登録順に記載されており、整理もしっかり成されているので、五十二年前に辿り着くのはそう難しくなかった。
後はそこから遡って名前を探すのみ。
イザベルの記憶の中のショーンは、残念ながら映像としては残っていない。
彼女には彼の姿を見る事は適わなかったのだから、当然だ。
だが、声からイメージした年齢は、まだ十代、或いは二十代前半のような印象だったようだ。
つまり、十年ほど遡れば良いと言う事になる。
「んー‥‥ないな」
その全てを探し終えた結果、そう言う結論に至った。
これで、冒険者ギルド所属のレンジャーではないと言う事が明らかになった。
余り良い結論とは言えないその事実に、ジャンは嘆息を禁じえなかった。
最終日。
ルファーが最後に宿から出てくるのを、冒険者達は複雑な表情で迎えた。
ショーンの正体は――――確定までは出来なかった。
クリスの調査したエチゴヤの記録にショーンの名前はなかった。
ギルドにも記録は残っていない。
その後、クリスとジャンは盗賊の線も考慮し、それぞれ冒険者ギルドと教会を調査した。
盗賊として著名であったり、大きな事件を起こしたりしていれば、それらの機関に痕跡が残っている可能性はある。
だが、やはり年月が経ち過ぎているのか、調査は難航を極めた。
もし盗賊ギルドに精通した者がいれば、証拠を入手できたかもしれない。
それでも、ショーンが真っ当なトレジャーハンターであった確率は極めて低い、と言う状況証拠を集める事には成功した。
更に冒険者達は、もう一つの問題であった小さな箱の在り処も突き止めていた。
その在り処は、イザベルの家。
ただし、既に容としては形成されていない。
箱は――――腐食し、崩れてしまっていたのだ。
通常、木箱と言うのは腐れ難い。
更に、ノルマンの気候は湿気が少なく、木材には優しい筈だ。
しかし、イザベルはその箱を幾度となく手にとって触っていた。
大切な物だからだ。
その際に、彼女の手の微かな汗が、付着していた水が、徐々に木と釘を腐食していた。
目の見えぬ彼女は、その腐食に気が付かなかったのだ。
40年間は耐え抜いたのだが、そこまでが限界だったようだ。
ジャンとクリスはショーンの調査の段階で、その可能性に気付き、再びイザベルの家を訪れ、木箱の残骸と思しき釘や木屑、そして留め金と思しき金属を発見した。
問題は、中身だ。
引き出しの中には、中身と思しき物は痕跡すらなかった。
箱の中にある以上、腐食したとは考え難い。
果たして、中身はなんだったのか。
だが、今となってはそれも余り意味はないことだ。
あくまでこの依頼は、箱の行方の捜査。
それが判明しているのだから、十分と言える。
また、ショーンの素性に関しても、もう一つ手掛かりを得ていた。
それは、アヴニールの洞窟を訪れたガブリエルとエラテリスによって明らかにされた。
仙人と呼ばれる者は、確かにいた。
尤も、人ではなくやたら毛の長い、体長2m以上の猿だったのだが。
ガブリエルのテレパシーによって、無事意思の疎通が可能となった。
なんとその猿は、ショーンの事を覚えていた。
余り人が出入りしない洞窟だったので、侵入者の事は覚えていたようだ。
五十二年前――――洞窟を訪れたショーンは、彼を見て一目散に逃げ出したらしい。
その事実は、ショーンと言う人物の器と能力を如実に示していた。
この事実とクリス、ジャンの調査から、ショーンの正体は八割、いや九割は推測可能だ。
だが、今何処でどうしているかはわからない。
「‥‥で、どう伝えるの?」
ガブリエルの問いに、ルファーは沈黙を守る。
「真実は限りなく黒に近い灰色ですが‥‥『彼に箱は届いた。彼は貴女の真心に感謝していました』と告げる方が、イザベルさんの為だと思うです」
クリスの言葉に、ガブリエルも同意する。
そんな中、ルファーは重い口を開いた。
「これは私の推測ですが‥‥あの箱には、何も入ってなかったのではないでしょうか」
ショーンが贈ったのは箱。
箱の役割は、何かを収納する事。
つまり、そこには何かが入っているのだと、誰もが『想像』する。
それこそが、彼の贈り物だったと言うのが、ルファーの意見だった。
目の見えない者にとってその贈り物は、何よりも、或いは宝石よりも価値のある物なのかもしれない。
現に、イザベルは50年以上も、その想像を生きがいとしてきた。
自分が必ず戻ってきてそれを受け取ると言ったのは、中身がとても大事な物である事を想像させる意味があった。
ワクワクさせたかった。
つまり、ショーンは例え嘘を吐いていたとしても、例え情けない盗賊であったとしても、イザベルに対して好意的な行動を取った、と言う事になる。
演出好きと言う、彼の性質なら、或いは――――
とは言え、無論これも想像。
推測の域を出る筈もない。
ルファーは小さく微笑みながら、意思を告げる。
「『箱は役目を果たした』。それだけを伝えます」
それは、やはり想像を膨らませる言葉だった。