春香 〜れっつ村おこし〜
|
■ショートシナリオ
担当:UMA
対応レベル:フリーlv
難易度:やや難
成功報酬:0 G 93 C
参加人数:7人
サポート参加人数:1人
冒険期間:05月01日〜05月08日
リプレイ公開日:2009年05月09日
|
●オープニング
そこは、パリから半日ほど歩いた先に存在する、小さな村。
かつてはパンの匂いが充満し、村人には常に笑顔が溢れているような、牧歌的で平和な村だった。
そして、その村は――――花のアーチが構えられ、沢山の花々が来訪する人々を出迎えるその村は、今――――そんなかつての景色を取り戻しつつある。
「ここが、あの村だと言うのか‥‥」
その地を、一人の男性が訪れる。
現在、恋花の郷は『村おこし1周年祭』の為の用意で大忙し。
春のメニューとして売り出していたパンの一つ、『花開く恋のジャムパンセット』がパリのパン屋で取り扱われるようになり、その用意にも追われている為、村のパン職人は総動員で稼動中だ。
また、第二回公式昆虫レース『パルトン!2』も現在開催されており、前回の倍以上の子供がリヴァーレから押し寄せている。
そんな活気で満たされた今の恋花の郷を、訪問者――――ロタン・レイナは信じられないといった面持ちで見つめていた。
村おこしが始まって1年。
減少の一途だった人口は、この1年で100人以上増加した。
『恋の花咲く小径』を始め、多くの自然を利用した観光場所を設け、観光客も大幅に増えた。
何より、パンをはじめとした特産品によって、経済状況がかなり上向いている。
この村よりも規模の大きい村『リヴァーレ』と協定を結んだ事で、更なる発展も期待できる状況だ。
先日、馬車の購入も行い、また冒険者の寄付もあって、今リヴァーレと恋花の郷の間には1日2度、馬車の行き来が行われてる。
それぞれの村で取れた原料、加工した生産品をそれぞれの村で流通させ、お互い足りない部分を補完しあう事で、双方の発展を目指すのが狙いだ。
荷物だけでなく人も一緒に乗り、交通の便としても利用されている。
人の行き来、物品の行き来は、経済の流れを生む。
この1年で、恋花の郷はそう言った社会の系統を組み込むまでに成長を遂げていた。
「‥‥貴様」
そんな村の様子に未だに驚いた様子のロタンが訪れたのは、この村の長、ヨーゼフ・レイナの家だ。
そのヨーゼフは、今にも掴みかかろうかと言う目で、その男――――実の息子を睨んでいた。
「今頃何をしにノコノコと戻って来た」
「そう凄むなよ。相変わらず高圧的だな」
「何を‥‥!」
ヨーゼフが立ち上がり、目の前の息子に殴りかかろうと右の拳を握る。
「止めて!」
だが、それをミリィ・レイナが必死で止めた。
それでも興奮の収まらないヨーゼフは、拳の収め所として、家の柱を選ぶ。
「‥‥っ」
ヨーゼフは右手を叩き付けた柱から息子へと視線を移した。
その視界に移るのは、何処か冷めた目の優男。
ただ、これは感情表現ではない。元々そういう見られ方をする風貌なのだ。
とは言え、この家を2年振りに訪れたその顔に感慨はない。
「感情制御は上手くなったな、親父」
「黙れ! 娘1人育てられず村を捨てた貴様に上から物を言われる言われは無いわっ!」
ヨーゼフの咆哮は、家の周辺までに響き渡る。
「‥‥消えろ。二度とその面をこの村に見せるな。2年前もそう言った筈だ」
だが、その大声よりもずっと低いこの言葉の方が――――ミリィには響いた。
「おじいちゃん‥‥」
ミリィはそんな祖父の物言いに対し何も言えず、実の父に視線を移す。
父親は一切ミリィの方を見ずに、無表情で服装を正した。
「そのつもりだった。だが、今回は仕事で止むを得ずな」
「どう言う事だ」
「ドーラ・ティエルと言う人物を知っているな。この辺りで一番の富豪で、領主にも一目置かれる香水調合師の女だ」
香水調合師とは、香水を作る上でその調合を研究している者の事を指す。
香水は一般人でも入手可能な物だが、有名な調合師の作った物となると、ごく一部の富裕層のみしか手に出来ない、非常に高価な物となる。
ドーラの香水は、その中でも最高級に属すると言われている。
彼女の元に権力と金が集まるのは、至極当然だろう。
「そのドーラが、この村の買収を検討している」
「何だと!?」
ヨーゼフの顔に、驚愕の色がありありと浮かぶ。
ドーラと言う女性の事はヨーゼフも知っていた。
香水の原料となりそうな物であれば、どんな手を使ってでも自分の物とする。
それは仕事に対する姿勢と言うより、独占欲を満たす為だと言うもっぱらの噂だ。
つまり、お世辞にも性格の良い人間ではない、と言う事だ。
「とは言え、あくまで検討段階だ。俺はその視察に来たと言う訳さ」
「貴様、ドーラの元で働いているのか」
「まあな。いけ好かない女だが、職場としては悪くない」
ロタンはそれ以上話す事はない、と言った様子で、そのままヨーゼフに背を向けた。
「あ‥‥」
そんなロタンに、ミリィは思わず声を掛けようとする。
2年前。
ロタンはミリィをヨーゼフに預け、この村を去った。
その理由は、彼の口からは何一つ語られてはいない。
既に女性としてひとり立ち出来る年齢となっていたミリィは、ヨーゼフの言うような『父に捨てられた』と言う感覚は持っていなかった。
だが、父親が家から、そして村から離れた事は事実だ。
自分を置いて。
「おとうさん、あの‥‥」
「‥‥」
結局――――ロタンは一度もミリィに目を向ける事なく、家を後にした。
その数日後。
村長ヨーゼフの家に、1通の手紙が届いた。
差出人はドーラ・ティエル。
その内容は、数日後に村を訪れる、と言うものだった。
その日は丁度『村おこし1周年祭』の日。
ヨーゼフは眉間に皺を寄せながら、その手紙を読んでいた。
何故、香水調合師が村の買収を試みると言うのか。
何故この村なのか。
どうすべきなのか。
「みぅ‥‥」
そんな怒りと疑念で顔をしかめるヨーゼフの下に、翼を生やした猫『アンジュ』が何処か不安げに近付く。
ヨーゼフはそんなアンジュの喉を優しく撫で、立ち上がった。
「おじいちゃん」
「ああ‥‥わかっている」
ヨーゼフは村人にこの事実を知らせるつもりはなかった。
この1年間、必死で頑張ってきた村人に、記念の日を楽しんで貰いたかった。
祭に水を差す事なく、この問題を解決する。
その為には、どうしても助けが必要だった。
冒険者と言う、今やこの村になくてはならない者達の助けが――――
◆現在の村のデータ
●村力
785
(現在の村の総合判定値。隣の村の『リヴァーレ』を1000とする。
●村おこし進行状況(上記のものほど重要)
・村おこし1周年祭を準備中
・牧場経営を予定中
・子供達の為の学校、パン職人学校を建設中(70%)
・宿屋、酒場、飲食店の経営者、従業員を面接中
・リヴァーレとの間に1日2度馬車が往復中
・冒険者の方に家を進呈中(『恋花の郷名誉勲章』所持者のみ)
・パリのパン屋で村発のパン『花開く恋のジャムパンセット』が採用。
・山林地帯に『魔力を帯びた』遺跡あり。
・月に3度パリまでの移動販売を慣行中。
・村娘がダンスユニット『フルール・ド・アムール』結成。定期的に公演中。
●人口
男181人、女134人、計315人。世帯数122。
●位置
パリから50km南
●面積
15平方km
●地目別面積
山林75%、原野12%、牧場8%、宅地3%、畑2%。海には面していない
●リプレイ本文
パリと言う都市は、非常に華やかな地域と言う事もあり、多数の富豪が屋敷を構えている。
その中の一つに数えられるのが、ドーラ・ティエルと言う香水調合師の屋敷だ。
「では、参りましょか‥‥こほん。参りましょうか」
その屋敷を前に、ラテリカ・ラートベル(ea1641)は普段の話し方を変え、余所行きモードに入る。
同様に、アーシャ・イクティノス(eb6702)もまた、普段の顔つきとはまるで違う精悍さで、一つ頷いて見せた。
「すいません。私達は‥‥」
そして、屋敷の前に立つ門番に話しかけた――――
「‥‥上手く行っているでしょうか」
同時刻。
恋花の郷の村長ヨーゼフ・レイナ宅で、エレイン・アンフィニー(ec4252)は心配そうにパリのある方向を眺めていた。
香水調合師による買収。
それは、この村にとって寝耳に水の企てと言える。
確かに成長率こそ目覚しいが、香水の原料の宝庫と言う訳でもなく、原産地としては効率は良くない。
そこに目を付けるのは、何かしら通常とは違う理由があるのでは、とエレインは考えていた。
例えば『この村の花で初めて香水を作った』、或いは『初めて香水を作った時に使用した花がここに咲いている』などと言う理由だ。
「大丈夫じゃないかな。あの2人なら」
そして、エレインの後ろで自身の飼い猫ハイネの身体に『羽根の作り物』を付けているジャン・シュヴァリエ(eb8302)もまた、エレインに近い推理をしていた。
彼の場合は、ドーラが調合師になる前、この村で何か思い出に残る事があったのでは、と考えていた。
更には、もう少し踏み込んだ理由も考えられると推測しているが、それはミリィの手前、言葉にはしていない。
「そうですわね。信じなければ‥‥」
自分に言い聞かせるように、エレインは呟く。
「よし、出来た。ハイネ、アンジュと遊んで来て良いよ」
ジャンはハイネから手を離し、その視線をエレインに向けた。
「出来る事は全部やりましたし、ね」
ジャンもエレインも、既にすべき事は終えている。
後は託すのみ。
信じるのみ――――
♪信じる心 森に放ち
♪希望の宝石 求め彷徨う
♪雪が妖精と共に舞い
♪衣なき木々と戯れている
♪その輪に加わり挨拶を
♪すると空から雫が一つ
♪それは聖なる夜の事
♪雪降る夜の小さな物語
『アーシャの供の詩人』であるラテリカが披露した冒険歌に、ドーラは拍手を贈る。
「噂には聞いていたが、実際の歌声はそれ以上だ。いや、素晴らしかった。これぞまさに芸術」
ラテリカの歌は、ドーラに十分な満足を与えるに至ったようだ。
「身に余るお言葉、ありがとうございます」
それに安堵しつつ、ラテリカは深々と頭を下げ、アーシャの一歩後ろに下がった。
それを確認し、アーシャが口を開く。
「芸術と言えば、ドーラさんの香水もその域に達しているとお伺いした事があります。
本日は、自分専用の香水の調合をと思い立ち、御伺い致した次第です」
「ふむ‥‥」
ドーラは肯定とも否定とも取れない表情で、指を下唇につけた。
アーシャとラテリカは、暫し訪れる沈黙に内心焦燥を禁じえない。
この場に至るまでに、彼女達自身の苦労も多数あった。
アーシャは恋花の郷周辺の香水店に赴き、ドーラの香水の常連客と接触し、自腹を切って食事会を開き、この面会の為の紹介状を入手した。
ラテリカは吟遊詩人ギルドに赴き、ドーラに関する噂、性格、趣味、人間関係、評判などを調査した。
そして同時に、ドーラの香水を持っている吟遊詩人から、残り4分の1ほどの香水を瓶ごと貰い受けていた。
本来は、数滴ほど布に貰う予定だったのだが――――
『私ラテリカさんのファンなんです! お会い出来て感激です!』
との事で、寧ろ喜んで進呈されてしまったのだ。
ラテリカはあわあわ戸惑いつつ、ビンを受け取った。
だが、苦労はこれだけではない。
2人がこの場に立つ為に、他の冒険者達も様々な調査を行っていた。
エレインは細心の注意を払い、恋花の郷でドーラやロタンの評判を収集。
ジャンは、手紙の文面の分析を行った後、ドーラの出身地やロタンへの接触を施行。
更に――――
(ようやく着きましたわね)
情報収集を終え、ジェイミー・アリエスタ(ea2839)は恋花の郷に帰ってきた。
ジェイミーが仕入れた情報は、シフールのパール・エスタナトレーヒ(eb5314)が伝達係として既にラテリカとアーシャに伝えている。
その内容はと言うと、ドーラが香水を作る際に利用している採取地の調査結果だ。
特徴としては、普通の香水調合師が余り目を向けない場所が多かった。
(やはり、珍しい物欲しさの線が濃厚のようですわ)
村道を歩行しつつ、ジェイミーは思案する。
そうなると――――
「あら、アリエスタ様。今お帰りになられたのですか?」
思案を続けていたジェイミーと遭遇したのは、レリアンナ・エトリゾーレ(ec4988)。
この村の常連である冒険者エラテリス・エトリゾーレの親戚に当たる女性だ。
そのエラテリスは今回、初日にパリで情報収集し、レリアンナにそれを託していた。
「ええ。採集地が点在していて、少々時間が掛かったもので‥‥ね」
「お疲れ様ですわ」
ジェイミーの自分の肩を叩く仕草に、レリアンナは笑顔を覗かせた。
そんなレリアンナ自身も、前日まで村の外で調査に明け暮れていた。
アーシャから借り受けた馬を使い、ドールの最近の動向や計画、ドール自身の好きなものなどを集めていたのだ。
尚、情報はラテリカとアーシャに伝達済みだ。
それらの情報を総合した結果――――ドールと言う人物像が徐々に浮かび上がって来た。
幼少の頃より香水の制作に明け暮れ、香水の為なら金も時間も厭わない人物のようだ。
独占欲が強く、他人と違う事をするのを好む。
原料を入手する為には手段を選ばない。
その一方、仕事以外での彼女の悪行は殆ど耳に入っては来なかった。
「シュヴァリエ様やアンフィニー様は、思い出や人間関係の面を考慮していましたわ」
「あの2人らしい見解ですわね。わたくしにはない発想ですわ」
ジェイミーの苦笑に、レリアンナはどう答えるべきか迷った挙句、やや引きつった笑みを返した。
「こほん。それに致しましても、上手く行くといいですわね」
「わたくし達の代表として赴いているのですから、当然上手く行きますわ」
レリアンナの言葉に、ジェイミーは堂々とそう言い放つ。
言葉はどうあれ、それはやはり信頼なのだろう――――レリアンナは内心そう感じていた。
内心穏やかでない2人が見つめる中、応接間のソファーで顎に手の甲を添えながら、ドーラは沈黙を破る。
「何故、自分専用の香水を? 私の香水が欲しいだけなら、市場に出回っている物で良いではないか」
金持ちの屋敷なだけあり、客と主人の間にあるテーブルは非常に大きく、双方の距離は結構離れている。
その距離を、アーシャとラテリカはやけに大きく感じていた。
「ドーラさんの香水の質は元より、そのドーラさんから自分専用の物を作って貰う事に魅力を感じるのです」
ドーラの質問に、アーシャは慎重に答える。
もしここで下手な答え方をすれば、『香水の質』ではなく『ドーラ』と言う名前、ブランドのみを目的としていると判断されかねない。
それを良しとする職人もいない事はないが、可能性としては余り高くないだろう。
アーシャは自身の話術や対人鑑識能力をフル稼働させ、この回答を導いた。
「成程。確かに、自分独自の物には魅力を感じるものだ」
ドーラの価値観は、他の冒険者の集めた情報で把握済み。
それも功を奏し、最高の回答を導き出す事が出来た。
だが、問題はここからだ。
2人がここに来た目的は、あくまでも買収の食い止めにある。香水を作って貰う為ではない。
「では、所望する香水の原料を聞こう」
「!」
次にドーラから発せられた質問は、アーシャを内心驚かせた。
アーシャは情報収集の段階で、ドーラの香水について色々と知識を得ている。
答えるだけならば問題はない。
問題は――――この質問に隠された意図だ。
単に試しているだけかもしれない。
警戒されているのかもしれない。
判断が難しいところだ。
「それは‥‥」
「こほん」
アーシャが答えあぐむ中、傍らのラテリカが小さく咳をする。
「失礼しました。先程の歌で少し喉を‥‥」
「それは大変だ。蜂蜜を使ったのど飴がある。舐めると良い」
ドーラは使いの者を呼び、飴を持ってこさせる。
この間は非常に有効だった。
アーシャはラテリカを労わる傍ら、感謝のウインクをする。
実は、この咳は故意のものだった。
踏み込むべきと判断したタイミングで咳をする。そんな決まりを、予め2人で決めていたのだ。
アーシャは意を決し、答えを紡ぐ――――
2日後。
恋花の郷は、村おこし一周年記念のお祭りで賑わっていた。
買収騒ぎが村人の間で噂になる事もなく、花で彩られた臨時便の馬車が、多くの観光客を運んで来ては、その賑わいを更に活気付かせている。
また、アンジュが『シムル』である事を内外に悟られないよう、他の猫達にも作り物の羽根を付け、祭りに花を添えていた。
「にゃー」
「うにゃ」
「みうー」
ラテリカの白猫ポエム、ジャンの白猫ハイネ、そしてアンジュの3匹が、アーシャと共に『恋の花咲く小径』を眠そうに目を細めてながら歩いている。
その様子を、主にカップルで訪れた観光客が平和な顔で見つめていた。
と言うのも――――
『猫キューピッド伝説』
そう銘打った、羽の生えた猫が愛の橋渡しをしてくれると言う伝説の解説と、羽付き猫の絵を、アーシャの土産屋で展示している為だ。
この猫達を2人で見つめると、愛を確かなものにすると言う趣旨のその伝説は、早くも観光客の間で話題となっていた。
「当然だ。この世で最も影響力が大きいものだからな。恋愛と言うものは」
話題を振られ、そう断言したのは――――村長宅を一人で訪れた、ドーラ・ティエルその人だ。
彼女がこの地を今日訪れた目的は。
「この恋花の郷と言う村を買収する‥‥つもりだった」
ドーラの言葉に、村長ヨーゼフは顔色を変える事なく言葉を待つ。
「私が惹かれたのは、その名前だ。『恋花』。これ以上に婦女子を刺激する原材料は他にあるまい。そう思い、買収を案じた」
恋花の郷と呼ばれる村の物を原材料とすれば、『恋が叶う香水』などと言う売り出し方にも説得力が生まれる。
そうする事で、余り香水に興味のなかった者にも、広める事が可能となるだろう。
ドーラはそう思っていた。
しかし、その考えは改められた。
あの日。
アーシャはこう答えていた。
『私の望む材料は、心です』
そして、その言葉をラテリカが自身の状態を踏まえ、補足する。
この喉も、気遣いなく無理強いされたならば、満足行くものとはならない。
この竪琴も、乱暴に扱われては、満足行く音色とはならない。
優れた歌を生むのは、慈しむ心、願う心が必要だと。
『きっと、香水も同じではないかと思うのです』
身に纏う者、作り手の慈しみが重なり、初めて『芸術』とすら称されるものとなるのだ。
市場に出回っている香水にそれがないとは言わないが、両者の心が重なるのは難しい。
だから、こうして直に頼みに来た。
2人はそう語り、頭を下げたのだと言う。
「だが、買収と言う乱暴な手段を用いては、恋の香水としては相応しくなかろう。そう思い直した」
ドーラは、その要因を作った2人がこの村の関係者である事は知らない様子だ。
つまり、上手く行ったと言う事。
方法としては、ドーラが根っからの悪人ではなく、職人気質を内包していると言う事を前提とした、賭けに近いものだった。
だが、アーシャとラテリカの2人は、彼女の行動、そして事前に集まった情報から『行ける』と確信し、実行に移したのだった。
「では、この村を買収する気はなくなった、と?」
「そうだな。もし特別な原料でもあれば考えるが、そうではなさそうだ。今日は純粋に祭りを楽しむとする」
そのドーラの言葉に、ヨーゼフは胸を撫で下ろした。
その頃、村の中央広場では、フルール・ド・アムールが躍動感溢れる踊りを披露していた。
曲を奏でるのは、ラテリカと村の音楽隊。
収穫祭で合わせた時よりも、更に息の合った演奏で、踊りに律動を与えている。
ラテリカは普段使わない言葉遣いをしたり、余り作らないタイプの歌を作ったりと、かなり精神的疲労の大きい時間を過ごしていたが――――
「あの小さい身体で頑張りますわね」
「あら? わたくしよりもずっと大きい‥‥こほん、ええ。とても立派ですわ」
その様子に、ジェイミーとレリアンナが感心していると。
「結局、提携のお話はお流れになったんですねー」
その2人の真上から、パールが現れた。
彼女は先日まで酒場と宿の経営候補者の面接に立ち会っており、詳しい話はつい先ほど確認したばかりだった。
「イクティノス様はそうしたいと考えていたようですが、ヨーゼフ様が首を縦に振らなかったようですわ」
レリアンナは演舞を終えたダンスユニットと音楽隊に拍手を贈りながら、そう答えた。
「まだ、息子の事を受け入れられないみたいね」
「暫く時間が掛かりそうですねー」
そして、ジェイミーとパールも苦笑しつつ、手を叩いた。
同時刻――――牧場予定地。
ジャンはエレインを誘い、柵で囲まれたその地に足を運んでいた。
レリアンナの熱心な指導もあり、肥料問題も無事解決したその地は、徐々に牧場らしい様相を呈している。
「僕のお店の馬も、ここで面倒を見て貰ってるんだ」
ジャンはそう切り出しながら、暫し雑談に耽る。
お洒落しているエラテリスをパリの街で見かけた事。
ロタンに話を聞きに行ったが、殆ど言葉を貰えなかった事。
エレインはその話を、笑顔を絶やさずに聞いていた。
「えっと、それで‥‥渡したい物があるんだ」
ジャンは不意にそう告げ、スズランをエレインの前に差し出す。
「もうミュゲの日は過ぎちゃったけど」
「私に‥‥?」
「この村で一番この花のイメージにあってるかな、って」
ジャンがそう告げると、エレインは謙遜しつつ、その花を受け取った。
ミュゲの日にスズランを送られた者には、幸運が訪れると言う。
「あ、エレインさーん! エレインさんの考えたパン、お土産用に作っておきましたー!」
そんなエレインを、カールが大声で呼ぶ。
エレインはそれに笑顔で応え、ジャンの方に視線を送った。
「こんなに早く幸運が訪れるとは思いませんでしたわ。ジャンさん、ありがとうございます」
「あ‥‥ううん。良かった」
エレインの笑顔を、ジャンは笑顔で見送った。
春雷のように突然訪れた買収問題。
それは、冒険者達の働きにより、表沙汰となる事なく無事解決した。
それぞれの心に微かな香を残して。