●リプレイ本文
●雨降る村へ
――潮の匂いだ。
アシャンティ・イントレピッド(ec2152)は、半ば無意識に、頭に巻いたスカーフに手をやって、馬上から飛び降りるように駆け出し、血の混ざる泥に倒れ伏す村人を抱き起こした。
「‥‥手遅れか」
後を追いかけてきた、短胴頑健を誇る種族であるヘラクレイオス・ニケフォロス(ea7256)さえも嘆息を漏らした。
雨が打ち叩いた後の地面から、うっすらとのぼる蒸気の間に見え隠れする手足の数は、右往左往する村人のそれより少ないだろうが――痛ましい光景には変わりない。
「こんな‥‥ひどい‥‥」
リーディア・カンツォーネ(ea1225)は、胸の聖印を握る手に力をこめ、身体の奥からくる震えを止めようとするその横で、腰に差した剣柄の装飾に指先を這わせながらミシェル・コクトー(ec4318)が苛立つように呟いた。
「ほんとに‥‥酷すぎ、ですわね」
村人を数人連れ戻ってきた助役から、あれから数度襲われ、村長以下十数人が亡くなったこと、いつ襲いくるか知れぬ魔物に怯え、人々が動かず避難と堤防造りが大幅に遅れていることを知った。
「そうか‥‥誠に残念だ。だが今はまず生きる者の為、心を鉄にし、手足を槌として報いよう」
短躯の騎士の短い弔辞と力強い言葉に、男達の目に意気が戻ってきた。
雨の降る間隔がまばらで短くなってきていることだけが救いだというが、次はいつ降るのか‥‥
『雨は明日〜。真っ暗くなってまた明るくなってからですっ』
突然陽気な声が上がり、撒き散らしたような小さな陽の光が上がった。驚き目をむく皆を前に、一人してやったり顔のミシェル。飛び出した光は彼女の相棒、陽妖精だ。
「これで、作戦が立てられるのではなくて?」
妖精の天候予知によって降雨を知り得た一行は、雨天にしか襲来がないことを確認し、それぞれ村人数人と冒険者一人という割り当てで作業に当たることにした。
避難といっても七十世帯はあり、その半数以上が呼びかけにも応じないほど怯え閉じこもっていた。さらに放置された村人の遺体の埋葬、加えて多くの負傷者。
夜闇も大分降り、夜半もとうに過ぎた頃、ようやく落ち着きを取り戻してきた避難所に、かまどから連れ出した幼子二人――父母の姿はなかった――と共にミシェルが戻ってきた。翼を休めていた天馬が、その姿を優しく見送る。
「お帰り。そっちはどう?」
埋葬と見回りを終えて少し休憩を取り、堤防の様子を見に用意していたアシャンティが声をかけた。
「この子達で終わりですわ、多分。‥‥彼女は?」
幼子の、自分ではまだ着替えもできそうにない妹の汚れを拭ってやりながら、ミシェルはそう聞いた。
「リーディアなら、奥で寝てるよ。村のみんなの手当とか、食事の世話とか一心不乱になってやってたから疲れたんじゃないかな。さっき見てきたら全身汚れきったままだったよ」
「あら‥‥そうですの‥‥」
妹の方の服を替えさせてやりながら心配そうにつぶやいた。
「‥‥子供の世話するの、上手いね」
アシャンティの言葉に、ミシェルの手が一瞬止まる。
「わ、私、子供なんて好きじゃありませんわ」
すがりなつく幼女から顔を逸らしつつも手は休めない。
「そんないいのに。謙遜なんて」
顔を赤らめ、立ち上がるお嬢様を背に、アシャンティはそのまま戸口から飛び出し、馬と共に駆けていってしまった。
「なんてことですの! もう! ホントに――」
着替え終えた幼女の格好を見て、ミシェルは何か思いついたように笑みを浮かべて、奥の方へそっと足を運んだ。
破壊され尽くした堤防のあまりの有様に、この気のよいドワーフの騎士は、唸る自分の喉を止められなかった。しかしその憤りを傍らに置き、人々を導くために先んじて作業を始めた。削った土を土嚢ごと押し上げ、損壊した家の木材を寝かせて噛ませる、『削り盛り』という技法を用い次々に修復していく。
中流域は手ごろな石が転がっていたので大分早く進んだが、破壊が一番ひどかった下流域の堤防はかなり時間がかかってしまった。しかしおかげで強固なものとなり、その完成度に、村人達もここ数日続いていた惨憺たる思いが晴れるような気分だった。
「ん‥‥ここは終わったわい。どれ次は――」
背後の川面から、跳ね上がった水音を合図にしたかのように、雨が、降り始めた。
●雨換ぶ珠
小事を済ませ、すっかり機嫌が良くなったミシェルはその後も子供達の相手をさせられ、ちょっと不満げだが――案外悪くなさそうだ。
「なあ、おねえちゃん。いいもん見せてやろうか?」
そう言って兄が何か取り出そうと――
「あっ、コクトーさん!」
「あら、カンツォーネ様。もう起きてこられてよろしいのかしら」
顔を真っ赤にしながらリーディアが近づいてくる。その姿が‥‥
「わあ! おねえちゃん、かわいいー」
着装していた質素な修道服とは打って変わり、派手にフリルを施されたエプロンドレスと、レースを重ね編みしたヘッドドレスを――いわゆるメイド姿という格好になっていた。
「こ、こ、これ! コクトーさんの‥‥なっなんで私が着てるんですか?!」
あまりの狼狽ぶりに期待以上の効果が上がったことを内心ほくそ笑みながらも、おくびにも出さないミシェル。
「私めがお着替えあそばせて頂いたのです。あまりに汚れてらっしゃって、その‥‥寝苦しそうでしたし、不憫でしたから‥‥いけなかったかしら」
実に残念そうに顔をうつむかせて見せるミシェルに、聖女は慌てたように、
「あ‥‥そんな、い、いいんです。助かります。ごめんなさい、いきなり詰め寄ったりしてしまって」
「いいえ、いいんですの。こちらこそ差し出がましい真似をしてしまって‥‥」
「いえ! 本当に助かります。ありがとうございます。おかげで良く休めました」
「そう‥‥よかった。喜んで頂けて嬉しいですわ。淑女として当然の事をしたまでですもの」
そう笑い合いながらも、心の内はまるで正反対の二人。
「なあなあ。それより俺のも見てくれよー」
兄が聖女の出で立ちなぞ歯牙にもかけず取り出したのは、所々鈍色ながらも不思議な輝きを放つ、赤子の握り拳ほどもある真珠のようだった。さすがに二人とも驚き、
「こ、これなぁに? どこで見つけたの?」
「変なおっさんがくれたんだぁ。いいだろ? これさぁ、光にあてるともっとすごいんだぜ」
と得意げに言ってろうそくの前に――
「あら‥‥なんだかだんだん‥‥気のせいかしら」
「いいえ――これ、透き通っていますわ!」
確かにそれは輪郭さえもぼやけるように、徐々に透明になりつつあった。そしていきなり光が弾けた。
『あめだよ! きてるよ!』
陽妖精が、大慌てしながら部屋中を飛び回り始めた。
(「?!」)
二人は顔を見合わせ、お互い一瞬で同じことを考えついたのを悟ると、
「ごめんね。これ、ちょっと借りてくね」
「あっオレのっ!」
飛び出した二人を遮るように突如振り出した雨は、軒先を盛大に流れ落ちるほどの豪雨になった。
「全員撤退!! 全力で走れ!」
逃げ出す村人と魔物の間に立ち塞がるヘラクレイオス。その筋肉が盛り上がり、唸りを上げて振り下ろされた短接棍は、魔物の身体にめり込み、ぬかるみの中へ叩き込んだ。
(「ぬう‥‥まさか雨と同時にくるとは‥‥いや、それとも彼奴らがきたから雨が‥‥?」)
一瞬の疑問に解答する余地もなく、次の攻撃を繰り出した。
(「! ――剣戟?」)
馬を駆け、道程を半分以上過ぎたあたりで、いきなり強烈な雨に見舞われたアシャンティは、嫌な予感がしたが――前方から駆けてくる村人の集団を見つけると、己の不安が的中したことを悟った。
「や、奴らがきた! またすごい数だぁ〜!」
「落ち着いて! そのまま避難所へ行ってあたしの連れに、敵がきたと伝えて!」
と馬上から叫び、そのまま川へ向かって馬脚を加速させた。
数分もしないうちに、いくつかのかがり火に照らされたドワーフと複数の影を見つけた。
少し距離を置いた地点で、アシャンティは逃げるがままにした馬の背から飛び降り、ヘラクレイオスの下へ駆け込む。
一対複数ではさすがに分が悪かったのだろう、身体のあちこちから血を流し、それでも勇壮に構えるドワーフの側面に立ち、アシャンティは敵の包囲陣へ槍を構え、豪雨の中叫んだ。
「大丈夫ですか?!」
「かすり傷だ!」
一、二‥‥七体。そのうち二体は屠られ、泥の中だ。
短躯の騎士が敵を引きつけるように動いたのを見てとったアシャンティは、洩れた敵一体に突進し、その胸に深々と槍を埋めた。
ヘラクレイオスは、村への進路を断つ位置へ陣取ると、駆け込んできた一体の攻撃を背で受け流しつつ、もう一体に短接棍を打ち込んで、力任せに叩き伏す。そのまま今度は左へ駆け、二体の動きを封じる。
倒れた影を踏みつけたアシャンティは、力任せに槍を引き抜き――と、いつの間にか回り込んでいたもう一体が迫ってきた!
身体を捻って攻撃をかわし――たと思った瞬間、こめかみに強烈な熱を感じ、そのままぶつかってきた敵と倒れ込む――ところを、短接棍が横から魔物を薙ぎ払った。
「お主、大丈――」
アシャンティの姿を見て、ドワーフの動きが一瞬固まる。
「わたしなら――」
ヘラクレイオスの視線でハッと頭部に手をやると、ちぎれたスカーフからはみ出た、自分の耳に触れた。
愛馬ブラシュの手綱を握り駆けていく彼女の頭上を、翼を広げた白い影が続く。手入れの行き届いた自慢の金髪と視界を大粒の雨で叩かれながらも、ミシェル達はとにかくドワーフ達の下へ疾く急いだ。
「いました! あそこです!」
聖女を乗せた天馬が駆け下りて行く先から、豪雨を突き破るほどの怒号が聞こえた。ヘラクレイオスだ。
「ウェントス様、聖なる光を!」
聖女の願いに天馬が全身を輝かせると、瞬間、影の一つが白い光に包まれ、その全身を顕わにした。
全身をぬめぬめとした鱗で覆われた人間そっくりの肢体に、魚そっくりの頭部――鳥獣戯画から抜け出したような醜悪な姿にミシェルは思わず眉を寄せたが、そんなことに構う暇などない。
「私も!」
ミシェルの操る愛馬が、一体の影を押し倒し踏み砕く。その反動を使い、彼女は軽やかに地面に降り立った。
リーディアは少し離れた地点に降り立ちながら、気づいた。
(「『聖光』が効いてない‥‥邪悪な存在ではない?」)
形勢は逆転したものの、魚人達は幾度傷つけられても痛みや恐怖を感じないかのように猛然と襲い来る。
「こいつら、頭悪すぎですわ、ねっ!」
ヘラクレイオスは最後の魚人の攻撃を背中で受け流し、その頭部へ短接棍を振り下ろした。
とりあえず終わった戦いに、一呼吸だけ安堵の息を吐こうとしたその時――
天馬が盛大ないななきを発した。見れば、堤防を乗り越えようともがく、物凄い数の魚人が押し寄せていた。
●雨はいつか止む
「一体なんですの! この‥‥この数!!」
燃え残るかがり火を受けて、物凄い数の魚人が不気味に鱗をきらめかせて近づいてくる。頑強に修復した堤防は崩れずにいたが、この雨とあの数では、あと数刻も持つまい。
「皆! すぐに退け!」
ヘラクレイオスの怒声も、この雨と、えらを持つ足音に掻き消されたが、自然と足は後ろへと下がっていく。
何か‥‥今までと雰囲気が違うことに皆気づいた。どこか一点に集まるかのように群れ動いている。どこか――
「皆さん! こっちにきて下さい! 早く!」
「何をしているんだ! さっさと退くんだ!」
「違うんです! これなんです! 聞いてください!」
リーディアとミシェルは、ドワーフとハーフエルフの騎士にあの真珠を見せながら、事の経緯を手短に話した。
「ですから、これを返せば大人しく引き下がってくれると思うんです!」
堤防を乗り越えた十数体の魚人が、こちらに向かってこようとしていた。まだ後が続いている。
「本当か‥‥信じられん‥‥」
さらに堤防を乗り越えて次々とその姿を現す魚人の群れ。それはもう塊としか呼べなかった。
「だがただ渡すだけで良いものなのか‥‥」
「それは‥‥」
重苦しい沈黙。耐え切れなかったのはやはり彼女だ。
「あーもう! こうなったらやるしかありませんわ!」
ミシェルは剣を一振りすると開き直るように叫んだ。
「私達がここで退けば、この村が危ないのですもの!」
そうだ。退くためじゃない――
眼前にまで押し寄せた魚人の群れを前に、四人とも逆に肝が据わった。武器を構え直すと、群れの前に立ちはだかる。
「ウェントゥス様! 聖なる加護を!」
聖女の呼びかけに、天馬は再びその翼を広げ輝かせた。周囲に目に見えない力場が張り巡らされ――
突然真珠が、淡くも強い光に包まれた!
行く筋もの泡のような光があたりに舞い散り、最後に一際輝くと――小さな水音を発して消えてしまった。
四人があ然としてそれを見送ると、降りだした時と同じく、急に雨が止んだ。
空を見上げると、まるでどこからか吸い取られていくかのように、あれほど厚く垂れ込めていた雲が霧散してゆき、その雲に倣うように、あれほどいた魚人達が、潮を引く勢いで堤防の向こうへ消えていった。
後に残ったのは、武具を構えて立ち尽くす四人の姿。
「‥‥一体‥‥一体なんですのー?!」
「つまりこういうことですの?」
村の修復と救助、そしてしばらくの様子を見る為、一行はあれから三日ほど逗留していた。
「天馬――ウェントゥス様が魔法をお使いになったおかげ、と?」
帰り際、この村の特産品で、これしかお礼できるものがないと、村人総出の見送りに手渡されたのは‥‥真夏のこの時期に似合わぬ、皮の外套だった‥‥
「正確には、ウェントゥス様が放った光の、だと思うんですが」
「なるほど。それは一理ありますわ。ろうそく程度の灯りであれでしたものね」
村からの帰り道。ゆっくりと歩を進める馬上で、話し込むリーディアとミシェルの少し後ろに続く二人の騎士は、先ほどから会話もなく――
「‥‥少し先に行く」
掛け声も高く手綱を降ると、短躯で気のいい騎士は、街道を逸れて平原へと駆け上っていった。
「あら‥‥淋しいものですわね」
「‥‥ええ」
もうスカーフで隠されていない耳先が、晴れやかに広がる青い空から吹き降りた風に少し揺れていた。