●リプレイ本文
●訪問
「しかしまぁ、あの御仁は懲りないねぇ」
学者の研究室へと向かいながら、ツヴァイ・イクス(eb7879)は苦笑混じりに呟いた。
「行動力だけは大したものだが、少しばかり周りの事を考えねばならんな」
「とはいえ、学者氏は頑固ですからねぇ‥‥」
横を歩くマグナ・アドミラル(ea4868)、エル・カルデア(eb8542)も続き、小さくため息をつく。
この三人、以前にも暴走した学者を連れ戻した事がある。
そうこうしているうちに一行は研究室までやって来た。
「いるかい?」
声をかけながら、ツヴァイが軽く扉を叩く。
「ああー、今開けます」
中から声が返されて、出てきたのは助手であり依頼人である青年だった。
「あぁ、どうも。度々すみません」
見覚えのある三人の顔を見ると、青年は改めて頭を下げた。
「‥‥心中お察しします」
「これはこれで助手の務めみたいなものですから」
エルの言葉に苦笑しながら答える青年。
青年の考える『助手の範疇』には、暴走する学者のフォローも入っているらしい。
「しかし‥‥今回はまた多いですねぇ。まぁ、こんなところでは何ですし、どうぞ」
言って青年は道を開け、一行を部屋の中へと招き入れた。
「これは‥‥」
「‥‥なんとも物騒だにゃあ」
室内に一歩足を踏み入れたシルビア・オルテーンシア(eb8174)とカロ・カイリ・コートン(eb8962)が、思わず声を漏らす。
目の前にあるのは、机の上に所狭しと並べられた各種の縄の数々。棘付き、ナイフ付き、カギ爪付き、鎖鎌。更にその周囲には様々な大きさの棒や木槌等。
「むむむ‥‥これはもしや天界からの舶来品っ?」
天界グッズ好きのフィーノ・ホークアイ(ec1370)が目を輝かす。
「いえ、ここで集めたものですよ。お三方がいると判っていれば適した物を用意したのですが‥‥まあ、万人向けということで」
ははは、と明るく笑う青年に、フィーノはがっくりと肩を落とし、エルは呆れた様子でため息をつく。
「‥‥まぁこれだけあれば、学者殿を強制的に連れて帰ることは出来るだろうな」
オルステッド・ブライオン(ea2449)は手近にあった凶悪な木槌を手に取って呟いた。真の目的は学者を痛めつけることではないか、と邪推してしまいそうになる。
そんな中、一人、ツヴァイが青年の前に進み出ると、すっと青年へ手を伸ばした。
「?」
青年は一瞬首を傾げてツヴァイを視――
「‥‥」
――そして何かが伝わった。
がしっ。
無言で青年はその手をしっかりと握り返し、互いに深く頷き合う。
――ここに、何か奇妙な友情っぽいものが結ばれた。
「さて、必要なのは地図だな。二つ用意して欲しい」
謎の友情確認も終わり、エルが本題へと戻す。
今回は探索箇所の都合上、二手に分かれて学者を探す予定のため、地図も二枚必要だ。
「簡単なものでよければ」
言って、すぐに写しに取り掛かる青年。机の上に羊皮紙の置けるだけの空間を作り、さらさらとペンを走らせる。青年はこういう作業が無闇に早く、地図の複写はすぐに完成した。
「これで地図は大丈夫ですね。後は‥‥」
「森までの移動手段とその他諸費用、よろしくっ♪」
ベアトリーセ・メーベルト(ec1201)の言葉に続けるように、ツヴァイが軽快に言い放った。
「もちろん、その辺りは了解しています」
一見無茶な要求をあっさり呑む青年。その手にあるのは学者財布。
依頼中の必要経費は、この学者の財布から出ることになっている。勿論、青年が勝手に決めたのだが。
「それでは‥‥虫除けに香の強い香草類を買いたいのですが、費用をいただいて構いませんか? ちょっと高いかもしれませんが‥‥」
ソフィア・ファーリーフ(ea3972)が問いかけると、青年の動きがピタっと止まった。
「‥‥保存食の用意だけは各自お願いできますか?」
さらりと前言を撤回した青年の手元でぷらぷらと揺れる財布は、以前よりも軽そうに見えたと言う。
「世の中そんなに甘くない、ということですね」
アンドレア・サイフォス(ec0993)が腕を組んで小さく頷く。
「その分、手荒に扱って頂いて構いませんから」
「了解した」
「勿論そのつもりだ」
マグナとツヴァイが同時に頷いた。
●森で分かれて
天からの光は樹々に遮られ、鬱蒼と生い茂った高い草が足を絡め取る。
風に吹かれてざわめく音が、その薄暗さと相まって不気味な雰囲気を醸し出していた。
「これはまた‥‥いかにも、という雰囲気ですね」
「虫と言わず、もっと凶暴なモンスターか何かが出てきそうだの」
高く樹々を見上げながら、シルビアとフィーノが呟く。
冒険者達が見渡すここが、学者の来た森、通称『巨大昆虫の森』である。一般になんと呼ばれているかは、受け取った地図からはわからないが、ともかく学者達はそう呼んでいるようであった。
今回は、この森に単独飛び込んだらしい学者を探し出し、連れ帰るのが任務だ。
とはいえ、広い森を無闇に探し回って見つかるものではない。一行は、青年の話と地図を見た印象から、いかにも怪しい四つの場所――空き地と大樹、袋小路と未踏区域に目星をつけた。更に効率よく捜索を行うため、十名を五人ずつの二班に分け、全ての場所を巡る方針をとった。
オルステッド、マグナ、エル、アンドレア、フィーノの五人が空き地へ。
ソフィア、ツヴァイ、シルビア、カロ、ベアトリーセの五人は巨大樹へと向かう。
袋小路へは空き地捜索組が向かい、未踏区域へは二班合流後に侵入することになっている。
「初めての冒険らしい冒険‥‥柄にもなく少しわくわくしてしまいますね」
森の入り口へ着いたところで、アンドレアがうずうずとしながら呟いた。
言葉通り冒険らしい冒険は初めてのようで、心を弾ませている。
「しかも阿修羅の剣の探索と言う話ですし、勇者ウーゼルを夜語りと聞いて育った身としてはこう、胸弾む物がありますが――」
「流石に虫まみれの剣は遠慮願いたいですね」
「それはがっかりですねぇ。うん」
シルビアの相づちに頷くアンドレア。
「巨大昆虫の森というくらいですから、蚊はいませんよねきっと‥‥」
対して不安そうなベアトリーセ。小さな虫の代表格、蚊が好きではないらしい。
「‥‥ともかく、早いうちに探し出さねばな」
「うむ。探索を行うならば、なおさら早い方がいいだろう」
オルステッドに同調し、それぞれ頷き合う。
「それでは行きましょうか。素敵な素敵な大樹な森へ♪」
うっとりして今にもスキップしかねないソフィアの言葉を合図に、一行は二手に分かれて森へと分け入っていった。
●死神の虫
草を掻き分け辿り着いたそこは、まさに『空き地』であった。
広さは小さな民家ほど。草もぷっつりと消え、樹々に遮られることのない光が円形に露出した地肌を照らしている。人工的に作られたものか、自然発生して出来たものか。実際に見ても何もわからない、というのが実情だ。
「‥‥何もないな」
「何もありませんね」
先頭を行くオルステッドとアンドレアが、茂みの中から空き地を確認する。
そこには花はおろか雑草一本生えておらず、せいぜい光に寄せられた小さな虫が集まっている程度。隠れられそうな場所もなく、学者の姿は見つからない。
いや――なにやらスコップで地面を掘ったような跡がある。
「一度は来た‥‥のでしょうか。今はもういないようですね」
「となれば、次は袋小路だ」
後ろから二人が声をかける。
この場に留まる意味も無く、頷き合ってその場を離れ――ようとした瞬間。
「‥‥む、何か来おうたぞ!」
ブレスセンサーにかかったか、フィーノが叫んだ。同時に後方から、ザザザッと草を掻き分け走る音。
フィーノの声と共に、空き地へ躍り出て戦闘態勢を取る一行。隠れ場のない空き地だが、気付かれているならこちらのほうが戦いやすい。
各々得物を構え、エルとフィーノは魔法を唱え始める。
音は高い草の中を駆けながら、姿を見せず一行へと迫り――
「カマキリ!?」
思わず驚きの声を上げた。
現れたのは巨大な蟷螂。上体を持ち上げて威嚇するそいつは、マグナをも見下ろす、まさに『巨大昆虫』といったところか。解っていたこととはいえ、やはり本物の迫力は驚愕に値する。
蟷螂は駆ける勢いのまま一行へ跳び掛ってきた。両手の鎌を大きく振りかざし、落下の力も利用しながら獲物を切り裂く。
「ッ!」
ギゥンッ
無言の気合と共に鉄の音が響いた。鋭い斬撃を、しかしマグナが容易く払いのけてみせたのだ。
蟷螂は空中で強引に体勢を立て直し、着地と同時に構えを取る。必殺の一撃を払われ驚愕しているのか、それとも不敵に笑っているのか、その顔から感情を読み取ることは出来ない。
マグナと蟷螂は互いに構えたまま、じわりじわりと間合いを詰め合っていく。
リーチは互いにほぼ同じ。付け入る隙のないような、張り詰めた空気が一帯を支配して――
「もう一匹!」
叫び、フィーノが後ろを振り返る。
と同時に、マグナと蟷螂の戦闘が始まった。
結末だけを見れば、戦いは一瞬だった。
振り被った構えから繰り出される蟷螂の斬撃。それを避けようとはせず、構えた体勢のまま僅かだけ体をずらして急所を外させる。
鎌の裂いた体は致命傷には程遠く。逆に大きく崩れた蟷螂の体勢が、逃れようのない隙を作り出す。
斬り結ぶ、ほんの一秒にも満たない僅かな時間。その中に生まれた、更に僅かな間――
瞬間。放たれたマグナの刀は、命を絶つ断撃となってその体を切り裂いた。
フィーノの振り返った先にいたのは、同じく巨大な蟷螂だった。
まるで先ほどの蟷螂が複製されたかのように、鋭い鎌を振り被って一行を狙い、
「グラビティーキャノン!」
しかし、蟷螂が届くよりも早く声が響いた。
声は、エルの魔法。かざした手から伸びた黒い帯が、一直線に蟷螂を飲み込んでいく。
「ッッ!」
黒の中で悲痛な声無き声を上げながら、身を固めて重力に耐える蟷螂。しかし魔法は確実に傷を与えていく。
やがて重力波が過ぎ去ると、一度ふらりとよろめきながらも再び鎌を振り被った。
同時に、今度はフィーノの声。
「トルネード!」
放たれた魔法は術者の意に応え、蟷螂の体を包む強烈な竜巻が発生する。
竜巻はその巨体を軽々と巻き上げて、3mほどの高さまで放り投げた。
蟷螂はすかさず羽を拡げて体勢を整えようとするが、中途半端な高さが災いしてまともに地面へと叩き付けられる。
鎌を支えに四本の足でゆっくりと起き上がる蟷螂。
蟷螂は独特の広い視界で一人、フィーノへと狙いを定め――
「‥‥こちらだ」
ぞぶり、と背後から近づいたオルステッドのハルバートが突き刺さった。
更にそのまま横へと払い、内側から体躯を裂く。
「ッ‥‥ッ!」
鋭い痛いにのたうち回る蟷螂。それでもぐるりと体を捻ってオルステッドの姿を確認すると、その勢いを殺さぬまま大振りの斬撃を繰り出した。
「‥‥ふん」
傷ついた体で無理に振るった攻撃は、そうそう当たるものではない。軽く後ろへ跳び、あっさりとそれを避けてみせる。
諦めぬ蟷螂は、続けて二撃目の鎌を振り被った。
「飛んで火にいる夏の虫!」
と、再び注意のそれたその後ろから、アンドレアが一気呵成の勢いで迫る。
二度目の背後からの攻撃。反応した蟷螂はオルステッドへ向けた鎌を強引に捻じ曲げて、振り向き様にアンドレアを薙ぐ。
――が。
ギンッと硬い音を立て、鎌はかざした盾によってその動きを止められた。
力を込めた一撃は、それが防がれれば隙が出来る。
大きく開いたがら空きの腹。そこを逃すわけはなく、鎌の下をくぐるように懐へと飛び込み、
「しかしこれは、煮ても焼いても喰えそうにありませんね!」
鉄の鎚が、蟷螂の腹を強烈に打ち抜いた。
‥‥食べるつもりだったのだろうか。
「どうにか飯になりませんかね、これ」
ぽつり。と、倒れた蟷螂を見ながらアンドレアが呟いた。
今でも食べるつもりのようだ。
「いや、つい、第一次産業従事者の悲しい性と言いますか」
誰に言うでもなく言い訳をする。
「アンドレアさん、冒険者ですよ」
「‥‥は。そうでした。失敬」
言われて、はっと我に返った。冒険者になっても素晴らしき農民根性は健在だ。
「中には美味いやつもいるらしいが、真実かどうかは――なんだ、その目は」
「いえ、なんでも‥‥」
つい、とオルステッドから目を逸らすエル他。
「ともかく、ここに学者殿はいないようだな」
「次の場所へ向かうとするかの」
そんなこんな、虫食談義は一先ずさておいて。
一行は次の捜索場所、袋小路へと向かった。
●幼き日々よ
「っほおー‥‥でっかい木だにゃあ」
「てっぺんが見えませんね‥‥」
カロとベアトリーセが、大樹を見上げながら声を漏らす。
巨大樹が跳梁跋扈するこの森で、それらより二回りも三回りも大きなそれは、まさに伝説と係わり合いになっていそうな大樹であった。
加えて怪しい、周囲の石柱。三本の石柱が大樹を三角形に取り囲み、よくよく見ればそれは、先端が何かで破壊されたようにボロボロと崩れ去っていた。
怪しい部分には事欠かないが、そこから何かを見出すことも出来ない。結局のところ、謎は謎のままだ。
「嗚呼‥‥これが‥‥」
どことなくうっとりとしながら、カロ、ベアトリーセに続いてソフィアが近づいてくる。
ここまでの道中、噂の巨大昆虫と遭遇しなかったのは彼女のお蔭と言っても過言ではない。
森に生き、森を知り、森を愛し、まさしく『森の友』の名の通り。可能な限り昆虫を刺激しないよう虫除けを用意し、道を選別し、木々や草花から方向を確認。時には魔法も利用して、安全かつ迅速にここまで到着したのだ。
「いい香り‥‥」
抱きつくように、ソフィアは大樹にぺたりと張り付いた。頬と耳を付け、木の匂いを吸い込みながら、ゆっくりと深呼吸をする。
「偉大なる森の賢者よ、質問させてくださいね」
呟くと、ソフィアの体がぼんやりとした淡い光に包まれた。グリーンワードの魔法だ。
植物と会話の出来るこの魔法で、学者の目撃情報を探る。
「‥‥」
その後方で、シルビアは大樹を見上げたまま眉をひそめていた。
「どうかしたのか?」
最後尾でやって来たツヴァイ。シルビアの様子を見て、同じように大樹を見上げながら尋ねる。
「恐らく、この上に大蜂の巣がありますね」
視線は変えず、静かに告げる。
「蜂っていうと‥‥針を持ってて、毒のあるあれか」
「子供の時分は、無闇に突付いて追い掛け回されたもんじゃき」
懐かしそうに笑うカロ。虫取りをしたことのある子供なら一度は経験しているに違いない。
「上に蜂の巣があるってことは‥‥」
「私達が追われる?」
ツヴァイの言葉に続けて、ベアトリーセがきょとんと首を傾げながら言った。
ぶぅぅぅううんっ
上空から降り注ぐ羽音が聞こえたのは、その直後。
細かい振動が耳と大気を震わせて、現れる無数の突撃兵。後部に各々毒針を持ち、特徴的な黄色い体は一匹一匹が人の胴回り程度ある。
「うわ、でか!」
「あ! 動いてはいけません!」
じっと身を固めたシルビアの静止よりも僅かに早く、ツヴァイとカロが思わずあとずさってしまった。ベアトリーセは、驚きその場で目を丸くしている。
いくら体が大きくても、蜂は蜂であることに変わりない。蜂達は二人に狙いを定め、一斉に襲い掛かってくる。
「っのああああー!」
となれば、後は必死に逃げるしかない。
童心に帰ったように、二人は必死に蜂から逃げ回った。
「あんなに大きいと、蜂という気がしませんね‥‥」
走る二人に追いつき、どうにか蜂を追い払ったところで、ベアトリーセが驚き混じりに呟いた。
「しかし、習性は蜂そのものだな‥‥」
「懐かしいには懐かしいがにゃあ‥‥」
再び大樹の近くまで戻ってきて、ぐったりと肩を落とす二人。やはり、こういう童心の帰り方は楽しくないようだ。
「やはり、学者先生は一度ここに来たようですね。――どうしたんですか?」
そうこうしているうちに大樹との会話が終わったのか、ソフィアがやって来た。ぽややんと非常に幸せそうだ。
「‥‥いや、何でもないぜよ」
「それで、他には?」
「その後は西の方角へ向かったようなので、恐らく未踏区域へ行ったものかと」
先を促すシルビアにソフィアが答える。
「予想通り、ですね」
報告を聞いて、うんうんと頷く一行。
「しかしそれなら話が早いな」
「そうですね。学者さんに危険が及ぶ前に追いつきましょう」
「そうとわかれば早速出発じゃあ!」
最後はカロの号令で、一行は真っ直ぐに未踏区域へ向けて歩み始めた。
●落とし穴?
一方。
空き地探索班は当初の予定通り、未踏区域へ出向く前に怪しげな袋小路を捜索。草木の絡む言わば自然の壁を伝い、ぐるりと中を巡ってきたのだが‥‥。
「結局、ここにもいませんでしたね」
言って、エルは僅かに肩をすくめた。
「‥‥ここに来たことは確かのようだがな」
その前を歩きながら、オルステッドがちらりと後ろの樹々を振り返る。
唯一発見したのは真新しい木の削れた跡。恐らく学者が、道をこじ開けようとしてスコップで突いたものと思われる。
が、肝心当人姿はどこにも見当たらなかった。
「ともあれ、今は合流を急ぎましょう」
「そうさな。未踏区域となれば、なおさら御仁が危険だしの」
学者もここまでの危険はどうにか回避しているようだが、それはあくまで既に調査された場所でのこと。予備知識もあり、対応策も練ることが出来ただろう。
しかし、その先は未調査。何が起こるかは全くわからない。
「もう少し考えて行動してほしいものだ」
「そうですねぇ‥‥」
呟きに、エルも苦笑混じりに頷く。
雑談しつつも歩みは止まらず。流石エルフと言うところか、慣れた足取りのオルステッドがやや先を行き、その横をついていくアンドレア。
「‥‥この辺りには土蜘蛛がいるな」
「土蜘蛛?」
不意にオルステッドがぴたりと足を止めた。アンドレアもそれに倣って停止して、オウム返しに聞き返す。
「‥‥見てみろ」
言われて指された先を見れば、そこには不自然に盛り上がった土や草。典型的な落とし穴の目印だ。
「この中に?」
「‥‥そうだ。土蜘蛛は穴を堀り、落ちた獲物を捕食する」
「なるほど‥‥この辺りは、言わば狩場なのですね」
説明を受け、納得するように頷く。辺りをよく見ると、他にも同じような土の盛り上がが点在している。
「‥‥落ちれば終わりだ」
「わかりました」
オルステッドは変わらぬ調子で告げると、穴を避けて歩き出した。
それに続いて、アンドレアもそろりそろりと慎重についていく。
「土蜘蛛‥‥やはり喰えないのでしょうね‥‥」
呟いた声は、どこか残念そうだった。
●騒ぎ無き出会い無し
「ぬああああー! 誰かー! 誰かぁぁぁぁ!」
切迫した叫びが聞こえたのは、未踏区域の入り口へ辿り着いた直後だった。
カロ、ベアトリーセを先頭にした五人は誰からとも無く頷きあって、声のした方へと駆ける。
声の主は見当がついていた。というよりも、今こんなところにいるのは一人だけだ。
深い茂みと樹々の奥。
叫ぶ男の姿は、やはり学者だった。こんな場所でも白衣を着用し、スコップ片手に逃げ回る。
「助けに来たがじゃ!」
と。そこへ駆けつけた一行。声を張り上げ、敵の注意を学者から逸らす。
狙い通り、突然の声にぴたりと動きを止めた――巨大な三匹の蟻。地を這ってはいるが、その体長は小柄の女性ほどはあるだろう。
「これまた巨大な蟻ぜよ!」
カロは再び注意を引きつけるように声を張り‥‥瞬間、その脇から鋭い風が駆け抜けた。
風は一直線に蟻へと向かい、一匹の首筋に突き刺さる。
「先手必勝。一応、不意打ちではありませんね」
放たれたのはシルビアの矢。カロの後ろから狙いを定め、甲の隙間に矢を射ったのだ。
更に、まだ状況を把握出来ていない蟻への先制攻撃は続く。
「アグラベイション!」
ソフィアの声が、見えない力となって蟻達に絡みつく。押さえ込まれるような力で動きの鈍る蟻。
その隙を狙い、ツヴァイが仕掛けた。
「はァッ!」
ガギゥン!
気合と共に振り下ろされた赤銅の刃は、甲を介しても尚その威力を衰えさせない。
出会ってから僅か十秒。既に最初の一匹は戦闘能力の大半を削られていた。
怒涛の先制攻撃の後、ようやく蟻達が戦闘態勢を取った。体を上げ、首をもたげ、口からぎらりと鋭い牙をのぞかせる。
しかし今は魔法で動きが鈍り、先んじて攻撃することは叶わない。
「覚悟せいや!」
その蟻に正面から対するカロ。両手でしっかりとメイスを握り、駆ける勢いそのままに鉄塊を頭へ打ち付ける。
がごんっ、という鈍い音。蟻はびくりと一瞬震え‥‥そこへ横から、ベアトリーセの鞭が走った。
「お仕置きよっ、なんて」
ふらつく蟻の首筋に叩き付け、今度は弾けるような音が響く。
容赦のない連続攻撃。しかしその間に、三匹目の蟻が迫っていた。
蟻は真っ直ぐカロを狙い、突進する。地を這う体を更に屈め、地面と一体になりながら向かい来るその力強さは恐獣と比較しても遜色ない。
――が。
「おっと」
その突進をあっさりと避けてみせるカロ。続けて突き出された二匹目の牙も、体を捻ってひらりと避ける。
「その程度じゃ当たらんきに!」
お返しにと、身を捻った勢いのまま二度目の打撃。それは再び蟻の頭を打ち抜いて、同時に足の関節へ矢が突き刺さる。
「意外と刺さるものですね」
それを見て、感心しながら次の矢を準備するシルビア。的確に軟らかい部分を狙い撃ちしている。
「学者さん、こっちへ!」
その隙にベアトリーセは学者を呼び、同時に自分も移動しながら蟻の足を打つ。
「あ、あぁ」
どこかあっけに取られた様子の学者だが、それでも指示を受け入れた。
小走りに近づき、ベアトリーセの後ろへこそこそと身を潜める。
なんとも情けない気がするが、往々にして学者というものは貧弱なのだから仕方無い。
「っと‥‥! 人とは違う方向からくる攻撃、タメになるぜ!」
地面すれすれからしゃくり上げる牙を避け、ツヴァイは真横から頭を斬りつけた。
最初の攻撃で既にふらついていた蟻は、その一撃で更に遠い世界へと旅立ちかける。
更にツヴァイは攻撃の手は休めず、
「そらよ!」
何度目か。赤銅色の弧を受けた蟻は、それで完全に動きを止めた。
「終わった‥‥ようですね」
「ふぅー‥‥」
辺りを見回して、敵がいなくなったのを確認するシルビア。
それを合図にかベアトリーセが額を拭って息をついた。
「いやぁ、誰かは知らんが助かった」
礼を言いながら握手をしていく学者。以前会っている者もいるのだが、やはり覚えていないようだ。
「こんな通りすがりの正義の味方がいるとは、やはりこの森には何かあるに違いない!」
握手が終わると、突然天に向かって叫ぶ学者。状況も全く理解していない。
ここは仕方なくシルビアが説明をする。
「残念ながら、私達は通りすがりではありません」
「正義の味方‥‥」
後ろでぽつりと呟くベアトリーセ。シルビアは気にせず言葉を続ける。
「私達は、先生を連れて帰るためにここまで来たんです」
ぴくりと眉をひそめる学者。
「私を‥‥ということは、冒険者か?」
以前の依頼で延々と耳元で説教をされたり、気絶させられたり、縄でぐるぐる巻きにされたりした記憶はあるのかないのか。
「いえ、そんなに警戒しなくてもいいですよ」
どことなく雰囲気を察してか、シルビアは声のトーンを僅かに和らげた。
「先生は恐らく何も考えていな‥‥こほん。危険を承知で森に入るくらいですから、説得するのは難しいということになりまして」
何か言いかけた気がするが、あえて誰も何も言わない。
「それならば逆に、調査に付き合ってはどうか、と――」
「本当か!」
言い切るよりも早く、学者はがっしりとシルビアの手を握った。
「え、えぇ、まぁ‥‥」
勢いに圧倒されながら、とりあえずこくこくと首を縦に振る。
「そうと決まれば善は急げだ! 早速――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
また勝手に行こうとした学者を、今度はシルビアが制した。
「まだ仲間がいますから、そちらの到着を待ってから‥‥」
「何、まだ協力者がいるのか! ようやく私の理解される時が‥‥!」
一人盛り上がる学者。それまでの話をさっぱり覚えていない。
‥‥と、そこに。
「おーい!」
聞こえた声の方向に目を向けると、タイミングよくやって来た五人の姿。
先頭のアンドレアが、呼びかけながら手を振っている。
「同志達よー!」
叫ぶ学者は、やはり何もわかっていないようだった。
●発見!?
未踏区域とはいえ、特殊な空間なわけではなく。当然、時が来れば夜にもなる。
見張りにたつオルステッドはランタンに油を入れて、ソフィア手製のにおい袋を焚き火にくべた。
上がる煙はそのにおいも乗せて、広く虫除けの効果を発揮する。
「‥‥さて」
一通り準備を終えて、焚き火の近くに腰を下ろす。
傍らにはハルバートが置かれ、敵が来た時の迎撃体勢にも抜かりない。
巨大昆虫を警戒しつつ、時折やって来る煙もにおいも気にしないような細かな虫を、その都度適せん撃退し‥‥そうするうちに、夜の闇を一層深いものへと変わっていく。
「むむむむむ‥‥」
焚き火から離れて設置されたテント。その入り口からひょっこりと顔だけ出して、フィーノが夜目を光らせていた。体力が無いため見張りには加わることが出来ないが、その分テントの中から警戒する、ということだ‥‥が。
「ううむ、我ながら情けなや‥‥」
呟き、少しうなだれる。
「私も同じですから。それに魔法使いにとっては、気力を回復させるのもまた重要な仕事ですよ」
同じく体力のないソフィアが慰める。
その夜、周囲から虫の気配が消えることは一度も無かったが、ソフィアの香のおかげか、襲われることもまたなかった。
未踏区域を歩く、学者を含めた11人。随分と大所帯だ。
配置は前後に4人ずつ、左右に1人ずつがついて、学者を完璧に取り囲む。
「私の勘ではこの先に何かがあるはずだ!」
何度目かの同じ台詞を叫ぶ学者。
もうそれなりに深くまで歩いてきたが、もちろんそれらしい物は何一つ見つかっていない。代わりに虫の縄張りには何度も遭遇し、時に逃げ、倒し、隠れてやり過ごしてきた。
「ま、そう簡単に見つかるものじゃないしな」
諦め七割で呟きながら、ツヴァイは新たな松明に火を点けて煙を焚く。煙を嫌う虫との接触を出来るだけ避ける為だ。
と、しばらくそうして歩くうち。
「‥‥む」
「あれは‥‥」
中央を歩いていた二人、オルステッドとソフィアが先にある異変に気が付いた。
僅かに歩みを速め、近寄ってみると――
「剣、ですね」
「‥‥剣だな」
そこにあったのは、数本の錆び付いた剣。更に、先を見ればそこかしこに同じような剣や鎧、ついでに骨らしき白い欠片も転がっている。
「まさかそれが伝説の‥‥なんてことはないですね」
「無いな」
ベアトリーセの言葉に頷きながら、マグナも足元の剣を拾い上げた。
多少の違いはあれど作りは非常に平均的で、特徴の無いのが特徴といったような剣。錆び方もそれぞれだが、どれもこれも古い物には違いない。
とはいえ伝説の剣なはずもない‥‥が、学者がまた妙なことを言い出した。
「わかったぞ! これは巧妙なカモフラージュだ!」
「かもふらーじゅ?」
きょとんと学者の顔を見て、一行の声が唱和する。
「そうだ! 無数に投げ捨てられた太古の剣。これらは全て、本物の阿修羅の剣を隠すためにわざとこうして置かれたものなのだ!」
ばさぁっと、マントを翻すような仕草をする学者。当然マントなぞ無いのだが、気にせず提唱を続ける。
「ここにある剣は、恐らく全て同じ時代の物だろう。つまり、誰かが作為的にばら撒いたということだ! そしてそうする理由はただ一つ!」
学者は天高く拳を掲げ、
「この中に阿修羅の剣があるからだ!」
「相変わらず強引な‥‥」
「仕方ないがじゃ」
ほぅ、とため息をつくエルの肩を、カロがぽんぽんと叩く。
「間違いない! 阿修羅の剣はここに‥‥これだ!」
言って学者は辺りを探し回り、そのうち最も錆びた剣を取り上げた。
一番古そうで怪しいから、という理由だろう。多分。
「そういうわけで、私は一足先に戻ってこの剣を徹底的に調べ尽くす! では、さらばだ!」
「あ――」
一方的に言い放つと、それを静止させるより早く、学者は恐るべき速さで来た道を駆け戻っていく。
元々視界が利かぬ場所。その姿は瞬く間に見えなくなり、一行はただ呆然とするしかなかった。
「‥‥追いましょう。帰り際に死なれても困りますし」
しばらく空白の時が流れた後。ベアトリーセの言葉に頷いて、妙な疲れを感じながら一行は学者を追った。
「‥‥やっぱり、縛っておくべきだったか」
ぼそっと呟いたツヴァイの言葉に、一行は思わず深く頷いていた。
●当然の結果
「そんなばかなー!」
研究室内に響いた、学者の叫び。
学者が直々に徹底調査をした結果、持ち帰った物が『普通の剣』だと判明したのだ。
「まあ、わかりきっていたことですけど」
期待の欠片もなかった青年は驚くこともない。期待していたのが学者くらいだろうが。
「最も可能性の高かったこの剣が違うとすれば、あの場には無いということか‥‥」
どういう理屈かわからないが、そうらしい。
「どうせ調査隊がそこでやられたとか、そういうことでしょうしね」
「くぅぅぅ‥‥しかし私は諦めん! 必ずこの手にー!」
まだまだやる気の学者。その横で、青年はまた深い深いため息をついた。
ともあれこうして、無事「学者を連れ戻す」という依頼は完了したのである。