●リプレイ本文
●壱日目
今日も今日とてキエフの空は遠く、青い。抜けるような──そんな表現がとてもしっくりくる空に苦笑混じりの溜息を零したのはエリヴィラ・アルトゥール(eb6853)だった。
「でっかい蛇かぁ‥‥あははっ、一週間食事なしだったみたいだしあたしくらいなら簡単に飲まれちゃいそうなイメージ‥‥」
柔らかな茶の髪が自分の胸元ほどの高さで揺れる──長身のロイ・ファクト(eb5887)であろうとも、その胸元といえば子供の身長である。
「笑い事ではないぞ、エリヴィラ。おまえほどの子供が飲み込まれた事例もある──文献で見ただけだが」
ジャイアントパイソンというのはそれほどまでに危険を孕んだ生物なのだ。
「じゃあ俺は却って安全かな? エリヴィラさんに比べたら腹の足しにもならなさそうだしっ」
「そんなに甘くないと思うぞ。爬虫類のほとんどはそろそろ冬眠の時期だから、栄養を蓄えようと必死だろうしな」
あははっ、と楽しそうに笑うロジェ・ラファール(eb7088)を少し脅かしてみるヴァイス・ザングルフ(eb5621)。けれど実際そんなものだろう。もう冬に片足を突っ込んだキエフはジャイアントパイソンにとって決して暮らしやすい土地ではないはずだ。
「まあ、脅かすのはそれくらいにしておきましょう。怯えてしまって肝心なときに身体が動かなくなっては如何しようもありませんから」
やんわりと、逸れ掛けた話を戻したキリル・ファミーリヤ(eb5612)は、一般人の耳に危険な単語が届いていまいかと用心深く周囲を見回した。
「しかし、『逃げ出した大蛇捕獲』と言えば聞こえは良いが‥‥何故可愛がっているのに一週間も餌をやらんのか、理解に苦しむな。‥‥もしや貧乏なのか?」
「しかし‥‥満足に管理も出来ないようなら、そんなもの飼わないでもらいたいものだ」
相手が冒険者仲間だということもあって懐具合も想像が付くのであろう、香月睦美(eb6447)の言葉は冗談にしても辛辣だ。そして、それに返されたロイのことばも正鵠を射た正論中の正論である。
「犬であっても、子供を食いコロすには十分で御座るよ‥‥飼い慣らしても動物は動物、モンスターはモンスターで御座る」
河童を見慣れぬ者には解りにくいかもしれぬが、磧箭(eb5634)の表情は苦渋に満ちていた。道楽でモンスターを手元に置こうなどという思考は、モンスターの被害者である彼にとっては理解し難いものであった。
「いっそのこと永年に別れて貰った方が後腐れなくて良いのだがな‥‥分かっている、キリル。一度受けた仕事は最後までやってやる」
咎めるキリルの視線に軽く両手を挙げ、ロイは口元に浮かべていた皮肉気な冷たい笑みを消した。
「ところで、あの口の軽そうな依頼人さんは大丈夫なの? あたしたちがいくら気をつけても、あの人から漏れたら意味がないと思うんだけど」
もう蛇とかジャイアントパイソンとかいう単語は口にするのはやめようと決めたエリヴィラは、何だか抜けている依頼人を思い出して少し不安になったようだ。
「あの人なら大丈夫ですよ」
「そうなの?」
安心させるように微笑を浮かべたキリルに、けれど不安を拭い去れぬエリヴィラは重ねて確認した。するとヴァイスやロイ、磧に睦美までも頷いて見せた。
「寅がしっかり見張ってるだろうからな」
留守居を申し出た王寅(eb7544)を信じて、ヴァイスはニカッと笑った。
──白い歯が陽光を浴びて眩く輝いていた。
「すみません、大きな布袋を何枚か頂きたいんですが」
「ミーは丈夫な木箱を頂きたいで御座るよ」
仲間と別れたあと港を訪れたキリルと磧は港でそんな交渉をしていた。声を掛けた相手は、赤毛をきっちりと結わえた女商人に指示を仰ぐ。
「あら、キリルさん‥‥だったわね。そんなもの、何に使うのかしら? 理由如何ではお譲りするけれど」
「‥‥大型の動物がキエフに入り込んでいるので捕獲してほしい、という依頼を受けたんです」
「袋と木箱がないと、捕らえることも難しいで御座る」
しばらく思索を巡らせる素振りを見せた女性は、そういうことならと快く布袋と木箱を譲ってくれた。
「この貸しは高いわよ?」
「機会があればお返しするで御座るよ、Miss──」
「ルシアンよ、ルシアン・ドゥーベルグ。もしもの時にはよろしくお願いするわね」
ふふ、と口元に笑みを称えるルシアンへ、キリルは一言付け加えた。
「それと、ルシアンさん。もしそんな話を聞いたら」
「ギルドか貴方へ連絡するわ、身の回りには気をつけるようにそれとなく仲間にも伝えておきます。それでいいかしら?」
打てば響く反応の良さに安堵し、キリルはこの日初めて小さな笑みを零した。
●弐日目
繁華街から少し外れた場所を進む人影が二つ。エリヴィラと睦美である。
「結局、食料なんだよね。あーあ、昨日捕まえられなかったのが悔しいなぁ!」
「あれだけの騒ぎを起こしたのだ、今日は場所を変えるだろうな」
そう、仲間たちと別れた後、二人は食料に焦点を絞り目撃証言を探したのだ。そして目にしたのは、飛び散ったガチョウの羽。市場にいた数多の者たちの証言では、売り物のガチョウを数羽丸呑みにし、悠然とその場を去ったのだという。
それが、ほんの数分前の話だったというのだ。
「依頼人があと半日早くギルドに来てれば間に合ったのにね」
むーっと口をへの字に曲げ、小石を蹴り上げるエリヴィラ。
「だが、今更言っても詮無い事。私たちにできることは一刻も早く探すことだけだろう?」
「そうだよね。依頼人のためじゃなくて、ペットのために」
諭す睦美に言葉を返すこともなく、エリヴィラは素直に頷いた。そして再び通りかかる人へ声を掛けたり路地裏を覗き込んだりし始めた──そんな矢先である。
「ああっ、二人ともここにいたね! クリスティーヌが現れたねっ!!」
寅が二人を見つけ大きく手を振った!
「こっちね!」
身を翻す小柄な河童。一度だけ視線を交わし、睦美とエリヴィラは後を追って駆け出した!!
──ガッ!!
ロングロッドが石畳を抉る!!
「くそ、退治するなら楽なのに!」
そう吐き捨てるのはロングロッドを握り締める大柄なハーフエルフ、ヴァイス。
「それなら遠慮なく叩き斬ってやるのだが、捕獲だからな」
憎々しげに鼻を鳴らし、ロイもロングロッドを握り締める。
「間違っても頭は叩くなよ」
「骨も砕くなってんだからなぁ」
「あまり大きな怪我だと回復させられないんです、すみません」
頭を下げるキリル。キリルの回復があるからこそ攻撃に転じることもできたのだから気にする必要はないと肩を叩くヴァイス。その眼前をしゅるしゅると眼前を滑るように移動する巨大な蛇。黒と茶の斑模様がくすんだ石畳に異様に鮮やかに浮かんで見え、同じく蛇をペットに飼うヴァイスは頬を歪めた。一歩間違えば、依頼人とヴァイスの立場は逆転していたのかもしれないのだ。
荘厳な銀の十字架の刺繍を翻し、ロイがロングロッドを振るう!!
──ガッ!!
柔らかい物を打ち据えた鈍い衝撃が腕に伝わる。
その一撃はクリスティーヌに確かなダメージを与え──そして悠然としていた彼女をいたく刺激した。
──‥‥‥
爬虫類独特の瞳でロイを睨め付けるクリスティーヌ。
「く‥‥っ」
油断すれば絡み付かれると肌が空気で感じていた。窒息するのが早いか、背骨の骨を砕かれるのが早いか。
クルスソードを握るキリルの手も、緊張でじっとりと汗ばむ。
その緊迫した空気を動かしたのは次いで現れた磧とロジェだった!
「大丈夫、って緊迫の場面っすね。俺の出番っぽいっすか?」
「ミーたちが動かすで御座るよ。各々方はその隙に」
皆まで言わず、磧は仲間たちの前に進み出た。そして、クリスティーヌの死角になる身体の影からロングロッドを振るった!!
──ガッ!!
「お、おい、磧っ。頭は──」
「フェイントを仕掛けると力が込められないで御座る。見た目ほどのダメージは行ってないはずで御座るよ」
彼の口元が黄色い嘴でなければニヒルな笑みを浮かべたかもしれない。
「たあっ!」
その間にも同じようにフェイントを仕掛けたロジェのホイップがクリスティーヌを打ち据え、その長い巨体に絡みついた! ‥‥が、クリスティーヌもホイップに絡みつき何がなにやら。唯一見て取れることは、徐々にロジェの身体がクリスティーヌの口に近付いていることで。
「‥‥‥ハッ!?」
──くわっ! とロジェの眼前で鋭い牙の生えた口が大きく開かれた!!
「ロジェ!」
「ロジェ殿!!」
「ロジェさん!」
めいめいに武器を振るっていた仲間たちが凍りついた!
「ひぃぁあぁ〜〜っ! ま、丸呑みはイヤっすー!!!」
ぽいっとホイップを放り出し、ロジェは上空に退避!!
「怪我はありませんか!?」
「大丈夫っすよー、ちょっとビックリしただけっす〜」
キリルとロジェが声を張り上げて言葉を交わす。その後ろでクリスティーヌはのそり、と動いていた。
──バシャン!
派手な音を立て、クリスティーヌは水中へと逃げ出した! 悠然としているようでも武器や防具を装備した冒険者たちより素早い動き。巨体は必ずしも愚鈍ではない。
「ちっ、逃げられたか」
「水に入られるとイヴェールさんにも追いかけられないっすよ」
舌打ちするロイと落胆する仲間たち。そんな彼らに大きく手を振りながらエリヴィラと睦美、そして寅が追いついた。
「すみません、逃げられました」
「‥‥またすれ違ってしまったか」
「追いかけるんじゃなくて、おびき寄せる方が効率的かもしれないね」
「盗まれたのではなくて本当に逃げ出したようね。それなら確かに探すよりおびき出した方がいいと思うね」
嘆息する睦美と腕組みしたエリヴィラが頭を捻る寅とそんな会話をする中──‥‥
『──‥‥』
「? 今何か‥‥?」
何か聞こえた気がして、ロイは辺りを見回した。
けれど、そこには港と、そこで働く人々と、自分の仲間たちの姿しか見受けられなかった。
●参日目
市場、港──食料を求め徘徊していると思われるクリスティーヌ。用意が整い、彼女の出現地点を絞り込むために港からさほど遠くなく、また港へと通じる水路もある冒険者街の一角に餌を仕掛けることになったのは参日目のことである。
「今度こそすれ違わないようにしなくてはな」
「まだ本物のクリスティーヌ、見てもいないもんね」
違う意味でも闘志の燃え始めた睦美とエリヴィラは見張ることにする餌を慎重に吟味する。
「向こうの通りに仕掛けた肉が食われてたね。近くにいると思う、気をつけるね」
見回りに行っていた寅がそう告げた。黒と茶の斑は石畳の上でこそ不自然だが、土や木に紛れてしまえば気付き難い色である。冒険者街は庭で植物を育成する家も多く、彼女にとって隠れる場所は多い。用心するに越したことはない。
「‥‥近くにいるならやってみる価値はあるか‥‥」
腹を括り、磧は尻尾を振り見上げてくる若いハスキーを通りの際に連れ出した。
「お座り。待て!」
「ええっ!? 磧さん、本気!?」
「無論、食わせるつもりはないで御座るよ」
あんな依頼人のため、モンスターのため、愛犬を危険に晒すのは不本意だ。しかし依頼だと理性で堪え、愛犬を生餌にした。
そして待つことしばし。
──ぐぅぅぅ〜
寅の腹の虫が昼を告げた頃、ハスキーが身体を強張らせた!!
「‥‥あの茂みで御座る」
愛犬の視線を追い、クリスティーヌを発見した磧がそっと仲間に告げる。
忍び寄るクリスティーヌ。
そんな彼女を包囲する冒険者たち。
「来るで御座る!!」
『ワンッ!!』
弾かれたように駆け出すハスキー、飛び掛るクリスティーヌ!
「今度こそ逃がさないぜ!」
ヴァイスのロングロッドが再びクリスティーヌを打ち据える!! そして刀を抜き放った睦美が峰で容赦なく叩く!!
「睦美さん、少し加減してくださいっ」
「多少は怪我をさせてもキリルさんが回復させてくれるのだろう?」
「それは‥‥そうですけれど。僕の回復にも限度がありますから」
後方で味方と敵、双方の回復をするという奇妙な役割を背負ったキリルが注意を促す。回復に限度がある、それは仲間たちに対しても同じことなのだ。
「いっそのこと、退治した方が後腐れがなくて良いという気もするな」
「そ、そんなのは絶対にだめです! 家族も同然なんですから!!」
ロイの言葉に、依頼人の反応に、複雑な表情を浮かべる冒険者。ロングロッドが、刀が、木剣が、クリスティーヌを打ち据える。しかしぐったりするほどダメージを与えるわけにもいかず、用意した袋も木箱もなかなか使用するに至らない。
「『力に抗う可から不』と書いて不可抗力ね。ペットの気持ちをしるね! おまえが蛇と一緒になるね〜!」
ていや! っと丸腰の依頼人を袋の正面に押し出したのは寅! 月魔法の使い手の依頼人は愛蛇の前になすすべも無く硬直した。
しゅるしゅるとにじり寄るクリスティーヌ。
「今だ!!」
ロングロッドが、鞘が、木剣が、クリスティーヌを地面に押し付ける!! へなへなとへたり込む依頼人を他所に、キリルと寅はクリスティーヌを袋に押し込めた。
袋を二重三重にし、二本のロープでしっかりと口を結び、木箱に詰められたペット。さらにロープで厳重に縛り、ロングロッドに括り付けるとジャパンの篭屋の様にして皆で代わる代わる運搬した。
「‥‥クリスティーヌだか何だか知らんが、そんなものを美しいと言える感性は俺には理解できん」
涙を流して礼を述べる依頼人へ向け、明らかな渋面を浮かべるロイ。
「俺も蛇を飼っているのもあるが‥‥お前をブン殴って一週間メシ抜きの刑に処した上、没収して里親を探してしまいたくなるな」
「さ、里親っ!?」
とたんに真っ青になる依頼人。その反応に多少なりとも満足したことにして、ヴァイスは鍛え上げられた胸を張って説教を始めた。
「まあ、今回は初犯ということも考慮してぐっと堪えておくが──」
──ガツッ!!
言い終わらぬうちに睦美の拳が依頼人の顎を直撃!!
「睦美っ!?」
「案ずるな、加減はした」
驚きはしたものの誰も彼も非難するつもりはないようだ。
「でも、実は愛情ないんじゃないの?」
「ペットに対する躾の前に自分の躾を見直すべきね」
ジャパン式に正座をさせると、エリヴィラと寅が左右から、そしてキリルが正面から懇々と説教を始めた。
「今回で色々と身にしみたでしょう。大切な蛇と離れ離れにならないためにも、しっかり部屋に閉じ込めておいてください。もう二度と逃げ出されたりしないように」
そう言ってキリルが締めくくったのは、きっちり二日後──依頼期間の終了した晩だったという。
大した知性も持たぬ蛇に過度な期待をしたかと、ソレは闇の中で冷ややかに目を細めた。
小さな数多の企みの1つが、冒険者の手によって、人知れず闇の中で潰えていた──