●リプレイ本文
●冒険者ギルドINキエフ
「は〜‥‥‥」
朝もまだ早いキエフの街。冬と言い切るには少々早いが、それでもかじかむ両手を吐息で暖めながら、指定された時間よりだいぶ早くギルドを訪れた野村小鳥(ea0547)は目を輝かせていた。
「‥‥小鳥か。時間を間違えたのか?」
こんな時間に見知った顔を見るなどと思っていなかったのだろう、足音も無く静かに現れた王娘(ea8989)はまたドジなことをしたのだろうと呆れた様子。そんな娘を気にせずに、小鳥は照れ笑いを浮かべた。
「久しぶりに雛ちゃんに会えると思ったら、よく眠れなくてー」
「そうか‥‥ずっとルシアンが面倒を見ていたからな‥‥」
そんな間にも吐息で温めた両手を忙しなく擦り合わせる。見れば小鳥は防寒服を身に着けていない。防寒服は自分の分しかないし、毛皮の敷物を羽織れと手渡すのも酷な話か、と娘は動かぬ表情の向こうで思案した。
それを止めたのは‥‥
──にゃあん
「‥‥ヴァイス? 一人で来たのか‥‥?」
見知った猫の姿。ヴァイスは喉をくすぐられて嬉しそうに喉を鳴らした。見回すが、飼い主である宮崎桜花(eb1052)の姿は近くにないようだ。撫でる手に伝わる温もりに──ヴァイスをひょいと抱き上げて、友人の腕に抱かせた。
「娘ちゃん?」
「‥‥桜花が探しているだろう。どこかにいかないように、抱いておけ」
「あ、そうですねー。心配させちゃだめだよー?」
凹凸の少ない体型が功を奏したわけではなかろうが、大人しく抱かれるヴァイス。伝わる温もりに冷えた身体を実感させられて、ほう、と安堵の息を吐いた。
「そろそろ、誰か来ますかねー? そういえば、娘ちゃんは何でこんな早くから?」
「‥‥どうでもいいだろう‥‥」
眉間に縦ジワを刻んだ娘。楽しみで早く目が覚めたなど、小鳥と同じ様なことは言いたくなかったようである。
やがて、日の高さと比例するように一人二人と冒険者が集まり始めた。そして、雛菊(ez1066)を伴った依頼人ルシアン・ドゥーベルグも。
「雛ちゃん、お久しぶりですー♪」
訪れた待ち人へ、ずいぶん長いこと待ってしまった小鳥は駆け寄った。そしてしっかりと手を握ってご挨拶。ぶんぶん振り回してしまったのもご愛嬌だ。
「こんにちは、雛菊さん。すっかり元気になられたようで安心しました」
『ました♪』
フィニィ・フォルテン(ea9114)がそっと雛菊を抱きしめると、真似るようにリュミィがまふっと抱きついた。間に挟まれ抜け出そうとしたヴァイスをセフィナ・プランティエ(ea8539)が預かる。
「こんにちは、ヴァイスさん♪ 桜花さんは一緒ではありませんのね」
「そういえば‥‥珍しいですね。いつもは早めにいらっしゃるんですが‥‥」
雛菊を抱きしめていたフィニィもセフィナの言葉で周囲を見回す。つられて雛菊も見回した。
「桜花お姉ちゃんも来るの〜? 雛、お迎え行こうかなぁ」
「ふふ、雛ちゃんはお優しゅうございますのね。お気持ちは解りますけれど行き違ってしまっても困りますし、こちらで一緒にお待ちしていましょう?」
キエフの街に雛菊一人で放つわけにはいかない。セフィナの機転に雛菊も「そうするの〜」と納得したようだ。
そんな雛菊は仲間に任せ、すすすっとルシアンの傍らに移動したローサ・アルヴィート(ea5766)は少し声のトーンを落として語りかけた。
「ねえルシアン。アル君に連絡取ってくれないかな。ちょっとお邪魔するから先に挨拶しときたいんだけど、あのお兄さんにバッタリ会っちゃうと大変だと思うのよ」
「アル君‥‥まさかアルトゥール様?」
せめてアル様とお呼びなさいな、と渋面を作るルシアン。しかし確かに波打つ銀の髪を持つ長男・リュドミールに遭遇しては厄介なことになりかねないのは事実である。
「ルシアンならやってくれるよね、モ・チ・ロ・ン☆」
口を開きかけたルシアンの機先を制してにっこりと笑うローサ。強めた語尾からは、是が非でもルシアンに押し付けるという強い意志が滲み出ていた。恐らく以前負けた事を根に持ってるのだろう。けれどもルシアンもその程度で引き受けたりはしない。
「あら、依頼人にたかるのが最近の冒険者なのかしら?」
にこりと笑って冗談として流そうとしてくる。笑顔の二人から放たれる空気に、以心伝助(ea4744)は知らず後退りをしていた。戦闘の匂いを嗅ぎ付けたのだろう、愛犬の助(たすく)は指示を仰ぐように伝助を見上げる。
「二人とも駄目だよぉ〜。仲良くしないと、ねぇ☆ あたし、パラーリア! 京都で新撰組のお仕事してるのっ☆ よろしくよろしくなのっ」
「パラーリアさん、あの──」
半ば無謀にもにこにこと割って入りローサとルシアンの手を握ってぶんぶんと振るのはパラーリア・ゲラー(eb2257)だった。巻き添えを食らわぬよう成り行きを見守っていたサーガイン・サウンドブレード(ea3811)も、これは流石にと、実際の心情はさておいて無謀なる少女を止めようとした。
しかし、その言葉は突如過ぎった影に、大きな翼音に、遮られた。
「──‥‥」
ぎくりと身を強張らせたサーガインは、同じく大いなる父タロン神を信奉するヴィクトル・アルビレオ(ea6738)と視線を交わす。雲にしては早すぎる速度で通り過ぎた大きな影。通り過ぎた翼の音は、再び近付き頭上近くから発されていた。
恐る恐る見上げた冒険者たちの目に飛び込んできたのは、大きな、大きすぎる鳥。
「助」
伝助の短く鋭い一言で、忠実なる忍犬は雛菊の近くへ駆け寄った。大地をしっかりと踏みしめた助の牙は、いつの間にか武器たるくないをがっちりと噛んでいる。同様に、娘と小鳥も構えるが──頭上を旋回する相手に手を出しあぐねているようだ。
「ヴィクトルさん、これは‥‥」
「ああ‥‥しかし、ロック鳥が何故こんな場所に‥‥」
伝助の問いに、はっきりと答える。しかし、知識としてしか知らない。対面したことなどない。牛すら餌にするという強大なモンスターの出現に、ヴィクトルの強面を汗が伝った。
緊張を破ったのは、小柄な人物。
「ちろ、こっちだよぉ〜☆」
パラーリアがぶんぶんと手を振ると、応えるように一度旋回したロック鳥が少女の背後に降り立った。
「あの、パラーリアさん‥‥そちらは‥‥?」
気丈にも笑顔を繕ったセフィナの声は、ヴァイスを抱く腕は、僅かに震えていた。
「あたしのペットのちろだよ〜☆ ちろ、皆にご挨拶は〜?」
『クエェェェッ!!』
「はい、よくできました〜♪」
咆哮したちろを褒めて、下げられた頭を背伸びしてよしよしと撫でるパラーリア。
「‥‥ルシアン」
「ええ‥‥」
ロック鳥が行くと、事前に教えねば──大きな騒ぎを生じることになろうから。ローサとルシアンの思いが重なった。
「遅くなりましたっ! ‥‥‥‥雛ちゃん!!」
駆けつけた桜花とユキ・ヤツシロが仰天して臨戦態勢をとる!!
「あの、桜花さん、その子は‥‥パラーリアさんのペットだそうですわ」
「えっ? すみません、失礼しましたっ!」
咄嗟に剣を収めた桜花の姿に緊張の糸が解れたのだろう、セフィナは微笑みながらヴァイスを桜花の腕に返した。
「良かった‥‥探していたんです、どうしてここに?」
「朝からここにいましたよ〜」
「連れて行けば良かったな‥‥すまん」
「あら、お二人は朝からこちらにいらしたんですの? ふふ、雛ちゃんと会うのが楽しみで寝付けなかったりしたんでしょうか?」
「えへへ〜、そうなんですぅ〜」
セフィナの言葉にはにかんだ笑顔を見せる小鳥。娘はついっと視線を逸らした。
「あれ? 娘姉さん、図星ですか?」
にやりと笑ったサーガインが向こう脛に容赦のない蹴りを食らい飛び上がったのはいつもの情景であろうか──。
●アルトゥール・ラティシェフ
シフール便で先触れを出していただけあって、ラティシェフ家の屋敷に到着した冒険者は使用人に迎えられ、屋敷の一室へ通された。
──あたし知っているんだ☆ ビリジアンモールドの毒胞子を収集する依頼を出してたから、アルさんの研究室は今とっても危険かもなのっ☆
パラーリアの言葉にアル君らしいねと笑ったローサも、正直かなり引いた者たちも、とりあえず安心したようだ。もちろん、懸念していたリュドミールとの遭遇は無い。
そうして通された部屋は人の気配の無い、豪奢な一室だ。彫刻の施された白木の大きなテーブルには三叉になった銀の燭代が置かれ、3本の蝋燭が揺れている。けれど部屋の明かりの源は陽光のようで、教会のようなステンドグラス越しに明かりが差し込んでいる。防寒服を脱ぎたくなる暖気の源は暖炉からレンガに伝わる熱だった。
並んだイスに腰掛けて興味深く室内を見回す伝助。ここからは見えぬが、奥の間は寝室だろうか。ジャパンの城と違いレンガと石を積み上げられた城というべき屋敷の造りには、屋根裏というものが無く、屋根裏の住人は落胆を滲ませた。もっとも、他の部屋にはあるのかもしれないが。
「やあ、待たせたね」
栗色の髪を揺らし現れたアルトゥールは、珍しく貴族然とした服を身に纏っていた。
「アル君、どうしたの? イメチェン?」
「ローサさんっ」
あわあわと小鳥がローサの袖を引く。機嫌を損ねては、名を貸してくれたルシアンにも申し訳が立たない。しかし、特に意に介した様子も無く──普段どおりに含みのある笑みを称えたまま、小さく肩を竦めた。
「兄上殿のバースデーパーティーが近くてね。兄上殿や母上様の御機嫌を損ねず父上殿の面目も潰れない衣装選びに四苦八苦していたところさ」
「お時間を割かせてしまって、申し訳ありません」
ヴィクトルが丁寧に頭を下げるのを軽く手を振ることで制した。
「ああ、僕も冒険者に礼を求めるほど愚かではないから大丈夫だよ」
アルの言葉にフィニィと娘は違和感を覚えた。口調に偽りは無く、本心の言葉である。けれど、その一線を画した物言いは、二人は何年もの間胸を締め付けられた偏見に似ていた。つきん、と胸の奥が痛む。
「‥‥フィニィお姉ちゃん?」
身を強張らせたのが繋いだ手から伝わったのだろう、雛菊は首を傾げた。
その声で初めて気付いたように、アルは興味深く雛菊を眺める。
「ああ、例の子だね。元気になったようで何よりだよ」
「その節は、どうもありがとうございました。お陰で、ご覧の通りすっかり元気になりました」
騎士のように、すっと伸ばした背を腰から折り、深く頭を下げる桜花。結わえられた黒髪が肩から滑り落ちる。つまらないものですが、とヴィクトルは礼の気持ちを込めて手製の菓子を差し出す。
出発前に皆から語られたのは彼のことだったのかと、不貞腐れながら雛菊も追従する。
「‥‥アリガトウゴザイマシタ、なの‥‥」
「ふぅん、一応最低限の礼儀は心得てるんだ? ま、僕も医者の端くれだしね‥‥この菓子は代金としていただいておくよ、アルビレオ。で、用件はそれだけ?」
菓子を運ぶためだけにわざわざ訪れるほど酔狂なわけでもあるまいと、冒険者たちを見回した。コホンとひとつ咳払いをしてヴィクトルが口を開く。
「実は、現状で多くの方と接する場所に滞在するのは難しいと考えたルシアンさんからこの子のロシアについての教育を任されたのですが、数日間、何物にも煩わされることなく過ごすために森をお借りしたいのです」
「簡単に言ってくれるね‥‥うーん」
口元に拳を当て思案に耽るアルトゥール。二つ返事で了承してくれると踏んでいたわけではないが、ここまで悩まれるとは正直考えてはいなかった。研究が忙しかったとしても、それが森を貸すことを渋る理由にはつながらないような気がして、パラーリアは目を瞬く。
「何か、森に入ったら拙いようなことがあるの?」
「兄上殿が明後日辺り、狐狩りに行くと言っていたんだよね‥‥」
「そこを何とか、お願いしますっ!」
「お願いいたします!」
「お願いします」
『します♪』
「「お願いしますっ」」
ローサが、セフィナが、フィニィが、皆が、次々に頭を下げる。
「お雛ちゃん」
「‥‥‥‥」
伝助に促され、雛菊も頭を下げた。
「頼む‥‥お願い、します‥‥」
皆が頭を下げたのを見て、娘も不器用ながら頭を下げた。
やれやれ、と溜息を1つ。それは了承の証でもあった。
「レディにまで頭を下げられたら頷かないわけにはいかないね。何とか足止めをしておくよ」
──その代わり。
条件として、付け加えられたもの。
それは、冒険者たちに良くも悪くも重圧として圧し掛かるものだった‥‥。
●第一の授業:ロシア王国
アルトゥールに礼を述べ、要塞のようにも見えるラティシェフ家を後にした冒険者は、以前にも訪れた──森の静かな一角にテントを張り、拠点を築き上げた。
適当な石を拾い、イスに見立てる。皆にロシア王国に関する知識を伝授するのは、唯一ロシア王国を出身地とするヴィクトルで、彼を中心に扇形に座る。それだけであればあまり珍しい光景ではない──それだけであれば。
教師として前に立つヴィクトルは、ジャパンの一反妖怪だった。
セフィナは、猫だった。
伝助は、ジャック・オー・ランタンだった。
ローサは、銀狐だった。
フィニィは鳩、パラーリアはわんこ、桜花は狛犬、小鳥はクマ、娘はキタキツネ。
サーガインは狼で、雛菊は牛。
──防寒対策にフィニィのまるごとシリーズを着込んだ結果、である。ちなみに、サーガインのは自前。
「あったかいです〜」
身を苛んでいた寒さから解放された小鳥クマさんがくるくると踊り、足がもつれてひっくり返った。
「小鳥お姉ちゃん、大丈夫〜?」
覗きこんだ雛菊もーもーがバランスを崩しクマさんに圧し掛かる。
「お雛ちゃんも大丈夫っすか?」
「ふわぁ。伝ちゃんお兄ちゃん、頭おっきぃねぇ」
伝助ランタンは、蕪型ランタンの頭覆いの重量とひらひらしたマントに振り回されながらも雛菊もーもーを助け起こす。パラーリアわんこが小鳥クマさんに手を貸した。
「動くときは気をつけなくちゃだめだよ、クマさん?」
「わんこさん、ありがとうございます〜」
「ぱらーりあちゃんです、どうぞお持ちになってくださいませ」
そんなパラーリアわんこへ、セフィナ猫さんがそっと差し出したもの。いつの間に作っていたのだろうか、パラーリアを模したちま人形だ。
「‥‥えっと‥‥もらっちゃってもいいの〜?」
「はい♪ 皆さんちまをお持ちですし、折角の機会ですものね」
にこりと微笑んだセフィナ猫さんに感極まって抱きつくパラーリアわんこ。その様子をじっと見つめるのは娘キタキツネだ。視線に気付いた狛犬桜花がじっと覗き込む。皆でまるごとシリーズを着込むのは桜花の発案だった。責任感の強い彼女のことだ、全員が楽しめるように最大限の努力をしようと考えているのだろう。
「娘さん、猫かぶりの方が良かったんじゃないですか?」
「‥‥いや、家に帰ればあるからな‥‥」
未練はあるが我慢はできる。そう言い吹っ切るように転じた視界に飛び込んできたのはローサぎんことヴィクトルいったんである。
「パパさん、お尻から伸びた長い布がなかなかセクシーよ♪ 奥さんが見たら惚れ直しちゃうかもねっ」
にやりと笑いヴィクトルいったんをからかうローサぎんこ。ぴらぴらとたなびく長い布を振り返り眺めながら、ヴィクトルいったんはローサぎんこに投げかけた。
「セクシーだと思うならローサ嬢が着れば良かったのではないか?」
「あたしには、ほら、にゃんにゃんとお揃いのキツネにするっていう使命がね?」
「セクシーになっても嫁の貰い手がつくわけじゃ‥‥」
「ん〜? 何か言ったかなぁ、サーガイン君。この口が何か言ったのかなぁ〜?」
むにーっと頬を引っ張るローサぎんこ。目がマジだ。
「いひゃい、いひゃいれす! ほら、セクシーになっても彼は見てませんしっ。そういう意味ですよっ」
「どーだかっ」
逃げ出したサーガイン狼がさっと石に腰掛けた。
「ローサさん、こんなことをしに来たわけではないでしょう?」
「サーガインさん、巧く逃げましたわね」
くすくすと小さく笑ったセフィナ猫さんがリーダーシップを取り皆を纏めた。
「さあ、皆さん。そろそろお掛けになってくださいな。お勉強を始めましょう」
パンパンと手を叩くと皆の気分がきゅっと引き締まったようだ。
「ヴィクトル先生、宜しくお願いしますわね♪」
にっこりと微笑んだ猫さんにお尻──もといお尻から伸びた長い布がセクシーなヴィクトルいったんが重々しく頷いた。
「それでは授業を始める」
難しい顔をしているが──どうやら、意外にも彼なりに楽しんでいるようである。
「まず、ロシア王国の成立について話そうか‥‥そもそも、ロシアの公用語がゲルマン語であるように、ロシアはフランク王国と非常に関わりが深いのだ。ことの起こりは今から約160年前──神聖暦840年に遡る」
「840年‥‥ルイ皇帝の崩御ですね。それに伴い、フランク王国はゲルマン的相続分割に基づいて条約が交わされ、3分割されることになったそうです」
「サーガイン君、よく勉強しているね」
ヴィクトルはサーガインの言葉を肯定する。そもそもサーガインはフランク王国の出身である、フランク史としてその辺りのことを学んだことがあるのだろう。
「しかし、賛成した者たちばかりではない──これを良しとしない貴族や公王たち反対派はマチアスを擁立、実力行使出たのだ。結果、猛烈な抵抗に合い、数ヶ月で敗走することとなった。逃亡先は──解る者は?」
「ロシアといえば、やっぱり森よね‥‥!」
目を輝かせたローサに苦笑しつつ頷く。
「その通り、暗黒の国と呼ばれる森だ。生き残った家臣団は、マチアス側筆頭ルーリック家のビクトルらとともに、暗黒の国へと逃亡。追撃や過酷な自然に数を減らしながらも、エルフの集落と講和を成立させ、862年にノブゴロド公国の成立を宣言、その後8公国からなるロシア王国として成立した」
「ロシアはとても寒いのですわよね。涙も鼻水も凍ってしまうのだとか‥‥?」
「公国にも拠るが、12月から2月にかけてはどの公国もそのような状況になるな」
「だから、テントや防寒服が必須になりますのね。今はギルドでもギルド員さんが声を掛けて下さっていますけれど‥‥」
もっと寒くなり防寒服が当然となればそのような声も掛からなくなるだろう。注意が必要かもしれない。
「ヴィクトル先生、あっしも質問していいっすか?」
「何だね?」
「ロシアは今、森を切り開き中だと聞きやした。それは何故っすか?」
「ふむ、いい質問だ。建国の経緯から隣国フランク王国と不仲だというのは理解できたことと思う」
頷くまるごとたち。
「しかし、近年発見された月道によりヨーロッパを横断する通商ルートが確保されたのだ。貿易国として発展・安定したキエフには人口の流入が続いていて、土地が足りない状況になっている」
「だから森を切り開いて人の住める場所を確保する必要があるわけっスね」
合点がいったと笑みを浮かべる伝助は理解がいったのだろう。元より興味津々のローサや、基礎知識のあるパラーリア、サーガインらは飲み込みも早い。
しかし、斜めに傾いだ者たちもいる。小鳥に娘、桜花らである。肝心要の雛菊は船をこいでいる始末。
「あや〜、雛ちゃんにはちょっと難しすぎたのかもねぇ?」
パラーリアは外套を雛菊の肩に掛けた。
掛け合い風に会話を進めていくには、会話をする双方に同程度の知識が必要となる。事前に打ち合わせが出来なかったことが敗因だったかもしれない。
●第二の授業:ハーフエルフ
「諸君。ロシア王国の歴史は覚えられたかな」
「えっとぉ、ロシアの貴族の人はお隣のフランク王国でボッコボコにされて、こんなさむ〜い大地に流れついてきたんだよねぇ。その時、ロシアに住んでいたエルフさんが優しく迎え入れてくれて、ロシア王国が出来たの」
「まあ‥‥そんな所だ」
パラーリアの簡潔な言葉に苦笑したヴィクトルは皆の表情を眺め、理解を示されていることを確認する。その後、改めて、時間をかけ学びなおしたのだ。そしていよいよ本題に入ることとなる。
「さて、今日はロシアのハーフエルフについて学ぶ」
「‥‥‥‥」
とたんに渋面を浮かべる雛菊。学ぶことなど何もないと、小さな全身が拒絶を示している。
「ほーら、難しい顔しないのー。何も怖い事は無いの。だから皆の言葉に耳を傾けて欲しいかな。雛ちゃんなら出来るよね?」
ローサが優しく撫でるも、効果は薄い。解っていたことではあったが、ハーフエルフというだけで聞く耳すら持たないのは計算外である。ロシアに来てハーフエルフを見る機会が多かったことが、雛菊の心を頑ななものに変えてしまっていたようだ。
「追撃の手、過酷な自然。それらに抗するため、優れた能力を示すハーフエルフたちを尊ぶ風習が生まれたのだ」
「優れてなどいないのだがな‥‥何も、変らないんだ‥‥」
寂しげに呟く娘。ハーフエルフにしか解らない孤独感があるのだろう。
勇気付けるように元気一杯、パラーリアがにこやかに解説する。
「あのね、雛ちゃん。優しく迎え入れてくれたエルフさんたちと人間さんが愛し合ってロシアのハーフエルフさんが生まれたんだよぉ☆」
「でもハーフエルフは悪い子だもん。兄様がそう言ってたの」
パラーリアの簡潔な言葉にも、雛菊は理解を示さない。
「雛ちゃん、フィニィさんや娘さんはハーフエルフだけど雛ちゃんの友達でしょう? ハーフエルフにも良い人も居れば悪い人も居るのよ」
困り果て、じっと瞳を覗き込んで語りかける桜花。しかし、ぷいっと顔を背けられてしまい落胆の色は隠せない。
頬に手を当て思案していた小鳥は、確認するように雛菊へ問いかけた。
「んー‥‥雛ちゃんは、娘ちゃんとかフィニィさんのこと嫌いですかぁ?」
「雛‥‥にゃんにゃんお姉ちゃんも、フィニィお姉ちゃんも、大好き‥‥」
唇を尖らせて呟く雛菊。どう説明したものかと悩んだ小鳥だが、結局ストレートに思いの丈をぶつけた。
「‥‥お二人の事と他のハーフエルフさんと何が違うんでしょうかぁ? 確かに悪いハーフエルフの人もいると思いますけど、娘ちゃんのように良い人もいると思いませんか?」
「ハーフエルフは悪い子だって、兄様が言ってたもっ!」
小鳥、惨敗。伝助が続きを引き受けた。
「うーん。じゃあお雛ちゃんは、わんこは好きっすか?」
助が尻尾を振ってワンと咆える。よしよしと頭を撫で、大好き、と答えた。
「わんこが苦手な人もいる、というのは雛ちゃんもわかりやすね?」
「うん」
「それと同じで、ハーフエルフさんが苦手な人も、普通に付き合えたり、好きな人もいるっす。この国は後者の方が多い国なんすよ」
「でも、悪い子は悪い子だもん」
ぷうっと頬を膨らませる雛菊。
「確かに、悪いハーフエルフもいます」
セフィナが頷く。少女の兄・慧雪の言葉を否定しては雛菊は聴く耳を持たないと気付いたのだ。
「ノルマンでは混血のハーフエルフは迫害の対象なのです。泥棒はとってもいけないことだけれど、まっとうな職につくことができずに、仕方なくしている人もいます」
──生きるため、死なないために。
「人間には良い人と悪い人が居りますけれど、ハーフエルフも同じですのよ。娘さんやフィニィさん、ユキさんは雛ちゃんのお友達ですね。皆さんをお友達だと思ったのはどうしてですか?」
「‥‥雛のこと、助けてくれたなの‥‥一緒にいてくれるの」
フィニィの手をきゅっと握り、小さく答える雛菊。
「ハーフエルフなら誰とでもお友達にならないといけないわけではありませんのよ。良い人か悪い人か、雛ちゃんがご自分でご判断下さいね」
「人間だってエルフだってジャイアントだって良い人もいれば悪い人がいます、それと同じですよぉ」
にこりと、小鳥も微笑んだ。そして自分とさして変らぬ年頃に見えるセフィナを尊敬の眼差しで見る。
皆の話を受けて、サーガインは雛菊に語りかけた。
「雛菊さん、貴方も解っているのでは無いですか? ハーフエルフが悪い人だけではないことを」
少女の瞳に揺らぎが生じていた。隔てていた壁にヒビが入っていることを感じ、サーガインは言葉を重ねる。
「ハーフエルフだろうが人間だろうが悪魔だろうが、悪い人は悪い、良い人は良いと言う事です」
「良い悪魔というのは存在するっすか?」
「極端過ぎましたか。例えですよ、伝助さん。‥‥まぁ言葉で言うほど簡単ではないのですけど、信じる価値はあるはずです。これからも彼女達のような人達に会えると思うと‥‥ね」
そっと雛菊の髪を撫でるサーガイン。その手をぱしっと払い、娘は雛菊を引き寄せた。
「‥‥雛菊、私がハーフエルフだと言う事は知っているな?」
普段はフードに隠れている特徴的な耳を、雛菊にしっかりと確認させる。どうしたのだろうかと頷きながらもじっと見上げる雛菊。
「ハーフエルフの王娘は嫌いか? 私は雛菊の事が好きだぞ‥‥?」
雛菊を撫でる娘。その言葉から何処か重くなった空気を察し、大好きだと全身で訴えながら、続く言葉を待つ。
「これは雛菊が人間だからと言う訳ではない‥‥雛菊だから好きなのだ。以前の私は虐待を受け今の雛菊のように‥‥人間を全て敵視していた頃があった‥‥。だが様々な冒険者と出会う事で種族は関係なく良い者と悪い者がいると言う事が分かった‥‥」
周囲を見回す。仲間たちが力強く頷いてくれた。照れたように笑ってくれた。
それが娘の力になった。
「確かに狂化をすると我を忘れるのは事実。だが、それは私達にとっても恐ろしい事‥‥しないよう心がけているのだ、そこも理解して欲しい」
「狂化現象を、程度の違いはあれロシアでは押さえこむように教育される。ゆえに簡単に狂化すると『自分を律することのできない輩』と見られてしまうのだ。アルトゥール氏のように家柄がいいと特にな‥‥皆、努力しているのだ」
諭される少女は俯いた。
「ハーフエルフに限らず人は生まれよりもどのような人かの方が大切だと思うんですよね。大切なのは相手がどんな人だったかで、種族や立場ではないと思いませんか?」
頷きかけて首を振る。理解はしているが、意固地になっているのだろう。
伝助は小さな肩を優しく包んだ。
「お雛ちゃんは友達が突然「悪い子」って言われたら悲しいし、怒りやすでしょう? この国でハーフエルフさんに悪い子って言ったらやっぱり怒られるんっす。何故なら彼らは仲間だったり、場合によっては偉い人だったりするからっす」
「‥‥‥」
「神皇様や源徳公を悪い子って言うのと同じことで、そんなことしたら雛ちゃんは打ち首になっちゃうかもしれないんだよ〜。皆、雛ちゃんのことを心配してるの、それはわかってくれるよね?」
「‥‥‥‥‥うん」
パラーリアの言葉を長い沈黙が包み込み──やがて雛菊が頷いた。
「郷に入れば郷に従えともいいやすし、少しずつでも合わせていきやしょう? まずは、悪い子と言わないところから」
「雛‥‥雛、頑張る‥‥」
わっと歓声が上がった。緊張の糸が喜びで解けたのだろう、へたりこむ娘をローサと小鳥が抱きとめた。
「考え方を変えるのって本当に大変だし力のいることだと思いますけど‥‥できないことではないですからね。良かったですね、巧くいって〜」
素直に喜ぶ小鳥に大人しく頷く娘を見て、ローサの悪戯心がむくむくと鎌首をもたげてきた。
「そういえば、にゃんにゃん今回はずっとフード被って来なかったね」
「うるさいっ! 雛菊の為だ!」
「娘ちゃんって、実はかなり健気なんですよ〜」
「黙れ小鳥!」
──ゴッ!
「痛い〜!」
その傍らではサーガインが雛菊へ何かを囁いている。パラーリアが雛菊へ鉢金を巻いてやる。お揃いですねと桜花が微笑み、フィニィが我が事のように喜んでいる。
戻ってきた笑顔と、いつもの光景。一歩引いて眺めていた二人のクレリックと一人の忍者は言葉を交わす。
「しかし‥‥良かった。アルトゥール氏と条件も何とか果たせそうだ」
「ええ、成果を見せろと‥‥簡単に言われてしまった時はどうしようかと思いましたけれど」
「結果的には良いプレッシャーになったのだと解釈しておきやしょう」
流れる穏やかな空気。つい流されそうになって、伝助は首を振った。
「あの、ヴィクトルさんから見て今の雛ちゃんは試練を乗り越えたように見えやすか? あっしにはあの事があった前に『戻っただけ』に見えるんす」
「私も少々気に掛かっていた。何やら、急に元気になったと言うしな‥‥」
「ただの杞憂で、この先同じような事があっても耐えられる程強くなっているなら、それが一番いいんすが‥‥」
雲ひとつない澄んだ青空。
けれど、雛菊の周囲には暗澹(あんたん)たる何かの気配が漂う。
‥‥大いなる父タロンの与える試練の道は未だ見ぬ場所へと続いているのだと、改めて思わざるを得なかった。