●リプレイ本文
「何をしているんだ?」
イェレミーアス・アーヴァイン(ea2850)は、羊皮紙に向き合っているクライフ・デニーロ(ea2606)に尋ねた。揺れる船内での事務的な作業は、クライフの顔色を青くさせていた。
「酔ったのか?」
「だ、大丈夫です‥‥地図の写し、作っておかないと‥‥ううっ」
虚ろな目で見上げて、クライフは口元を覆った。
「か、甲板で風に当たった方が! 写しは、キースと娘が用意していたから大丈夫だ。おい、ヘルガ、娘、一緒にクライフを甲板に──」
「断る」
ヘルガ・アデナウアー(eb0631)と森林での行動、偽装、カモフラージュなどについて話していた王 娘(ea8989)は、仲間の危機に取り付く島もない。クライフの具合が悪かろうが、甲板に出て辺り一面の水を見るなど──冗談ではない。
「‥‥船旅は嫌いだ」
「私が手伝うわ」
スターリナ・ジューコフ(eb0933)が苦笑しつつ立ち上がり、イェレミーアスを手伝ってクライフを甲板へ運んだ。竜胆 零(eb0953)とスターリナは、依頼人との面会を果たせていない。事前にエルフのギルド員から、依頼人に合うことはないと告げられていたはずだったのだが、忘れてしまっていたようだ。
「船酔いですか?」
甲板で風に当たっていたビター・トウェイン(eb0896)が、クライフの様子を気に留める。船内にいたときよりは多少顔色が良くなったようだが、やはり具合が悪そうだ。水無月 冷華(ea8284)が上品に微笑みかけて、告げた。
「もう少しの辛抱ですわ。もう、港が見えてきましたから」
ピンと伸ばされた背筋と同様に、凛とした視線を転じた先には、確かに港が見えていた。
──その背後に、禍々しい山を控えさせて‥‥
船を降り、徒歩で二日ほど進むと‥‥オーガの巣と呼ばれる場所に辿り着く。そのまま街道沿いに約二日、以前、クライフや娘がこの街道を使用したときに野営をした地点へベースキャンプを張る。
翌朝、まだ日も明けやらぬうちから冒険者たちは出発の支度をしていた。
「オーガの巣をチェスの目状に区切って、一箇所ずつ調べていく──で良かったんだよな」
アール・ドイル(ea9471)がイェレミーアスから地図の写しを受け取りながら作戦の確認をする。娘の許可を得て馬に荷を積んでいた竜胆が振り返った。
「らしいな」
「本部へ残った人には、日が暮れる前に、地図にチェックしてある場所までベースキャンプを移動してもらいます。それから、何度もいいますが、単独行動は禁止ですからね」
竜胆は釘を刺してきたクライフを一瞥し、鼻を鳴らした。
「とりあえず、街道の右の森と左の森へ分かれて入らないとね」
ヘルガは娘と一緒に、スターリナからペイント向けの草を教えてもらい、アルジャスラード・フォーディガール(ea9248)や他のメンバーへ偽装を施す。
水無月、ビター、アルジャスラードの三人はベースキャンプの警備を担当することになった。
「行ってらっしゃい、気をつけて──グッドラック」
グッドラックと言ったとき、ビターの身体は白く淡い光に包まれ、それが祝福の魔法であることが見て取れた。
「水の音がするわ」
ヘルガが小さく呟いた。すぐに、クライフがサーチウォーターを唱える──と、200メートルほど離れた場所に反応があった。
「効果範囲があまり広くないんですよね。まあ、500メートルもあれば普段は問題ないんですけど‥‥あ、この辺りです」
地図をのぞき込み、反応のあった水場を示す。スターリナは筆を走らせ記入すると、地図から顔を上げた。
「確認した方が良いわね。華やかな舞台を作り出すためには、大勢の人の地道な準備が必要。地味な調査依頼でも、絶対に手は抜けないもの」
「だな。っと、ヘルガ、足元に気をつけろ」
イェレミーアスは積もった枯葉に足を滑らせたヘルガへ注意と同時に手を伸ばす。普段のヘルガならバランスを崩したときに悲鳴を上げていただろうが、それをしなかったのは仕事中だという意識があったからだろうか。
(「あぁ、イェレさん‥‥なんて優しい人‥‥」)
仕事中だという意識が‥‥あった、はず‥‥多分。
「ヘルガ、はぐれるわよ」
先行するイェレミーアスとクライフに続いて歩いていたスターリナが振り返り、ヘルガを呼ぶ。ヘルガの目には、クライフは映っておらず──
(「スターリナさんも、イェレさんのことを‥‥!? あたし、絶対に負けないんだから!」)
ヘルガは燃えていた、依頼──いや、不意に訪れた、新たな恋に。
「水場って、あれのことだな」
「そのようです」
少し離れた場所に小さな泉を認め、イェレミーアスは茂みに身を潜めた。クライフも同じように手近な木に身を隠し、泉を確認する。
「待って、何かいるわ」
ヘルガの耳は、何かの動く音を捉えた。目を凝らしたライバルのスターリナは、泉の向こうに広がる木々の間で動く影を指摘した。
「ゴブリンが、5〜6匹いるわね‥‥ちょっと、大きいのって、ホブゴブリンかしら‥‥よく見えないわ」
表情を変えずに報告する。泉に来るわけではないのか、近寄っては来ない。こちらに気付いているわけではないようだ。
「もう少し近付いてみるか。通りすがりなのか、住処があるのか、調べないといけないしな」
悟られないよう、細心の注意を払いながら、ゴブリンたちへと近寄って行く。ヘルガも、とりあえずの任務を思い出したようで、その鋭い聴覚で些細な音も漏らさないように気を配る。
万一に備え、クライフもアイスチャクラを準備する。冷たいチャクラムを持つクライフへ、スターリナが囁く。
「どこから増援が現れるか分からないから、戦闘は極力避けてね」
「はい、そのつもりです」
イェレミーアスと離れないように気をつけながら、クライフはスターリナへ頷いた。
「俺が先行する、魔法の射程と相談しながら着いてきてくれ。くれぐれも無理はするなよ」
「火傷は承知の上よ。でも、無理はしないようにする──イェレさんや皆の迷惑になりたくないもの」
イェレミーアスを見る目が熱っぽいが、とりあえず言っていることはまともっぽいので良し。
そんな意味深な視線には気付かず、イェレミーアスは木陰に長身を潜めながらゴブリンたちとの距離を慎重に詰めて行き──そして、ゴブリンの出入りする小さな洞窟を発見した。ゴブリンとホブゴブリン、そして冒険者や旅人から奪ったのだろうか、武装したゴブリンが合計で十数体。
(「当たりだ、戻るぞ」)
ジェスチャーで後続の3人へ合図し、ゴブリンたちの死角へと移動する。羊皮紙に棲み処となっている洞窟を書き込み、イェレミーアスの確認したオーガ種の種類、頭数、装備、周辺の地形を出来うる限り詳細に記入する。
「まずは一つ、ですね。こんな簡単に見つかると後が大変そうですが、頑張りましょう」
記録という名の束の間の休息に終止符を打って、クライフは仲間を促した。
そう、時間は明らかに足りないのだ──
「‥‥青鬼発見」
何の感慨もない淡々とした口調で娘が呟いた。素っ気無さすぎて、アールはあやうく聞き逃すところだったほどだ。
「どこだ? ああ、あれか」
尋ねかけたものの、答えを待つまでもなく、冬山とは明らかに違う青銅色の肌のオーガを竜胆も発見した。3匹のオーガは、どうやらどこかへと移動中のようだ。
「見つけるのは、オーガじゃなくて巣っつーか、棲み処なんだよな? 尾けろってことか」
気配を消すことには一歩秀でた娘の先導で、アールは面倒くさそうにオーガの後を尾けていく。オーガは尾行の存在に気付かず、十数分も歩いただろうか。地図と照らし、冒険者の目から見た周辺の地形や罠の仕掛けやすさなどを遠慮なく地図にメモしていた竜胆は、あることに気付く。
「このまま行くと、一度森が途切れるな」
「そうなったら、尾行‥‥無理」
流石に、身を潜める遮蔽物が減ればオーガとて3人の存在に気付くだろう。娘は柳眉を潜め、白いフードを被りなおした。
「とりあえず、行ける所まで行くぞ」
アールはそう告げ、青鬼の後を追う──が、竜胆の忠告どおり、すぐに森が開けてしまった。どうやら、川辺のようだ。
「この地図には川はないな‥‥役に立たない」
忌々しげに吐き棄てる竜胆。
「でも、どうやらゴールは見えた見てぇだな」
アールは、改めて仲間たちを見た。なるほど、追ってきた青鬼たちは川向こうにある廃屋へ消えてゆく。
廃屋が元は何の建物だったのか、どれほどのオーガ種が潜んでいるのか、記録をとる竜胆にも観察する娘にも不明だが、不用意に近付かない方が良いことだけは確かだろう。
「敵の戦力を把握するためには、おびき出すのがいいと思わねぇか?」
にやりと笑うアール。ただ大人しくオーガの巣まで移動してきただけのアールは、いかんせん運動不足のようだ。背負ったジャイアントソードが、ずしりとその存在をアピールしている、気がする。
「好きにすれば良い。私はもっと広範囲を偵察してくる」
「冗談の通じねぇヤツだな」
「竜胆、単独は危険」
アールをあっさりと無視して、娘は竜胆へ警告した。短い言葉は、単独でも重みを持つ。
「疾走の術を使う、付いて来られないなら足手まといだ。それに、技量の未熟さも自覚している、無茶をするつもりはない」
「そうか」
決意が固いとみるや、娘はあっさりと手を引いた。アールも何も言わない。竜胆も冒険者である、己の行動について己で責任を取ることは当然である。
「オーガの巣を出るまでに合流する」
そう言い残し、竜胆は二人のもとを離れた。娘は更にフードを目深にかぶって、アールの袖を引いた。フードの耳がまっすぐに天を向く。
「アール、雲行きが怪しい‥‥ベースへ戻ろう」
日も確かに暮れかけていたが、それ以上に厚い雲が空を覆い始めていた。
「雲行きが怪しくなってきましたが、娘殿は大丈夫でしょうか」
移動した先のベースで、水無月が仲間を案じていた。
「ワンか‥‥気にしてたから、降る前に戻ってくるだろうとは思うけどな。だけどまぁ‥‥話には聞いてたが、本当に落ち着かないもんだな」
アルジャスラードが居心地悪そうに居住まいを正した。まとわり付くような殺気──そんな大げさなものではないが、悪意、害意といったものが土地に染み付いているような錯覚を覚える。
「はい、温まりましたよ。少し落ち着きましょう?」
ビターは保存食の中に入っていた干し肉を湯で戻した簡単なスープを二人へ手渡した。緊張することが悪いとは言わないが、し続けると自分たちの方が先に参ってしまう。
「ありがとうございます。防寒服を着ていても底冷えがしますものね。動いていればそんなこともないのでしょうけれど」
雨でなくて雪なら、娘殿狂化しないのだろうか──そんなことを思いながら、水無月はスープを口に運んだ。
しかし、そんな期待もむなしく。冷たい雨が頬を濡らした。
「降ってきました、ね。最終日まで降らなかったことが幸運だったと思うべきでしょうか」
「ただいま戻りました」
クライフ、娘、アールがベースキャンプへ戻ってくる。
「‥‥」
フードをしっかり両手で押さえた娘がテントに駆け込んだ。そして間をおかずに、スターリナ、ヘルガ、イェレミーアスも戻ってきた。
「やはり、日数が足りませんか?」
難しい表情のクライフに水無月が問いかけた。無言で頷かれ、苦笑しながらささやかなフォローをする。
「でも、短い日程の間で効率よく調べられていると思いますよ。クライフ殿の作戦があればこそではないですか」
「ありがとうございます。そうですね、出来うる限りのことはやっていますよね」
自分を納得させるように繰り返し、ほんのりと笑みを浮かべた。
翌朝、それは訪れた。
「よし、テントの撤収も完了だな」
アルジャスラードが馬へテントを積んでいた。焚き火は雨に負けないよう薪がくべられ、雨の上がった朝になっても皆を暖めている。
「何かいます」
水無月の短く鋭い一声が冒険者の中を走った! 反射的にジャイアントソードを抜くアール!
振り向いたアールの前に現れたのは、大柄なゴブリンといった風体の──ホブゴブリンだ。
「くっ!」
──ギィィン!
大剣が、敵の斧を辛うじて防ぐ!
しかし、その一撃でホブゴブリンが戦闘力に優れた個体であることは判明した。回避力に優れたスターリナでさえ、確実に避けられるとは思わなかったほどだ。
「へっ、面白い! 死なねぇ程度に頑張るとするか!」
アールが剣を振るう! ホブゴブリンが辛うじて盾で受ける!
ホブゴブリンが斧を叩きつける! アールが避ける!!
その間に、同様の装備のホブゴブリンがもう一体現れ、ヘルガを庇ったイェレミーアスと水無月が二人がかりで相対する。恐怖に暴れる馬たちを娘とイェレミーアスが必死に宥める。
アールのジャイアントソード・スマッシュがホブゴブリンを捕らえ、ホブゴブリンが斧で繰り出したスマッシュがアールを切り裂く!
「ぐっ! やっぱ、戦闘は──こうじゃねぇとな」
お互いに、もう一度食らえば命は無いだろう。
「──!」
──ギィィン!!
無言で振るったジャイアントソードと斧が、火花を散らす! 二合、三合‥‥
そして、アールのジャイアントソードがホブゴブリンを捕らえた!
『GAAAA!』
断末魔の叫びを上げてホブゴブリンが倒れた──しかしアールの勢いは止まらない!
残るホブゴブリンが仲間を呼ぶように叫び声をあげ、アールへ襲い掛かった!
「アール!」
アルジャスラードが加勢に加わり‥‥アールの剣が、アルジャスラードに襲い掛かった!
「うおっ、アール!?」
間一髪、仲間の凶刃を避け、アルジャスラードが後退する。アールの紅に染まった瞳は感情を映さず、ただ動くものに大きな剣を叩きつける。ホブゴブリンの斧を避けようともしないアールは、自らの命を糧に戦いを続けているようにしか見えない。
「このままじゃだめよ、逃げないと! スリープで眠らせるから、アルジャさん、アールさんを!」
「アルジャスラードさん、グッドラックを!」
「ホブゴブリンは私が!」
「僕も手伝います!」
ヘルガとビターがアールを抑え、スターリナとクライフが脱出の時間を作るため、呪文の詠唱を開始する! スリープでアールが眠り、ライトニングサンダーボルトとライトニングトラップで敵の足止めをすると、その隙にグッドラックを受けたアルジャスラードがアールを引きずり出す!
「逃げましょう!」
水無月が先導し、冒険者は街道を駆け抜けた。
こうして集められたデータは、オーガの巣の端で合流した竜胆が一枚の地図にまとめ、パリのギルドへ提出された。
「又何かあれば宜しく、と」
しっかり売り込む伝言と共に。