【鏡雪の欠片】奪われた純白
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■ショートシナリオ
担当:やなぎきいち
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:11 G 94 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:02月18日〜02月24日
リプレイ公開日:2007年03月05日
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●オープニング
貧民街にほど近い治安の悪い一角で、豊かな金の髪を波打たせて男が歌う。頭を飾る赤き大きな羽飾り、身に纏うのは華美なまでに金糸銀糸の美しい刺繍を施したローブ。これで調子を外した歌を歌うのならば罵声の1つも浴びようものだが、場違いな歌を人々を魅了してやまぬハスキーな声で歌い、苦労を知らぬ白魚の手は繊細かつ優美な音を爪弾き、何があろうとも常に前向きな姿勢を貫き通すものだから‥‥苦々しく思われることも少なくなかろうが、彼は愛されているようだった。
ある時は罵声の代わりに、またある時は親愛を込めて、彼は極楽鳥の吟遊詩人と呼ばれていた。
──ぽろろん♪
リュートを鳴らし、極楽鳥の吟遊詩人は吹雪の中をどこかへ向かい歩いていった。
その姿を、いつまでも見詰めている視線があった。
「‥‥ケホ、ケホッ‥‥」
きっちりと毛布に身を包み、細く窓を開けて派手派手しい吟遊詩人の歌を聞いていた白髪の少年は、小さく咳き込みながら、赤い羽根飾りが吹雪の向こうに消えるまでじっと見送っていた。この吹雪で引いた風邪がこじれ、ここ数日間寝たきりになってしまっている少年だ。
「また聞いていたのか。先に、風邪を治すことを考えなさい」
父親らしい男が窓を閉めてポリッジをよそった。
「ごめんなさい‥‥‥父さん‥‥仕事、忙しいのに‥‥‥‥」
「これを食べてお前が寝たら、仕事に行くからな。極楽鳥の歌を聴くのは構わんが窓は開けたら駄目だ。約束だぞ、テオ」
すまなさそうに細い体を小さく丸めた息子の背を叩き、しっかりとそう言いつける父に‥‥恩義を感じる息子は返す言葉など持ち合わせてはいなかった。
「‥‥‥はい‥‥」
呟くように答え、匙にすくったポリッジを口に運んだ。温かいミルクの香りが口内に広がる。料理の苦手な父親が作ったそれは、決して旨くはないが、それでも父が自分を見てくれたことは嬉しかった。仕事で頭がいっぱいな父は、家にいることすら滅多になかったから。
隙間風がうなじを撫で上げる。
身を震わせてテオは食べかけのポリッジを枕もとのチェストに置き、毛布を被り直した。風雪が戸板を叩く音だけが聞こえる、静寂の空間。少年は、ただただ身体を丸めてじっと息を潜めていた。
──そうして、どれほどの時間が経っただろう。
いつの間にか寝入ってしまっていた少年は目を擦る。風は弱まったけれど、雪はまだ降っているようだった。
「‥‥お腹、空いた‥‥‥」
蝋燭に火を灯すと、チェストに置いたまま食べかけのポリッジは凍らんばかりに冷たくなっていた。匙でかき混ぜてみるも食べる気にはならず、息を漏らす。暖炉の火もすっかり消えてしまったようで、部屋の中は屋外のような寒さだった。パンを買いに行く前に寝込んだのだから、家の中にパンはない。買い置きの食料は父がポリッジを作って、それで終わっていた。
「‥‥‥‥」
心細さとひもじさと忍び寄る寒さに涙が零れた。父さんは僕より仕事が大切‥‥そんなことない、僕のために仕事をしてくれてる‥‥病気のときくらい‥‥そんな我侭言っちゃいけない‥‥拾った子どもだもの‥‥育ててくれてる‥‥悶々と巡り続ける思考が荊となって少年の心と身体を締め上げた。
人に比べて小さく弱い身体は父の仕事を手伝うには足りぬ。愛したのは人の道に叛く身分違いの男性で、心は通じていても結ばれることは決して叶わぬ。自分には、何もない‥‥‥人に誇れるものも、愛されるものも、なにも。
「ひ‥‥っく、う‥‥」
その身を震わせるのは心か身体か。純粋すぎる少年の、堪えきれない苦痛の声が小さく響いた。
その時、誰かが窓を閉ざす戸板を叩いた。
「‥‥誰‥‥?」
テオは、言いつけを破って‥‥窓を開けた。
そして見た、白銀の長い長い髪を吹雪になびかせる、夢のように美しい女性を。
2人の愛らしい娘を従えて、慈愛に満ちた微笑みで自分を見つめる女性を。
「可哀想なテオ‥‥おいでなさい、その苦しみを全て取り除いてあげましょう」
まるで教会のセーラ像のような、母のような優しさを感じ──少年は、不思議とためらうこともせず差し伸べられた手を取った。雪のように白い手は、氷のように滑らかで冷たかった。
数日後、帰宅した父親レフがテオの部屋を訪れると‥‥開け放たれた窓から吹き込んだ雪が、ベッドや床に白く積もっていた。
そして冒険者ギルドに1つの依頼が持ち込まれた。
「雪の女王から、息子を取り戻してくれ!」
「雪の女王‥‥」
先達て雪の妖精を見に行くだなどという吟遊詩人が訪れていたため、新人の半人前ギルド員が鼻で笑い飛ばすような失礼な事態にはならなかったが‥‥代わりに彼が浮かべたのは渋面であった。
フロストクイーン、通称『雪の女王』はロシア王国に古くから巣食うモンスターである。その性格は慈愛に満ちており残忍。決して多く棲息するわけではないが、例年ロシア全土で数名の被害が発生する、国民にとっては伝承通りに恐ろしいモンスターだ。一昨日書物で知ったばかりだから、その存在が余計に重く圧し掛かってきたのだろう。
しかし、歴然とした事実として横たわる障害があった──依頼料である。
「失礼ですけど。レフさん、依頼料の方はお支払いいただけるのですよね?」
「それは‥‥」
そう、彼は少し前に出した依頼でほぼ文無し状態。しかし、これだけ危険の大きな仕事となれば相応の報酬が必要なのだ。
口ごもったレフに掛けられたのは、偶然と幸運の神の手だった。
「失礼、聞くつもりはなかったのだが‥‥」
ギルド幹部の下を別件で訪れていた男性、ノブゴロド大公妃エカテリーナの近衛騎士グリゴリーが姿勢良く佇んでいた。
「フロストクイーンが出たというのが事実なら捨て置けない。フロストクイーンとの戦いについては我らの方が詳しかろう‥‥僭越ながら協力させていただきたい」
「息子を、助けていただけるのであれば‥‥!」
願ってもない話だと、レフは何度も深く頭を下げた。
「では、エカテリーナ様の名で依頼を2つ出してくれ。女王から『娘』を引き離さねば勝機はないからな‥‥」
恐れ多くもエカテリーナの名を使いグリゴリーは指示を飛ばす。彼が直接出られるか否かは大公妃の心算次第。ならばせめて勝機を残そうと、考えているかのようでもあった。
伝承では吹雪と氷を意のままに操ると謡われる雪の女王。そうして冒険者ギルドに掲示されたのは、まさに伝承との戦いだった──
「スノゥ、リィム、テオに食事を用意してくれるかしら」
氷のようなサファイアが付いた優美な杖を手に王の如く豪奢な椅子に掛けた女王の言葉に、2人の少女が元気に手を上げる。
「はーい♪」
「テオちんも手伝ってねー☆」
耳を掴んだウサギを差し出すと、テオはにっこりと天使のような笑顔を浮かべ、手にしたナイフで腹を切り裂いた。
「おお、テオちんかっくいー♪」
リィムに褒められもじもじと頬を染めるテオにスノゥが抱きつく。
「いやん、テオっちか・わ・い・いーっ!」
無邪気に抱きつく少女に、ますますテオの頬は赤味を増していく。仲良さげな3人の足元には、幸せそうな三つの笑顔とは裏腹に‥‥小さな野ウサギから滴り落ちた鮮血がうっすらと湯気を立ち上らせながら血溜まりを作っていた。
●リプレイ本文
「雪の女王‥‥フロストクィーンか‥‥」
ヴィクトル・アルビレオ(ea6738)の呟きが、白い息となって吹雪に紛れる。
吹雪が、一面に広がる穢れ無き純白が、古城や森の全てを覆い隠すように吹き荒れていた。
自然の精霊の罪な悪戯──そんな言葉が浮かぶが、飲み込んだ。フロストフェアリーは確かに妖精だが‥‥フロストクィーンやフロストプリンセスは、クリーチャーに分類されるモンスターだから、である。
「シオンさんを待つ時間がなかったのは痛手ですね」
「通常の武器でもダメージは通る。その一点だけは喜ぶべきだろう」
「それでも、です」
宮崎桜花(eb1052)が小さく溜息を零した。着こんでいればキエフの普段の気候に3時間ほど耐えられる防寒服も、この寒さでは思うように効果を発揮しない。バックパックに仕舞っていれば尚更で──桜花はギルドを出発しキエフを出る前に挫折した。今は、しっかりと防寒服を着込んでいる。
つまり、休憩を余計に取らねばならないということで‥‥それは予想よりも行軍に時間がかかるということに他ならなかった。テオがどんな扱いを受けているか解らない以上、依頼人グリゴリーとその主であるノブゴロド大公妃エカテリーナに謁見しに行ったシオン・アークライト(eb0882)を待つことはできなかったのだ。
「何処の国でも、地位ある者が宿になど滅多に宿泊しないのは同じだな」
真幌葉京士郎(ea3190)が薄く笑う。エカテリーナ大公妃の滞在している「キエフ」は都市としてのキエフではなく、公国としてのキエフである。ロシア王国の首都キエフから遠い場所にある公国の主たちは、キエフの郊外に別荘のような城や屋敷を持っているのだ。
「でも、屋敷の場所がもう既に‥‥噂に聞く大公妃そのものっすよね」
以心伝助(ea4744)も肩を竦めた。
エカテリーナ大公妃が滞在しているのは、大方の予想通り──異母妹の嫁ぎ先である、ラティシェフ家の領内である。キエフ公国の首都キエフへも、チェルニーゴフ公国の首都チェルニーゴフへも一日足らずで辿り着く場所。ウラジミール一世と姻戚関係のあるヤコヴ大公にとって喉元に突きつけられた短剣のような場所、それが彼女の選んだ居住地である。
「でも、本当に貴族って面倒くさいのな。宿の方が安いし、王城にも近いし、便利だと思うんだけど」
少しでも手に馴染ませるために借り物の日本刀「青蛇丸」を握り締めて素振りをしていたシュテルケ・フェストゥング(eb4341)は、手を休めた。暑くなって来たのか、毛糸の手袋を外す。
「貴族の方は、常に回りに敵がいるようなものでしょうからね。知らない人がいる状態だと、きっと安心できないんですよ」
「ふぅん。‥‥やっぱり面倒くさい」
見も蓋もないシュテルケに、フィニィ・フォルテン(ea9114)は苦笑するしかなかった。そして、寒さではなく緊張から蒼白になっている友人ユキ・ヤツシロ(ea9342)の手をそっと握る。
「大丈夫ですか、ユキさん?」
「フィニィ姉様‥‥」
ぎゅっと抱きついたユキの背中をそっと撫でながら、優しく繰り返す。
「大丈夫ですよ、きっと巧くいきます。ここまでだって、見つからずに来られたでしょう?」
そう、フロストクィーンの本拠地とも言うべき古城の一角まで、彼らは忍び込むことに成功したのだ。そして、フロストプリンセスたちの動向を見守っている──自分たちの身を危険に晒しながら。
「柴丸も助も、そのまま大人しくしてるっすよ」
柴丸を抱くように抱え、肉球や爪の間に挟まった氷雪の欠片を丁寧に取り除いてやりながら、伝助は利口な相棒たちに語りかけた。
「シオン殿、首尾はどうだっただろうな‥‥」
京士郎が頭上を仰いだ。石の天井が、冷たく、そこに在るだけだったけれど。
時は少し前後する。
「ご機嫌麗しゅう、エカテリーナ様」
大公妃エカテリーナへの目通りの叶ったシオンは、屋敷の中央部付近に誂えられた謁見の間で片膝をついていた。
金糸で刺繍の施された、白木の豪奢な椅子。深い緑のドレスを纏ったエカテリーナが映える、臙脂の重厚なカーテン。
黒髪を結い上げた柔和な笑みの大公妃へ頭を下げ、シオンは声の掛かるのを待った。
「どうしました、シオン」
「エカテリーナ様の身辺をお守りしておられる、グリゴリー様のお力を貸していただきたく、お願いにあがりました」
傍らに立つグリゴリーは目を伏せ、言葉を発さずに成り行きを見守っている。
「あの依頼を受けたのですね。確かに、フロストクィーンとの戦いなら、グリゴリーが慣れているでしょう‥‥けれどシオン。あなたが今、自分で言ったように、グリゴリーはわたくしの近衛として連れて来たのですよ。彼がいなければ、誰がわたくしを護るのですか」
穏やかに語る大公妃。その目を、青く澄んだ瞳がじっと見つめる。
「グリゴリー様の他にも、エカテリーナ様を護られる方はおられましょう。今回の一件では、すでに子供が攫われております。戦い方を知っているグリゴリー様にご同行いただければ勝利が近くなりますので、是非とも同行の許可を頂きたく存じます」
「子供の件については耳にしましたわ。わたくしも胸を痛めているところですけれど‥‥わたくしにもしものことがあれば、ノブゴロド公国でもっと多くの民が苦しむことになります。そこまで、あなたは考えているのかしら」
目の前の、キエフ公国のひとりの少年。それと天秤に掛けているのは自分の命ではなく、ノブゴロド公国の民の幸せだった。行軍に遅れるという我侭を許してくれた仲間たちに報いるためにも、なんとしても篭絡したかったシオンだが‥‥どうやら難しそうだと悟り、頭を垂れた。銀の髪が顔を隠すように滑り落ちる。お互いに表情を目にすることは叶わなかったが‥‥しかし、相手がどんな表情を浮かべているのかは、空気で解った。
「‥‥仮にもわたくしの名を使って出した仕事に手を貸さず失敗したとなれば、沽券に関わりましょう。シオン、グリゴリーを連れて行きなさい。そして必ず、少年を連れ戻るのですよ」
子供の我侭に呆れた母親のように、エカテリーナはシオンの願いを聞き入れた。
「寛大な御心に感謝いたします、エカテリーナ様!」
「少々お傍を離れますこと、お許し下さい」
グリゴリーが一礼をし、伸ばされた手の甲へと口付ける。
「こうなることを見越していたのでしょう、グリゴリー。悪い人ね」
「万が一にも御身に危険が及びませぬよう、万全を期します。どうか、ご無事で」
あら、とシオンは二人の姿を見比べた。どこか拗ねたような声音に、対した瞳の色。
(お二人‥‥主従だけの関係ではないのかしら?)
ふとそんな疑問が鎌首を擡げたが、まさか尋ねるわけにもいかず、シオンは視線を逸らすように、そっと頭を下げた。
右へ、左へ、上へ、下へ。雪が風に煽られて、果てぬ輪舞を続けている白き空間。そこへ、白いワンピースを纏った二人の少女が飛び出した。
「出ました、フロストプリンセスです」
声を潜め、桜花が仲間に報せる。
裸足の少女たちは、踊るように森へと姿を消していく。確認するのと同時に、ヴィクトルがディティクトライフフォースを使用した。それは、作戦開始の合図だった。
「柴丸、助!」
詠唱した魔法が切れる前に少しでも進もうと足早に進むヴィクトルの左右をしっかりガードする二匹の忍犬。
「古城と聞いていたのでどうかと思ったが、これは氷の見せる一種の芸術だな」
皮肉気に片頬を上げる京士郎。古い城はそこかしこが凍りつき、灯された燈を受けて妖しの光を放つ。
「荒縄巻いておいて良かったな」
へへ、と自慢げに鼻を擦り上げるシュテルケ。ジャパンのかんじきを作るほどの時間はなく、シュテルケや京士郎の提案を受けて全員がロープを靴に巻いていたのだ。唯一連れ込んだペット、ドンキーのツバキも足に縄を巻かれていた。
「急いでくださいませ、ヴィクトル様」
繰り返し魔法を唱える男へ、つい急かすような声を掛けてしまい、ユキは恥じるように口を噤む。気持ちは誰もが一緒なのだ、と。ただ、ユキはペットを連れている分、危機感が募っているだけで。
「違う‥‥こちらでもない」
引き寄せられるように、徐々に、古城の中心へと足が向かっていく。
そして行き着いた、謁見の間。
その部屋に、確かに、雪の女王はいた。
甘えるように、その足に縋り、腿に頭を乗せて眠るテオと共に。
「お主らは何者か」
怒りを秘めた静かな声で、美しき女性は問うた。シュテルケは噛み付くような勢いで、叫ぶ!
「俺たちはテオを親父さんの元へ返すために来た! テオを返せ!」
細い指を唇に当てて、しっ、と女王は囁いた。そして、愛おしそうにテオの白い髪を撫でる。それは、本当にテオを慈しんでいるとしか思えない様子で‥‥ユキは息を呑んだ。
「寝た子を気遣え、少年。父とは病に倒れた心寂しい子を放って出歩く者のことか? それとも、はて、一度たりとも愛していると口にした事がない男の事か? テオは私の子だ‥‥見ろ、この満ち足りた安らかな寝顔を」
揶揄するように言い、穏やかにテオの頬を撫でる。
「美しくて、恐ろしく‥‥優しく、そして残忍‥‥」
唸るようなヴィクトルの言葉に、フィニィは傍らの男を見上げた。
「フロストクィーンの特徴だ。雪そのもの、と言えるかもしれんな」
そして、肩を竦めた次の瞬間、ホーリーフィールドを展開した!!
仲間たちを覆った聖なる結界が、次の瞬間、女王の手から放たれた吹雪を受けて消滅する!!
「どうやら、言葉は通じぬようだな」
「お互いにな」
女王は、氷のように真っ青な宝玉を抱く杖を握り締めた。
雷光が、衝撃波が、聖なる光りが、そして女王の放つ吹雪が、距離を置いて交錯する!
派手な音が、叫び声が、氷漬けになった武器が、謁見の間に満ちた。そして、何度目かの、剣から放たれた衝撃波‥‥それから女王を護るべく、突然テオが立ち上がった!!
「危ないっ!!」
放ったはずの京士郎が、声を荒げる!!
オーラの力で威力を増した攻撃は、いとも容易くテオの身体を傷つけた。鮮血が飛び散り、床が、女王の身体が、跳ねた血を浴びて──反射的にユキはぎゅっと目を閉じた。護るように、フィニィが抱きしめる。
「目を覚ませ、父の作ってくれたポリッジの味、お前の体調を気遣ってくれた日の事‥‥それは、氷に閉ざされたこの場所では、絶対に得られぬものだ!」
「うるさい、黙れっ!!」
「失礼しやす、テオ君」
なおも女王を護ろうと細すぎる身を盾にする少年の首筋を、慣れぬ手つきで打つ。簡単に意識を手放したテオを抱えて、伝助は走った!!
「おのれ、テオを返せ!」
「テオ君はあなた方の家族ではないでしょう!!」
桜花が、血に濡れた杖の攻撃を避けた。ライトニングソードが女王の胴を薙ぐ。
「子供の幸せを護るは親の務め。幸せのために尽くさぬ親を、生まれたわが子を捨てた親を、親と呼べるか!」
「それでも! あなた方と幸せになることはできないわ!」
大きな羽ばたきと共に割って入ったのは、テュールに跨るシオン!
「フィニィ、案内ありがとう。助かったわ」
妖艶なウインクを投げ、「勝利」を意味するルーン文字が刻まれた剣を掲げて、ヒポグリフの背から飛び降りた!
「貴女、ちょっと好みだったわよ。こんな出会い方をしなければね」
そして、女王は見た──胸を貫く剣を。
そして、女王は吼えた──心を貫く痛みに。
「おのれ、貴様らぁぁ!!」
「来るぞ!!」
聞きなれぬ依頼人の声に注意を促され、盾を構えた!!
刹那、大きく叫んだ口から、猛烈な吹雪が放たれた!!
防ぎきれぬ強烈な冷気が身体を焼く──!!
「きゃああ!」
「ぐああ!」
吹雪のブレスは咄嗟に張られたホーリーフィールドを容易く破壊し、ヴィクトルとユキの意識を死の淵に叩き込んだ!
それでなくとも‥‥皆が、重傷と呼べる被害を被った。堪らず膝をつき、己の身体を抱きしめる冒険者たち。
「きゃー!! お、お母様!!」
フロストプリンセスの悲鳴が響いた。
「撤退だ!」
叫んだ京士郎はシュテルケと共にヴィクトルを担ぎ上げる。身長差の分傾いだが、気にしてはいられない。ユキはシオンがテュールの背に乗せ、伝助はテオを抱き上げたまま、走る!!
「殿は任せろ!」
「全員で帰らないと、エカテリーナ様に合わせる顔がないのよ!」
ユキをテュールにまかせ、殿に下がったグリゴリーに並ぶシオン。次々に油を巻きながら、古城を駆け抜ける!
「桜花、投げて!」
「はい!」
振り向きざまに桜花の投じた松明は、ヴィクトルの握っていた松明だった。撒かれた油に火が灯り、城内を明るく照らした。
そして、辛くも城を抜け出した一行は──吹雪の中、森の一角に身を潜めた。
決して安くは無いヒーリングポーションを使い、身体の自由を取り戻していく。
「ごめんなさい‥‥足手まといになってしまいました‥‥」
「女王を怒らせて生還しただけでも上々だ。それに、貴殿の回復がなければ誰かが欠けていただろう」
「そうよ。それに‥‥そう言われると遅刻した私も肩身が狭いわ」
しゅんと肩を落としたユキだが、グリゴリーとシオンの言葉に淡い笑顔を覗かせた。
倒れたテオは、なかなか意識を取り戻さなかった。伝助は毛布で少年の身体を温め、ヴィクトルは献身的に看病をした。
「私には何ができるでしょうか‥‥」
フィニィにはこれしか思いつかなかった。テオとレフの毎日を、歌に換えて歌ったのだ。
(テオさん‥‥あなたにも帰る場所は、迎えてくれる場所は、あるんです‥‥待っている人がいるんですよ)
「父、さん‥‥」
薄っすらと、テオは目を開いた。
「おかえりなさい、テオさん。お父さんが心配してますよ」
「‥‥そんなこと‥‥ないです‥‥」
そっと目を伏せるテオ。たまらず桜花はテオの手を握った。
「レフさんも貴方を愛しているの。貴方は愛されているのよ」
「そうだぞ、レフさん『息子を取り戻してくれ!』って死にそうなくらい心配してたぞ。早く顔みせてやらないと我慢できなくなって飛び出してきちゃいそうだ」
「‥‥父さんが‥‥?」
縋るような眼差しに、桜花とシュテルケは満面の笑みを返した。
「あんなに必死になっていい父さんだな」
風邪がぶり返さないようにとシュテルケはマントと手袋を貸した。伝助は目を細めて、テオに微笑んだ。
「一度、ゆっくりと話し合ってみるのもいいかもしれやせんよ」
それは子供の特権なのだから。
頑張ってみます‥‥と呟いたテオの言葉を後押しするかのように、連日連夜キエフを襲い続けた吹雪はその勢力を衰えさせていったのだった。
願わくは‥‥凍てつく大地を、陽光と笑顔が満たしますように。