【鏡雪の欠片】穢れなき悪魔
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■ショートシナリオ
担当:やなぎきいち
対応レベル:6〜10lv
難易度:難しい
成功報酬:5 G 94 C
参加人数:7人
サポート参加人数:-人
冒険期間:02月18日〜02月24日
リプレイ公開日:2007年03月04日
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●オープニング
貧民街にほど近い治安の悪い一角で、豊かな金の髪を波打たせて男が歌う。頭を飾る赤き大きな羽飾り、身に纏うのは華美なまでに金糸銀糸の美しい刺繍を施したローブ。これで調子を外した歌を歌うのならば罵声の1つも浴びようものだが、場違いな歌を人々を魅了してやまぬハスキーな声で歌い、苦労を知らぬ白魚の手は繊細かつ優美な音を爪弾き、何があろうとも常に前向きな姿勢を貫き通すものだから‥‥苦々しく思われることも少なくなかろうが、彼は愛されているようだった。
ある時は罵声の代わりに、またある時は親愛を込めて、彼は極楽鳥の吟遊詩人と呼ばれていた。
──ぽろろん♪
リュートを鳴らし、極楽鳥の吟遊詩人は吹雪の中をどこかへ向かい歩いていった。
その姿を、いつまでも見詰めている視線があった。
「‥‥ケホ、ケホッ‥‥」
きっちりと毛布に身を包み、細く窓を開けて派手派手しい吟遊詩人の歌を聞いていた白髪の少年は、小さく咳き込みながら、赤い羽根飾りが吹雪の向こうに消えるまでじっと見送っていた。この吹雪で引いた風邪がこじれ、ここ数日間寝たきりになってしまっている少年だ。
「また聞いていたのか。先に、風邪を治すことを考えなさい」
父親らしい男が窓を閉めてポリッジをよそった。
「ごめんなさい‥‥‥父さん‥‥仕事、忙しいのに‥‥‥‥」
「これを食べてお前が寝たら、仕事に行くからな。極楽鳥の歌を聴くのは構わんが窓は開けたら駄目だ。約束だぞ、テオ」
すまなさそうに細い体を小さく丸めた息子の背を叩き、しっかりとそう言いつける父に‥‥恩義を感じる息子は返す言葉など持ち合わせてはいなかった。
「‥‥‥はい‥‥」
呟くように答え、匙にすくったポリッジを口に運んだ。温かいミルクの香りが口内に広がる。料理の苦手な父親が作ったそれは、決して旨くはないが、それでも父が自分を見てくれたことは嬉しかった。仕事で頭がいっぱいな父は、家にいることすら滅多になかったから。
隙間風がうなじを撫で上げる。
身を震わせてテオは食べかけのポリッジを枕もとのチェストに置き、毛布を被り直した。風雪が戸板を叩く音だけが聞こえる、静寂の空間。少年は、ただただ身体を丸めてじっと息を潜めていた。
──そうして、どれほどの時間が経っただろう。
いつの間にか寝入ってしまっていた少年は目を擦る。風は弱まったけれど、雪はまだ降っているようだった。
「‥‥お腹、空いた‥‥‥」
蝋燭に火を灯すと、チェストに置いたまま食べかけのポリッジは凍らんばかりに冷たくなっていた。匙でかき混ぜてみるも食べる気にはならず、息を漏らす。暖炉の火もすっかり消えてしまったようで、部屋の中は屋外のような寒さだった。パンを買いに行く前に寝込んだのだから、家の中にパンはない。買い置きの食料は父がポリッジを作って、それで終わっていた。
「‥‥‥‥」
心細さとひもじさと忍び寄る寒さに涙が零れた。父さんは僕より仕事が大切‥‥そんなことない、僕のために仕事をしてくれてる‥‥病気のときくらい‥‥そんな我侭言っちゃいけない‥‥拾った子どもだもの‥‥育ててくれてる‥‥悶々と巡り続ける思考が荊となって少年の心と身体を締め上げた。
人に比べて小さく弱い身体は父の仕事を手伝うには足りぬ。愛したのは人の道に叛く身分違いの男性で、心は通じていても結ばれることは決して叶わぬ。自分には、何もない‥‥‥人に誇れるものも、愛されるものも、なにも。
「ひ‥‥っく、う‥‥」
その身を震わせるのは心か身体か。純粋すぎる少年の、堪えきれない苦痛の声が小さく響いた。
その時、誰かが窓を閉ざす戸板を叩いた。
「‥‥誰‥‥?」
テオは、言いつけを破って‥‥窓を開けた。
そして見た、白銀の長い長い髪を吹雪になびかせる、夢のように美しい女性を。
2人の愛らしい娘を従えて、慈愛に満ちた微笑みで自分を見つめる女性を。
「可哀想なテオ‥‥おいでなさい、その苦しみを全て取り除いてあげましょう」
まるで教会のセーラ像のような、母のような優しさを感じ──少年は、不思議とためらうこともせず差し伸べられた手を取った。雪のように白い手は、氷のように滑らかで冷たかった。
数日後、帰宅した父親レフがテオの部屋を訪れると‥‥開け放たれた窓から吹き込んだ雪が、ベッドや床に白く積もっていた。
紆余曲折を経て父親テオの名ではなく、ノブゴロド大公妃エカテリーナの名で出された2つの依頼。
1つは、奪われたテオ少年を『雪の女王』ことフロストクイーンの手から奪還する依頼。
そしてもう1つは、そのために『女王の娘』ことフロストプリンセスたちを女王から引き離す依頼。
「プリンセスは純粋で残忍。無邪気で愛らしく、我侭。子供そのものだ‥‥しかし吹雪を操る技量はフロストクイーンに劣らない。甘く見れば、その代償は命で支払うことになろう」
私の仲間も数人犠牲になった──そう告げる大公妃の近衛騎士グリゴリーの言葉は、重い。
「私の経験から言わせてもらえば、フロストクイーンは恐らく少年のそばから離れまい。食料の調達はフロストプリンセスの仕事になるはずだ」
言葉と共に表情も重く沈む。プリンセスを引き付けると言うのは容易いが、女王に危険を察知させずに引き止めるには女王が引きこもっている場所の外で引き付けるしかない。それは吹雪の中で闘うということ、相手のフィールドで戦うということ。
「フロストフェアリーすら味方につけてくるかもしれない。直接闘う能力には欠けている、接近戦に持ち込めば倒すこともできるはずだ。命懸けの仕事になるが、請けてくれる冒険者を探してくれ」
伝承では吹雪と氷を意のままに操ると謡われる雪の女王。伝承との戦いは試練そのものだった──
「スノゥ、リィム、テオに食事を用意してくれるかしら」
氷のようなサファイアが付いた優美な杖を手に王の如く豪奢な椅子に掛けた女王の言葉に、2人の少女が元気に手を上げる。
「はーい♪」
「テオちんも手伝ってねー☆」
耳を掴んだウサギを差し出すと、テオはにっこりと天使のような笑顔を浮かべ、手にしたナイフで腹を切り裂いた。
「おお、テオちんかっくいー♪」
リィムに褒められもじもじと頬を染めるテオにスノゥが抱きつく。
「いやん、テオっちか・わ・い・いーっ!」
無邪気に抱きつく少女に、ますますテオの頬は赤味を増していく。仲良さげな3人の足元には、幸せそうな三つの笑顔とは裏腹に‥‥小さな野ウサギから滴り落ちた鮮血がうっすらと湯気を立ち上らせながら血溜まりを作っていた。
●リプレイ本文
眼前にただ広がる、一面の白。向きを変え吹き続ける風の中、まるでロープにつながれた囚人たちのように、一本のロープを握って歩いている冒険者たちの姿があった。
「大丈夫か、逸れてないな?」
「なんとか、まだ大丈夫だよ」
何度目だろうか、長里雲水(ea9968)の確認にこちらも何度目かの藺崔那(eb5183)の返答。
「‥‥大変な状況なのね。プリンセスを何とかする前に、こっちが倒れてしまいそうなのね‥‥」
アナスタシア・オリヴァーレス(eb5669)はブルッと身を震わせた。
「アンナさん、やはり防寒服を着たほうがいいです。無事に辿り着かなければ、依頼どころではありませんよ」
ふわふわ帽子、毛糸の靴下、手袋‥‥アンナが身に着けてきた防寒具だ。不測の事態に備えるために彼女は防寒服を着ることができない。魔法を優先し、用意した防寒服は思案の後にバックパックへと仕舞われていた。キリル・ファミーリヤ(eb5612)に指摘され、逡巡しつつもアンナは頷いた。足を引っ張るわけにはいかない、と。
「すまない、ついでと言っては何なのだが、少し休憩をさせてもらえないだろうか」
「私からも‥‥ぜひ、お願いしたいです〜」
そう言った香月睦美(eb6447)とルンルン・フレール(eb5885)の声は震えていて、顔色も蒼白になっていた。これは良くない、と雲水は行軍を中止し小さな火を起こした。火を囲む冒険者たちと同様に、ペットたちも身を寄せ合う。毛布で防寒をされた馬でも寒いのだから、布で防寒対策をされたティナスや、何も施されなかったペットたちにこの吹雪は酷だろう。
「エチゴヤのおばちゃんに不良品を売られてしまったのでしょうか」
慌てて毛布をペットたちに被せる仲間を見遣りながら、ぽつりとルンルンが呟いた。「普通の寒さなら3時間は耐えられるよ!」と言われて買った防寒服だが、まだ3時間も経ってはいまい。
「違うと思うよ、アンナさん。多分、もっとずっと寒いだけじゃないかな?」
そう言う崔那は防寒服のほかに、しっかりと手袋靴下も身につけている。なるほどと見回せば、睦美と自分以外は皆、防寒服の他に何かしらの防寒具を身につけているようだ。勧められるまま、アンナも防寒服を着込んだようだ。
「防寒服だけでいるよりも長い時間耐えられるんですね、勉強になりました‥‥」
もし、また吹雪の中に身を投じることがあったなら、気をつけようと記憶に刻んで頷いた。
「雪の女王‥‥本当に存在していたのですね。雪の妖精と同じく、ただの伝承だと思っていましたが」
発泡酒を振舞い、暖を取りながらエカテリーナ・イヴァリス(eb5631)はぽつりと零した。雪の女王や雪の妖精の話は幼い頃から聞かされていた。雪の中でいつまでも遊んでいると雪の妖精にさらわれるとか、友達と仲直りしないと雪の女王に魅入られるとかいうお説教から、雪の女王の物語まで、それはもう様々な形で耳にしてきた。
「ねえねえ、雪の女王の伝承って、いったいどんなものがあるの?」
崔那に尋ねられ、キリルは記憶を手繰った。
「そうですね‥‥例えば、一人で寂しがっている子供を連れ去り、愛情を注いで自分の子として育てるだとか‥‥」
「子供を連れ去られた親御さんの気持ちがわからないなんて、きっとその女王様は血も涙も凍り漬けに違いないと思うの!」
力説するルンルンの言葉に睦美も同意を示して闘志を燃やす。
「子供を誑かす雪の怪物か‥‥異国版雪女といった所か」
決して悪い伝承ばかりではないと知っているキリルとカーチャはついお互いの顔を見つめたが‥‥万一にも仲間に迷いが生じぬようにと、口を噤むのだった。
「落ち着いたら出発するか。遅くなって機会を逃すわけにはいかないからな」
いつしか身体を薄っすらと覆い始めていた雪を払うと、雲水は腰を上げた。
教えられた古城に近付いたと判断した地点で、テントを張り雪壁を築く。
「言うのは簡単ですけれど‥‥かなりの重労働ですね、これは」
スコップを持ってきたのは正解だったと微笑む余裕も無く、キリルは滲む汗を拭いながら作業をこなす。
「だからこそ、男の俺らが働くんだろうが」
雲水もスコップを動かす。どれだけ時間が経っただろうか、やがて雪壁がそれらしい姿となった。日の昇らぬ吹雪の森で時間の経過を知ることも叶わぬまま、ベースキャンプと、風雪を凌ぎカモフラージュとするための雪壁を眺めた。
「お疲れ様。まだ動きはないようだ、少し休め」
「あんたも無理すんなよ。いつでも交代するぜ」
樹上で城を監視している睦美から労いの言葉が降り注ぎ、雲水はしっかりと見えるよう、大きく手を振った。
やがて睦美と崔那が交代し、罠を仕掛けたらしいルンルンが戻っても、何ら様子は変わることなく‥‥ただ日だけが暮れ、時間が経っていく。
状況に変化が訪れたのは、吹雪を覆っていた夜が去り、朝が訪れた後だった。
「でたよ、プリンセス!!」
おおよそ吹雪に相応しくない白いワンピースを着た、二人の少女。雪の中を裸足のまま、踊るように森へと向かってくる。プリンセスの進む方向を教えた崔那の言葉に、ルンルンは当然だと頷いた。
「向こうは、小動物の出そうな入り組んだ地形なんですよね〜」
「ルンルンさん、案内してもらえる!?」
「もちろんです〜! 向こうには罠も仕掛けてきましたし、多少は時間稼ぎになると思います。行きましょう!」
眠りの淵にいた仲間たちを叩き起こし、武器を握ってフロストプリンセスたちの『狩場』へと急ぐ!
冒険者たちがフロストプリンセスたちと対峙したとき‥‥少女らはルンルンの仕掛けた罠に掛かっていた兎を無造作に掴み上げていた。
「この兎はあたしたちが見つけたのよ!」
「自分達が良ければなんて事、させないよ」
「‥‥テオちんが飢え死にしちゃうじゃないっ!」
崔那の言葉を勘違いし、一方の少女が叫んだ。
「そのテオさんのお父さんが心配されているんです。テオさんを返していただけませんか」
怒らせぬよう、極力穏やかに語りかけながら、カーチャは少しずつ距離を詰める。
「まさか、スノゥたちのテオちんを攫いに来たの?」
スノゥの言葉にハッとして、もう一人の少女が指を突きつけた。
「だめよォ、テオっちはリィムたちと仲良しなんだからねっ」
ぷうっと子供らしく頬を膨らませたリィム。
「攫ったのはどちらだ、見るからに邪悪そうな醜い化け物ども!」
カーチャとは逆に、激昂させようとした睦美の言葉。リィムの目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「テオっちは自分で来たんだもん、リィムたちとずっと一緒にいるって言ったもん! 馬鹿ぁっ!!」
何か呟いたリィムの身体が淡い青い光を帯びる!
突きつけていた手を開くと、アイスブリザードが冒険者を襲った!!
「危ない!」
咄嗟に盾を構えるキリル! しかし庇えたのは己の身と、背後に庇った睦美のみ。盾を介して気持ち和らいだ吹雪が容赦なく二人の体力を奪う! その隙に、スノゥはキリルの、いや睦美の死角へと回りこんでいた!!
「キリルさん、下がっちゃってください! あなたが倒れたら全滅しちゃうかもしれませんっ!」
ギリギリと引き絞った弦から鋭く矢を放ち、ルンルンが叫んだ。矢は吹雪に勢いをそがれながらも、リィムの肩に突き刺さる!
「リィム!!」
「油断大敵だぜ、お嬢ちゃん」
「危ないわ、スノゥ!!」
リィムの声に振り返ったスノゥが見たものは、いつしか背後に肉薄していた雲水の姿。ざっくりと袈裟懸けにした攻撃の勢いを殺がず、返す刀でより鋭く、少女の身体を斬る──!
しかし、その攻撃で驚愕に目を見開いたのは敵だけではなかった。
「おまえら、エレメントじゃねぇのか‥‥!?」
霊刀「オロチ」と呼ばれる蛇のような刀剣。エレメントに対してより大きなダメージを与えるはずの刀からは、その手ごたえがなかった。雪の妖精はその名称の通りエレメントに違いないだろうが、フロストプリンセスは‥‥どうやら、その分類には含まれないようだ。
「お前、ムカつくッ!」
雲水に切りつけられたスノゥが振り向きながら呪文を詠唱する!!
「その手は食わねぇぜ、お嬢ちゃん!」
しかし、構えた盾にアイスブリザードの風圧は加わらなかった。代わりに‥‥
「おい、冗談だろ‥‥!?」
頼みの綱だった唯一の武器、霊刀が氷の棺に閉ざされたのだ!
「くそっ!」
「使ってください!」
幼子のようにがりがりと爪を立ててくるスノゥを蹴り飛ばした雲水へ、ルンルンがダガーを投じる! トスッ、と目の前の木に刺さったダガーを握り、再びスノゥに襲い掛かる!
「この‥‥!」
「敵は一人ではないぞ」
雲水一人でもやっと相手をしていたスノゥへ、睦美の攻撃が加わる!
「いじめちゃ駄目ー!!」
詠唱したリィムの手からアイスブリザードが飛ぶ! ティナスに跨った崔那が斜線上に割り込み、仲間を護るようにホーリーフィールドを張らせた。アイスブリザードは結界を破壊したが、ダメージまでは与えられないようだ。
「子供の泣き顔は、あまり見たくないのですが‥‥」
何故か子供の泣き顔を見ることが多い気がする、など思いながらカーチャはアイスブリザードの範囲外から全力でリィムを斬る! 傷を負いめそめそと涙を流しながら、キッとカーチャを睨む!
波状攻撃を仕掛けてくる冒険者たちに業を煮やしたか、二人が同時に詠唱を始めた!
「間に合って!!」
「きゃあああ!!」
アンナの雷光がスノゥを打つ! しかし、完成したリィムの魔法がカーチャのセンチュリオンソードを氷漬けにした。
「‥‥!!」
カーチャの苛立ちと困惑を示すように、レインボーリボンが風に揺れる。
少女たちは魔法を同時に放つように努め、アンナの妨害を潜り抜ける。武器を、盾を、次々と凍らされて冒険者たちも徐々に丸腰にされていく。だが、優勢なのは変わらず冒険者だった。
「深手になる前に、戻ってください!」
「お嬢さん方の前で格好悪い姿みせらんねぇからな」
キリルという癒し手の存在が、戦局を冒険者に傾けていたのだ。このままではジリ貧だと察し‥‥スノゥは声を荒げた。
「リィム、逃げて! お母様にこの事を伝えて、テオちんを護って!!」
「スノゥ‥‥!」
頷くスノゥ。しかし、それは冒険者がもっとも危惧する行動だった。
「させないよ!」
「それだけは、させん!」
ティナスに跨った崔那が頭上から、駆け込んだ睦美が正面から、リィムに襲い掛かる!
「リィム!!」
殺気が、冒険者たちを貫いた。
二地点から同時に放たれた、今までの倍の威力を伴った吹雪が、冒険者たちを一掃する‥‥!!
「うわぁぁぁっ!!」
吹雪を正面から受けたティナスが墜落した!! 倒れたまま足掻くティナス。同様に、正面から吹雪を受けた崔那は吹雪に寄るものか、それとも地に落とされたときに足を痛めたのか、立ち上がることもできずに這ってティナスへとにじり寄る。
盾を構える暇などなかった。魔法ならば身体が光るはずだったから。そして、彼らの想定していた吹雪といえばアイスブリザードだったから。モンスターとしては強大ではないであろうフロストプリンセスたちが恐れられる原因の1つが、吹雪のブレス‥‥この攻撃だった。
「あたしも‥‥行かなくちゃ‥‥」
「させないと、言っている‥‥!」
よろよろと立ち上がるスノゥのふくらみを知らぬ胸に、辛くも難を逃れていた日本刀「法城寺正弘」がゆっくりと沈んでいった。
「‥‥リィ、ム‥‥お母、‥‥‥テオ、ち‥‥」
霞みゆく意識の中で、スノゥの目に見えていたものは‥‥止めを刺した睦美ではなく、大好きな者たちの顔だったに違いない。
ただ一人、傷という傷を負わずにこの局面に至ったルンルンは‥‥リィムを追いかけることができなかった。目の前に、仲間がいたから。
「アンナさん! アンナさん、しっかりしてくださいアンナさん!!」
微かに口を動かす彼女は‥‥今、死の淵にいた。
「誰か‥‥ヒーリングポーションは、ありませんか!?」
自分の手には負えないとキリルが掠れた声を張り上げる。キリルすら‥‥いや、ルンルン以外の全員が、戦闘に加わっていたペガサスのティナスまで、自分の魔法ではどうにもならぬ重傷を負っているのだ。時間は充分稼いだと信じ、よろめきながらベースキャンプへと戻り‥‥そして冒険者たちは、もう1つの問題に直面する。
「だめ、数がたりないよ‥‥!」
そう、回復薬が足りないのだ。優先すべきはアンナと、癒さねば連れ帰ることが至難となるティナス。そして、ペガサスの身体を癒すには1瓶では足りぬ。誰かが、傷を負ったまま帰らねばならなかった。
「崔那さん、私は後回しで構いません。帰りに何があるかわかりませんから。癒し手のキリルさんと、武器のある睦美さん、武器がなくてもお強い崔那さんを先に癒すべきでしょう」
「なら、俺がそのまま帰る。女性にそんな役割を押し付けるわけにはいかねぇよ」
「道中で歩けなくなった場合‥‥馬に載せてもらうのは、私の方が楽なはずですから」
理詰めのカーチャは、それが最善の方法と信じているようだ。痛みを押して過ごす数日など何の苦にもならないと言いかねない強気のカーチャに雲水も白旗を掲げた。
「解った。その代わり、無理はしねぇでくれ」
気合いを入れるため、緩んでいたレインボーリボンを結びなおしたカーチャ。まるで虹を纏う剣のように己を曲げぬ彼女の身を案じながら、ベースキャンプを引き払い、キエフへの道を急ぐのだった。
「エカテリーナ様‥‥僕はこのスカーフに恥じない行いができたでのでしょうか‥‥」
全員が無傷で帰還することが出来ず‥‥報告に訪れた冒険者ギルドの前で、キリルはぽつりと呟いた。
ロシアを襲っていた猛烈な吹雪は、ようやく弱まる気配を見せ始めていた。