【冬の女王】都会の影

■ショートシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:やや難

成功報酬:8 G 76 C

参加人数:8人

サポート参加人数:1人

冒険期間:03月15日〜03月20日

リプレイ公開日:2007年03月25日

●オープニング


「グリゴリー様‥‥エカテリーナ様へと、このようなものが」
 控えめに寝室の扉を叩いた騎士は、一通の手紙をグリゴリーへと手渡した。丸められた羊皮紙をくるりと巻く細い紐。結び目を羊皮紙に貼り付けるよう垂らされた封蝋には、押されるべき印章がない。
 躊躇わず封を解く。引き剥がされた封蝋がパリッと音を立てて割れた。

 北方より来たりし華を散らさんと狙う不埒な者が潜んでおります。
 眩き月がやせ細る最中、くれぐれも油断召されぬようご忠告申し上げます。
                                  ──貴女の善良なる忠告者より

 文字を追うごとに眇められていった目から放たれた鋭い眼光が仲間の騎士を射抜く。ベッドに横たわる貴人に聞こえぬよう声を潜める。
「これは」
「シフールが運んでまいりましたが‥‥急ぎの手紙があると、留め置くことができませんでした」
 伏せられた言葉を察して目を伏せる騎士。シフールが本気で逃れようと思えば捕まえることは容易ではない‥‥知っているからこそ、叱責はせずに思案する。
 北方より来たりし華とは、極北の公国ノヴゴロドから来訪している大公妃エカテリーナに相違あるまい。
 眩き月がやせ細る、ということは、月の明るい時分から細っていく中‥‥満月から欠けゆく月か、または天頂から沈みゆく月か。
「う‥‥ん‥‥」
 言葉を重ねようとしたグリゴリーは、主の身じろぎに息を潜めた。
「エカテリーナ様へは私から伝えよう」
 慈愛に満ちた大公妃は、時折り非常にヒステリックだ。宥められるのはグリゴリーと、宰相のポチョムキンくらいだろう。
 この手紙を見せた時の反応が読めないからこそ労いつつ提示したグリゴリーの申し出を部下はありがたく受けた。騎士が一礼して部屋を辞すと、グリゴリーはベッドへと歩み寄り、横たわる女性が小さな寝息を立てていることを確認して腰を下ろした。
 ──ギシ‥‥
 小さく軋んだベッド。そして伸ばした手で、主の頬をそっと撫でた。ゆっくりと開いた眼がグリゴリーを捕らえる。エカテリーナの指がグリゴリーの指を絡め、男は求められるままに深く口付けた。
「エカテリーナ様」
 敬愛する大公妃、愛する女性。必ず守ろうと誓うグリゴリーの影が、夜闇の中でエカテリーナとひとつになった。



 翌日、ギルドを訪れたのはエカテリーナの甥にあたるアルトゥール・ラティシェフだった。ラティシェフ家の治めるセベナージ地方はキエフから徒歩で一日と少々である。
「伯母上の護衛をお願いしたいんだ」
「エカテリーナ様には優秀な近衛がおりましょう」
 別室へと招いたギルド幹部は、そう言って小さく笑う。エカテリーナの美しき護衛たちは、皆優秀な騎士だと聞き及んでいる。確かに、猜疑心の強い大公妃が信頼しているのだから、家柄も、技量も、性格も、そして容姿まで、吟味され尽くしていると言えよう。
「確かに、伯母上の狐影騎士団は優秀だと思うよ。でも、キエフの隅々までを知り尽くしているわけではないからね」
 含みのある物言いに、幹部の笑みが仮面と化した。
「命を狙う輩がいるっていう情報があったんだよ。そこに書かれていた言葉と奇妙にも一致してしまう予定があってね。万全を期しておきたいんだ」
 キエフ公国の首都で、ルーリック家と肩を並べる名門の実質的な当主が命を奪われたとなれば、当然疑われるのはルーリック家である。仮にも王家が疑われたとなれば、諸外国に隙を見せることにもなりかねない──下手をすれば内乱どころではすまなくなる。言葉を失った幹部へ、アルトゥールは「ふふ」と笑いかけた。
「どうだろう、協力してもらえるかな? もっとも、この依頼は伯母上の代理で持ってきたのだけれども」
 確かに王家ではない‥‥が、強いコネクションを築いて損はない相手だ。断って、万が一にも敵に回すわけにもゆかぬ。幹部は、諾と頷いた。
「それで、奇妙に一致する予定というのは?」
「満月後三日間ほど、キエフに滞在せざるを得ない予定が立っているんだよ」
 まず、王への謁見。これは立場上、エカテリーナから足を向けねばならぬが、近衛が数名付き従うことが許されている。その足で貴族向けに誂えられたキエフの高級な宿へ向かい、数名の貴族の私的な訪問を受ける。そのまま宿に一泊。
 翌日は、キエフにある孤児院への二日間の視察。これはデモンストレーションとして孤児院で一泊し子どもたちと触れ合う、という厄介な予定を含んでいる。何が厄介かといえば、近衛が常に護衛をするわけにいかない、というその一点に尽きよう。そして多額の寄付をし、セベナージの別邸へ戻る。
「往復の護衛は、まあ、できればでいいよ。その辺りは近衛騎士の護衛もきっちり付くだろうからね」
「すぐに依頼書を作成させましょう。昨今は厄介な仕事が多く名のある冒険者はあまり集まらないかもしれませんが‥‥」
 その場合は、冒険者ギルドが同伴許可証という形でお墨付きを与えた者たちに声を掛けることになるだろうか。
「最悪の事態だけは、なんとしても避けてくれ。‥‥頼む」
 エメラルドの杖を握り締めて、アルトゥール・ラティシェフは‥‥深く、頭を下げた。

●今回の参加者

 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea4744 以心 伝助(34歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea6320 リュシエンヌ・アルビレオ(38歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea9114 フィニィ・フォルテン(23歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9342 ユキ・ヤツシロ(16歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・フランク王国)
 ea9909 フィーナ・アクトラス(35歳・♀・クレリック・人間・フランク王国)
 eb0882 シオン・アークライト(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 eb4341 シュテルケ・フェストゥング(22歳・♂・ナイト・人間・フランク王国)

●サポート参加者

ゴールド・ストーム(ea3785

●リプレイ本文

 遠きジャパンの地には『情けは人のためならず』という言葉があるという。ノブゴロド公国のエカテリーナ大公妃(ez0162)が知っていたら、その言葉を思い浮かべただろうか──紆余曲折を経て彼女の名でギルドに張り出された依頼。実際のところ彼女がどんなことを考えてグリゴリーの越権行為を追認したのかは謎だが、その決断が今、恩義に報いるため命を賭すという数名の冒険者の行動を生んでいることだけは紛れも無い事実である。
「敵がどこに潜んでいるかわからない以上、急ぐ意味はないのではありませんか?」
 キエフの街へ急ごうとした狐影騎士に妖艶な笑みを向けてそう伝えたシオン・アークライト(eb0882)は、前方に突出し警戒中だ。魔獣ではなく駿馬を駆る背にグリゴリーは目を眇める。此度の依頼で集まった冒険者は、良い意味で期待を裏切った。必要以上の緊張を強いられなくなったことは僥倖と呼ぶべきだろう。
「信頼しているのね」
 雪や泥濘、果ては氷まで見え隠れする足場の悪い街道。春の息吹を感じる余裕もなく、愛馬から振り落とされぬようしっかりと手綱を握り締めたリュシエンヌ・アルビレオ(ea6320)の言葉に、グリゴリーは薄く笑う。
「貴女も噂通りならば信頼する、夢幻の断罪人殿。明暗の別れる場面では貴女の判断力がものを言うだろうな」
「この温和な吟遊詩人を捕まえて断罪人だなんて、人の噂は怖いものよね」
 肯定も否定もせず、リュシエンヌはただ微笑んだ。
『キツネや狼を時々見かけるけれど、戦意はないようね。ちょっと拍子抜けするくらいよ』
「シオンさんからの連絡ですけれど‥‥特に問題はないようです」
 脳裏に響く声は、テレパシーでつながるシオンのもの。先頭、殿、遊撃と場所を定めず動くシオンとの連絡にテレパシーは欠かせぬ。フィニィ・フォルテン(ea9114)は言葉を拾い仲間に伝えるが、脳裏では戸惑いを隠さぬ声を送る。
『シオンさん‥‥』
『大丈夫よ、油断なんてしてないから。極北の地を照らす太陽を雲で蔽うわけにはいかないものね‥‥』
 テレパシーは会話を補助するための魔法ゆえ、言葉と同じく思うだけでは伝わらぬ。戸惑いをそのまま伝えたフィニィの不安を払拭するように、シオンは油断がないことを告げた。キエフへの道中で彼女らが命を賭していた頃、キエフでは、仲間たち寸暇を惜しみ奔走していた。
「──そんなわけで、ギルドからの紹介状のようなものを用意してもらうわけにはいきやせんか?」
「ウルスラ様も幹部殿もおらん状況では難しいな」
 ギルドに訪れていた以心伝助(ea4744)は、多忙な幹部に会うこともままならず、三つ編みヒゲのギルド員と言葉を交わしていたが‥‥僅かな希望は露と消えた。三つ編みヒゲのギルド員が豊かなヒゲを撫でつつ不可解な表情を浮かべ、伝助の失念していた点を突いたのだ。
「そもそも‥‥貴族が泊まるような高級宿だろう? 冒険者ギルドの紹介状なんぞならず者の証明とも取られかねんが、いいのか?」
「‥‥それもそうでやすね」
 小さく溜息を吐いて礼を述べると、伝助はギルドを後にした。
「それにしてもこの忠告、誰が何の為にやってるんすかね。事前に危機がわからなきゃ忠告も出来ないわけですが。忍者とか?」
 ぽつりと呟く声を聞くものはいない。
 同じ頃、真幌葉京士郎(ea3190)は愛馬真九郎と共に孤児院周辺を検分していた。フィニィより手助けを頼まれたゴールド・ストームもまた共に居る。
「しかし貧民街に一泊とは、大公妃も随分と思い切ったことをするもんだな」
「身を守る、もしくは守られるという自信があるのだろうな」
 積み上げられた樽、壊れた木箱、隙間だらけの家。身を隠す場所の多さにうんざりしたゴールドへそう返し、愛馬の背に手を掛ける。その自信も信頼も想定できる範疇でのことで、恐らく此度の事態はその範疇を逸していたのだろう。だからこそ、ギルドの幹部は言ったのだ、近衛ではできぬ方法を考えろと。
「王宮ともなれば、エカテリーナ様は仮にも大公妃。その場で命を狙われるようなことはあるまい」
 そう判断を下し、貧民街を訪れたのは恐らく正解だったと思う。貧民街は人が多いものであるが、そうそう顔触れが変わる場所ではない。数枚の貨幣が齎したのは、この数日、普段は見かけぬ男らの姿を見かけるという噂だった。貧民街に於いて目立つ服装ではないため誰かの家を訪れたなどという所まで確認した者もいないようだが‥‥
「ずっと側にいる必要は無い、その自由さを利用させてもらったが‥‥さて、吉と出るか凶と出るか」
 薄い笑みは危機に身を置く冒険者の哀しき性ゆえかどこか愉しげですらある。しかし一度敵と断ずれば、京士郎は誰より厳しく悪を裁くだろう。その耳には、子供たちの笑い声と、乾燥した木がぶつかる軽く硬い音が届いていた。
「シュテルケ兄ちゃん、強ーい!」
「はは、まだまだだな!」
「ほら、まだお掃除の途中でしょう?」
 箒の柄での剣術指南と、多少の悪戯を通じて早くも子供に馴染んだらしいシュテルケ・フェストゥング(eb4341)を、笑顔で嗜めたのはフィーナ・アクトラス(ea9909)である。無邪気な笑顔と穏やかな微笑みは、視線の交錯した一瞬だけ揺らいだ。圧し掛かる緊張は言い知れぬ不安に拠るもの。だが触れた視線が離れれば、そんな色はどこにも滲ませぬ。幸い‥‥刹那の変化に、気付く者はいなかった。

   ◆

 妖精の竪琴が繊細な音を奏でる。弾かれる弦の音に、トクトクと液体の満ちる音が重なる。
「ありがとう」
 宿の給仕に扮した伝助がゴブレットにワインを注いだのだ。赤い液体で喉を潤したエカテリーナは1つ息を零し、フィニィの奏でる音に耳を傾けながら伝助に労いの言葉を掛けた。
「慣れぬ仕事はさぞ疲れたことでしょうね」
「何か、失礼がありましたでしょうか」
 赤毛の女性に扮した伝助は声色を変えて女性になりきっている。礼儀作法に疎いことを自覚している伝助は、気にかけられるほどの粗相があったかと自分の行動を思い返す。空気で察したのだろう、大公妃は愉快そうに笑った。
「ほほ、仕草を見ればわかります。ところで、その服装は趣味なのかしら?」
「違いや‥‥ます」
「それは残念ね。毛色の変わった近衛も面白いかと思ったのだけれど」
「エカテリーナ様には優秀な近衛がおられると聞き及んでおります。私のようなメイドを登用せずとも手は足りておられるのではありませんか?」
 ぽろりと素を零しかけた伝助は、次いで掛けられた言葉と、奥の間へと続く扉に投げられた視線に内心で首を傾げた。その扉の先にあるのは豪奢なベッドの誂えられた寝室。扉の脇には竪琴を奏でるフィニィの姿。この場にいるのがリュシエンヌであれば大公妃の真意に、あるいは気付いたかもしれぬ。けれど、この場でそれに気付いたのは、おそらくグリゴリーや近衛の者たちだけであろう。
「エカテリーナ様」
「‥‥明日の予定がメインだものね」
 グリゴリーの声に大公妃はふくよかな腰を上げる。
「今宵は良い月が出ております。エカテリーナ様をお守りくださいますように」
 細く窓を開けたフィニィは大公妃が寝台に横たわり、グリゴリーが傍らに佇むのを待ちムーンフィールドの結界を張ると、そっと窓を閉じた。朝方、月が沈むまで、余程のことがない限り二人を害することは何者にもできはしまい。それが、彼女の護り方なのだ。
「伝助さん、私たちも」
「そうっすね。明日が本番でやすからね」
 フィニィは伝助を誘い、冒険者へと用意された別室へと足を向けた。有志の数名が交代で夜警に当たる。まずは、やりかけの班分けから始めねばならなかった。
 夜は、まだ訪れたばかり──‥‥

   ◆

 特に不振な子供はいない、その伝助の情報はどれだけフィニィやリュシエンヌの心を軽くしたことだろう。もちろん油断はできないが、友人に攻撃を仕掛けねばならぬ可能性が減る、それだけでも胸を締め付けられる想いは減る。
 しかし、それはしばしの安寧だった。笑顔で大公妃を迎える子供たちや大人の姿。
「‥‥彼女がいません」
 孤児院を来訪したフィニィの声が動揺を孕む。先に孤児院に潜入しているはずの仲間は3人。けれど、確認できるのは2人のみ。一番親しい少女の姿が見えないのだ。リュシエンヌが最も恐れていた──内通者の可能性が生じた。
『リュシエンヌさん!』
 慌ててテレパシーで事情を説明するフィニィ。
『彼女が担当するはずだった毒対策をお願い。シュテルケとフィーナにそれとなく探すようにテレパシーで頼むのよ。私も外にいる面子と探してみるわ。いい、くれぐれも落ち着くのよ!』
『は、はい‥‥!』
 震える身体を戒めるように、強く拳を握る。そして大公妃のお抱え楽士として恥ずかしくないよう、凛と胸を張って笑顔を浮かべる。
「皆さん、お歌は好きですか?」
「「「大好きー!!」」」

♪ 御神は ひとり子を 賜う程に
 この世を 世人を 愛し給う
 困難から 目を逸らさぬ それこそ
 御神の 与えし 導と知れ
 神の御言葉 抱き歌おう
 全ての子等に 光あれ♪

「敵が見えぬなら、いざという時まではこちらも姿を見せぬが吉だ」
「それもそうね。さぁ、『ややこしいこと』を片付けに行きましょうか」
 京士郎とリュシエンヌ、伝助は孤児院の外の警護だった。上空では鷹の雷太が文字通り鋭い目を光らせている。
 フィニィからのテレパシーが届いたのはそんな最中である。
「助!」
「ワン!」
 短く吼えると駆け出す助。生半可な冒険者より腕も立つ相棒ゆえ、心配は要らぬだろう。
「‥‥手分けした方が良さそうっすね。あっしはいざとなったら雷太に情報伝達させやす」
「伝ちゃんへの連絡は雷太に任せるわ。私からは京士郎へ連絡するわね。テレパシーは繋いでおくから、範囲から出ないよう気をつけて」
「心得た。お互い不審者だとして引っ立てられぬよう、用心も忘れぬようにな」
 自由への対価に苦笑し、京士郎はすっと貧民街へ姿を消す。後手に回っているのであれば、敵が複数と知っていてもリスクを背負わねばならない。伝助とリュシエンヌも頷き合い、貧民街へ紛れ込んだ。

 時間だけが刻々と過ぎてゆく。日は沈み、夕餉の時刻となっても、最後の仲間は見つからぬまま‥‥
 クレリックとしての立場を活用し孤児院での信頼を勝ち得たフィーナだったが、内部に仲間の姿はない。
「新顔っていうと、シュテルケと私くらいなのよ。いるとしたら外ね」
 フィーナの言葉には一点の偽りもない。捜索は京士郎さんたちに任せて、私たちはエカテリーナ様の警護に全力を尽くさなくちゃ、ね。そう語るフィーナの信念には曇りがない。
「シスター・フィーナ、一緒に御飯食べよー!」
「いいわよー。でも、今日こそ好き嫌いはだめよ?」
「が、がんばるもん!」
 纏わりつく子供の手を握り、フィニィにウインクして立ち去る‥‥それは確かに、シスターの姿に違いなかった。

 子供との触れ合いを優先するという大公妃側の意見に押され、結界は張らぬ一夜が明ける。確かに、大公妃を優先し子供を護らぬのであれば威信名声は汚れかねない。
「けれど、万一のことがあっては‥‥!」
 反対したのはシオン。けれど、その意見は仲間たちにとっても同じことだった。敢えてリスクを犯すべき人ではないと、そのリスクは大きすぎると懸念したのだ。しかし‥‥
「シオン。貴女はわたくしに万一のことを起こさせるのですか?」
「‥‥! 命に代えても、お守りいたします」
 大公妃の柔和な笑みが全ての反論を封じた。万一のことなど起きぬという信頼の欠片が浮かんでいたのだ。その後、雷太の運んだ羊皮紙で姿の見えなかった仲間は孤児院を訪れていないだけだと判明し冒険者は安堵するも‥‥一度浮かんだ内通者という疑惑が何処へ向かったかは言うまでもなく。築いた信頼が揺らがぬようより一層の尽力を余儀なくされることとなっていた。

「さて、このまま何もなく終われば良いが」
 しかしロシアで信仰されるタロン神は京士郎のささやかな願いを聞き入れることはなく、更なる試練を与える道を選んだようだ。決して強くはない陽光が、きらりと瞬いた。
『リュシエンヌ殿、奴らは飛び道具を使う気だ!! 南の方角!』
 脳裏で短く叫び、リュートベイルを構えて駆け出した。

 しかし、その京士郎の眼前を、無情にも鏃が突き抜けた──!

 空を切り飛来する矢!
「飛び道具!?」
 異音に気付いたフィーナが視線を滑らせると、数本の矢が飛来する!
「ああっ!!」
 短い悲鳴。避けることをしなかったフィーナの苦痛だった。
「シスター・フィーナ!」
「無事ね、良かった‥‥さ、急いで建物の中に!」
 子供たちの悲鳴に、安堵の笑みを浮かべた。フィーナの声で矢に気付いたフィニィもムーンアローでは撃墜しきれなかった矢から、自らの身を盾として子供たちを守っていた。代償は大きかった‥‥ぐらりと揺らぐ視界と猛烈な不快感、流れる脂汗。鏃には毒が塗ってあった。
『リュシエンヌさん、飛び道具です!』
『解ってる! 京士郎が追ってるわよ!』
 連絡の返答は殺気立った声。けれど敵は飛び道具だけを使用したわけではなかった。建物の影から飛び出した人影に気付いたのはシュテルケだった!
「おっちゃん、下がれ!」
 射線上のグリゴリーへ叫びながら突き出した左右の拳。敵から遥か遠くの二つの拳は、衝撃波となって襲撃者を襲う。
「エカテリーナ様!」
 駆け出したシオンより早く敵を貫いたのは一本のナイフだった。
「誰にも‥‥手出しはさせないわよ」
 毒に負けず投じたフィーナの、壮絶な笑み。完全に虚を突かれ、二本目のナイフも襲撃者へと突き立った! ポロリとその懐から落ちたダガーを掴ませぬよう、駆け寄ったシオンが蹴る!
「これは‥‥ウラジミールの差し金か!」
 拾い上げたのは大公妃。記された紋章は紛れもなくルーリック家のもの。辛うじて唱えたフィニィのスリープで眠りに落ちた襲撃者は、ヒステリックに叫んだ大公妃の鋭い一撃で、より深い眠りに就くこととなった‥‥。
「京士郎さん!」
「すまぬ、不覚を取った‥‥」
 脂汗を浮かべ片膝をつく京士郎に慌てて伝助は解毒剤を飲ませる。乱れた呼吸が徐々に落ち着いたころ、リュシエンヌが到着した。
「リュシエンヌ‥‥そこの、黒髪の輩は死んでいないはずだ」
「充分よ」
 ニッと笑ったリュシエンヌ。縛り上げながら意識があることを確認した伝助は断罪人へと1つ、頷いた。
 そしてリシーブメモリーで奪い取った首謀者の名に、天と地が揺らぐような衝撃を受けた。

 かくして、大公妃エカテリーナの命は護られた。襲撃から子供たちと大公妃を護った褒美と高価な解毒剤への補填を兼ねて報酬は大幅に上乗せされたが、誰一人として喜ぶことはできなかった。

 首謀者が国王だなど‥‥知りたくはなかった。
 平穏というモノが崩れる音を、聞いた気がした。