【冬の女王】陰謀の蕾

■ショートシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:10 G 85 C

参加人数:8人

サポート参加人数:4人

冒険期間:04月29日〜05月04日

リプレイ公開日:2007年05月11日

●オープニング

●エカテリーナの別邸INセベナージ
「ウラジミール如きが、わたくしを虚仮にするなど!」
 なぎ払った腕が食器やゴブレットをぶちまけて、ドレスの袖にワインとソースがじんわりと染みる。柔和なはずの顔が歪み、美しく結い上げられた髪がはらりと一筋毀れる。歯軋りが小さく漏れ聞こえた。
「エカテリーナ様」
 咎めるように静かに名を呼ぶことに、グリゴリーはどれだけ緊張を強いられたのだろう。彼の背筋を冷や汗が伝っていることなど大公妃にも部下たちにも伝わりはしまい。ノブゴロド公国では母のように慕われる大公妃。慈愛に溢れた性格は公国の民が皆、十二分に知っているところである。もちろん、猜疑心がとても強いことも、このように‥‥ヒステリックな面も民は熟知している。
「紋章の入ったダガーだけでは証拠に不足だというのでしょう、聞き飽きました。けれど、本物である以上、ウラジミールが誰よりも怪しいのは事実」
 落ち着きを取り戻した瞳が、深い猜疑の色を帯びる。自分の命を無駄に散らすつもりも、民を戦乱に巻き込むつもりもない。けれど、降りかかる火の粉は火元ごと消滅させるのが彼女のやり方だ。ウラジミールが背後にいるのであれば、相応の報いを受けさせるまで──エカテリーナに手を出すということは、そのリスクを承知しているはずだから。
 目を細めて己の薬指で唇をなぞると、くっと小さく冷ややかに哂う。ゆっくりと、端から端まで伝った指先を厚い舌で触れるように舐めた。指についた紅が、血のように濡れて蝋燭の明かりに揺れる。
「エカテリーナ様。クリスチーヌ様からの御一報、お忘れですか? ノブゴロドへ戻る日も近づいております、目立つ言動はお控えください」
 クリスチーヌとはエカテリーナの異母妹である。現在はセベナージ地方を治めるロシア王国でも古い貴族、ラティシェフ家の当主夫人の座に納まり、アルトゥールという息子を設けている。二人はエカテリーナが信用する数少ない人物だった。
「大量の武器がセベナージに運び込まれたというあれね、アルトゥールからも連絡がありました。耳に入ればウラジミールはわたくしを疑うでしょうね」
「では‥‥!」
「いいえ」
 エカテリーナの眼光は鋭くグリゴリーを射抜いた。紋章入りのダガーを与えたにせよ奪われたにせよ、何処かでウラジミールが愚を犯したということに他ならない。ダガーはエカテリーナの下にある。ここで何らかの証拠を押さえてしまえば、彼が確実に名誉を挽回するためにはエカテリーナをその手で守らねばならなくなる。
 そして、そのための機会は‥‥今。
「機はウラジミールと腰巾着のヤコヴの不仲が噂される今。‥‥この機に多少なりとも発言力を殺いでおけば、開拓推進などという下策も縮小せざるをえなくなるでしょう」
 尖った眼光を隠すように瞳を閉じて、深く長く息を吐いた。瞼の裏にはオーロラの輝く美しい郷里がある。住む者はほとんどがエルフで冬の厳しさとは正反対に穏やかな風土。国と民を愛し、国と民に愛されることを教えたノブゴロド。
 結局のところ、ウラジミールの提唱する開拓を推進する政策に真っ向から対立するのも、自公国の民のことを想ってのこと。ロシア王国で最も歴史のある旧首都ノブゴロドを有するノブゴロド公国は生活も比較的高い水準で安定し、開拓の必要性はほとんどないのだ──ただ猜疑心とプライドだけであれば、エカテリーナはこれほどまでに敬われてはいまい。
 閉じていた瞳を開く。そこにいたのはヒステリックに叫んでいた女ではなく、品位を纏い慈愛を称えた大公妃だった。
「服が汚れてしまったわ。グリゴリー、着替えます」
「はっ」
 グリゴリーは深く頭を下げ、踵を返した。


 数日後、冒険者の酒場には騎士を一人従えてゴブレットを傾けるハーフエルフの姿があった。暫く冒険者を眺めていたハーフエルフは、目に入った冒険者のテーブルに向かう。
 ハーフエルフはアルトゥール、従う騎士はエカテリーナの近衛騎士団長グリゴリーである。
 極めて個人的な仕事を依頼したいからギルドを通したくないんだ、とアルトゥールはワインを振舞いながら口の端を歪めた。
「やりようによってはかなり危険な仕事でね、口が堅くて実力のある冒険者を探してるんだ。いい冒険者がいたら紹介してくれないかな?」
 面倒くさそうに言ったアルトゥールと、一言も発さずに静かに控えるグリゴリー。
 けれど二人の瞳は、ただ真剣そのものだった。

●今回の参加者

 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea4744 以心 伝助(34歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea5766 ローサ・アルヴィート(27歳・♀・レンジャー・エルフ・イスパニア王国)
 ea5840 本多 桂(32歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 ea6320 リュシエンヌ・アルビレオ(38歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea9114 フィニィ・フォルテン(23歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9527 雨宮 零(27歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb1052 宮崎 桜花(25歳・♀・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

ゴールド・ストーム(ea3785)/ ラグナス・ランバート(eb1186)/ ルンルン・フレール(eb5885)/ ソフィーヤ・アレクサシェンコ(ec0910

●リプレイ本文

●出会いは薫風に乗って

「ああ、探してたんだ。暇そうで良かった」
「あっしでやすか?」
 目を瞬かせ自分を指差した以心伝助(ea4744)に、声を掛けた青年は口の端を歪めた。
「ちょっと厄介な情報が欲しくてね」
「買い被られると困りやすけれど」
 まさかそちらの仕事とは思ってもみなかった。俄に乾いた喉をクワスで潤した伝助は視線を感じて目を転ずる。
「そっちのキミも。良かったら、少し手を貸してくれないかい?」
 釣られて視線を送った青年は自分をそっと見ていた雨宮零(ea9527)に声を掛けた。
「え? あ、はい、構いませんけれど‥‥」
 青年に見覚えがある気がしてそっと眺めていた零は反射的に頷いていた。
(『セベナージ領主の御次男、アルトゥールさんっす』)
(『‥‥ああ、そういえば』)
 ジャパン語で囁かれて得心がいった。園遊会の時期、酒場で姿を見たのだ。恋人が頭を下げていた人物、確かエカテリーナ大公妃の甥だとか‥‥そこまで記憶が蘇った時、零の思考を中断したのは女性の声だった。
「あらあら、ジャパン人が揃って悪巧み?」
「悪事を暴くにはちょっと汚れる仕事もあるだろう?」
「それは面白そ‥‥仕方ないことよね」
 興味津々で文字通り身を乗り出し、本多桂(ea5840)はにっこりを微笑んだ。酒臭い吐息にアルが眉を顰める。
 彼が再び口を開くより早く、扉が開き春の、とはいってもまだ冷たい風が流れ込んで桂の黒髪を揺らす。風と一緒に流れ込んできたのは華やかな女性たちの声。
「ミードでも飲もっかなーって、あれ? アルく‥‥様、何でこんな所に?」
 いつもどおり明るいローサ・アルヴィート(ea5766)に渋面を浮かべるアル。
「暇な人を探してるらしいわよ?」
「つまりナンパってことね。待ってて、入ってくる所からやり直すから!」
「そんな趣味はないけど、キミに声をかけるくらいなら後ろのフィニィ嬢に声をかけるね」
 ローサの背後から酒場に足を踏み入れようとしていたフィニィ・フォルテン(ea9114)は、曖昧な笑みを浮かべた。彼の言葉が、ただ種族のみに基いて発されたものだと気付いたのだろう。それに気付き、もう一人の友人宮崎桜花(eb1052)が小柄な身体でフィニィを庇った。
「私も手伝わせていただけますか? 雛ちゃんの件でお世話になった恩返しをしたいんです」
「もちろん。よろしく頼むよ」
 こうしてアルトゥールから語られた依頼内容は、しかし彼らの予想を‥‥伝助のそれですら大きく上回るものだった。
 楽しげなローサとは裏腹に、不安げな面持ちのフィニィは1つ提案をした。
「応援を呼びませんか? 確か、リュシエンヌさんと京士郎さんも手が空いていたと思うのですが‥‥」
「そうですね、口も堅いようですし」
 いつもより緊張した零の言葉は、皆の気持ちを代弁するものだった。関わったことが知れれば命さえ危うい、漏れれば戦争をも招く──国王を調査するなどという依頼なのだから慎重にもなろうというものである。
 そしてフィニィの記憶どおり手の空いていた真幌葉京士郎(ea3190)とリュシエンヌ・アルビレオ(ea6320)をも巻き込んだ、壮大な隠密調査が開始された。


●鼠

 王宮に、鼠が一匹。
 国王ウラジミールが外出するという情報がある中、敢えて国王が居る間を狙うという危険を冒したのはバラの瞳を持つエルフ。しかし、彼女の計画は完全に頓挫していた。
 警備の兵をやり過ごし、安堵の息を零して。
「‥‥潜入することばっかり考えてたわ」
 安堵ではなく、後悔のため息だったのかもしれない。第三者の介入を考え、国王と大公妃の双方、あるいはどちらかが目の上の瘤と思っている人物を探りに来たのだが‥‥国王の瘤は大公妃、イーゴリ大公、そしてドミトリー大公。大公妃の瘤は国王とイーゴリ大公。
 仮に大公妃と国王が共倒れになったとしても、怪僧ラスプーチンの手腕を買っているのが国王だけなのだから彼に得があるとも思えない。ロシア王国の行く末を案じたイーゴリ大公に手を打たれてあっけなく終わるだろう。ラスプーチンに得があるとすれば、それは全ての大公が共倒れした時にすぎない。
「怪僧が出てこないなんて、予想外ね。んーむ、見当違いだったかな」
 明日からは別所の疑惑を潰すため遠出することを決意しながら、ローサは人知れず王宮を後にした。


●記憶の欠片

 調査の前に確認しておきたいことがある。零は無礼を承知でアルトゥールと向き合った。
「実は、数日前別件でセベナージ領を訪れた際に何者かの襲撃を受けました」
 あどけなさの残る顔に真摯な色を浮かべ、零は言葉を選ぶ。
「僕が受けていたのは護衛の任です。襲撃者を退けた後、依頼人から襲撃者についての情報をいただきました。貴方の御家族か、伯母上が企てたのだろう──と」
 その一件に関わりを持たぬ桂はじっと成り行きを見守る。京士郎も、浅く頷くのみ。
「失礼かとは思いますが、お心当たりはありませんか?」
「心当たりも何も、彼らを送り込んだのは僕だよ」
 1つ頷き肯定するアルへ、京士郎は理由を尋ねる。
「セベナージはとても危険な場所にある。領主の館は比較的遠方だけれど、それでもキエフ公国の首都まで徒歩で2日。チェルニゴフ公国の首都へなら2日もかからない。外れにある伯母上の別邸からはどちらも1日で向かうことすら可能なんだ」
 元々ラティシェフ家はロシア王国の中でも、歴史あるノブゴロド公国に連なる古い歴史を持つ貴族。それだけでも邪魔なところへ、大公妃と血縁関係までできてしまったのだ。いわばセベナージは喉下に突き付けられた剣。
「そこに今は伯母上が滞在している。先日の襲撃事件があったのに付近へ武器が運び込まれたなんて、どんな疑いを招くか火を見るより明らかだろう?」
 あの人のヒステリーもかなり知れ渡ってるしね、と肩を竦めるアル。
「その情報はどこから齎されたものか、教えてもらえるか?」
「大量の武器が一度に流れれば流通に変化が出る。戦はお金になるからね、目聡い商人なら気付くと思うよ?」
 京士郎の予想通りの回答を返し、もっとも、と付け加えながら彼はゴブレットを揺らした。
「僕に話してくれたのは商人じゃなくて、武器職人だけどね。そんな短い納期には間に合わないって怒られたよ」
「‥‥その人は、発注した人を知らなかったということね?」
「だろうね。お陰で手を打つ余裕ができたわけだけれど」
 ありがたいんだかどうなんだか、とワインを煽るアルに礼を述べ、互いに目配せしあった3人は改めて商人の線から調査の手を伸ばすことに決めた。


●寄り添う狐

 アルトゥールとジャパン人たちの会話が行われていた頃、少し離れて控えるグリゴリーに語りかけた者がいた。
「漏らしたくない話なの、テレパシーを使わせてもらえるかしら?」
「構わない」
 了承を得、声を掛けた女性──リュシエンヌが詠唱と共に銀の輝きを帯びる。
『内通者の可能性を潰したいの。あのときの護衛や彼らの行動について、詳しく教えてくれないかしら』
『エカテリーナ様の護衛は近衛である狐影騎士団が常に行っている。出自や経歴の不明な者は冒険者だけだ』
 猜疑心の塊のようなあの女性が無防備な背を晒すのだから、近衛の選定には彼女自身が目を光らせるのは考えるまでも無い。
『非番の時間帯に誰が何をしていたかまでは確認していない。私以外の全ての者が一度は一人になっている』
 狐影騎士たちと大公妃の主従関係は他の大公と近衛のそれよりも結びつきが深いのだとリュシエンヌが知るのは、もう少し先の話のようだ。


●過去に聴く歌

 春の香りは孤児院にも訪れていた。職員に挨拶をし、子供たちに歌を歌いたいと願うとそれはすんなりと受け入れられた。
 子供たちは、かつて襲撃のあった庭で思い思いに遊んでいる。かんざしや指輪、サークレットを身に付けて礼服を纏うフィニィは孤児院ではひどく目立つ存在となり、子供たちがわらわらと寄ってきた。
「みなさんこんにちは、この前は怖い思いをさせてしまってごめんなさい」
 フィニィの言葉に子供たちは「大丈夫ー!」と元気な声を上げる。
 幼子の毎日は大人のそれより密度が濃い。子供たちにとって、自分たちに被害のなかった一月も前の襲撃など過去の話なのだろう。
「今日はみなさんのお好きな曲を歌いますから、遠慮なくリクエストしてくださいね」
「えっとね、前に歌ってくれた歌がいい」「っていうかそれしか聞いてねーしな」
 子供たちの高い声が飛び交う。にこやかに微笑みながら、フィニィは妖精の竪琴をかき鳴らした。

♪ 御神は ひとり子を 賜う程に
 この世を 世人を 愛し給う♪

 歌いながら庭を見回す。木の幹や庭の隅に残る鏃の跡。
 ‥‥あまり射撃が上手な方ではなかったのでしょうか、そんな疑問が頭をもたげた。

♪ 神の御言葉 抱き歌おう
 全ての子等に 光あれ♪

 もう一回、もう一回! と子供たちのアンコールが飛び交う。
 せめてもの詫びにと、何度でも、日が暮れるまで付き合うつもりだった。


●香る花

「摘み損ねて蕾がついた、か」
 ぽつり呟きリュシエンヌは手折った花を髪に挿し、共に訪れた桜花は首を傾げた。
「京士郎さんの話だとかなり腕の立つ相手だということですが、フィニィさんは拙い印象を受けた‥‥どういうことでしょうね」
「冒険者がいるってバレてたのよ。腕の立つ人を集めたけれど目的が達せられそうにない、だから方法を変えたのね」
「なるほど‥‥」
 酒場をいくつか回り、それなりに高級な酒場で狐影騎士が酒を飲んでいたという目撃証言が取れた。だが、誰かと接触をしたという話も、一人で訪れたという話もなく、二人は調査の手を孤児院のある貧民街へと移したのだった。
 荒んだ空気に潜む目は、仲間とそれ以外の者を鋭く見分ける目。
「ノブゴロドの大公妃様がこちらにいらっしゃった日の近辺で、見慣れない人が歩いていたりしませんでしたか?」
 見かけた人影に声を掛ける。何度目かの同じ問いに、昼日中から酔い潰れていた二人組から答えが返された。
「お嬢ちゃんに似た服装の男と金髪の男が黒毛のでっかい馬を連れて歩き回ってたぜ」
「似た服装? 男?」
「ああ、赤毛のな」
 詳しく容姿を聞くと、とても覚えがあった‥‥京士郎とゴールド・ストームだ。
「こっちが見つかって警戒されてたのね」
 リュシエンヌが乱暴に髪をかきあげた。自分たちは新しい情報で護衛の態勢を変える。相手が同じ事をしていない道理など、どこにもなかったのだ。礼として銀貨を握らせると、二人は新たな情報を探して再び歩き始めた──これ以上の情報は手に入るまいと、どこかで感じながら。


●陰謀と謀略

 チェルニゴフに向かったローサが齎したのは、彼の公国が小さな公国であるという話だった。
 世継は正妻から得ており、順調に開拓を進め、内乱の気配も無い。ウラジミール国王はロシア王国とキエフ公国の二つの大きな地位を兼ねており、チェルニゴフとの力の差は歴然。敢えて国王に楯突くような愚を犯すより、国王に追従していた方が権力も旨みも大きかろう。
 チェルニゴフ大公ヤコヴ・ジェルジンスキーも国王や大公妃、イーゴリ大公らと違い、あまり策略を練り回す方ではない。水面下では国王の有望な部下を襲撃したという疑いが生じているようだが、ローサが調査する限りでは誤報、もしくは第三者による工作の可能性の方が高いように見受けられた。
「よしよし、こっちは白っぽい。収穫だと思って自慢しとこうっと♪」
 ヒラソールの鬣を撫で、ローサは報告の為に訪れた道を再び舞い戻る。
「蛮族さえいなければ、森を突っ切った方が早そうなんだけどなぁ」
 残念そうに、傍らの森を眺めながら。


●蜜滴る陰謀の蕾

「内乱になって得をしそうな人がいない‥‥そんなことがあるのかしら」
 ローサからの情報を反芻した桂は、そんな感想を漏らした。
「誰も、ということはないだろう。アルトゥール‥‥殿も言っていたように、戦では金が動くからな」
 少し考えて敬称をつけた京士郎の言葉に零も頷く。
「最近時折り報告書で見かけるデビル辺りは、損得関係なく対立にもっていきたがりますしね」
「デビルか‥‥関わっていて欲しくはないところね」
 そう天を仰いだ桂だが、今のところその可能性は皆無に近い。商人を相手に噂話を聞き込み地道な調査を続けた3人は、大口の取引を行った羽振りの良い商人を絞り込んでいた。
「あの商人と大口の取引をした相手っていうのが誰だか知っているか?」
 その言葉に口を開かなかった他の商人たちも、数枚の金貨をチラつかせた桂にはぽろりと零す。
「発注した奴かどうか知らないが、文官のユドゥキシンさんが何度か出入りしていたのは見たね」
「ユドゥキシン‥‥」
 伝助に聞いた、王宮に出入りする高位の文官の名だ。彼ならば偽造文書を作ることも国王の印章で封をすることも容易い。そして彼が親しくしているラスプーチンならば、紋章入りのダガーを1本くすねることも可能だろう。
「おぼろげながら繋がってきたわね」
 口にすることすら躊躇われる策謀に組み込まれかけ、逃げ出した貴族が反逆者として粛清されたことがあった。
 粛清の依頼を出したのはユドゥキシン。
「状況証拠は揃ったかしら。あとは動機と、証拠か‥‥お酒を飲んだらもう少し頭が働くかもしれないんだけどね」
「そうだな。夜も更けてきた、身体でも温めるとしよう」
 決定打を探すためには、体力の温存と判断力の維持が必要不可欠なのだ。
 キエフの夜から遠ざかるように、喧騒渦巻く酒場へと場所を移した。


●鼠

 国王ウラジミールが外出する、その隙を縫って潜り込んだのは一匹の鼠。
 鼠はラスプーチンの近くに潜んでいた。此度のウラジミールの外出はお忍びであり、怪僧は同行していないのだ。
「ユドゥキシン殿、大きな買い物をなさったとか」
「ええ、狐が狩場を荒らすもので‥‥」
「早まったのではないですかな? 雪が溶ければ狐も遠くに去りましょう」
 声だけ聞いていれば穏やかな会話。しかし、鼠が事前に得た話では怪僧はどんな言動にも胡散臭さを纏う反面、かなり周到な人物のようだ。恐らく、居るか居ないかも解らぬ密偵への対策で、言葉を濁しているのだろう。
 どうやら、怪僧の元に訪れたユドゥキシンが叱責されているようだ。
「ところで、手負いの獣には虫が湧いているのはご存知ですかな」
 穏やかながらも鋭い一言。張り詰めた空気が扉越しに伝わる。
「そ‥‥それは失礼をいたしました。早急に対応をいたします」
 引きつった声。短い会話の終焉を悟り、鼠はそっと扉から離れた。
(「もう一波乱ありそうっすね」)

 王宮を後にし、鼠──伝助は小さく舌打ちをした。黒を判別することだけを考え白を忘れていた。
 国王の容疑が晴れていないことに気付いたのは、アルトゥールに指定された刻限直前のことだった。