雛ちゃんとぽかぽか温泉

■ショートシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:フリーlv

難易度:やや易

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:6人

サポート参加人数:7人

冒険期間:05月12日〜05月17日

リプレイ公開日:2007年05月26日

●オープニング

●和やかなキエフの日常

「えっと、橙のと、黒いのと、桃色のと‥‥白いのと‥‥‥茶色より紅がいいかも? ‥‥ええっとぉ‥‥お金、足りるかなぁ」
 買い物というのは年齢に関係なく女性の心を捕らえるものらしい。幼い少女がひとり、様々な色に染め抜かれた糸を選んでは返し、握り締めては首を傾げ、とても楽しそうに買い物をしていた。
 年の頃は7・8歳だろうか。ジャパン人だと解る独特の服装は夜空の濃紺。闇を吸い込んだような漆黒の髪と瞳に桜色の玉簪がよく映え、彩りを添えている。まだ少女であるが、これでもノルマンはパリの商人ギルドで一目置かれていた女商人ルシアン・ドゥーベルグの知人である。キエフに出した大規模な支店は軌道に乗ってきたものの、未だ大胆な舵取りが必要な状態が続いておりノルマンへと戻ることはできないようだ。
「本当にドゥーベルグ商会で買わなくていいんですね、お嬢さん?」
「いいなのよ〜。こうゆうのはルシアンお姉ちゃんのお店より、ギルおじちゃ‥‥ぎちょーのおじちゃんのお店の方がいっぱいあるなの」
 そう、少女が訪れていたのは、イギリス王国はカンタベリーという土地からやってきたギルバート・ヨシュアの店である。ルシアン・ドゥーベルグの店は当然だが主な仕入先はノルマンであり、食材や美術品の輸出入が多い。逆にギルバート・ヨシュアの店は衣類に関する物の品揃えは王室御用達と称されるだけあって群を抜いている──もっとも、当然ながら今現在少女の相手をしているのは一介の店員でギルバート本人ではないが。
「決めたなの!!」
 手にしたのは当然というか何というか、彼女にとってジャパンを感じさせるしなやかで滑らかな手触りの糸。色は、悩みに悩んだ末に8色ほど選んだ。しかし特筆すべきはその長さだろう。まるでロープのような長さである。
「はい、確かに御代は頂戴しました。落としたり汚したりしないように気をつけてくださいね」
「えへへ〜、どうもありがと〜♪」
 絡まないよう小さな板に巻きつけるようにして束ね、大切に並べると風呂敷で包む。両手でぎゅっと抱きしめて、ぺこりと頭を下げると少女は店を飛び出した。

 風呂敷包みを大事に抱えてほんわりと頬を緩め、雲間からの優しい日差しを浴びてながらスキップをする少女。
 彼女がデビルの集団に襲われるのはこの直後のことで──それが、きっかけだった。


●ちょっぴり変わった依頼

 そんなことがあった数日後、冒険者ギルドにセベナージ地方からひょんな依頼が持ち込まれていた。
 依頼人はキエフに出てきて一生懸命に澄ましてみせようとする、いかにもオノボリサンといった風情の女性。
「実は、先日妙なものを見つけましたの」
 これがもっさりとした髭のドワーフ女性でなければもう少し印象は違ったかもしれない。
「妙なもの、と。どのようなものですかの?」
 或いは、それを聞くギルド員がみつあみ髭のギルド員でなければ。
「素敵ですわね、そのお髭。リボンが可愛らしくて」
「いや、髭が恐いと幼子に泣かれたことがありましてな。苦肉の策じゃというわけでして」
 ‥‥脱線し髭談義に花が咲くこと数十分。
「ああ、そうそう。依頼の話ですけれど、実はお湯の沸く泉をみつけましたの」
「お湯‥‥今まで湯気を見たなどということはないのですかな?」
「ええ。確かに冬でも凍らずに湧く水源があるので不思議には思っていたのですけれど」
 依頼人の村はキエフには珍しくドワーフやジャイアントが過半数を占める村だという。というのも、村の外れにぽっかりと大きな穴が開いていて──そこから地中に潜ると縦横に道が伸びている。人工的に拡張された洞窟は近くにあるという鉄鉱石、トパーズ、キャッツアイの3つの鉱脈に続いているのだ。
 その中で、今回水脈を当ててしまったのがキャッツアイの鉱脈。
「元々採掘量がとても低い鉱脈ですし、これが目玉になるのなら観光資源として考えるのも良いのではないか、という話になりましたの。でも、湧いた湯をどう利用したものかと‥‥冒険者の方なら破天荒なアイディアを下さるのではないかと、お力をお借りしに来た次第ですわ」
 この鉱脈で採掘されるのはとても硬い性質で腕のある細工師以外には全く加工し辛い。色は比較的濃い緑色のものが多く、時折り赤紫に見えることもあると評判──なのだが、採掘量と採算が合わないのであれば方針の転換も已む無いことである。彼らは、これで食べていかねばならないのだから。
「現地は崩落の危険もありませんし、モンスターもガスも出ません。安全は保障しますわ」
「ふむ‥‥ならば早速冒険者を派遣しましょう」
 そうして掲示された依頼に誰より早く気付いたのは雛菊と名乗る少女だった。
「‥‥温泉?」
 きゅるんと首を傾げる雛菊。ジャパン出身の彼女にとって湯の湧く泉といえば文字通り温泉のことだったのだ。
「‥‥‥」
 冒険者をしているたくさんの友人知人と、忍者としての仕事を請けている雛菊とは敵味方になることも多い。
 それでなくともロシアは危険が多い。その上、最近は陰謀やデビルの跳梁などもあり、危険度はいや増すばかり。
「‥‥‥雛‥‥」
 ぽつりと呟いて、風呂敷包みを抱きしめる。
「雛、皆、元気のまんまがいいなぁ‥‥。一緒にお祈りしてくれるかなあ」
 しょんぼりと伏せられた目は、どこか寂しげで、眠たげだった。

●今回の参加者

 ea0547 野村 小鳥(27歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea3190 真幌葉 京士郎(36歳・♂・ナイト・人間・ジャパン)
 ea6320 リュシエンヌ・アルビレオ(38歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea8989 王 娘(18歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 ea9114 フィニィ・フォルテン(23歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb1052 宮崎 桜花(25歳・♀・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

沖田 光(ea0029)/ ローサ・アルヴィート(ea5766)/ ヴィクトル・アルビレオ(ea6738)/ セフィナ・プランティエ(ea8539)/ ユキ・ヤツシロ(ea9342)/ キリル・ファミーリヤ(eb5612)/ スティンガー・ティンカー(ec1999

●リプレイ本文

●盛大なるお見送り

 抜けるように青い空。
 肌寒くも春の香る風。
『これぞ温泉日和!! ですねー』
 野村小鳥(ea0547)が満足げ──否、当然だとばかりに頷いた。見晴らしの良い場所で温泉に入ったのなら、広大なロシアの雄大な自然も、未だ肌寒く感じることのある風も、心地よいものに違いない。
『まだ温泉に適しているとは限らないだろう。観光用の温泉に適しているかどうか、まずはそれを確かめさせて貰うのが先だ‥‥』
『そう言いますけどぉ、京士郎さんだって入る気満々じゃないですかぁ〜』
 注意を促され、むう、と頬を膨らませた真幌葉京士郎(ea3190)は京士郎が抱えていたスノーマン人形を指差した。木彫りの人形はさぞかし可愛らしく湯船に浮かぶことだろう。
『きゃあ、桜花お姉ちゃんとお風呂なの〜♪』
『ふふ、雛ちゃんは相変わらず元気みたいね』
『雛菊さんは温泉にしたいみたいですね』
 フィニィ・フォルテン(ea9114)は宮崎桜花(eb1052)と抱き合いぷにっとした頬をすりすりとすり合わせている雛菊(ez1066)を見て春の日差しのように微笑んだ。傍らでは湯の湧く泉を想像しながら真面目に頭を捻っていた王娘(ea8989)が想像して難しい顔をして呟いた。
『まぁ‥‥、温泉だな』
『まあ、湯の湧く泉と書いて温泉だものね。そこに至るのは仕方ないと思うわよ』
 夫ヴィクトルから羊皮紙を受け取りつつ、リュシエンヌ・アルビレオ(ea6320)は愉快そうに笑う。ジャパン語で会話をしているのだから、嫌でも思考はそこに行くというものだ。
『あの‥‥ジャパン語なのは、小鳥様のご提案なんでしょうか‥‥?』
 ユキの素朴な疑問にリュシエンヌは首を振ってゲルマン語で答えた。
「小鳥ちゃんがゲルマン語を話せないからね、皆が話せるジャパン語を使ってるだけなのよ」
 依頼人と村人はゲルマン語しか話せないだろうが、5人‥‥雛菊を含めれば6人もの通訳がいるのだから、特に不都合もあるまい。
『皆、気を付けて行ってらっしゃい‥‥留守番組で遊んでるから。パパさんに美味しい料理作ってもらっちゃうから』
『ふふ。楽しんできてくださいませね』
 どこか不貞腐れたようなローサに笑みを零しながら、セフィナは雛菊に小さな包みを手渡す。中身に気付いた雛菊の口に人差し指を当てて、夜更かしはほどほどになさってくださいね、と優しい忠告。
「それじゃ、気をつ──」
 言いかけたキリルの言葉を盛大なジャパン語が遮った。
『京士郎さーん、忘れ物忘れ物、温泉必須アイテムの手拭い忘れてますよー』
 無邪気に声を張り上げて駆け寄るは見送りの沖田、ジャパン語で叫ばれた言葉に仲間たちは目を眇めて京士郎を見遣った。冷涼な風が吹き抜ける。
「もっと早くに判っていれば、娘さんの湯着を作ったのですが」
 悔しそうに駆け寄ってきた、同じく見送りのスティンガーに「どうせ入らないから不要なのだが‥‥」と娘はなんとも微妙な色を浮かべた。
「いつまでもウジウジしてても仕方ないし、盛大に見送ろう、うん! 久々のジャパン式よ!」
「ジャパン式?」
 吹っ切ったローサは怪訝な色を浮かべる見送り男性陣に手早く説明すると、音頭を取った。
『依頼の成功を祈念して、せーの‥‥万歳!』
『万歳!!』
「BANZAI!!!」
 盛大な見送りに釣られ、同日、別の仕事でギルドから出発せんと集まっていた他の冒険者たちも微笑ましく拍手で見送ったとか送らなかったとか。


●湯の湧く泉

 さて、道中は事前に聞いていたとおり特にモンスターに遭遇することもなく、幸運にも天候が崩れることもなく、スムーズに村まで辿り着くことができた。
『雛ちゃん、大丈夫?』
 用意された宿に入ろうとし段差で躓いた少女を、桜花がそっと支える。その様子に、リュシエンヌと小鳥はそっと視線を交し合った。
 眠れていないのか、雛菊が目の下にこさえた隈は日々濃くなっていた。リュシエンヌが時折り抜け出して採取した薬草を小鳥が調理し食事に混ぜるが、一向に変化はない。いや、二人のそんな支えがあったからこの程度で済んだのかもしれない。
『雛菊‥‥、大丈夫か? 私たちが坑道に潜る間、横になっていても構わないぞ』
 猫耳フードもしゅんとするほど不安げな眼差しで、娘は雛菊の荷物を預かる。
『雛、平気だも』
 ぐしぐしと目を擦る雛菊の目脂を手拭いで拭い、京士郎は少女の意を汲んだ。
『雛嬢も日本人だ、温泉でゆっくりすれば大丈夫だな』
 こくりと頷く雛菊をひょいと抱き上げて、京士郎は真九郎の手綱を村人へ預けた。
「先に現地を見たいのだが、荷物と馬を頼む。それと、案内を」
 何はともあれ今回の目的のためには現地を確認するのが先決。温泉に適しているかどうか見極めなければここまで足を伸ばした意味が──なんだか趣旨が逸れているような気がしなくもない。

   ◆

 村外れの入り口から坑道に降りると、さすがドワーフが多い村というだけあって崩落を防ぐための支柱や骨組みが素人目にもしっかりと配されていた。そしてジャイアントの鉱夫も多いのだろう、天井は意外に高く作られていた。風が抜けるように手を加えてあるようで、柱の燭台に灯された灯りが踊っていて、フィニィは安堵の息を漏らす──それでも用心のためにランタンにも火を移した。
 遠くからつるはしの音が響中。左右に広がる坑道を右に進む。
『うーん、深そうね‥‥』
 リュシエンヌの言葉通り、案内されるままに辿り着いた先は地表と随分高低差がありそうだった。泉が湧いて慌てたのだろう、泉を含めた辺り一帯が一段掘り下げられていた。
『ふむふむ、湧出する湯量は充分みたいですねぇー。温度は、っと』
 躊躇わず近付いた小鳥は調理器具セットから取り出したおたまで湯をすくうと、柄に伝う温度を確かめる。
『適温ですぅー』
『問題は、ここからくみ上げないといけない、ということですね』
 桜花が腕を組む。源泉の方が高ければ水路を作ってやれば良いのだが、地下となればそうもいかない。
『いっそ、ここに湯船を作ってしまってはどうだろうか』
『洞窟温泉ですか? それも雰囲気あってよさそうですねぇー』
『私は温泉を作るのなら坑道の中よりは外までお湯を引いた方がいいと思います。地表からここまで穴を掘って、井戸にしてみたらどうでしょう』
 きっぱりと言い切り案を打ち出すフィニィに娘が首を振った。
『汲み上げるほどには湧いていない』
『それに、運んだら温度が下がるわよ。家まで運んでる間に水になっちゃうわ』
『つまり‥‥ジャパン式の温泉として利用するためにはここに湯船を作らないといけない、ということですね』
 仲間たちの視線を一身に浴びて、フィニィも渋々頷いた。
『でも、さすがにここを湯船に改造するのは私たちだけでは無理ですよね』
 岩を掘るか、湯船を設置するか。どちらにしても手が欲しいと相談された案内人は「木を切り出して板を作る工程まで考えれば、掘る方が早いだろう」と桜花に応える。この村は開拓ではなく鉱山で暮らしているのだから、そんな結論になるのも道理だろう。
 温泉の前の労働としては重労働だが、これも後の楽しみのため‥‥そう割り切り、過酷な労働に身を投じた。


●ジャパン風と欧州風

 できればすのこを敷いて欲しいとか主張したジャパン人や小鳥の主張は時間がないので素気無く却下されてしまったものの、あまり広くはないが、素肌を傷つけぬよう細心の注意を払った岩風呂が完成したのは滞在最終日の夕方だった。
『初めてなので変な事をしてしまわない様にいろいろ教えてくださいね』
『任せてくださいー。小鳥の温泉マナー講座始まるよー! なのですぅー』
 巫女装束できゅるん☆ とポーズ!
 温泉は神聖な場所だといいたいのでしょうか‥‥とフィニィは桜花にひそひそ。
「俗世の垢をいろいろ落として〜 落として〜」
 謎の鼻歌を歌いながら湯に入ろうとしたリュシエンヌを小鳥が止めた。
『だめですぅー!! まず、入る前には身体を流すんですぅー』
 さっと脱いだ小鳥に、やっぱり脱ぐんですね‥‥と桜花もフィニィにひそひそ。
『でも、どうやって?』
『これを使ってね! なのですぅー』
 ちゃっかりと借りて洗っておいた井戸用の桶をリュシエンヌへ手渡す小鳥。もっとちゃっかりしているのは京士郎だろう。壊れた桶を貰い、風呂桶に丁度良いサイズに加工までしていたのだから。湯船に浸かると当然のように酒を乗せ湯船に浮かべる。
『湯船に手拭いを浸けちゃだめですぅ。泉質によっては手拭いが傷みますしー、何よりお湯が濁ってしまうのですよー』
『ご、ごめんなさい』
 フィニィが慌てて手拭いを取り出した。白木の神杯に酒を注ぎ、湯に浮かべたスノーマン人形と杯を交わす──そんな京士郎を見、リュシエンヌが叫んだ。
『しまったぁ! ちま温泉セットとか作っておけばよかったわ』
『後の祭りですねぇ』
『アフターザフェスティバルよ、小鳥ちゃん。まあ、今回はのんびり温泉を楽しみましょう』
『ちまはお湯を含んでしまいますし‥‥布地がいたんでしまうかもしれませんから、きっとこれで良かったんですよ』
『きっとねー、ちまを入れたら小鳥お姉ちゃんがメッ!! ってはんにゃなのよー』
『でも、本当に‥‥お客、来るのかしらねぇ』
『来ますとも! だって温泉なんですからー』
 恋に似た盲目さを披露する小鳥に苦笑し、肩までたっぷりと湯に浸かるリュシエンヌ。確かに、入ってみれば気持ちよいものだ。
 しかし、欧州で温泉といえば主に飲用するものか、長期滞在して療養するための保養所。逆に浴室として使用する部屋は汚れを落とす不浄の場所なのだ。そんな場所でリラックスという話は見識の広い彼女でさえもほとんど聞いたことがない。
 宣伝に全てが掛かっているともいえよう。それはリュシエンヌやフィニィたち吟遊詩人の領分だ。
『混浴だと落ち着かないですね』
 スノーマン人形を餌に遊ばれている雛菊を見ながら、桜花は溜息をひとつ。今回は時間がなかったため温泉は1つしかない。しかし村人との会話で、保養所の意味合いの強い欧州では混浴が通常なのだと知ったのだ。もちろん、異性の身体を凝視しないというマナーはあるそうだが。
『課題は多いな』
 浴槽に足だけ浸けている娘の言葉に、皆は大きく頷いた。この村の収入源を採鉱から保養所に変えるのは、鉱脈が生きている以上不可能だ。
『にゃんにゃんお姉ちゃんはきちんと浸からないなのー?』
『狂化してしまうからな‥‥』
 ぐぐっと堪える娘。足湯で我慢しようと思っていたが桜花の機転で桶を逆さに沈め、その上に座ることで腰まで使っている。けれど、いつかこっそりと、肩まで浸かってみようと決めた。
 互いに背中を流し、花が咲いた会話が一段楽すると雛菊が湯船から上がり、それをきっかけに皆も風呂から上がる。名残惜しげにいつまでも温泉に浸かっている小鳥へ、リュシエンヌは頭上から声を投げた。
『‥‥ふやけるわよ?』
『本望ですぅー。はやぁ‥‥やっぱり温泉はいいですぅー。幸せな気分になれますぅー』
 とりあえず語尾はふやけたようだ。


●幸せを願う色

 坑道を抜け地上に出ると幾千もの星が夜空に瞬いていた。火照った身体を攻める夜風から護ろうと首を竦めたが、それでも瞳は夜空を映し続けて。
『穏やかですね』
 フィニィが歌うように小さく漏らした。まるで、声がこの調和を崩すことを恐れているようで、桜花は言葉ではなく手を繋いで同意を示す。繋いだ手は夜風に負けず温もりを伝え合って‥‥
『雛ちゃんとも皆ともずっとずっと仲良く一緒に入れたらいいですねぇー』
『いつまでも、こんな幸せが続けば良いのだが‥‥』
 幸せを孕んだ小鳥の言葉に、未だ慣れぬ娘は憂いを滲ませる。現実を忘れぬリュシエンヌは幼さを残す娘を抱き寄せた。
『今もモンスターは暴れているし、命を落としている人も、善からぬ事を企む人もいるわ。悲しいことだけれど』
 幸せの儚さを知っている。しかし、彼女も京士郎も知っている──幸せが持つ、しなやかな強(したた)かさを。
『信じてそれを掴み取ろうとするなら、叶わぬ願いも、手に入らぬ幸せもないはずだ。俺はそう信じる』
 刹那、迷い子のような視線を向けた雛菊は‥‥気付いた京士郎に微笑まれ、俯いた。
『雛ね‥‥皆をさくってするお仕事がくる夢を見たの。雛が嫌って言ったら、皆、殺されちゃったの‥‥雛、そんなのやーなのぉ‥‥』
 ぽろりと大粒の涙が頬を伝って、‥‥フィニィは小さな友人を細腕いっぱいに抱きしめ、その髪に口付けた。
『大丈夫ですよ、雛菊さん。私は皆が護ってくれますし、皆は私と皆で護ります。京士郎さんの言ったように、幸せは願えば手に入るものですよ』
『しかも、私たちには友人を信じ想う心もあるのよ、絶対に負けないわ。雛ちゃんもそうでしょう?』
 桜花が凛と微笑んだ。常に伸ばした背筋は、彼女の心そのもの。
『幸せのために弛まぬ努力をして、それで心や身体が疲れたら温泉に入りにくればいいのですぅー』
 語りかけた小鳥の言葉にこくりと頷き、雛菊はこの数日間肌身離さず持ち歩いていた風呂敷包みを解いた。包まれていたのは色鮮やかな幾本もの組紐──帯締めだ。
『雛、ぎちょーのおじちゃんのとこで皆に似合いそうな紐を探したなの。それでね、皆が無事でいられるようにって、一生懸命お祈りしながら作ったのね』
 大切に取り出した一本目は紅の帯締め。
『これは桜花お姉ちゃんのなの』
 拙いながらも心をこめて作った帯締めを手渡した。橙、緑、と1本ずつ大切に手渡していく。

 決して染まらず凛々しい紅は、桜花の色。
 躍動する春と満月の橙は、フィニィの色。
 調和と生命生い茂る緑は、小鳥の色。
 夢のように妖しくも上品な紫は、リュシエンヌの色。
 強く目を引き愛される桃色は、娘の色。
 闇に差す光の如く、黒に銀糸を織り交ぜた組紐は京士郎の色。

『ありがとう、雛ちゃん。大切にするわ』
 心の血涙を隠していつも以上に恐ろしい形相になるだろう夫を想像しながら、リュシエンヌは大切にバックパックへとそれを仕舞う。
『雛菊も‥‥元気でいてくれなくては困るぞ、永遠の友愛を誓ったのだからな』
 刃のようだった過去が護りたいと願った雛菊を、大切な友人を優しく撫でて、娘ははにかみながらくまのぬいぐるみを取り出した。
『そうだ、礼にこれを貰ってはくれないだろうか? その、私には合わないから‥‥』
『‥‥ありがと』
 ぽつりと呟いてぬいぐるみを抱きしめた雛菊をもう一度撫でる。
 結局、声を出しても夜空の調和が崩れることはなかったけれど。
 彼らの言葉と信念を肯定するように幾多の星が瞬いて、風に揺られた木々がざわめく。
 ぶるりと震えた小鳥が雛菊の手を引いた。
『湯冷めする前に戻りましょう。それに、明日は早起きして朝風呂ですしねー』

 ‥‥この幸せを手放さないことを誓いながら、明日への一歩を踏み出すのだった。