【破壊竜】黒瑪瑙の愛
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■ショートシナリオ
担当:やなぎきいち
対応レベル:11〜lv
難易度:難しい
成功報酬:11 G 94 C
参加人数:8人
サポート参加人数:2人
冒険期間:12月22日〜12月28日
リプレイ公開日:2008年01月20日
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●オープニング
●黒瑪瑙
愛しき人の腕に抱かれた夜、幸せが津波のように押し寄せた。
世界中の何よりも護りたい者ができた喜び。
通じた心に溢れた、はち切れんばかりの愛情。
怜悧な顔に浮かんだ優しい微笑みは、自分だけのものだった。
愛しき人の姿をみることは、もう二度と叶わない。
けれど、その声を再び聞くことはでき‥‥その言葉も。彼の真意も。
愛しき人の流儀を拙く真似た自分に、愛しき人は応えた。
あの場にいた誰もが、アバドンですら気付かなかったであろう真意の欠片‥‥
「僕の言葉、伝わって嬉しいです‥‥リュドミール様‥‥」
そう、心は凍てつき二度と揺るがぬ‥‥あの晩の想いこそが全て。
素直に語ることの許されぬ愛だった。
だからこそ深く繋がっていた、道ならぬ恋人たち。
誰よりも領主たらんとする愛しき人を、自分が一番よく知っていたはずなのに。
それゆえに、愛しき人の言葉から滲む悲しみを恥じた。
身を切るような不安に苛まれた日々、そして彼の想いを疑い──取り返しのつかない過ちを犯したと悟った。
もう二度と、自分が許されることはない。
その自分にできることは、愛しき人の為にできることは、ただ1つ。
「決着をつけましょう、あの場所で‥‥」
伝えた言葉を反芻し口元を綻ばせた。
あの人の手で、忌まわしき自分を終わらせよう。
英雄の称号を、揺るがぬ未来を、彼の手に。
それがテオの、最後の願い‥‥
ただ1つ、彼の心に突き刺さるのは柔らかな金の髪が鮮やかな、友人の言葉。
──戻ってこい、一緒に光を探そうぜ。
それが叶うなら、どんなに素敵な事だろう‥‥
●午睡
「‥‥夢か」
リュドミールは重い瞼を持ち上げた。ぱちぱちと爆ぜる暖炉に視線を転じると、燃えゆく黒いマフラーが見えた。
しかしそれは‥‥幻影だ。ただ一人と決めた恋人が作ったマフラーは、既に灰と化した。愛の証は何もない。
柔らかなベッドから立ち上がると、新しい皮膚が引き攣れた。しかし火傷はアルトゥールの薬で全快といわぬまでも十分に癒え、行動に支障はない。
「許せ‥‥テオ」
呟いたリュドミールはワインを喉に流し込んだ。
惑わせるつもりはなかった。しかし、結ばれることは許されぬこと。
デビルの契約者として去ったテオは、敵として現れるだろう。
恐らく、リュドミールの前に斃れるために。
それが少年の愛情だと知りつつ、避けられぬ未来に瞳を閉じる。
──カァン!!
八つ当たり力一杯投げつけたゴブレットが、硬い音を立てて二つに割れた。
飛び散ったワインは、心から流れる血のように床へと広がっていった‥‥
●出撃
扉を開いたリュドミールが足音も荒く歩むと、身に纏った甲冑が冷たい音を立てた。
食事中だったアルトゥールと客人ペトルーハが何事かと顔を上げた。
「行くわけ?」
短く尋ねた弟を一瞥し、兄はマントを羽織る。
「あの場所とやらに心当たりはあるんだね?」
「無ければ出ぬ」
話すことすら嫌うように短く応えたリュドミールへ、アルトゥールは言葉を重ねる。
「で、僕はまたお供すればいいのかな、兄上殿」
「お前は残れ」
「‥‥は?」
「私とお前が共に死ぬ可能性は減らさねばなるまい。父上とクリスチーヌ様を頼む」
真意を測りかね、アルトゥールは小さく言葉を漏らす。
「危険なら僕が行く、リュドミールが残ればいいさ」
「いや、これは私の仕事だ」
アバドン退治の英雄の栄誉は、自分の為に用意されたもの。
それを得るために危険が伴うのは当然である。
そして、アルトゥールが訪れたとしてもテオが現れない可能性は十分に考慮できる。
「せめて冒険者を、一緒に。勇気と無謀は違う物だよ、兄上」
「久しいな‥‥素直に兄上と呼ばれたのは」
ふっ、と微笑んだリュドミールの表情からは生命を賭す決意が滲み出していた──‥‥
●依頼
冒険者ギルドへ、一台の馬車が横付けされた。
装飾の施された小ぶりの馬車は乗り手が貴族であることを示している。その馬車から現れたのはセベナージ領の領主子息アルトゥール・ラティシェフ。栗色の髪の青年である。
突如現れた自身へ視線が集まるのも厭わず、アルトゥールはカウンターへ向かうと手近なギルド員へ短く告げた。
「急ぎの依頼を頼む。手練れの冒険者を手配してくれ」
「アルトゥール様、どうぞ奥へ」
まず落ち着かせようと、現れた幹部は別室へ貴族を案内する。用意されたハーブティーの香りから効能を察し、ソレほどまでに落ち着きを無くしていたかと苦笑し、依頼人は深く息を吐いた。
「セベナージにアバドンが棲み付いたことは知っているだろう。あれの退治を行うことになった」
「いよいよ、ですか‥‥しかし、それで冒険者を? ラティシェフ家の騎士では駄目なのですか」
もっともすぎる質問にアルトゥールは小さく首を振った。
「詳細を伏せたい事情があるのさ。だから、できれば何度か関わって事情を知っている人を集めてほしい‥‥難しいかもしれないけど」
「そうですか」
事情があるというなら詳しく聞かないのもまたギルドのマナー。事情を知る者を希望するというのもまた、依頼人の要望の1つである。
依頼は至極単純で、難しい。
アバドン退治に力を貸してほしい──ただし、止めはリュドミール・ラティシェフに刺させること。
‥‥ただ、それだけ。
●リプレイ本文
●死出の行軍
往路を急がねばならぬ一行ではあるが、モンスターに対する造詣の深い沖田光から助言を受けることは忘れなかった。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず、と行けばいいのだがな」
呟いた真幌葉京士郎(ea3190)の言葉はどこか自重じみている。聞いた事を後悔するほどに、アバドンの力は絶対的で。変幻自在な七色のブレスは脅威だった。特に問題は、以前にも喰らった熱線のブレス。200メートルもの射程を持つそれをどう防げというのか。
「せめて、封印から解かれていないブレスがあれば良いのですが‥」
大地の夢を継いだスィニエーク・ラウニアー(ea9096)は僅かな希望を口の端に乗せるが、アバドンの振り撒いた災厄を見る限り、最悪の事態を想定すべきにも思えた。
「テオさんを助けたいのは確かなんだけど‥色々と厳しそうね‥」
フィーナ・アクトラス(ea9909)の口からも、らしくない弱音が零れるほど。しかし傍らでその言葉を耳にしたフィニィ・フォルテン(ea9114)の表情からは、諦観は読み取れなかった。見て取れるのは、テオ生還に向けて僅かな可能性も見逃さぬ決意だけ。
しかし、その蜘蛛の糸ほどの可能性も霧どころか闇の中。ミィナ・コヅツミ(ea9128)が調べた範疇では、契約者を失おうともデビルに痛手はない。そもそも契約自体が対象を弄ぶ行為に近く、デビルを討つ以外に解消の手段など聞かぬ事象。アバドンと宝玉の関連を追及できれば光明が見出せたやもしれぬが、蛮族と接する手段はなく、限られた時間では不可能だった。
「ペトルーハさんを襲った事件、今思えばあれだけ妙なんすよね。あの時テオさんは『あの方の心を返して』と言ってやしたっけ」
以心伝助(ea4744)の言葉に同行者たちは聴衆と化す。
「その場に心を盗んだ人がいたのですか?」
訊ねたキリル・ファミーリヤ(eb5612)へ首を振る。あの場にいたのはペトルーハだけ。リュドミールの心が動いていないとすれば、それは何物かに吹き込まれた悪意ある嘘だ。その可能性が最も高いのはペトルーハの素性と影響力を知り、邪魔だと感じる者。そしてアバドンが契約者と接触させる程、デビルと深い繋がりがある者──
「一番可能性が高いのは、多分ラスプーチン。依然として行方知れずの彼っすよ」
誰に聞かせるでもなく──ただ一人に聴かせるために、伝助は口にした。
「彼の手がかりを得る為って大義名分は、テオさんを生かす理由になり得ないでしょうか」
「愚問だ、冒険者。可能性よりも現実が問題なのだ」
頑として揺るがぬ意思に、一行は半ば呆れ半ば憤懣して視線を交わした。
そして問題の場所にたどり着いたのは、夜の帳が近付く、夕刻のことだった。
●先手の襲撃
その地は、セベナージ領の中にある何の変哲も無い森の外れだった。どうして、と目線で訊ねたキリルにリュドミールは口の端を歪めて答えた。
「一度だけ、ここで会った。偶然の産物にすぎぬがな」
「偶然じゃありませんよ、きっと‥」
ミィナは呟いた。人を恋しく想う気持ちは、恐らくこの場の誰よりも解る。リュドミールが偶然と思えども、テオには──
ふるふると首を振る。テオに同情することも必要だが、今は眼前のデビル、なのだ。倒さねば契約は途切れることなく、テオが解放されることはない。
僅かな動きも見逃さぬよう、ミィナは蝶の動きに集中する。リュドミールの予測した──テオと会った日の時間はとうに過ぎた。京士郎の纏ったオーラも消え、時間ばかりが過ぎてゆく。
油が尽き、松明も無くなり、月明かりに居場所を知らしめるような焚火が揺れる。
「‥スクロールは、無理かもしれませんね‥」
スィニーの懐に唯一収められた、万一の場合の命綱となるはずの一枚に暗い影が過ぎる。
読めなかったらどうする?
決まっている、手遅れになるだけだ。
空気が重圧となりかけたその時、伝助の耳が異音を捉えた。
走った視線の先は闇。しかしフィーナが睨めつけると、僅かに浮かぶ小さな影の群れ。ブリッツビートルの群れ、だ。
異常を口にする間もなく、猛スピードで飛来する!
「蝶が動きました!」
「見れば解る!!」
集中していたミィナには見えなかったのだ、飛来した群れがデビルに代わり彼らを取り巻いたのが。石の中の蝶は一定距離内のデビルにしか反応を示さぬ。姿を消しているデビルには特に有効だが、大半は目で見た方が迅速かつ確実である。全てに注意を払うことなど忍びの伝助であろうとも至難の業である。
そして、この一手の遅れは大きかった──
●生命の応酬
心の急いた状況下、クロスの力を借りても女司祭の結界は2度、続けて失敗をした。その隙にデビルは距離を詰め、結界の生成は困難となる。
「お前らに用はないんだ!!」
シュテルケ・フェストゥング(eb4341)の叫びと共に、放たれた衝撃波が眼前のインプを吹き飛ばす!
空いた空間にすかさずリュドミールが身を躍らせ──
「リュドミール様、お待ち下さい!!」
その腕を、無礼を承知でミィナが抱きしめた。結界を生成できなかったのはミィナのミスだ。しかしレジストデビルの付与をせぬまま送り出すわけにはいかぬ。
しかしデビルとてやられるばかりではない。黒く妖しい輝きをひとたび帯びれば二度三度と同じ攻撃は通じぬようになる。
「相変わらず厄介ですね‥」
己の信念を曲げてまで習得したシャドウバインディングでデビルを捉えるフィニィ。夜陰に乗じた襲撃は半分にも満たぬ月の放つほんのりとした光により生じた影を的確に捉えてゆくが、敵の数も多い。かといってスリープで眠らせた所で、怒号と剣戟の飛び交う最中では意味も薄い。
「‥道、こじ開けさせていただきやす」
「はぁッ!!」
「雷よ、貫いて‥」
眇められた眼からいつもの温和な伝助は姿を消していた。怜悧に振るわれる照陽と降雪がインプを刻むが、彼の頬にも更なる傷が描かれる。その隣では気合いを込めてシュテルケが黙々と作業のようにインプを吹き飛ばし、スィニーが放つ雷光の斜線上にはいっそ愉快なほどインプが犇くのだが、エボリューションの無効化は間に合わず、徐々にデビルの波状攻撃が重圧となって圧し掛かる‥‥
「リュドミール様!」
「危ない!!」
背後から仕掛けたデビルへ、キリルとフィーナの得物が唸る。
「すまぬ」
「手を休めないで、来るわよ!」
傷は疲労と共に徐々に冒険者へと蓄積された。手持ちのポーションも尽きた。用意してきた多量のポーションはまだ残るが、戦闘前、とうに手放したバックパックを呑気に紐解く時間など、どこにあろう。
「このままでは埒があかぬか‥仕方ない」
リュドミールをアバドンの元へ誘導するはずだった京士郎が、吼えた!
「燃え上がれ俺の命の炎‥もうこれ以上、人々を傷つけさせはせぬ!」
オーラを纏う。使ったのは極限まで身体能力を引き出す‥‥己の命すら引き換えにしかねぬ魔法。そして、戦局が動いた。
●悪夢の猛攻
押されていた局面、流れを引き寄せた冒険者に気色ばんだのはアバドンである。
カッと開いた口に先ず気付いたのは、フィーナだった。
「来るわよ!!」
全ての盾がアバドンへ向く。と同時に、吐き出された吹雪が冒険者を襲う!
「風よ‥!」
「セーラ様‥」
しかし、盾まで届く前にトルネードが吹き飛ばし、角度を変えて発された突風は一同を吹き飛ばすも、リュドミールと護衛のキリル、ミィナだけはしかと結界が護り遂せた。吹き飛び転倒した冒険者の中で、身軽さゆえに遠くまで飛ばなかった伝助とミミクリーで伸ばせた腕ゆえに耐え切ったフィーナを、巨大な牙が噛みしだく!!
「きゃあああ!」
「ぐ‥かはッ!」
ボキボキと体内で骨の砕ける音がする。舌に広がる甘露に、アバドンが吼えた。
「セーラ、様‥!」
決して小さくない怪我を負ったミィナが、途切れ途切れに詠唱したのはコアギュレイト。
怪我を押し、京士郎とキリルが武器を振るう!
『───!』
何かを叫んだアバドンの口から、フィーナと伝助が零れ落ちる。フィーナは左腕を砕かれ、伝助は牙に腹部を貫かれていた。ミィナが優先したのは、伝助。
「あっし、初めて本気で死にたくないって思いやした」
血と混じった脂汗を拭う。息を吹き返した伝助は不屈の精神で武器を握りなおす。こんなものを、野放しにし続ける訳には──いかない!
「リュミィ、ゴールドさん、雛菊さん‥力を、貸してください」
留守番させた相棒と、そして帰りを待つ友人たちを想い。歌姫は、月に願った。危険を察したアバドンが口を開く!!
「風よ‥」
させじと高速で魔法を紡ぐスィニー、なけなしの魔力を消費して、ぽう、と淡い輝きに包まれた。スクロールを読むより、この場で使うべきだと判断したのだ。吐き出された毒ガスは数名を侵食したが、大部分を巻いた風が絡め取る!
「月夜に落ちる影よ、アバドンを縫いとめて──シャドウバインディング!」
何度目の挑戦だったろう。アバドンが、僅かに視線を動かして、フィニィを睨んだ。
「アバドン様!」
「させないわよ、ノーシュ!!」
詠唱を始めたグリマルキンを、フィーナの投じたクルースニクが貫く! 折れた左腕が悲鳴をあげる。しかし、その一瞬で。アバドンに肉薄した京士郎が渾身の一撃を放った!!
「リュドミール殿、今だ!」
襲い掛かるノーシュを伝助が迎え撃つ!
「フギャアアアア!!」
ノーシュが断末魔の悲鳴を上げたその時、確かにアバドンへ至る道ができ──リュドミールの剣がアバドンを貫いた‥‥
残るは白髪の少年、のみ。
●愛憎の奔流
大地に口付けた巨躯を背にした痩せぎすの少年。その正面で焦げた銀髪が風に靡いていた──。
「テオ。自らの為すべき事、解っていよう」
「‥はい」
「何か言い残すことはあるか」
「いいえ‥リュドミール様の、意のままに‥」
穏やかに微笑むテオの眼窩は相変わらず髪に隠れていたが、失われた視線は最愛の者のそれとしっかり絡み合っていた。
デビルに振るい続けた剣を構え直したリュドミールの体から陽炎の如く殺気が揺らめく。
「‥待てよ」
視界を奪う血をぐいっと拭い、軋む体に鞭打って。シュテルケが、テオを背に庇った。
「何のつもりだ」
「‥いいんです、シュテルケさん。僕の全てはあの人のものですから‥」
「ふざけんな!」
怒りを滲ませて、シュテルケは吼えた。テオ、リュドミール、アバドン、ラスプーチン、そして自分自身への怒り。やり場のなかった全てが、マグマのように噴出していた。
「テオ、やっぱりこんなの変だよ。お前言ったよな、このままなら死んでいるも同然なんだって。言ったよな、あの人のいない世界は闇も同然だって」
「冒険者風情が邪魔をするつもりか、退け!」
声を荒げるリュドミールの目を正面から睨み返しながら、シュテルケは怯まずに言葉を重ねる。
「リュドミールさんだってきっと同じだ。あの人の世界を闇に沈めたいのか? 違うだろ!? 聞かせてくれよ、お前がしたい本当のこと。こうするしかないとかそんなんじゃなくて、お前が本当に望んでることを」
その言葉に激昂するかと思われたリュドミールは意外にも冷静に耳を傾けていた。
「それは‥赦されることでは、ありませんから‥」
「誰が赦さなくても俺が聞く。言えよ、テオ!」
口にすることも赦されなかった言葉。ぽろり、ぽろりと零れる大粒の涙と共に、消え入るような声が‥‥
「叶うことがあるのなら‥生きて、ずっと、お側に‥。それで、愛して‥愛されて‥」
「‥リュドミール様も本心ではテオさんの死を望んではいないのでしょう?」
憎まれ役は任せろと仲間をたおやかな手で制したフィニィが、核心を突いた。
そして厳しい視線をフィニィへと投げたリュドミールは、眉根を寄せながら搾り出すように言った。
「‥テオ、私は──」
そして、彼は駆け出した。
●終焉の激昂
「リュドミールさん!!」
武器ではなく自らの体を盾に投げ出そうとしたフィーナはふらりと地面に崩れた。出血が多すぎたのだ。笑みを凍らせ見開いた瞳に、焔が映る。
「リュ‥‥さま‥?」
刹那、温もりと愛しい者の匂いがテオを包んだ。
そして、それを掻き消すように薫った死臭が、髪の肉の焼ける臭いが、身を苛む劫火が、盲目の彼にも悲しいほど克明に状況を伝えていた。
──愛している‥お前だけを。
身を挺してテオを庇ったリュドミールが、焼かれながら囁いた言葉。
庇われてなお喰らった焔がテオを灼いていた。
それ以上に、後悔が彼自身を灼いた。
「うあああああ!!」
「駄目です、テオさん!!」
翻ったキリルの剣がテオの握ったナイフを弾き飛ばす!
「リュドミール様のご遺志、無駄にはさせません。あの方は、生きていいんだと‥あなたに生きてほしいと、全身で語ったのに!!」
キリルの声が震えていた。ただの刹那かもしれぬが、リュドミールの中で全てを賭した領主の座よりテオへの愛が勝った証拠なのだ。
「光はあるから、絶対あるから、戻ってこい」
「あの人が‥いない、世界でも‥ですか?」
「当たり前だ! そのリュドミールさんがお前を生かしたんだってこと、忘れるなよ?」
「‥はい‥」
髪は縮れ、そばかすなど判別できぬほどの火傷を負っていたが。確かに、テオは頷いた。
そして──守るべき人を取り戻し、感情に引きずられ激昂したキリルが瞳を紅に染めた。
感情を殺した伝助が、悲しみを纏ったスィニー・フィニィ・ミィナが、笑みを奪われたフィーナが。
最後の力を振り絞り、アバドンへ武器を向けた──
その後のことは記すまい。
止めを刺せたのは、やはり、リュドミールの存在があったから、なのだ‥‥
●囚われし采配
「‥‥」
訃報と共に届いた遺体を見、依頼人は瞳を伏せた。蘇生を行うには、時間が経ちすぎていた。
「申し訳ありません、アルトゥール様‥!」
「気に病まなくていいよ、キリル。それが兄上の望みだったんだろう」
「でも‥私たちが‥」
「それに‥」
スィニーが泣きはらした瞳を向ける。
だが、アルトゥールの表情は彼にしては、とても穏やかだった。
「覚悟はしてたんだよ、僕もね。まさか、あのリュドミールが他人を庇って死ぬとは思わなかったけど」
「すみません‥でした‥」
ミィナにより回復魔法を施されたテオが、崩れ落ちた。
「キミには償ってもらうよ」
「アルトゥールさん!」
庇うように進み出たシュテルケを手で制し、アルは語気も厳しくテオに告げた。
「残る生涯を支払うんだ。墓守として、リュドミールの墓に寄り添え」
アルをよく知る冒険者らが目を丸くした。
「テオは死んだ。キミは火傷を負った沢山の領民の一人、だろう?」
ひょいと肩を竦めた彼の言葉に、ほんの少しだけ──救われた気がした。