雛ちゃんと血脈

■ショートシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:5

参加人数:8人

サポート参加人数:2人

冒険期間:05月11日〜05月17日

リプレイ公開日:2008年05月13日

●オープニング

●村人
 その村は決して大きな村ではなかった。
 セベナージ領の一角に位置する、暗黒の国と称される魔の森の外れに位置する村である。
 遅い春を迎え、喜びに沸き立ち、日々を生きているはずのその村には──笑顔などなく、ただひたすら、淀んだ空気に覆われている。
 それらの根源は、一人の女。
(「なんて恐ろしい‥‥」)
(「‥‥神への冒涜‥‥」)
(「‥早く、誰か‥‥」)
(「手遅れになる前に‥‥」)
 淀みの元凶へ注がれる視線は──‥‥昏く病んだ視線。
 不幸の元凶へ注がれる視線は──‥‥生に執着する視線。
 悪夢の元凶へ注がれる視線は──‥‥清く在らんとする視線。
(「殺してしまえ」)
(「殺してしまえ」)
(「殺してしまえ」)
(「殺してしまえ」)
(「殺してしまえ」)
 そして村長は、決断した。

●女
 その村には‥‥お腹の大きな女性がいた。そろそろ臨月を迎えようかという妊婦である。しかし、その割に彼女の腹は大きかった。双子‥‥の可能性は否定できぬが、村人達の畏怖と侮蔑の視線はそれだけでは説明のできぬもの。
「早く会いたいわ‥‥」
 愛しげに腹を撫でる女性の瞳には、ともすれば偏執的なまでの愛情が燃えている。
「お父さんお母さん聞いて、この子がまた蹴ったわ。男の子かしら、きっと元気な子なのね」
 幸せそうに笑む愛娘から、両親は曖昧に笑い視線を逸らした。
 女の人生がそう遠くない未来に幕を引くと‥‥彼等は知っていたから。
(「おかしい‥‥」)
 しかし、両親が自分を見なくなったことには気付いていた。
 だが、今日の異変に気付いたのは運か、母としての本能か、定かではない。
(「‥‥この子を殺す気ね」)
 疎まれ様とも最愛の我が子。
 この想い、母ならば解ってくれると思ったのだが。
 そして彼女も、決断した。
 近い将来生れ落ちようとする、我が子を護るために。

●少女
 闇色の装束を纏った黒髪の少女が羊皮紙に視線を落とした。口元に浮かぶは兄を模したのだろうか、似合わぬ酷薄な笑み。
「簡単な仕事ね」
 たった一人、一般人を殺すだけ。それでも多額の報酬を用意し少女を雇った者達には、失敗できぬ理由があった。
「臨月の女性を殺すなど、神の摂理に反することではありませんか?」
 仕事の仲介をした男性はそう言った。
「相手が誰でも、仕事は仕事なの」
 笑みを消した少女は忍者刀にレミエラを乗せる。レミエラはその特性上隠密行動には不向きであるが、少女の技量で、かつ相手が一般人ならば問題はあるまい。
「まあ‥‥相手も天に弓引く女性のようですけれどね‥‥」
 呟いた男性の言葉など、少女には興味も無かった。

●神父
 神の心を説くべき神父が、タロン神へ、ジーザスへ、祈りを捧げていた。
 否、それは祈りなどではない。
 迷える子羊の嘆きであり、絶望である。
 神の道に叛く行為しか、彼の前には用意されていないのだから。
「これがタロン神の試練なのですか‥‥我々の身には大きすぎる試練です、神よ!」
 導くべき神父の狂乱ぶりに、村人達も道を見失っていた。

 事の発端は不幸な事故。
 森から現れたミノタウロスに、一人の女が陵辱されたのだ。
 冒険者の手によって、後に、このミノタウロスは退治された。

 しかし、運命はそれらを不幸な事故で済ませはしなかった。

 女はミノタウロスの子を身篭った。
 神の祝福を受けぬオーガ族、ミノタウロス。
 その子供は、母体の腹を食い破り産まれるという。

 ‥‥迷う間に女の腹はみるみる膨らみ、臨月を間近に控える事態に陥った。

 このままでは女は死に、ミノタウロスが生れ落ちる。
 ミノタウロスを殺せば、母体も死ぬ可能性は高い。
 決断を下すには、神父は清廉すぎた。

「タロン様‥‥貴方はどうして我々をお導きくださらないのですか‥‥」
 身を切るように搾り出した掠れ声が、幾重にも、聖堂に、響いた。

●手紙
 冒険者ギルドへ舞い込んだのは一通の手紙。
 依頼料は後払いというその手紙では、依頼としては成立しない。
 しかし、その手紙を目にしたドワーフのギルド員は胸がざわつくのを止められず‥‥ギルドに訪れていた冒険者に声を掛けた。
「これはギルドを介した依頼ではないから、受けずとも構わん」
 そして、自慢の三つ編みヒゲを撫でながら話し辛そうに小さく咳払いをした。
「後払いという報酬も、仲介料なしで受け取って構わん」
 そして再び、自慢の三つ編みヒゲを撫でながら話し辛そうに小さく咳払いをした。
 ‥‥たっぷりと時間を置いて小さく紡がれた言葉は必要最低限。それよりも、提示された羊皮紙の方が強烈だった。
「運んできたシフール飛脚を捕まえて、差出人は確認してある」
 そうして広げられた羊皮紙には。

『お腹の子が殺される。助けて』

 ただそれだけが、どす黒い血のように黒いインクで書き殴られていた。

●今回の参加者

 ea0547 野村 小鳥(27歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea3665 青 龍華(30歳・♀・武道家・人間・華仙教大国)
 ea3947 双海 一刃(30歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea5766 ローサ・アルヴィート(27歳・♀・レンジャー・エルフ・イスパニア王国)
 ea8539 セフィナ・プランティエ(27歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea9114 フィニィ・フォルテン(23歳・♀・バード・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9342 ユキ・ヤツシロ(16歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb1052 宮崎 桜花(25歳・♀・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

シャリン・シャラン(eb3232)/ キリル・ファミーリヤ(eb5612

●リプレイ本文

●視界
 少女の視界が赤く染まる。闇を纏いし少女もまた、赤い紗に覆われていく。
(「一人はイヤ、嫌なの‥‥」)
 瞳をも赤く染める沸き立つ衝動、しかしそれが口を突いて零れることはない。
「ユキさん!」
 鮮血を吹き上げながらぐらりと傾いだユキ・ヤツシロ(ea9342)の身体を、野村小鳥(ea0547)が抱き止めた。身を躍らせた少女の身体は至近距離から喉元を鋭く横薙ぎにされて。
「こんな‥‥こんなのってあんまりです‥‥!」
 怒りと悲しみに蹂躙され、歌姫フィニィ・フォルテン(ea9114)もまた運命と神への呪詛を歌う。
 返り血を浴びて紅に染まる幼き身体。
 その瞳は一片の情も浮かばない──忍びの瞳だった。

●教会
 時は少々遡る。少しでも冷静な者から正確な話を、と教会を訪れた者たちの判断はある意味では間違い、ある意味では正しかった。重圧からであろう、破綻の気配を滲ませる司祭。その心を魔法で半ば強引に癒し聞き出した話は‥‥確かに村で一番正確な話だったに違いない。
「タロン神の試練などではない、彼女こそ悪魔に違いありません‥‥!」
 ユキとセフィナ・プランティエ(ea8539)は顔を見合わせた。
(「お腹の子が忌み嫌われたのは、そういう理由だったのですね‥‥」)
 ロシアは混血が忌み嫌われる国ではない、つまり何らかの理由があるはず──柔軟かつ慎重な思考で教会を訪れたセフィナだが、救いに来た女性の胎児がミノタウロスだなどという荒唐無稽な話を予想などする由も無い。それでも忌み子を産み落とそうというのなら、悪魔と謗られることも止められぬ。
(「自分を穢し人を喰らう魔物の子‥‥それでもと望むのは母性なのでしょうか‥‥」)
 外套に身を包み印象に残らぬよう第三者を装っていた双海一刃(ea3947)の耳に入らぬよう語られた話だが、鋭い聴覚はその会話を拾っていて。そして冷静に‥‥自身の対応を決断した。
 ──依頼は受けぬ。ミノタウロスは生まれるべきではない、と。
 そして彼等が持ち帰った話は──当然ながら、仲間達に驚愕と衝撃を与えた。

●依頼
「まさか胸騒ぎが的中するとか思わなかった‥‥」
 あまりに物騒すぎる手紙に血相を変えて急行したローサ・アルヴィート(ea5766)は、手紙を見たときから胸騒ぎを感じていた。それは森に生きる彼女の魔物に対する野性的な勘だったのだろうか。
「あまりに惨すぎる人生よ、こんなの」
 補助的な道案内に徹し、受けるつもりはなかった依頼だった。けれど‥‥凛とした瞳は、現実から逸らすことなどできはしないのだ。
 一刃を除いた皆も、それぞれ思惑は違えども同じ選択をしていた。
「冒険者は正義の味方でいきましょう」
 にっこり笑った宮崎桜花(eb1052)ほど楽観的にはなれず、友人のフィニィは曖昧な返事でお茶を濁す。
 オーガ種は神に祝福されぬ存在。生物であるとはいえ、誕生に手を貸す行為は‥‥人並みの信仰心であっても悪魔に与するのと同義だということは理解できる。そして恐らくそれは、仏教徒である桜花には理解し難い感覚なのだろう。
 溜息を飲み込み転じた視線の先では、大きな腹をさすりながら女性が初めて得た味方に目を細めていた。しっかりと手を握るのは青龍華(ea3665)。
「安心して。依頼は受ける。お腹の子は絶対に守るわ‥‥」
 そっと垂らしたダウジングペンデュラムで最悪の事態を予想をしていた分‥‥彼女は仲間達より冷静で誠実な判断を下していた。

●移動
 散々悩みぬいた挙句、子供でなく女性を守るために依頼を受けた小鳥。
 暖かく栄養たっぷりのシチューを作るべく、鍋をぐるぐるとかき回す。
「それにしても、依頼を受けても受けなくてもあの女性の方の命はぁ‥‥。治療がうまくいけばいいんですがぁ‥‥」
 ともすれば何度でも回ってしまう悩み。おっとりとした口調ゆえに深刻さを欠いて聞こえるが、本人は至って真面目だ。良い匂いが漂っていても、大真面目。
「こ、小鳥ちゃんっ」
 慌てて口を塞ぐローサに、依頼人は穏やかな笑みを向けた。
「知っています。この子は私の命を糧に生まれてくる‥‥身篭ったのが神の定めた運命なら、母としてそれを受け入れるべきでしょう」
 そっと腹を撫でる依頼人に、ローサと小鳥は押し黙る。味方を得て、依頼人の心は落ち着いている。本人は至って本気で、真剣にそう思っているのだ。
「神に祝福されないとしても、ですか‥‥?」
 フィニィの言葉は迫害されていた己の過去を受けてのものだった。それを知ってか、依頼人は歌姫の手を両手で包んで、頷いた。
「もちろんです。この身体で育くむ命‥‥どうして愛さずにいられますか?」
 母性愛に満ちた依頼人。生まれてくるのが人間だったら、ハーフエルフだったら、どれだけ良い母になれたことだろう。
(「これが、タロン神の試練‥‥」)
 正直、ローサはぞっとした。これが試練なら、神と悪魔は何が違うのだろう。これが自分だったら? ミノタウロスの子を孕み、心は想い人の元。命を狙われ、理性と狂気の狭間で食い破られる日を待つか? 神の道に叛き、自ら命を絶つか?
「──さん、ローサさん。大丈夫ですか?」
 不安げに揺れるセフィナの瞳が目の前にあった。背筋を冷たい汗が流れていく。
「う、うん。だいじょーぶっ!」
 柔らかな赤毛の友人をぎゅっと抱きしめ、揺れる心を落ち着けた。
 どんなに悩もうとも、生れ落ちる子を生き長らえさせる訳にはいかないのだ‥‥

●某所
 それに気付いたのは仲間から離れて護衛をしていた一刃のみ。それでも、彼の並外れた洞察力があり、相手にレミエラの光点という落ち度がなければ気付かなかっただろう。警戒して近付く一刃に気付き、足を止めたのは──赤毛の少女。だが、一刃を知る瞳は、躊躇いの無い瞳は、同業者のもの。
「彼女を狙っているのは雛だったのか」
「‥‥うん、お仕事なの」
 確信めいた言葉に赤毛の少女は躊躇わず頷いた。
「俺は邪魔をするつもりはない。だが彼女には頼もしすぎる護衛がいるぞ?」
「知ってる」
 護衛が誰かは、既に目にしていた。だが仕事に私情を挟むようでは忍者稼業は成り立たぬ。
(「迷いを棄てたか‥‥」)
 幼さ故に弱い心が弱点だった少女に、揺るぎはなくなった。しかし、何か張り詰めたものを感じて──思わず訊ねていた。
「どうした?」
「‥‥あたしの母様はどんな人だったのかな、って。雛、兄様に拾われたから」
「恋しいか?」
「兄様のことなら。雛、兄様の道具になるために頑張ってきたんだも」
 はにかんだ笑みを浮かべた少女は亡兄に心酔しているようだった。
(「道具、か」)
 その姿勢は忍びとしては共感できた。一刃は使い手たる少女の兄を知らぬが、些細なことにも騙されるこの少女を兄が導いていたのだろうと、そう推測した。
 しかし‥‥足元にぽっかりと大きな穴があいているような錯覚に囚われるのは、何故なのだろうか──‥‥

●襲撃
 予想された襲撃があったのは、その翌日。まだ日も高い頃合だった。
 木陰から飛来した衝撃波が、殿(しんがり)を歩く桜花に襲い掛かった!!
「きゃああ!」
「引かないなら容赦はしないわよ!」
 姿の見えぬ襲撃者を一喝し、龍華は何度めかの詠唱を行った。ほんのりと桃色の光が発される。
「桜花様‥‥傷を」
 流血から目を逸らしながら、ユキは友の傷を癒す。
「フィニィさん、ムーンフィールドを!」
「駄目です‥‥できません」
 セフィナの言葉に首を振るフィニィ。レミエラの魔力でムーンフィールドの効果が強まっているのだから、理由は昼日中だからではない。襲撃に確実に耐え得ると彼女が考えるのは達人級の結界には解除の手段がないことが原因だった。いつ『出産』が始まるか解らない状況下では解除の手段の無い結界など恐ろしくて使えない。
「‥‥セーラ様、お守りくださいませ‥‥!」
 ならばとセフィナがセーラに祈りを捧げた聖なる結界は、しかし次の衝撃波であえなく粉砕された。
「そこですねぇっ!」
 小鳥のオーラショットが木々を揺らす。その隙に結界が張りなおされ。スリープを警戒し姿を隠していた襲撃者も遠距離では埒があかぬと姿を現した。
 ──現れたのは赤毛の少女。手にした日本刀にはレミエラが融合し、一閃すれば衝撃波が結界を破壊する‥‥!
「雛だ」
 反撃に転じようという仲間へ、一刃が短く告げた。知ってどうなる物ではないが、知らずにいれば後悔する者もいよう。
「命を狙っていたのは雛ちゃんだったんですねぇ‥‥。でもっ! だからといって殺させるわけにはいかないのですぅっ」
 立ちはだかる小鳥に狙いを定め、日本刀も仮初めの姿も棄てた雛菊は忍者刀を手に懐へと距離を詰める!
「ダメっ! 雛ちゃんこんなのダメですのっ」
 大切な友が人の命を奪う──耐えられず飛び出したユキは無防備すぎて。駆け込んだ雛菊が躊躇い無き兇刃が襲い掛かる。
 至近距離から急所を狙い、鋭く薙ぐ刀はたった一振りでユキを死の縁へと追い遣った。
「ユキさん!」
「ひ‥‥ちゃ‥」
 ごぽり。
 喉から噴出す鮮血は口からも溢れ、黒髪の暗殺者を、抱き止めた小鳥を、緋に染める。

●生死
「ここまでとは‥‥」
 龍華の攻撃のほぼ半数を避け、攻撃は全て的確に当てる。肉弾戦には強い龍華だが、命を奪う覚悟の有無が如実に現れていた。龍華とて、その懐に入られれば急所を一閃されてユキと同じ目に遭うだけだろう。一刃はそう冷静に、雛菊を分析していた。
「雛ちゃんといえども許せません!」
 認め信じるのが友か、止めるのが友か。対立する依頼というのを差し引いて、桜花が選んだのは後者。
「‥‥傷つけあうだけだぞ、桜花」
 一見互角の戦いだが、桜花得意のフェイントは雛には効くまい。逆に雛が懐に入れば受けるのは致命傷。
「ユキさん、ユキさん‥‥!」
 ウロボロスのメダルを胸に置き、懸命に祈りを捧げるセフィナ。一命を取り留めても狂化は免れまいが、死なせる訳にはいかない。呪詛を歌うフィニィを救うのもその後──‥‥!

 その時。戦況が一変した。

「う、うう‥‥あああああ!!!」
 突如響き渡る、依頼人の悲鳴!!
 過度の運動と村を出るストレス、そして戦闘の異常な興奮。通常の妊婦であっても刺激は大きすぎる。だが、響いた声は産気付いたそれではなく。戦闘で興奮した胎児が腹を食い破らんとする激痛によるものだった。
「どいて!!」
 戦闘を仲間へ預け、龍華は剣を正眼に構えた。そして依頼人をみつめると、短く言い放つ。
「信じて」
「‥‥ええ」
 依頼人を看取る覚悟を決めていた龍華へ、依頼人は信を寄せていて。故に、全てを託した。
「う、ぐ‥‥あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
 食い破ろうとする腹を割き、幼きミノタウロスを引きずり出す!!
「セーラ様‥‥どうか迷いし子らへ慈悲の癒しを‥‥」
 崩れ落ちたウロボロスのメダルを棄てステラの宝玉を掲げたセフィナは、深く祈りをささげる。冠婚葬祭──それは人生を示す言葉。祈りは深く、遠く、癒しを求めセーラの元へと昇り──
 祈りに耳を傾けず、依頼人のためにスクロールを引き出そうとしたローサの薔薇の瞳が煌いた。
「あたしのお仕事だから」
「ごめんね、でもあたしも仕事なの!」
 滑り込んだ雛菊が開かれた腹部へ刀を振るうのと、真鉄の鏃が雛菊の小さな身体に突き立つのは、ほぼ同時だった。
 感情を映さぬ眼でローサを一瞥し、矢を叩き折った。悲鳴も上げぬ雛菊は、桜花の知る少女とはまるで別人。
 これが雛菊のもうひとつの姿──闇色の装束を纏いし死神たち。

●別離
 ローサの鏃は雛菊の足を確かに止めた。しかし──キリルの耳にした小さな噂こそが真実だった。
 『闇色の装束を纏いし死神たち』‥‥つまり、死神は一人ではない。雛菊に気をとられている間に、鉄色の手裏剣が数本、腹部に突き立っていた。
「なんてことを‥‥なんてことをするんですかぁっ!!」
 流れていく生命を繋ぎとめようと、小鳥はその両手で傷口を押さえる。両の眼から拭えぬ涙が真珠のようにぽろぽろと毀れる。
 雛菊はそんな友の涙に見向きもせず、おそらく仲間が待つのであろう方へ足を向ける。
(「これが本当の雛ちゃん?」)
「違う、こんなの違いますぅ‥‥こんなの、絶対、絶対に違いますぅっ!!」
 ぼろぼろと涙を流す小鳥の声は、フィニィに届いて。
 声を枯らし静かな瞳を取り戻した歌姫は、悲しげな眼差しで友を見た。
「どうして雛菊さんが手を汚さなければいけないのですか‥‥? ただの女の子では駄目なのでしょうか‥‥」
「雛は‥‥あたしはそうして生きてきたの。兄様のために」
 振り返った雛菊の瞳は冷たく──闇色の装束の人物が雛菊の左右に控えた。
「忍びは主の理想を叶える者‥‥だと思っていました。雛ちゃん、教えて。目標ではなく。雛ちゃんの、理想を」
 非難などではない、祈りにもにた切ない願い。
 温もりをくれた友、共に星空を愛でた姉。ただ無償の愛をくれた姉の切なる言葉に‥‥一瞬の逡巡の後、少女は短く答えた。
「‥‥今はあたしがあたしの主。兄様の志を継ぐために生きるの。いつか地獄で褒めてもらう時のために」
 自身の命より兄を重んじ、兄のために生き、兄のために忍びとなり、兄のために技を磨いき、兄のために人を殺め、兄のために月道を渡った。冷たい眼差しの兄が気紛れに見せる優しさが全てだった。
 話しすぎたとばかりに踵(きびす)を返した少女と二人の死神。
 残されたのはミノタウロスの赤ん坊と依頼人の遺体。そして、胸に風穴のあいた冒険者たちだった──‥‥

●埋葬
 依頼人の遺体と赤子の遺体。双方を見て初めて、村人たちの目に同情の色が生まれた。
「彼女も被害者だったのにな」
 その言葉も、安全になったからこそのもので──誰からともなく、墓から視線をそむけた。
「何の咎が無くても、災いは降るもの。‥‥お恨みなさいますな。憐れみなさいませ。彼女の身上を。貴方がたのお心を」
 ミノタウロスの誕生に手を貸し、命を摘み取ってなお凛と立つ白の聖女の言葉に、司祭は頭を垂れた。
「むー‥‥やっぱりあまり後味はよくないですねぇ‥‥」
「彼女の心くらいは助けられていればいいけど‥‥」
 フィニィの葬送曲が会場に溢れ行く。小鳥の言葉に、依頼人の一番近くにいた龍華は、森で摘んだ花を手向け溜息を零した。できることは全てやった、運が無かっただけだとも思う。けれど運の代償は命だった。
 涙を堪え祈りを捧げるユキ、その細い肩を抱くローサ、二人もまた胸に傷を負った。
(「ああ、もやもやしていたのは‥‥生まれた子のことを考えていないように思えたからか」)
 発端への同情しかできぬ一刃は離れた場所から仲間を見守る。依頼人の貯蓄の他に、村長と司祭から鎧と法衣の寄付を受けた。過ぎた報酬に恐縮した一刃だが、心を占めるは妹分の存在だった。
「雛の人生は兄の人生ではないんだぞ」
 伝えられなかった言葉は、青く広がる空へと溶けて、消えた。