忌まわしき血の呪い
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■ショートシナリオ
担当:やなぎきいち
対応レベル:1〜5lv
難易度:やや難
成功報酬:1 G 75 C
参加人数:10人
サポート参加人数:2人
冒険期間:03月06日〜03月14日
リプレイ公開日:2005年03月15日
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●オープニング
●シュティール領、その外れの村。
広大な森を抱くシュティール領‥‥その外れの村にジャイアントラットが大量発生した。
あちらこちらが糞尿で汚染され、畑は食い荒らされ、食糧を備蓄している倉庫も毎日のように襲撃を受ける。
困り果てた村人はパリのギルドに依頼し、ギルドから数人の冒険者が派遣された。
一見うららかな午後の日差しのもと、最後の一匹までも退治しなければならないジャイアントラットを求め、冒険者たちは散り散りに駆けていた。
「ねえねえ、お姉ちゃんもおじちゃんも『ぼうけんしゃ』なの? つよい?」
村の子供たちは、初めて見る冒険者や人間以外の存在に興奮気味で、鼠退治に借り出されていない村人──子守担当の老人たちは、ともすれば冒険者を追いかけて駆け出す子供たちを引き止めるだけで精一杯だ。
「ナスカおねえちゃん、あっちにも鼠がいるの。やっつけて!!」
「早く早く〜っ」
「わかったわ、あっちね!」
ハーフエルフの少女ナスカも、この依頼を受けた内の1人だった。
ダガーを構え、猫の屍骸を食い漁るジャイアントラットへ斬りかかる!!
『『ギィィッ!!』』
「うわっ!!」
ざっくりと腹を斬られ逃げ出す鼠、動脈を斬られ血を噴出す鼠──噴出した血に驚いて思わず身をよじり、それでも避けられずに、小柄な身体に血を浴びるナスカ。
「うわぁ、やっちゃ───‥‥」
「ナスカおねえちゃん?」
動きを止めるナスカに、どうしたのかと顔を覗き込む村の幼い少女。
次の瞬間、幼い少女の顔が驚愕に見開かれた。
「ナスカ、おね、ちゃ‥‥」
鼠を切り裂いたダガーが、幼い少女の胸に埋まり──背中から頭を出していた。
「なあに?」
にっこり笑う。
ダガーを抜く。
噴き出した湯気の立つ血を浴び、血の色に染まった瞳を嬉しそうに揺らめかせた。
「──楽しいね♪」
──ズブ、ズズズ‥‥
──ずる、ずる‥‥ぼた。
ダガーを腹に刺し、右へと切り裂く。命を維持していた臓物が、支えを失い零れ落ちる。
「あれえ、動かなくなっちゃったねー。‥‥動くの、探さなくちゃ」
転じた目に飛び込んできたのは、恐怖と驚愕に硬直している老人。
「あの子の代わりに、遊んであげるね」
楽しそうに投げたダガーは、老人の右目に吸い込まれる。
「ぎゃあああああああ!!!」
「えへへ、おじいさん、まだまだ元気なのね」
激痛にのた打ち回る老人の頭を踏み、固定し、刺さったダガーをゆっくり、ゆっくり、じわじわと頭蓋に埋め込んでゆく。
「あ、あ‥‥ぐ、ああああっっ!!!」
迫り来る絶命の瞬間、逃れられないそれに全身を絶望の色に染める老人。
彼が動かなくなることを確認して、次なる獲物を探すナスカ。
「皆さん、家に隠れてください!! 出てこないで!」
冒険者は村人を家に閉じ込めると、片や村長と共に冒険者ギルドへ報告と新たな依頼のために走り、片や長老と共に領主ヴィルヘルム・シュティールへハーフエルフ処刑の許可を求め、指示を仰ぎに走った。
●ヴィルヘルム・シュティールの屋敷
その日、病弱な領主にしては珍しく体調も良く、すこぶる機嫌も良かったヴィルヘルムの元へと飛び込んできた連絡は、彼の意識を遠退かせるには充分な衝撃を伴っていた。
「冒険者として訪れたハーフエルフの少女が狂化し‥‥村人を次々に殺害しているのです! もう、子供が2人に老人が1人、更に3人の男女が怪我を負わされ──妊娠中だった女性は、腹を裂かれて胎児を引きずり出され、重体です‥‥」
「‥‥‥」
ヴィルヘルムは遠退きそうな意識を自らの意思で繋ぎ止め、細君の差し出した温かなミルクで口内を湿らせた。そして村長や冒険者へ、続きを話すよう促した。
彼は、ハーフエルフに極度の偏見を抱いているわけではない。むしろ、往々にして人間より優れた能力を持ち合わせているハーフエルフに好感を抱くことすらあった。
知識や知恵を重んじ、学者や研究者、学ぼうとする者たちへの積極的な支援を好むヴィルヘルムは、領内に存在するハーフエルフの互助組織をも黙認し、学ぶ姿勢があるのならばハーフエルフといえども支援をする、貴族仲間からは奇異の目で見られがちな人間である。
しかし、だからこそ公平であるともいえた。温情に厚い領主であり、領民からも慕われている彼であるが──いや、そんなヴィルヘルムだからこそ、この事態を黙認することはできなかったのかもしれない。
「狂化するのは彼らの呪われし運命。甘んじて受け入れてやりたいが──残虐な快楽、快楽殺人となり被害が善良な領民へ及ぶのであれば、目を瞑ることは出来ない」
不治の病を患う病弱な領主とはとても思えない、凛とした眼差しで、ヴィルヘルムは言った。
「同情すべき点はあるが、罪は罪。次が無いと言えぬ、いや同じことが繰り返されるのが分かっている以上、そのハーフエルフ‥‥ナスカ・グランテを生かしておくわけにはいかない」
「しかしどのように捕らえ、どのように処刑なさるのです。わたくしの旦那様は、何か、良い考えをお持ちなのですか」
若く穏やかな細君は、ヴィルヘルムの良き片腕。言い出すことの見当はついていても、夫を立てることを忘れない妻は、静かに言葉を促した。
「そのようなハーフエルフを把握せず、冒険者として派遣してきたギルドへ挽回の機会を与えよう。少女も、ただ処刑されるよりは仲間の手に掛かった方が幸せかも知れぬ」
息を吐いて、ソファに身を沈める領主。
「すまない、少々疲れたようだ‥‥ナスカ・グランテの処刑許可については、シフール飛脚にてギルドへ連絡しておこう」
こうして、ギルドへと張り出された依頼は──ハーフエルフのナスカ・グランテを捕らえるものから、呪われし娘ナスカ・グランテを処刑するものへと書き換えられた。
●惨劇を迎えていた村──同時刻。
食用として捕らえられていたウサギを見つけ出し、皮を剥いで生き血を浴びていたナスカは、退屈そうにグロテスクなウサギを投げ出した。
「ウサギも家畜も飽きちゃった〜‥‥」
「ひっ!!」
投げ出したウサギは樽の後ろへと飛び、隠れていた少年は思わず引きつった声を漏らした。新しい玩具を見つけたナスカは血まみれの純粋な微笑みを少年へ向けた。
「あ、見ぃつけた♪」
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!!』
絹を裂く、などという生易しいものではなく、本能のままに腹の底から溢れ出す野生の、動物としての根本的な叫び声。
外見だけはナスカと同年代の少年は、意識せずに溢れた声を聞き、ハーフエルフの少女が鼻歌混じりに自分の喉へナイフを突きつけたのを見た。
そして彼の世界はひどく唐突に暗転し、終焉を迎えた──少年の知らぬ間に。
『守り神』ジャイアントスパイダの生贄という運命を逃れた少女は、その身に流れる呪われた血により、自らの人生に終止符を招く──‥‥
──あたしを殺して!!
そう叫んだのは、過去の姿か現在の姿か。
横たわる少年の躯は、それを知ることはない。
●リプレイ本文
●紅に染まる村
「‥‥こんな殺戮を起こさない状態だったら命を救えたのかな‥‥」
村が見えてくると、レオニス・ティール(ea9655)が堪えきれぬ想いを漏らすように呟いた。最後まで見届けるために参加したものの、僅かなりとも心が揺れるのは素直なナスカを知っているから。
「たら、れば、は禁止だ。起きたことも、しなければならないことも変わらんぞ」
その言葉を聞き咎めた王 娘(ea8989)がいつも以上に冷たく言い放った。目深に被ったフードの陰でその表情は窺い知ることは出来ないが、自身も狂化の可能性を秘めたハーフエルフ‥‥心境は複雑なようだった。
同じ血を持つトゥルム・ラストロース(ea8951)とティファ・フィリス(eb0265)も、期せずして同時に小さく溜息を漏らした。
(「初対面の同種の命を奪うのは寝覚めが悪そうですけどね‥‥」)
(「助けたいけど‥‥何も、思いつかない‥‥ハーフエルフじゃなくて、人間に生まれてたら‥‥こんなこと、なかったのかな‥‥」)
「言っちゃ悪いかもしれないけど‥‥面識が無いから今回の標的であるハーフエルフって俺にとっちゃその辺の犯罪者と変わりゃしないんだよな。まあ、面識あっても大して変わりゃしないだろうけど」
歯に衣着せぬ物言いはヴィゼル・カノス(eb1026)だ。確かに、何事に対しても真剣なヴィゼルならば、依頼となればスパッと割り切って考えることができるだろう。そんなヴィゼルに同意したのは本多 風露(ea8650)だ。深く溜息をついて、思っていた言葉を口にする。
「ええ、処罰が死と決まったからには必殺の一撃をもって斬るのみです。同じ仲間の冒険者を斬る事は気分の良いことではありませんが‥‥」
連鎖的に、あちこちから溜息が漏れてくる。面識の有無はともかく、肩を並べる冒険者同士、気分良く手にかけられるわけがない。
中でも、鷹杜 紗綾(eb0660)の溜息は深く長いものだった。
『もし今回狂化しても、それはきっと今後の冒険生活でどう対処していくかのいい経験になると思うよ♪』
少女を想って、少女の為に言った言葉‥‥浅慮だったのではないかと、何度悔いたことだろう。狂化を解いて謝罪をしたかったが‥‥その余裕もなさそうで、そのことがまた紗綾の心に重く圧し掛かっていた。
「でも、まずはナスカを探さないとね」
軽く頭を振って、重くなった空気を払拭するようにわざと明るく言い放った。
「村に入るのか? ならば、少し待ってくれ。驢馬の娘をこの辺りで待機させねばならんのだ」
「驢馬の娘?」
ウインディア・ジグヴァント(ea4621)の零した言葉に、ルーク・フォンセイン(ea3934)は首を傾げる。
「村に連れて行ってはナスカの凶刃にかかる恐れがあるだろう? 運命の偶然から手元に流れてきたとはいえ、むざむざと殺されるのは見るに忍びん」
「優しいのですね」
トゥルムが、殺伐とした雰囲気の中に暖かなものを見出して、穏やかに微笑んだ。
「未だ名前の決まらぬ驢馬の娘よ‥‥いつも世話をかけているのにすまぬが、ここで待っていてくれ、おまえの為にも」
「‥‥牝なのか」
真面目な表情で驢馬(の娘)へ語りかけるエルフの様子に苦笑しながらも、ルークもこのひとときだけ、穏やかな気分に包まれたのだった。
──その陰で、いつも聖女のような微笑みを絶やさなかったパーナ・リシア(ea1770)は‥‥笑顔も消えた、どこかぼうっとした表情で、ナイフを握りしめていた。
「‥‥‥」
やがて、心を決め‥‥そのナイフを懐に忍ばせた。
●領主夫人、フィリーネ・シュティール
「‥‥遠いところを、ご苦労様でした。夫ヴィルヘルムに代わり感謝とお礼を申し上げますわ」
村の外で一行を待っていたのは、駆けつけた領主夫人のフィリーネと村長だった。
「問題ない、仕事だから」
「こんな時に尋ねるのも酷かと思いますが‥‥ハーフエルフの皆さんにお聞きしたいのです。もし皆様が狂化し、人を殺めたとしたら‥‥どうしたいか、と」
「排除されるべき‥‥だな。自らの害になる者を排除しようとするのは自然の事だ。私は常にそれを実行している‥‥表でも‥‥裏の仕事でもな。それに‥‥私は復讐の為に未来を捨てた。だから、覚悟はできている」
娘は、いつもの通り‥‥淡々とした口調でフィリーネに言った。その視線には迷いがない。
「私が狂化して罪を犯したら‥‥責任や償いは、出来る物なら取ったりしたりしたい。幾ら操り人形の様になっていても記憶には残っているんですもの」
逆に、トゥルムは寂しげな表情でちいさな声で答えた。
「‥‥気を付けていたのに被害に遭わせてしまった方には、謝っても謝り切れないです。でも、それをする事自体が相手の負担になるのでは‥‥やりたくても出来ません‥‥よね‥」
「私は──どんなに辛くても‥‥死に逃げないで‥‥自分に納得のいくまで罪を償いたい‥‥。例えそれに終わりがなくても‥‥それが罪を犯した者のケジメだと思うから‥‥」
緊張に身を硬くしながら、ティファも質問に答える。一度悲しげに視線を伏せて、フィリーネが再び口を開く。
「お話が聞けて参考になりましたわ、ありがとうございます」
「何故、そのような話を?」
真剣であることが分かり、トゥルムが領主夫人尋ねた。隠すようなことでもないらしく、夫人は理由を聞かせる。
「わたくしどもの領内では、学ぼうとする方へ様々な援助をしております‥‥例えハーフエルフであっても。しかし、援助をする以上、対象のハーフエルフの行動には責任をとらねばなりません──今回の冒険者ギルドのように」
援助をするということは、相手を知るということ。そして、よく知った相手であればあるほど、冷静な判断は痛みを伴う。
ハーフエルフが狂化するということは、一般に知られていることであるが‥‥ハーフエルフに対する迫害は、噂が一人歩きしているという側面も大きく、実際に狂化したハーフエルフを見たという人物は少ない。
痛みを伴う質問であることは理解したうえで、フィリーネは他の冒険者たちにも尋ねた──友が狂化し、殺人を犯したならば‥‥どうするか、と。
「仲間が狂化したとて同じこと。一人の殺人であれば正当な裁判を受けさせる。狂化を止めることが無理ならば苦しまないよう必殺の一撃をもって斬り捨てるのみです」
それが仲間として、友人として、冒険者として、恐らく最善なのだと風露は自分の決意を聞かせた。ヴィゼルも、その通りだと頷く。
「俺も、やっぱ、それ相応の処罰を受けさせるな。結果が結果なんだし」
「自分が仲間としてその場にいたなら、狂化の事を知りつつ止められなかった事も罪だろう。仲間を殺して自分は助かる‥‥なんてのは御免だな。狂化を解き、そいつの意思を聞こう。生き延びたいなら協力するし、償うというなら私も共に償う」
友という肩書きを重く見るのはルークだ。狂化を止められなかった者も同罪だと、俯いた。
「‥‥今回と一緒だよ。止めて‥‥すべき断罪をする。仲間だからこそ自分の手で、と思うのは‥‥エゴだろうか」
今回、一番長く、深く、ナスカと関わってきたレオニスは、どんな想いを抱いて来たのかを口にした。
「だけど、せめて‥‥遺族は納得しないと思うけれど、たくさんある償い方の中で加害者となった仲間が少しでも苦しまない方法を選びたい」
「この身が冒険者に非ずとて、我々――ロシアに生まれる者にとって‥‥それは、遠い問題ではないのだ。‥‥我が身の隣に立つものが狂気に憑かれたのならば‥‥身をもってしても止めるだろう」
ウインディアが人間との間に子を成せば、それはハーフエルフ。ロシアに生まれるものとして、有り得ない未来図ではなく‥‥故に、日々直面してきた問題でもあった──そして恐らくは、これからも直面していくであろう問題だ。
「友として、責任をもって全力で止めるよ。罪を犯したら償わなければいけない。性別とか年齢とか種族とか狂化とかは関係ないと思う」
その償いとして下された裁定が死であれば自分の手で楽にさせてやりたい──それが、紗綾の出した答えだ。
「罪は‥‥罪ですから。それは償わなければなりません。種族だとか立場だとか仲間だとか、そういったことに関わらず‥‥何人たりとも。普通に暮らす人々を手に書けたこと、それこそが罪なのです」
罪は罪、裁かなければならないのなら裁きましょう──最後に、静かに答えたのはパーナだった。
そして、全員の回答に頷き、フィリーネはお願いします、と改めて頭を下げた。
「信用できそうな方々で安心いたしました。改めてお願いします、凶行を止め、ナスカ・グランテに贖罪と平穏を‥‥」
言われるまでもない、ヴィゼルは頷き、村へと踏み込んだ。
●血に濡れしハーフエルフ、ナスカ・グランテ
村に入ると、ナスカに気付かれるように、できるだけ賑やかに行動した。そして目的は、苦もなく問題もなく達せられる。
少女の接近に気付いたのは殺気を感じて視線を転じたヴィゼルだった。ヴィゼルの視線を追ったトゥルムは、こちらへ向かって駆け出した少女の足を狙い、ナイフを投じる!! 太腿を服ごと抉るように切り裂いて、鋭く地面へと突き刺さる!
「えへへ、皆遊んでくれるの? じゃあ、痛いけどがまんするねっ」
にっこりと微笑むナスカ、ナイフを一投!!
──キィン!!
ウインディアを狙った一撃を、射線上に飛び込み盾で防いだのは娘だ。そして、狂気に捕らわれたナスカへと同族の証である耳を見せ付けるかのようにマントを脱ぎ捨てる!
「待ってろ‥‥今楽にしてやる‥‥」
愛用のダガーに持ち替え襲い掛かってきたナスカを、持てる技を駆使して迎え撃つ風露!
生憎ブラインドアタックは効かないようだが、霞刀での一撃は確実に少女の生命力を削る。そして側面に回りこんだ娘が鳥爪撃でナイフを持つ腕を攻撃!!
「痛いッ!!」
痛烈な一撃に思わずダガーを落とした少女が、次のナイフを準備するその間に、背後へ回ったヴィゼルが渾身の一撃を浴びせかける!!
「きゃあっ!! 酷い、お兄ちゃん‥‥」
「悪いが、再発の可能性があるんだから遠慮なんて無しだ。終わらせてやるよ!」
涙を呑んで続けざまに剣を振るうヴィゼル! 風露、娘ももちろん、手加減はなしだ。──そして冒険者になり立ての少女は、いともあっさり倒れ伏した。
「‥‥ナスカちゃん‥‥」
指一本動かせない状態でケガの痛みに顔を歪めている少女を、ティファが抱きしめた。
「せめて‥‥顔だけは綺麗なままで、眠らせてやるな」
いっそ楽にしてやろうと、ルークはナスカの持っていたナイフを手に取り、少女の小さな胸元へ当てた。安らかに眠らせようと、ナイフを持つ手に力を込め、少女の身体へ押し込めようと──したルークのその手を掴む白い手があった。
「待ってくれ、ルーク‥‥僕に‥‥」
ナスカの旅立ちの一翼を担ったレオニスの真摯な眼差しに、無言で頷くとナイフを手渡した。そして、とん、と少女の胸を指で突く。
「──ここだ。外すなよ」
外したら、余計に苦しむだけだ。
言葉に隠されたルークの真意をきちんと汲み、レオニスはナイフを握りしめた。ナスカを抱きしめるティファの腕に、力がこもる──それは、まるで少女を守ろうとしているようで──しかし、自分の運命と重ね、目を逸らさずに、友人の最期を見届けようと‥‥そこには、いつもの怯えるようなティファはいなかった。
見守るパーナの両の瞳からは、現実を拒もうとするかのように、涙が溢れた。けれど、現実を見据えるため──ティファと共に少女の最期を見届けるため、涙の向こうを、ナスカの胸を、表情を、焼き付けるようにただじっと見つめる。
「レオニ、ス‥‥さん‥‥ゴホッ!!」
泡の混じった血を吐きながら、紅の狂気に染まったナスカの目がレオニスを睨んだ。悲しげに、ナスカを見つめ返し、レオニスは消え入るような微笑みを浮かべる。
「久しぶり‥‥。キミの命を奪いに来たよ‥‥」
刻が迫っていた。謝ることはせず、握ったナイフをナスカの胸に突き立てる‥‥
ルークに示された箇所は骨に邪魔されぬアバラとアバラの隙間‥‥骨に沿うように、迷いなく、真っ直ぐ‥‥ほとんど何の抵抗も無く、幼い身体の柔肉に、その中心に、ナイフが突き立った。
「───、‥‥ッ」
一瞬硬直した四肢から、最後の力が抜ける。
かくん、と首が曲がり、重力に引かれた頭がティファの手に重みを与えた。
重みにひかれて転じた視線が捕らえたのは、紅の色を失い、見開かれている本来の瞳の色。しかし、まぶたをそっと閉じさせて、亡骸を抱きしめた。
(「‥‥‥貴女を、救いたかった‥‥同じ、ハーフエルフとして‥‥。ごめんなさい‥‥」)
温かみを失いっていく身体を抱きながら、ティファは堪えていた涙を溢れさせた。
「‥‥ごめん、なさい‥‥せめて、ここからは、遠くに‥‥埋めて、もらうから」
「ならば、協力しよう。──アイスコフィン」
ナスカの小さな骸を、ウインディアの氷の棺がゆっくりと封じ始める。
足元から棺に覆われてゆくナスカ──‥‥
ナスカが自分と重なって見え、未来を虐待した者に復讐を成した後の自分が重なる──頭痛を堪えるように、小さく呟く娘。
「それでも私は‥‥」
と生まれたわだかまりを消すかの如く呟く。
そのナイフがアイスコフィンの氷に包まれる直前、抜き去ったのは、紗綾だった。
「‥‥心臓にナイフが突き立ったままなんて、そんな魔を封じるみたいなのは‥‥嫌だよ‥‥」
「‥‥そうだね」
(「ずっとずっと友達だよ‥‥先に行って、待ってて」)
レオニスと紗綾は、涙を滲ませることもなく‥‥血にぬれたナイフを、そして幾人もの命を喰らったダガーを、じっと見つめると瞳を閉じた。
ナイフの抜かれた傷跡から溢れる血まで全てが氷の棺に包まれた。
「う‥‥っく‥、‥うう‥‥」
かみ殺した泣き声を漏らし、地面に崩れ落ちるパーナ。俯き、胸に下げた十字架のネックレスを、白い手が更に白くなるほど握りしめた。
「せめて‥‥ナスカさんが、笑顔でセーラ様の御元に‥‥‥迷うことなく、向かえますように‥‥強く、強く、お祈り‥‥っ」
氷に包まれたナスカの遺体にすがりつき、司祭は、大きな声を上げて泣いた。
溢れ出す想いのままに、友を送る友人として、呪われた少女のために、声を上げて泣いた。
声は風に乗って、高く、高く、ナスカと共に昇っていくのだった──
こうして、悲しき一連の事件は終焉を迎えたのだった‥‥願わくは、悲劇が繰り返されんことを。