霜の花を束にして

■ショートシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:11〜lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 88 C

参加人数:6人

サポート参加人数:-人

冒険期間:06月23日〜06月29日

リプレイ公開日:2008年08月11日

●オープニング

●山嶺の花
 春が過ぎて夏が来ようとも、冬の名残の消えぬ場所がある。そう、山嶺──山の頂だ。
 セベナージの一角にある山も、冬の名残を抱く山の1つである。
 白き化粧を施した山と同様にすっかり頭を白く染めた麓の村の老婆は、記憶に眠る言い伝えをこう語る。
「あの山は精霊に護られた山なのさ。森の精霊や雪の精霊がね、白化粧を清廉なままに保とうとしている‥‥もっとも、精霊の姿を見たなんて話、あたしが小さい頃に聞いたきりだがね」
 齢80をとうに超えているかもしれないハーフエルフの老婆。彼女の幼い頃と言われると、どれだけ昔の話になるのだろう。少なくともロシア王国が現在の形に落ち着くよりははるかに昔の話のはずだ。仮に老婆が外見のとおりの年齢だとすると、ロシア王国が成立するよりも以前の話なのかもしれない。
 語られるは二十歳ほどのハーフエルフ。数日後に結婚式を控え、幸せの絶頂にいる花嫁(予定)だ。
「でも大おばあ様、山嶺には白い花が咲くんでしょう? 愛がなければ枯れてしまう、霜のような白くて可憐な花が」
 語りながらうっとりと目を細める。そんな花で花束を作ったら、どれほど素敵なブーケになるだろう。
「まさか、採りに行こうなんて考えちゃいないだろうね? いけないよ、おまえはこれから幸せになるんだから」
 シミとシワだらけの手が、キメの細い滑らかな白い手を握り締める。
「言っただろう? 森の精霊や雪の精霊が花を護っているんだ、近付いたら危ない。絶対に近付くでないよ」
 真顔の大おばあ様の苦言は花嫁の耳に甘美な言葉として響いた。

 精霊たちに護られた清廉な花。
 愛がなければ枯れると言い伝えられる白い花。
 ──これ以上、ブーケに相応しい花があるだろうか。
(「いいえ、あるはずがないわ!」)

 けれど、大おばあ様の言葉を裏切ることなどできない。
 確かに、精霊のいる森を抜けるのは恐ろしいことだ‥‥精霊がまだいるのであれば。
 確かなことは、山の中腹に広がる森が『迷いの森』というありがちな二つ名で呼ばれていることと、山嶺に近付けばどんなに慣れた村人もいつの間にか迷ってしまうこと、そして花嫁は森に明るくなく自力で摘むことができないこと。
「大丈夫です、大おばあ様。私、森なんて抜けられませんもの‥‥」
 そう言った花嫁の瞳は、優しげな微笑とは裏腹に寂しげな色を湛えていた。後ろ手に扉を閉め、大おばあ様の部屋を後にした花嫁を待っていたのは賑々しい2人組。自慢の赤い羽を揺らしてちょこんとテーブルに座った双子のシフール、キキとリリだった。
「やほぉ、パーティーに出すケーキの相談に来たよぉ〜♪」
「キキたちの華奢な身体じゃ、そろそろ準備しないと間に合わねーのです」
 大切な友人たちの優しさが潜む言葉に、花嫁の涙腺がふっと緩んだ。
 ぽろりと毀れた大粒の涙がテーブルに落ちる。
 明るいオレンジの髪とは裏腹に真っ青になった双子のシフールは、あわあわと花嫁の周りを舞う。
「ど、どうしやがったですか!?」
「まりっじぶるー、かなぁ? リリたちにできることがあったら、言ってねぇ?」

 そうして、お節介な双子のシフールにより一件の依頼がギルドへと齎された。
 山嶺へ赴き、白い花を摘んできてください──‥‥

●今回の参加者

 ea5766 ローサ・アルヴィート(27歳・♀・レンジャー・エルフ・イスパニア王国)
 ea9527 雨宮 零(27歳・♂・浪人・人間・ジャパン)
 eb0516 ケイト・フォーミル(35歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb0882 シオン・アークライト(23歳・♀・ナイト・ハーフエルフ・ロシア王国)
 ec0854 ルイーザ・ベルディーニ(32歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ビザンチン帝国)
 ec2055 イオタ・ファーレンハイト(33歳・♂・ナイト・人間・ロシア王国)

●リプレイ本文

 片道一日半。けれども馬と魔法の靴で大分時間を節約した一行は、キキとリリに聞いた森の手前までおおむね無事に到着した。おおむねというのは、
「ディックの奴〜、あれほど連絡したのにっ!」
 今もそうだが、ローサ・アルヴィート(ea5766)が時折思い出したように、呼んだけれど同行していない男のことを口にするからだ。彼女の他に五人の冒険者が、世にも珍しい花の採取の依頼に出向いてきていたが、この発言にはどう反応していいか悩んでしまう者が少なくない。というより、ほとんどがそう。
 結局。
「まあまあ、ここからは気が抜けませんから、どうか落ち着いて」
「落ち着いてるわよ。うん。でも入る前に言うだけ言っておこうかと思って」
 イオタ・ファーレンハイト(ec2055)が宥めるのだが、あまり成功していない。
 なにしろ、依頼人はキキとリリになっているが、目的は結婚式のブーケにする花を摘んでくること。季節は結婚式向きの六月。イオタは別にして、残る四人は二人ずつ、仲睦まじい様子があたりに零れてくる有様では、ローサが多少愚痴っぽくなっても仕方ないだろう。
 そうした様子には無関係な態度で、イオタとローサの馬は双方ともに相棒の傍らにいる。本当は依頼人の村に預けてきたかったのだが、これまた双子のシフールの、どちらとは言わないが片方が、
『結婚式前ですよ! この忙しい時に、そんな馬なんか預かれねーのです』
 と主張して止まず、それなら連れて行くもんとローサが口走ってしまったので、二頭の馬はここにいる。さすがに森の様子を見ると、連れて歩くには不向きだろう。どちらも戦闘馬とはいえ、
「ここでちょっと待っててね。早めに帰ってくるからね」
 ローサのこの発言は、イオタばかりでなく、皆いただけない。万が一ということもある。
 さりとて森の案内人のローサが、『移動速度が落ちる』と見て取ったものを連れて行こうとも言い難く、皆が言葉を選んでいたら、大変に直接的な評価が彼らの頭の上から降ってきた。
「馬だけ置いていくつもりか? 何を考えてやがる」
 とっさにローサ以外が身構えたが、それでも気配をほとんど感じさせない男がふらりと大木の枝から飛び降りてきた。
「寒いところなんか御免だからな。見ててやる」
「手伝わない気?」
 ディック・ダイ(ez0085)とローサの会話は‥‥
「とりあえず良かったかな?」
「と思うけど、心憎い演出よね」
 雨宮零(ea9527)とシオン・アークライト(eb0882)には半ば呆れられ、
「はー、王子様の登場だにゃー。イオ太、邪魔したら駄目よー」
「う、うむ、そう思うぞ」
 ルイーザ・ベルディーニ(ec0854)とケイト・フォーミル(eb0516)には、更に勝手に演出を加えられていた。当人達の耳に入っていたかは不明。
 そして、イオタだけがなんとなく取り残されている。

 夏なお白い山の頂にあるその花は、霜のような白くて可憐な姿をしている。
 言い伝えではその姿のほかにもう一つ、『愛がなければ枯れてしまう』とも。
「結婚式かぁ。確かにそんな話を聞いたら、花束に欲しいわよね」
 準備よく、摘んだ花を入れて持ち帰るための籠を用意し提げているシオンが、皆で花の姿を再確認した際に呟く。その勇猛果敢な戦歴と知名度からは予想できないような、年頃の娘らしい表情が一瞬浮かんだ。その花を得ることが依頼であり、達成しなければ、花を心待ちにしている花嫁がいかほどに落胆するか考えれば、そうそう甘い気分に浸って入られない。
「でも、愛がなければ枯れてしまうって‥‥咲く時はどうなってるのかな?」
 必ずその傍らを歩いている零が、不意に思い付いた様で首を傾げた。
 他の同行者に対しては必ず丁寧な言葉遣いを欠かさない彼だが、シオンに話し掛けるときだけは違う。それが示すものは声色からも明白だから、誰も二人の会話の邪魔はしないのだが、この時ばかりは揃って首を傾げた。
 愛がなければ枯れる。そんな花は一体どうやって芽吹いて、育ち、花を咲かせるものか?
「行ってみれば分かるにゃー」
「そ、そうだな。‥‥山頂で、考え‥‥れば、いいと、思う」
 ルイーザとケイトはあまり考え込まずに、とにかく頂を目指そうと前向きだ。前向きなのはルイーザだけで、ケイトは引き摺られているのかもしれないが、それでも二人の意見は『登ってみよう』で間違いはない。
 まだ山は中腹に差し掛かるかどうかというところ。すっかりとご機嫌なローサが先に立ち、的確に上を目指しつつ、登り易い道を示している。健脚揃いの一行だから、その道を辿って登ることには問題はないが、花の情報は考えてみれば少なかった。
 でも、向かうのは夏なお真っ白に雪を戴く山の上だ。
「少なくとも、雪原で蕾が付いている植物があれば、それが目指す花に間違いないだろう。ローサさんも初耳だった花なんだから」
 この中では最も植物に詳しいローサも知らなかったのだしと、イオタが口にしたものの、はてさて何人がきちんと聞いていたものか。ローサは道を見付けるのに没頭していて、後の四人は二人ずつでなにやら話し込んでいる。
「俺、何でついてきちゃったんだろう?」
 思わず漏らした言葉は、幸いにしてケイトとルイーザの耳には入らなかったようだ。聞かれたら、大変なことである。‥‥色々と。

 森の中は案内人の腕が確かなこともあるが、ひたすらに上を目指すという分かりやすい目標のせいもあって、順調に進んだ。
 その順調の理由にはもう一つあって、全員が荷物を最低限に絞っていたからだ。話によれば、目指す花は森の精霊と雪の精霊に守られているらしい。森の精霊はアースソウルだろう。今回花を目指す一行の中には、金属製品を嫌うアースソウルと対面した者が複数いて、金物の一切を置いてきたか、ディックに預けてきた。
 更に雪の精霊にも配慮して、防寒具で寒さを凌ぐ準備も怠りない。さすがに雪渓に入ると火が恋しいが、歩きながら焚き火も無理な話である。この白い世界では、今度はシオンが先頭に立った。幾らかは下界の気候で雪の層が脆くなっているところもあるから、用心深く、ひたすらに上を目指す。山道の歩き方は零が詳しいので、時に二人で相談して進む。
 このあたりになると、すでに生えている木もまばらなのだが、全員が背後を付かず離れずで付いてくる気配に気付いていた。森と雪景色との境目に近い辺りから、ずっとである。振り返っても誰の姿もないが、もやが掛かっているのはよく見えた。それが気配の源だから、きっと森の精霊だろう。
 姿を見せない相手に見張られているのは気分がいいものではないが、退治してくれという依頼ではない。本来は雪の中にあるものをくれと言うのはこちらだから、礼儀を守って譲って欲しいと頼むつもりはイオタやシオン、ケイト達ナイトでなくともある。
 ただ向こうが姿を見せないのでは、声を掛ける機会も捉えられず、一行は黙々と進んでいて、不意に先頭のシオンの頭に何かがぶつかった。
『かえれー』
「雪の精霊‥‥?」
 小さな小さな雪玉をぶつけられたシオンより、素早く身構えた零だったが、目が細められたのは一瞬のこと。声の主が全体に白っぽいフェアリーだと見て取って、とっさの構えを解く。
「可愛いにゃー」
 ルイーザなど違う意味で目を細めたが、相手は取り付く島もないくらいに『帰れ』と繰り返す。しかも少しずつ数を増してきて、遠巻きに様子を伺っているようだ。これはこれで、姿が見えても話を切り出しにくい。
「あ、あの、だな。自分達は」
 ルイーザが見惚れているので、ケイトが気合十分の顔付きで話し掛けてみたが、緊張しすぎたのか言葉が滑らかに出てこない。もともと説得上手でもないので、前のほうにいた零が話しかけた。
「‥‥そんな訳で、何も根こそぎ取ろうというのではありません。少し分けていただくわけにはいきませんか」
『や〜』
『う〜そ〜』
「騎士の名誉にかけて、そんなことはしないわ」
 また咲いて欲しい花なのに、根こそぎ取るなんて勿体無いという気持ちは胸の中で、シオンも言葉を添える。あまり大人数で話し掛けると逃げてしまいそうなのと、背後には相変わらず気配があるので、ローサやイオタはそちらを気に掛けていた。
 すると、もやが集まるように濃くなって、男女どちらとも取れる子供の姿を取った。
『何に使う?』
「えっとねー、花嫁のブーケなの。結婚式でって、結婚式分かる?」
『大事なことか?』
「大事だ」
 ローサとケイトが返答している間は、雪の精霊というか妖精も静かだった。それでも『この先には行かせない』という態度だったが、
『嘘を言っていたら、麓には帰さない』
 森の精霊が口にして、皆の先に立って歩き始めると、雪の精霊も道を開いた。
 精霊が歩く道は、時々人が通れないような氷の上だったりしたけれど、ともかくも相手は最短距離を選んだようで‥‥最後に急斜面を登らされた先に開けたところには、これまでの白っぽい世界とは違う緑が広がっていた。

 確かに雪を掻き分けるようにして、白い綿毛をまとった葉が数枚広がっていた。そこから伸びた何本もの茎の先に蕾があって、ふっくらと今まさに咲き零れんばかりの様子である。
 けれども、その植物の群生には、一つとして咲き誇る花はなかった。蕾は無数にある。いずれも咲きそうだが、なぜか開いていない。
「これでいいのかにゃ?」
「他には、な、何も、ないぞ」
 ルイーザが雪の上に身を投げ出すように伏せて、蕾に顔をくっつけた。どれだけ覗き込んでも、咲く花が白いのかは分からない。ケイトも一緒に覗いてみたいようだが、森と雪の精霊に見張られていては気を抜けない。
「ねぇ、これを摘んでいったら、後で咲く?」
 しげしげと屈んで蕾を覗き込んでいたローサが、雪の精霊を振り返る。ふよふよと宙を飛んでいた精霊達は、互いの顔を見合わせて考え込む素振りだったが、答えてくれたのは森の精霊のほうだ。
『ただ持っていっても枯れる』
「愛がないと枯れる花だものね。下は暑いし」
『暑いだけでは枯れない』
 シオンが蕾を指先でつついて、夏の気候の下界に思いを馳せたが、森の精霊の返事は段々と不可思議になっていった。枯れると言い、枯れないと言い‥‥
「あんまり触って、蕾が落ちたら大変だよ」
 一体どうしろと言うのかと、怪訝な顔付きでシオンが蕾をつついたり、撫でたりしているので、零がその手を押さえて止めた。無意味にこの植物を傷付けてしまったら、精霊達は分けてくれないと意見を翻すかもしれない。そう思ってのことだけれど。
 ほろり、と音が聞こえたような気がした。
 シオンが触れた蕾が、柔らかく結んだリボンが解けて広がるように花を開く。真っ白な花弁が、皆が思っていたより大きな花を開いた。あまりに真っ白で、可憐に見えるが、けして小さくはない瑞々しい花だ。
「なにやったの、どうしたの」
「どういうことにゃ、白状しなきゃーっ」
「ま、待て、二人とも」
 突然開いた花に驚いて動きが止まっているシオンと零に、ローサとルイーザが掴みかからんばかりの勢いで詰め寄って‥‥慌てたケイトに止められている。下手に動き回って、下の蕾達を踏み荒らすわけにいかないから、ケイトは必死だ。
 けれどもルイーザとローサだって必死である。蕾を持ち帰っても花嫁は喜ばないだろうが、咲いた花は一輪だけ。シオンと零が触ったことで咲くのなら、それなりの切っ掛けというものがあるはずだし‥‥
 自分達だって、咲いた花が欲しい。
 きっと、そう考えているのだろうなと予測しつつ、イオタは傍らで涼しい顔付きでいる森の精霊に目線を合わせて屈んだ。相手にものを尋ねるのなら、目線を合わせるのは誠意の現われだ。ついでに、他の五人から表情が見えにくいというおまけもある。
「あの花は、『愛がないと枯れる』と聞いたけど‥‥」
『枯れる。花を咲かせず、実を結ぶことなく、ただ枯れる。だから時には人に来てもらいたいが、強欲な者が多いから』
「根こそぎ持っていかれないように、見張っているわけかぁ。道理で」
 絶対に森を傷付けず、花も必要な分しかいらないと話したら、あっさりと案内までしてくれたわけだ。冒険者としてはありがたいが、イオタ個人としてはありがたくないような話である。
 けれど、ちらりと見かけただけの花嫁になる娘は、自分が手にしたことで伝説の花が開いたら、どれほど喜ぶことか。
『愛と恋は同じものなのか?』
 そっと向けた視線の先で、はらりはらりと花開いていく蕾達を、残念そうに見ているのがローサだけだと見て取っていたイオタに、森の精霊が不思議そうに尋ねた。どこでそんな言葉を知ったのかと思うような幼い外見が、子供が答えのない問い掛けをする様子を思わせる。
 でも多分、この『愛がないと枯れる花』を守る精霊達にとっては、それは大切なことなのだ。
「違う。恋がない愛もあるから。でも‥‥こんなところまで花を取りに来るのは、多分両方持っている奴が多いだろうな」
『人は難しいな』
「この花のほうが難しいわよ! なに、このくっきりした反応ってっ。こんなことなら、ディックの奴を引き摺ってくるんだったわ!!」
 蕾の一つを半分ほどほころばせたところで止まってしまったローサが、森の精霊に訴えたが、精霊はすかさず数メートルも離れてしまった。
 けれども、さっきまで植物の群生地だった場所は、半分ほどが花畑に変じていた。雪の精霊に導かれたのか、そそのかされたのか。シオンと零、ルイーザとケイトが右に左にと歩き回っては、屈んで蕾を撫でている。
「蕾を幾らかいただいていくよ。下でも、条件が揃えば咲くんだろう?」
『愛が失せたら、枯れる』
「験の悪いこと言わないでよね」
 花が実を結ぶことが出来れば、いずれまた新しい芽生えがあるだろう。そちらのことは四人に任せて、イオタはシオンが置きっぱなしにした籠を取り上げた。
 振り返れば、ローサはすでに『生きがいいの』と呟きつつ、蕾を摘んでいる。
 籠に入れられた蕾は、いずれもまだ半分ほどしか開いていないものばかり。
『あまり言いふらすな』
 出会った場所まで見送ってくれた森の精霊の別れの言葉は、素っ気無いものだった。
 籠の中には、雪の精霊も積んでくれた蕾が、花束が幾つも出来そうなくらいに入っている。

 森の入口で彼にしては律儀に待っていたディックも同じことを言った。
 けれども、その日はそこで野営して、翌朝早めに発って到着した村では、遠慮や労わりが抜け落ちているキキとリリが大きな声で言った。
「えー、蕾だけなの?」
「キキたちの言ったこと、聞いていやがらなかったですか! これ、明日には咲かねーと結婚式ぶち壊しですよ」
 これこれこういう花だからと説明する前にまくし立てられて、ローサがキキの額を指で小突いた。もちろん、さっきの倍の声で文句を言われる。
「あのねぇ、説明を聞きなさいってば」
「なにしやがるですかー!」
 リリがおろおろしているが、ローサとキキの睨み合いは続いている。ローサが相手の頬をぷにと摘めば、キキはべーと舌を出す。
 そんなことをしていた間に、イオタがリリにこういう訳でと説明している。花嫁になる娘も心配そうだが、花は大半が今まさに咲きそうな蕾なので、咲いたものを集めればいいと思い直したようだ。『ちゃんと咲く』と請け負われても、一輪も咲いていないのでは不安になるだろう。
 シオンと零に実際に咲かせてもらえばいいのだけれど、それはそれでルイーザとケイトが寂しい思いをするので、なんとなくなし。ローサは昨日からディックに花を渡そうと試みて、しっかりと逃げられている。彼は人が多いところも好まないので、いつの間にやら姿を消していた。
 気付いたローサは、キキが逃げ腰になるような目付きになったが、明日は結婚式である。めでたい気分でいっぱいの村で、恨み言を口にするようなことはなかった。
「何から手伝えばいいのかしらねー」
 それでも張りのない声だったが、リリにケーキの飾りつけがまだと言われて、料理に自信があるローサはそちらに。
 高いところが得意な零は、教会の壁の上の方を掃除してくれないかと頼まれてそちらへ。異国人で教会の勝手も分からないから、シオンが手伝いに付き添うことになった。
 ケイトとルイーザ、イオタは、結婚式の後の宴会場になる広場に、テーブルや椅子を並べる手伝いから始めることにした。こういう仕事は誰でも出来るから、村人には他の仕事をしてもらえばいい。
 日頃、教会の細かな管理に人手が割けないというこじんまりした村だけあって、六人であっても人手が増えるのは重宝された。
 ディックは果樹園のほうに逃げたはずが、ケーキの飾りに使う木苺を摘みに来たローサに発見されて、食料品を運ぶ手伝いをさせられている。
 丸一日と翌日の午前中、皆が骨身惜しまず働いたおかげで、結婚式の準備は滞りなく整った。ローサのおかげで、村では誰も作れない料理も用意されたし、ケイトにシオン、イオタと三人もナイトがいて、異国人まで祝ってくれる結婚式は村でも例がないと村人も式が始まる前から満面の笑みだ。
「お花が咲いてないけど、大丈夫なの?」
 唯一の心配は、村の娘達が集まって花束にした花のこと。朝の作業だから、暖かくなってきたら綺麗に咲くわよと大きな蕾を選んで、皆で珍しい花を整えたが、相変わらず蕾のままだ。それでもかなり綺麗だけれど、咲かないと見栄えがいまひとつ。
「絶対に大丈夫にゃー。笑顔が大事よ」
 ルイーザに激励されて、花嫁が緊張した面持ちで教会に向かい、新郎の横に立ち‥‥
 ほろり、ほろりと零れるように開いた花弁が、花嫁が思い描いただろう花束を形作っていった。

 結婚式の後は、大抵どこでも宴会だ。もちろん他所から来たって、参加してよい。珍しい花を持ってきてくれた六人は、当然のように皆からもてなされたが、それも夕暮れくらいまで。段々と仲のよい者達で集まったり、子供がいる家は帰ったりするから、冒険者ものんびりと村の散策を始めた。
 日が暮れてからの散策など、何が見えるわけでもないのだが、ずっと忙しかったからどんな村かもよく知らないままだ。ものすごく珍しいものや、ここでしか見られないような景色はないようだけれど、のんびりと歩くのに適した場所はあるらしい。
 村の四方に何があるのかを大体聞いた零とシオンは、ランタンを下げて果樹園をそぞろ歩いていた。昨日はきびきびと働いていたが、二人とも今はゆったりと歩いている。人差し指一本分くらい背の高いシオンが、零の肩にもたれるようにしていた。もちろん手はしっかりと繋いでいる。
「こちらの結婚式をちゃんと見たのは初めてだけど、楽しそうだね」
「街中だと、もっと厳かな雰囲気のところもあるみたいだけど」
 会話の最初は、結婚式のこと。生まれた国が違うから、結婚式のありようも違う。また同じ国の中でも身分や地域で異なるから、そんなあれこれを語っているだけでも楽しいものだ。
 それでいて、自分達が結婚するならどんな風にとは、なかなか切り出せないでいる。言って問題はないし、いずれは実現して不思議のないことだが、改めて話し合うのも途惑うのだ。
 二人だけなら積極的にあれもこれも話し合って、久しく会えなかった寂しさを埋めようと思っていたけれど、のどかな村の雰囲気に触れるとそうしたことは気忙しいようにも思える。
 結局二人でぐるぐると、取り留めのない四方山ごとを話しながら果樹園を歩いて、せっかくの宴会で振る舞われた酒も大分醒めてしまった。そうなると、今度はロシアの夜は涼しい。結婚式に合わせた礼服でいたりすると、肌寒いくらいだ。
「ワイン、貰ったわよね?」
「うん。飲みなおそうか」
 まだ村の広場では若者が賑やかにしているようだ。そこにいけば焚き火もしているから暖も取れるし、摘むものもあるだろう。
 だが、それよりは二人きりで過ごす時間が欲しいと思っていたのはシオンも零も同じだったから、足は宿泊用にと割り当てられた小屋に向かう。
 眠くはない。でも人の間に入って、賑やかにしたいわけではない。
 眠れそうにはないけれど、星の下ではなんとなく出てこなかった言葉も、二人きりの部屋だったら言えそうな気がして、零もシオンも何から切り出そうかと思いをめぐらせていた。
 話したいことはたくさんあるから、今度の会話は途切れることはないだろう。

 結婚式が終わった教会は、また静かな空間に戻っていた。先程までの式の様子を示すものは、日暮れ時のこととて見当たらない。
 宴もたけなわを過ぎ、少しずつ人影が減っていくのに合わせて場を抜け出したケイトとルイーザ、イオタの三人は、教会に戻ってきていた。式の様子を示すものはなくなっていても、その雰囲気はまだ彼女達の記憶に鮮明だ。
「綺麗だったにゃー」
 うっとりと思い返しているルイーザの横で、ケイトが相変わらず不器用に頷いている。イオタがそんな二人を数歩離れたところから眺めるのは、もういつものことだ。すっかりと三人共に慣れてしまった光景である。人は仲のよい仲間だと見るだろう。
 けれどもルイーザとケイトの間にあるものが仲間意識でも友情でもないのを、ごく少数の仲間は知っている。イオタは本来それを嗜めるべき立場だろうが、二人の様子を見ているとそうとは言えず。
「あんまり汚したりするなよ」
 祭壇を見上げて、なにやら落ち着かない二人の背中に、そう声を掛けた。それから、自分は席を外したほうがいいのだなと気付く。
「ど、どこに、行く?」
「えーと、その辺。女同士の内緒話って、邪魔すると怒られるだろ」
 イオタにしたら精一杯虚勢を張ったつもりだが、ルイーザが『何かおかしなものでも食べたか』と真顔で言い、ケイトも心配そうにするので、ちょっとばかりむっとした。
「せっかくだから、女の子と話でもしてくる」
「そ、それはいいにゃー。イオ太に恋人が出来ないと、あたしもからかい甲斐がないってものにゃ」
 勢いで言ったら、ルイーザがそう返したものだから、思わず口にしたのが『お前がそれを言うか』の一言。おかげで三人は、不自然に黙りこくって、相手の顔色を窺う羽目になった。
 イオタからルイーザに、ルイーザはケイトに、ケイトはルイーザに。三角にはならない想いの方向は、繋がっているところは許されざる関係だ。ルイーザがイオタに向いていれば、ケイトは自分の想いを飲み込んだろうが、実際はそうはならず‥‥
「そのうちに、二人がびっくりするような美人を連れてくるからな」
 ちょっとかすれた声でイオタが言って、入口をくぐろうとした。その動きが止まったのは、背後から掛けられた声もかすれていたからだ。
「あたしは自分で頑張れるから、イオタは自分だけが守れる人を探してね。幸せになって欲しいよ。本当に‥‥大好きだから」
 好きの意味は、ケイトに向かうそれとは違う。でも日頃からかうようにしか名前を呼ばないルイーザが、イオタを呼ぶ声には思いの丈が詰まっていた。
「私も頼りなく見えるかもしれないが、ルイーザのことはなんとしても守る」
 流暢に話すことが苦手なケイトが一息に言い切ったのも、それだけ真剣に思っているからだろう。
「そんな心配するなよ」
 やっばのその辺りにいるからと言い置いたイオタが、教会の扉を閉める前に振り向いたとき、ケイトが自分の胸にルイーザの頭を抱き寄せているところだった。二人の背丈は頭一つくらい違うから、実に絵になる光景だ。
 言おうと思っていたことが半分くらいしか言えなかったイオタは、でもそのことよりも、見えた光景に嫉妬した。ケイトがルイーザより更に小さな自分のことこそ足りなく思っているのではないかと、頭を掠めたことがないとは言わない。そんなことに気を取られるのがつまらないことだと分かっていても、つまらないことでも考えていないと気が塞ぎそうだ。
 少しではなく切ない気分になっていたイオタだが、中で長椅子をひっくり返したと思しき音がして、頭を抱える羽目になる。結婚式の真似事でもすればいいと思って、わざわざ見張りを買って出たのに、あの二人は何をしているのか。
 そうして、イオタを悩ませる二人は、祭壇前で昼に見た光景を再現した後に、キエフの教会にある刻銘も真似してみようと思い立ったはいいが、目立たないところを探すのに夢中になって、長椅子をひっくり返していた。慌てて元に戻して、また辺りを見回して‥‥
 窓の板戸の合わせ目の上の方、簡単に人目が届かない場所を選んで、名前を刻むことにした。自分の名前を半分、相手の名前を半分、互いに刻み合って、そっと窓を閉じる。
「まだイオタに言いたいことあったにゃー」
「あぁ。で、でも、さよならするわけでは、な、ないからな」
 三人共に思っている。
 三人でいるのが楽しい。出会えたのは幸運。そして幸福。
 それがいずれ四人に増えたとしても、それはきっともっと喜ばしいことだろう。

 結婚式の後の、なんとなく虚脱した雰囲気をまといつつ、日常に戻った村の外れで、ローサは幾つかの荷物を片手に早足で歩き回ってた。昨日は結婚式の最中こそ、絶対に逃がすものかと、ここまで来たら素直にお祝いしろとディックの腕を掴んで離さずにいたのだが、宴会途中で逃げられてしまった。作った料理があまりに好評で、村の女性陣に捕まってしまったローサは追いかけることも出来ず、宴会をようやく抜け出した時にはどこに行ったものか分からなかったのだ。
 せっかくの、他人のものとはいえ結婚式で、その後の宴会で、ろくに話もしないうちに消え失せるとは何事かと、現在必死に探しているところである。
「そりゃあまあね、追われているのは分かってるんだけど」
「分かってるなら、口に出すな」
 ようやく探し当てたら、日当たりの良さそうな大木の枝に転がっていた。たいした高さではなく、ちょうどローサが顔を覗きこめるくらいだ。
「これ、あげる。さ、受け取りなさい!」
 一生懸命探す羽目になった悔しさで、持ってきたペンダントとユピテルガウンを押し付ける。無理やり腕に押し込まれたディックは、半分のハートを見て顔をしかめ、ガウンを眺めて嘆息する。
「こんなのが、俺に似合うと思ってんのか」
「あんまり」
 でも貰いなさいよと押し付けて、今度こそ逃げられないように右腕に両腕を絡めた。何事だと問うのに、教会で刻銘をしようと誘ったら‥‥当然、予想通りに大反発だ。しかし、ここで負けたら、次の機会が巡ってくるかどうかすら分からない。
 それでなくても、思ったときに会える相手ではないから、ローサも食い下がって、食い下がって、ただひたすらに『名前』と繰り返したら。
「これでいいだろ」
 茂っている木の葉の一枚を引っ掻いて、名前を記した。思わず枝から落としてやろうかと思ったけれど‥‥
「この木、葉っぱが落ちてももう次が出てる奴よね」
「そうか?」
 ディックがいたのは、途切れることなく葉をつける繁栄の印ともされる木だった。ならば。
「ちょっと待て」
「今更遅いわ! これであたし達の愛はいよいよ盛り上がるってことね!」
 ちょっと寝不足だったせいもあり、奇妙に高揚した気分でディックをやり込めつつ、ローサは木の葉に自分の名前も記した。
 この葉っぱが落ちても、途切れることなく葉が茂る。それは刻んだ二人の想いも途切れないということ‥‥にしておこう。

 やがて。
 村を出てキエフに戻ろうとする一行は、それぞれに花が咲きほころぶ花束か、もう少しで咲きそうな花束を抱えて歩き出した。
 手の中の花束は、きっとずっと枯れない。



(代筆:龍河流)