●リプレイ本文
●異国の風習
七夕──それは長い一年の中で七月七日にのみ許された、恋人達の逢瀬の日。
「だからね、うしかいのおじちゃんと機織りのおねえちゃんが鷺の背中を踏んづけて遊ぶなのー。嬉しくって、皆のお願い事叶えたい気分になっちゃう日なのね〜!」
「──です」
「‥‥素敵な風習ですね」
宮崎桜花(eb1052)が翻訳してくれた七夕の話にキリル・ファミーリヤ(eb5612)は目を細める。雛菊(ez1066)の話だけでは何のことやらちんぷんかんぷん、なのだ。
「ちなみに華国では七月七日に笹を狙って山から降りてくる白と黒の巨大生物から笹を守り切ると、願いが叶うっていう話があるのよー」
青龍華(ea3665)の言葉に目を丸くするキリルと雛菊、雛菊の背後で咄嗟に振り返ったセフィナ・プランティエ(ea8539)の目も丸い。どうやら信じたようだ。
「願いは自分で叶えるものだと思います、けれど‥‥」
どちらかというと力ずくですね、とフィニィ・フォルテン(ea9114)は小首を傾げた。歌手の彼女も知らない話だが、何かで役に立つかとき置くの隅に留めた──のは、信じたうちに含まれるだろうか。
この大嘘にツッコミを入れるべき同郷の野村小鳥(ea0547)は、幸運にも、いや残念ながら、食材のチェックに余念がなく状況が耳に届いていない。
「七夕って事はもう文月っすか。最近時の流れが早いっす」
「あら、ずいぶん年寄りじみたことを言うのね」
雛菊や龍華の言葉に耳を傾けていたはずのガブリエル・プリメーラ(ea1671)は、以心伝助(ea4744)の漏らした言葉に小さく笑みを零すと、同年の友人ローサ・アルヴィート(ea5766)に「ねえ?」と同意を求めた。同じ事を考えていたなんて何となく言い辛く、こくこく頷いて誤魔化した。──ちなみに二人のエルフは龍華の言葉に嘘臭さを感じていたのだが、面白そうなので黙っているトコロ。
それにしても、とカルル・ゲラー(eb3530)は一同をぐるりと見回した。
「ユキちゃん遅いねぇ?」
「ふむ‥‥何事もなければ良いのだがな」
不安が滲もうとも今日も今日とて厳つい顔で、ヴィクトル・アルビレオ(ea6738)が短く息を吐く。
噂をすれば影が差すもので、唯でさえ白味の強い顔色をさらに青褪めさせたユキ・ヤツシロ(ea9342)が、友人・七神斗織と共に姿を現した。
●一片の事実
「お久しぶりです、わたくしを覚えていらっしゃいますか?」
遠き島国で何度も肩を並べた斗織のことを一度の瞬きの後に思い出して、雛菊はこくりと頷いた。
同時に、最愛の兄を思い出したのだろう、表情が薄くなる。
「雛ちゃん‥‥斗織様が、雛ちゃんのお兄様のことでご存知のことがあるそうなんです‥‥」
ユキの声が小さいのは雛菊に振るわれた刃の冷たさを思い出したからだろうか。それとも、この決断が彼女にどんな影響を及ぼすか、その恐怖ゆえだろうか。
事前に相談を受けていた仲間達の存在が、小さく震えるユキの背をそっと支えた。
そして斗織が語った言葉は──雛菊の兄・慧雪生存の報。
「水戸御庭番頭目慧雪様ですが、今年の2月に水戸城内でお会いしました‥‥えぇ、彼は生きていますわ」
彼女の反応は、恐らく誰の予想とも違ったのだろう。
支えるために伸ばした幾本かの腕に重みは掛らず、取り乱す様子もない。
ゆっくりとひとつ瞬きをして、こくりと頷く──それだけ。
「確かめにいらっしゃいますの?」
セフィナの問い掛けに、少女はゆるりと首を振った。
「事の真偽も、以前の情報の理由も?」
「斗織お姉ちゃんが嘘をついてるとは思えないの」
半分だけ答えて、雛菊はにっこりと笑みを浮かべた。
「良かったです、本当に良かったです‥‥」
友人を信じてもらえたことも、雛菊の大切な人が生きていたことも嬉しくて、ユキは大粒の涙を零す。
「‥‥雛菊?」
ヴィクトルの鋭い眼光は、純真な普段の笑みとの間に僅かな温度差を感じ取り──同胞伝助の目には、雛菊が忍びのモードに移行したように映った。
その姿に今なら大丈夫だと思えて、伝助は予てよりの疑問を口の端に乗せた。
「お雛ちゃんのお兄さんは、どんな方だったんすか?」
「んとね〜‥‥強くって、厳しくって、怖くって、ちょびっとだけ優しいなの。吹雪の中でね、あいすこふぃんされたお人形さんにぎゅってしてるみたいなのよー」
えへへ、と照れたように笑う雛菊だったが、ガブリエルとローサは思わず顔を見合わせる。
(「今の表現で優しさの部分ってあったかしら‥‥人形とか言わないわよね?」)
(「それが優しさだったら‥‥割合、とんでもなく少ないよね?」)
少なくとも、二人の恋人たちの比ではなさそうだ。
同じ事が気に掛ったのは、龍華とセフィナ。
(「人形に温もりはないのよ、雛ちゃん」)
(「無意識に例えているのでしたら──」)
──彼は妹に何の心も抱いていないことに、ならないだろうか。
掠めた思考に青褪める。それでは、雛菊は態の良い駒だ。
そんな兄ならば、これは試練ですらない‥‥と、伝助は思う。
「雛ちゃんはお手紙貰った後、それが本当かどうか調べてみやした?」
「ん〜、それは関係ないなの。雛、弱い子だったから、ごめんなさいしてもっと強くならなくちゃ。兄様にも教えてあげなきゃなのね〜‥‥」
そんな雛菊を、ずっと黙して耳を傾けていた小鳥が、ぎゅっと抱きしめた。
報われない少女の思いは、悲しいほど一途で、健気で、純粋だった。
●準備の準備
雛菊の兄の件は気になれど、七夕は待ってくれない。
沈んだ空気を払い除けるのはムードメーカーのローサの仕事。
「あっ、もう支度しないと今日の分のお弁当が間に合わなくなっちゃう!!」
お弁当の言葉に反応したのは当然ながら雛菊。腕利きの料理人たちに期待していた伝助の腹では虫が鳴く。
「嫁き遅れなのがなくなるよーに、しゅぎょーするなの?」
「ふっふーん、もう嫁き遅れなんて言わせないんだからね♪」
いつもなら両頬をむにむにと引っ張るところだが、今日のローサは何だか強気☆
「だが、恋人ができても嫁いでいないのだから、嫁き遅れで正解だろう?」
「パパさん、それって失礼ッ! ちゃんとこの間──」
はっ、と口を噤んだ。いたずらしたりからかったり‥‥そんなことが好きなローサには思うところもあるのだろう、12対の視線に好奇が滲んでいる。流石のローサも12対1では分が悪すぎる。寸でのところで飲み込んだ言葉は、未だ、彼女だけの宝物なのだ。
そのとき、今度はカルルの腹の虫が鳴いた。
「ほ、ほら! お昼が保存食になっちゃうんだからねっ」
「それじゃ、お料理組は行きましょうか。木片とか布とか、その辺はお願いしてもいいわよね?」
視線を送られ、キリルと伝助が頷く。宣言したローサを筆頭に、小鳥と龍華、それにヴィクトルは当然料理担当で。ユキとカルルが手伝いに加わるのも見慣れた光景だ。
「ガブリエルさんは、ローサさんと残られるんですか?」
月光の歌い手に訊ねられた歓喜の歌姫は、肩を竦めて苦笑い。
「あたし、料理は駄目なのよね」
「あら、それではガブリエルさんとご一緒できますのね!」
きらきらと目を輝かせたセフィナは料理が苦手という訳ではないが、友人たちにお任せするジャンルと考えているのだろう。
大きな瞳で二人を交互に見上げていた雛菊の前にしゃがみ込んで視線を合わせると、ガブリエルは微笑んだ。
「改めて、初めまして。ガブリエルよ、よろしくね」
「雛は雛菊ってゆーなのよ。ガブリエルお姉ちゃんは、パリで見たことあるなの。むーっていうお顔で甘いの大好きなお兄ちゃんと一緒にいたなのよね?」
「ちょ‥‥やだ、どこで見てたの!?」
「んーとね、シャンゼリゼのアンリお姉ちゃんの後ろから?」
ほにゃっと笑んだ雛菊に、そういえば雛ちゃんも忍者だったわね‥‥と涼やかな銀の髪を掻きあげた。
「それじゃ、出発しましょうか」
キリルの言葉に、桜花とフィニィから差し出された手をそれぞれ握り、いってきますと元気に声をそろえた。
●ちまっとお支度☆
「私達の集まりですもの。ちま織姫とちま彦星は基本ですよね」
にこりと笑んだユキの提案に異論のある者はいない。というか、むしろ当然と考えているものばかりだったのは流石といわざるを得まい。
「衣装はこれが参考になると思うの」
龍華が取り出したのは願いの短冊。願いが叶うとか、ちょっとした幸運が訪れるとか言われている品だが‥‥そんなのは関係ない。重要なのは織姫と彦星が描かれているということなのだ!
「衣装作り手伝うわ! ふっふっふ、もう」
「嫁き遅れとは言わせない、でしょ? もう聞き飽きたわよ、羨ましくなんてないけど‥‥衣装では負けないんだから!」
盗賊の手袋を嵌めたローサに対し、並々ならぬ闘志を燃やす龍華はオーラエリベイション発動! 魔力を使い切り性も根も尽き果てて倒れたって後悔しない──そんな決意に、ローサもめらりと闘志を漲らせる。
「夜の川に流すなら、月の光に映える色も合わせに入れてあげましょうよ♪」
ローサのセコンド、ガブリエル。手伝っているようにも見えるが‥‥色が、刺繍が、デザインが、と彼女の素敵な発案は二人の作成する衣装の難易度をどんどんと上げていく。
「衣装はお任せして、ユキさん、私たちはちまを作りましょうか」『しょーか』
「フィニィ姉様‥‥はいですの!」『ですの!』
二人のハーフエルフに二匹の妖精が呼応して、ちま本体の作成も開始される。座って流れていく運命のちまだけに、座り続けられるバランスが重要となる。とても大事な作業だ。
「ちまばかりというわけにもいきませんし〜‥‥小さい小物とか色々作っておきましょうかねぇ」
んー、と首を傾げて仕事を探す小鳥に、ぽん、とセフィナが手を叩く。
「そうですわね。布でお飾りの作製をいたしましょう♪」
織姫、彦星に短冊だけでは、せっかく男性陣が苦心して探してきてくれる笹がちょっぴり寂しい。
「ジャパンではアマノガワとかフキナガシとか作るんですのよね? 雛ちゃんに桜花さん、教えていただけますか?」
どこで勉強したのだろう、セフィナの口をついて飛び出した言葉に雛菊と桜花は顔を見合わせ、嬉しそうに頷いた。
さて、男性陣はといえば、街を離れて笹探しのたびに出ていた。何は無くともこれがなければ始まらないのだ☆
「笹のかわりになるもの‥‥なんでしょうね?」
キリルが首をかしげる──そもそも笹ってどんなものなのか。それが解らないから、ジャパン人の伝助も同行していたりする。
「笹っぽいのあるっすかねぇ‥‥」
「見つからなければ、細身の樹、あるいは大きめの『枝』を代わりするか‥‥」
辺りの植生をつぶさに観察しているヴィクトルが唸った。笹に拘りたいが、飾りつけのことも考えれば多少の妥協も必要になろう。
「ふふ、飾り作りは今頃盛り上がっているんでしょうね」
「だろうな」
張り切っていた仲間たちを思い出し、ヴィクトルが浮かべたのは微笑みではなく苦笑い。どんな状況に陥っているか、離れていてもなんとなく解る。
「うーん‥‥笹っぽい葉、で妥協しやしょうか‥‥」
「飾りに耐えそうな枝ぶりはあちらですけれどね‥‥」
初夏の風の吹き抜ける森で男性陣の苦悩はもう暫く続きそうだった。
◆
「ちょっと疲れちゃった。わんこもふらせてね〜♪」
そんな名目で龍華が連れ出したのはくるんと巻いた尻尾の愛らしい雛雪。
仲間から離れ取り出したるは、隠し持ってた秘密兵器インタプリティングリング☆
『今一番近くに居るのは君らだから、雛ちゃんの支えと押さえに今まで以上になってあげてね?』
『‥‥‥』
当然だと視線で返す忠誠心の塊に、龍華の胸はきゅんとときめく。
「もう、可愛いんだからー!!!」
ああお姉さん。結局もふもふするんですね。それでこそ龍華様☆
そしてその隙に雛菊を独占したのはフィニィだった。
「可愛い‥‥な、仲良くなれるでしょうか‥‥」
抱き上げたシムルの毛並みにうっとりと目を細めたユキのちまは殆ど出来上がっている。
少しお手伝いいただけますか、と声をかけて雛菊と二人で針を動かしながら‥‥ぽつぽつと尋ね始めた。
「雛菊さんはお兄さんの志を継ぐために生きていると仰いましたが‥‥」
「‥‥」
フィニィの口から毀れた名に、少女は視線を上げた。
「志が同じならともかく、後で褒めて貰えるようにだなんてそんなのおかしいです‥‥」
少女の纏う空気が僅かに固くなる。
「同じじゃないって、どうしてフィニィお姉ちゃんが言えるの?」
「それでは、同じだと‥‥そう言ってくださいますか?」
少女は兄を知っている。兄が少女に望んだことが何なのかも、今なら確信が持てる。
生きているのなら尚更、自分の思い程度ではない──御庭番頭目たる兄の確固たる情報を口にするつもりはなかった。
「雛菊さん自身がしたい事はないのですか?」
視線を伏せて針を動かし始めた雛菊へ、フィニィは再び尋ねたが──忍びとしての自覚とプライドが少女の口を固く閉ざした。
◆
「ただいま戻りました」
「おかえりなさいませ。‥‥それが笹ですの?」
「これが今回の笹だそうですよ」
出迎えたものの、目を瞬いたユキにキリルはあいまいな笑みを浮かべた。笹を知らないから。
雛菊と桜花、それに龍華と小鳥の微妙な表情を見ると、恐らく持ち帰った笹(仮)は、本物の笹と随分違っているのだろう。
「笹、だ」
しかし真顔で押し切るヴィクトルの怖さに逆らえる者など、ここにはいない。
「あとは短冊か‥‥」
ふむ、と腕を組んだローサの耳に、姿の見えなかった仲間の声が飛び込んできた。
「ただいま〜」
「カルルさん、どこ行ってたんすか?」
途中で姿の見えなくなったカルル。心配していた伝助は、カルルの背負う見慣れぬ袋に首を傾げた。
「あ、これ? ルシアンおば‥‥お姉さんのトコにいって職人さんを紹介してもらったんだよ〜」
胸を張るカルルが広げた袋の中には、木の板や木片がぎっしり詰まっていた。ロシアの主産物のひとつは木材、それを取り扱う職人や商人とて数え切れぬほど。柱や壁に使うような太い木であれば、その切れ端も表面積が大きい。短冊へ加工するのも比較的容易そうだった。
「その代わり、これ飾ってね、ってー」
商売繁盛と書かれた短冊を発掘して、カルルは無邪気に笑った。
「これだけあれば集めなくて済みやすね。それじゃ、飾りが出来るまで大急ぎで短冊作りやしょう!」
「ぼくはちまを乗せる木船を作っちゃうよー♪」
──さあ、もう一踏ん張り☆
◆
夕刻。
晴天を願い、テント脇の木の枝に白い影がひとつ。
「あら、てるてる坊主?」
「雨降ったら寂しいっすから、ね」
エチゴヤ親父を模した顔の濃いてるてる坊主を面白そうに眺めた龍華は「知ってる?」と口を開く。
「華国ではね、顔のないてるてる坊主を下げるのよ。晴れたら顔を書いて、川に流すの」
「‥‥七夕と混ぜてやせん?」
半信半疑の伝助に、小鳥がふるふると首を振った。
「本当ですよー。御神酒も供えますしー♪」
「へえ、まるで神様っすね」
「あたしの言うことは信じてくれなかったのに!」
「だ、だって龍華さん七夕のことでも騙してたじゃないっすかー!」
要するに自業自得ってことですねぇ、と料理の手は休めずに発された小鳥の言葉は、のほほんとしているのに鉄人のナイフ以上の切れ味で龍華を襲ったのだった。
●本日の装い
てるてる坊主の効果が出たのだろうか、七月七日は抜けるような青空。焼きたてパンのようにふっくらとした白い雲が1つだけ浮かんでいた。気温も高め、これならば──きらーん☆ と小鳥の目が輝いた。
「せっかくですから着物着ないとですよねぇ♪」
同じことを考えていた者が多いのは、それだけ彼らが睦まじい証に違い在るまい。
桜花と雛菊、二輪の花の手を借りて来た和装は七夕の雰囲気を一気に盛り上げる。
「えへへー、ちょっと張り込んでみましたぁ」
柔らかく咲いた桃の花の刺繍が美しい振袖は、小鳥の衣装。
「似合いやすね〜。でも、転ばないよう気をつけてくださいやし」
平地で転ぶことの多い小鳥にはらはらした伝助の浴衣は、愛らしい狸が描かれている。何故か狸が他人とは思えずに選んだのだろう。
「雛ちゃんと手をお繋ぎになっていらしてくださいまし」
にこりと微笑んだセフィナの言葉に、小鳥の頬が緩む。ちょっとだけ、それなら一緒に見守れますものね、という言葉が聞こえたような気がするが、きっと空耳。だってセフィナはにこにこと微笑んでいるのだから。そんなセフィナはすらっとした狐の描かれた浴衣を着込み、普段はツインテールにしている赤毛を1つにまとめて鼈甲の櫛を添えている。
「これがジャパンの服装ですか。不思議な感じですね‥‥動き辛くないんでしょうか」
「そんなことはありませんし‥‥帯を締めると気も引き締まりますよ?」
「ええ、慣れれば大丈夫ですよ。あの元気な雛ちゃんも着るくらいですし」
汚さぬよう一歩距離を置いて花々を眺めるキリル。ジャパン人の桜花はどうしてそう思えるのか不思議そうに首を傾げた。そんな様子にフィニィはくすくすと笑って言葉を足し、足元にじゃれつく雛菊の愛犬・雛雪の頭を撫でた。フィニィの浴衣には、そんな雛雪にも似たきりりとした柴犬が描かれている。
「いいなぁ。ぼくも持ってくれば良かったよ〜」
カルルの言葉に一緒にユキも肩を落とす。楽しそうな様子を眺めているのも楽しいけれど、ちょっぴり疎外感。
「だーいじょーぶ! ユキちゃんたちはそのままでも充分に可愛いわよっ」
落ち込むなんて許さない☆ とばかり、背後からぎゅっと抱きしめた龍華は、黒髪に頬擦りを見舞う。
「しかし、ローサがふりふりエプロンとはな‥‥」
「い、いいでしょっ!」
「構わんが‥‥さしずめ、このエプロンが似合う新妻になりたいというところか」
図星を指されてローサは真っ赤に頬を染めた。ふりふりエプロンは、新婚家庭に強烈な憧れを抱く、ローサの必須アイテム。
「マーチ!」
キリルのペットのはずのマーチへ号令をかけるローサ。反射的に後ろ足で向こう脛を蹴り上げるマーチは、さすがと言わざるを得まい。
「‥‥っつ!!」
「ふふ、土産話がどんどん増えていくわね♪」
楽しげに笑うガブリエルは、数日後に故国ロシアを再び離れ、パリに戻る。そんな彼女の衣装は、ジャパンの伝説に語られる煌びやかな天女の羽衣。友人たちの着付けを手伝った雛菊の視線は、そんな彼女に釘付けだ。
「織姫さまみたいなのー♪」
我慢できず、目をきらきらと輝かせてとうとう抱きついた雛菊。その言葉に、ふりふりローサはにやりと笑んで囁いた。
「この織姫さまはね、もう少ししたら月道っていう橋を渡って彦星さまに会いにいくのよ」
「‥‥ふわぁ‥‥すごぉい! 本物の織姫さまだったなのね!」
「ローサちゃんっ!」
にまにまと楽しそうなローサ、その思わぬ逆襲に食って掛かった織姫ガブリエルだったが、純新なきらきらどんぐり眼の前にがくりと膝をついた。
「‥‥雛ちゃん、これは内緒なの。絶対、誰にも言わないでね?」
「ふえ、そーなの?」
「誰かに言うと、これから彦星に会えなくなっちゃうのよ。そしたら願いごとも叶えたくなくなっちゃうかもしれないわ」
羽衣に伏せたガブリエルの横顔に、銀の髪が流れる。月の色に隠されたその表情はとても悲しげだった。織姫になりきっているのかもしれない。
「ひ、雛、絶対内緒にするなの! 忍者のお約束なの!!」
そう宣言すると、真一文字に結んだ口をしっかりと両手で覆い隠した。そのぷくぷくとした小指に小指を絡め、約束よ、と言い含めた織姫ガブリエルは嬉しそうな‥‥どこか楽しそうな微笑みを浮かべていた。
「それじゃ、お願い叶えちゃおうかしら。短冊、書いていらっしゃい?」
「はぁい!」
駆け出して、案の定転がった雛菊を抱き止めた桜花。そんな姿を眺めつつ、二人のエルフは囁き合う。
「うまく切り抜けたわねー」
「あら、だって本職だもの♪」
黒海という天の川を隔て遠く離れても仲睦まじい友人同士、この二人も織姫と彦星に似ているかもしれない。
●秘められた願い
──みんなが幸せになれますよ〜に☆
そう認(したた)めたカルルは満足げに木片を笹(仮)に吊るす。
「雛菊ちゃんはどんなお願いをしたの〜?」
「えへへ、雛はねぇ‥‥」
ヴィクトルの肩に跨り高い場所へ木片を吊るした雛菊は、その短冊を裏返して文字を見せた。
──再び見える日まで、北辰の輝きが褪せませぬように
流麗なジャパン語で記された文字はカルルには判読できなかったが、内容は薄々察せられる。
「天の川はジャパンの空にも輝いてるから、きっと届くよ☆」
「えへへ、雛、頑張ってお祈りするも♪」
「祈りはきっと通じよう」
にっこりと笑うと、つられて雛菊の目も細くなった。ヴィクトルもうむと頷き、肩に乗せていた雛菊を下ろした。出会ってから数年。肩車はさすがにちょっと厳しいか──お父さんも大変だ。
そんなやりとりを横目に、ガブリエルはそっと短冊を裏返した。
「私は‥‥秘密♪」
「そうですね、叶うまで内緒にしておきましょうか」『しょーか♪』
主の短冊を飾り終えたリュミィが言葉尻を追いかける。
奇しくも二人の歌姫は、共に、願いは自分で叶えるものと考えるタイプだったようだ。そして、その願いも同じ。
──この子達のが叶いますように
──ごいっしょしているみなさんが、幸せでいられますように
他人の幸せは、他人の努力は、強制できないのだけれど。それでもほんの少しだけ、自分の願いが助けになればいい。
ローサが記した願いも、とても似ていた。
──皆の悩みや不安が解消されますように
躊躇わず、友の幸せを願う。彼らの一番の幸せは、そんな友人たちに恵まれたことだろう。
誰に知られずともそう願うことができる優しさは、天の川より確かな絆。
「あ、あ、あと‥‥!」
まだ残る短冊の山に手を伸ばし、ローサはもうひとつ──彼女の努力だけでは叶わないかもしれない願いを認める。
──ディックとこれからもずっと一緒にいられますように
恋人は月道を越えようとも追われる身、横たわる障害は大きい。もちろん努力を怠るつもりはないのだけれど、思いが通じたばかりの恋人たちの甘酸っぱい願いを‥‥同じ願いを抱く織姫と彦星が応援してくれたなら。それはきっと大きな支えになろう。
記した言葉に頬を緩める、そんな彼女を見ていれば忍びでなくとも願いはわかる。その願いは、伝助にとっては今はまだ身の丈に合わぬ願い‥‥今は、現実だけで充分すぎるほど満たされている。ならばどんな願いを記そうか。遠い昔に書いた願いは『大人になれますように』だった。そして幸運にも無事に生き延びて、年齢的には充分に大人の分類となった。
(「七夕っていうのも、意外に願いが叶うものっすね‥‥」)
それならば、こんな願いもアリだろうか。そう考え、筆を垂直に立てると、浮かんだ願いをジャパン語で綴った。
──雛ちゃんが幸せになれますように
彼女の幸せは兄そのもので、幸せになるための最大の敵も兄そのもの。そう感じたからこそ、伝助は妹分の幸せを願った。
「セーラ様も目を瞑ってくださいますでしょうか」
「どちらも天にある存在、案外気心の知れた友人同士かもしれんぞ?」
心に抱く至高の存在とは、また別の存在への祈り。手にした羽ペンが躊躇いがちに宙を泳ぐ。
そんなセフィナに、彼なりのジョークと共にヴィクトルは右目を瞑ってみせた。左の頬まで動いているのが可笑しくて、セフィナはくすくすと笑みをこぼす。
そしてセーラに、タロンに祈るように二人の司祭はそれぞれ木片に願いを記してゆく。
──どうか、皆が、幸せでありますように
──辛いことが減りますように
──皆が笑顔でいられますように
普段は広く人々のために捧ぐ祈りを、今日は親しき友のために。
それはキリルとて同じ。人々のための祈りを、神のための剣を、今日だけはただ一人のために。
──あの方のお心が安らぎますように‥‥
その血筋ゆえ、自らの望む道を手放さなければならなかった貴人。心の主たる彼の力になれれば良いのだが、神の使徒たる道を外れる決心はつかない。そんな迷いが頭を占めるキリルは、心を残しながらも是と決めた道を棄てた彼の人の決意に改めて敬意を抱いた。
自分以外の誰かのために捧げる祈りと、認める願い。
幸せは、きっと皆の隣に、あの人のもう一歩先にあるに違いない。
優しい願いが笹(仮)を彩り、葉の擦れ合う淡い音色が小川のせせらぎと共鳴する。
奏でられる涼やかな音楽に龍華は耳を傾けて、穏やかな日々を過ごせる幸運を噛み締める。願わくは、少しでも長く続きますようにと、短冊ではなく藍に染まりゆく空に、輝き始めた星に、願う。
「不思議ね、国は違っても星に何かを願って見上げるのは同じ。どんなに遠くにいたって、皆この空の下だから‥‥なのかもね」
「あの空みたいに、明日も過ごせるといいわね」
ガブリエルにそう返し。瞬き始めた星々に遠い故郷を想った。
●夕餉の彩り
──トントントン
食材を刻む音が軽やかに響く。時折り混じる鼻歌は、夕餉の支度でも積極的に中心に立つ小鳥のもの。
けれど、本日の陣頭指揮はヴィクトルとカルル。
「スイカが後に控えているし、油は控えてさっぱりしたメニューにするか」
さっぱり、と聞いてカルルの目が輝いた。ジャパンで聞いた、あれをする時‥‥!!
「ジャパンでは素麺食べるんだってー。みんなでつるつるしよ〜☆」
「それはぜひ真似てみたいが‥‥」
「難しいですぅ〜‥‥」
ヴィクトルと小鳥の眉間に現れたシワに、その難しさを察したカルルはしょんぼりと肩を落とす。
素麺は素麺の自重で時間をかけて細く長く伸ばす。細くなくては素麺ではなく、細くするには時間が足りぬ。つまり、諦めざるを得ない。
「それじゃあ、ちょっと違っちゃうけど〜‥‥カーシャ用のそば粉でお蕎麦にするか、パスタで代用するのはどーかなっ☆」
「ふむ‥‥それは私も考えていてな。麺を少しばかり乾かしてみたのだ。茹でれば多少は素麺の雰囲気を味わえよう?」
「ヴィクトルさん‥‥抜け目ないですねぇー」
「留守番の妻の分まで盛り上げる義務があるからな」
それでもちょっぴり自慢気なヴィクトル。楽しげな雰囲気に惹かれ現れた雛菊の手をカルルが掴んだ。
「雛菊ちゃん、素麺っぽいもの‥‥一緒に作ろっ☆」
「はわ、雛がんばる! 小鳥お姉ちゃん、雛、何お手伝いするなのー??」
やる気満々な雛菊も加わって──
「うふふ、今日のお料理班はいつもより賑やかでいいわね〜‥‥雛ちゃん!」
ガバッと抱きついた龍華のほんのり落ち込み気味な心を、ちょっぴり救った。
もとより腕の良い料理人の集まりだ、楽しんで貰おうと心を砕いた料理が不評のはずなどない。
並んだ料理に伝助は思わず拍手☆
「毎日違う料理が並ぶなんて、やっぱり期待通りっす♪」
もちろん味も期待通り。
「皆どんどん上達して‥‥おねーさん、嬉しいけどちょっぴり複雑よ」
ぽろりと毀れた龍華の本音に、ローサは首を振る。
「まだまだよ? お弁当の仕込みとか、指示してもらわないとやっぱり無理だし」
作るだけなら慣れてきたが、全体のペース配分など、未だ敵わぬ点も多いのだ。
「こんなのも用意してみたのですけれど‥‥」
雛菊の故国の味‥‥奈良漬「黒錦」をそっと差し出すユキ。
「お漬物〜!」
ユキの隠し玉へ早速手を伸ばした雛菊は、故郷の味に舌鼓。
「こんな異国で味わえるとは思ってもみませんでしたね」
ご相伴に預かった桜花も思わず目を細める。
「美味しいですか? 良かったですの」
その顔が見たかったユキは、大満足で微笑んだ。
「さあ、みなさん、スイカが切れましたよ」『たよ♪』
デザートの登場に、食事の席は一気に沸いた。
◆
そんな傍らではちょっとしたバトルが勃発していた。
『‥‥‥』
マーチが見慣れぬドラパピをじっと見つめる。
『‥‥‥』
ドラパピ・ヴェルデも醸し出される雰囲気に大きな眼をぎょろりと動かした。
『‥‥‥』
白い翼を持つシムル・エンジュが戦いなんて許さないとばかり、ゆらり、ゆらりと尻尾を揺らす。
気が合うらしいリアンと焔、リュミィとリリー、そして三郎。5匹の妖精たちがクマすら屈服させた暫定ボス・マーチの無言の戦闘を、固唾を呑んで見守っている。
「‥‥‥」
気付いてしまったセフィナは、本来ならば竜にも猫にも狩られる側であるはずの兎の行く末をはらはらと見守った。
・ ・ ・
「で、マーチはどうなりましたの?」
「飽きてしまったようで、ヴェルデさんが視線をそらされまして。エンジュさんも、猫さんのように丸くなってしまわれたのです‥‥」
愛らしい姿を思い出してほくほくと幸せに浸りつつ、最後の報告は忘れない。
「あれは、マーチさんの勝利ですわ」
「だそうです、キリル兄様。やっぱりマーチは最強なのですね‥‥」
「‥‥」
ほろりと毀れた涙の意味は、キリルしか知らない。
●願いを追って
木船がそっと川へ浮かぶ。
役目を終えた笹(仮)も、後を追うようにゆっくりと流れに乗った。
小川からドニエプル川の本流まで、追い続けられるところまで追っていこう。
皆で作った自慢のお弁当と、少しのお酒を持ってピクニック。
願いの行き着く先は神の御許か人の元か。
それは、天の川だけが知っているのかもしれないけれど‥‥見守れる、その限界まで。
♪星に願いを捧げたら天の川に流しましょう
織姫様と彦星様があなたの願いに気付くよう♪
鈴の音色に歌姫の声が重なって。友の声が重なれば、それは合唱へと変貌を遂げる。
幸せ祈り、平和を祈り、笑顔を振りまき流れ行く──虫除けハーブの香りと共に。