●リプレイ本文
●天使の住む場所
一足先に村へと戻ったレートンを追い、冒険者たちも天使の住む村へ辿り着いた。
出迎えるのは夫のレートンと、妻のエルフ・ルーティエルだった。奥方の腕の中では、小さなエルザが安らかな寝息を立てている。
「えと‥‥レートンさんも、奥さんも‥‥お久し振りです‥‥」
スィニエーク・ラウニアー(ea9096)がエルザを起こさぬよう、控えめに挨拶をした。
愛猫レーヌに留守番をさせたセフィナ・プランティエ(ea8539)も微笑みを浮かべて挨拶をする。
「お二人‥‥いえ、お三方にお会いするのは、年の初め以来となりますわね。エルザちゃんもお健やかにお育ちのようで、何よりです♪」
そんな間にも柚羅 桐生(ea9841)はルーティエルの腕(かいな)に抱かれたエルザを覗き込んだ。
「ふーむ、ハーフエルフの赤子か? しかし赤子に種族なぞ関係ないな。かわいくて天子のようにとはよく聞くがまさにそのようだのぉ」
赤子特有のミルクのような甘い匂いを漂わせ、すやすやと眠るエルザ。柔らかそうな頬に触れたいが、触れたら壊してしまいそうで柚羅は伸ばした手を引っ込めた。抱かねば依頼はこなせないが、命のやり取りを身上とする荒れくれ者の冒険者たちと比較してしまうと‥‥その生き物はあまりに小さかった。
「懐かしい、と感じる割には半年ぐらいしか経ってないか。村人とは相変わらずのようだけど‥‥」
品の良い雰囲気を醸し出すルティエ・ヴァルデス(ea8866)は柚羅の手を取り、そっとエルザの頬へ触れさせた。
滑やかな肌は絹のように肌触りが良く、焼きたての白パンか搗(つ)き立ての糯(もち)のように柔らかで、柚羅は思わず笑みを零した
「エルザが健やかに育っているようで私も嬉しいな。というわけで微力ながら手伝いに来たよ」
赤子の両親へ頷きかけるルティエの言葉に、ジャスパー・レニアートン(ea3053)が首を横に振った。
「村人たちから協力は得られなくても妨害されないのは幸いだと思う」
「そうよねぇ、一方的に迫害されて叩き出されたりする村もあることを考えれば破格の扱いよね〜」
ツグリフォン・パークェスト(eb0578)の言葉にルティエとスィニエークの視線が揺らぎ、困惑した笑みを浮かべた。ハーフエルフがどのような扱いを受けているかは、ハーフエルフである彼ら自身が一番良く知っている。そして確かに、エルザは受け入れられている方なのだと言えた。
「えぇ、これから時間をかけてもっと認めてもらえるよう努力しますわ。私の両親にも‥‥いつか‥‥」
寂しげに微笑む夫人へ、ロミルフォウ・ルクアレイス(ea5227)は精一杯明るく微笑んだ。
「義理のお母様たちに、エルザちゃんの可愛い笑顔を見せて差し上げることができないのは、とても残念ですけれど‥‥どうか、子守りやお家のことは私達にお任せくださいな。レートン様も、少しの間ですがお仕事疲れをしっかり癒すお時間を取ってくださいね」
よろしくお願いします、と頭を下げる夫妻。しかし誰も小さなエルザを受け取ろうとしなかった。ハーフエルフだからではない。その小さな生き物を壊してしまいそうな気がして‥‥怖くて触れられなかったのだ。
「じゃあ、僕が抱かせてもらおう」
手馴れた手つきで赤子を抱き上げたのはカンター・フスク(ea5283)だった。寝た子は目を覚ますことなく腕の中で幸せそうな寝顔を見せ、カンターも表情を綻ばせた。
「慣れているのですね。お子さんがいらっしゃるんですか?」
奥方の善意の言葉に内心で崩れ落ちそうになったカンターだが、その辺りは仕事と割り切りプロ根性で笑顔を作ると首を横に振って見せた。僅かに引きつっていたのは、きっと、本人は気付いていまい。
「後は僕たちに任せて、ルーティエルさんは安心して出発してくれ」
「荷物持ち代わりに、あたしのゆえめいを連れて行くがよかろうの」
柚羅が自分の驢馬を差し出すと、夫人は有難くお借りしますと再び頭を下げたのだった。
●天使の家に住む動物
「僕は子育てをした事がないから、主にヤギ2頭の世話の方を担当するよ」
そういったジャスパーに付き従ったのはセフィナだ。家の裏手には小さな柵に囲われた小屋があり、白いヤギと黒いヤギが飼われていた。
「牧畜については素人ですので、ジャスパーさんやレートンさんのお話を伺いながら頑張らせていただきますわ。動物については、多少学んでいるのですけれど‥‥役立つかどうか」
「それは心強いな。二人で協力すれば充分切り抜けられそうな気がするよ。とりあえず、餌を持ってこないとな」
保存してあった牧草を餌入れに入れると、二人は柵の中に入り、ヤギを小屋から追い出した。
ヤギが餌に気を取られている間に寝藁の交換をしなくてはならない。
それが終わったらボロ拾いをし、水を運び‥‥奥方ルーティエルはエルザに手がかかっていたため行っていなかったようだが、運動もさせたいところだ。
「やはり、体力的に少し不安が在りますが‥‥これは、エルフの奥様がなさっていたお仕事。根を上げる訳には参りませんわね」
次々に襲いくる意外な全身運動に息を荒げながら、セフィナはそう漏らした。
「コツさえ掴めば、体力は必要の無い作業ばかりなんだよ」
まさか依頼でボロ拾いをすることになるとは思わなかったけど‥‥照りつける日差しの下、早くも滲み出した汗を拭いながら、ジャスパーは小さく苦笑した。
●天使の涙と微笑みと
ジャスパーとセフィナが労働に汗を流していたころ、屋内ではちょっとした問題が持ち上がっていた。
「ふぇ‥‥ほぎゃあ! ほぎゃあ!」
柚羅が抱いてあやしていたはずのエルザが突如火がついたように泣き出したのだ!!
「ど、どうしたのだエルザ殿っ。泣くでない、泣かんでくれ‥‥ツ、ツグリフォン殿、スィニエーク殿、誰か、助けてはくれぬか!?」
抱いていただけで、何もおかしなことはしていない。食事は、エチゴヤ印の付いたエプロンを着けて張り切ったカンターが、どろどろにしたミルク粥を食べさせたばかり。カンターに教わりながら『げっぷ』をさせたのは他ならぬ柚羅で、ほんの少し前の話だ。
「赤ん坊でも、女性です!」
そう主張するセフィナの言葉を尊重し、女性陣はロミルフォウにおしめの替え方を教えてもらった。もちろん実践で教わったのだが、それもついさっきのこと。
そしてロミルフォウとスィニエーク、ツグリフォンはおしめや溜まった洗濯物を洗いに外出中だった。
スィニエークとツグリフォン──ハーフエルフということが重要なのではない。テレパシーを使えるということが重要なのだ。
「よしよし、エルザ殿‥‥泣きたいのはあたしの方だ‥‥」
柚羅が途方に暮れたその時、顔を真っ赤にして泣き叫ぶエルザをひょいっと抱き上げた人物がいた──ルティエだ。
「エルザ、どうしたんだい? 遊んでほしくなったのかな?」
目に入れても痛くなさそうな様子はまるで父親だ。
「ルティエ殿、掃除は終わったのかの?」
「や‥‥ほら、エルザを泣き止ます方が先だろう?」
冷や汗を滲ませながらエルザの頬を撫でようとしたルティエは、赤子が泣き止んでいることに気付いた。
「あ〜、きゃっきゃっ♪」
それどころか、見るからにご機嫌だ。それはカンターが食事を与えている時のようで‥‥そう、おしめを替えている時は愚図っていたのだ。
「ん?」
柚羅は首を傾げた。何かが引っかかった、気がしたのだ。
「ただいま戻りました」
「あ〜、夏じゃなかったら洗濯なんてやってらんないわよねぇ」
洗濯から戻った3人の中から、柚羅はツグリフォンの腕を引いてきた。
「抱いてみてくれぬか?」
「いいけど‥‥何なの〜?」
ルティエの手からエルザを引き取ったツグリフォン。ぽっちゃりした体型はどこか赤子に通じるものがあるのだろうか、エルザはおとなしく抱かれていた。
そして柚羅の指示でスィニエークが抱く。
「ふぎゃ‥‥ふぎゃ〜!」
「‥‥男性が好みらしい。末恐ろしいお子だのぅ」
そんな馬鹿なこと‥‥とテレパシーを使ったツグリフォンとテレパシーのスクロールを広げたスィニエークは顔を見合わせた。
──馬鹿な事も何も、実際にそのとおりだったのだ‥‥。
●聖なる水を湛えし洞窟
陽光を背にし、『ウォーターコントロール』でめいいっぱい上空へ持ち上げた水を四散させると、小さな飛沫が広がり、中空に虹が浮かび上がった。──腕に抱くエルザに見せるためにジャスパーが虹を作り出したのだ。
飛沫は陽光に刺激された肌を薄らと冷やす。
男性に抱かれ、虹というなんだか綺麗なものを見、エルザは上機嫌だ。
その小さな手を取り、振ってみせるジャスパー。
「気をつけて」
粋な見送りにルティエとスィニエーク、セフィナは以前エルザへ洗礼を行った洞窟へと足を向けた。
(「‥‥大丈夫。スィニエークさんは、こうしてご一緒して下さる、お優しい方ですわ。‥‥怖かったのは、きっと気のせいです‥‥」)
何となくルティエを間に挟みながら、呪文のように繰り返すセフィナ。魔法を使い、容赦なく的確に敵を打ち抜いたスィニエークへ対して感じたほんの僅かな恐怖。友人を前に、それは気のせいだと自らを納得させようとする。
一方、ルティエはスィニエークへ囁くように謝った。
「前回は、悲しませてごめんね。ああならないように、気をつけてはいたんだけど」
「いえ‥‥狂化は、お互い様ですから‥‥」
狂化し、仲間たちと血生臭い死闘を演じたのは記憶に新しい。全員が無事だったのから良いのだと、スィニエークは小さく首を振った。それに、狂化したときの対策もしっかり考えてきたのだ‥‥告げることもなく、小さく瞬いて誤魔化してしまったが。
洗礼を行った洞窟にも、周辺の森にもゴブリンの影はなく‥‥
3人は安心して洞窟を後にした。
●夜空に響く天使の歌声
エルザの世話をしていて一番大変なのは夜泣きだ。
「んぎゃ、ほぎゃ、ほぎゃ‥」
「エルザ、起きたのか」
洗い替えのエプロンが必要だったな、などと思いながら、自分の店で出た端切れを持参していたカンター、子守がてらに人形を縫う手を止めてそっとエルザを抱き上げた。
──しかし、それだけでは泣き止まないエルザ。
「‥‥どうしたのですか‥?」
眠りが浅かったらしく、スィニエークが姿を現した。手には燭台とテレパシーのスクロールを握り締めている。
カンターが浅く頷くと燭台をテーブルに置き、スクロールを広げて読み解き始めた。
「‥‥‥母親が、恋しくなってしまったようです‥‥」
「それは‥‥俺には、どうしようもない」
「‥‥ちょっとだけ、待っていていただけますか‥‥? 泣き声が‥‥迷惑にならないように、外で‥‥」
愚図るエルザを屋外へ連れ出したカンターの元へスィニエークが連れてきたのはロミルフォウだった。
「わたくしにお任せくださいませ、カンター様」
穏やかに微笑むとエルザを優しく抱きしめた。そして、泣き声に負けぬよう小さくも芯の通った声で子守唄を歌いだした‥‥
「♪やわらかな木漏れ日 草原を走る涼風
あなたを待つ 丘の上のふるさと
想い出は優しく いつまでもあなたを包み 守る 永遠の場所
時隔ても いつか帰る
安らぎ紡ぐでしょう 父の背中 母の眼差し♪」
愚図る泣き声が徐々に小さくなってくる。
その泣き声が寝息に変わるまで‥‥と再び歌おうとしたロミルフォウの歌声を、歌声に惹かれて姿を現したツグリフォンが引き継いだ。
「♪柔らかな温もりに包まれ
護りたい大切なキミの事
皆の愛にも包まれ今心安らかに
希望を夢見て静かに眠れ‥‥‥♪」
「さすがだな」
母に抱かれた夢でも見ているのだろうか、ロミルフォウの腕の中で安らかな寝顔を浮かべるエルザは‥‥まるで満天の星に愛された天使そのものだった。
●天使の微笑み
「レートン、弁当ができているぞ」
「あぁ、ありがとう」
「気をつけろよ」
「いってきます、カンターさん」
それはまるで新婚家庭のようだった。エプロンがエチゴヤの販促グッズではなく愛らしい手作りのエプロンであったなら、きっと完璧だった。
──新婦が長身の男性でなければ。
毎朝見る光景、ロミルフォウの作る食事もカンターの作る弁当も、どちらも美味しかった。二人の手による離乳食を毎日食べていたエルザは、もしかしたらもう母親の手料理を食べられないかもしれない、とレートンが心配するほどだった。
「あぁ、奥さんが戻ったみたいだ」
奥方の姿に先ず気付いたのは屋外でヤギの世話をしていたジャスパーだった。エルザを抱いたルティエを先頭に、全員が青い空の下へ出迎えに現れた。
「おかえり、ゆえめい」
「ありがとうございます、助かりました」
柚羅へ驢馬を返し、ルティエの手からエルザを抱きうける母親。
「ご迷惑をおかけしましたでしょう? その‥‥ハーフエルフですし、嫌なことも‥‥」
「ハーフエルフは嫌いではない。生まれてきた子供に罪はないから」
ジャスパーが呟くように言った。その言葉が異端であることを知っているのだ。
「近所のかたがたは損であるな。ハーフエルフだからと毛嫌いしているこの子が‥‥何よりもかわいらしく純真無垢であるというのに」
柚羅の胸中には、いつか私も子を生むであろうが‥‥このように無垢で暖かく純粋であろうものか? と、我が身への疑問が言葉となって溢れていた。そして、これが最後とばかりにエルザの頬を突く。セフィナも小さな手で指を握られ、ほわほわと恍惚の表情を浮かべている。
「本当は服を作ってあげたかったが、まあ、これから先は長い。まだまだ時間はある。楽しみは後に取っておいてもいいだろうさ」
レートンを見送り、掃除を始めたそのままの姿──エプロンを付け、頭に布を巻いている──で現れたカンターは、時間切れを惜しむも、エルザと自分の長い生を想い、笑顔を浮かべた。
「あたしの時も両親は苦労して育ててくれたのかしらね‥‥今はこんななりになっちゃったけど、ここまで生きて来れたんだし‥‥ね?」
肥満気味の腹を擦りながら、苦笑いを浮かべるツグリフォンに、小さなエルザを抱く奥方は聖母のような優しく穏やかな微笑みを浮かべ、首を振った。
「親が子を育てるのに、苦労なんてありません。そこにあるのは愛情だけです。健やかに育ってくれれば‥‥それだけで充分なのですわ。時々は、故郷のご両親に会いに行ったり、シフール便を送ったりしてあげてくださいね」
それが嬉しいことなのだと、母親の顔で言うルーティエル。
その微笑みに、冒険者たちは‥‥遠く母を想ったのだった。
青い空に輝く太陽。
──母も、同じものを見上げているに違いない、と‥‥。