【オーガ行進曲】鬼娘。

■ショートシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:4〜8lv

難易度:やや難

成功報酬:2 G 88 C

参加人数:6人

サポート参加人数:2人

冒険期間:08月13日〜08月20日

リプレイ公開日:2005年08月22日

●オープニング

●漆黒の小鳩亭
 花の都、恋の街と名高いパリにも昏い側面がある。
 漆黒の小鳩亭は、まっとうな住民は好き好んで近付こうとはしない、欺瞞と悪意と欲望、そして隠蔽された一握りの真実で構成された裏通りにある、小さな酒場だった。
 昼間でも闇に覆われたような印象を受ける店内では、後ろ暗いところのある者や脛に傷持つ者、そして社会を追われた者などが身を潜めるようにして酒を煽り、静かに語り合う。
 ──ここでの話は決して口外しない暗黙のルールの下で。
「お久しぶりね」
 カウンターに凭れ、マスターへにこやかに挨拶をするのはレジーナ・ヴェロニカと呼ばれる妖艶なハーフエルフだった。小声で返すマスターの声は、重い空気の店内へは響かない。
「こんな所でフラフラしてていいのかい? 大変なんだろう?」
「耳が早いわね」
 ハーフエルフ互助組織『水蠍』、彼らは決して名を明かすことも存在をちらつかせることもしないが、水蠍には擁護する人物が存在する──俗に言うパトロンという存在だ。水蠍のパトロンが誰なのか、それは一部の者たちの間では公然の秘密である。そしてそのパトロンが死の淵に立っているということもまた、一部の者たちの間では知れ渡った話だ。
「それも重要なことだけれどね、やらなきゃならないことが出来たのよ」
 ワインを煽り、軽く溜息をひとつ。どこか疲労を感じさせる仕草が自然に出たものかそれとも演技なのか、マスターには判別がつかなかった。
「冒険者を数名、手配してくれるかしら。もちろん、口の堅い子をね? ハーフエルフなら大歓迎だけれど、拘ってもいられないわね」
「面倒な話か?」
 レジーナ・ヴェロニカは首を横に振った。
「うちにとっては厄介な話だけれど、面倒な依頼ではないわね」
 女王と冠された女性は、髪を掻き上げた。ハーフエルフ特有の耳が露(あらわ)になる。
 空いた器にマスターの注ぐワインが、暗い店内を照らす仄かな灯りを反射し、その存在を誇示する。
 決して酒で饒舌になったわけではなく、依頼の一環、必要な情報としてヴェロニカは事情を簡単に説明した。
「うちとしてはハーフエルフの扱いが今以上に悪くなるのは望むところではないの。けれど、あまり宜しくない状況が発覚しちゃったのよねぇ‥‥」
 ただでさえ死に損ないのナスカ・グランテが引っ掻き回してくれているのに、と僅かに眉間に皺を寄せる。
 けれど、それはほんの一瞬。ワインの肴にと出されたチーズを一瞥し、カップの口を指でなぞる。
「オーガに育てられているハーフエルフがいるの。こんなことが世間に知れれば、ますます風当たりが厳しくなる」
 水蠍に対する風当たりではない。ハーフエルフそのものに対する風当たりだ。
 『水蠍』は『ハーフエルフの互助組織』である。迫害されようと真っ当に暮らしたいというハーフエルフがいるのならばそのサポートをするのも重要な仕事だ。そして、そんな志を抱くハーフエルフにとって、今回の事例は障害以外のなにものでもない。
 ──それならば、排除するのも当然、水蠍の仕事である。
「そのハーフエルフが育てられているのは、シュティール領外れにある廃村。ここからはおおよそ2日の距離になるわね。そこで3匹のオーガに育てられているの」
「オーガを退治して、ハーフエルフを連れ戻せ‥‥と?」
 マスターの問いかけに、レジーナ・ヴェロニカは、オーガはどうでもいいと即答した。
 極端な話、そのまま野放しでも全く構わないのだ‥‥と。
「依頼はその子‥‥女の子なのだけれど、彼女を私のもとまで連れてくること、よ。ただ‥‥」
 言い淀み、ワインを口にし、けれど口内に流し込むことなく、暫く思案する。
 やがて目を伏せて香りを胸に満たすと、それを吐き出すように‥‥言い淀んだその先を口にした。
「狂化内容次第では、ナスカ・グランテのように、連れて戻る事は不可能かもしれない。その時は‥‥その子を殺してあげて頂戴」
 せめて、オーガにといえども、幸せに育てられ偏見を知らぬままに。
 その幸せはハーフエルフに更なる不幸を招くものだと、知らぬままに。

 ──禁忌と禁忌が織り成す愛に終止符を。

「難しい依頼ではないでしょう? ‥‥私たち、ハーフエルフ以外にとっては」
 片頬を歪めて自嘲の笑みを浮かべ、レジーナは深く溜息を吐いた。
 血の色をしたワインが、狂化するように揺れた。

●今回の参加者

 ea2021 紫微 亮(31歳・♂・武道家・人間・華仙教大国)
 ea3853 ドナトゥース・フォーリア(35歳・♂・ファイター・人間・エジプト)
 ea5067 リウ・ガイア(24歳・♀・ウィザード・シフール・イスパニア王国)
 ea8988 テッド・クラウス(17歳・♂・ナイト・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea8989 王 娘(18歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 eb0342 ウェルナー・シドラドム(28歳・♂・ファイター・人間・ノルマン王国)

●サポート参加者

ヴィグ・カノス(ea0294)/ 光翼 詩杏(eb0855

●リプレイ本文

●迷う想いと戸惑う心
 その日は、分厚い雲が空を覆っていた。
 廃村を前にした王 娘(ea8989)は天候を気にしながらフードを被りなおし、同じハーフエルフのテッド・クラウス(ea8988)を見た。テッドの肩より少し上を飛びながら、リウ・ガイア(ea5067)が淡々と言葉を浴びせる。
「まだ迷っているのか」
「‥‥‥」
「悩むまでもないだろう。同胞の不幸が少しでもなくなるならこの依頼、絶対に成功させる‥‥」
 一瞥する瞳に鋭い光を宿す娘。二人のハーフエルフは静かに並んで歩みを進め、リウは距離をおくように離れる。
「オーガに育てられた場合には世間における幸せは得られないだろうし、育てのオーガ達の他には馴染めるとも思えない。‥‥あの子のためにも頑張るさねー」
 珍しく真摯な面持ちを見せたドナトゥース・フォーリア(ea3853)は、その印象を掻き消すかのように飄々と締めくくった。

 一人の少女の幸せは、大多数の不幸の呼び水となる幸せだった。
 そして、少女自身にも、いずれ必ず不幸を招く幸せだ。
 いずれ崩れる砂上の楼閣に過ぎないが、崩壊する刻を待つだけの時間はない。
「もし、人間だったら‥‥」
 出発前、悲しげにその言葉を口にしたのは依頼人のレジーナ・ヴェロニカだった。人間だったのなら、少女とオーガを引き離せば済む話だっただろう。オーガに育てられた少女は世間の同情を一身に受け、両親の下へ戻されるか、どこかの施設で愛情を与えられ育つに違いない。
 一番の不幸は──ハーフエルフであるということに違いなかった。

「彼女にとっての本当の幸せは何なんでしょうか?」
 ずっと考えていた疑問を小さく漏らしたウェルナー・シドラドム(eb0342)の言葉に、紫微 亮(ea2021)が厚く垂れ込めゆっくりと流れる雲を見上げて溜息を吐いた。
「‥‥一番傷が少なくてすむ方法、か‥‥」
 目の前の幸せを守ると誓った亮。しかし、今‥‥幸せを壊しに歩を進めている。未来の少女を守るため、今の幸せを犠牲にする。
 依頼人の言いたいことは解る。けれど、それは押し付けに過ぎないのではないだろうかとウェルナーは悩む。
 自分を律する誓いが、優しき心が、茨となって二人の心に絡み付いていた。

●言葉なき交渉
「やっぱり、できれば穏便に女の子を渡してもらいたいです」
 上空を覆う分厚い雲のようにどこか重く発せられたテッドの言葉に賛同したのは亮だった。
「言葉は通じなくても、身振り手振りがあるし!」
 テレパシーやオーラテレパスがなければ交渉もできないんじゃないかねー、とドナトゥースは顎鬚に手を当てて思ったりもしたのだが、無駄だと思いながらも誰も反対はしなかった。
「頑張ってくださいね。僕は次善の策を講じてみます」
 ウェルナーに励まされ、テッドと亮は廃村に踏み込んだ。
 行動を確認するように頷き合ったウェルナーと娘も廃村にひっそりと踏み入れる。
 待機するリウとドナトゥースにもするべき仕事がある。
 手法は違えども、全員が少女のことを真剣に考えていることは確かだった。

 ──やがて、廃村をオカリナの物悲しげな曲が包み始めた。

 2匹の大柄なオーガと、その後ろで身を寄せ合う小柄なオーガと6歳ほどのハーフエルフの少女。
 彼らに特徴的な耳を見せ、少女と耳を交互に指差すテッド。同じ種族だということをアピールしているようだ。
 その隣には悪戦苦闘しながらオカリナを吹く亮の姿があった。道中、ドナトゥースにオーガの好む曲や楽器を尋ねたのだが‥‥オーガの生態や特長ならばともかく、オーガの好む曲などドナトゥースは聴いたこともない。
 結局、オーガのその好戦的な性質から勇猛な曲が好みであろうと判断したのだが、オカリナ、尺八、横笛、どれをとっても勇猛な曲を奏でるには不向き‥‥亮の意思とは裏腹に、楽器の特性上、どこか物悲しい曲に変容してしまうのだ。
「僕とその子は同じ種族なんです。その子のためにも、僕は彼女を連れて行きたい」
 敵意の無いことを示すために手持ちの武器・ノーマルソードを足元に投げ捨て、身振り手振りのジェスチャーを交えながら、子供と話すようにゆっくり、はっきりと区切るように伝えるテッド。
 けれど、オーガたちには生憎人間やハーフエルフなどの区別はつかないようだった。ジェスチャーも、人間同士、ハーフエルフ同士であっても生まれ育った国や風習が違えば通じないもの‥‥オーガに通じるはずも無く。テッドや亮の伝えたい想いとは裏腹に、オーガたちは武器を手にした!
「待ってください、争いたくはないんです!!」
「駄目だテッド、一旦引こう!」
 オーガより先に動くと亮は投げ捨てられていたノーマルソードを拾い上げ、テッドの腕を掴んで走り出した!!
 一縷の望みを託した交渉がやはり成立しなかったことに、僅かに瞳を潤ませながら‥‥

●鬼少女、誘拐
 それから数時間が経過した。
 足音を殺し気配を消しながら機を窺う娘とウェルナー。二人は少女を確実に連れ帰るため、そしてオーガとはいえ『両親』を殺す場面を見せないため、多少強引でも少女を『誘拐』してオーガたちと引き離す計画を立てていたのだ。
(「僕たちの基準を押し付けているだけ、ではないのでしょうか‥‥このまま暮らす方が幸せかもしれないのに」)
 ウェルナーは一度抱いた疑念に再び鎌首を擡(もた)げられた。それは、ハーフエルフを迫害する者たちと何が違うというのだろう。
(「駄目です、仕事に私情は挟まないようにしないと」)
 ともすれば引きずられそうになる感情を理性で押しとどめ、ウェルナーは一家の様子に目を転じる。
「そろそろ頃合いだな」
 親オーガたちは姿を消している。よほど仲が良いのだろう、子オーガと少女は常に共に遊んでいて離れることはない──しかし、子オーガ一匹程度ならば二人でも特に問題なく少女を『誘拐』することができるはずだと判断し、娘は小さくウェルナーに伝える。

 ──そっと、悟られぬよう近付き‥‥
 ‥‥一思いに襲い掛かる!!

「ガァ‥‥っ」
 威嚇の唸り声を上げる少女だったが、娘の毛布に素早く包み込まれ、その叫びはくぐもった声となり親オーガへは届かない!
 兄弟を奪われ牙をむく子オーガ!! 毛布ごと少女を抑えることに精一杯の娘は子オーガへ手を割けない!
「ごめんなさいっ」
 殴りかかってくる子オーガの腕を交わし、懐に飛び込むように右手の聖者の剣と左手のエスキスエルウィンの牙をクロスさせるように切りつけた!!
「ガァァ!!」
 まだ高い、幼い声の悲鳴が響き、鮮血が飛び散る!!
「グガ‥‥アア‥」
 辛そうな声を漏らし、泣きながら姿の見えぬ両親へ救いを求めるように手を差し伸べ‥‥子オーガは更に振るわれた2本の剣を受け、あっけなく事切れた。
「僕は‥‥」
 どくどくと流れる鮮血は自分たちと同じ赤い色で‥‥ウェルナーは2本の剣にべっとりとついた血糊に胸を裂かれた‥‥何が違うのか。どうして相容れることができないのか。
「ウェルナー、子オーガの悲鳴が大きかった。親が戻る前に離れたい、手を貸してくれ」
 眉一つ動かさずに暴れる少女を面倒くさそうに押さえた娘の声に、ハッと現実に引き戻されたウェルナーは毛布ごと少女を抱えようと娘に手を貸す。
「憎まれても仕方が無い‥‥だけどその憎しみに囚われないでくれ‥‥」
 そう、憎しみの連鎖に囚われたら自分では抜け出せない‥‥憎しみの炎に焼かれ続ける人生なんて悲しいだけだ‥‥娘は、今も思い出す痛みと共に身をもって知っていた。
 俯き、毛布越しにそっと同胞を撫でながら小さく呟いた言葉が耳に届き、ウェルナーは‥‥この無表情で無愛想なハーフエルフにも暖かい想いがあるのだと知り、少しだけ心が軽くなった、気がした。

●愛情との剣戟
「ニャンちゃん、ウェルナー、こっちさね〜。‥‥来た、急げ!」
 ウェルナーの軍馬の傍らで暢気に手を振っていたドナトゥースは視界の端に飛び込んできた2匹のオーガの姿に声を荒げ駆け出した!
「足止めする! 大地の見えざる手よ、それに触れるものを捕らえろ──アグラベイション!」
 全力で飛翔し効果範囲スレスレへ飛び込んだリウは、空中で詠唱しオーガへアグラベイションをかける!! 片方のオーガ行動が目に見えて遅くなる!!
 娘とウェルナーは暴れる少女を押さえ、オーガの悲鳴が耳に届かぬよう毛布の上から少女の耳を塞ぐことで精一杯‥‥とても戦闘に加われる状況ではない。テッドと亮もそれぞれ気分を切り替えオーガへと駆け出した!
「お前さんたちじゃ、結果的に不幸にしてしまうんだ。後のことは俺っちのヴェロニカさんに任せるさねー」
 誰が誰のものなのか激しく突っ込みたい者がいたのは置いておくとして、相変わらず飄々とした雰囲気を漂わせながら目にも留まらぬ速さで鞘から振りぬかれた日本刀の一閃は、オーガへ癒しがたい大打撃を与える!
 ──鼓動と共に溢れる体液。
 子を殺された憎悪に瞳を燃やし、傷口から溢れる血にまみれながら、オーガの目はドナトゥースのはるか後ろで毛布に包まれた少女を見据えていた。
「悪いが、お前達の『子』‥‥頂いていく」
 その視線に気付いたリウは詫びるでもなく淡々と告げ、少し上空へと移動すると傷を受けたオーガをもアグラベイションで動きを鈍らせる。続いてグラビティーキャノンの詠唱を開始するが、その間にテッドがオーガへと剣を振るい、亮は喉元へと鼠撃拳(シュウ・ジィ・クァン)を叩き込む!!
 鍛錬を積んだ冒険者たちを相手にするには、オーガ2匹では足りなかった。冒険者たちへ大きな傷を負わせることも敵わないまま、オーガたちは血を流さぬ躯(むくろ)と化した。
『うがあああああ!! ‥‥‥』
 何かを察したのだろう、毛布の中で絶叫を上げた少女は‥‥言葉を失くし抵抗を止めた。
 慌ててウェルナーと娘が毛布を取り払うと、紅の瞳をした少女が感情の無い瞳で宙を見つめていた。
 その瞳の中、蹴り戻ったリウが言葉をかけた。
「心配は要らん、お前を『仲間』のもとへ連れて行くだけだ」
 ちらりと興味ない眼差しでリウを一瞥した少女を悲しみを湛えた瞳で見つめ、テッドは‥‥ハーフエルフとしては恵まれすぎた自分の人生に感謝を、少女の未来のために祈りを捧げた。
 抱く疑問に答えを出せず、少女を見つめられぬ亮は空を見上げた。
 ──いつしか厚い雲は薄れ、残った雲も風に流され‥‥青空が広がり始めていて。
 流れる雲を、その合間に浮かぶ月を見て‥‥亮は自分自身へと一つの回答を出した。
 ここで会うのも縁(えにし)なら‥‥‥ソレを決めるのも運命の一つだと。

●同胞(はらから)の元で
 それぞれの思いを胸に抱き、少女を抱いて漆黒の小鳩亭の扉をくぐる。その店のカウンターにいるのは長い黒髪の妖艶なハーフエルフ──依頼人レジーナ・ヴェロニカ。
 リウはカウンターまで宙を進み、依頼人へ仕事の完了を報告する。
「連れてきた。仕事はここまでだな」
 少女は、フードの紐を引っ張ると猫耳を思わせるお団子カバーが動く‥‥その動きが気に入ったようで、帰りの道中、娘に抱かれ続けることを望んだ。まだ幼さを残す手を痺らせながら抱いてきた少女を、水蠍の幹部へと引き渡した。
「狂化中は感情を失うようです」
「そう‥‥ありがとう、確認する手間が省けたわ」
 初対面の幼子を優しく撫でる手は、その表情は、まるで母親そのもので。それを見た冒険者たちは、女王の名を冠されたヴェロニカの同胞に対する深い愛情を感じさせられた。少女がハーフエルフである限り、水蠍は見捨てないのだろう。
「ハーフエルフの幸せは奪われる為に存在しているのかもな‥‥」
 少女を委ね、狂化するほどに愛情を抱かせたオーガたちを思い出し、溜息と共に吐かれた娘の言葉にヴェロニカは首を振った。
「幸せは自分が決めて勝ち取るものよ。何もしないのならば、例え人間でも幸せにはなれない──貴女も他人の業を背負い不幸になるために生まれたのではないのだから、幸せを望んで良いのよ?」
「この血の呪いがあるのに幸せになどなれるものか」
「そんなこと、誰が決めたの? 大丈夫、いつか呪いは晴らすわ‥‥自信を持って顔を上げ、笑顔で平穏に暮らすために水蠍は存在しているのだから」
 狂化という枷がある以上、幸せになどなれない‥‥そう俯いた娘は、ハーフエルフの地位の向上を夢見るテッドは、微笑んだ女性の語る水蠍の一面に目を見開いた。
 ──狂化せずに平穏に暮らす。望んではならないと思っていた幸せ。
 それを勝ち取るために本気で歩む水蠍とヴェロニカ。呪いを晴らすと言い切る芯の強さが彼女を女王と呼ばせ水蠍を結束させているのかもしれない。
「私たちと共に行動しろとは言わないわ。けれど‥‥幸せを諦めることだけはしないでね」
 黒い瞳に見つめられ、テッドは当然だとばかりに、娘は躊躇いがちに、頷いた。
 幸せになるために‥‥ハーフエルフたちの切実な願いを感じながら、亮は自分の導き出した答えのままに、ヴェロニカに声をかけた。
「こいつはお節介なんすけどね、その子の様子‥‥時々伺いに来たりしてってのは?」
 今を守るのは冒険者が移ろい行く雲のように流浪だから。未来を考えるならその者をずっと見守らなくてはならない──奪ってしまった幸せの代わりになるかは判らないが、それが亮の出した答えだった。
「ええ。いつでもとは言えないけれど、この子を大事に思ってくれるのなら会ってあげてほしいわ‥‥人間を愛せる子になるように」
 ハーフエルフを大事に思う者が近くにいたのなら、偏見に晒されても人間を愛せる強い子に育つに違いない。
 そう快諾した依頼人に、亮は胸を撫で下ろした。
 報酬を受け取った仲間たちが引き上げる中、漆黒の小鳩亭に残ったのは美丈夫ドナトゥース。仲間の気付かぬうちに、いつの間にか入手していた花束をヴェロニカに贈り、隣に腰かけた。
「ナスカは今の所見かけたという情報は聞かないですね。ただ以前伯爵の城で見かけたらしいし、伯爵は出てきたとか言う依頼も張り出されてるから何か動きがあるかもしれません」
「そう‥‥彼女に繋がる者を張れば近いうちに遭遇できるかもしれないわね」
 土産話と同胞の探る状況を突合し、今後の展開を組み立てる女性の手をそっと握り、意識を自分に向ける。
「一人で危険を背負うなよ?」
 同胞のためなら何でもしてしまいそうなヴェロニカ。女王は穏やかに微笑み、気をつけるわと唇を交わした。
 本当は、気をつける手段などヴェロニカ‥‥ヴェロニカ・シュピーゲルにはないのだけれど。

 ──ハーフエルフのためにも、自分のためにも‥‥生きるのは志を語った彼女の義務だった。