●リプレイ本文
その日、パリのとある酒場の数組の男女が集っていた。
「ロートさん、女性というのは何故こんなにもパワフルなのでしょうか‥‥」
途方に暮れているのはカルナ・デーラ(eb0821)、美しい刺繍の施されたローブを纏っているが、その引き締まった肉体は戦を知るものの肉体であろう。けれどミューツ・ヴィラテイラ(ea7754)の言う『恋人達の法則その一・日が暮れるまで追い駆けっこ!』に大真面目に付き合っていたせいで全身が倦怠感に包まれてしまっている。うふふふ、と普段と比較にならない愛らしい笑い声を響かせた妖しさ全開のミューツは今も元気良くライカと言葉を交わしている。
「俺に聞くんじゃねーよ、こっちが知りてぇくらいだぜ」
カルナの言葉に渋い色を浮かべたロート・クロニクル(ea9519)はスープを口に運びながら、それでも全神経の半分は常に最愛の女性に傾け──ようと鋭意努力中。
──あたしの事を愛してくれるなら、やってくれるわよね?
迫力ある満面の笑顔でこれからは家事を手伝ってくれと主張したライカ・カザミ(ea1168)の笑顔が脳裏に張り付いて離れないのだ。思い出しただけで背筋がぞっと──あ、こぼした。
「まだ分からない? 恋愛は女の子の原動力なのよ♪」
繊細な微笑みを浮かべるミューツを見て‥‥たおやかな彼女が地のままの小姑ではなく猫を被った小姑にしか見えず、カルナは再び捨てられた子犬の眼差しで縋りつくようにロートを見た。余計な一言は身を滅ぼす、それは経験から充分に学んだ。
「女の子だけとは限らないんだけどね」
パンを千切りながら茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせたドナトゥース・フォーリア(ea3853)自身、確かに恋を嗜み愛を知る男性に他ならない。しかし本日、待ち人未だ来ず。
「愛と音楽は世界に欠かせないものですものね」
ミューツの隣で春の日差しのように穏やかにライカが微笑んだ。
「ライカさん、踊りが抜けてるような気がするんだけど?」
キッシュを取り分けながら僅かに口を尖らせたのはシャフルナーズ・ザグルール(ea7864)である。陽光の踊り手の異名を持つ彼女にとって踊りは常にそこに在るもの、無ければ生きていけないものなのだろう。
そしてシャフルナーズが先ほどからちらりちらりと目を遣る先では‥‥友人レイ・ミュラー(ez1024)が今回の依頼人であるドナ・ウェイスとの間に微妙な空気を醸し出していた。
そしてムードなど求めるべくもない酒場で辛うじてデートの雰囲気を煽り立てるものは文字通りその場に添えるように飾られている花々だ。冬場で種類こそとても少ないのだが、共通する清楚な雰囲気はともすれば下卑たものになりがちな酒場の雰囲気を上品と呼べるラインに押し留めている。
席に着き、運ばれた食事を口にするロートとカルナは何処か疲れ果てていた。しかし女性陣は、そんなことはお構いなしに元気いっぱいである。
「羨ましいです、素敵な旦那様で」
「あたしだって、去年の今頃は一人身だったわ。出会いなんてわからないじゃない? だから、大丈夫よ」
ドナを励ますライカの一言。去年の今頃という言葉にドナの視線はシャフルナーズと親しげに言葉を交わすレイに向けられた。去年の今頃、ドナはレイにアプローチを掛けていたのだ。結果はものの見事に惨敗だったわけだが‥‥それを知る者はこの座にいない。
「ドナさん、折角だし好みのタイプを是非教えてくれないかしら」
ミューツの問いかけに、何とはなしに視線が集中する。
「ええと、優しくて、格好良くて、凛々しくて、頼り甲斐があって‥‥好きになればそんなことどうでもいいんですけど」
真っ赤になってもじもじとスカートを弄るドナ。
「そうよね、理想と現実の折り合いはつけないといけないわよね。夢を見させてくれることは重要だけれど、夢ばかりで現実を見抜かずに苦労三昧なんて遠慮したいわよね」
噛み合っているようで齟齬のある会話。ミューツに打算を感じるのは錯覚ではあるまい。
一方、イイ男談義に加わらなかったシャフルナーズはレイと歓談中。
「最近フィリーネ様と会ってる?」
「忙しい方ですから」
領内の復興に奔走している、そのたおやかな手を煩わせたくないと首を振るレイに、シャフルナーズは手にしていたナイフとフォークを置いた。
「シュティール領で起きた事は聞いたよ。ヴィルヘルム様の事も‥‥でも、フィリーネ様にはやらなければならない事が沢山有る。誰か側で支える人が必要だよ!」
シャフルナーズと年の変わらない、むしろ年若い奥方。夫の姿をした様々なものが死に、命を狙われ、領地は消滅の危機に晒されて──気丈にしていても支えるものは絶対に必要なはずだ。
「レイさんがフィリーネ様を本当に真摯に、大切に想っている事を私は知ってる。だから、レイさんがどんな選択をしようと、それは状況に付け込む不誠実な行いでは有り得ない。私が保証する!」
力いっぱい押された太鼓判に、レイは少しだけ笑った。
「そりゃ皆すぐには気持ちを切り替えられないよ、しかもあんなに愛してらした素敵な旦那様だし。だけど変わらないものなんて何もないし、レイさんはヴィルヘルム様と同じくらい素敵な人だと思うもの。もっと、自信持って?」
「ありがとうございます‥‥お断りするつもりだったんですけれど、新年のお祭り、参加してみます」
折り目正しく微笑むレイへ安堵の笑みを返し、再びナイフとフォークを手にした。運ばれてきたチキンの香草焼きの香りが鼻腔を擽るからだろう。
「‥‥駄目か」
妖艶な彼女が忙しい女性なのは解っているつもりだ。連絡手段も不確実、預けた手紙が今日中に目に触れるとも限らず、諦観の念に囚われたドナトゥースへ涼やかな声が掛けられた。
「遅くなってごめんなさいね」
つい先程手紙を見たのだと謝るレジーナ・ヴェロニカ(ez1050)の為に立ち上がってイスを引いたドナトゥースは、黒衣のヴェロニカへ会釈した。
「こちらこそ急で申し訳ありません、ヴェロニカさん」
近隣に座す女性たちの生命力溢れる昼間の輝きとは異なる、夜の妖艶な美しさ。思わず赤面したロートの足をライカが力いっぱい抓り上げた。涙を浮かべたロートに気付き、同じく赤面していたカルナはそっとイスをずらし、ミューツとの間に距離を取った。
改めてグラスにロイヤル・ヌーヴォーが注がれ、一人身のドナに配慮しながらのささやかな乾杯が行われた。
◆
食事を終え、めいめいが酒場を後にした──寒さ故に氷のように澄んだ夜空。店を替えしばし言葉を交わしていたドナトゥースは、人通りの減った通りで足を止めた。
「ヴェロニカさん、貴女にこの花を」
差し出された花はクリスマスローズ。聖夜祭の時期に咲く、バラに似た花だ。
「雪枯れの大地で雪を押し退けて咲く強さも、花を守るように身を盾にする姿も、貴女そのものです」
「身を盾に──ね」
毀れた微笑みは感情を感じさせぬいつもの妖艶な微笑みではなく、誇らしさに数滴の自嘲を滲ませた複雑だけれど彼女自身の感情が覗く微笑み。限られた同胞とドナトゥースにのみが垣間見ることのできる『表情』と呼べるものを浮かべ、クリスマスローズのブーケを受け取り‥‥隠すように潜ませてあるマートルに気付いた。花に限らず葉も幹も全てが香るマートル。花の咲く時期ではないが、潜ませたその花は確かに芳しく存在を主張していた。愛の囁き、その花言葉のままに静かにヴェロニカに染み渡る。
「自分は女の人に苦労させないで暮らせるだけの甲斐性を持ちたい。そうなれるよう、暫く修行に出て腕を磨いてこようと思っています。けれど、このマートルのようにいつも想いは貴女と共にありたい」
「そうね、貴方の倍の時間があるのだもの、ゆっくり待つわ──遠い地にあっても」
ブーケを優しく抱き、厚い胸板に額を寄せる。ゆっくりとした呼吸が、寄せられた頬が、自分の匂いや温もり、その全てを刻みつけようとしているようで、ドナトゥースは反射的にヴェロニカを抱き寄せた。
「遠い地に赴くことになったの。‥‥‥‥きっと戻るわ」
自らの意思で仕事を放棄する人物ではないことはドナトゥースも重々承知している。そして誠実な人物であることも。恐らくは組織の指示で遠方に赴き‥‥使命を果たすまで戻れないのだろう。
「戻らなくとも、探し出すさ」
褐色の肌に白い歯を覗かせて笑う。その瞳に嘘はなく──褐色の指と白い指が未だ言葉にされぬ心の全てを伝えるよう、しっかりと絡まりあう。
「この世界のどこかで、貴方のことを待つわ──元気で」
想いを伝えた指に真実を示す温もりだけを残し、華の名を持つ漆黒の髪の女性は闇に解けて消えた。
「必ず、この世界のどこかで」
そう呟き、ドナトゥースは温もりを確かめるように拳を握って瞳を閉じた。
◆
別の路地では太陽の似合う二人が酒場から零れる明かりの下で言葉を交わしていた。
「本当にお送りしなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫だよっ♪」
夜道に女性を一人で帰すなんてと困惑するレイだがシャフルナーズの腕が立つことも知っている。不承不承頷いたレイは自分を見るシャフルナーズの瞳の、物悲しい光に気付いた。
「私、暖かくなったらまた旅に出るんだ‥‥だから、最後にちょっとだけお節介♪」
旅、それは冒険者の宿命。暫しの別れを告げるため頬に友愛のキスをして、涙を浮かべぬように微笑んだ。
「いつか領主様になったら、パーティーには呼んでよね?」
何をっ! 真っ赤になってそう否定しようとしたが、大切な友人が心を残すことのないよう、赤い顔のまましっかりと頷いてみせた。
「‥‥友人としても踊り子としても、必ず。ありがとう、太陽が貴女と共にあるよう祈っています──お元気で」
旅立つ友を一度だけ抱きしめて、お互いに瀬を向け歩き出した──道は違えども、同じ明日に向かって。
◆
「寒くねぇか? 体、冷やすなよ」
家路に向かうはロートとライカ。肩に引っ掛けた二人分のバックパックから取り出した防寒服を手渡し溜息をひとつ。
「悪ぃな、何つーか‥‥気の使い方とか良くわかんねぇんだよ。俺がしっかりせにゃ、っつーのは痛感してるんだけどな」
「その気持ちだけで充分だわ」
寒さを和らげる服に袖を通しながら緩やかに微笑んだ。お互いにお互いを思い遣る心が愛を育むのだとライカは思う。ロートが幸せそうにしているとライカも嬉しい。恐らく、その逆もまた同じだろう。身体を労わるように防寒服を身に纏うとライカは足を止めてロートを見上げた。
「去年は色々あったけど、これからもずっと一緒ね。来年もよろしくね♪」
出会って、愛して、愛されて‥‥何も告げられる事無く置き去りにされたこともあった。
「‥‥俺の勝手な行動で泣かせたり、言葉もわからねぇような国に来させたり‥‥悪かったな。もう離さねぇからさ」
ぶっきらぼうに告げて贈ったものは花束でなく繊細な白い花と銀白の草が寄せ植えられた鉢植えだ。
──これからは、俺がこいつを支えていくんだ。
ロートを安心させる笑顔が苦労を隠すためではなく、いつも幸せから溢れるように。
嬉しそうに抱きしめられた鉢植えはそんな意思と離れないという決意を込めたものだ。エデンの園を追放されたアダムとイブに与えられた希望、スノードロップ‥‥その話に準えた『希望』の花言葉を持つスノードロップに、『あなたを支える』という言葉を与えられたダスティー・ミラーを添えた質素なものだった。それがロートがライカへと寄せた気持ちだった。寒空の下に置かれ薄っすらと雪を被っているが、それでもしっかりと頭を上げている可憐な花。
「俺にとって、ライカは未来を紡ぐ希望なんだ。俺はそれを支えていきたい、希望が費えることがないように。この手から希望が零れ落ちないように」
「‥‥貴方を愛して本当に良かった。どうも有り難う──‥‥」
15センチの身長差を埋めるべく爪先で立ちロートの頬にそっと口付けた。その柔らかな温もりに赤面しながら、ロートはぐっと抱き寄せ唇を重ねた。
照れくさくてなかなか慣れることのできない言葉の代わりに‥‥
◆
郊外の丘まで足を伸ばしたのは恋愛修行中のカルナと小姑‥‥もとい師匠のミューツだった。風に弄ばれる髪を押さえながらパリの明かりを見下ろし、ミューツが微笑む。
「じゃあ、これが最後の練習よ。愛の告白、実践編ね」
「‥‥くさい台詞を考えると笑いで回避したくなりませんか?」
ぽりぽりと頬を掻くカルナ。恋愛に告白はつきもの☆ ライカとロートのようにいつかは誰かと自然に寄り添う恋人や夫婦になりたい、でもどうもこういうことは苦手。
一緒のお棺に入りましょう、だと心中みたいで嫌ですし‥‥と必死に頭を捻って考えた言葉をミューツの目を正面から見つめて口にする。
「来年もこうして此処へ来てくれますか、自分と二人で」
そして手にしていたものはクリスマスホーリーの名を持つヒイラギにクリスマスパレードの名を持つエリカの花束を差し出す。
「ねぇ、これきちんと花言葉まで聞いた?」
「ええ。クリスマスホーリーが先見、クリスマスパレードが孤独です。自分なりにミューツさんにぴったりなものを選んでみたつもりなんですけれど、何か問題がありますか?」
「‥‥そんなことで恋愛が成就するわけないでしょう。花は愛を告げるために重要なものなのよ! 同じ花でも永遠の輝きと博愛って言えば全然印象が違うのよッ!」
ビシッと指を突きつける。花言葉など一部の好事家が雑学の延長程度のこととして嗜むようなもの、いつかカルナが恋する相手が花言葉に長じているとは限らないが、自分の知らない知識であろうとそんな細やかな心遣いは女性にポイントが高いとミューツは口を酸っぱくして告げているのだ。ドナは営業努力の一環なのか、それとも恋多き女の性なのか、花言葉に長じていたのでちょうど良いと思ったのだが‥‥
「やっぱり杉の方が良かったでしょうか。あなたのために生きる、っていう意味らしいので少し悩んだんです」
「そんな華やかさにも色気にも欠けるものなんてもっと駄目よ!」
‥‥問題はやはり本人のようである。
「でも、大事なのはやっぱり気持ちですよ‥‥ね?」
恐る恐る尋ねるカルナにミューツは深く溜息を吐いた。
「外見だけなら決して悪くはないのよね‥‥」
そんな思考回路がすでに小姑そのものなのだが、今その言葉を口にしたら後が恐ろしいことくらいカルナにも察せる。しょんぼりと肩を落とし口を噤んだ弟分の頭を撫で、ミューツはやれやれと肩を竦めた。
「まだまだ卒業には程遠いわね、これからも練習、ビシバシといくわよ?」
そんな二人の様子を遠くから見つめる姿は──花屋のドナ。
「ああ、カルナさん‥‥素敵っ」
出会いは探すものではなくそこに在って、問題はそれに気付けるかどうか‥‥なのかもしれない。