●リプレイ本文
●出立
日が昇るたびに春と冬が切り替わる──江戸から出発する日もまた、春から冬へと逆戻りしたような陽気の一日だった。
「狼を退治して‥‥か。だが人死にが出ていないのならば敢えて無駄な殺生をする必要は無いだろう」
追い払えば事は足りる──安積直衡(ea7123)はそう判断した。退治するのは万策尽きたときの、最後の手段でありたい。そんな安積の言葉に頷き、防寒服の襟元に僅かに生じた隙間をしっかりと併せながら、リデト・ユリースト(ea5913)は依頼書を思い出して小さく唸る。
「狼の被害であるか。妙であるな」
「そんなに妙なことなのですか? 獣ならばそのようなものかと思っていたのですが」
「狼は普段群れで行動し、縄張りを持って、それを犯す物は排除するけど、理由無く他の動物の縄張りには侵入しないと聞いています」
不思議そうに目を瞬いた七神斗織(ea3225)へ宮崎桜花(eb1052)が真っ直ぐに答える。桜花の言葉を肯定するように、その頭上から重ねて頷くリデト。
「そ‥‥それに、狼は、け‥‥警戒心が強い。その、だから、人里に下りる事は、そうそう無いはずなんだがな‥‥」
口を開きかけた飛鳥祐之心(ea4492)は桜花の説明に一瞬自分の言葉を飲み込んだが思い直し、どもりながらも自分の意見を口の端に乗せる。またしても頭上からうんうんと重ねて頷くリデト。
「しかも、季節は春に向う処。冬の最中に餌がなくて山から下りてきたのならまだ分かるのであるが、少し時期外れな気がするんである」
「それに、聞く限りでは獣が単に襲っているにしては状況が合わないような‥‥」
闇目幻十郎(ea0548)もまた、依頼書から違和感を感じ取っていた。ちゃっかり桜花の隣に陣取っていた鷹見仁(ea0204)は、その肩に手を回しながら話を総合する。
「ってえと、何だ、狼は何か理由があって人里に下りてきているってことか?」
「可能性の話ですけど。でも、そうであれば狼を退治することなく、穏便に片付けることができるんじゃないでしょうか」
肩に回された手をそっと外して一歩距離を置きながら、そこに僅かな希望を見出して桜花は微笑んだ。
「けひゃひゃ、仁君、見事にふられてしまったであるな〜」
にゃんこ丸の手で慰めるように肩をぽふぽふと叩きながら、トマス・ウェスト(ea8714)は一頻り友人をからかい、リデトと桜花に交互に視線を投げた。
「狼がそんなことまで考えるとは思えんのだがね〜。まあ、現地に赴いて情報を集めればおのずと事件の全容も見えるであろうよ〜」
言うが早いか腰を上げたドクターに続き、水戸へ向かい早速移動しようとした一行に声を掛けたきた青年がいた。マクシミリアン・リーマス、リデトの友人である。
「良かった、間に合ったみたいだね。水戸について、ざっとだけど調べてきたんです、役に立つかどうかはわからないですけど」
「いやいや、助かるんである。私たちだけではそこまで手が回らなかったんであるからね」
独特な口調でそう返し、情報を受け取るリデト。
「調べたといっても、あまり詳しくはないんです。水戸の御領主は源徳家康様の御兄弟だそうですが、昨年秋、突如黄泉人が現れて水戸城は陥落‥‥現在では側近の方々や御子息の光圀様共々生死不明だとか。何やらモンスターやアンデッドの動きも活発らしいですから、用心するに越したことはないと思います。道中、お気をつけて」
それはギルドで聞けば充分に分かる範囲の情報であるが、現状ではそれ以上の情報は全く入っていない。政情が不安定なのならば致し方のないことであろうな、とリデトは納得し、心遣いと尽力に感謝して改めて江戸を後にした。
●宿場町
到着した宿場町は静けさに満ちて、とても宿場町とは思えない場所だった。
「遠いところを、申し訳ありません」
薄汚れた着物を纏い、依頼人が頭を下げた。
「この件はどのような結果になったとしても決して口外はしないと確約いたします。四代目、闇目幻十郎の名に於いて‥‥」
恐らく依頼人の一番の懸念と思われることを晴らすため、幻十郎は自らの名に誓う。
「わたくしたちは、ドクター‥‥お医者様のウェスト様と共に狼に襲われた村の噂を聞き治療に来た者、です。そのことをお忘れなきよう、お願いいたしますわね」
斗織の言葉に頷き、代理の依頼人はこの依頼をギルドに届けるよう指示した真の依頼人の名を口にした。しばらく言葉を交わし治療という名目もあり、代理依頼人にひと時の別れを告げる。
「しかし、水戸はどこに行ってもこの嫌な空気が纏わりつくな‥‥どんな美人も確実に二割減だ、勿体無い」
「仁にゃふは訳のわからんことを言うにゃふ〜」
「仁にゃふ言うな!」
傀儡のように遊ばれてにゃにゃん丸はどこかげんなりした表情である。仁はまさか猫に当たるわけにもいかず、ドクターを睨みつけた。もっとも、その程度で折れるドクターでないことは承知しているのだが。
「どこで誰が見ているか分かりませんし、ドクターもきちんと医者らしく振舞ってください」
「振舞うもなにも桜花君、我が輩は正真正銘の医者なのだがね〜」
憤慨するドクターだが納得させる時間も惜しく、それぞれが己の目的を果たしに村へ散った。
◆
村の中で情報収集をしていたのは幻十郎と安積だった。
「いつごろから被害が出始めたんだ?」
「あれは‥‥そだな、雪さ降った2日後くらいからだ」
大柄で見るからに強そうな安積と幻十郎の二人に、ひょっとしたら狼を退治してくれるのではないかという淡い期待を抱いた眼差しを向けて、一生懸命思い出しながら言葉を紡ぐ。
「狼が出没する様になった頃の前後で何か変わった事はありませんでしたか?」
「変わったこと‥‥この時期にしちゃ珍しく雪が降ってたっつぅくらいだ」
「それから、被害時の状況を詳しく聞かせてくれ」
「状況とか言われてもなぁ‥‥ああ、でも不意打ちで飛び掛ってくるんじゃねんだ、必ず姿を見せて、それから襲い掛かってくるんだ。真っ白でえれぇ綺麗な狼っつう話だぞ」
純白の狼などそう多くはあるまい。姿を見せ、それから襲い掛かるという行動。そして、命を奪うわけではなく生きて返すという行動。それらの行動が何より引っかかるのだ。
そう、まるで──純白の自分たちがそこに居ることを知らしめようとしているかの如く。
「‥‥そんなことがあるのか?」
「賢いとはいえ、相手は獣ですよ」
導き出されたひとつの可能性に、二人は小さく呻いた。
◆
リデトと桜花は依頼人より真の依頼人だと告げられた春日に合うため、村はずれの神社へと赴いた。
「誰です?」
村の女と同じく薄汚れた服を纏い現れた女は警戒も露に尋ねた。
「ギルドで依頼を受けた冒険者で、宮崎桜花と言います。こちらはリデト・ユリーストさん。実は、いくつか直接お聞きしたいことがあって伺ったのです」
幾分、警戒が和らいだように感じる。身を隠していることを鑑みれば、たとえ味方と言われようと警戒を解かないことは当然のことだろう。年の功か経験の違いか、それとも単純に性格の違いか。さほど気にすることもなくリデトは疑念を口にした。
「狼は仲間思いの動物であるから仲間に何かあるかあったとかは敏感である。特に子狼は子犬と間違えやすいであるからして。村で狼か子狼を見かけなかったであるか?」
「‥‥いいえ。村で子犬が生まれたという話こそ聞きましたが、それ以上の話は耳にしておりません」
「ふむ? 縄張りを荒らしたか、仲間を探しに来たか、その程度しか考えられないんであるが‥‥」
おかしいと首をかしげるリデトの言葉は、確かに頷ける話なのだ。狼が人里に近付くなど、理由無く行われることではない。
‥‥そして会話に気を取られ、彼らは気付かなかった──こっそりと神社から抜け出した者がいたことに。
しばらくの後、神社の周辺を調べた二人が子犬と子供の足跡を発見するまで。
◆
ドクターと斗織は医者として被害者の家を訪れた。護衛と名乗る飛鳥も行動を共にしている。
「旅先で村の方達が狼被害で困っている事を聞きまして参りましたの。治療いたしますので、怪我をお見せいただけますか?」
斗織の優雅な物腰、そして医者という喉から手が出るほどに欲しかった存在の前には村人の警戒心など無いも同然である。怪我人を前にてきぱきと治療を行うを出す斗織。それを傍らに見ながら、飛鳥は怪我人の家族と世間話を装って言葉を交わす。
「前にも狼が村に来る事があったのか?」
「狼が出たことがねぇわけじゃね。だけど、こんな飼い殺しみてぇなのは初めてだ」
「まさか、狼の縄張りにでも入ったのか」
「いんや、そんな馬鹿なこたしねえよ。他の時期ならともかく、餌のねえ冬場と子連れのこの時期は恐ろしくで近づけたもんでね」
ふむ、と腕を組み少し考えると、切り口を変えて質問を続ける。
「‥‥最近時期はずれの雪が降ったと聞いたが、それ以外に村の近辺で異常な事が起きなかったか?」
医者が来ているという話はさして広くもない集落に飛ぶように広がり、我も我もとけが人が押し寄せた。中で一番酷かったのは喰い千切られなかったまでも腕を噛み折られたという村人である。添え木はしてあるものの牙を受けずたずたに裂かれた肉は膿み始め、これが夏であればそろそろ蛆がわいてもおかしくないほどで、野次馬根性で覗きに来ていた村人が数名、吐き気を催して逃げ出した。
「‥‥ドクター」
「けひゃひゃひゃ、ずいぶん派手にやられたであるな〜。これは斗織君の手には余るかもしれんね〜」
惨状を一瞥し、自分の名が呼ばれた理由を察したドクターは村人に歩み寄る。怯える村人を飛鳥が支えた。
「大丈夫だ、ちょっと独特だがドクターは腕利きだ。信用していい」
「そうとも、我が輩に任せたまえ〜。慈悲深き母の奇跡を受けるがいい〜」
一瞬淡く白い輝きを纏ったドクターが唱えたリカバーの奇跡が村人の傷を癒す。
「痕が残るかもしれんが、この程度で済んで良かったと我が輩に感謝したまえよ〜。普通狼に襲われれば、生きていること自体が珍しいのだ〜」
驚きに目を丸くし、がくがくと頷く村人。人は見かけによらないものだとその顔に如実に記されていた。
「で、その狼というのはどんな感じで、どこら辺で襲われたのかね〜? 乗りかかった船であるし、そこにいる飛鳥君や護衛の冒険者たちで退治できるものならしてやらんこともないが〜」
顔を見合わせた村人たちは、大喜びで話し始めた。
◆
仁が佇んでいるのは神社の裏手にある山ともいえないほどの山、丘と言うべきだろうか。
村を一望するために上ったそこからの景色は確かに美しく仁の選美眼が確かなものだと裏付けてくれたが、やはり纏わりつくような空気が好きになれず、筆を取る気になれない。
「危険を冒して山に登ってコレだからな。やっぱり二割減だ、絶対」
村に戻るかと息を吐いたとき、眼前の草むらが揺れた!
──ガサッ
「!?」
咄嗟に刺叉を構える仁! 警戒しながら茂みの向こうを覗くと、白い子犬と戯れる少年の姿があった。
微笑ましい姿に口元を綻ばせ無意識に絵の構図を考えている仁に、やがて子犬が気付いた。鳴いた相棒に少年も仁に気付き、子犬を抱き上げると恐る恐る声をかけてきた。
「旅の人ですか? あの、この子を飼ってること、誰にも言わないでください。僕の、たった1人の大事な家族なんです」
抱えた子犬は良く懐いているようで、小さく震える少年の頬をぺろぺろと舐める。
にこやかに頷きかけた仁。しかし‥‥
「そうもいかないのである。その子犬は、雪狼の子供であるよ」
少年を探してきたのであろうリデトが仁の背後から少年に声をかける。よほど慌てたのだろう、息の上がった仲間たちが次々と到着した。その姿を見て初めて、仁はこの少年こそが依頼が伏せられる原因なのだと気付いた。
「『理』と『情』を秤に掛けて、何を優先すべきか決断するのも重要なことですよ」
少年の立ち居振る舞いや春日の存在、そして伏せられる今回の依頼──恐らく行方不明とされる水戸の若君なのだと察し、幻十郎は大局を見た判断をするよう示した。
「いいか、少年。今この近くに狼が出没してるのは知ってるな」
こくりとひとつ頷くのを待ち、言葉を続ける仁。
「まだ村人を傷つけたことはあっても殺したことはない。だが‥‥」
このまま行けば遠からず死者が出る、そうなれば狼を退治しないわけにはいかなくなるのだ。狼が退治されれば、子狼は‥‥
「大切なちびにまで味わわせる訳にはいかないよな?」
瞳を潤ませてこくりと頷く少年の髪をくしゃくしゃと撫でた。
◆
翌日。少年光圀と護衛の春日と共に、安積と幻十郎の案内で、付近の森で一番狼の足跡の多かった箇所へと向かうこととなった。天候は再び巡って春の陽気で、子狼がくああっと大口を開けて欠伸をした。
目前に迫った別れを前に光圀の瞳が潤み、気付いた桜花の胸がちくんと痛んだ。大切なものとの別れは、誰の胸にも覚えのある感覚なのだろう。
そして唐突に、純白の狼が番いで姿を現した。威嚇するようにじっと見られ、斗織の次郎丸がビクッと身を震わせた。熊も怯む雪狼を相手に、次郎丸にも一抹の恐怖があったのだろうか。
『きゃうっ』
少年の手から飛び出した白いもこもこが、一目散に番いの狼の元へと走ってゆく。番いは子狼の匂いを嗅ぐと目を細めて鼻を擦り付けた。
「さあ、山へお帰りなさい。もう人里に降りてきては駄目よ‥‥」
呪文のように小さく唱える斗織の言葉を聞き分けたわけではなかろうが、冒険者を一瞥すると瀬を向けて歩き始めた。
「悪ぃ野郎じゃねぇし啖呵切れねぇなぁ、今回は‥‥」
飛鳥は苦い笑いを浮かべ、去り行く雪狼の親子を眺める。
「ま、無闇に命を絶って良いものではないしな。このまま人から離れた方が、お互いの為に一番良いんだよ、やっぱり」
飛鳥の言葉にリデトは愉快そうに笑った。
「雪狼なら炎の属性で攻撃するか一撃で致命傷を与えねば倒せないであるから、もし戦闘になっていたら、私たちの装備では相手にならなかったんであるよ」
しれっと言い放たれた恐ろしい一言に、安積は改めて胸を撫で下ろした。
「寂しいと思うであるが‥‥私も親がない一人の身の上だから友達になるである」
「あの子は親が居るのです。子供だったら親の元に居るのが一番幸せだと思います」
「‥‥そうですね」
この時の桜花の言葉が後に事態を大きく動かすことになろうとは、誰も想像していなかっただろう──
雪狼が雪を呼んだか呼ばれたか、ちらり、ちらりと雪が舞う。
綻び始めた桜の前に儚く散りゆく梅の如く、ちらり、ちらりと雪が舞う。
「花見雪、名残雪とは雅なことよ‥‥」
安積の言葉にひとつ頷き、少年を描くことが出来ぬのならせめてこの穢れなき親子を描き残そうと、仁は見えなくなるまでその姿を見つめ続けた。