【水戸城解放】陽動戦線

■ショートシナリオ


担当:やなぎきいち

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:5 G 39 C

参加人数:8人

サポート参加人数:5人

冒険期間:07月03日〜07月11日

リプレイ公開日:2006年07月12日

●オープニング

●水戸解放軍『雪狼』
 江戸より北東に位置する水戸は、源徳家康の血を分けし兄弟頼房が封じられた地である。奥州藤原氏への牽制という意味も含め源徳に連なる者が配されたのは、少々政情に興味のある者であれば考えの至る処であろう。
 その地が突如出現した黄泉の軍勢に蹂躙されたのは、足掛け9ヶ月ほど以前の話である。
 北方より攻め入り、水戸藩の北に位置する霊峰御岩山を取り囲みそのまま南下、そして水戸藩の政治行政商業全ての面での中心であった水戸城を瞬く間に攻め落とした。
 水戸を覆うゆうるりとした風土は弱者を助け強者を挫くという理想論を地で行くものであったため、一般人への被害は少なかった。水戸城主源徳頼房が無為に抵抗することよりも人々を救う道を選んだためだ。結果、早々に落城、源徳頼房と腹心本多忠勝は生死不明。御庭番として頼房の子息光圀を守護していた雲野十兵衛もまた生死不明と相成った。
 現在では、水戸城は関東に於ける黄泉の軍勢の駐留地として機能しており、少数の生存者が江戸への侵攻を阻止しているような状況である。当然彼らへの支援者は少なくなく、黄泉の軍勢は彼ら水戸解放軍『雪狼』の本拠地を探り当てることも出来ず、ただただ膠着状態が続いていた。

 ──この膠着状態を打開し、水戸城を我が手に取り戻さんと考えたのが『雪狼』の面々である。

 水戸解放軍『雪狼』の主な構成員は水戸の君主に連なる面々である。双翼を為すのは闘将本多忠勝が腹心渡辺則綱と、御庭番二代目頭目慧雪。そして旗印として担ぎ上げられているのは水戸君主が子息であり、源徳家康公の甥である光圀、齢十歳ほどの少年である。

「城を奪われたままでは、民の心はいつまでも折れたまま。城を取り戻し、忠勝を取り戻し、水戸城を黄泉の手より奪還する!」

 ──水戸の、そして江戸のために。


●水戸城
 さて、問題の水戸城は水戸藩の中心に在る。
 北は那珂川、南は仙波湖、東は崖という台地上に位置し、五重の堀が外周を廻る城である。天守はなく質素な造りの城は水戸の気風を大いに現しているといえよう。しかし、東西一里十二町──欧州に倣って表すのならば約5.4kmにも及ぶ広大な敷地はやはり源徳の威光を感じさせるものである。その全てが五重の堀に囲われ進入を阻む造りになっており、石垣は存在しない。
 本丸、二の丸、三の丸という構成そのものは他の城郭と変わることはない。三の丸の城下に広がる町が城下町である。
 三の丸は主に、名立たる家系の侍たちの家屋敷が並んでいる。現在、ここに居を構える侍は民を守るため、黄泉の手に下っている。
 施政の中心は二の丸にあり、城と呼ばれる建物があるのもここである。二の丸の南東の端には三階四面の物見櫓が組まれている。が、櫓周辺は松・梅の林となっており、『本丸』と称されるべき城までは数百メートルの距離がある。
 本丸には大きな設備はない。北西に二の丸と同じ三階四面の物見櫓がある以外に特筆すべきところは馬場や蔵が立ち並ぶ、という所であろうか。城を摂取した時点で本丸が手狭であったため、本来本丸にあるべき機能は全て二の丸に移設した、というのが公にされている事情のようだ。
 三の丸から二の丸へ侵入する経路は薬師門と名付けられた重厚な門を抜けるしかない。
 当然、ここにもそれなりの武士が詰めているわけなのだが‥‥
「出来るだけ、彼らの命は奪わないでほしい。民を守るために、黄泉人へ与しているだけなのだ‥‥状況が変われば、私達と共に戦ってくれる貴重な戦力だ」


●冒険者ギルドIN江戸
 その依頼は掲示されることなく、ギルド員や関係者の口コミによって広められていた。
「──大きな声では言えないのですが‥‥」
 そう前置きをされた仕事は、けれどとても厄介な内容である。ジャイアントの猫背のギルド員と関係者の勧誘を例に取ってみると、こういうことのようだ。
「水戸で大きな戦いがあります。ギルドで依頼を公にすることもできず、報告書を公開することもできませんが‥‥その、江戸の今後にも影響を与える仕事なのです‥‥」
「とある方を助け、城を解放したい。そのための陽動を願いたいんだ」
「‥‥ただし、敵は人間ではありません。不死人どもです。その正確な数は不明ですが、50は下らず‥‥100はいない、と思いたい所ですが」
 確認されているのは死人憑き、京の都を脅かした黄泉人。他にも水戸で確認された黄泉から舞い戻った魔物は以津真天、餓鬼、死人喰い、死してなお優秀な剣技を忘れぬ40体余りの死霊侍の群れなど多数。退治されてはいるが、同種の存在と参戦も懸念されるところだ。
「もちろん、城と関連施設、民、全てを奪還しないといけませんので‥‥火を放つなど、乱暴な手段を用いられては困ります」
 共に戦う戦力は武士が33、忍びが4、これだけである。しかも、別経路を使い内部に潜入する者たちが連れて行く手勢と併せて、これだけの数だ。
「ある武士を助けるまで持ちこたえてくれ。そうすれば‥‥三の丸の武士たちがこちらに寝返る。陽動とは言っても、俺たちから見た話で──城主が行動を共にするわけだから、実際は本隊だが」

 ただ只管、どこから現れるとも知れぬ敵との消耗戦。
 それが、課せられた使命である。

「連絡役として一人、忍を付ける。子供だが、まあ実力はそこそこにあると考えてくれ」

●今回の参加者

 ea3225 七神 斗織(26歳・♀・僧兵・人間・ジャパン)
 ea3874 三菱 扶桑(50歳・♂・浪人・ジャイアント・ジャパン)
 ea3947 双海 一刃(30歳・♂・忍者・人間・ジャパン)
 ea5766 ローサ・アルヴィート(27歳・♀・レンジャー・エルフ・イスパニア王国)
 ea8539 セフィナ・プランティエ(27歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 ea8989 王 娘(18歳・♀・武道家・ハーフエルフ・華仙教大国)
 ea9909 フィーナ・アクトラス(35歳・♀・クレリック・人間・フランク王国)
 eb1052 宮崎 桜花(25歳・♀・志士・人間・ジャパン)

●サポート参加者

七神 蒼汰(ea7244)/ フィニィ・フォルテン(ea9114)/ 楼蘭 幻斗(eb1375)/ 火射 半十郎(eb3241)/ 若葉 翔太(eb3293

●リプレイ本文


 圧し掛かるような分厚い雲が上空を覆っている。気温は変わらず夏そのもので、じとりと纏わり付く湿気のためにじわりと滲んだ汗が肌をべとつかせ、不快感を増している。
「蒸すな‥‥」
 双海一刃(ea3947)うなじに張り付いた長い黒髪を鬱陶しげに払い、結い直す。
 全員分の移動手段を確保し、同じ目的地に向かうのにわざわざ別に行動する意義も見出せず、冒険者18人に雛菊(ez1066)を加えた大所帯での移動となった。目立ちはしないかと胃を痛めた者もいるようだが、これだけの人数に喧嘩を売ってくるような魔物もおらず、当初三日の移動を見込んでいたが二日の移動で済んだのだ。
 時間短縮に大きな影響を与えた要素が、実はもう一つある──そう、ローサ・アルヴィート(ea5766)の存在だ。水戸城までの地形をざっと訊き、大まかな地図を見ただけで森林の道無き道を確実に選択する。地形に沿って大きくうねる街道ではなく、極々直線に近い経路を迷わず進む姿は確かに森の案内人と呼ぶに相応しかろう。地形を確実に把握している雛菊でさえ、その土地勘の確かさに目を丸くするほどだ。
「フィーナちゃん、そっちじゃないよ。こっちこっち」
「え? ああ、ごめんなさい」
 直進している割に逸れていくフィーナ・アクトラス(ea9909)も違う意味で賞賛したいところだ。
 けれど彼女も異国の地で不死者と対峙した豊富な経験を持つ。共に戦い続けた強気と狂気を併せ持つ者たちはいない──背中を預ける者は違うが、それは彼女の経験を、そして射撃クレリックの実力を損なうものではない。
「水戸の地に、江戸の地に。本当の夜明けをお迎えできますように‥‥」
 分厚く幾重にも重なる雲は澱んだ空気を抱え込み、ともすれば曇りそうになる心‥‥セフィナ・プランティエ(ea8539)は母なるセーラの名を、そして愛しい恋人の名を声に出さず呟きながら、仲間の不安を煽るような弱さを見せぬよう凛と前だけを見つめた。
 そう、後ろを見る暇はないのだ──明日の喜びのため、護るべき命のため、自分にできる何か全力で成そうと。そう皆で決めてきたのだから。



 初日こそ、ウェザーコントロールの効果もあり快晴のなかを歩いたものの、日暮れ間近の夕立を境に続く鬱屈とした空模様を王娘(ea8989)が気にする中、一行は雛菊に導かれ水戸の中心地から半日ほど離れた小さな村落へと訪れた。
 出迎えたのは古賀と呼ばれる一人の男。
「お出迎え、痛み入ります」
 『水戸の焔』の名を与えられし青年が恐縮して頭を下げ二言三言、某かの交わすと‥‥大きな商家に招き入れられた。その中庭にて武装を整え冒険者を待っていたのは数多くの武人とそれらを統べるのであろう男性。そして数名の忍者へと指示を出す忍。そして中央に鎮座する少年と、傍らに控える女性。
 焔が紹介を兼ねて報告をすると、渡辺則綱、慧雪、春日を順に紹介した。
「そしてあちらが水戸の後継者、光圀様だ」
 会釈する光圀に七神斗織(ea3225)と宮崎桜花(eb1052)が、やはり‥‥と視線を交わす。
「水戸の若君でございましたか‥‥お久しぶりで御座います。この七神斗織、侍として医者として、持てる限りの力で光圀様をお助けしたいと思います」
「友の郷里のため、私も尽力します」
 そんな中、一際目立つ長身の三菱扶桑(ea3874)は場を提供していた商人へと声を掛けていた。
「すまんが、ペットを預かってくれないか? もちろん謝礼は弾むつもりだ」
 一刃の椛児は皆の荷を運ぶ都合もあり預ける訳にもいかないが、娘の子猫や子兎など命を散らすには早すぎる。幸い、手の掛かる‥‥というより世話に命を掛けるようなペットや育て方にも癖のありそうな変わった形の雛鳥などは大枚を叩いて冒険者ギルドへ預けてきた。これくらいならば預かる方も支障はないだろう。
「こんなに頂いてよろしいので?」
「手間賃に取っておいてくれ」
 扶桑の想定よりはずっと安い、けれど商人にしてみれば破格の金額で、ペットたちは平穏を得た。

 こうして憂いを一つずつ絶ち、いよいよ決戦へと挑む──!



 提灯や松明を手に手に掲げ三の丸へと進軍する解放軍に気付かぬほど黄泉の軍も愚鈍ではない。
 しかし賢くもないのだろう、月明かりに舞う虫のように、明かりを目指して進み来る。
 ──ざわり、と空気が動く。肌が粟立つ。
「なんていうか‥‥久々にやーな空気ね。相当マジな状況っぽい?」
「今更だと思うけど?」
 あはは、と軽やかに笑うフィーナ。
「でも、お腹が膨れて、笑顔でいて──それがあれば障害なんてないも同然よ」
「それもすごい理屈だと思うよ、あたしは賛成するけどね♪」
 びっと親指を立てるローサ。否定しないのか。
 二人が軽口を叩いている間にも、両軍の歩みは止まらない。僅かな月明かりの中、死霊たちとの距離は徐々に狭まっていく。
 斗織が数回桃色の光を帯び準備が整う頃には、黄泉の軍勢は目視できる程に近付いていた。
「よっし。じゃあそろそろ暴れよっかー!」
「さーて、それじゃ、暴れさせてもらいましょうか!」
 よほど馬が合うのだろう、ローサとフィーナの言葉が調和する。それを待っていたかのように一刃が道坂の石を発動させ、娘が引魂旛を、セフィナの用意した葵の御紋、雪狼の紋の旗を数名の侍が掲げ持つ。そして、隊列の中心で軍馬に跨っていた光圀が小柄な体から朗々とした声を張り上げた!!
「水戸解放軍『雪狼』頭目、水戸藩主頼房が子息光圀!! 今宵黄泉の軍勢より我が民を解放する!!」
「「「応ーっ!」」」

 ──ピィィィーー!!

 闇を切り裂く呼子の音が戦いの始まりを報せるため
 幾重にも幾重にも三の丸に高く鳴り響いた。

   ◆

 相手が人間であるのなら様々な柵も生じてくるが、相手が死霊であるなら逆に黄泉へと送るのが慈悲となる。
「どれ、お手並み拝見と行こうか」
 霞刀を手に凶気じみた恐ろしげな笑いを浮かべ、先頭に立つのは扶桑。
 身の丈8尺という大男は腐れた眼窩にも引魂旛へ辿り着く為に真っ先に排除せねばならぬ障害と写った。

 ──ぐるるるぁぁぁ!

 確実に、確実に、生ける屍を破壊していく。
「おまえらには荷が勝ちすぎてるぜ」
 有象無象の死体相手では流石に無傷とはいかぬが、それでも揺ぎ無い自信は鍛えぬいた自身へのプライドか。
 しかし、扶桑の目的は唯一つ。哀れなまでに生へ執着し、愉快なほど侍であり続けた不死者‥‥死霊侍を黄泉路へ叩き返すことなのだ。

   ◆

「とにかく、空からの攻撃は厄介よね。こっちの陣形の大半を無視出来るんだから」
 後衛からブレーメンアックスを投じるフィーナ、決して良いとは言えぬ視界も、すぐさま乱戦と化した前線も、彼女の前には些細な障害であった──ただ、その膨大な数を除けば。
「ちょっとそこのキミっ! 使わないならその矢こっちにくれない?」
 フィーナを後方からの攻撃と称するなら、ローサは後方からの防御と称するべきだろうか。
 人間らしい者たちへ向けた威嚇射撃、それが彼女の戦法だった。用意してきた矢は少なかったが、これは強奪──もとい、譲り受けた矢を充当することで切り抜けたようだ。
「キミたち、そっから前出たら当てるからね♪」
 精細を欠いた攻撃に迷いを察し、ローサは明るく言葉を発する。希望はこちらにあるのだと、そう見せつけるように。
「‥‥ローサさん、来るわ! 上よ!!」
「オッケー!」
 返事を聞く前に、ブンッ!! と唸りを上げてブレーメンアックスが宙を舞う!!
 勢いが殺がれる前に結んだロープを器用に操り斧を手元に呼び戻す、そして矢や八握剣が狙い済まして眼窩や眉間に突き刺さる。
 どうやら空からの攻撃は、黄泉軍にとっての鬼門であるようだ。

   ◆

 道坂の石の効果が切れてどれほどの時間が経っただろうか。傷だらけになりながら、それでもまだ‥‥水戸の武士たちのために、耐える戦いが強いられている。

 ──ぐるるるぁぁぁ!

 唸りを上げる死人憑きの牙をリュートベイルで受け、右の一匹を月桂樹の木剣で打ち据える。けれど手は二本、桜花を囲む敵は3体。死角から背中へと振り上げられた爪へ、飛来した八握刀が突き刺さる!!
「桜花お姉ちゃん!」
「雛ちゃん、無事だったのね!」
 爆音が響き、小柄な桜花の背後を守るように更に小さな人影が現れ、忍者刀を構える。
「向こうも、成功なの! こっちに向かってるの!」
 張り上げられた声が報せるのは、希望の星が増えた証。
「大丈夫ですか、娘さん」
「ああ、助かる‥‥一人きりで大変だと思うが頑張ってくれ」
 手持ちの回復薬が無くなりセフィナの元で魔法による回復を受けたが、冒険者がセフィナの元へ皆が訪れる回数は増えつつある。30名弱の侍たちには回復手段など無く、冒険者たちの持参した回復薬は瞬く間に消費されている。必然的に皺寄せが来る友人へ、娘は貴重なソルフの実を手渡した。
「もう少しだ、もう少しで状況が変わる──‥‥」



「忠勝様!! 退いてください──胡蝶の舞」
 目の前に立ち塞がる死人憑きへ桃の木刀とウルナッハの短剣による華麗なる胡蝶の舞を見舞い、斗織は二人の忍が支える忠勝へと駆け寄った。
「忠勝様!」
 皆が持参した薬にも魔法にも限界はある。効率良く回復をするためにと忠勝を診る斗織であるが、肩口と背に真新しく深い傷を負い今にも息絶えそうな男に眉を寄せる。視線を転じるとこちらを伺っていたセフィナと目が合い、彼女が駆け寄ってきた。もしもの時の為にただ一つ持ってきたアイテムがあるのだ。
 斗織やセフィナを守るために間近で短刀を振るっていた娘は、死者に紛れる人間の姿に気付いた。
「人間か‥‥」
 2本の短刀を腰に差した娘は、十二形意拳の構えを見せる。
「素手での戦いも久しいな‥‥こい、十二形意拳・酉の威力を見せてやる」
「違う! 勝手を言っているのは解っているが‥‥本田殿を共に守らせてほしいのだ!」
「‥‥‥気が使えるのなら私に付与してほしい」
 じっと見つめた瞳に宿る意思を信じ、娘は小さく頷いた。
 その間にも、死者たちの攻撃は止むことなく‥‥現れた死霊侍がセフィナへと斬りかかった!!
「セフィナさん、危な──ぐわあっ!」
「きゃああっ!」
「─鳥爪撃!!」
 セフィナの手当てを待つ男が、死霊侍と彼女の間に飛び込んだ! 鋭利な刃を最大限に利用し鋭く繰り出された一撃は腹を深く大きく切り裂いた。支えを失った臓物が、ずるりぼとりと零れ落ちてくるのを止めようと小さな両手で必死に押さえつける。
「だめ、だめですっ! すぐに回復をっ」
 セフィナの希望を打ち砕くように、泡混じりの鮮血をごぼりと吐いた男は小さく首を振る。言葉が言葉にならず、男は目で忠勝をを示す。
 ──無駄なのは自分が一番良く解ります、その魔力を忠勝様の回復に使ってください。
 テレパシーなど使えなくとも、言いたい事は伝わった。伝わってしまった。だから‥‥セフィナの瞳から、堪えきれずにぼろぼろと涙が零れた。
「ごめんなさい‥‥ごめ、なさ‥‥っ」
 後悔と懺悔と贖罪と、様々な想いを迸らせている間にも状況は流転して。疲労からか次々に生じる怪我人たちのため、黄泉路へと死に行く者を心安らかに送る祈りすら捧げる時間すら無く。
「‥‥‥」
 じっと見つめる男の視線に一つ頷きを返し、気丈にも立ち上がった。

 流れ続ける涙は、死に行く者たちのために。
 流れ続ける刻は、護るべき者たちのために。
 ──明日を勝ち取るために。

 そして火を点され焚かれた反魂香は、生半可な聖職者の手には余る代物。冠婚葬祭、魂の路について卓越した知識を持つ者にしか扱えぬ品だからこそ、今セフィナの手にある。
「忠勝様はまだ御許に参られる方ではありません‥‥今暫く、彼の者の力をお貸し下さい」
 祈りを捧げ目を開くと、そこには常勝を謡われた男が、その雄姿を現していた。
「いけません、忠勝様っ。傷が癒えただけです、お休みください!」
「水戸の危機に光圀様が立たれたのだ。俺が休む道理がどこにあるというのだ!」
 疲労もあろう。流れた血も多い。医師の斗織の静止は至極当然のものだった。けれど、それは忠勝の足を止める理由にはなり得ない‥‥彼を止めることができるのは、ただ、水戸の主君だけ!
 一刃が愛馬の背から染め抜かれた本田家の旗を掲げる!!
「忠勝殿!」
「応! 本多忠勝、光圀様の命に従い参上仕った!! 水戸の地を死者の手から我らの手に取り戻さんために!」
 呼応する鴇の声の中、顔を出した朝日が暗雲を切り裂いて水戸城を包み込んだ。



 水戸城を巡る最初の戦いは翌日、日が沈むま‥‥実に二日間に渡って続けられた。
 首尾良く仲間が黄泉人を落とし合流したものの、それでも死人共は亡者の名そのままに人々の命を食い散らかす。当初参戦していた33人の侍は日の出までに12名が命を落とし、21人まで減っていた。その後、黄泉に与していた侍たちが加わり約70名まで人数を増やしたものの、その後の混戦で10余名が命を落とし‥‥最終的には忠勝を加え57名までその人数を減らしていた。
 誇示するように掲げられた葵の旗、その上に煌く天の川を見上げながらローサはぽつんと呟いた。
「今日は昨日より楽しく、明日は今日より楽しく──辛かった今日を乗り切った自分のためにも、明日は楽しまなくちゃね」
「そうですわね‥‥」
 それは、隣に立つ‥‥誰よりも傷付いたであろうセフィナへの、彼女なりの優しさ。
「‥‥おつかれ」
「‥‥故郷が戻って良かったな」
 一刃と娘の二人に労われ、雛菊は擽ったそうに目を細めた。
「大活躍だったらしいな、雛ちゃん。近くで戦えなくて残念だ」
 扶桑がひょいっと小さな少女を肩に担ぎ上げた。鬼に似た形相を恐がられるかとも思ったが、去年の今日も今頃も恐い顔の男に肩車されていた雛菊はどうやら免疫があるようで、落ちないように大きな頭にしがみついた。
「でも、戦うのは疲れるの。雛、七夕する方がいいなぁ」
「それもそうだな。戦いなんて、本当は無いほうがいいからな」
 見えるか、と場所を移動しようとした扶桑がぐらりとバランスを崩した──足元には何もないはずなのに!
「どわーっ!!」
「雛ちゃん!」
 離れてしまっていた桜花の悲鳴が響く!
「あたしが行く!」
 飛び込んだローサの細い体に、扶桑の巨体+雛菊が落下★
「ローサさん、大丈夫?」
「助けるのは年長者の役目よね〜‥‥って、フィーナちゃん見てないで助けて。お願い」
 そしてローサは、他の侍たちがそうされたように、斗織の応急手当を受けた──六尺褌を包帯代わりにして。
「やはり戦いで相手を攻撃するより、こうやって人の手当をしている時の方が充実感がありますわねぇ‥‥」
「悪かったな、まあ酒でも飲んで忘れてくれ!」
「そういう問題じゃなーい! ‥‥お酒は貰うけどもっ」

 本丸の一角で、笑い声が木霊した。
 無数に広がる星屑のように──