●リプレイ本文
●The Search
「しかし、鬱蒼と茂った森だな。こんなものが国土の大半を覆っているとは」
ロシアの大半を占め『暗黒の国』とも称される未開の森。この国に住んでいる人々はとても強い意志をもって暮らしているのだろうな、とヌアージュ・ダスティ(eb4366)は初めて訪れた国へ、そんな感想を抱く。
欝蒼と生い茂った森は夏の日差しを遮るように広がっている。もともとそれほど強烈ではない盛夏の日差しは和らげられ、幸運にも涼しい風の吹き抜ける、過ごしやすい空間を作り出していた。
けれど、その条件が必ずしも状況を変えるものではない。
むしろ依頼に集中できる分、気にかかることも増えてくる。それが冒険者としての経歴の浅いものたちであれば尚更だ。
「ワォォォン!! この森なら犬の呪いっていうのも納得できるわね。口から泡吹いて死ぬなんて、そんなの嫌過ぎるわ」
喋っていないと聞こえるものは葉の擦れ合う音と、靴底と地面が擦れる音くらいだ。そんな状況を嫌ってか、葉遊遊(eb5777)は油断無く周囲を見回しながら呟いた。時折り声色を使い犬の遠吠えを真似る。その仕草すらどこか色っぽく、場所が違えば我先にと男たちが下心も顕に、警護に寄ってきたことだろう。
「犬の呪いというよりはモンスターと考えるのが妥当ではないか?」
皇茗花(eb5604)は顎に手を当て冷静に考える。ともすれば冷淡にも見えそうな面立ちなのだが、ふわふわと柔らかな銀髪が風に踊り、印象を和らげているようだ。そしてその意見にはカーチャことエカテリーナ・イヴァリス(eb5631)も同意を示す。
「‥‥私も犬の呪いなどでは無いと思います」
「それじゃあ、犬顔で‥‥毒が塗ってある鋭利な武器を持ったモンスター‥‥?」
依頼人、そして村人から聞き出した犬の死に様からマリア・ブラッド(ea9383)は毒を連想したようだ。けれど残念ながら、家事に対しては卓越した才覚を持つマリアも家事から離れた知識には乏しいようで、首を傾げるばかり。
「確か、犬の顔をした鬼もいるといったな」
「鬼‥‥オーガ種のことですよね。コボルトが犬の顔をしているはずですよ。小柄で、毒を使うはずです」
茗花に尋ねられたキリル・ファミーリヤ(eb5612)は学んできた知識を掘り起こす。神に祝福されぬオーガ種は神聖騎士であるキリルにとっても看過できぬ存在なのであろう。
「多分、犬のお面を被った人がだな、犯人だと想像しているのだが。暗黒の国には蛮族と呼ばれる者たちがいるのだろう」
早く馴染むために色々学んだのだろう、ヌアージュは早速知識を披露する。犬の傷は牙や爪など獣のものではないと村人は言っていた。つまり、武器。仲間の言うことではあるが、モンスターが武器に毒を塗るなどヌアージュにはにわかに信じ難い話だ。
「でも、本当に犬の呪い――だっけ? だったら嫌だなぁ」
環和要(eb5309)は小さく溜息を吐いた。嫌だとか何とか、そんな問題なのかと責めるようなカーチャと茗花の視線が鋭く要を射抜いて、彼は慌てて首を振って。
「‥‥っていうか、悲しいっていうか。僕、犬大好きだから。だから犬はそんな事しないって信じてるんだけどね」
信じたいだけかも、と寂しげに微笑む。確かに、この森を見ていれば呪いだとか恨みだとかそんな可能性を信じそうになってしまう。鬱蒼と茂った森が心に影を投げかけるかのように。
「環和さんのように大切に想ってきたワンちゃんだったんですよね‥‥可愛そう‥‥」
依頼人の落胆振りは大きなものだった。俯くマリアの肩を傷だらけの腕で抱いて、王月花(ea8780)は小さく笑った。
「わんちゃんの仇、私達が必ず討つね〜。そのために来たのね〜」
「そうです。依頼人の方の愛犬を惨殺し、森の中に入る人々を狙うかの様な行動をする者は、放ってはおけません」
カーチャの抉(えぐ)るような一言が一瞬凍りつかせた空気を取り繕うように、キリルは慌てて言った。
「そのためにも頑張りましょう。手がかりを逃さないようにすることが今の僕たちにできる最善のことですから」
●Scream
結局、足が棒のようになるまで精力的に歩き続けたものの、残念ながらそれらしい『犬の顔をした何か』に遭遇することなく。村に戻るより時間を有効に使い明日はより広範囲を捜索するために、森の中でキャンプを張ることになった。おおよその方角だけとはいえ聞き出せたことが今は有りがたい。
日が翳り始めると欝蒼とした森はますます濃度を増していく。
周囲を見上げブルッと震える身体を抱きしめながら、マリアがポツリと呟いた。要と月花のランタンに灯された明かりがほんわりと温かく柔らかく周囲を照らし出す。
「うう、暗くなるとますます薄気味悪い森ですね‥‥こんなところで一晩明かすなんて‥‥」
「テントを張るのはコツが要るの。私がやっておくから薪を拾ってきてくれる?」
魅惑的に微笑む遊遊。コツがあるなんてどこかで耳にしただけで、本当は依頼を受けるのも初めてだったりするのだけれど、そんなことは悟らせない。もちろん、呪いが怖くてこの場を離れたくないなんていうのも内緒だ。
「マリア、それはちょっと違うね〜? 野宿するのは一晩じゃなくて二晩ね〜」
コロコロと笑いながら月花はランタンを預け、暗くなる前にと薪を拾い集めにその場を少しばかり離れる。
「一人は危険ですよ」
慌ててキリルが後を追う。相手によっては二人でも大差ないだろうかと少しばかり後悔したけれど。
幸いにも何事もなく薪となる木を拾って戻った月花は、ふと、足を止める。
──‥‥
「どうかしましたか?」
「‥‥今、何か聞こえたね〜?」
月花は小さく首を傾げた。尋ねられたキリルも仲間たちも、皆一様に首を振る。
気のせいだったみたいね〜、と肩を竦めた月花は抱えた薪をヌアージュに手渡そうと──
──ァァ‥‥
それは女性のような子供のような良く響く高い声──そう思った瞬間、月花は薪を投げ出した!
「やっぱり空耳じゃないね〜、皆、こっちねっ!」
言うが早いか飛び出した月花を反射的に追ったのはカーチャとヌアージュ!
「キリルさん、明かりを!」
もう月と星の領分は間近。そう悟った要は自分のランタンを掴み、月花のランタン近くにいたキリルへ声を投げると見失わぬうちにと走り出す!
「テントと荷物はどうするんだ!」
「緊急事態です! このままにして、追いましょう!」
全員で行動すると決めたのには理由があるのだ。要の声で咄嗟にランタンを拾ったキリルは茗花の腕を掴んで疾駆する!
「もうっ。離れたら危ないわよっ!」
私が!!
どちらが安全か逡巡し出遅れた遊遊は叫びそうになった本音をぐっと飲み込んで、慌てて後を追った。
●Show Time
薄闇の中を駆ける女性陣の前方で、突然茂みが揺れた!
走りながらも凝らした月花の目に映ったものは、依頼人の言葉の通り。
「あら、犬ね〜」
けれど茂みから飛び出したのは二足歩行の異形のモノ、決して犬ではない。
「う〜ん、モンスターみたいね〜? でも‥‥久々に蹴りを魅せられそうね〜♪」
温厚そうに微笑みながら、走って来た勢いのままにしなやかな脚をさらけ出し、痛烈な蹴りを見舞う!!
「月花さん、後ろです!」
「わかってるね!!」
カーチャの忠告には嘯(うそぶ)いたものの蹴りは間に合わず、振り向きざまのエルボーが小柄なモンスターの鼻っ柱をへし折る! 怯んだところへ駆け込んだヌアージュが拳を振り下ろした!
──ゴッ!!
「大丈夫か、月花殿」
声を掛けたヌアージュの目に映ったのは普段の温厚そうな顔付きとは対照的な、凍える炎を湛えたサディスティックな微笑み。
「さぁ‥‥来るね!」
「‥‥少し遅かったようですね。仕方ありません、戦闘が終われば帰ってくるはずです」
品の良い雰囲気を纏ったままざっくりと切り捨てて、カーチャは片端を咥えてレインボーリボンを左腕に巻きつけた。キュッと引き結んで、キッとモンスターを睨みつけた!
「さぁ、行きましょう」
両手でしっかりと小太刀を握り締め、全ての力を込めて切りかかる!
金属と金属の擦れ合う嫌な音が響く!!
「ま、マリア・ブラッド、参ります!」
ごくんと唾を飲み、胃を決したマリアは右手にノーマルソード、左手にパリーイングダガーを握り締め、どこかへっぴり腰ながらも二刀流の構えを見せる!
「て、ていやぁ!」
──ザクッ。
モンスターにとって不運だったのは彼らが冒険者だったこと。
マリアにとって不運だったのは‥‥彼らもまた生きていたこと、だろうか。
思いの他深く突き立ったノーマルソードを慌てて引き抜くと、鮮血が飛び散り、マリアの頬を塗らした。
「‥‥ウフフ、キタわ。キタキタキタ! この痺れるような感覚‥‥イイわぁ!!」
愉悦に浸った恍惚の表情を紅の瞳に浮かべたのはほんの僅かな刻。歪んだ笑みを浮かべた唇を、ゆっくりと、真紅の舌が舐め上げた。
「おーほっほっほっほっほっ!! もっと私に血を! 血を見せなさい!!」
左右の剣を躍らせ、モンスターの肌を浅く深く切り裂いていく!
キリル、遊遊ら4人が到着したのはそんなタイミングだった。
「‥‥大惨事だな。まあ、ある意味幸運と言えるかもしれないが」
冒険者たちにとって幸運だったのは、2人が戦闘を放棄するタイプの狂化をしなかったことだろう。
「仕方ありません。戦闘の何かが引き金となっているなら、戦闘を終わらせなければ」
言葉は違えどカーチャと同じ意見を述べるキリル。敵は5匹、冒険者は8人。同人数だったとしても回復手段がある分冒険者が有利である。
「キリル、エカテリーナ。幸運を祈る」
小さく詠唱し二人にグッドラックを付与した茗花は、戦闘の邪魔になり足を引っ張らぬよう要と互いを庇い合う。
「二人は私が守ってるわ。キリル君は彼らのサポートに行って」
「遊遊さん‥‥それでは、お願いします」
頭数は同じでも、能力にはかなりの差があったようだ。避けきれず負った傷のうち、カーチャと月花の受けた古いダガーには毒が仕込んであったらしく、毒消しを使用する事態になった。が依頼人の犬のように大事には至らず、何とか退治に成功する。
けれど、コボルトを倒したものの、理性を失った月花とマリアは止まらなかった。
「‥‥流石はロシアだね。こんなに沢山──見るのは初めてだな」
複雑な表情を浮かべながら、要は紡ぐ。平和を謳う歌を。
「マリアさん! 戻ってきてください、マリアさん!」
武器を落とそうと試みるキリルと、傷つけようと武器を振るうマリア。
キリルの想いは届かずに、不快な金属音が飛び交う。
背後から忍び寄ったヌアージュが羽交い絞めにし、ギリギリと締め上げる。
「放しなさい! ただじゃおかなくてよ!!」
「落ち着いてください、マリアさん! 私たちはあなたを傷つけたくない‥‥」
騒ぐマリアの手からキリルが武器を奪い、カーチャが左腕に巻いていたレインボーリボンでマリアに目隠しをする。
‥‥一方、月花は。
「わわっ、ちょっと待ってちょうだい、月花君!」
月花の脚が咄嗟にしゃがんだ遊遊の頭上を掠める! その隙に足元を払われ転倒した遊遊、地面を突き飛ばして反動でごろっと転がった──頭があった場所へ踵が振り下ろされる!!
『やるね。でも‥‥次は外さないね!』
『洒落にならないわね‥‥茗花君も手を貸して!』
バックステップで距離を保つ遊遊の口をついたのは華国語。冷や汗を拭う間もなく視線を逸らす暇(いとま)もない。
『では、幸運を祈ることにしよう──グッドラック』
『ありがたくて涙が出そうだわ』
茗花の身体は淡い光に包まれたから恐らく魔法は掛かったのだろうけれど、遊遊はもっと、こう、具体的な手助けが欲しかった。もっとも、茗花を巻き込んで癒し手が欠けてしまうことも避けたいところで、遊遊は小さく舌打ちした。
──もう戦いは終わったよ、元の君たちに戻って。君たちの力が必要だから。
2曲目の歌で要の身体が淡い銀色に包まれ、メロディが月花に、マリアに、染み込んでいく。
長い溜息の後にキリルの手からカラン、と武器がすべり落ちた時には、二人の瞳は深い湖のような青に戻っていた。
しかし、その晩はもう悲鳴は聞こえず‥‥時間だけが過ぎていった。
●Epilogue
「しかし、世の中には妙なものがあるものだな」
茗花は耳に残っている声に渋面を浮かべる。思い出してしまったキリルも苦渋の色を浮かべて頷いた。
二日目の午後、再び悲鳴が‥‥今度は全員の耳に届き、要のサウンドワードで発生地点へと向かった。歩いた先にあったものは、無数の赤いキノコ。
「これ‥‥みたいだね」
要がじっとキノコを凝視する。うずうずと沸いてくる好奇心を止められず、ヌアージュがえいっと踏みつけると、とたんに大きな悲鳴が響き渡った!!
「うるさぁぁぁいっ!!」
叫びは終わらぬうちに小さな悲鳴に変わった。茂みからコボルトがひょっこりと顔を出したのだ!
幸いにもコボルトは1匹であり、締め上げたヌアージュが犬の顔を剥がそうとし反撃を食らって毒消しを消費するなどというハプニングもあったものの、時間も掛けずに退治することができ──足跡を辿った彼らは廃村を見つけた。どれほど昔に捨てられたのか、遠めには解らなかったのだ。少なくとも、コボルトが住み着く程度の期間はあったのだろう──廃村の中を行き来する十数匹のコボルトにそんな事を思う。
「あの廃村を綺麗に『掃除』するためには、もう少し準備をさせていただきたいです‥‥」
マリアが申し訳なさそうに依頼人へ告げた。
「廃村に近付かず開拓をされるか、廃村の『掃除』を依頼されるかは相談なさってください」
ざっと記した地図に廃村の場所を記し、キリルは立ち上がった。
「さっ、とりあえず依頼は果たしたんだし、胸を張って帰りましょう♪」
鼻歌を歌いながら遊遊は大きな荷物を背負ってキリルに続く。コボルトが持ってた解毒剤も装備品も換金して、皆の寂しい懐に分配しなくてはならないのだ。
最後に残ったのは要とカーチャで──カーチャは去り際に依頼人に言葉を投げかけた。
「貴方が愛犬に注いだ愛情は本物だったのですか? 愛情を注がれてきた愛犬が貴方を呪うと本当に思っているのですか? 飼い主が愛犬を怖がったり不気味な物と思ってしまっては、犬も浮かばれないのではないかと私は思いますが‥‥」
肩を落とす依頼人を見て、またきつい事を言ってしまったと後悔するカーチャ。
けれど、依頼人には返す言葉が無いようだった。それが愛せなかったと図星を指されたからなのか、胸を突かれ言葉を失ったからなのか。
──要は、後者であってほしいと心からそう願い、救えなかった小さな命へ哀悼の祈りを捧げたのだった。