●リプレイ本文
静寂の闇に響く猛々しい鋼の音。一筋の白刃が――煌く。
「―――いきなさい。私にかまうな、追うんですっ!」
猛獣が徘徊すると言われた森に響く叫び。走り去ろうと遠ざかる小さな影を睨みつけ、仲間を促すルーウィン・ルクレール(ea1364)。彼が剣で薙ぎ払おうとしているのは1m以上もあるジャイアントトードだ。この森には、サスカッチやバイパー等様々な生物が生息していた。標的だけが敵ではないのだ。だが、今は迷っている暇さえない。
「すまない。必ず戻る」
「ふ、甘く見ないでください。こんな化け蛙、剣の錆びにして後を追います」
――だから行け、役目を果たせと。
ジーン・グレイ(ea4844)は苦い顔で頷く。ルーウィンは仲間を行かせる為に襲い掛かってきた邪魔者を引き受けた。たった一人で。状況を見ても有利とは決していえない。
「急いで、見失います」
森の危険性を考慮し木の上を移動中の双海涼(ea0850)が、真下の仲間達に合図を促す。
情報を集め墓で見張っていた追跡班の五人の前に、二体のゴブリンは現れた。首班らしき影はおらず墓を掘り起こし、首を切り取り金銀財宝と共に持ち出そうとしたところを、見逃して追跡を開始した。移動中二体の内、金銀を持っていたゴブリンの方は喪路享介(ea5630)やシルビィア・マクガーレン(ea1759)が排除し、残りは躍らせた一匹のみ。
そのゴブリン一匹を見失っては好機を逃す。
ジーンは三人の仲間を引き連れ、ルーウィンを残し、森の最奥を目指した。
その頃、ディルスの警護班の三人は一悶着を終えて休んでいた。
希龍出雲(ea3109)の危惧通り、ディルスの精神状態は極めて不安定で自分も行くと騒いだり、何故行かないんだと暴れたり。依頼主を押し留め、沈めるのに散々苦労していた。
「クレアさんの事を何とかしたいのは分りますが、ちゃんと休んでいますか? 無理は駄目ですからね」
「昼間、喪路享介とやらにも言われたよ。何で気づくんだ」
クレアの頭部を判別する為、参考にと屋敷の中に飾られた今や高名な抽象画家に描かせたクレアの写実の肖像画を皆に見せた時のことだ。ふと享介が。
『‥‥ディルスさん、あなた寝ていませんよね。得ている情報といい、まさか毎晩クレアさんの墓の傍であなたが―‥?』
『――何のことだ?』
その場ではすっとぼけたのだが。
「気づきますよ、そんな憔悴振りではね」
唯一ディルスと面識を持つアレス・バイブル(ea0323)が、少しでも気分を紛らわそうと気を使いながら注いだ紅茶を差し出す。室内には彼の他、睦月焔(ea5738)と出雲が気を張り巡らせていた。また依頼時以来、クレアらしき亡霊の姿はまるで見ない。
「アレスはかわらないんだな。酒場で飲んだ時のままだ」
「一ヶ月も経ってませんからね。逃げ出そうとしても無駄ですから」
「抜け道があるからな、この屋敷は。目を盗んで自分で、て考えるなよ」
この屋敷に「泥棒さんいらっしゃい」とばかりの穴があるのはアレスも出雲も焔も調査済みなので知っていた。出雲に釘を刺され、図星だったのかディルスが苦笑いする。刹那。
ぞくり、と。
全身が総毛立つのを出雲と焔は感じ取った。殺気にも似た不気味な威圧感に顔を見合わせる。アレスとディルスも異変に気ついた。アレスが寝台のディルスを守り、出雲と焔も剣を構える。焔が失笑した。
「知りすぎた者は消せって憶測は、あながちハズレじゃなかったみたいだな」
ひしひしと近づく敵の気配に、身構える一同。扉が――開く。
屋敷の依頼人に危機が迫っている事すら知らず。
ジーン達は報告書にあるあばら屋の周辺にいた。直前でゴブリンを見失ったが、屋敷に向かったのは確かである。だが、いくら待っても人影はでてこない。その時ぼうっと依頼の時に見た少女の影が浮び、一方向をさして消えた。みれば死角に別の入り口がある。
「どうやらこの先ですね。最後の安らかな眠りすら妨げられるなんて‥‥許せません」
「何をやっているのやら。兎も角、私は彼女の死を侮蔑した者の捕縛に最善を尽くす」
涼の隣でシルビィアが呟く。怒りを押し殺した声だ。彼女はクレアと面識があるという。
湿った空気。螺旋の階段と石の壁。
ごく最近の嫌な思い出を彷彿とさせる場所に涼と享介は顔を顰めた。やがて其処が見えた。無数のゴブリンとアガチオンが群れを成しており、とても相手に出来る数ではないが、運良く涼が春花の術で相手を眠らせることに成功した。その先に‥‥
「何者だ」
尋常ではない異臭が漂っていた。
部屋の棚には生首があり、その前に小皿に載せられた両眼が並べられている。部屋の中央には目玉と髪が山と盛られた皿と無数の蝋燭等、気味の悪いものが大量にある。振り向いたのは五十歳前後の女だった。女の手に握られたクレアの生首。
「‥‥あなたが。墓守を前に──それ以上、死者への冒涜は許しませんよ」
「冒涜? これは腐れた肉の塊よ。我が子を誑かした卑しい小娘のな」
うっとりと呟くが、重要な事を聞き逃す者達ではない。ジーンが呆然と口にする。
「‥‥わが、こ? 貴様まさか」
「あれは私の物、私を裏切った愚か者! 許すものか、殺してやる、坊やも、私から奪った小娘も、許すものか許さない許さないゆるさないゆユルさナイゆルさナいっ!」
――狂っている、と思わずにはいられない。
「だからって無差別に墓を掘り起こして、こんな仕打ちをするなんて――むごすぎる」
「あなたのような方が居るから、死者が眠れないのですよ」
涼がギリギリと拳を握り締めて女を睨み、享介の言葉は氷よりも冷たく響く。皆の目は厳しくなるばかりで、沸々と湧き上がる怒りと殺意を殺して冷静になる為に必死だった。母の名を冠するのも汚らわしい狂った女は、喚き散らしながら言葉を続けた。
「灰の教団のアデラ様達はおっしゃった! 人の首には魔力があると!」
声も高らかに詠う。
「この世は偽り、邪悪で矛盾の蔓延した、嘘と虚構に満ちた物だと! 我々こそが真の使者、真実を遂行できる選ばれた者、裏切り者には死を与え、白き存在に昇華するのみ!」
聞いたことも無い宗教団体の名前が飛び出した。おそらくは洗脳でもされたのだろう。どちらにせよ、こんなおぞましい儀式を推奨している事態でまともな教団とは思えない。
シルビィアが剣を抜き放ち、ぴたりと女の咽喉を狙った。ひっと固まる女に冷ややかな口調でシルビィアは刃先で首をなぞることなく、淡々と告げる。
「我が友を愚弄した罪‥‥万死に値する。が、貴様を殺した所で、クレアは喜ぶまい。罪を認め、それを償うためにも生きてもらおう。法の裁きを受けるがいい」
「ひ、ひ、ひゃ、ひゃあははははははっ!」
「貴様、何がおかしい」
ジーンの言葉に女は奇怪な笑い声を上げながら叫ぶ。
「愚かな人の同胞共め、貴様ら等に捕まるものか。我、意識体となりて永久を得ん」
「いけない、取り押さえて!」
涼が叫ぶ。女は傍においてあった小瓶を瞬く間に煽り、不敵な笑みを漏らすものの、やがて嘔吐し血を吐いて事切れた。即効性の猛毒らしい。おそらくはレイスにでもなるつもりだったのだろうが、望んで怨霊になれるものではない。すでに脈も止まっていた。
女は罪を償うことなく、地の底へ堕ちた。
愚かな女の命を惜しむのではなく、裏を明らかに出来なかった悔しさに四人は唇をかみ締めたが遺体は無事回収された。足跡を辿りルーウィンが其処へ着く少し前の事である。
その頃、屋敷では襲ってきたアガチオンの対処に追われていた。
幸いだったのは、アガチオンが悪魔の割りに比較的小心者だったことだろう。ある程度の傷を負えば、逃げてゆく。アレスはディルスに近づく者を排除し、焔が片っ端から日本刀を振るう。フェイントアタックと技術を用い、可能な限り攻撃を当てていた。
「はぁ!」
鋭い呼気。磨き上げられた白刃がアガチオンの腕や足を狙う。焔の日本刀の攻撃を二度も食らえば、アガチオンは尻尾を振って逃げ出した。深追いはしない。ようやく一匹という時に、クレアらしき亡霊がズッと壁から現れた。ディルスには相変わらず見えない。警戒をとかないアレスに戸惑ったようだが、ディルスを眺めて亡霊はにこりと笑った。
「片付いたのか?」
焔の言葉に頷き、そして何故か、出雲の方へ向かい、数歩離れた場所で唇を動かす。
『ねぎ、り』
出雲が目を点にし、そして思い出す。遠い日の別れと果たされなかった約束を。
‥‥一生のお願いなんて言うな――
『やくそく、やぶって、ごめんな、さい』
――また次も値切るの、手伝って貰わないといけないんだからな―‥
「‥‥ばぁか、そんな事まで、気にしなくたっていいんだよ」
レイスに触れればダメージを受ける。そうと知りつつ、出雲はそっと手を伸ばした。
かくして墓場は平穏を取り戻す。出雲とシルビィアに与えられるはずだった報酬は、本人達の希望で孤児院などに廻されることになった。友の為だから、金はいらないと言う。
「皆が取り返してくれたよ、クレア」
他所同様、クレアの頭骸骨は無事に奪還されて棺の中へと戻された。
ディルスの望みから八人は恩人及び友としてもてなされ、傷を癒しつつ館にしばし滞在。そして今日、墓は元通りになり、前々に天使画で高名な作家に発注した幼き天使像が置かれ、新たな墓が作られ、八人も冥福と別れを告げに来ていた。
「クレアさんの冥福、心から祈ります。神の御許にいけるよう」
黙祷を捧げていた内、ジーンがディルスに話しかける。出雲も続いた。
「ディルス。月並みな言い方だが、笑顔で生きろよ、それがきっと逝ってまでもお前を大切に想う友の願いだと思うぜ。暗い顔していたら、あの子も悲しむからな。‥‥クレア、これでいいんだろう?」
眠りについたかは定かではないが、クレアの姿は無い。そしてディルスには、ついにクレアの姿は見えなかった。彼は再び冒険者達に背を向けると墓の前に膝をついて溢れるほどの花を抱き、顔を埋めて呟く。
「――聞こえるかい?」
勇敢なる八人の生者の手によって取り戻された死者の安息。
石の褥と、彼の人の指に輝く銀の指輪。叶えられる事の無かった義兄の想いは――、
「愛してるよ―‥」
小さな言霊となりて、星空の天空へと溶けて消えた。