●リプレイ本文
高い高い、塔を見上げる。
完成した歪な塔は心を表したかのようだった。
――――誰か蔑んで下さい。
こんな方法しか見つけられなかった私を。
――――誰か罵って下さい。
愛しても、愛しても、幸せになれる方法を見つけ出せなかった私を。
‥‥許してなんて、いわないから‥‥
† † †
白刃が弾かれる。
地上に残った者達は、突如襲ってきた六人の盗賊の相手をしていた。噂に聞くウィザードは二名だが、その場にはウィザードと見て取れる男は一人しかいなかった。首領ともう一人のウィザードの姿が無い。だが、のんびり周囲一帯へ気を配っていられるほど冒険者達は暇ではなかった。たった今、緋芽佐祐李(ea7197)の日本刀をハンドアックスで弾いた盗賊の男は、女性とはいえジャイアント特有の二メートル近い身長の緋芽との対策差をうまく利用し、日本刀の切っ先を絡めとって比較的小柄な体を懐に滑り込ませる。
一瞬の早業に、緋芽は身を強張らせた。素早さでは負けていないはずなのに。
「く、邪魔です!」
胴に迫ったダガーを避ける為に身をひねらせた。的確に急所を狙ってくる。だが全て躱しきれたわけではなく、かすり傷程度ではあるが刃が肌の上を撫でた。服の腹部が鮮やかな切り口を見せ、浅く切り込んだ場所は真紅の筋を描く。細い氷が腹の腕をすり抜けた感覚に、緋芽は浅黒い肌に脂汗を滲ませた。見かけは街中のチンピラ同然だが、技量は怖いというわけではないらしい。疾風の術を用いても全て回避できない悔しさに歯軋りひとつ。緊張感は増すばかり。
一方、同じジャイアントのフィル・クラウゼン(ea5456)もまたやや苦戦を強いられていた。標的が小柄で回避に長けており捕らえにくいのである。鍛え抜かれた強靭な右腕が、その豪腕を持ってロングソードを一閃させる。さすがに戦い慣れたフィルの攻撃は完全に防がれることは無かった。防具にでも当たればフィルの攻撃は胴を分断するには至らずとも小男を軽く薙ぎ払ってしまうだけの威力を生んだ。
「立ち塞がる者は打ち砕くのみ! 命惜しければあきらめろ、退くのが身のためだ」
猛々しい声での一喝が響く。
まだ警告を促すだけの余裕が、フィルにはある。また余裕自体はレオン・ガブリエフ(ea5514)にも見て取れた。
「威勢がいいなぁ、俺もうかうかしてられないか?」
にっと口元を緩ませた。四十センチものパリーイングダガーを両手に携え、地を駆ける。相手はやはり小柄な人間の男。レオンとは頭ひとつ分ほど違うといったところだろう。男が振り回すフレイルは、レオン目掛けて振り下ろされた。だがフレイルもそれなりの重さがある。当たれば大した問題は無いが、空振りは動作にも隙が生まれるために手痛いというもの。
レオンはそれほど回避に長けていなかった。注意を怠れば即危険な傷を負ってしまうに違いない。振り下ろされたフレイルをパリーイングダガーで完全に受け止めることはできない為、軌道をかえるように片手のパリーイングダガーで受け流すと金属が擦れ弾かれる耳障りな音が発せられる。緊張を孕んだ一瞬をやり過ごし懐に滑り込んであいた剣で臓を狙った。
「うおぉぉぉっ!」
気合のこもった雄叫びは勢いとなってレオンの集中力を一点に集めてゆく。腹を突き刺したレオンの刃は真紅に染め抜かれ、そのまま体を仰け反らせた方向に刃が肉を抉る。脇から外に向けて掻っ捌かれた腹からは血の飛沫が噴水のように上がった。
敵を仕留めたと言う一瞬の歓喜。
「レオン! 飛べ!」
突然聞こえたフレイア・ヴォルフ(ea6557)の声に、レオンが我が身を右へ仰け反らせる。ほんの一瞬の合間を置いて、それまでレオンが立っていた場所を、巨大な水の塊が通り抜けてゆく。通り抜けるというより、抉るといったほうがいいかもしれない。明らかに足元から上にかけて狙ったウォーターボムは地面の草木を抉りながら突き進んで木にぶつかった。フレイアが声をかけていなければまともに食らっていたに違いない。
「大丈夫か!?」
「ああ。まあな、ウィザードか」
緋芽とフィルはそれぞれが担当している盗賊の相手で手があいている筈が無い。ウルフ・ビッグムーン(ea6930)も現在交戦中だ。すでに一体倒したらしいフレイアとレオンはウィザードの排除に向かう。フレイアが的確にダーツを投げた。ダーツによる磨かれた一撃は呪文を唱えていたウィザードの片目に突き刺さり、呪文を中断させて集中力を奪う。レオンはもがき騒ぐウィザードの傍へ走りこみ、首の動脈を薙いだ。
「これから宝を探しに行かないといけないんから邪魔だヨ、キミ」
元から変わった話し方なのか、それとも言葉を学びきれていないからか、ウルフの言葉遣いは怪しく緊張感に欠けた。だが帰って言葉の端々に推し量れないものがある。ウィザード以外は基本的に盗賊は接近戦型だった。ウルフは向かってくる盗賊から距離を保った状態でホイップを大きくうねらせた。一見、見当違いな場所に向けたと思わせて、ホイップは敵をスタンアタックで気絶させてしまう。
「気絶させてしまえばこっちのものだヨ」
ウルフはすでにもう一人、気絶させて縛り上げていた。彼が振り返ると、襲ってきた六人はすでにある者は捕らえられ、ある者は事切れていた。依頼人の話では盗賊は全員で八人。二人足りない。レオンが亡き女領主シルベリアスの手記を持っていないか調べて回ったが、誰も持っていなかった。考えられることは一つ。
「先に上られた方々、大丈夫なんでしょうか」
心配そうな緋芽の声が、風にさらわれてとけていった。
当の最上階へ伸びる、一本のロープがぶらりと風に揺れた。
塔は高く聳え立っていた。建設当時は美しかったであろう外壁は、何重にも重ねられた壁で歪かつ無残な光景を晒している。
四十メートルもの塔は侵入者を阻むが如く、無闇に詰まれた外壁に加えて細い蔦が生い茂り、毟り取ろうにも外壁の隙間を縫うように貼りついている為ちょっとやそっとの力ではビクともしない。何人か試しに蔦を使って登ろうと試みたが、流石に人間の体重を支えられるほど頑丈ではない。となるとロープを使うなど別の方法を取らねばならない訳だが、生い茂った蔦が邪魔になり滑る危険性も出ていた。地上班が盗賊達を一掃している間に登った方が得策。何しろ塔の上層及び中では一体何が待ち受けているのか分からない。
シフールのディアッカ・ディアボロス(ea5597)が、その小柄な体を生かして皆で寄せ集めた六メートルのロープを固く結び合わせて作った六十メートルを超えるロープの端を持って上昇していく。たかがロープとはいえ塔は四十メートル、ロープの重さも相当なものに膨れ上がる。リトルフライを唯一使えるサーシャ・クライン(ea5021)の助けも借りて、二人はロープを塔の頂上へ運んで、頑丈そうな柱に縛りつけた。このロープは一種の命綱である。一度に登っても危険だ、先に塔の探索をすると決めた者達のうち、シュナ・アキリ(ea1501)が先頭となって登り始める。約四十メートルの垂直の壁を登るのだ。重労働である。
「さすがに下を覗くのが怖いね。こんな季節だし、寒いったらありゃしない」
塔の上は初冬の如き寒さだった。日が差しているというのに肌寒さを超えている。
かつて魔法使いが登って生首が落ちてきたという曰くつきの塔。
噂に対して、塔の天辺は非常に静かだ。瓦礫が一部に重なって山を作っているが、それ以外大して変わったところも無い。ディアッカが一通り飛び回って様子を確認した後、巨大な木の扉に近づいた。幅広の扉は硬く閉じられており、鍵開けの技術を用いなければあけることはままならないだろう。幸いウルフから盗賊の使う道具一式を借りた双海一刃(ea3947)が登ってきている途中だ。専門技能として使える人間もいる。来るまで待っていればいい。
何故か壁には黒い物が染みついていた。着色料というわけではないようである。
「どうしたの?」
サーシャが不思議そうな顔で振り向いた。ディアッカが扉の前で眉間に皺を刻んで何事か考え込んでいる。ふと耳をぺたりと扉につけた。すると‥‥
ガサ、ガサ、ガサ。
「――え?」
キリリ、キリ、カシャカシャ。
明らかに人ではない物音が聞こえてきた。まじまじと黒い染みを見直す。何か乾いた皮のような物や白っぽいものがこびりついていた。さっと顔色を青くして我に返る。それが一体何なのかに気づいて、あとずさりした。シュナに続いて一刃とガッポ・リカセーグ(ea1252)、朴培音(ea5304)が這い上がってきた。ディアッカの蒼白な顔に異変を感じ取る。
「どうしたの?」
サーシャが再び問いかけた。
「何かいます。沢山の物音が」
耳に届いた異質な物音。闇の中で何かが這い回るようなその音は、耳に嫌な感覚を残した。やはり何かのモンスターが棲みついているのではないかという話になり、しばらく沈黙が降りる。
「‥‥下がっていろ」
なんにせよ、扉を開かなければ話は進まない。ガッポが一刃からウルフの道具一式を借りると、忌まわしい扉の前に立った。他の者達が警戒の色を露にする。どうやら曰くつきの塔の『曰く』の部分はあながち間違いでもないようだ。その確固たる証明が、木の扉にべったりとついた汚れが証明している。間違いなく、血の類だった。肉の破片や骨の破片がこびり付いている。近くに散らばっている白い石灰のような物は、砕けた骨だろうか。何者かが命がけで閉めたらしい扉を、彼らは開かなくてはならない。
地上は盗賊、此方は化け物を担当する羽目になりそうだ。
「‥‥いいか、あけるぞ?」
ガッポが確認するように皆を見回した。サーシャに至ってはすでにいつでもウインドスラッシュを放てる状態だ。
「足場は狭いし、うまくやるしかない。頑張ろうか」
培音の声に頷く一同。ガッポの手が鍵へと伸ばされる。
やがて鍵穴はカチリ、と静かな音を立てた。小さな、音だった。
「それじゃ、いってくるヨ」
「すまないな。中の者達をよろしく頼む。地上は俺が見張っていよう」
フィルが上り始めた者たちに向かって手を振った。どこか残念そうではあるが、命には代えられないだろう。誰かが引っ張りあげるという案も出たのだが、残念ながら現在地上に残っている者達はクライミングを嗜んでいる程度に過ぎない。専門的に学んでいる者がいないため、十メートルか二十メートルあたりまでなら何とかなったのかもしれないが、この塔は四十メートルもの高さを誇っているため、下手すれば落ちたら複雑骨折どころか最悪ひき肉状態だ。さすがに勘弁願いたい。
「盗賊に狙われた、先祖の財宝が眠る出口も窓も無い塔‥‥ぞっとしない話だな。まあ、こういう話に出てくる財宝は余程高価な物か閉じ込めた本人にしか価値の無い物と相場が決まっているがこの依頼の宝はどちらなんだろうな」
蒼穹の天空を眺める。仕事さえなければ、静か過ぎるほど平穏な場所だった。ふと、壁の一点に視線を奪われる。
「いばら?」
フィルは蔦に混じって一部だけ岩の割れ目から姿を見せている茨の蔓を不振そうに眺めた。その茨が『特殊なもの』であるとは露知らず、すぐ傍に腰を下ろし、遥かな雲に届きそうな雲を見上げて不吉な予感を押しつぶした。
フィル以外の地上班が上ってゆく。途中で雑談も飛び交った。
「財宝は子孫の為に残すのが普通。それが自分のみで子孫にすら立ち入りを許さない財宝というのは一体どのような物なのでしょう?」
「ココまで苦労シテ、宝の正体は昔のラブレターだったナンテのは御免だヨ」
緋芽の問いに、ウルフが冗談めいて言ってみせた。「あたしも日記や手紙などの思い出だと思ったよ」とフレイアが言い「そうだったら笑うな」そんな声も上がる中で、まだ頂上が見えない壁を見上げて真面目な表情に戻ったレオンが呟く。
「ここまでして守りたいモノって何だろうな」
脳裏を巡るのは好奇心だけではない。そこまでして塔を隔離しようとした女領主への疑問が駆ける。
古めかしい音を立てて扉は開かれた。盗賊があけた形跡は無い。一体いつから閉じられていたのか冒険者達には知る由も無かったが、開くと同時に突進した黒い物体に皆が眼をむいた。黒光りする巨大な姿態。キリキリと顎から聞こえるインセクト特有の音。黒い胴体から伸びた硬い足は、巨体に似合わぬほど器用かつスムーズな動きを見せた。体長は一メートル半といった所だろう。
無視の表情など判別不能だが‥‥飢えた目をしている、といった方がいいかもしれない。
それは巨大な黒蟻だった。ラージアントが全部で三体、扉から飛び出してくるや否や周囲を見回す。ただのラージアントと思う無かれ。こうみえてかなり獰猛だ。
「こいつらに食われたって所か」
「そのようだな」
シュナの呟きに、一刃が呼応する。危険なインセクトに類するラージアントを眺めた六人は、それぞれが配置につく。ディアッカはもし万が一の事態が発生したときに連絡係になってもらわなければならない。危険が身に迫ってはならないということで、ひらりと空中に飛翔した。離れた場所から光景を見守っている。
ラージアントは一目標に集団で襲い掛かる習性を持つ。長い間闇の中で過ごしてきた為か、ラージアントの視力は通常の固体に比べてそれほど良い状態ではなさそうだ。その証拠に日陰からじっと冒険者を待ち構えるような素振りすら伺える。皆をぐるりと一瞥し、キリキリカシャカシャと音を立てる。まるで会話でも交わしているかのようだ。ラージアントはもっともひ弱そうな固体を狙った。すなわち、サーシャを。
「ウインドスラッシュ!」
呪文を唱えて真空の刃を解き放つ。刃は地面と黒い巨体の間をすり抜け、一体のラージアントの足をなぎ払って自由を奪う。潰れた蛙かはたまた蜘蛛か。足を奪われたラージアントはそのままずるりと腹を床につける。動きたくても動けずにもがき動いていた。だが、ラージアントは一体だけではない。
集団性を用いてラージアントは次々襲いかかろうとしたが、仲間達がそれを阻む。サーシャはすぐに呪文を開始し、彼女が呪文を唱えている間に一刃がナイフを両手に切りかかった。だが硬い外殻に大したダメージは与えることができない。
「厄介といえば厄介だな、化け物蟻め」
「培音は強くなるんだ! 邪魔はさせない!」
気合を含んだ声が響く。培音は闘気を露にしながらラージアントに突進した。真正面から攻め込むのもなんだが、その攻撃には迷いも無ければ一点の曇りも見られない。培音の鍛え抜かれた拳が二度、目などの部分を狙って放たれた。三度目に奥義の蛇毒手が、ラージアントの隙間に打ち込まれる。目や骨格の間は隙間があるし、確かに柔らかい。
培音に毒手を打ち込まれたラージアントはやがてしびれて動きが鈍くなった。そこへ待っていたとばかりにシュナがダガーとダーツを用いて息の根を止めるべく動く。一匹が行動ままならない内に残りの二体も何とかしなければならない。サーシャの呪文はまだ終わらない。
「おらよ! 人食い虫はさっさとくたばれ!」
シュナの発言が青い空に飲まれてゆく。攻撃は比較的効果のありそうな箇所を集中的に行われた。一方走り抜けた一刃と、扉の陰になって隠れていたガッポは、同じく三体目を狙う。攻撃がうまく届かない。いくら虫でもモンスターの末席に名を連ねる化け物蟻、そう簡単にはやられてはくれないというものだ。軽い傷しか与えられずにいる二人は考え抜いた末にちょこまかと動き回り、ラージアントの注意を散漫状態にした。そしてそのまま‥‥
「さあ、食ってみればいい」
挑発的な一刃の言葉は理解してはいないのだろうが、ラージアントは牙をむいて一刃の後を追いかけた。一刃は地上へまっさかさまかと思いきや、縛っていたロープの隅に手を伸ばしてしがみつき、勢いあまって突進してきたラージアントの三匹目が宙へ舞った。正しくはその状態で‥‥落下した。
「おい、平気か」
「俺は何とか。下は騒いでるかもしれないが」
ガッポに答えて一刃が這い上がる。
ほんの十メートル地点を越えたあたりに地上班が登ってきていたのだが、いきなり上空、しかもすぐ傍らに落下してきた巨大昆虫を眺めて何人かが固まった。地上で待機していたフィルも、塔探索第二班のすぐ後になって天辺からわけのわからない黒い物体が潰れておきていたわけで硬直した。無理も無い。
「ウインドスラッシュ!」
サーシャが二度目のウインドスラッシュを解き放つ。一匹が地上に転落したことにより、塔の頂上もそれなりの広さを得ることができた。ディアッカがハラハラと見守る中で、五人は手足を奪われたラージアントを集団で袋叩きにした。やがてラージアントは力尽き、塔の入り口はぽっかりとその闇の口をあけていた。一刃達は、後から登ってくる者達を待って中に入ることにした。
見る者に恐怖すら与える蟠る闇。
冷えた空気は閉ざされていたのか黴臭い。下へ続く石の階段は螺旋の如く続く。石の壁には蟲が息づき、果ても見えぬ扉は冒険者を待ち構えている。ランタンの光が壁に人影を映し出す。時折視界の片隅を、やせ細った鼠などが走り抜けていった。
可能な限り、皆がランタンや松明に火を灯した。先ほどのようなラージアントに何度も出てこられては困る。血筋の子孫さえ立ち入りを禁じられた塔の闇はただでさえ未知数だ。明かりを持った者は皆の先頭を行く。冷気による鳥肌。足音と水の滴る音、唾を飲み込む音が耳に忍び込む。 下へ下へと進み行く。やがて照らし出された扉に、冒険者達は複雑な表情を作らずにはいられなかった。古びた木の扉は鍵という鍵でしめられ、鎖という鎖で堅く閉じられていた。執拗なほど厳重に封鎖されている。また何かいるのではないかと耳を済ませど音は何も聞こえない。
ガッポが慎重に鍵を開けてゆく。
「なんだこれは」
部屋の中は旧時代の生活用品で埋められていた。もはやボロボロで見る影の無い物も多い。壁一面、天上も床にも、いばらだか薔薇だかわからない植物の木が這っていた。元々ベットだったらしい木の台は腐食し、乗ったら壊れてしまいそうだ。ふと、フレイアが何かに気づいた。
「なんか書いてあるぞ?」
『かの人は戻らず』
その一文に目を留めた者がいる。フレイアとレオン、ガッポである。奇妙な一文の前には、壁にずらりと古い文字が刻まれていた。イギリスの言語を専門的に習っている者にしか解読することは難しいだろう。他の者達の為に、三人は順番に文字を訳していった。古い文字は日記のようだった。
この部屋はどうやら亡き女領主シルベリアスと、名もわからぬ男との逢引に使われた物らしい。やはり日記かと、つまらなそうな顔をした者が多い中で、話は徐々に急変して言った。冒頭はただ、愛を語る物だったが、どうやらシルベリアスと恋仲にあった日記の書き手はラスカリタ家と宿敵とも言える関係にあった貴族の長男らしい。時代を考えれば非常に危険な恋愛だ。
話はエスカレートしていく。
どうやら二人は互いの身分を隠していたらしい。シルベリアスが腹に子を身篭って初めて、男は身分を明かした。そしてシルベリアスはラスカリタの女領主という立場だった。シルベリアスには夫もいる。だが、子供は逢引相手の子供だ。無論の事、二人の関係は容認されるわけが無い。二人はこの場で二重の生活を送るようになり、徐々に精神を病んでいった。男は不治の病に係り、二人の生活は泥沼化していく。
障害が多いほど恋は燃える。互いが互いに固執し依存を続け、ついに限界が来た。
シルベリアスは領主の地位を選び、子供を夫の子として偽って生むことに決めた。これは賭け。今は認められなくとも遠い未来に願いを託して選んだ道。男はそれを受け入れ、家に戻らず、ここで暮らすことに決めたらしい。家より妻と子をとったのだ。
『かの人は戻らず』
冒頭に戻る。
しばらく留守にするといったまま、シルベリアスは戻らなかった。
男は監禁され続け、やがて光が届かなくなってようやく悟った。
『シルベリアスが戻らぬ今、我が支えとなる者は無し。願いによりて閉じられし扉は何人たりとも我が元へ通さず』
罪の意識から全てを隠そうとしたシルベリアスの行為を男は受け入れたらしかった。
壁の文字は荒くなり、字というのも怪しいほど歪んでゆく。寝たきりの状態で字を書き続けた。
そして。
『時近づく。病巣の我が身はやがて土へと帰る。願わくば我が骸を苗床に咲くであろう花々が、いつしか塔の壁を登りて、愛する者の目に届かんことを願う』
よほど優しい男だったのだろう。塔が厳重に隔離されたことも、扉が硬く閉じられた事も。すべてを容認した。病に蝕まれてしに行く自分よりも女の幸せを願った。だからこそ男の骸を苗床に生えだした薔薇の木は蔓のように這いずり回り、腐敗した床の下の土に根を下ろして何十年もの間ひたすら枝を伸ばし続けたことを。壁の文字の終わりにはラスカリタ家ともう一つ、家を示す紋章が掘り込まれていた。もし地域的なものに詳しい者なら、今尚対立している家同士だということがわかるだろう。
事の次第を察したのか何人かに無言が降りた。やがてレオンが呟く。
「‥‥ラブレターや思い出なんて、生易しいもんじゃないな」
「個人的で個人的でない。故人が守ろうとした財産ならぬ財産というわけかな、財産にもなり破滅にもなる」
半分はエゴだろうけどな、とフレイアが呟く。サーシャがため息を吐いた。
「もっては帰れないよ。どうする、素直に執事に知らせる?」
これを知らせるか知らせないか。重大な決断だ。緋芽が口を開く。
「その辺の金細工を持ち帰るか、ラブレターでした。とか適当に言っておいたほうがいいんじゃないでしょうか。これは外に知らせるべきじゃないと思います」
「事と次第によれば血が流れる、か。どれだけかは知らないが、俺達の命の保障もできないだろうしな。口封じなんていうのもありえる」
シュナの発言は至極当然。一介の冒険者など、貴族がその気になれば闇に葬ってしまうだろう。望んで関わった訳ではないとはいえ自分達の命もかかっている。
「もし明らかになったら?」
サーシャの問いに、レオンが壁の文字から手を離した。
「その時は、‥‥黙っていた俺達共々厄介事に巻き込まれる番さ」
驚いたことに出口で待っていたのは盗賊の首領と風のウィザードだった。
「待っていたぞ。化け物も退治させて持ち出してくるのを瓦礫の中に隠れて待ってたのさ。お前達、さあその宝をよこせ。それからじっくり嬲り殺してやる」
仲間の死体は確認したらしい。一刃がナイフを抜いた、レオンやシュナ達もそれに続く。ウィザードは懐に入り込めばそれですんでしまった。数が数である。首領に関しては巨大な斧に加えて弓を携えていたが、ウルフがスタンアタックで気絶させた。その間にさっさと下に下りようとした模様である。だが、地上まで残り十メートルという当たりで、首領は目を覚ましたらしく、真っ赤な顔で冒険者達を睨み、矢を放ってきた。
「まったく、危ないヨ!」
「慌てずに降りるんだ」
滑り落ちていくが、何故か途中からロープの手ごたえがおかしくなった。揺れている気がする、と、最後にシュナが降りた刹那、誰かが叫んだ。
「全員はなれろ!」
目の良い者達が塔を見上げ、息をつく暇も無く、早急にその場所から退去した。ゆるやかな水辺のような動き。ここではないどこか。ふと幻覚か、木の枝か何かが降って来るようにも見えるが、そんなものではすまない。ロープを固定していた柱が折れたのだ。皆で急いで降り過ぎたせいもあったかもしれない。
どぉん、という重い音を響かせてロープを縛っていた柱は半ばから折れてロープと柱ごと落下した。落下速度に加えて、ロープと石柱の重さ。正直言って想像を絶する。下敷きになれば命は無かっただろう。石柱が地面と激突した瞬間、軽い地震でも起こったのではないかというほどの衝撃が大地に伝わった。
やがてシュナが近づいて屈みこんだ。その手でロープの先を拾い上げて確認し、流れるような目の動きで天上を見上げる。皆の中で視力に優れている者は、落下した唯一のロープを眺めて呆然と微動だにしない盗賊の頭を眺めることができただろう。盗賊の首領は一体何がおきたのか、理解できていない様子である。どちらかといえば、理解したくないのだろう。
「ロープ切れたな」
「その様でございますな」
依頼人の執事がいつのまにやらやってきていた。冒険者達は塔の中で適当につかんできた金銀の細工を手渡し、ラブレターだった等々適当な理由を並べる。もちろん異論を唱える者はいない。ずっと地上で待機していたフィルに関しては、ディアッカからテレパシーによって事情を聞いた後なので把握済みである。
依頼はとりあえず無事に終わったといえるだろう。秘密はできてしまったが、依頼人はそれで満足してしまったようだし、自分達が疑われている風でもない。
と、培音が再び空を見上げる。
「あの盗賊、こっち見てるみたいだね」
「仲間、全部倒しちまったしな」
レオンがぽりぽりと頬を掻く。仲間はいない、ウィザードは死んだ、そしてロープは落下した。自分が招いた結果とはいえ、塔の頂上に残された盗賊はどうすることもできない。首領はクライミングに長けている様でもなかったし、残る選択はあの場所で餓死もしくは凍死するか、飛び降り自殺をするかである。事情を聞いた老人はからからと楽しげに笑った。
「運がよければ誰かが気づきましょうぞ」
「気づかなかったら?」
サーシャの鸚鵡返しに、初老の男はそれこそ歪んだ笑みを口元に浮かべた。
「さあて、どうでしょうなぁ」
† † †
僕の願いを聞いておくれ。
私の願いをきいてちょうだい。
君の願いを叶えよう。
貴方の願いを叶えましょう。
たとえそれが、間違っていようとも。我々は約束を成し遂げよう。
いずれ来るであろう諍いの終わりを。
数年、数十年の先に認められる事を願って。
愛する人を犠牲にしても――‥‥