●リプレイ本文
「いつまで描き続けられると思う?」
「そうだな。人生何が起こるか分からない。天災、人災、病。そうでなければ‥‥俺かお前、どちらかの足がついて連中に狙われ命が尽きるまでだろうよ」
依頼を受けた冒険者達を出迎えたのは絵師マレア・ラスカではなかった。執事のワトソンに別宅内のテラスに案内されると、そこには双海涼(ea0850)とカレン・ロスト(ea4358)の見知った顔の男がいた。マレアの姿はない。薄汚い平民服に相対するような整った姿勢。茶交じりの鈍い金髪に白髪が見え、青い瞳がテラスからじっと冒険者を眺めている。視線が交錯した途端、お互い「あっ」と声を上げた。カレンと涼の声が重なる。
「ディルス様!?」「ディルスさん!?」
汚い身なりをしているが、正真正銘のプリスタン家の次期当主。お忍びで、というやつだろう。カレンと涼は何度か依頼で顔を合わせた相手だ。
「やあ、久しいね。カレン、涼。マレアのモデルは君達だったのか」
天城月夜(ea0321)が訝しげな顔で二人に問う。
「知り合いでござるか?」
「何度か依頼で。もしや依頼人は貴方ですか」
カレンがそっと問いかける。ディルスは肩をすくめた。
「違うよ、今日は野暮用。マレアとは取引相手兼昔からの知り合いって所か。そろそろ帰るよ、モデル頑張って」
すっと立ち上がる。奥の方からマレアが姿を現した。
「マレア、考慮していてもらえると助かるよ。それじゃ」
先客は絵師の姿を確認し、言葉を投げると冒険者達に挨拶ひとつしてテラスから出て行った。マレアの姿を見つけるや否や、ノイズ・ベスパティー(ea6401)がマレアに近づく。ノイズは以前個展の手伝い時にマレアと出会っている。ポップ・ヴェスパティー(ea7430)は冷ややかな目で弟を見ていた。
「マレアさ〜ん久しぶりです! ‥‥何かあったんですか?」
「守秘義務があるからナーイショ。って。あらぁ、懐かしい顔がいるじゃない」
マレアは月夜の姿を確認するや旧友を見る目で近づいた。マレアが今の名声を得るきっかけになった天使画、そのモデルの一人が月夜である。
「お久しぶりでござる。マレア殿。漆黒の天使をお探しということで、是非とも素材にして頂きたく参ったよ」
「噂に聞く『蒼天』の片割れか」
部屋の暗闇からひょっとミッチェル・マディールが現れた。彼はただいまマレアの家の居候である。
「キッカケの天使画八枚‥‥懐かしいわね。いいでしょミッチェル、美人でしょ」
「嫌味か」
月夜の傍らでマレアが自慢を開始する。嫌そうな顔をしたマディールに、フィーナ・ウィンスレット(ea5556)が近づいた。
「えっと、マディールさん? ですよね。フィーナです、奪還の件で‥‥覚えてますか?」
「ああ! あの時は世話になった。その、すまなかったな‥‥泥棒まがいの事をさせてしまって」
どうやらこの二人も知り合いのようである。何やら挨拶から始まって小難しい話を開始した二人を眺めていたマレアは、挨拶も忘れていたと我に返った。
「ミッチェルは放置決定。さて初めまして、そしてお久しぶり、マレア・ラスカよ。にしてもイイ男が来たものね」
瞳を輝かせたマレアがヒースクリフ・ムーア(ea0286)を眺めた。身長二メートルを超えるジャイアントの巨体。マレアと並べば親と子ほどの身長差があるに違いない。ヒースクリフは軽く頭を垂れた。
「キャメロットより参りました騎士、ヒースクリフと申します。本日はこの身が少しでも御身の手助けになれば幸いです」
「礼儀正しいのね。創作意欲がムフムクと、うふふふふ」
妄想が少々走っている様だ。
「ミスマレア。顔が怪しく歪んでマース」
「黙んなさい。ちょっと窮屈かもしれないけど気楽にしてね。ノイズ君は兄弟か。いいわねぇ、絵になるわ」
「ポップだ。邪魔でなければ製作中に鎮魂歌でも奏でよう」
「あ、コレ僕のお兄ちゃん! 口下手だけど音楽だけは上手だから!」
「折角だから是非。そちらの美人もよろしくね」
「おぅ。衣装とか持参してきたんだ。‥‥これでクウェルがいたら面白い反応がみれたのに」
メイドをしているライラック・ラウドラーク(ea0123)が、やる気満々でモデル依頼に望んだようだ。海外旅行中の主人を思い浮かべながらも、燃えろ私の魂! とか叫んでいる。と周囲に圧倒されていた内、突然、涼が人の波を掻き分けてマレアの両手を握り締める。その目は感激に満ちている‥‥らしい。
「アナイン・シーではお兄様がお世話になりました。ですが私が来たからには『兄よりもっと』役に立って見せます! 憧れの依頼が受けられるなんて。神様ありがとうございます」
「あぁ彼の妹さんね。って、大丈夫? もしもし? もしもーし?」
オーラに『打倒兄』を掲げているらしい涼はクラクラしていた。
なんだかんだ言いながらも、一行はマレアの別宅に招きいれられたようである。
「あぁ、最高。これぞ絵師が絵師たる至福の時!」
時は早朝。吐息も白く輝き、朝霧漂う深い森。
漆黒の礼服に身を包み、剣を携えた男は天空を望む。白き長髪は微風に揺れる。静寂の光景は、絵の中で荒野に降り立つ戦に破れ傷ついた堕天使に変換されていた。浅黒い肌に馴染む様な堂々たる黒き翼が生まれ、闇に染められゆく『荒野の堕天使』が。
「マレア殿、仕事が進まないでござるよ」
「百も承知! ビバ素材! ところでフィーナちゃん、カレンちゃん、涼ちゃんの様子はどう?」
月夜の溜息にマレアの眼光が冴えた。実はヒースクリフの前に涼がモデルをやったのだが、これが体張った光景だった。朝霧を銀の雨に変え、まっ逆さまに天上から大地へ墜落する銀の短剣を抱いた『墜落の堕天使』を演じた。体に纏う布一枚。
マレアは泣いて喜んだが‥‥涼は頭に血が上った。
「あぁ、まだ起きたらだめですよ」
「気持ち悪い。だけど、モデル、モデルぅぅ」
呻いていた。
「心配しなくてもいいのが描けてるから大丈夫。もう少し休んでなさいな」
張り切ったのはいいが、無理しすぎだ。現在カレン達の介抱を受けている。
「いい素材に恵まれるって最高〜と、おっけ。ヒースクリフ君お疲れ様、月夜ちゃん宜しく」
「くしゅっ。うぅ。日差しが射していてもさすがに寒いでござるな」
「ごめん。とりあえずワトソン君、お湯もってきたげてー」
こうして寒い中モデルの作業は続いた。
月夜は木漏れ日の中で祈りを捧ぐ堕天使に工夫された。白いリボンで結い上げた緑の黒髪に白い衣装を纏った祈りの天使が、幻の如く薄く描かれ、背後に天使から躍り出たような黒衣の堕天使が妖艶な微笑を浮かべていた。堕天の一瞬というより悪魔が光の姿を装う『偽りの堕天使』といった風情。
「こういった事は、初めてなので緊張しますね」
カレンは涼と同じく『墜落の堕天使』であるが、右手は何処かを彷徨い左手を黒く変色させ、左翼はもがれて無く、右翼は白い羽根が剥がれ落ちて闇色の翼に変化していく‥‥何処か物悲しく、痛々しい。
「あ〜あ、モデルって結構疲れるんだねぇ」
ノイズは自ら縫製した黒レースのドレスに身を包み、憂いを含んだ笑みを浮かべて空中で静止。兄のポップは白レースの深いスリット入りドレスを纏い、背を向き合わせる。胸に詰め物をしているあたり芸が細かい。兄弟で同じ顔という利点を生かしたマレアの案も加わり、其々に白と黒の翼を背負わせた。二人で一対。『双黒の右翼』と『双黒の左翼』の完成だ。
「我ながら実に堕ちてる衣装だね」
ライラックは持参したキワドイ衣装を纏ったわけだが‥‥ベットの上で狂気に満ちた笑いを浮かべながら、淫靡に四つん這いで美少年に迫り寄る、というのを提案したが、堕天使というよりサッキュバスかリリス辺りを髣髴とさせる妖艶な光景だった。お子様の目には見せられない。
荒野の作品に加え、異色の一つがフィーナの考案した『堕天使の涙』である。
「モデルになるなんて、色々と緊張しますね‥‥うまく出来るか不安です」
時は深夜、広がる闇。満月の浮かぶ湖。
月明かりに照らしだされ、湖畔にぼんやりと浮かび上がるフィーナは自らの体を抱いて蹲り、白い簡素な長衣から伸びる四肢から玉のような汗が流れさせていた。絵の中で黒い翼を背負わせた彼女は恍惚とした妖艶な笑みと後悔ともわからぬ涙が一筋頬を濡らす。辺りに舞う白い羽根、泉の上にも羽根は落ち、波に揺られて遠のいていく。
産声の幻聴が聞こえる堕天の一瞬。
作業は驚くほどスムーズに進んだ。たった二日で下書きが完成してしまったのだ。三日目にマレアは依頼人を呼び寄せてどの絵を希望するかを問うことにした。勿論マディールは隠れているわけだが、依頼人の老人はモデルと絵を眺めて至極ご機嫌そうな様子だった。頃合を見て、マレアがたずねる。
「理由を伺っても?」
「ふむ、実は我が家の近しい関係の方のご息女がだいぶ昔にご病気で亡くなられたのだよ。当時六歳だったと聞き及んでいてな、名前はなんと言ったか。それに引き続き、先日四女のエリキサクア嬢が亡くなられてな。ご家族もさぞやご心痛のことと思って、今回依頼したというわけだ。さてコレとコレを頼もうか、片方は我が家に飾らせていただこう」
老人は低い声で笑いながら、マレアの別宅を後にした。しばらく凍りついた顔をしていたマレアが呟く。
「‥‥くそジジィ。ラスカリタの関係か」
普段からは想像もできない、低い、唸る様な声だった。
「マレアさん?」
「おーい、大丈夫かよ」
フィーナとライラックが肩をゆすった。
「――ごめん。嫌なパトロンがついたなって。金払いはいいけど‥‥厄介事になりそう。ああ、嫌だ嫌だ」
「ラスカリタというのは?」
かんを入れずに月夜が問う。何処かで見かけたのか、聞いたのか、その目は追求性に満ちていた。マレアは視線を泳がせると溜息を繰り返す。
「色々、黒い噂がついて回る貴族様よ。汚い事も平気でしてるし、――『身代わり』で生き延びてる奴も多い。昔ディルスがアソコの四女と婚約してたわ。今の婚約者はアリエストの所のエルザ嬢だったかしら」
一部の事情を知るカレンと涼は押し黙っていたが、呆然と声を上げた男が一人。
「彼女と?」
ヒースクリフだった。彼はケンブリッジ奪還の際にエルザ・アリエストと面識を持っていた。マレアが目を丸くする。
「知り合い? 揃いも揃ってなんの因果かしら。ま、ラスカリタは関わらない方がいい家ね。‥‥あぁこんなとこで‥‥最悪」
後半はもう独白に近い。心配そうな顔ぶれに対し、何処か皮肉に満ちた悲しげな笑い声を響かせた。
依頼も終わりに近づくにつれて、過去の作品をはじめとした知り合いがモデルになった絵を見に行くものもいれば、用意してきた酒を皆に振舞ったり、菓子を作ってみたり、馬鹿騒ぎに至ったりと忙しい旅の合間の休日を其々過ごした模様である。
「縁があればまた宜しく。それじゃ、元気で」
これはその後の話になるが‥‥結局の所、色々な経緯を経て世間に知れることになったのは『荒野の堕天使』と『堕天使の涙』の二点となった。残りの六枚はマレアの別宅に飾られているらしい。
モデルの依頼自体はこうして無事に幕を閉じた。不穏な空気を孕んだままで。