芸術家の苦悩 ―難問―
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■ショートシナリオ
担当:やよい雛徒
対応レベル:1〜3lv
難易度:やや易
成功報酬:0 G 78 C
参加人数:7人
サポート参加人数:-人
冒険期間:07月30日〜08月06日
リプレイ公開日:2004年08月03日
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●オープニング
差し出された一枚の絵。冒険者達の目は点になった。
横長のさほど大きくないキャンバスがある。中央にグレーの縦線が引かれ、分断された画面には左右対称で橙色の棒が、グレーの縦線より長さ半分で描きつけられていた。橙の棒の鉄片には黒い円がそれぞれある。どちらかというと右半分は比較的全体的に灰色で暗い色をしていた。
冒険者達にしてみれば黄金の額縁に飾られたその絵は、子供の落書きにしかみえない。なんじゃこりゃぁと、顔が素直な感想を物語る。
「これが何かお分かりになりますかな」
「‥‥いや、さっぱり。なんですかコレ」
今回の依頼人たる執事は、ふぅっとため息をこぼしながら頭を振ると、いいですか、とよく分からん絵をこれでもかと見せつけて熱弁を振るう。
「いいですか。これは上流社会で今をときめく抽象画家、ミッシェル・マディール氏の傑作『鏡の婦人』です。表面を磨き上げた銀の鏡を中心のグレーの線で表現し、それによって映し出される豊満な女性を橙のラインで描き、対となる鏡の世界を――‥‥」
美術の世界はよくわからん。
延々と円と線だけの絵について語る執事を白い目でみながら、冒険者達は早く本題に入ってくれとぼんやり外を眺めていた。ことの起こりは数時間前にさかのぼる。
『物探しが得意な利発な人材求む?』
張り出された羊皮紙にはそんな事が書いてあった。期間も値段もそこそこで、特殊な条件も無く、危険なモンスターに関わる心配も無い。知名度云々の武勇伝にこだわる冒険者より、おおよそ稼ぎたいだけが目的の冒険者には手ごろな依頼。
俺が、私が、と手を上げて何人かが選ばれ、依頼を請け負うことになった冒険者達が対面した依頼人が、常人には理解不能な絵を携えた初老の男であった。執事をやっているらしい。老人はとある『品物』を探してほしいと話を切り出した。美術品を見せられて延々と理解に苦しむ解説を受けること二時間。
「‥‥ところで」
ようやく執事が話を本筋に戻した。
「皆様にお願いしたいのは、ミッチェル・マディール氏が提示してきた難問に該当する品物を探し出してきてほしいのです」
「――難問?」
冒険者の一人が柳眉を顰めた。重々しくうなずいた執事は事の顛末を話し出す。
抽象画を専門とするミッシェル・マディールは今、一部において絶大な人気を誇っているのだと言う。簡略化された世界の美しさを表現し、貴婦人達の目を楽しませていたその最中、此処一ヶ月ほどの間まったく絵を描かなくなってしまったらしい。
基本的にお抱え画家などとっかえひっかえが基本だが、ミッシェル・マディールは人気絶頂の売れっ子画家。最新作を望む人間も多く、あれやこれやと手を尽くすも効果なし。
「しまいには次のように発言するそうです。『芸術が省略にあるのなら、最高の芸術はなにもしないことじゃないのかい?』とね」
あきれた芸術家だ。
「しかし納得などできようはずがありませんし。しまいには御主人様も何度か直々に交渉に赴いたのです。その結果、ミッシェル・マディール氏は一つの条件を提示してきました。『創作意欲が湧かない以上、今は何も描けない。だから創作意欲が湧く素材を持ってきてほしい』と」
「なんだ、芸術家が興味を示しそうな物を探せばいいのか」
楽勝だな、と数名が胸中で呟き、成功報酬を考えてニマニマ頬を弛ませる者もいる中、執事は再び首を振ってミッシェル・マディールの提示した条件の続きを口にした。
「『この世で一番軽くて、一番重くて、一番美しく、最も脆くて丈夫なモノ』を」
見つけてこられるかい? と薄く笑ったと言う――‥‥。
●リプレイ本文
キャンバスや絵の具、ゴミやガラクタ。
芸術家の部屋は汚いというが、此処はそれ以前の問題だった。腐臭はしないが埃臭く空気が淀んでいる。人が住んでいるのか疑わしい。
「あの、ミッチェル・マディールさん? 嗚呼、本物にお会い出来るとは光栄です」
最も目を輝かせていたレジーナ・オーウェン(ea4665)もまた、あまりの状態に眉を跳ね上げていた。抱いていた夢もぶち壊しにされた気分だろう。
「うっわ、ゴホゴホ。ほんとに人住んでるのかなぁ」
皆が室内へ足を踏み出す。閉じきっていた窓を開けて空気を入れ替えたカッツェ・ツァーン(ea0037)は、咳き込みながら室内を見回した。光が差し込む。
画家に創作意欲を取り戻させる前に部屋の掃除でもさせたほうがいいのでは、とぼんやり考えていたキリク・アキリ(ea1519)は流れる視線の先に人の手を発見した。物陰に。
「え、ちょ、――もしかして芸術家さん?」
傍から見たら気味が悪い。キリクはそぉっと覗き込んだ。床に無精鬚を生やした男が倒れている。アリエス・アリア(ea0210)が驚いて駆け寄った。シェリス・ファルナーヤ(ea0655)やレーリ・レインフィールド(ea3497)も続く。
「ま、まさか何かあったんじゃ」
「ぐぉ――‥‥」
シェリスの言葉に続いた豪快なイビキ。心配した自分が間違いだったと、何人かが頭を抱える中、男を取り巻く仲間を押しのけ、クウェル・グッドウェザー(ea0447)が眠る男の肩を少々乱暴に揺さぶった。男が意識を取り戻す。
「失礼。貴方は抽象画家のミッチェル・マディール氏ですか?」
「んぁ? あぁ、そうだけど――誰、あんたら」
「僕は白の神聖騎士のクウェル・グッドウェザーです。各々の紹介は道の途中で。我々は貴方の提示した品を某氏の代理で届けるよう依頼を受けました」
「――は?」
寝起きのマディールは呆然と七人を見渡した。状況が理解できていない。痺れをきらしたレーリが床に根を張っているようなマディールを強制的に立ち上がらせ、淡々とした口調で身支度を整えるよう促した。
「時間がありませんので質問等は後ほど受け付けます。早く行きますよ」
「――どこに?」
独断万歳。
いまいち理解できていないマディールにフォローを入れることなく、冒険者七人は遽しく画家の部屋を後にした。目指すはキャメロットの中心部、白く荘厳に聳えし教会。
『この世で一番軽くて、一番重くて、一番美しく、最も脆くて丈夫なモノ』
マディールの提示した品に、冒険者七人は散々頭を悩まされる羽目になった。そんなものあるんかぃ、とボヤキたくもなるだろう。しかし個々の答えは出たらしい。七人の中で唯一、場所の移動が必要だったクウェルを核とし、目的地までの長い道の行き、及び帰りに三人ずつが話す事になっていた。
「僕は『想い出』じゃないかって思った」
道を歩きながらキリクが自らが考え出した答えを語りだす。青い瞳の先には握り締めた十字架のネックレスがあった。眠気でボケていた画家も身なりを整え、凛々しい顔立ちが冒険者を真摯な目で見つめる。
「この十字架は、小さい頃にねえちゃんがくれたんだ。僕に新しい名前をくれた命の恩人で、本当のねえちゃんじゃないけど、何よりも大事な家族なんだよ。この十字架には、ねえちゃんと過ごした楽しい想い出がいっぱい詰まってるんだ」
そこで一度、言葉を区切る。
(「‥‥過去は思い出したく無いくらい、痛くて辛くて悲しい事ばっかりで」)
口に出さず、胸中で語る。過去とは人前でみだりに話すべきことではない。普段、天真爛漫な少年の瞳には過去と向き合う強い志が垣間見える。キリクは画家を見上げた。
「この世で一番軽くて最も脆いモノであり、一番重くて一番美しくて最も丈夫なモノは、僕にとって『想い出』なんだ」
「なかなか興味深いね」
マディールは一言だけ答えを返した。感情が薄い硬質な表情からは、キリクの答えが正しいのかどうかの判別はつかない。今朝の寝起きの人物とはえらい違いだ。様子を伺うキリクの傍らにレーリが並ぶ。
「この回答は『水』だと考えます」
すぃっとマディールの双眸が細くなった。口元に笑みが浮んだのを見たレーリは相手を観察しつつ、自論を披露する。それは物理的側面から見た要望の品に近い物。
「物体として存在すると仮定した場合、水というモノであれば量に応じて軽くもなり、又重くもなります。軽く触るだけで容易に変化しながらも、すぐ元の形に戻るところから、最も脆くて丈夫だという条件は満たせるでしょう。美しさは人それぞれですが、湖や滝など水の芸術ともいえる存在は多い」
「驚いたな。君で二人目だ」
マディールの呟くような声を聞き逃すレーリではない。訝しげな表情で問い返す。
「どういう意味です」
「幼馴染と話した時に水の話題が出てね。似た論を述べた」
どう答えれば良いのか返答に困る発言だ。レーリは眉を跳ね上げ、しばらくしてふいっと顔をそらす。
「‥‥芸術家とはよく分からない人種ですね」
「私ですわね。謎掛けの答え‥‥わたくしも『思い出』ではないかと思います」
レジーナだった。キリクさんと被ってしまいますけれど、と一言断る。
「軽い思い出、重い思い出、思い出は何よりも美しく、思い出は脆く儚く、されど思い出は消えない色褪せない。そう、マザーグースなど」
母親との思い出でも思い出したのか、レジーナの脳裏にはマザーグースが浮んでいた。イギリスといえばマザーグース。とはいえマザーグースといったら厳密には恐ろしい話を童謡化した物であるわけで、勘違いしたマディールは思わずレジーナを凝視している。
「つきました」
頃合いを見計らったクウェルの声。美しく花々で飾られていた教会と花嫁の白、そして赤絨毯の道。クウェルの見せたかった物は『誓い』だった。その最たる例に相応しく、芸術性に溢れたもの。‥―『結婚式』である。
「いかがでしょう?」
貴族としての品位と育ちの良さを意識させる。クウェルは会心の笑みを浮かべた。マディールは呆然と魂を抜かれたように式の光景を、そして花嫁と花婿を眺めている。だが、画家はやがて切なそうな表情と共に瞳を背けた。様子がおかしい。
「痛いな」
「マディールさ‥」
「いや美しいよ。ただ今の私には、眩しすぎる」
マディールは戸惑うクウェルの肩にぽん、と手を置き「ありがとう」と微笑む。澄んだ微笑が割れ物の如く儚いものに見えてならなかった。
「私考えるの苦手だけど私は私なりの答えを持ってきてみたんだけど」
どこか重くなった空気を振り払うようにカッツェが持ち前の明るい雰囲気で話を持ちかけた。別に気分を悪くしたわけではないらしいが纏う空気が明らかに違う。
「これがミッチェルさんの求める物かわかんない。けど私にとってその要求が当てはまるものって「命」かなぁって。すごく簡単になくなっちゃう脆く軽いものだけど、重くて時には及びもつかないほど強くなれる『命』の美しさは題材にはなんないかな」
恐る恐る顔色を伺う。
「いや、なるよ。とてもね。抽象画家は皆、永劫のテーマにしていると思う」
マディールはカッツェを眺めながら穏やかな微笑を向ける。皆か、とカッツェが項垂れた。画家が困ったように笑うとアリエスがマディールの袖を引く。
「私は人の心だと思います。風に吹き飛ばされ、川の中で揺れる木の葉のように‥‥時の流れや言葉に、すぐ流されてしまう。とても軽くて、とても弱い人の心。でもです」
懸命に訴える青い瞳。
マディールの袖を握り締めたアリエスは声を絞るように続けた。
「穢れぬように胸に抱いた、強くて‥‥綺麗な想いは、流されたりしない。人の心の中を形作る想いは、とっても重たくて、強い物。――もう二度と、この世で会えない人を想う私の気持ちも絶対に、消えたりしない――」
「私も心だと思ったわ。醜い、って単語も入りそうだけれど。心は美しいものとは言い切れないけど、醜いとも言い切れないと思うの」
アリエスの訴えに、それまで黙っていたシェリスが声を上げた。もう画家の家は目の前だが、柔和な雰囲気を抱くシェリスが普段から想像もつかない厳しい顔をしていた。
「正直な話をしていい? 貴族様達が有りがたがるような高尚な芸術は私には今ひとつ分からないわ。でもね、依頼を受けるときに見せてもらった絵より、私は‥‥数日前に出会った女の子の笑顔や涙の方によっぽど心を打たれたわ。芸術が人を感動させるものだとすれば、人を感動させる一番の芸術は『純粋な心』なんじゃないかしら」
シェリスの記憶に新しい依頼。
「心や約束、命といった『抽象的』なものを描いたことはあるの? 人の笑顔や涙を見つめたことはあるの? 貴方の絵に感動した人の姿を忘れたの? それとも、貴方の絵に感動した人の姿を見たことがないの?」
畳み掛けるような攻める言葉に、マディールは失笑した。
「金で人の心が動くと思うなよ、と言ってやりたかったんだけど‥‥無謀だったかな」
「そんなことのために」
「我が儘を言ってるのは分かってるんだ。ただ認めたくないだけで。――君達には、とても良いものを見せてもらったよ。言葉も結婚式も。久々にココが揺さぶられた」
トントン、と自分の心臓を指す。レジーナが喜色を浮かべた。
「じゃあ!」
「絵師の仕事を再開しよう。諸君、多忙の所すまないが、そう依頼人に伝えてくれ」
「創作意欲が湧いてきたのならモデルの依頼はいつでも請け負うわ。覚えておいてね」
シェリスの言葉にマディールは笑った。それこそ清々しいまでの笑顔を浮かべて、依頼人の元へ報告に行かんとする冒険者達を見つめる。唇が穏やかな弧を描く。
「その時が来たら、是非」
冒険者達を見送ったマディールは即座に自室の壁に立てかけていた一枚のキャンバスをもって庭に出た。火をくべ、燃え盛る炎の中へ渾身の力で放り込む。油絵はあっという間に燃え始めた。描かれていた幼い少女。遠い昔。彼が初めて絵師として働いた時の記念に初心を忘れぬよう残していた縮小版の絵だ。
当時、無名の自分を励ましてくれた病弱だという貴族の娘。
その少女は最近、亡くなったという話を彼は小耳にはさんでいた。
「‥‥雲の上に消えて失恋、傷心だったんだけどねぇ」
この世で一番軽くて‥‥
「この前マレアは個展を成功させたそうだし。対極の幼馴染に抜かれるとはね。そろそろブルーな精神を叩きなおさんと、画家としての肩書きが泣くな」
一番重くて‥‥
「僕は君に囚われる訳にはいかないらしい」
一番美しく‥‥
「さよなら、初恋の君」
最も脆くて丈夫なモノ‥‥
「俺は今を、生きる」
――――それは。