●リプレイ本文
旅立ちの朝。キャメロットの門での待ち合わせ。
冒険者としての初仕事。
「よお! フリード。調子はどうだ? 身体の具合はもういいようだな?」
緊張の面持ちを見せる少年にそんな声がかけられた。
「あ、ギリアムさん!」
初めての依頼に固くなっていた彼は破顔し
「その節はお世話になりました。ご迷惑をおかけして‥‥」
恥ずかしげに少年は頭を下げる。腕組みしたまま見つめるギリアム・バルセイド(ea3245)の後ろからひょっこり李彩鳳(ea4965)の笑顔が覗く。
「何も迷惑ではありませんでしたわよ。どうぞお気になさないで?」
「そうそう。闇を振り払ったのはあんた自身さ。あたし達は少しその手伝いをしただけ‥‥」
「‥‥彩鳳さん、フレイアさん」
尊敬する冒険者達の言葉に、素直に頷くことはできないが彼はまっすぐな瞳で答えた。
「初仕事だって? がんばんなよ」
ポン、背中を叩かれて軽くフリードは軽くよろめき照れた顔で苦笑する。
高い位置を目指していたフレイア・ヴォルフ(ea6557)の白い手。
それが一瞬、惑って方向を変えたのを何人かは気づいたようだが声にはしなかった。
一人、腕組みして婚約者を見つめる尾花満(ea5322)以外は。
「フレイア」
何もかも気付いているような恋人の眼差しにフレイアは面差しを少し下げる。
「いいんだ。満。あいつももうガキじゃない。一人立ちした冒険者なんだからね」
柔らかい彼女の視線の先にはよろめきながらも自分の足で立つフリードと、支える暖かい手の少女がいる。
「大事な初仕事。ご一緒できて嬉しいですわ。それが、セイン様からの預かりものですの?」
「‥‥はい。多分」
フリードは目を彩鳳から荷物へ、そして一人の吟遊詩人へと向ける。
その先にいるのはアリエス・アリア(ea0210)やアーウィン・ラグレス(ea0780)と笑い合うのは吟遊詩人レイン・シルフィス(ea2182)。
「フリード様?」
「あ、いえ。なんでもありません」
呼びかけられ振り返った笑顔はいつもと変わらなかった。
だが、冒険者は見逃さない。彼の瞳に浮かんだものを。
「そうですか? なら、よろしいのですが‥‥」
追求せずに少年の手を握って彩鳳はその耳に囁く。
「後で‥‥祭の夜に、お返事を聞かせてくださいましね?」
「返事って、‥‥あっ!」
顔を紅くして俯くフリードをどうした? という顔でギリアムが見る。動揺したのだろうか。肩に担いでいた弓が地面に落ちた。
「レンジャーにとって弓扱いは大事だぞ。後で‥‥良ければ見てやろうか?」
「ありがとうございます。お・お願いします」
弓を差し出したアリオス・エルスリード(ea0439)にフリードは精一杯頷く。
「ねえ、満」
フレイアが眼差しを動かさずに呟く。
「なんだ?」
満は眼差しを動かして顔を見つめて答える。
「後で、あの子にいい男の心構えでも説いてやってくんないかい?」
くす。微かな笑みが聞こえた気がする。
「‥‥それは構わんが色恋事は得意ではないぞ」
「いいんだよ。あんたはそれで‥‥」
「ねえ〜! そろそろ行こうよ〜」
待ちくたびれたようにティズ・ティン(ea7694)が跳びはねる。
その横にいるのが寡黙この上ないゼディス・クイント・ハウル(ea1504)というのが不思議であるが、確かにそろそろ出発しておかしくない時間だ。
「ああ! 今行くよ。ほら行こう! 話をする時間はまだあるからね!」
「はい!」
フレイアは振り返り歩き出す。
後ろを振り返る少年と仲間。そして横に大事な人がいる事を確認して、笑顔で。
目的地はシャフツベリー。
街道に積もっている雪はそう多くない。
おそらくは聖夜祭までに辿り着けるだろう‥‥。
今までシャフツベリーに向う時、思えばいつも急ぎ足だった。とアリオスは思う。
だから、旅の合間にこんなことをする余裕も無かった。苦笑が頬に浮かぶ。
「アリオス‥‥さん?」
「? ‥‥ああ、すまない。そう、もっとしっかりと前を見て腰を入れて」
「は・はい!」
手を添えながら、弓の持ち方を彼は示した。
元々弓の資質と腕はある相手だ。弦から放たれた矢は素直に的に当たる。
「そう、それでいい。もっとも俺たちが撃つ相手は黙って立っていてなどくれないからな」
「はい」
「矢は自らの手の届かぬ所まで射抜くことができる。だが、同時に放つ矢の責任を射手は背負わなくてはならない。それを‥‥忘れるな」
「はい!」
「そろそろ、ご飯にしよ〜」
ティズの呼ぶ声がする。
「さて、ならば行くか。後でフレイアやギリアムもいろいろと教えたいと言っていたか?」
「はい。何でも覚えます。勉強しないと‥‥」
「焦る必要は無いぞ。お前はもう解っている筈だから」
微笑むと、アリオスはフリードの背を押した。
フリードは知るまいがその眼差しは大切なものを見る時と同じ優しさを秘めていた。
「ほえ〜。賑やかだねえ」
「本当ですねえ。ここはこんなに元気のいい街だったのですね」
シャフツベリーにやってきたのは一度や二度ではない。
だが、これほど活気のあるこの街を見るのは初めてかもしれない。ティズとアリエスは目を丸くしてため息をつく。
今夜は降誕祭。街全体が祭りの準備にざわめいていた。
向こうでは香具師が屋台の準備を始めている。
街の中央、商店が集まる円形の中央広場には花売り娘や、柊、蔦を売る少年たちが声を上げて客を呼ぶ。
組み立てられた仮設の舞台の前で気の早い大道芸人達が、少し早めのリハーサルを始める頃。
「おや?」
広場の端で意思に腰かける人物。視線を空に向ける彼女を見つけてアーウィンはそっと近寄った。見覚えのある後姿。あれは‥‥
「シエラ? 一体何をしてるんだ?」
「えっ? あっ! 皆さん!」
顔を赤らめたシエラ・クライン(ea0071)の指先から炎の花が散った。
「シエラさん。用事は終わったのですか?」
レインはシエラにほんわりとした笑顔で問いかけた。確か彼女は用事があるから、と言ってフライングブルームで先行していた筈。
「ええ。お祭りの準備があんまり楽しそうなので、私も何かできないかなあと思ってちょっと出し物の練習なんかを‥‥」
少し照れて俯くシエラに合わせてレインはさらに笑う。
「それは楽しそうですね。僕も、後でぜひ楽師の皆さんの演奏に混ぜて頂きましょう。その時、ぜひご一緒に」
ね? 庇うようなその声とウインク。その意味を悟ってギリアムが話題を変える。いや戻す。
「それはいいが、とりあえずは伯爵に挨拶に行かないとな‥‥」
「あ! 僕はベルにこれを渡しに行かなくっちゃ」
「それなら‥‥一緒に行きましょう」
埃を払ってシエラも笑顔で立ち上がった。
「‥‥ありがとうございます。あれがお役に立つ事を願っていますわ」
先を行くシエラの通りすがりの囁き。聞こえたのはおそらくレインだけだろう。
気付いた者はいたにしても‥‥。
漆黒に染められた街の広場には見上げるようなモミの木が立っていた。
飾られる虹色のリボン、銀の鈴、薄紅色の蝋燭、金の星。天辺にはまるで天使のような銀細工が飾られている。
街中に飾られた蝋燭、そしてカンテラの明かりが美しく光を照らす。
‥‥その足元で、司祭は祈りを捧げ聖夜のキャロルが静かに紡がれる。
楽師達の楽器の音と、子供達の歌声だけが街を抜ける宵。
皆が祈りに手を合わせ、衣擦れと呼吸以外の音が消えたかのように静かな聖夜。
舞台の中央に領主が立ち毅然とした表情で集まる民に向かい合った。
その横、貴賓席には着飾った奥方と跡継ぎの少年、そして‥‥銀の乙女が見守るように立つ。
「我が愛すべきシャフツベリーの民たちよ!」
街中の視線を集め彼は口を開く。凛とした声は広場だけでなく、街全体に届くようだった。
「この一年、様々なことがあった。ズゥンビの来襲、火事、デビルの襲撃、そして‥‥。苦しみが有り‥‥多くの血が流れた。その罪の一端は私にもある。ここにそれを詫びよう」
民に向け彼は膝を折り、顔を伏せた。微かなざわめきはやがてまた領主を見つめる視線となる。
視線を受け、彼は立ち上がりマントを反す。
「だがそれもこの夜で終るだろう。聖人の生誕の宵。古き年が終わり新しき年が始まる。辛い思いはこの夜に置き、明日に向おうではないか!」
パチ、パチパチ、パチパチパチ‥‥!
拍手と歓声が自らの領主へと贈られる。それは心からの思慕を含んだものだということは民の笑顔を見れば解る。
「ふん‥‥異教徒も便乗して狂喜乱舞する宗教的行事にかこつけた民への謝罪と機嫌取りか‥‥」
ゼディスなどはそう呟いて式典からは離れていったが、それはそれでいいだろう。
自らの罪と過ちを認め、隠さず告げた伯爵をこそ、民達は信じたのだから。
どのくらい役に立てただろうか、と思う時もある。
だが‥‥仲間達と顔を合わせる。ここにいる者もそうでない者も、きっと仲間達の思いは同じ筈。
いない者の一人、クウェル・グッドウェザーが言っていた。
「‥‥もう大丈夫でしょう。後は皆さんの幸せを願うばかりです‥‥」
と。
苦難を乗り越えたこの街はきっと、この先何が有っても乗り越えていくことができるだろう。
ここに来る前に伯爵の手から渡されたマント留めに自然と手が触れる。
この宝石のように薔薇色であろうこの街の未来。
それに自分達が役に立てたのであれば‥‥。
やがて伯爵がツリーの中央に立てられた白いキャンドルに灯りを灯す。
鎮魂の祈りの込められた炎。
「古きエルフの歌姫の声よ‥‥我が調べに応え、今一度全ての者への祝福を詠い給え。皆さんに‥‥光あれ‥‥」
古き笛が祝福と祈りの歌を詠う。子供達もまた未来への祈りを歌へと込めて。
耳に、心に染み込む様な聖歌を聞きながら、音楽を奏でるもの、聞くもの、見つめるもの。
それぞれの心に薔薇色の光が静かに輝いていた。
始まる賑やかな聖夜の祭り。
だが、それから背中を向ける二つの影‥‥
「‥‥伯爵、ちっと訊きたいコトあんだけど?」
「少し‥‥頼みがあるのだが」
一つの影は街外れ、沈黙の民達だけが佇む眠りの間へ。
「聖夜にするモンでもねぇだろうが‥‥もう来る機会もなさそうだしな」
もう一つの影は地上の光指さぬ地下へと降り行く。
「酒でも飲まないか‥‥ベネット?」
「さすが貴族の用意した料理と酒だ。なかなかだな」
右手に杯、左手に皿。広場に用意されたローストビーフやチキンなど豪華な料理と酒をギリアムは思う存分楽しんでいた。
反対に香具師達の屋台を覗き、興味深そうに声を上げるのは満。
「ほお、これがクリスマスプティングと呼ばれるものか‥‥なんと、三週間も熟成させるとは。もし、良ければ‥‥」
店主となにやら交渉ごとまで始めた満にフレイアは軽く肩を上げ苦笑した。
貴賓席から走ってくる銀の光達を見つけるまで。
「ベル!」
「ヴェルも! もういいのか?」
冒険者達の誰もが皿を置いて駆け寄った。並ぶと双子のように良く似た少年と少女は笑顔で頷いた。
新しい礼服が眩しいほどに似合っている。
「ご挨拶も、終ったので後は自由にしてよいとお父様が‥‥」
「それにぜひ、やりたいことも‥‥あの‥‥」
視線を空に迷わせ顔を赤らめる少年に、名付け親は小さくため息を吐くとポン! その強い力で細い背中を押した。
「わっ!」
その先で待つのはツリーを憧れの瞳で見つめるティズの背中。
「あっ! ヴェル君、久しぶり〜。この前、聖夜祭になんとかっていってたから来たよ〜♪」
振り返った無垢な瞳に少年の心臓が鳴る音が止まらない。もう一度息を吐き出してギリアムは少年の背中を押す。今度はさっきより強く。
「男の子だろ? ちゃんと彼女をエスコートするんだぞ」
背中と一緒に押された心をなんとか整えて彼はティズに手を差し出す。
「あの‥‥僕と良ければ‥‥」
「折角のお祭りなんだからいっぱい楽しもう! 楽しむときは楽しまなくっちゃ!」
走り出した二人の子供は、どう見ても少年が少女をエスコートと、いうより少年が少女にひきづられれている、という様子。
「まあ、あんなものか?」
苦笑しながらギリアムはまた料理に向った。
視線の先には舞台の中央で拍手と喝采を受けながら演奏を続ける吟遊詩人と、それを見つめる銀の乙女。
今日の彼女はクリスマスツリーの天辺の天使よりも美しい。
純白のドレスの胸に抱く父親からの荷物はきっと‥‥肉をかじりながらギリアムは思う。
一途なその眼差しに彩鳳は囁こうと思った言葉は喉の奥に飲み込んだ。
彼女が一人しか見ていないことがもう解ったからだ。
同様に無言で肩を落とす少年が一人。その落ちた肩がポン、と叩かれ上がって後ろを向く。
「フリード。いい子にサンタからのプレゼントだ」
「フレイア‥‥さん」
紅いローブを揺らしてニッコリと笑ったレディ・サンタクロースは白い袋ならぬバックパックからごそごそと何かを取り出してほい、と渡した。
「お前さんなら、そろそろ使えるだろ?」
渡された弓は身長よりも高く、でも驚くほどに軽く彼の手に馴染む。
もう一つは小さな愛の矢の形。フリードは顔を上げる。そこには優しく聖母のような笑顔のフレイアがいた。
「男なら‥‥決めるところ決めないとな?」
「‥‥はい」
微かな胸を指す思いを振り切るように少年は答えた。よしよしと、フレイアは一度だけ頭を撫でる。侮るのではない。心からの親愛の思いだ。
「大切な人、護れるようになれよ‥‥あたしの旦那みたいにね」
「‥‥なっ、ふ、フレイア! 何を!」
会話を終え戻ってきた瞬間を狙ったようなフレイアの言葉の直撃を受けて、満は顔を赤らめる。
悪戯っぽい、それでいて心から幸せそうな笑顔で満に甘えるフレイアを見て、フリードは頷いた。
囁かれた満の言葉が勇気をくれる。
ベルは演奏を終え、仮設舞台から降りる吟遊詩人に向けて小走りに駆けていく。
それを追いかけず見送った少年は、一度だけ瞳を閉じて、ある人物に向けた一歩を踏み出した。
さっきまで鎮魂の為の祈りを捧げていた街は今はもう笑い、ざわめいていた。
良く見知った街が別物のようにキラキラと光るような輝きを放っているのは、蝋燭やカンテラの為だけではないと解っている。
「変質した祭祀、見知らぬ者の誕生日が何故ここまで馬鹿騒ぎできるのか‥‥解らん」
呟きながらゼディスは街を歩いていた。酒を飲むでもない。料理を食べるでもない。
明確な理由も思いもないまま、領主たちや顔見知りたちを遠巻きに眺め雑踏に紛れた。
何度か足を運び、他の土地よりも少し見知っただが、もう二度と訪れることが無いであろう街をただ、静かに歩く。
この地での‥‥自分の役割りはもう終わっている。なのに何故ここに来てみようと思ったのか。
自分自身にも解らないまま街を歩く彼は、ふと、街外れ、雑踏の向こうに小さな灯りを見つけた。
別に覗き見の趣味は無い。ただ、見えてしまっただけだった。
墓の前に花を捧げ祈る人物を。その人物をゼディスは良く知っていた。その行動の意味も、何をしているのかも解っていた。
だから、素通りする。声もかけず無視をする。
ふと、光が揺れたのが見えた。相手も気付いたのかもしれないと思う。
向こうから声をかけてくることは無かった。だから彼も声をかけなかった。背を向けて去る。
自分と違って彼はやがて、自分で街へと戻るだろう。
ただ微かに足を止めて目を閉じたほんの一瞬の行動だけを残してゼディスはその場を後にしたのだった。
「クリスマスプティングお待ち! サワークリームと一緒に食べるとおいし〜よ!」
「これを、向こうに持っていけばいいのかな?」
「うん‥‥て、あ、ゴメン! あっ、今日は楽しむ側だったね。しかもご領主の息子に給仕させちゃったあ〜」
ペロンと舌を出してティズは頭を掻いた。
「いえ、こういうのも楽しいし」
ヴェルは苦笑しながら笑う。
「手伝ってくれてありがとうよ。はい、お礼!」
そう言って店の主人は二人にほんの少し、硬貨を握らせる。手伝ってくれた子供へのお礼を彼らは喜んで受取った。
「一緒に買い物しようか?」
「はい!」
手を握って仲良く歩く。あちらこちらに並んだ露店の中には美しいアクセサリーや装飾品の店が並ぶものがある。
「あ、あれ、見てみて!」
途中の店で足を止めていたヴェルをティズは手招きした。
そこにはこの聖夜祭に合わせて行われた宝飾品のコンクールの参加作品が並べられている。
優勝の蒼い石を使ったインタリオなどは呼吸するのが惜しいほどに美しい。
「綺麗だねえ〜」
コンクールの参加作品なだけに非売品だし気が遠くなるほど高い。お金持ちの冒険者ですら、手が届かないほどに。
「いいなあ〜って、キャア!」
呟くティズの手が引かれて何かが手のひらに押し込められた。
「な、何?」
そっと見るとそこには精巧ではないでも小さく可愛らしいブローチが虹色のリボンと一緒に握られていた。
「ヴェル君?」
「僕からの気持ちです。心からの感謝を‥‥」
ティズは手のひらをしっかりと握り締めた。ヴェルの手も。
「‥‥ありがとう」
暗い地下を照らすのはカンテラの灯りのみ。
「お前も、俺に何かを聞きに来たのか?」
その地下に繋がれた男はそう言って登場人物を斜めに見た。
「なに、俺にはあの光景が眩しいだけだ‥‥拗ねてるだけとも言うがな」
そう言った彼はシードルの瓶を開け、牢の隙間から黙って差し込む。手を触れようとも彼はしないが、出て行けともいかなかった。
「お前もそうだったんじゃないか? ベネット」
問いに返事は無い。彼は、アリオスはそのまま小さく微笑していた。
「冒険者なんてやっていると、この年でも、覚えているのは自分しか残っていない、ということが多くてな。言いたいことがあれば聞いておこう」
「少し前にもそういうのが来ていたな。冒険者と言うのは知りたがりやが多いのか? それともお節介か‥‥」
ベネットは仮面の口調ではなく、荒い口調でそう告げる。
今度はアリオスが答えない。いや、微笑で答える。そうかもしれないと言うように。
シードルが呷られても息が吐き出されてもベネットの口は氷のようだった。アリオスは無理強いをしなかった。
夜はまだ長いから‥‥。
周囲の喝采を浴びながらシエラはふと、暗い地下牢の方を一瞥する。
ベネットがベルに執着した理由。悪魔と契約した訳。殆どを彼は口にしなかった。
だが、微かに囁かれた言葉でディナス一族が『聖人』と呼ばれる聖なる一族であること。
それを汚し抹殺する事を盟約にデビルと契約したのだということは知れた。
無論、他の理由もあったのだろう。ベルの村を襲った盗賊も、シャフツベリーの名をかたりオクスフォード戦で悪事を働いたものも彼の手のものだったようだ。
シャフツベリーを手に収め、最終的にはウィルトシャー一帯を手に入れようとしたのかもしれない。
「ベネットがベルさんに執着しなかったらと思うと‥‥ゾッとしますね。ベネットの才覚と悪魔の助力があれば、街の一つくらいはほぼ完璧に手中に収められていた筈ですから」
本心から思う。彼が、もっと冷徹であったなら、もっと悪に徹底してたら。
そんな恐怖は手の中の炎の鳥のように燃やして、シエラは空に飛ばす。歓声が上がった。
少なくとも、今、その脅威は消えた。後は、それを繰りかえさないようにするだけなのだから‥‥。
教会でアリエスはため息を付いていた。
街中が煌びやかで、美しくて、今思い出しても目がチカチカするような感じだ。
宝飾コンクールの優勝賞品などは精密で、よくあんなものができると感心する。
沢山ありすぎてローズリング一つしか買えなかったのが今思うと悔しい気がする。
彼らはあの技を手に入れる為にどれほどの時を費やすのだろうか。彼らの作品は彼らの積み重ねてきた時と、生きてきた証に近い。
それを考えため息を付く。
「私は‥‥何か本当にできているのか。技を磨いても、影の術を高めても、何もできない子供のまま、昔のままなのかな」
「‥‥それは違うでしょう。本当の子供と言うのは‥‥自らの思いをコントロールできない者です。貴方にはそれができる。そして、誰かの為になりたいと思う。十分な大人ですよ」
掃除をしていた手が改めて止まる。祭りの光を窓に見ながら教会の司祭は思い出したように語る。
「ある兄妹がいました。彼らは裕福でしたが、親の仕事が嫌われるものであった為、そして親が子を愛さなかった為、孤独な子供時代を過ごすことになりました」
黙って話を聞く。
「『彼』にとって、たった一つの心の支えは憧れて止まない領主の親子だけでした。彼女が教会に慈善事業に来た時に見た笑顔。彼女がくれたブローチは兄と妹の宝物となりました」
本人も忘れているであろう行動。そして過ち。
「『彼』は『彼女』を手に入れたかったのかもしれません。いえ、彼女という幸せな少女を手に入れたら、ひょっとしたら自分が幸せになれるかもしれないと」
司祭は小さく古いブローチをそっと差し出した。
「どうか『彼』の分まで世界を旅してあげて下さい。そして忘れないで‥‥」
差し出されたバラのブローチを手のひらに置きながらアリエスは静かにそれを見つめていた。
「‥‥星は昔、夜空から滑り落ちて、人の瞳になった。だから、人の眼はとても綺麗で、嬉しい時に零れる涙もきらきらしていると‥‥」
ひょっとしたら、彼も昔はその瞳に星の輝きを持っていたのかもしれないとアリエスは思う。
共に聖夜祭を過ごしたいと思うほど大切な人がいる。
自分は彼のようにはならない。
そして‥‥いつか‥‥きっと。と。
静かな音楽が紡がれる中、いくつもの思いが交差した。
例えば一つはもう直ぐ結ばれる恋人同士の思い。
「フリード殿は良き仲間に巡りあえたな。人の縁とは不思議なものだ。‥‥フレイアとの巡りあいも‥‥」
「ああ、あたしも、そう思うよ。満」
そんな甘い時。柔らかい眼差しが絡み合い、溶け合っていく。
もう一つは少年の真っ直ぐな思い。眼差しが真っ直ぐに自分を射抜く。ドキドキするほどに。
「僕も‥‥あなたが好きです」
彼は自分をずっと見つめ、守ってくれた女性の前に立った。白い羽根はさっき露店で見つけたもの。それを思いと共に自らの天使に差し出す。
「まだまだ駆け出しです。貴女と共に肩を並べることさえ今はできない‥‥助けてもらうしか出来ない」
だから、彼は手を取る。美しいドレスを纏い目の前に立つ年上の人。
彼女は彼にとっての天使。まだ、手の届かない憧れの存在。
「それに、ベルへのものとは違うこの思いが何か、まだ解らないんです。だから‥‥」
『愛しています』
その告白にまだ、自分は答える権利さえ無いように思う。
「だから‥‥、僕が一人前の冒険者になったら‥‥あの、その‥‥えっ!!」
紅く染まった頬が、真紅を超えた朱に染まった。初めて唇に触れた感覚。大人の、唇が溶けそうな甘いキス。
「あ、あの?」
「今日のところは、これで勘弁して差し上げますわ。思った以上の返事でしたから‥‥。続きはいつか貴方が一人前の冒険者になったら、教会の前で。ね?」
朱さえも超えて紅く燃え上がる頬の少年の唇から唇を放し、彼女は楽しげに笑う。手を強く引いて。
「踊りましょう!」
少年を彼女はエスコートして踊る。楽しげな音楽の奏者の中に『彼』はいない。
「彼も今頃一世一代の‥‥最中ですわね。きっと‥‥。見守る会としては残念なのですが‥‥」
「なんですか?」
含み笑う彩鳳にフリードは首を傾げる。
「なんでもありませんわ」
今のこの時が大事だから。
彼女は星よりも煌く笑顔で微笑んだ。目の前の少年に向って。
「レインさん‥‥」
振り返ったレインは、息を飲み込んだ。
クリスマスツリーの見守る広場の外れ。
一年前のあの夜を思い出す。12月の氷色の風の中の遠いバルコニーを。
違うのは月の光が今は薄く、代りに満天の星が空を覆っていること。
その星の下で、鈴の音を鳴らすように少女が自分の名前を呼ぶ。
「ベル」
「いつも、助けて下さってありがとうございます。本当に‥‥」
流麗な声。穏やかで澄み切った青い瞳、星を弾く銀の髪。その全てに魅入った一瞬の後彼は、自分がすべき事を思い出していた。
とっさに手をとり、人目の無いところで少女の手に何かを乗せる。
その一つ、首にかけられたのは水晶のペンダント。そして‥‥
「これを、受取って貰えるかな?」
小さな指輪だった。
「レインさん」
質問にレインは首を縦に振った。言葉は多分要らない。静かに手を取り薬指に指輪を通した。
彼女は抵抗しない。
黙って、レインに手を預け彼の新緑の瞳を見つめている。
「マリーベル‥‥君を、愛しています‥‥僕と、婚約して下さい」
「レインさん、これ開けて貰えますか?」
いつの間にか足元に落ちていたベルの荷物をレインは拾い上げた。フリードが持っていた小さな包み。
‥‥中身はヴェールだった。手編みの緻密なレースはまるで羽根のようにふわりとレインの手に舞い降りる。
「父さんからの贈り物なんです。私がいつか花嫁になるときに、と用意してくれていたって」
ベルにも解っていた。これをフリードに託した父の意図。
(「幸せに、おなり」)
ヴェールが無言でそう言っている。
「私には二人の父がいて、私を愛してくれている。レインさん‥‥」
最初に出会ったときはただの依頼人と冒険者だった。長いようで短い1年半の時が流れ感謝は恋に、そしてやがて愛に変わっていく。
「父さんたちよりも、私を愛してくれますか?」
彼は答えなかった。代りにヴェールをふんわりとその頭に被せる。
白のドレスは生みの親、白いヴェールは育ての親。二人と星空の前に彼は愛する少女の手を取った。
「星と、父と聖なる神の前で僕は誓う。この世の誰よりも命ある限り君を愛すると‥‥」
細いけれど強い手が白い肩を抱きしめる。金砂の髪を見上げた蒼い瞳はそこに自分を待っていてくれる緑の瞳を見つけ目を閉じる。
触れる温もりと温もり。重なる思い。
聖夜を告げる教会の鐘の音が、二人の上に高く静かに響いていた。
この街に何度足を運んだだろうか。
冒険者が望まれるということは、街が苦難にあるということ。
呼ばれること無く、と思いながらも再会を望んだ愛しき者達。愛すべき街。
「俺みたいな奴で力になれる事があったら何時でも呼んでくれ」
振り返る街に残した思いはギリアムと同じ。でも、そんなことが無いようにと冒険者達は心から願う。
「聖夜祭、結構楽しかったよな。ご馳走も思いっきり喰ったし!」
「新しい料理もいくつか覚えた‥‥。楽しみにしているがいい‥‥」
「ああ、楽しみにしてるよ」
もうじき花嫁となる女性は、そっと自分の髪を手で梳いた。その先には小さな銀の髪飾り。少年サンタクロースからの贈り物。
新郎にも内緒の宝物だ。
誰よりも軽い足取りで歩く、空さえ飛びそうな足取りの吟遊詩人にポンと大きな手が重石をかける。
「さて、レイン君」
再会を約束したペンダントを指で弄びながら彼は心配そうに上を向く。
「な、なんでしょう?」
「一つ忠告だ。あんな風にしていたら『後をつけて下さい』と言ってるようなもの。自分の行動に自信があるのなら堂々とすることだ。星と、神に誓ったのだろう?」
えっ! 声にならない悲鳴があがる。染まった頬はマント留めの薄紅色など当に越して真紅を帯びる。
「ギ・ギリアムさん?」
「食う! 飲む! そして覗く! それが俺の目的だったしな」
「あら? ステキ♪ 今回は私見れませんでしたの。ギリアムさん、ぜひ教えて下さいな?」
「よし、あることないこと教えてやろう!」
「や、やめて下さい!」
「程ほどにな。馬に蹴られない程度に‥‥」
「あ〜、無駄だと思うよ。満。っていうか、あたしも参加するし〜」
「ふむ、地下からの魔法の射程については‥‥」
「な、なんの話をしているんですかああ!」
「下らんな‥‥。だが、聞こえるものは聞いておくか‥‥」
「だから〜、もう諦めたほうがいいよって! あたしも将来の参考に聞かせて♪」
自分のことをはるか遠くの棚に上げて、たちの悪い他人顔で横を歩く少年に微笑みかける彩鳳。
二度と笑い合う、いや会う事さえないかもしれない友と、愛する街。そして愛する人々に思いを込めて。
「またいつか、何処かでお会いしましょう‥‥きっと」
彼女の願いは笑い声と共に風に溶けた。
周囲は雪の銀。見守るは澄み切った空の蒼。
もう姿が見えなくなった彼らがいつまでも見送ってくれるような輝きの中、街道を行く笑い声と笑顔が絶えることは無かった。