●リプレイ本文
○禁忌を生み出すもの
今から、少し昔の話。
エルフの青年は、森の中で迷っていた一人の少女を助けました。
二人は、一目会って恋におち、青年は森と仲間を、彼女は家族と街を捨てて結ばれたのでした。
「森の中で、初めてお父さんと会った時ね。私は森の王子様だと思ったの。緑の瞳が木々の中に映えて、私を助けに来てくれた王子様だって本当に思ったのよ」
頬を紅色に染めて楽しそうに語ってくれる母親の笑い顔が、それを見つめる父親の微笑みがリリーは大好きだった。
何度も、何度もせがんではおやすみの物語に語って貰ったほどに。
「ねえ、お母さん。お話して? お父さんとお母さんが出会った時の話」
布団を被って甘えたように言う少女に、お母さんと呼びかけられた人物は頷いた。
「ええ、いいわよ。私と、お父さんが出会ったのはね‥‥」
久しぶりに聞いた大好きなお話。
少女は嬉しかった。
だから、話し口調がいつもと違うとか、こうして伸ばした時に手に触れる髪が、前は銀ではなく金色だったような、という思いはワザと頭から追い払って‥‥布団を被ったのだった。
お母さんはここにいる。だからあれは夢だ。
お母さんが目の前で血まみれになって倒れたのも。お父さんが生きている死者に殺されたのもみんな、みんな‥‥きっと夢だ。と。
ハーフエルフの少女が事件に関わっているらしいと聞いた時
「ハーフエルフかあ。ん? 偏見? ああ、そんなものあったんだっけ? すっかり忘れてたよ」
エル・サーディミスト(ea1743)はそんな風に軽く言ってのけた。
「禁忌? 何ですかぁ? もういる存在をそんなこと言って、貶めてぇ〜なんかの役に立つとでもいうんでしょうかねぇ?」
相も変らぬ気の抜けた声でエリンティア・フューゲル(ea3868)も首を傾げる。
冒険者の多くにとっては、ハーフエルフなどその程度のものでしかない。
彼らにハーフエルフを偏見と共に見る者は殆どいないだろう。
だが、世の中の人間の多くにとってはそうではない‥‥。
「だってよお。あいつさ、自分が血を流すと目の色変わるんだぜ! 目が真っ赤になって、ぐがあ! って怒って襲い掛かってくんだ。誰も彼ももう見境なしに!」
「そうそう。俺の兄ちゃんだってあいつに噛み付かれて、指が真っ赤になったんだぜ」
「それに側に行くと気持ち悪くなるし、あんな奴なんかいないほうがいいに決まって‥‥うわああっ!」
そんなことを口にする少年達の前で、突然、地面が盛り上がるように弾けた。
土が舞い上がり、地面が抉れ、石が爆ぜて少年達の顔へと‥‥飛ぶ。
「いてっ! いてて!」「うわあ! なんだよ!」「いきなりなにしやがんだ‥‥って、おい! 止めろ、止めろってば!」
「ティズ! 何してんだ。待て!!」
慌ててガイン・ハイリロード(ea7487)は側にいた細い腕を掴んだ。
もしそのまま止めなかったら、もう一度地面か、それとも目の前の少年の前に振り下ろされていたかもしれない大槍はかろうじて空中で止まった。
「そんなこといっちゃダメでしょ! あんた達が先に悪い事を言ったんだから、私は謝らないよ!」
ティズ・ティン(ea7694)は強い眼差しで、目の前の少年達を睨む。
少年はその剣幕に、声も上げられずにいた‥‥。
ティズはガインやアーシア・アルシュタイト、封魔大次郎達と共に、街に聞き込みに来ていた。
事件の鍵を握る少女、ハーフエルフのリリーが一時、下町の浮浪少年少女と一緒にいたという噂を耳にしたからだ。
話を聞きながら、ガインは肩を竦めていた。
(「ま、ある意味予想通りかね? 偏見ってのは根深いもんだよなあ、半妖には狂化って言う事実があるし」)
子供達の話す内容は、キツく、イタく、エグイものだった。
基本的に子供は親の影響を受けて育つ。
だから、大人が偏見を持てば、子供もかなり高い確立でそれを受け継いでしまうのだ。
故に、普通の子供達がハーフエルフに対して、冷たいのは有る意味想像がついた。
だが、ストリートに生きる子供達には通常、ある種の連携や仲間意識が存在する。
弱いもの同士、助け合うことでお互いの生存確率を増やす、それはもはや本能とさえ言えた。
なのに、その子供達ですら彼女に誰も手を差し伸べなかった、と言う。
誰も助けてくれる者も無く、一人きり‥‥。
それを聞いてティズは怒った。全身全霊で、本当に、珍しいほどに怒っていた。
「私、ロシア生まれだもん。親戚にもハーフエルフいるよ。なんで、偏見だの迫害だのするの? みんな、みんな同じなんだよ‥‥」
少女の声と目元に微かに浮かんだものに、おろおろと少年達は目線を彷徨わせた。
俯くティズの肩をぽんぽん。軽く叩いてガインは行こう、と指でサインを送った。
小さく頷いてティズも後を追う。
その時、振り返りティズが言った言葉。
「どうしても、仲良くなれない? 君たちも彼女も、同じイギリス人でしょ?」
それが、長いこと少年達の頭から離れることは無かったという。
○愛されていた少女
「そもそもやねえ〜。人の為に戒律があるんであって、戒律の為に人が居るわけやないと思うんやけど、こんなこと言うとまた異端やなんやって言われるさかいな〜」
独り言のようにクレー・ブラト(ea6282)が呟いたゲルマン語に横を歩くギリアム・バルセイド(ea3245)は首を捻った。
「ああ、クレーさんはね〜」
「ちょ、ちょい待ってな。独り言まで通訳せんでええよ!」
慌て顔のクレーを気にも留めず、エルはイギリス語で一字一句を翻訳して伝える。
「ああ、なるほどな、それは俺も同意見だ」
「照れなくてもいいですぅ〜。なかなかの至言だとおもいますよぉ〜」
ギリアムとエリンティア、二人の言葉もまた伝えられて、戻ってきて‥‥。
「あっ‥‥、おおきにな」
照れくさそうにクレーは下を向いた。ノルマンからイギリスに渡ってきたばかりでイギリス語がままならないクレーに仲間達は優しかった。
それに身振り手振りと、片言の挨拶でも心は結構通じるものだ。
「人と人は、絶対に分かり合えるんや。言葉も血もそれを妨げることなんてできん!」
「‥‥しかし人の心は脆いものです‥‥。それを克服する為に私は修業をしているわけですがなかなか‥‥」
難しい問題だと、大宗院透(ea0050)はため息をつく。
「確かにな。だが、難しいからと投げるだけじゃ問題はいつまでも解決しはしない。ティズ。お前さんの言ったこともきっと子供達に伝わるさ‥‥」
慰めるような大きな手が頭に触れて、ティズは小さく頷いた。
子供達に聞き込みに行ったとき、トラブルがあったと聞いて少し塞ぎこんでいた彼女が心配だったのだ。
「シャフツベリーに戻ったヴェルも気にしてたからな」
親しい少年の名前が出て、ティズは顔と心を上に向かせる。
「あれ? 心配させちゃってたの? ヴェルの方が危ないかなって、心配だったのに」
『この件は任せて、ヴェルは安心して、シャッフルベリーにお金を届けて。それよりヴェル一人で大丈夫?』
『ベルをお願いします。でも、くれぐれも無理はしないで‥‥』
あの会話だけで、自分を気遣ってくれたとは。ティズの頬に笑顔が戻った。
「別に護衛もついていたようですから、大丈夫でしょう。ベルを連れ戻すことが彼にとって一番の安心になるはず」
夜枝月奏(ea4319)の言葉に頷きながら、
「それよりも‥‥リースフィアさん? 前!」
シエラ・クライン(ea0071)は声をあげた。肩を掴まれ、
「‥‥あ、すみません。ちょっと考え事をしていました」
大きな瞬きをしてリースフィア・エルスリード(eb2745)は前を見た。
目の前に巨木。このまま歩いていたらぶつかっていたかもしれない。
何か悩んでいるような面差しの少女に
「考え事‥‥。あの子のことですか? それとも?」
シエラは問いかける。彼女が考え込みはじめたのはシエラがあの報告をしてからだ。
「‥‥はい。彼女のご両親のことです。正確には、ご両親だったもの、なのでしょうけれども‥‥」
リースフィアの呟きに、シエラは答えず前を向いた。
出発までの間、驚くほどの強行軍でシエラはリリーの身元の調査に動いたのだ。
彼女は今、外見年齢12〜3歳ほど。ということは単純に計算しても彼女の両親の結婚の時期は四半世紀前の話になる。
年月が忘却と言う呪いを人々にかける中、それでもなんとか調べられた収穫の中の一つ、そして唯一つの救いは
「彼女が、愛し合って生まれた夫婦に望まれて生まれた子だった、ということですね」
リリーの両親は今から数十年前、冒険者と助けられた娘として出会った。
レンジャーである青年エルフが森に迷った娘を助けたのがきっかけだったという。
二人がお互い恋に落ちるのにさして時間はいらなかった。
だが、二人の恋を祝福してくれる者は当時、殆どいなかったらしい。いや、皆無と言っていいだろう。
集落を出たエルフはまだ良かった。祝福してくれる者もいないが反対する者もいないのだから。
だが、娘の方はそうはいかない。起きた騒乱はなかなか言葉では言い表せるものでは無いと、当時を知る老人は語ってくれた。
彼女は裕福だが、厳格な戒律を守る騎士階級の箱入り娘。
神聖騎士だった父親は勿論、母親も当然幸せになれない結婚と反対した。
彼女には婚約者がいて、その騎士は恋人を奪われたと激怒した。
教会は二人の婚姻を認めることは無く、子にも祝福を与えないと宣言した。
それを恥じた父は娘を勘当に近い形で追い出したという。
命の危険さえ感じた二人は、街を抜け出し、近くの森に逃げ込みそこに住まいを構えたのだとか。
彼ら夫婦と時折交流があった猟師は言う。
『父親は腕のいい狩人でもあったから、結構幸せに暮らしてたと思うぜ。暫くして子供も生まれてたようだし。けどな‥‥』
森の中の暮らしは、決して楽なものではない。そして、常に危険と隣り合わせだった。
お嬢様だった少女は森の中で逞しいおかみさんになったが、それでも、冬に森に溢れた狼の群れの襲撃から、夫の留守に我が子を守るには命と引き換えにしなければならなかったろう。
そして、父親は昨年の聖杯戦争、ズゥンビに命を奪われたのだ。
彼は、どんなに周囲が勧めても決してキャメロットに行こうとはしなかった。
愛する者を失い、誰にも合わせる顔も無いと‥‥。
「彼女の血縁も既に無く、一人娘を失って家名は途絶えたとのこと。どうやら、彼女を託せる血縁者はいないのかもしれません」
「この辺に狼や獣が出るのか? 今は夏だし、腹を減らして襲ってくることは少ないだろうが、気をつけないとな‥‥」
「ズゥンビも、今はもういないでしょうけれど‥‥でも‥‥」
それとは違う死者が今もいるような気がして、リースフィアの胸騒ぎは止まらなかった。
「事態と依頼の解決だけなら、簡単なこと‥‥でも‥‥」
そうしてはいけない、と思う気持ちと、結局そうするしかないのだと言う思いが胸の中で交差する‥‥。
『あんま無理して考えすぎたらあかんよ。まあ 強制的解決や無くて、平和的解決が出来れば良いんやけどね』
リースフィアの思いを見透かしたようにクレーは笑いかける。
彼の言っている言葉の意味はよく解らなかったけど、励まされているのだけは解った。
「そうですね。悩みすぎても仕方ありません。行動あるのみです」
前を見る。森は深い。
この森で住むしかなかった者の辛さが染み渡るようにどこか黒を帯びた深い緑に包まれている。
だが、この深い木々の中からも木漏れ日が差すように、彼女の心にも光はきっと指すとリースフィアもティズもシエラも冒険者も信じることにして前へ、奥へと進んでいった。
○暗い楽園
トントン。ノックが二回。
静まり返った部屋の中から返事は無かった。
続いてもう二回。ノックをして見る。
「やっぱり返事はなし、か。中にはいるんだろうな?」
側で透が頷くのを見て、ギリアムはやっぱり、と頭を掻いた。
ドアはおそらく鍵がかかり、内側から押さえられている。
冒険者達はここまで無事にやってこれた。
多少獣はいたものの、歴戦の冒険者が警戒をした上なら、それは彼らには大した障害にはなりえないからだ。
だが、彼女には違う。
ここで、まだ12〜3歳の少女が一人で暮らすのは容易いことではないだろう。
さっきの話が真実ならば、彼女の両親はこの森で死んでいるのだから。
小さな小屋の薄暗い部屋。この中だけが、彼女の楽園。
「‥‥さて、どうやって開けてもらいましょうか‥‥」
「無茶はだめですよぉ〜」
腕まくりしかけたギリアムを手で制してエリンティアはすう、と息を吸い込んだ。
「こんにちは〜。エルフのエリンティアといいますぅ〜。こちらにリリーさんはおいでですかぁ〜」
あまりにも捻りの無い声かけに冒険者達は目を瞬かせる。だが、
扉は思いのほかすんなりと、開かれた。
「エルフ? お父さんの‥‥おともだち?」
小さな顔、細い指がおそるおそる覗く。
「まあ、どちらかというとお母さんのおともだち、ですぅ。貴女がリリーさんですねぇ〜」
こくりと首が前に動いた。膝を折り、合わせた目線に女の子の目が丸くなる。
目線が合うと力が抜ける、晴れやかな笑顔を持つ者と呼ばれる笑顔に彼女の胸がドキドキと高鳴っているのが聞こえるようだ。
「お母さんに会いたいんですが、中に入れてもらえますかぁ〜」
「う・うん。でも、危ないから‥‥お母さんを外に出さないでね」
細い声に返事をせずエリンティア、そして冒険者達は部屋の中に入った。
据えた匂い、澱んだ空気漂う暗い部屋の中。
その中央に、銀の光があった。椅子に腰掛けたままぼんやりと、宙を見つめる少女が。
「ベル!」「ベルさん!」
駆け寄り近寄ろうとするギリアムとシエラの前に
「ダメぇ!」
手が広げられた。二人は歩みを止めた。それには、彼女の制止意外の理由も、あったのだが。
「お母さんを、連れて行かないで! この家から出ちゃダメなの。危ないの! お母さんがいなくなったら‥‥あたし、あたし‥‥」
目に涙を一杯浮かべてリリーは立ちふさがる。
それをガインは諌めるように手で止めた。
「その人には帰る場所が他にあるんだ、お前さんがそれを奪っちゃいけねえなあ、そういうのを恩を仇で返すって言うんだぜ」
「違うもん。この人はあたしのママだもん! 帰るところはここだって、言ったもん!」
「その人はそんなにお前さんのママに似てるのかい? だとしたらなおの事その人を縛り付けるような事をしちゃいけない、それは悪い事なんだ」
技巧を凝らした言葉の説得ではない。素直なまでに真っ直ぐな思いを伝えるだけだ。
「その人なら謝れば許してくれるさ、やり直しなんざいくらでもきく」
「だって、あたし‥‥また一人になっちゃう‥‥。お父さんや、お母さんと、もう一度、一緒に暮らしたかったんだもん‥‥」
俯くリリーの背後に浮かぶ、黒い影。
冒険者達は身構え、クレーは目を閉じ、呪文を唱えた。
「やっぱ、二人おるわ。リリーさんの後ろとベルさんの中にな‥‥」
あそこと、あそこ。クレーの指差した二つの方向の意味を言葉は解らなくても、その場にいた全てが察した。
「えっ? 何?」
「やっぱり、いた‥‥な? 悪いが連れて行くぞ。ベルも、リリーもこの家から解放してやれ」
沸き立つ気配に冒険者は身構える。
『お前達に‥‥何が解る‥‥。愛しき我が子を残していかなければならなかった、我らの苦悩が‥‥』
リリーの背後にいた影が敵意を見せる。どちらかといえば男性の口調にエリンティアはベルの方を見て、問うた。
「貴女はその子のお母さんですかぁ?」
『そうよ‥‥。この子には、誰も頼るものがいない‥‥。守ってくれるものも‥‥。私達は、死にたくなかった‥‥、この子を置いていきたくは無かった‥‥』
椅子に座っていたベルの身体が崩れ落ちた。慌てて、シエラが助け起こす。
ベルの中からもまた、黒い影が湧き出たのだ。
『‥‥帰ってくれ。冒険者‥‥私達は、ここであの子を守るのだ‥‥』
『その子も、私達には必要なのです‥‥。彼女は、私と共鳴してくれた。‥‥神に祝福されなくても‥‥愛してしまった人がいた。その人を思い、全てを捨てようとさえ思う‥‥強い思い‥‥。彼女がいれば、私はあの子を‥‥もう一度抱きしめられる』
「お父さん、お母さん‥‥」
リリーは、悲しい目で二つの影を見つめていた。今まで、自分の側にいてくれると解っていた。守ってくれると知っていた両親。
だが、こうして会えた嬉しさよりも、今は、怖さが先に立つ。
忘れようとしていたことが蘇る。そう、もう二人は‥‥この世のものでは無いのだ‥‥と。
「なあ、この子が心配なのは解るがこれじゃ何の解決にもならんぞ」
その怯えた肩を抱くように、さりげなくリリーを後方に下げると、ギリアムは逆に一歩前へと進み出た。
二つの影に向かって、迷いを一切見せることなく、立ち向かうかのように。
「あんたが憑いてる嬢ちゃんだが、遠くない将来にあんたと”同じような母親”になるかもしれんのだ。あんたがその子を抱きしめてやりたいと思うように、その子の手はいつか、愛する我が子を抱きしめる為に有る。あんたの娘に一時貸してやれてもくれてやるわけにはいかないんだよ!」
「それになあ、リリーさんを思うあんたらの気持ちも分かる気もするけど、危害を加えたからといって危害を加えたら意味が無いような気がするで」
リリーを傷つけた奴ら苛めたのはあんたらやろ? とクレーは問いただすように二つの影を見る。言葉は通じなくても意志は通じると信じて。
否定の言葉が無いと言う事は、肯定の意。手に十字架を握りながら彼は続けた。
いつでも消滅させられる。でも、そうはしたくないという意思表示だ。
「それで無くとも、ハーフエルフって事だけで迫害させてしまうのに、そんな事したら余計に迫害を強くさせるだけでリリーさんを守る事にならないかと解らんか?」
「どうか、解って下さい。死者は生者に関わるべきではない。それが例え生者を思ってだとしても、決してそれは生者を幸せにはしてくれないのです!」
今なら、まだ間に合う、リースフィアは思った。彼らはまだ、自分達の言葉を聞いてくれる。手遅れではない。ならば!
リースフィアは呆然とするリリーの手を強く引きよせた。うろたえたような影達に構うことなく、リリーの肩を揺さぶった。言葉と共に。
「貴方を愛し、育てた両親にかけて答えなさい! 貴方は死した両親をなお縛る愚か者ですか!? 貴方の両親はそんな貴方を愛した愚か者ですか!?」
「お母さんはリリーが立派に育ってくれることを望んでいると思う。だから、リリーは、お母さん達を安心させてあげなくっちゃ!」
「誰の手を借りてもいい、でも自分の目できちんと現実を見なきゃ駄目だよ、リリー。目の前にあるものから、現実から、目を逸らしちゃ駄目。皆そうやって、皆で生きてるんだからね」
「貴方が迫害を受けて生まれたというのなら、それを利用するぐらいの気持ちで生きてみる事はできないのですか‥‥。私はジャパンでそうやって生きてきました‥‥。自分の生まれを恨んだことなどありません‥‥。貴方は、このお二人から生まれた事を呪うのですか!」
「‥‥私が、お父さんとお母さんを、縛っているの? お父さんと、お母さんは‥‥私のせいで‥‥天国にいけないの?」
震えるリリーの声に影達が揺れる。
『リリー、いいんだぞ。俺達は‥‥』
『ずっと、一緒に‥‥。それは、私達の望みでもあるのよ‥‥』
「リリーさん、決めるのは‥‥貴方自身です。ご両親を‥‥」
解放してあげませんか? シエラの眼差しに自分を取り囲む優しい眼差したちに、そして‥‥
「ママ?」
そっと触れた白い手。
「ベル?」
意識を取り戻したベルが、自分自身の意思で、彼女の手をそっと握っていた。
「一人ぼっちじゃないわ。貴方は‥‥。運命に負けないで」
心と、身体の両方が光に包まれるように暖かくなるのを、リリーは感じていた。
そして、一度目を閉じ、もう一度顔を上げ、二つの影。いや、大好きな両親を真っ直ぐに見つめた。
「お父さん、お母さん。あたし、大丈夫。頑張るから。一生懸命、絶対に頑張るから。だから‥‥さようなら」
愛する娘が、涙と共に選んだ決意。
透は八握剣をそっと降ろした。黒い影にもう敵意は無い。
「この子については、俺達がなんとかするから‥‥安心してくれ」
その言葉に、満足したかのように消えていく影を見つめエルは横目で一人の人物を見た。
「ねえ。クレーさん?」
エルの言葉はそこで止まったが、
「ああ、解っとる。任せておき!」
意図を察してクレーは十字架を高く掲げた。
「優しき二つの魂に、神の祝福を与えたまえ!」
純白の光が二つの魂を包み込む。
暗い影が、まるでヴェールを剥ぐ様に剥がれ、一瞬、冒険者はそこに幻を見た。
金の髪の暖かい面差しの男性と、銀の髪の優しい目をした女性の夢を。
「お父さん! お母さん!」
『リリー。しっかりな‥‥』
『愛しているわ。いつまでの。私の‥‥愛しい子』
「お父さん! おかあ‥‥さん‥‥」
空に昇っていくような光にリリーは手を伸ばした。
伸ばした手は確かなものを何一つ、掴むことなく宙を切る。
「さよ‥‥うな‥‥ら‥‥。ぐすっ、ぐすっ‥‥うわあああああんん!」
膝をついて泣きじゃくる女の子を、ベルはそっと抱きしめた。
部屋の中の空気は、数刻前とは嘘のように変わっている。
暗く澱んだ気配が消え、穏やかな光さえも放っているように。
いや、穏やかな光を放っているのは冒険者。
銀と太陽のような光に包まれて、暗い楽園から少女は現実へと足を踏み入れたのだった。
○光の中の未来
「う〜ん、やっぱ、リリーさん本人がやる気があるんならケンブリッジが一番やないかとおもうんやけど」
「でも、住み慣れたキャメロットが一番かもしれないぜ」
「ロシアへの月道が開くという噂もあります。偏見の少ないかの地もまた候補ではないかと思うのですが‥‥」
「いざとなったら、ソールズベリという手もありますよ〜。あそこの領主さまはぁ〜、けっこうできた方なのでぇ〜孤児の一人や二人、面倒見てくれるとおもうんですぅ〜」
「そうだ、手に職ってのも大事だよ。自分の人生は自分の手で切り開けるようにならなくちゃ。何か得意なことある?」
「あの‥‥野草採取と‥‥弓‥‥。お父さんに教えてもらったから」
「そっかあ。ボクも薬草扱いには自信が有るよ。何かひとつ自信の持てるものを作れば、自分に自信を持って胸を張れるようになるからね♪ そういう育て方をしてくれるケンブリッジに行ってみたらどうかな、って思うんだ」
キャメロットの酒場でテーブルを囲んだ冒険者達の討論を、目を丸くしながら少女は見つめていた。
「驚きましたか?」
ジュースを差し出しながらシエラは少女に声をかける。うん、と頷く少女の表情はそれでもあの時よりはずっと明るくなっている。
「ありがとう。あたしの為に‥‥」
頭を下げる少女に、いいの、いいの。とティズは手を振った。
「もう友達だもんね。困ったことがあったらいつでも言ってよね」
「確かに、人はハーフエルフを禁忌と呼んで迫害対象にしてきましたけど‥‥。世の中、そんな人達ばかりじゃないんです。貴方自身を見て、守ってくれる人もいますよ。あの人たちのように。勿論、私達も‥‥」
「うん。解った。一人じゃ無いんだよね‥‥」
少女は胸に重ねるように両の手を置いた。そっと抱きしめる。
それは自分が失い、手に入れたものを愛しむような仕草だった。
彼女は両親から愛されて育ってきたようだ。とリースフィアは思う。愛を知っているからこそ愛に飢え、そして愛を理解できるのだろう。
両親への依存は大きかったが、彼女はそれを乗り越えた。
きっともう大丈夫。根拠は無いがリリーの笑みを見てなぜだかそう確信できた。
「ベル、身体はもう大丈夫か?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「なら、ちょっといいか?」
「なんでしょうか? ギリアムさん」
リリーに付き添っていたベルが、ギリアムに促されて立ち上がる。
一瞬迷い子のような目をしたがリリーは、手を振って笑顔で見送った。
その先にあるのは信頼。本当の母子のようでさえある。
「ちょっと、お母さんに会いたくなっちゃたなぁ」
リリーからもらったクローバーを抱きしめながらティズはそっと寂しげに笑って呟く。
それから、微かに抱いた思いを振り切るように仲間の元へ戻っていった。
酒場の向こうでは、その日夜遅くまで楽しく前向きな相談が続いて、なかなか纏まらなかったという。
ギリアムがベルを引っ張っていった先は、有る人物の家の前だった。
「‥‥ギリアムさん!」
「嫌なものを見ちまったな。だが、誰かを好きになるって理屈じゃねぇはずだろ? それともまだ、迷ってるのか?」
尊敬する冒険者に嘘はつけない。小さく、ベルは頷いていた。
「私、気にしたこと無かったんです。禁忌だの、戒律に触れるだの考えたことも無かった。だから‥‥」
教会で名前を刻むのを断られたとき、今まで感じたことの無かった思いが一気にあふれ出したのだと言う。
不安、迷い、そして‥‥罪悪感。
「神に仕える事を目指すものが、戒律に背いていいのか‥‥。親兄弟を悲しませていいのか‥‥。でも‥‥」
この恋心は止まらない。落ちる涙をそっと指で拭ってギリアムは頭を撫でた。
恋人同士のそれではない。あえて言うなら父親が娘に贈る幸せを願う思いだ。
「シエラも言ってたろう? 世の中、そんな奴らばかりじゃない。ベルの村みたいに、俺みたいな外見でも温かく迎えてくれる所もある。それに‥‥お前さんとアイツなら、そんな心配はいらんだろうさ」
目を閉じると思い出す。大好きなあの人の眼差し。
「先ずはアイツに会って、アイツを安心させてやれ」
ギリアムは促すが、ベルはそっと首を横に振った。
「今は、まだ会えません。彼女に運命に負けちゃいけないと私は言った。ならば、私も戦わないと‥‥運命と‥‥」
帰り際リースフィアが言っていた。
「本当に叶えたいことがあるなら戦わなくては駄目なのです。退けられても、諦めずに、しつこく、何度でも」
まだ自分は戦っていない。向かい合っていない。全力を尽くしていない。
思えば、あの夫婦も運命と戦わず逃げたことが、悲劇を生んでしまったのだろう。ならば
「全力で戦って、私は自分の運命を切り開きます。いつか、生まれるかもしれない子にあの子と同じ悲しみを味あわせない為に‥‥」
彼と会うのはそれから、と微笑むベルにギリアムはやれやれ、と肩を竦めたのだ。
あの子は変わっていない。
初めて出会った時から、あの眩しい魂は‥‥。
その後、リリーはケンブリッジに向かうこととなった。
教会の司祭ローランドが仲立ちし、ある領主が後見を引き受けることになったのだとか。
「大丈夫?」
心配そうに問いかけるティズにリリーはうん、と元気に頷いた。
「あたし、頑張るから。絶対に、負けない! お父さんとお母さんに約束したから!」
旅立っていった少女の瞳に、冒険者達は眩しい光を見る。
それは森の中に射した木漏れ日よりも美しく眩しかった。
ハーフエルフも、エルフも、人間も、皆同じ。
人を思う心も憎しみも、悲しみも。愛も希望も、友情も。
何も変わらないと冒険者は思う。
可能ならそれを、多くの人に知って欲しいと思わずにはいられなかった。