●リプレイ本文
○グリフォン通りの犬
向こうの家には戦闘馬と子馬が親子のように仲良さげに肩を並べている。
こっちの家の庭ではころころと、幼い子犬や、狐、猫などがおいかけっこをしていた。
あちらの冒険者はペガサスを飼っていて‥‥こちらの庭ではグリフォンがあくびをしながら寝そべっている。
普段滅多に見ない精霊もいれば庭にトレントが植わっている家、ぬりかべが昼寝をしている家もある。
「うわ〜。動物の市みたい。面白い〜」
冒険者街も結構賑やかになったものだとネフティス・ネト・アメン(ea2834)は改めて歩きながら思っていた。
ここは言わば住宅街。
人通りは思ったより少なく、今まで冒険者がここに来るまでにすれ違ったのは手をつないで歩く二人連れや、旅帰りの冒険者など数名ほど。
確かにこの辺は、以外に人目に付きにくいのだろう。と言う事がこうして歩いてみて改めて判った。
さらにこうして歩いてみれば留守にしていると判る家もいくつか見かける。
きっとこの辺の家の住人は冒険の依頼を受けて外出中なのだろう。
と、いうことは空き巣に狙われても不思議は無い。
留守の家を軽くチェックしながらふと
「空き巣か〜。番グリフォンや番ドラゴンのいない家を調べて入ってるなら、この子とメイフェだけが番してるウチも危ないのかも。お金はあんまり無いけどね」
呟いた。
「冒険者の家は仮にお金は無くても貴重な品が置いてある事もあるようだから、成功すれば見入りは大きいのだろうな。無論、許せることでは絶対にないが‥‥」
フフフ‥‥。応じたメグレズ・ファウンテン(eb5451)の肩が揺れる。微かな笑み。だがそれは確実な怒りを孕んでいる。
「窃盗じゃなくって、殺人をするなんて、サイテー! 元々盗みは悪いことだけど、その上、さらに盗賊のプライドも捨てちゃたって感じだね」
プンプンと頬を膨らませるティズ・ティン(ea7694)にカノン・レイウイング(ea6284)は同感、と頷いた。
「冒険者街の犯行というのも他人事とはとても思えませんね。犯人には冒険者の物を盗み、冒険者を殺した罪をその身で十分に味あわせる事にしましょう。 」
「ええ、自分のしていることを後悔してもらいます」
彼らの言葉はディズにカノンやルーウィン・ルクレール(ea1364)が答えただけのものではない。
冒険者全員の思いであり、答えだった。
マーライオン通りを抜けるともうすぐグリフォン通りだ。
その割と奥まったところに冒険者がとりあえず目指す目的の場所がある。
「アルフ‥‥だったか? その犬の名前は?」
ギルドの係員から預かった包みを手の中で弄びながらブレイン・レオフォード(ea9508)は呟いた。
「そうですよ。確か、ボーダーコリーの女の子だって言ってましたっけ? ねえ、ぺロくん?」
グラン・ルフェ(eb6596)は横を歩く自分の愛犬に問いかけるが、彼の答えは能天気なまでに明るい
「ウワン!」
「こら! ぺロくん!」
‥‥どうやらぺロくん。蝶を見つけたらしい。楽しげに踊るように、周囲を飛び跳ねている。
はあ、と吐き出された深いため息一つ。
「アルフさんは偉いよね‥‥ペロくん聞いてる?」
あてつけるようなグランの問いに返事は、再び明るく
「ワワワン!」
「通訳、必要ですか?」
くすくす、と微笑みながらルフィスリーザ・カティア(ea2843)はグランに問う。
「いや、いいです。聞いたら余計に滅入りそうだから」
再び大きなため息。だが、グランとぺロを見つめる冒険者達の眼差しは優しかった。
本当だったら、何事も無ければ、そのアルフという犬もきっと彼らのように楽しげに主と笑っていられたのだろう。
「飼い主が死んだ後もずっと家を守ってるのか‥‥すごいな」
「まったくだ。なかなかの犬じゃねぇか。そいつが決して譲れない思いがあるというのであれば俺も手伝ってやらないとな」
腕まくりするギリアム・バルセイド(ea3245)だが
「ふむむむむ‥‥、うむむむむ‥‥‥‥」
さっきからずっと聞こえてくる唸り声になんとなく気が抜けてしまう。
「どうしたんだ? さっきから珍しく難しい顔をしてるな?」
一番後ろでずっとその声をあげている葉霧幻蔵(ea5683)に声をかけた。
通常、彼は元気で陽気が最大の長所のムードメーカーだ。
その彼がここまで悩み顔というのは本当に珍しい。
ギリアムの問いかけに
「はっ! しまったでござる! 寝過ごしたでござるか!」
真面目な顔で幻蔵は答える。がっくりとコケる一同。
「おい。居眠りしてたのかよ!」
「無論、冗談でござる。ちょっと考え事をしてたのでござるよ」
ギリアムのマジツッコミを軽くスルーして幻蔵は、今度こそ大真面目の顔で仲間達に向かい合う。
「考え事、ですか?」
今度はちゃちゃを入れるべきではない。判断してギリアムは口を閉ざす。代わりに聞き手役にまわったのはルフィスリーザ。美少女の問いかけに幻蔵は
「噂の空き巣の正体について、なのである!」
真剣な考えを返してきたのだった
「ギルドの係員殿は言っておられたでござる。犯人は二人組であると判った、と。でも、何故そう判ったのであろうか?」
言われてみればなるほど、と思うことであった。
空き巣は人に見つからないようにするのが大前提だ。
故に単独犯が多いと言われているのだが‥‥。
「とりあえず、アルフさんにお会いして‥‥聞けるならお話を伺って‥‥それから細かく調査をしてみましょう。その疑問も重要な気がしますから」
「そうでござるな。考え悩むなど拙者らしくなかったでござる! さーて、いくでござるよ! 皆の衆!」
ころっ。と。
音がしそうなくらいの変わり身の速さで幻蔵は表情を笑顔に、足取りをスキップに変えて先に進んでいく。
「やれやれ」
とため息をつきながら冒険者達は後を追う。
彼の笑顔と冗談に隠した思いを、ちゃんと知っているから。
○彼女の理由
言われたとおりの場所に、言われたとおりの家があり、言われたとおりの犬が立っていた。
正確にはさっきまで座っていたのだが、来訪者の気配に立ち上がったのだ。
「アルフ‥‥さん? ‥‥あっ」
ふらふらと立ち上がったコリーはすぐに膝を折る。自分の意思ではないであろうそれに。
「危ない」
駆け寄り、アルフと呼んだ犬にグランは手を差し伸べる。
だが、手は渾身の後退の前に犬の小さな身体には届かなかった。
「お前さんが、アルフか?」
ギリアムの問いかけにアルフは崩れた前足を、必死に伸ばしている。
耳を立て、尻尾を上げて。ここには一歩も入れないと言う様に。
明らかにアルフは自分達を警戒しているのだ。
「皆さん、少し、お時間を頂けませんか?」
カノンはバックパックから竪琴を取り出して、軽く爪弾く。
テレパシーで話しかけようとしたルフィスリーザも、カノンの意図を察して言葉通り一歩下がる。
逆に一歩前に進み出たカレンの足元から、ころころと転がり出た子猫と子狐がトコトコと、怖いものを知らないというようにアルフの方へ近寄っていく。
アルフが驚きに唸りを止めた瞬間を狙って、カノンは大きく深呼吸をして
「Ah〜」
第一声を竪琴の調べに乗せた。
歌は特別なものを用意したわけではない。ただありふれた優しい子守唄。イギリスの古謡である。
特別であったのは歌に秘められたメッセージ、だけ。
(「どうか、アルフさん。心を鎮めて。私達は貴方を助ける為に来ました。どうか、心を開いて、とは言いません。でも‥‥少しでも構いません、私達を信じて頂けませんか?」)
そして暫くの後、竪琴を下ろしたカノンは仲間達と顔を合わせ満足そうに微笑んだ。
「やはりお利口さん、ですね。貴女は」
唸りを止め、黒い瞳でこちらを見つめるアルフの顔を見て。
「はい、アルフさん、こちらもどうぞ。お腹、空いていらっしゃるでしょう?」
カノンが差し出した保存食を、くんくんと、二度匂いを嗅いで後、アルフはぱくん。と口の中に入れた。
側で二匹のコリー達がそれをうらやましそうに見ている。
だが
「こーら。ペフティ、男の子なんだからアルフのご飯取るなんてカッコ悪いことしちゃダメよ〜」
「ルー君。おあずけ。君の分はちゃんとありますからね」
主人達の言葉にちゃんと従って横から掻っ攫うようなことはしない。
むしろ、よろめくアルフを横から支えるように手助けをしてくれていた。
「あんまり沢山食べ過ぎるのも良くないかもしれませんが、まずは体力を付ける事が大事ですよ。友達の敵を討つならね」
そう言ったグランの言葉はどうやらルフィスリーザのテレパシーを仲介にしなくてもちゃんとアルフに伝わったようだ。
一生懸命『食べる』姿に冒険者はホッと胸を撫で下ろす。
依頼の開始するにあたり、冒険者はまず衰弱しきったアルフの回復と彼女との協力体制の確率を何よりもまず優先させることにしたのだ。
まずルフィスリーザとカノンが自分達は、ギルドからの依頼を受けてやってきた冒険者であることをテレパシーを使ってアルフに話しかける。
事情を知っていること、アルフを心配している人が居ること。そして‥‥自分達もそうであると。
『ご主人はきっと貴女の幸せを願ってると思います。それに誰かを傷つける事は望んでないと思うんです』
人間に話しかけるのと同じ誠実さでルフィスリーザはアルフに語りかけた。だが
『敵討ちは私達に任せて頂けませんか?』
『イヤ!』
彼女の意思は、どうにも堅かった。
返事を受け止めると‥‥はあ、と大きくため息をつく。
「私はどうやら、彼女の信頼を失ってしまったようですね」
そう言って苦笑するルフィスリーザではあったが、アルフ自体はその以降、冒険者に対して比較的素直で好意的な感情を向けることになる。
「ほら。この干し肉はお前さんの主人の友達って奴からだ。‥‥このとおり、毒は入ってないから食べて見る気はないか?」
豪快に肉を噛み千切り、ギリアムはアルフの前へと差し出した。
匂いを嗅ぎ、まだ躊躇うようなアルフの背中を
『貴女は、友達の仇が討ちたいのでしょう? その為にはアルフさんの協力は絶対必要な事なのです。そして仇を討つ為にはアルフがキチンと食事を取って元気になる事が必要。判りますか?』
カノンの言葉が押す。
一度、頷くような仕草を見せたアルフは、その後真剣に食事に向かい合った。
アルフの衰弱は純粋に空腹と、心休まらない心労から来ているものだろう、とオルロック・サンズヒートは診察してくれた。
彼の診察が正しい証拠にアルフの表情は、さっきに比べると格段に生気を帯びている。
彼女を蝕む原因の二つのうち、空腹はこれで解消させたことになるのだ。
ならば、残り一つの目的を解消してあげればアルフはまた元気に戻れる筈。
『アルフさん‥‥。力を貸してくれませんか? 一緒に空き巣達を探すのを手伝ってほしいのですが‥‥』
『イヤ!』
ルフィスリーザの顔が微かに歪む。自分を信じては貰えないのか、というそれは悲しみに似た思いだった。
だが彼女の答えは信じない、でも協力しない、でも無い。
『私は、ここにいるの。絶対にここに‥‥!』
アルフはこの家にいることに執着していた。それに何か意味があると言う様に。
『判りました』
だから、ルフィスリーザは寂しい思いを隠して頷く。
『ただ、できればここを私達の活動の拠点にすることをお許し頂けませんか?』
これに拒否の答えは返らない。
アルフとの問答の全てを仲間に伝えて
「私は、先に行った皆さんと一緒に情報収集をしてきます。アルフさんを‥‥お願いします」
ルフィスリーザは頭を下げた。
「待つのでござる! この子を!」
差し出された梟を受け取ってグランと共に聞き込みに出るルフィスリーザ。
「何故、あそこまで厳しく出るんだ?」
ギリアムの問いをカノンが仲介しても、アレフは何も答えなかった。何も‥‥。
どうして、犯人が二人組である、ということが判ったのか。
それは手に入れた『犯人の靴』のおかげであると冒険者は、衛兵詰所で事件のあらましと共に聞く事になる。
実は室内に入る空き巣の実行犯が小柄な人物であるということはかなり前から判明していたらしい。いくつもの犯行現場に残されていた足跡や進入経路などからである。
だが、同時にその説には疑問も抱かれていた。空き巣が盗んでいったものの中にはかなりの重量がある剣なども複数あったのがその理由。人通りがそれほど多いほうではない冒険者街とはいえ、ほとんど人に見られずに犯行を為す犯人は小柄な体型に似合わない力持ちなのかもしれない、との変な話まであった。
けれどもアルフが犯人から奪ったのは想像されていた大きさよりも、ずっとずっと大きな靴。しかも、アルフの主人が死んだ犯行現場で血だまりを踏んで逃げた足跡は、小さくてその靴とまったく一致しなかったということ。勿論残された靴からは血痕も見つからなかった。
「他にな。ナイフに残された指の跡が、大きな靴の持ち主にしては細く、繊細な指をしていた。だから、犯人が二人であると判明したんだ。納得してくれたかい?」
「判りました。ありがとうございます」
頭を下げたルフィスリーザに衛兵はなんの、と笑って、そして冒険者ギルドの正式な調査なら、と凶器のナイフを靴と一緒に貸してくれた。
ホッと胸を撫で下ろす。
ほんの少しギルドの係員が、今回の空き巣事件に関わっているのでは、と疑ってしまったがどうやらそれは杞憂ですみそうである。
「で、どうします? ルフィスリーザさん?」
グランは頭によじ登ってくる梟をはがしながら問う。
「アルフさんの家の前でバーストをかけてみようと思っています。もう一週間以上経ってしまっているのでダメかもしれませんが、何か手がかりが見つかるかもしれませんから」
そうですね。うなずいて戻ることを知らせようと梟を空にグランが放しかけたその時
「待ってくれ〜!」
声がした。良く見れば通りの向こう側から手を振るブレインとティズが見える。
「ブレインさん!」
慌てて手を止めグランとルフィスリーザは二人と合流する。
「見つかってよかったあ。すれ違ったら大変だもんね。どう? 今回ちょっと変身してみたんだけど」
普通の服装よりも、子供っぽく変装(?)したティズは年相応か、実年齢未満の少女にも見える。
「そうですね。ティズさん。とてもお似合いですよ‥‥。で、どうでした?」
明るい雰囲気だったのはここまで。
顔を合わせた二組は真剣な眼差しで頷きあい、路地裏に入ると互いの調査状況を手早く報告する。
グランとルフィスリーザのペアは状況の再把握と手がかりの確保を担当した。ブレインとティズは周辺の聞き込みと怪我人の調査だ。
「犯人グループが二人、というのは間違いないようですね。あとは向こうに戻って預かった遺留品に何かヒントがないか、調べようと思うんですけど‥‥」
ルフィスリーザの言葉に、顔を見合わせたブレインとティズは頷きあって声を潜める。
「実は‥‥ね。犯人グループが二人だというのなら、おそらく本命と思えるのがね、こっちの網に引っかかって来たんだ」
「治療師のところにね、事件があった日の翌日、犬に腕を噛み付かれたって女性が来たんだって。大柄な男性と一緒で、冒険者をしている。仕事中になった、と言っていたらしいんだけど‥‥怪しいと思わないか?」
勿論怪しいと思う。グランも、ルフィスリーザも思った。タイミングが合いすぎる。
「そして、彼らはさ、お金の持ち合わせが無いから、後で払いに来るからって言ってこの指輪を置いて行ったんだって」
ポケットから差し出されたのは、魔法の力があるわけではない平凡な指輪である。小さな宝石はかろうじて付いているが大した値もつきそうにはない‥‥。
「A&A&A? なんでしょう? 普通指輪の裏に入れる名前って恋人同士二人なんじゃ‥‥」
指輪をくるくると回すルフィスリーザに、ブレインはにやりと楽しそうに笑った。
「これ、普通の指輪に見えるだろ? でもさ、実は俺の専門分野なんだ。これにはちょっと細工があってさ‥‥。ここをこうして‥‥」
石を押さえ、台座の裏の銀板を手で滑らす。
「わっ! 台座が動いた! あ! これ‥‥。もしかして‥‥」
そこには隠しがあり、1枚の小さな羊皮紙が折り込まれていた。
広げても親指の先ほどの小さな羊皮紙には、細密に男性と、女性と犬の絵が描かれている。
「うん、つまりはそういうことなんだと思う。でさ、これはあくまで推察でしかないんだけど、ひょっとして犯人は‥‥」
ブレインの言葉を聞くや冒険者達は立ち上がった。
確かめてみなくてはならない。
そして、それがもし真実なら‥‥。
「アルフさんの力が必要ですね」
もう一度対峙する覚悟でルフィスリーザは立ち止まって走り出した。
○守るべきもの
冒険者酒場や、街の路地でこんな噂が囁かれるようになったのはほんの昨日くらいのことだ。
『冒険者街を最近狙っていた空き巣であり、冒険者殺害犯の正体に繋がる重要な品が発見されたらしい』
『騎士団は明日にでも冒険者や魔法使い立会いの下で現場検証を行い、犯人の特定に全力を上げるとのことだ』
「ちょっと、ワザとらしいでござるかな?」
苦笑しながら幻蔵は身体に付いた埃を払いながら屋敷の中に入る。
「あ、お帰りなさい」
ネフティスがテーブルから視線を動かさず、出迎える。
彼女は現在予知魔法の実験中。邪魔をしてはいけないと、彼には珍しく気遣いながら中に入った。
この家に潜む所は無いと確認ずみ。
周囲の地形把握もバッチリである。ついでに周辺住人に気付かれないように噂話の拡張も手伝ってきた。
ここ暫く、空き巣狙いの犯人達はグリフォン通りを中心に犯行を重ねている。
メグレズが念のため隣接区域をワザと目立つようにパトロールしているから、犯人は間違いなくこちらに来る筈だ。
後は、犯人達が来るのを待つばかりである。
本来なら自分達が殺人という大きな事件を起こした所は避けたいであろうに、何故、と思うが冒険者が組み立てたあの仮説が正しければ納得できるところもあるというものだ。
幻蔵はアルフから預かったものを握り締める。
「‥‥オッケー! なんとなく見えたわ。犯人達の姿らしきものと、行動の予測!」
勢い良く立ち上がったネフティス。彼女の予知が正しければもう、明日、いや今日の夜にはやってくるであろう。彼らが‥‥。
「了解でござる。皆に知らせて待ち伏せでござる! ‥‥っとその前に」
走り出しかけた幻蔵はくるりと半回転してネフティスに顔を合わせる。そして
「時間と魔法に余裕があったら、でいいでござる。これの先行きも見ていただけぬでござるか?」
「‥‥いいけど?」
「では、御免!」
走り出した幻蔵からネフティスの手に移った指輪を彼女は『視る』
この指輪も、自分や冒険者仲間が持つような、高価で豪奢なものでは決してなかったけれども
「そう。そうだったの‥‥」
『彼女』達にとってはかけがえの無いものだったのだろうと、知ることができる。
「悲惨な未来は、変えてみせる。でも、この未来は、できるなら守ってあげたいかな? 余裕があれば、だけど」
小さく呟いた言葉の意味をまだ冒険者は知らなかった。
そして、その夜のこと。
「じゃあな。アルフ。俺は少し巡回をしてくるから」
護衛のように犬に張り付いていた大男が銀髪の騎士と一緒に家を出て行くのを見届けた影は、
「今よ。とっとと片付けてしまいましょう!」
後ろに立つ仲間に向かって合図をした。
「いいのか? あいつらはかなり腕が立ちそうだった‥‥罠かもしれないぞ」
浮かない顔の戦士を月光は照らす。だが
「そんなこと!」
先に行く少女の面影を宿す娘は首を横に振った。
「だって仕方ないわ。もうあそこしか考えられないんですもの。指輪を落としたのは、あの時あの場所でしか‥‥」
唇を噛み締めるように娘は言う。先日仕事を終えて出てきた矢先、冒険者と共に戻ってきた犬と鉢合わせて、突然の攻撃を受けてしまった。あの時、逃げるのが手一杯で地面に落ちた指輪を確認する間もなく拾い上げた。後で、それが自分のものでないと気付き探しに行ったが、そこで彼女はもみ合った拍子にナイフで切りつけてしまった冒険者の死を知ったのだ。
「もう、後戻りはできない! 行くわよ。援護して!」
決意の眼差しを浮かべる娘にため息をつきながらも、男はスクロールを広げた。
一気に片をつける。そしてそのままこの街を離れよう。
だが、そんな思いは
「さ〜せ〜ぬ〜〜。出でよ。大ガマ!」
突然娘の行く手、犬への道のりを遮った大ガマと、スクロールの真ん中を音を立てて射抜いた矢によって遮られた。
「何! 誰!!」
明らかに動揺した娘をかばうように、男は振り下ろされたフレイルを自らの剣で弾いた。
「キャアア!」
「ほお。いい腕をしてやがるな。空き巣なんざさせとくにはもったいないが、逃がさないぜ。いい加減に諦めな!」
「逃げることなど叶いませんよ。素直に法の裁きを受けなさい」
男はチッと舌を打つ。ギリアムとルーウェンが前に立ちふさがり、退路は同じくらいの大女メグレズが塞いでいる。横の犬への道は大ガマに邪魔され、もう完全に万事休すだと、いうことは判っていた。
「破刃、天昇!」
背後から容赦なく襲い掛かる剣技、避けるので手一杯、避けるのが精一杯の男は、ほんのわずかな油断を
「くっ!」
眠りの魔法に捕まり、膝をつく。
「ザグ!」
駆け寄りかけた娘。だが、その身体も男へ手を伸ばしたまま動かない。
コアギュレイトの魔法がかかったのだ。
「貴方がたの隠していること、残らず白状なさい。ただ顔を見られただけで、ここまでアルフにつきまとう必要はない筈です」
メグレズの追求に彼女はせめてもの抵抗で、顔を逸らす。
だが
「これ、でしょ?」
ネフティスの手から差し出されたものが、その表情を、心を全てを一瞬で書き換えた。
「それは?」
ギリアムが問う。
「これ、アルフがね現場で拾った指輪なんですって。犯人へのてがかりだって、ずっと隠していたらしいのよ。アルフは‥‥ねえ、貴女。素直に罪を認めて謝りましょう? これが貴女にとってどうしても取り戻したい大事なものだった、ってことはわかるわ。でもね。アルフにとってはこんなものの為に大事な主人の命を奪われたってことになるし、貴女もまたアルフの大事なものを奪って行ったんだからその罪、判るでしょ?」
決して彼女が言葉の通じない、悪意の盗賊ではないと判っていたからネフティスは優しく問いかける。
「はい‥‥」
動かない手に乗せられた指輪。動かない身体の中で唯一動く目から流れ落ちるしずくが言葉の変わりにネフティスの呼びかけにこたえる。
「ねえ、アルフ?」
ティズは後ろに庇っていた犬に呼びかける。
「ご主人様を想う気持ちは分かるけど、ここで襲い掛かっちゃったらあの泥棒と同じになっちゃうよ」
「君の不幸なんか、ご主人はきっと願っていないからね」
最初、臨戦態勢だったアルフ。
だが冒険者の呼びかけ一言、一言を静かに、噛み締めるように聴いて、一歩、一歩犯人達に近づいていく。
一足、一足ごとに声のトーンを落とし、尻尾を下げ、耳の力を抜いて‥‥。
そして、最後の一歩。あと一歩あれば犯人の喉笛にも噛み付けると、いうところでアルフは、その身体を深く伏せた。
「アルフ‥‥」
この場で唯一、犯人を恨む権利をもつものの決断に、冒険者達も武器を収める。
そして、その全てを見ていた娘は、犯人は
「殺すつもりは無かったの。‥‥ごめんなさい。本当に、ごめんなさい‥‥」
心からの涙と思いで罪を認め謝罪をする。
こうして、冒険者街を騒がせた空き巣事件はここに解決したのだった。
○愛すべき友の物語
結論から言うと、空き巣二人はギルドにも登録したことのある元冒険者だった。
夫婦で冒険者をしていたが、夫が身体を病んで引退。
病気の治療費と、住処の維持費、ペットの維持代の為に、身軽な身体と冒険者の知識を悪用して空き巣に及んだのと、冒険者は後に聞く事になる。
ペット達と幸せ郊外の家で暮らすのが夢だと彼女は語ったという。
「そう誰も殺すつもりは無かったんです。ただ、逃亡寸前のところを見つかって‥‥それで弾みで‥‥」
それは悲しく愚かしい言い訳。やりきれない話である。
同情などしてはいけない、とメグレズは思っていた。
どんな理由があれ犯罪という禁断の手段に手を染めてしまった彼女達に言い訳など許されない。
そんなことで命を奪われた被害者の無念はいかほどかと思えば当然の事である。
ただ、アルフが持っていた指輪は彼女らに返却した。
この指輪のせいでアルフが危険な目にあったと思うと考えるところもあったし、少し甘いかもしれないと思うが、彼女らにとって大切なものだったのだろうと、これだけは少し同情してあげることにする。
「お母さんの形見なんです。大事に大事にしてきた、私の宝物で‥‥」
ネフティスは指輪を手にした娘の喜びの涙を見た。かつて視た予知とまったく同じ光景。
(「良かった」)
心ひそかにそう、思う。危険を冒してでも取りに戻りたかった。彼女にもきっとあの指輪はかけがえの無いものだったのだろうから‥‥。
返却された飼い主の指輪を前に
「ク〜ン、ク〜ン!」
悲しい、だが嬉しい声を上げたアルフのように‥‥。
この指輪の過去も未来も、冒険者達はあえて問うことはしなかった。
指輪の下にあった仕掛けも元に戻す。小さな折りたたまれた羊皮紙も。
「この女性の方、少しルフィスさんに似てるわね」
ネフティスは小さく微笑んで笑いかける。でもそれ以上の事を追求もしなかった。
この女性が誰か。どうして指輪に絵など入れていたのか。
それは、もうアルフと飼い主と、きっともう一人だけの秘密だろう。
天国の彼に返すのが正しい事だ。
そう思い冒険者は指輪をお墓に収めた。
「くぅ〜ん」
「アルフさん頑張りましたね」
寂しげに鳴き、墓石の前で立ち尽くすアルフをルフィスリーザはそっと、腕に抱く。
嫌がられるか、と思ったが
「きっとご主人はアルフさんにそう言いたい筈です。だから、私が‥‥代わり。にはとてもならないでしょうけれど‥‥でも」
差し伸べられた白い腕からアルフは逃げようとはしなかった。冒険者も邪魔はしない。
そっと、幸せそうに目を閉じるアルフ。
彼女がその腕の中で何を思い。何を感じたかはアルフだけの時間。思い。
けれどもそれが決して不幸で辛いものでは無いことを、冒険者は一つの成果として噛み締めていた。
アルフはその後、冒険者ギルドの係員のところに引き取られることになった。
冒険者が引き取るという選択肢もあったかもしれないが、いや、‥‥それももう過ぎたことだ。
「アルフ。元気でね。幸せになってね」
お別れの日。ティズはそう言って笑いかけた。
「ワン!」
尻尾を千切れんばかりに振り答えるアルフは冒険者達を、見つめている。
いつまでも、いつまでも。その姿が視界から消えるまで。
「本当に、大した犬だ」
「見習わなくちゃダメだよ。ぺロくん聞いてる?」
笑いあい、旅立ちながら冒険者は思い、願う。
‥‥あの一途で孤独な魂が、新たなる友を見つけてくれることを。幸せな時を再び掴んでくれることを。
心から‥‥祈る思いで願っていた。
暫く後、酒場などで歌われ、語られるようになった物語がある。
それは、ある冒険者が語り伝えた新たなる物語。
失われた友の形見と家を守り、敵を討った犬の伝説。
もっとも身近で愛すべき犬の心温まり、勇気を与えてくれる物語は決して派手にではなかったが、キャメロットの人々の間に長く、長く語り継がれたという。