●リプレイ本文
○無くしたブローチ
本当に彼は冷静さを無くしていた。
「ご主人様からは完成はまだなのか、との矢のような催促が続いているんです! これ以上引き伸ばすと今度は何の罪も無い細工師に迷惑が‥‥」
泣き出しそうな顔で、ギルドに日参する依頼人バクスター。
だから彼は考えもしなかったのだろう?
「えっ? スリに掏られ‥‥た?」
「そういう可能性もある、ということである。まだ、はっきりとは言えないのであるが‥‥」
やってきた冒険者の一人、葉霧幻蔵(ea5683)が話を聞いて出した結論に目を瞬かせた。
「先ほど、少年とぶつかったとおっしゃいましたよね。下町では少年に限らずそのようなことを生業とする方は少なくないと聞きますので調べてみる価値はあると思います」
「そんな‥‥」
冷静に告げる黒宍蝶鹿(eb7784)の言葉に項垂れた依頼人。本当に思いもつかなかったのだろう。
彼も割と世間知らずなのかもしれない。
「でも、それはある意味運のいい事かも知れませんよ。金が目的のプロということはブローチが損なわれる可能性は減りますからね。売りに出されたりすれば見つけやすくもありますし」
肩を竦めながらマリエッタ・ミモザ(ec1110)もギルドに入ってきて笑う。
「でも、それは裏に流れたら見つかりにくいということでも‥‥」
「だあいじょうぶっ! ボク達が何としても見つけてあげるから! 誕生日プレゼントが無くなっちゃうって言うのはすんごく悲しいもんねっ!」
胸を叩いたアネカ・グラムランド(ec3769)と頷く冒険者達。
依頼人は縋る目つきで
「お願いします!」
頭を下げたのだった。
依頼人が帰っていったのを確認してから幻蔵はマリエッタに問う。
「で、どうだったのでござるか?」
と。
冒険者達が中で依頼人から話を聞く間、マリエッタは外やギルドの人々に聞き込みをしていた筈なのだ。
「ごめんなさいね。魔法の方は空振りだったんだけど‥‥」
彼女が使おうとしたステインエアーワードの呪文はあくまで空気を淀ませた原因を知らせるもの。
財布を置いた犯人がいるかどうかを知ることはできなかったのだが、別の方からの調査では収穫があった。
「なんだかね、男の子がその辺でうろついているのを見た、っていう人がいたの。そしてその子が懐から出した財布を投げて行ったようだった、って‥‥」
普通、どんなものであれ財布を投げるという行為をする者はめったにいない。
だから、なんとなく記憶に残ったのだ、と言うのが目撃者の弁である。
「銀色の髪の男の子。年は10歳前後、良くて12〜3歳に見えたって言っていたわ」
「でも、まだ、その子が財布をどうこうした、って決まった訳じゃないんだよね」
少年とぶつかったという話を聞いて、スリが財布を掏り取ったのでは、と最初に考えたのは蝶鹿と幻蔵の二人であった。
そして財布を子供が投げた、という話‥‥。
「スリで身を立てている子がいるのかなあ。生きる為には仕方ないのかもしれないけど‥‥でも‥‥」
できるなら子供がそのような事をして欲しくないと、目を伏せたアネカに
「無論、これはただの可能性でござる。まだ子供が掏ったと決まったわけではないでござるよ」
幻蔵は笑いかけた。
「そうだよね! よーし、まずは依頼人さんが歩いた道をもう一度歩きなおして、それから聞き込みだね。どこかに落ちてたのを見つけた人とかいないか、落とした財布を見つけた人をしらないか‥‥」
「ダウジングペンデュラムも、この裏町あたりを指していますからこの辺を重点的に捜した方がいいかもしれませんね」
地図の上で振っていたペンデュラムを握りなおしてワケギ・ハルハラ(ea9957)は告げる。この辺に何かが、ある、と下町の当たりを指して。
「この辺なら裏町に詳しい知り合いもいるのでござる。会ってみてはどうでござるか?」
「換金商とか両替商とかにあたってみるのもいいかも‥‥」
調査に向けて情報交換と相談を始める仲間達。
それを蝶鹿はほんの一歩だけ下がって見つめていた。
ある、口に出せない思いを抱いて‥‥。
○少年との再会
アネカは目の前の少年を瞬きしながら見つめた。
「フィルス?」
「そうだよ。でも、あいつは僕らの仲間でもあるんだ。頼むから官憲に売るような事はしないでくれよ」
レンと言う名の少年が真剣な顔で冒険者を見つめ告げる
だが、アネカの耳に彼の言葉ははっきりとは聞こえてはいなかった。
頭の中を過ぎる思いを彼女は慌てて振り消していたから。
「まさか‥‥あの子がね」
と。
冒険者は依頼人バクスターが通った経路を確かめながら、聞き込みを続けていた。
まずマリエッタがいろいろな方面の商人のルートから紫水晶のブローチが売りに出ていないかを調査する。
結果、現時点では少なくとも普通に調べてわかる範囲では宝石は売りに出されていないことが判明した。
「今回の品は特注品だそうですから、高く売れるとしても必ず足がつきますからほとぼりが醒めるまで盗んだ本人が抱えていることは十分考えられます」
商人であるマリエッタは経験と知識に基づいてそう考察する。
できるならスリを職とする者達の情報も得られればと思ったが、流石にそこまでは不可能だった。
だが、思いもかけず得られた情報があった。
「珍しい紫水晶のブローチをマント留めにしているストリートチルドレンがいる」
というものだ。
露天の商人など、何人もが目撃している。子供には不似合いな持ち物だから気になったのだという。
「子供とぶつかったと言う事も考えるとやはり‥‥」
ブローチを掏り取ったのはストリートチルドレンの一人で、今もそれを持っているのかもしれない。
その夜、それぞれに聞き込みをしてきた情報を纏めた上で、マリエッタがそう推理を話すと
「ストリートチルドレンでござるか。ならば、彼が知っているかもしれないでござるな。だが‥‥知り合いだったとして‥‥うむ‥‥」
突然幻蔵は腕組みをして考え込んでしまったのだった。
「どうしたんです?」
蝶鹿の問いに幻蔵は腕組みを解いて答える。
「いや、以前少し言ったとおり、裏町に詳しい人物に心当たりがあるのである」
聞けばその人物も元ストリートの子供だったとのこと。仲間の情報を聞ける可能性はかなりある。
「ならば、何故直ぐに行かないのですか?」
「もし、仮に知り合いだった場合、スリという犯罪行為をしている仲間の事を素直に彼が話してくれるかと思ったのである。結果的に仲間を売ることに繋がりかねないであるからして‥‥」
「でも、もう時間はあんまりないよ。誕生日はあさってだもの。とりあえず、明日の朝一番に行ってみない?」
幻蔵の心配も当然だが、今はそんな事は言っていられない。
アネカの言葉に頷いて冒険者達は、幻蔵の知るストリートチルドレンに合う事にしたのだった。
その少年、レンから情報を聞けたとしてもまずは内密に処理できるようにすると、約束して‥‥。
そして翌日、冒険者の来訪理由を聞いたレンは、絶対に彼の事を通報しない、という条件付で紫水晶のブローチを持つ少年スリの事を話してくれた。
彼の『事情』も、彼の『家』も。
「ここは‥‥」
レンに教えられた場所にやってきたアネカは顔を上げて目の前の建物を見た。
かなり古い家。人の住んでいる気配さえ殆ど感じられないこの家に来るのは初めてだったが、場所そのものには覚えがあった。
かつてある少女が住んでいた家のから歩いて直ぐの裏手。
『あの時』はここまで来る事はしなかったのだが、表通りと裏通り、道を一本隔てただけでまさかここまで寂れていようとは思いもしなかった。
「あの時は、彼、家に戻らなかったものね。そうか‥‥やっぱりそうなんだ‥‥」
「?」
信じたくはなかったのに。
ぎゅっ、と固く唇を噛み締めたアネカを横目で見ながら蝶鹿は、トントントンとノックをした。
この程度の扉など、本気で破ろうと思えば多分破れるだろうが、まだそこまではしない。
何度も、何度も返事がするまで叩く。人の気配は確かにするから。
やがて‥‥
「誰だよ‥‥一体?」
目を擦りながら少年が出てきた。銀の髪の少年。
レンは言っていた。
『あいつは朝に弱いから、早く行った方がいい』
『身軽だし、足も早いから逃げ出したら多分、簡単には捕まえられないぜ』
だから、悪いが先手必勝。油断を‥‥狙う!
「フィルス君ですね。紫水晶のブローチの事で聞きたい事が‥‥」
BANN!
ワケギの言葉は鼻先で鳴った音に遮られた。
扉がいきなり目の前で閉じられたのだ。
思いがけない返事、だがこれは彼にやましい何かがある証拠‥‥。
「待って下さい!」
手を伸ばすワケギの横を幻蔵が駆け抜ける。
「任せるでござる!」
まだ逃げられたわけではない。
冒険者達は即座に家の周囲に回った。
表の扉の前にワケギ。左右の窓辺にマリエッタと蝶鹿、そして‥‥裏口の扉が開いた。
「ちっ! どっからバレたんだ? でも、俺が本気で逃げれば‥‥」
マントを引っつかみ、呟きながら駆け出した少年は、何かがぶつかるような軽い音と
「わあっ! 化け物!」
突然表れた着ぐるみのトナカイに動きを止められた。
だが、本当の意味で彼の足と心を止めたのは‥‥
「本当に‥‥? どうしてキミが?」
「姉ちゃん‥‥は‥‥」
涙を目にいっぱい浮かべたアネカだったのだ。
「俺は、別に悪い事はしてないぜ。ただ、自由に生きてるだけだ。誰にも迷惑もかけてないしさ‥‥」
以前、少女へプレゼントを用意する為に冒険者に護衛と援護を依頼をしてきた少年フィルスを知っているものが見たら驚くだろう。
口調も、顔つきも、衣服さえもだいぶ違っている。
どこから見ても汚れた下町の子。
「それが、君の本当の姿なの?」
自分をまっすぐに見つめるアネカ。その『目』に少し、戸惑いながらもそうだ、と彼は、フィルスは頷いた
指先のワザで身を養う少年スリ。それがこの少年、フィルスの正体だったのだ。
逃げ道は蝶鹿が封じてくれている。
溜息をつきながらワケギは少年を正面から見据え告げた。
「単刀直入に言いましょう。僕達はある人物から依頼を受けてやってきました。君が盗んだ紫水晶のブローチを返して下さい」
とっさに冒険者達は少年の顔が青ざめるのを見て取る。だが、彼はそれを懸命に隠して
「な、何の事かな? 俺、知らないよ」
とうそぶいた。
「とぼけても無駄です。君が一週間ほど前、ある人物から財布を掏り取った事、その財布から大事に包まれていた紫水晶のブローチを抜き取ったであろう事は調べがついています」
「貴方がそのブローチを持っていること、マント留めの代わりに服に着けていた事も調査済みです。目撃者も発見されました」
さりげなく伸びた少年の手よりも早くマントが掴まれ空に浮かぶ。
「待てよ、放せってば!」
少年の言葉を無視して幻蔵が持ち上げたマントには、薄紫の光が弾けていた。
「少女の肖像が掘られた紫水晶のブローチ。これでござるな‥‥。もう言い逃れはできないでござるぞ」
強くフィルスを睨む幻蔵から顔を背け、彼は反論を試みる。
「な、何だよ。これは、俺のだ。俺が自分のワザで手に入れたものなんだから‥‥別に‥‥」
だが、それは、
パシーン!
肌を撃つ乾いた音に遮られた。
「アネカ様!」
マリエッタは慌てて二発目の為に上げられた手を押さえ、止めた。
「な、何だよ! 急に。いくら姉ちゃんだって‥‥」
ジンジンと痛む頬。少年は声を荒げるが、それ以上を言う事はできなかった。
「どうして? どうしてそんな事を言えるの? ミリーちゃんの気持ち‥‥解らないの?」
なぜなら、アネカは泣いていた。瞳から大粒の雫がいくつもいくつも、流れ落ちている。
「ミリーの‥‥気持ち?」
「そうだよ! ミリーちゃんは君を嫌いだった訳じゃない! ただ、君が人の嫌がる事をするからそれが嫌だっただけなんだから! それを解ってくれたと思っていたのに、君はまだ人が嫌がる事をしている!」
「嫌がる事って何だよ。生活に困ってる人から盗った覚えは無いや! ただ財布が重そうな人から‥‥少しだけ‥‥」
「詭弁、ですわね。いくら言葉で正当化しようとしても、それが正しい事ではないと自分自身が一番良く解っているでしょう?」
涙ぐむアネカをマリエッタは支えるように肩を抱きしめる。
目線はきつくフィルスの上に。
「僕も、同感です。それに君は今回、金ではないものを盗んだ。それが、ひょっとしたら依頼人にとって命より大事なものかもしれないとは思わないのですか?」
「それは‥‥」
言いよどむフィルスにワケギはさらに強い口調で続ける。
「現に君が盗んだ宝石、その宝石を失った事で一人の人が明日にも職を失うかもしれない。そうなれば、彼の家族は路頭に迷うことになる。フィルス君、君はそれでも、悪い事をしていないと言い切れますか?」
「‥‥‥‥」
答えは返らない。反論の言葉をフィルスは見つけられずにいた。
「それに、フィルス君がしていることを好きな女の子に堂々と言えますか?」
「好きな‥‥女の子?」
下を向いていたフィルスの顔が上がる。
「奪う事で生きて行くなら、自分も奪われる事を覚悟すべき。人を頼るのが嫌なら、人に好かれる事も好きになる事も諦めなさい」
「ミリーちゃんは君がそんなことをしてる、って言ったらきっと悲しむよ」
ミリー、その名がフィルスの感情を爆発させた。
きっと彼が誰よりも自分の正体を知られたくない相手の名。けれども
「だったら! 他にどうすればいいって言うんだよ! 父ちゃんも、母ちゃんもいない。俺を置いていなくなった。仕事なんて大人だってあんまりないこの下町で、何にも持たない俺達が奪う以外に何をやれば生きていけるんだよ!」
やり場のない思いがフィルスから言葉と一緒に吐き出された。
冒険者達は思い出す。レンが語ってくれた彼の『過去』を。
『あいつはさ、昔は家族がちゃんといたんだぜ。両親と、妹も。親父さんは下町のスリだったけど、母親はいいとこのお嬢さんだったんだって。でも、あいつが5歳くらいの時に妹と母親が一緒にいなくなった。親父さんは二人を探す為に出歩くようになって、ここ数年は帰って来ない。あいつは、家族と一緒に暮らした家で家族が帰ってくるのを待ってるんだ‥‥』
家族が帰ってくるのを信じて、友達の誘いも断り家を守っている少年。
僅かな財産や家を狙い擦り寄ってくる者達から、彼にとっての大切な物を守る為に、誰も頼れなかったのかもしれない。
それでも‥‥、アネカは少年の肩を強く掴んだ。手の中の、いや心の中の熱が伝わるほどに、強く。
「それでも! 人の者を奪って生きるなんて、誰かを悲しませながら生きるなんて、そんなの間違ってる!
自分は悲しみをこらえて、人に幸せを与える、これが生きるって言う事だよ!!」
「俺が、間違っているって‥‥言うんだ‥‥」
呟くフィルスに今まで黙って話を聞いていた蝶鹿が静かに声をかける。
「人は誰だって気付かないうちに間違ってしまう事だってあります。後戻りが出来る今だからこそ、よく考えてみてくれませんか?」
「‥‥‥‥」
唇を噛み締めフィルスは顔を上げた。
アネカの、そして冒険者達の視線が、思いが彼を包む。
まだ、答えは出せないのかもしれない。けれど‥‥。
前とは確かに違う顔の少年に、ワケギはもう一度問う。
「君が盗んだブローチを返して下さい。あの宝石を失って困る人がいます。悲しむ人がいます。それは、本意ではないでしょう?」
少年は長い沈黙の後‥‥
「解った」
そう、はっきりと答えたのだった。
○誕生日パーティと贈り物
そして、最終日、貴族の館。
その大広間からは楽しげな笑い声が絶えず聞こえていた。
「さあさあ、よってらっしゃいみてらっしゃい! 次は遠い異国より伝え来る不思議な不思議な手妻でござる!」
会場の中央で、大きなとなかいの着ぐるみを着たままとは思えない身軽さで見得を切った幻蔵は
「何をしてるんでござるか? そこのネズミー!」
演技さえも忘れて瞬きする同じようにネズミ着ぐるみの少年に
「ちゃんと準備を手伝うのでござる。さもないと大ガマをけしかけるでござるよ〜」
こら! というように腰に手を当てた注意を促す。
「は、はい! ただ今! るどるふ様」
ピョンと飛び跳ねてから走り出した少年と忍者の演技を今日の主役であるところの少女だけではなく、その家族や使用人、そして冒険者も楽しそうな笑顔で見つめていた。
「即興とは思えないできね」
「聞けば日銭稼ぎに芸人の真似事とかもしていたそうですよ。彼は」
「幻蔵さんもノリノリですね。悪乗りしすぎなければいいんですが」
「それは、言わないお約束!」
「そうそう、言ってしまうと本当になります」
「「「‥‥‥‥」」」
何気にさりげなく、鋭いツッコミを入れるワケギに冒険者達はただ、苦笑いをする。
彼らがここにいるのは冒険者として少女の誕生日を祝う為だ。
「今日はアデーレの為にお集まりくださいましてありがとうございます。どうぞ存分にお楽しみ下さい」
豪快に笑った初老の男性の下で、今日の主役であるところのアデーレ嬢が静かに、優雅にお辞儀をしていた。
昨夜の夜の事だ。
『男爵様お初にお目にかかります。‥‥実は‥‥』
ブローチを取り戻した後、ワケギは渋るバクスターを促して仲間達と共にバクスターの主、ハーキュリー男爵に事情を説明しに行ったのだ。
「隠し事は秘密にしておくから危険なのです。ちゃんと正直に話しておいた方が後々の為に絶対良いと思います」
無論、ブローチを少年に掏られた、ということまでは話さない。
持って帰る途中うっかり落としてしまった。捜すのを冒険者が手伝ってくれ少年が拾って届けてくれた、という設定である。
「この一週間、彼は仕事の傍ら本当に必死になっていました。ブローチもこうして無事見つかった事ですし許してあげては頂けないでしょうか?」
騎士や魔術師など名の知れた者達の心からの説得に、憮然とした顔だった男爵も頬に笑みを浮かべ始める。そして
「どうぞお願いします」
真摯に頭を下げるアネカに男爵は
「よいよい。気にするな。本当ならもう少し早くに言って欲しかったところだがこうしてブローチも戻ったことだ。全ては不問に処そう」
手を振ってそう言ってくれたのだった。
「ホント! おじいちゃんありがとう!」
思わず嬉しさに飛びついてしまったアネカに男爵は照れたように頭をかく。そして‥‥冒険者、特に幻蔵に目線を送った。
「あー、お主、ひょっとして『みすたーまるごと』かな?」
「はい?」
突然、滅多に呼ばれる事のない称号に幻蔵は彼にしては珍しく瞬きをして驚いた顔を見せた。
まあ、貴族の館にまるごとるどるふ着用で来ているあたりでただものではないのは解るのだが。
「知り合いの男爵から噂は聞いておる。ふむ、それならば一つ、孫娘の為に余興でもしてはくれぬか? ブローチを見つけてくれた礼をかねて貴殿らをパーティに招待しよう」
「えっ?」
再び瞬き。
できるならパーティに参加『させてやりたい』と思っていたが貴族の家のパーティ。
部外者が入れるかと心配していたのに、まさか向こうから誘ってくれるとは‥‥。
「え〜っと‥‥一人ばかり助手を連れてきてもいいでござろうか。ブローチを拾ってくれた少年なのでござるが‥‥」
「無論、かまわん。孫娘もいつも屋敷の中で一人でいるのも寂しかろうからな。友達ができるなら良い事じゃ。では頼んだぞ」
珍しく戸惑い顔の幻蔵に、かかと笑った男爵はウインクした。
かくして冒険者達はサプライズイベントのプレゼンターとして正式にパーティに参加することとなったのだった。
「ひょっとしたら、あの方は事情を解っていたのかもしれませんね。あ、このブラゴット。美味しい。お土産に貰えるでしょうか?」
昨夜の事を思い出しながら、マリエッタは小さく微笑する。
「聞けば農場と牧場を経営するなかなかやり手の方だそうです。本当に最初から事情をちゃんと説明した方が良かったかもしれません」
ワケギは静かに微笑んで場の中央を見た。
今、丁度『サプライズイベント』が始まるところだ。
「本日誕生日を迎えられたアデーレ嬢に、男爵からの贈り物をお届けするでござる。ジャーン!!」
幻蔵がもったいぶったように『何か』を掲げ、ササッとそれを包んでいた布を外した。
中から出てきたのは‥‥金の指輪である。簡素で美しくはあるのだが、少女の誕生日プレゼントとしては地味だ。
アデーレ嬢も首を傾げている。
「おっと、これは失礼。間違えたでござる。拙者もまだまだ未熟でござるなあ。では、そこのネズミー、ではなく少年、ささこちらへ」
「あ‥‥俺?」
人々の視線の中央にまるごとネズミーを来たフィルスが連れ出される。
「この少年、実は魔法使いでござる。この指輪にこれから不思議な魔法をかけるでござるよ。さ、フィルス殿‥‥練習したとおりに‥‥」
「うん、‥‥えっと、お嬢さん。こ、この指輪に布をかけるからおまじないを、かけてごらん」
「おまじない? なんて?」
緊張からか、どこか棒読みのようにセリフを告げるフィルスにアデーレは問いかけた。
「‥‥え〜っと、ポルティス、ボクティス。光よ、満ちよ‥‥って」
「ポルティス、ポクティス。光よ、満ちよ! ‥‥わあっ!」
呪文の完成と同時に、引き上げられた布の下、フィルスの手の上には美しい紫水晶のブローチがあった。
「凄い!」「お見事!」「ステキなプレゼントね」
拍手と歓声が湧き上がる。満場の喝采の中で照れるフィルスの肘をつんつん、幻蔵は突き囁いた。
「ブローチをフィルス殿があのまま持っていたら、あの娘の笑顔は見れなかったでござったな」
ブローチをつけて
「ステキなプレゼント、ありがとう」
微笑む少女の笑顔は、花よりも宝石よりも美しく‥‥、遠い記憶の底の大切なものを思い出させるようで‥‥
「うん‥‥」
決して責めるものではないのに、フィルスはその輝きを真っ直ぐ見つめる事ができず、目を伏せるように下を向いてしまっていた。
「これから、フィルス君、どうするつもりなのかなあ〜」
パーティがお開きとなった夕方。
誰に言うとも無くアネカは呟いた。
冒険者達は薄紫に染まった街を冒険者達は歩いている。その中に呟きにはっきりと答える者はいない。答えられる者もいない。
サプライズイベントを終えて暫くの後、気がつけばフィルスはもう会場にはいなかったのだ。
「スリから足を洗う、とは、はっきり口にはしてくれませんでしたからね。彼は‥‥。あの指先の器用さをもっと別のことに使ってくれればいいのに、例えば細工職人とか‥‥」
「親の無い子が綺麗ごとだけで生きて行くのは確かに難しいこと。彼が選んだ道ならそれは仕方ないのかもしれないと私は思いますけれど」
マリエッタと蝶鹿の言葉もどこか思い。手土産の酒よりも彼らの気持ちはまだ重かった。
彼はきっと下町の彼の家に戻ったのだろう。彼の『父親』を待つ為に。
「でも、それは盗みをして良いって事じゃないでしょ! ‥‥解ってくれたと思ったんだけどな‥‥」
『君が心を変えてくれるなら、これをあげる。ミリーちゃんから貰ったクローバー。ボクやお友達の事護ってくれた物だから、きっとこれからフィルスくんを護ってくれるよ』
そう言ってフィルスに渡した筈なのにいつの間にかバックパックに戻っていた四葉のクローバーを見つめアネカが寂しそうに項垂れる。
薄手のドレス、ブラウライネ。俯いた首元に風が吹き込んで
「ハクション!」
アネカは思わずくしゃみをした。その時だ。
「えっ?」
ふわり。彼女の肩に暖かく柔らかい、何かが落ちたのは‥‥。
「ショール? えっ?」
振り返ったアネカと同じ目線。そこには
「こら! 逃げてはいけないでござるよ」
「言いたい事があって戻って来たのでしょう?」
「フィルス‥‥くん?」
幻蔵とワケギに背中を押されて立つフィルスの姿があった。
「それ、母さんのショール。やるよ」
「ボク‥‥に? お母さんの形見なんでしょ? 大事なんじゃ‥‥」
返そうと肩からショールを外して近寄ったアネカ。だがフィルスは逃げるように後ずさって、少し離れたところで
「あの宝石の女の子、少し母さんに似てたような気がしたんだ‥‥。だから持ってたかったんだけど、でも、もういいんだ!」
微笑んで言った。
「俺は、人を悲しませる事はもうしない! それだけは約束する! 母さんと、ミリーと、姉ちゃんに賭けて」
「フィルス君‥‥」
フィルスはそれだけ言うと走り去ってしまった。裏町を知り尽くした子供。
夕闇に紛れあっという間にもう姿は見えない。
二月の夜風は容赦なく、冒険者達に吹き付ける。けれど‥‥。
「良かったですね。アネカ様」
「うん‥‥。本当に良かった。ね、ミリーちゃん」
ショールを抱きしめるアネカ。
冒険者達の心は会場で飲んだブラゴットの酔いが醒めてもまだ、暖かかった。
「ポルティス、ボクティス。光よ、満ちよ‥‥また、お兄ちゃん達遊びに来てくれると良いなあ」
貴族の少女はブローチに手を触れながら呟く。
パーティ会場の片づけをしながら、もうあんな事はこりごりだ、と思っているであろうバクスターの気持ちには気付かずに。
そんな孫娘の様子を微笑んで見つめながら、男爵は真面目な顔で少年の告げた呪文を何度も、何度も口ずさんでいた。
この日の出会いが後に一つの物語の開幕となる。
だがその行方を知るものはまだいない。