●リプレイ本文
○走り出した希望
それは正に時間との競争だった。
「積めるのはここまでか‥‥、よしっ! こっちの準備はできた。そっちはどうだ?」
振り返った空木怜(ec1783)に
「もちろん! なのである」
異口同音の返事がいくつも返る。
「救援物資は持てるだけ持ったのでござる!」
流石にふざけている暇は無いと解っている。
いつもは陽気な葉霧幻蔵(ea5683)も外見以外は真面目だ。
だから誰も咎めはしない。円卓の騎士パーシ・ヴァルでさえも。
「これは、頼まれていたものだ」
「はい。お預かりします」
たった一枚の羊皮紙。
だがその重みを十分に感じながらリースフィア・エルスリード(eb2745)は荷物の中にしまった。
これから冒険者達はメルドンに赴く。
強大な津波が起きたというメルドンへ。
「地震もないのに津波なんて何が起こっているのでしょう」
ヒルケイプ・リーツ(ec1007)はブローチを握り締める。かつて海で手に入れた宝物は、けれども何も答えてはくれなかった。
北海の悪夢が繰り返されている。冒険者の心情も穏やかではありえなかった。
救出に向かう冒険者達の準備の様子を見ていた円卓の騎士の背中に
「パーシ様」
声がかかる。
振り返るパーシの視線の先には緊張の面持ちで身を固くしながらも頭を下げるリース・フォード(ec4979)がいた。
「お初にお目にかかります。リース・フォードと申します。私のような駆け出しの者が行って何が出来るわけでもありませんが、少しでも、お力になれればと志願させて頂きました。足手まといにだけはならぬよう充分注意を‥‥」
「そんな遠慮は捨てろ」
「はっ?」
瞬きするリースにパーシは答えた。
「確かに集まった人数の中で、お前はまだ経験が足りない部類に入るだろう。だが、それに甘えていては何もできない。向こうで救助を待つ者には等しい救い主なのだという自覚を常に持って事に望むんだ」
厳しいがリースの目を見てはっき告げられた言葉に
「はいっ!」
リースは背筋を伸ばし礼を取る。揺ぎ無く、真っ直ぐに大地を踏みしめて。
それを満足そうに見つめてからパーシは真剣な顔で、冒険者達の方に顔を向ける。
「状況が解らない中、むやみな大人数を派遣しても現地での活動の邪魔になるだけだろう。俺は途中で足止めを受けている救助隊からの連絡を待ちつつ、陸路の回復と救援物資の手配を行う。現地での指揮は任せたぞ」
「解りました。私達は空路からとにかく全力でメルドンに向かい、一人でも多くの人を救出できるように致します」
敬愛する円卓の騎士にシルヴィア・クロスロード(eb3671)は誓うように膝を折った。
「私とエスナは地上から足止めを喰らっている騎士の皆さんと合流してメルドンに向かいます」
「できる限り、急いで行きますから‥‥、皆さん、お願いします」
微か震えるにエスナ・ウォルター(eb0752)の手。
その手を静かに、そっと握るケイン・クロード(eb0062)の手のぬくもりを確かめてエスナも微笑んで頭を下げた。
「絶っ太と閃華、よろしくな。いい子にしてるんだぞ。‥‥待っているからな」
愛狼と妖精を撫でながら二人に託る閃我絶狼(ea3991)に
「待ってて! 待ってて!」
妖精はくるくると回りながら答えた。エスナの肩にスッと降りて。ヒルケイプの犬も一緒に預っているから部隊は正味三つに分かれる事になる。
ペガサスやグリフォンで空を駆るチーム、フライングブルームや魔法の道具で先行するグループ。
そして徒歩で動物達と共に、足止めを喰らっているイギリス騎士達と合流して目的地を目指すメンバー。
「ペガサスやグリフォンを使う組は直線距離で先行する。フライングブルームや木臼を使う組は上流の側から回り込むようにして向かうべきだろう。川を渡る事はできないからな」
「それでも徒歩組よりは早いと思います、我々が迂回路を捜す事で、足止めされている皆さんも先に進めるかもしれませんからね。一刻も早く向かわないと」
ヒースクリフ・ムーア(ea0286)の提案にクローディア・ラシーロ(ec0502)も頷く。だが‥‥
「時間が経ちすぎているのが問題ですねぇ、生存者の発見に希望は持たない方が良さそうですぅ」
「エリンティアさん!」
シルヴィアは声を上げた。
いつもと変わらぬ口調で冷静に真実を告げるエリンティア・フューゲル(ea3868)。
その言葉がきっと正しいと、誰もが知っている。
「それでも‥‥」
凛とした声が冒険者の間に響き渡る。強さと意思の篭った声。
「それでも、救いを求める人間がそこにいる以上捨て置く事はできない! 急げ! 冒険者。一人でも多くの血、一人でも多くの涙を止めるために!」
冒険者は動き出す。
「はい!!」
もうこれ以上の言葉はいらない。迷い、考えている時間さえ惜しい。
円卓の騎士の言葉は、冒険者達の、そしてイギリスに住む全ての者達の思い。
空に、大地に、希望が走り出した。
○悲しい涙
メルドンはロッチフォード東端に位置する港町である。
主に漁猟で支えられている素朴で小さな町で、海に生きる性質のせいだろうか。大らかな人々が多かった。
賑やかで、活気のある町。
海を愛し、海と共に生きてきた人々の住まうこの町を知っている者達は、特にその惨状に驚いた。
「‥‥なんと‥‥いう事でしょう」
リースフィアが、それだけ言うのが精一杯。冒険者の誰もが息を呑まずにはいられなかった。
上空からだとよりはっきりと解る津波の被害が解る。
港町と呼ばれるメルドンの心臓部とも言える港は、ほぼ壊滅に近い状態にあった。
船を繋いでいたであろう桟橋は、船ごと跡形も無く無くなっており荷揚げや漁師の獲物の選別に使っていた倉庫も今は瓦礫の山。
海岸沿いの家のいくつは跡形さえも無い。
波はこんなところまで、と思う箇所まで来ていて家々の破壊は海岸線からかなり奥まで続いている。それはほぼ町の半分。
人知を超える津波の恐ろしさに冒険者達の多くは言葉さえ出なかった。
呆然と空を舞う冒険者達を正気づかせたのは海に、ただ一隻浮かぶ、小さな帆船。
そして壊れた港からの渾身の呼び声。
「おーい! 早く降りて来い! 早くだ!」
手を振り、冒険者に呼びかける太い声。
その声は大きくないが、はっきりと冒険者達の耳に届く。
「いけない! 急ぎましょう!」
リースフィアは仲間達を促し、仲間達もそれぞれの駆る獣達も後に続いて彼らはメルドンの、元港に降り立った。
「やはり、こちらで救出作業に当たっていた船長というのは貴方だったんですね。オレルド船長。お久しぶりです」
頭を下げるリースフィアに、挨拶は後だ。とオレルド船長と呼ばれた男性は駆け寄った。
「待っていたぞ! だが、これだけか?」
きょろきょろと船長は誰かを捜すように首を振る。
「とりあえず、私達は先発部隊です。二日のうちには残りの人数や、イギリスからの正式な救助隊もやってくると思います」
「そうか‥‥」
「?」
リースは、ふと船長が浮かべた表情が気になった。
誰かが来るのを期待していたような、あの顔は一体‥‥。
だがそれを問いかけている暇は、無かった。船長の顔も直ぐに普通の真剣なものに変わる。
「少しでも助け手が来てくれた事は望ましい。早速、力を貸して貰えるか?」
「勿論だ。案内してくれ。俺は少し医学の心得がある」
「それは助かる。怪我人の治療も本当に最低限しかできていない状況なんだ」
腕まくりをする怜を先行し、案内する船長。
その背中を見送るリースをリースフィアは
「考えるのは後です。今は、とにかく目の前の状況の改善に全力を尽くしましょう」
と促す。‥‥自らも感じた不安を置いて。
救助隊の第二陣が到着したのは第一陣が到着して一日後の事だ。
最後のケインとエスナが、イギリスの騎士達とメルドンにたどり着いたのはさらにその一日後。
「遅くなって、ごめんなさい‥‥。川を渡るのと荷物を運ぶのに、時間が、かかって‥‥」
「まだ、できる事はあるかな? 何でもさせて貰うよ」
彼ら二人はある意味、一番ここまでやってくるのに苦労した冒険者であると言えた。
橋を渡れず立ち往生していた騎士達を魔法や、大凧で渡河させる。
怯えを見せる動物達まで、誰一人欠ける事無くここまで運ぶのに成功したのは正直、並大抵の苦労では無かった。
だが、そんな事はおくびにさえ出さず二人は、到着後直ぐにここにやってきた。
町の奥、一番被害の少なかった教会は、今、家を亡くした人々の避難所であり、怪我や病気をした人々の手当てをする場でもあった。そして冒険者の活動の拠点でもある。
彼ら二人を出迎えた怜は目を擦りながら、二人を迎える。
「ああ‥‥まだまだあるさ。やらなきゃならない事は山ほど‥‥あるから」
「どうしたんだい?」
怜は笑顔を作ったがケインは見逃さなかった。彼の赤い目を。
「ハハハ‥‥。医者ってけっこう無力だよな‥‥」
怜は崩れ落ちるようにケインに、寄りかかった。
ケインはエスナに目配せして怜を物陰に隠す。
怜の目には、患者達の前では見せなかった、涙が光っていた。
「どうして‥‥もっと早く来てくれなかったの!」
少女はそう言ってヒースクリフの足を叩いたと言う。
冒険者達は到着して直ぐ、それこそ誰一人休む間もなく救助活動を開始する。
リースフィアは運ばれてきた救援物資の分配や、現状の把握。被災者の確認を始めとする全体の指揮にあたり、怜はその知識と技術から教会の司祭達と共に怪我人の治療にあたっていた。
そしてヒースクリフと絶狼、そしてリースは波に完全に破壊された家から瓦礫の下敷きになった人の捜索、救助に動いていたのだ。
「王国の騎士団がこちらに向かっています。到着するまでの辛抱ですから!」
ヒルケイプはそう町の人々を励ましながら、リースと共に壊れた家の一軒一軒を魔法で確認していった。
「酷い‥‥。家の上半分が完全に持っていかれてるわ」
津波というのは普通の波とは桁違いの破壊力を持っている。
立ち上がった数mの波は、外見は大したことが無く見えても押し寄せる水の破壊力は半端ではない。木造の家は勿論、石造りの家もさえ打ち砕く力を持っていた。
今回の津波が起きたのは深夜であった事もあり、被害にあった人々の多くは何も解らないまま、ある人は海に引き込まれ、ある人は家の瓦礫の下敷きになっていた。
冒険者が町にたどり着いたのは津波発生から一週間後。
その間、町の人々も懸命の努力は続けていたが怪我人の手当てどころか、食べる物の確保でさえままならない状態で、人々は自分の生活が精一杯。
他人の事まで手が回らない、というのが現実で救出活動は遅々として進んではいなかった。
冒険者の到着でやっとライフラインが確保され治療と保存食の提供により人々も怪我の痛み、空腹の苦しさから徐々にではあるが開放され、その時始めて他人の事を気にする余裕が生まれたのだ。
そして、閉じ込められた人々の捜索、救出が始まった。
海沿いの家から順番に一軒一軒に声をかけ、魔法で確かめる。
家族に聞き取りをし、閉じ込められている人、行方不明の人々を捜していったのだ。
「この家! 本当に微かだが呼吸音がする!」
リースの声に冒険者達が集まる。
「大丈夫、助かるぞ。だからもう少し頑張れ!」
ヒースクリフは中にいるであろう人物に必死に声をかけるがまた別の家から呼び声がする。
「おかあさん、おうちの中にいるの! 助けてあげて。お願い!」
少女の切実な願いの通り、今にも崩れ落ちそうな屋根と柱の隙間に人の姿が見えた。
「私達だけでは手が足りない。君達も手伝ってくれ!」
怪我が無くて済んだ若者、治療の終わった男達は多くがヒースクリフの指示に従って絶狼達と共に瓦礫の撤去に協力してくれる。
「こっちを頼む!」
絶狼の指揮の元、捜査を続けていた青年達の間で声が上がる。
「顔が見えたぞ!」
「大変だ! 足が埋まって動かせない! くそっ! まだ呼吸があるのに!」
手が出せない。そんな悔しそうな顔つきの青年たちの間を抜け、絶狼は身長程もあるハンマーを抱えながら瓦礫を睨みつけた。
「一応ハンマーを持ってきたけど、上手くいくかな? まあ、迷ってる暇は無いな。いいか? 皆。俺が足の上の瓦礫を砕く。そしたらその瞬間に身体を引っ張って救助するんだ!」
言葉と同時、構えられたハンマーに青年達は数歩下がる。
「1・2・3!!」
ゴウン!
大きな音と共に足の上の瓦礫が砕かれた。
と同時、頭上の柱や梁が揺れて‥‥
「落ちるぞ! 早く逃げるんだ!」
青年達は取り残された人物を助け出し、慌てて走った。絶狼の脱出とほぼ同時に家は完全倒壊する。
だが
「まだ生きてる‥‥。大至急教会へ! しっかりしろよ! あんたはまだ生きてるんだからな!」
運ばれていく男性を見送る人々に、歓声が上がった。生存者が救出できた。
その思いは冒険者のみならず共に働く青年達の心さえ沸き立たせる。
けれど、それは本当に奇跡的な事だったのだ。
その後、倒壊した家々から見つかるのは遺体ばかり。
「おかあさん! おかあさん!!」
変わり果てた母に少女は泣いて縋りつく。身体は木の間に挟まれ、頭にも大きな傷がある。
おそらく、遺体の様子から津波による家屋倒壊後、間もなく亡くなったのだろうと、冒険者には推測できた。
けれども、そんな事は口に出せない。
「どうして! どうしてもっと早く来てくれなかったの!」
泣き叫ぶ少女に声をかけられる者は誰もいなかった。
「せめて‥‥生きていてさえくれれば、何とかできるのに‥‥死んでしまったら‥‥もう‥‥」
悔しそうに怜は頭を下に向ける。
言葉をかけられないケイン。
だが、エスナはそんな怜の横を通り過ぎ教会へと向かう。
「エスナ?」
「まだ、悲しんでる時間は‥‥無いんです。泣いてる‥‥時間も。仕事‥‥しましょう。怜さん。‥‥ケイン」
「?」
怜は顔を上げた。後姿のエスナ。彼女が何かを呟いているのが聞こえる。繰り返し、繰り返し。
「‥‥怖くない‥‥悲しくない‥‥私も、助けるんだから‥‥。その為に、手当てを覚えたんだから‥‥絶対、助けるんだから」
細い背中が懸命に自分に言い聞かせるように繰り返し、繰り返し唱えている言葉、思いに
「そうだな‥‥」
怜は顔を上げ、いつの間にか目元に着いていたものを拭って
「ケイン。炊き出し頼む。暖かいもの、作ってやってくれないか? 皆、腹、空かせているだろうから」
「任せておいて下さい。鍋、お借りできますか?」
「ああ。好きに使ってくれ。エスナは俺の助手を頼めるか?」
「はい」
仲間達と共に、仕事に戻っていった。
○最後の願い
船の上、海図を見ながらエリンティアの言葉に船内からざわめきが走った。
「そろそろ海上捜索は諦めて町の方を手伝った方が良いと思いますぅ、向こうも人手不足なので幾らかでも力になれると思いますぅ」
津波からほぼ二週間が経過する。
到着からずっと空と海から生存者の捜索を続けていたオレルド船長の船でエリンティアとシルヴィアは彼を手伝っていた。
津波の真の恐怖は水が叩きつける衝撃だけではない。水が海へと戻っていく時の引き波の強さこそが最大の恐怖であると言う者もいる。
現に津波で壊された家屋の残骸、船の破片は今も、船の周囲を漂っている。
「確かに‥‥な。この10日間の間、できる限りの捜索、救出は行った。10名以上は助けられたがここ数日は遺体を見つけるのが精一杯だ。生存者はもう海にはいない可能性が高いな‥‥」
「船長!」
船員達は海上捜索の打ち切りに否定的だ。
海では遭難者の救助はどんな行為にも優先される。
海という広い無人の荒野で取り残される事の恐怖を誰もが知っているから、皆が助けたいと願うのだ。
もう無理だと解っていても‥‥。
「それは‥‥確かにそうなんですけど‥‥」
だが海の専門家二人の意見に、シルヴィアも反論するつもりは無い。
ただ‥‥
『どうか‥‥どうか、海に流された息子を捜して下さい。お願いします、お願いします!!』
捜索に入る前、訴えてきた老婆の顔がまだ、彼女の頭から離れていなかった。
『歳を取って、やっとできた息子なんです。たった‥‥一人の‥‥。お願いします‥‥、お願いです!!』
あの、自分を拝むような必死の表情。顔中をくしゃくしゃにしたあの、涙。
「もう少し‥‥、もう少しだけ何とかなりませんか? あのお婆さんの息子さんは船乗りの訓練を受けていらっしゃるそうですから、もしかしたら‥‥」
「でもぉ〜、その日一日でひょっとしたら町で生存している人を助けられるかも知れないんですよぉ〜」
エリンティアは柔らかい口調とは反対に、誰よりも冷静に事態を見ていた。
そして悪役になるのを覚悟でそう告げたのだ。
「解っています。‥‥でも」
握り締められた手がぎゅっと音を立てる。
最後まで希望を捨てたくは無かった。
毎日、弱った身体で海を見つめる老婆の姿を見る度、せめて‥‥と
「せめて遺体だけでも見つけてあげないと‥‥余りにも‥‥悲しすぎます。お願いです。あと少しだけ、捜索を続けさせて貰えませんか?」
「リースフィアさんもぉ〜、ある程度を過ぎたら救助隊は解体すると言っていましたぁ〜。まだ見つからないのはそのお婆さんのお子さんだけではありませんしぃ〜、なにより今、生きている人が大事ですぅ〜」
厳しい事実にシルヴィアの顔は下がる。それを慰めるようにエリンティアは顔を覗き込む。
けれど‥‥。
「では、あと一日だけだ」
「えっ?」「オレルド船長?」
その決断は二人の顔を上げさせた。
エリンティアとシルヴィアの視線の先で腕組みをしたオレルドが、微笑を浮かべている。
「俺達も生きているかもしれない人間を見捨てたくは無い。今日一日だけ海の捜索を行う。明日以降は捜索隊を解体し町の復興作業の部隊と合流する。それでいいな?」
「はい! あ、では準備してきます」
部屋を飛び出していくシルヴィアを見送りながら、
「いいんですかぁ〜?」
エリンティアはオレルドを見た。自分などより海を知り尽くしている彼。
彼には解っている筈だ。
この捜索の先におそらく、彼女の望む結果は無いと。
「かまわんさ。希望を捨てず、未来を夢見るのは若者の特権だ。悲しみ、苦しみが例えあったとしてもそれを乗り越えていける。きっとな‥‥」
「まあ、そうですねえ〜」
10は年下の、だが年長者の言葉を微笑しながら受け止めていた。
ここ数日で湾の周辺は、ほぼ捜索しつくした筈。
上空から地図と記憶を照らし合わせてから、シルヴィアは前を見た。
あの岬の先は外海。
果てしなく広い海に流れてしまってはもう、たった一人の人間など見つけられはしない。
だが
「あの方は最後まで希望を捨てません! きっと!」
馬首を返し、シルヴィアは眼下の船に合図をし後に続いた。
今まで捜索しなかった場所を重点的に探す。これが最後の捜索だと思うと気合も入る。
意識を集中して潮流が流れつくと予想される地帯を捜索し、目を凝らして鏡のような海面を見つめる。
「あれ?」
ふと、シルヴィアは目を擦った。
外海と湾の丁度、狭間で波間に木の葉のように漂うあれは‥‥。
「エリンティアさん!」
叫び声をあげたシルヴィアと同時、船の上ではエリンティアがシルヴィアに向けてなにやらぐるぐると手を回している。
彼も同じものを見つけたようだ。しかも‥‥
「呼吸音が‥‥ある?」
直後、シルヴィアはペガサスの腹を蹴ると真っ直ぐに船に向かって突進した。
海面近くになった時にはスピードを落とし、天馬が船を壊さないように細心の注意を払うと躊躇い無く船に飛び移った。
小船にはうつぶせの人間がいた。
「う‥‥ん‥‥」
「生きてる? 生きてるんですね。あなたは!」
呼びかけたシルヴィアに気付いたのだろうか?
「た‥‥す‥‥け‥‥」
ボロ雑巾のようになりながらも、彼はシルヴィアに手を伸ばす。
「助けに来ました! もう大丈夫です。 安心して、あと少し意識を保っていて下さい! お願いです! 生きて!」
マントで包み、バックパックの中から取り出した酒を口元に垂らす。
だが、酒は口の端から流れ落ちていく。ポーションも同じだ。
「大丈夫ですかぁ〜、シルヴィアさん〜」
船の上からエリンティアが大きな声で呼ぶ。
「大丈夫です! 生存者を見つけました! 大急ぎで町に戻ります!」
言うが早いかシルヴィアは彼を抱き上げて天馬に跨る。
「辛いでしょうけど、お願いです。急いで!」
羽ばたいた白馬が希望を乗せて飛ぶ。
エリンティアや、オレルドはそれを見送った。祈りを込めて。無事であれ、と。
おそらく、彼は最後の生存者となるであろうから‥‥。
結論を言えば、彼女は間に合わなかった。
ポーションは傷を治す。だが、衰弱や病は治せない。
港に到着後、シルヴィアは何度も声を青年にかけながら周囲の人々に指示を出す。
「しっかりして下さい。帰って来たんですよ! お願いします! 怜さんを早く!」
必死のシルヴィアの、必死の呼びかけ。そして、何かを感じたのだろう
彼は微かに目を開けた。
そこにはシルヴィアと
「ロルカ!」
「‥‥かあ‥‥さ‥‥‥‥ん」
彼を捜し続けた、待ち続けた母親の顔があった。
津波に船ごと運ばれ、舵も無い船で彷徨った間、彼は何度、この顔を夢に見ただろうか。
それは冒険者にも想像さえつかない。
彼は母親に向けて、手を伸ばす。
母親はその手をしっかりと握り直す。
「あいた‥‥か‥‥た。ごめ‥‥ん、あり‥‥がとう‥‥」
「ロルカ! ロルカぁ!!!」
ぱたりと母親の手から握られた手が落ちる。
もう二度とあがる事は無い。彼の命は海へと還って行ったのだから。
「‥‥申し訳ありません。間に合わず‥‥」
シルヴィアは頭を老婆に下げた。どんな罵倒をされても仕方ないと思って‥‥。
けれど彼女にかけられた言葉は一つだけ。
「ありがとうございました。息子を、連れ帰ってくれて‥‥」
涙は止まらず、冷たくなった息子を抱きしめながら、けれど老婆はシルヴィアに、走ってくる冒険者達に心から感謝を込めて、頭を下げていた。
○再生の時
運命の日から約二週間。
「おまたせでござる! 救援物資、ならびに救助部隊第四陣の到着、なのでござる!」
メルドンは徐々に活気を取り戻しつつあった。
「ご苦労様です。幻蔵さんがここにおいで、という事は街道橋や道路の復旧の目処が立った、という事ですね」
出迎えたリースフィアに幻蔵は、その通り、と頷いた。
「そりゃあ、もう大変だったでござる。仮橋を作るために川にロープを渡したり、土砂崩れで埋もれた道を掘り出すのにドヴェルグの黄金も使ってしまったのでござる。これ‥‥王城に請求したら経費として認められぬものでござろうか‥‥」
冗談めかした口調ではあるが、幻蔵の苦労は事実でありリースフィアもそれを知っているから心から労う。
「こちらもやっと人々の生活が落ち着いたところです。生存者の救出は、あまり果たせませんでしたが‥‥」
「ん?」
状況を報告しあってる中、幻蔵は予想外のものに首を傾げる。
教会の開かれた窓の外。並ぶ避難用テントの向こうから楽しげな声が聞こえたからだ。
「何をしているのでござるか?」
幻蔵が窓の外へ身を乗り出す。その先には
「次は何を歌おうか?」
子供達と笑いあうリースがいた。伴奏はエスナだ。
「救援物資が届きました。どなたか配るのを手伝っていただけませんか?」
「昼食ができました。一列に並んで下さい」
「みんなの分ちゃんとあります。綺麗な水もありますよ」
怜と共に被災者の傷の手当や、ライフラインの普及を手伝っていたクローディア。
炊き出し班として料理や水の手配を一手に引き受けていたケインとヒルケイプ。
オレルド船長や、彼の船の者達の周りにも人だかりができている。
冒険者達の周りを人々が取り巻き、微笑さえ見せているのだ。
「笑えるように‥‥なったのであるな」
彼らの決死の行動が、人々をどれほど救ったか。あの笑顔が証明していた。
「でも、全ての人を救えた訳ではありません。彼らの多くは悲しみを隠しているだけでしょう。私達は時間との競争には敗北したのかもしれません」
反対側の墓地では若者達と一緒に穴掘りをしているヒースクリフや絶狼がいる。
ここに埋まる人々の数は、おそらく三桁に及ぶだろう。
「それでも、でござるよ」
幻蔵は外の様子を見ながらニッコリと笑う。
「人々の顔に笑顔が戻ってきたのなら、もう大丈夫。メルドンの復活はきっと近いでござる!」
「そうだと、いいですね」
幻蔵の言葉に書類を整えながら頷くリースフィア。
「幻蔵さ〜ん、リースフィアさ〜ん。そろそろ食事にしましょ〜」
「いいですね」
「では、拙者、裏の皆も呼んでくるのでござる!」
やがて出て来て揃った冒険者達を出迎え、人々の間に歓声が上がる。
カインの料理に舌鼓をうち、エスナの竪琴やリースの歌声に唱和して、歌い、踊る被災者達。
まだ彼らは心に、深い傷を負っている。
笑う事さえできない者もいる。けれど笑おうとしているのだ。
「大丈夫。この街は必ず元通りになるさ。失ったものも、数多いけれど、君達は生きている。負けちゃだめだ」 冒険者の言葉どおり、人々は少しずつ、だが、確かに胸の中にある多くの、苦しみの中から今、立ち上がろうとしていた。
第四陣の到着の後、キャメロットは勿論それ以外の町からも、救援物資が届けられるようになった。
橋の修理と土砂崩れの修復が完了した事が大きいだろう。
城下から派遣された騎士や、職人達がメルドン復興の為に動き始めると冒険者達はとりあえず、自分達の役目が終わったのを感じていた。
「‥‥ケイン」
「どうしたんだい? エスナ」
囁くように呟くエスナ。その声を聞き逃す事無くケインは振り向いた。
もう直ぐ夕暮れ。大地も建物も、海でさえ黄金に輝く時、エスナは一軒の家の前で足を止めていた。
完全に倒壊し、家の中にいた人物は冒険者達の前で遺体で発見された。エスナはそれを思い出しているようだ。
「私達‥‥本当に役に立てたのかな? 助けられなかった人、間に合わなかった人が多すぎて‥‥私‥‥私‥‥」
涙ぐむエスナに
「うん‥‥」
ケインは頷いた。
いくつもの死、いくつもの後悔を冒険者達はこの依頼で味わった。
手の中から零れて降りていった死。けれど‥‥
「きっと、役に立てた。きっとね。‥‥ご苦労様、エスナ」
「ケイン‥‥」
自分の胸に胸を埋めて無く少女をケインは、そっと抱きしめ髪を撫でた。
翌日、冒険者達帰還を決めメルドンを後にする事となった。
全てを整えた冒険者の出発には町中の人々が集まり感謝を述べる。
その中で、冒険者達は驚く話を耳にした。
「船長が‥‥いない?」
「どういうことです?」
冒険者達の問いかけに、まだ若い船乗りははっきりと答える。
「言葉通りの意味です。朝、気がついてみたら、オレルド船長がいなくなっていました。書置きも無く、船のどこにもいない。冒険者の皆さんなら居場所をご存知ではないか、と?」
汗を拭きながら問いかける青年に
「解りません。昨日まで一緒に瓦礫の撤去作業などを手伝って下さいましたがその後の事は‥‥」
「俺達の手伝いもしてくれたんだが、何も言っていなかった。なあ、絶っ太?」
「見回り隊の者達にも聞いてみようか?」
冒険者達はそう答えるしかなかった。
ヒースクリフが被災者達の安全の為に組織した見回り隊に訪ね、冒険者達や有志の人間達が聞き込み捜索を重ねたがオレルド船長の行方はようとして知れなかった。
もっと滞在を伸ばし捜索を手伝おうか、という冒険者に、船乗り達はとりあえず大丈夫だろう、と言ってくれた。
「あの人はけっこうフラフラと出歩くから。またどっかに行ってるのかもしれない」
と苦笑しながら。
けれど
「何故でしょう? 途中で仕事をすっぽかすような方ではないのに‥‥」
帰路、心配そうにヒルケイプは呟く。数日しか話す機会は無かったが人となりくらいは解った。
「聞けばパーシ殿の知り合いだっていうから、同じようなふらつき癖があるのかもしれないが‥‥」
「何か良くない事が起きているので無ければいいんですが‥‥心配ですね」
冒険者は、胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
「そもそも町が半壊するような津波自体が良くない事だ。満月の夜の津波といい、すっごく怪しいよな」
「海の悪夢はまだ終わっていないのでしょうか?」
シルヴィアの問いに答えるものはいない。
けれども、誰もが感じていた。
悪夢はこれで終わりではないのでは無いかもしれない‥‥と。
メルドンを襲った大津波の被害は後の記録によると死者行方不明者100名弱、破壊された家や船も三桁に及ぶと言われた。
イギリスにおける未曾有の大災害としてその名を残すことになる。
けれど、それでも冒険者達の活躍によって被害は最小限に食い止められていた。
参加した冒険者達に与えられた報酬はそう多くない。
使用した薬品、保存食の半分の保障と10G程の報酬だけである。
けれどメルドンで冒険者達の活躍は、長く長く人々の心に残り、語り継がれ希望の明かりを灯していたという。
「フフフ‥‥さあ、これからがショーの始まりだ」
闇に囁く声を知るものは、まだいない。